2006年02月
25446793.jpg 今日ライブやってきました。
@渋谷エッグマン、捻転時計企画「甜転展」
ライブの事について書く前にちょっと......。
昨日から今日にかけて個人的に良くも悪くも濃い〜日々でした。
昨日電車内で三万五千円入っていた財布をすられ、銀行のカードも紛失してしまった。
金の入り用な時の出来事だったんで巨大な悲しさと怒りが俺の身体を襲ってきたが、とても俺の身体では持ちこたえられそうにはなかったので、もう忘れて何もなかった事にしようと思い込む事に......。
で、カードがないんで通帳で銀行からおろそうかと思い、リハーサルが終わった後銀行に言ったら「今の時間はカードでしかおろせません」と間抜け面したガードマンに言われる。
馬鹿やろうクソ銀行!3時で締まってんじゃネエよ!マジでムカつくわ!
雨がそぼ降る渋谷でライブのある日に無一文。ヒュウウウって風が吹いてたよ俺の周り。
で仕方ないからメンバーに金を借りる形でライブへ。
個人的にはまあ思いっきりやれたライブだったが、俺以外のメンバーんとこのモニター環境は最悪、新曲の歌詞はとぶなど、久々のライブでいろいろテンパッた瞬間がありましたわ。
しかし!でっかいおまけが憑くんだ...。
ライブの最後の最後で俺が暴れ過ぎてアンプ前で転倒。が、そのまま勢いでパフォーマンスし続けていて、ギターに暴力を加えていたらホントにブッ壊れやがって!!
ギターの大事な大事な部分のネジが完全に折れてた。明日(つまり今日)は新曲のギター録りがあるってぇんで、自分のライブ終わった直後にすぐさま楽器屋に走って修理出し。で、どうせ2週間ぐらいは修理にかかるし、ここんとこ最近ず〜とセカンドギターが欲しいって思ってたからこの際買ってまえという事でギターを購入。
これがまたいいブツで、今メインで使ってるES-335と出会ったときのビビビビッていう霊感ほどじゃないが、ピピピピッて言う直感に襲われたギターだ。
例えて言うならば、ES-335が本妻なら、今回買ったgibson ES-330(写真参照)は本妻とよく似た性格でスッゲエ相性が良いいんだけど、ちょっとライトな感覚も持ってる浮気相手っつう感じ。しかし本妻よりも年上の1967年生まれなんだよねえ。ビンテージ!
まあ、まだスタジオで大音響で鳴らしてないから、床入りは済ませてないって感じなんで、ホントの性格は分ってないんだよね。ま、何とかなるだろうが、にしても明日のレコーディングがいきなりの筆おろしって凄まじいデビューだなこりゃ。
まあそれにしてもこんなに金運が悪い二日間なんてそうそうあるもんじゃねぇが、最後に来ていい買いもんが出来て厄落としが出来たかと思われる。てかそう思いたい。
あ、今日観た捻転時計は今まで観た中で一番よかった。前よりもずっと開かれた印象を受けた。しかも分り易いブチ切れ方が素晴らしかった。楽曲もどんどん吹っ切れたものになって行くでしょう。新しいドラマーが加入して本当によかったと思います。金の臭いのする音楽やりたいね。また対バンしましょう。
今日来てくれた方々、どうも有り難うございました。また懲りずに誘いますんでどうかよろしくお願いします。
3月24日はワイセッツ企画のイベントがございますよ。詳細はまた追々。
@渋谷エッグマン、捻転時計企画「甜転展」
ライブの事について書く前にちょっと......。
昨日から今日にかけて個人的に良くも悪くも濃い〜日々でした。
昨日電車内で三万五千円入っていた財布をすられ、銀行のカードも紛失してしまった。
金の入り用な時の出来事だったんで巨大な悲しさと怒りが俺の身体を襲ってきたが、とても俺の身体では持ちこたえられそうにはなかったので、もう忘れて何もなかった事にしようと思い込む事に......。
で、カードがないんで通帳で銀行からおろそうかと思い、リハーサルが終わった後銀行に言ったら「今の時間はカードでしかおろせません」と間抜け面したガードマンに言われる。
馬鹿やろうクソ銀行!3時で締まってんじゃネエよ!マジでムカつくわ!
雨がそぼ降る渋谷でライブのある日に無一文。ヒュウウウって風が吹いてたよ俺の周り。
で仕方ないからメンバーに金を借りる形でライブへ。
個人的にはまあ思いっきりやれたライブだったが、俺以外のメンバーんとこのモニター環境は最悪、新曲の歌詞はとぶなど、久々のライブでいろいろテンパッた瞬間がありましたわ。
しかし!でっかいおまけが憑くんだ...。
ライブの最後の最後で俺が暴れ過ぎてアンプ前で転倒。が、そのまま勢いでパフォーマンスし続けていて、ギターに暴力を加えていたらホントにブッ壊れやがって!!
ギターの大事な大事な部分のネジが完全に折れてた。明日(つまり今日)は新曲のギター録りがあるってぇんで、自分のライブ終わった直後にすぐさま楽器屋に走って修理出し。で、どうせ2週間ぐらいは修理にかかるし、ここんとこ最近ず〜とセカンドギターが欲しいって思ってたからこの際買ってまえという事でギターを購入。
これがまたいいブツで、今メインで使ってるES-335と出会ったときのビビビビッていう霊感ほどじゃないが、ピピピピッて言う直感に襲われたギターだ。
例えて言うならば、ES-335が本妻なら、今回買ったgibson ES-330(写真参照)は本妻とよく似た性格でスッゲエ相性が良いいんだけど、ちょっとライトな感覚も持ってる浮気相手っつう感じ。しかし本妻よりも年上の1967年生まれなんだよねえ。ビンテージ!
まあ、まだスタジオで大音響で鳴らしてないから、床入りは済ませてないって感じなんで、ホントの性格は分ってないんだよね。ま、何とかなるだろうが、にしても明日のレコーディングがいきなりの筆おろしって凄まじいデビューだなこりゃ。
まあそれにしてもこんなに金運が悪い二日間なんてそうそうあるもんじゃねぇが、最後に来ていい買いもんが出来て厄落としが出来たかと思われる。てかそう思いたい。
あ、今日観た捻転時計は今まで観た中で一番よかった。前よりもずっと開かれた印象を受けた。しかも分り易いブチ切れ方が素晴らしかった。楽曲もどんどん吹っ切れたものになって行くでしょう。新しいドラマーが加入して本当によかったと思います。金の臭いのする音楽やりたいね。また対バンしましょう。
今日来てくれた方々、どうも有り難うございました。また懲りずに誘いますんでどうかよろしくお願いします。
3月24日はワイセッツ企画のイベントがございますよ。詳細はまた追々。
b74c2d1f.jpg 久々の日記らしい日記です。
こないだの土曜日にオールナイトでレコーディングをしてきた。メンバーも書いているが新曲を含む三曲のリズム録りだ。(写真参照)
今回はプロの方に手伝ってもらって、マイキングからレコーディングオペレーションから雰囲気作り(ほんますんません...)まで色々学ぶとこおおありの大収穫レコーディングだった。
今回録った3曲中2曲はライブなどでやり慣れた曲ではなく、純然たる新曲だったためなかなか大変だった。
デモテープを渡してから選曲して取りかかるまでかなり短い期間で進み、そしてスタジオでアレンジする事総計17時間でレコーディングでまで漕ぎ着けた。なかなかいいペースだったんでは?
しかしやり込んだ絶対数が少ないからまだ完全には自分達のものになりきってないらしく、それなりに手こずった。
が、なんとか時間までに録り終えた。若いリズム隊はよくやったと思う。
で、問題はここから。昨日ギター録りをしたんだがうまく行かずいいテイクは押さえられずに終わった。
憤りと猛省で深夜遅くまで焼酎をあおりながらユニコーンのレコーディング風景のビデオを観る。楽しそうだなあ...。いかんいかん。猛練習しなければ。
しかも歌を今月末に録る事になっていて、これまた歌っている絶対数が少ないからかなりの歌い込みをしなければ。そして本番の日には早いテイクで押さえなければならない。まあ初期のテイクの方がノリもコンディションもいいに決まってるんだけど、今回はその日のうちにミックスをしてもらう事になっているので、かつてのように何日も何日もいいテイクが出るまで粘るなんて甘えた事言ってられない。
他にも色々事情があってそんなにそんなに時間がとれないから今焦ってます。しかも今週金曜日にはライブがあるし!あ、そうだそのライブ告知をしよう!
2月24日つまり今週の金曜日、渋谷エッグマンで捻転時計さんの企画「甜転展vol,2」。
前回の同企画にも出させてもらって、なんとあの早川義夫さんと対バンなんてとんでもなく素晴らしい経験をさせてもらったんだけれども、今回も灰野敬二さんというとんでもないゲストがおられるので是非体験しに来て下さい。
18時オープンの18時半スタートで、ウチらの出番は2番目で19時20分あたり。
他の出演者は、捻転時計さん、灰野敬二さん、ammoniteさん、チバ大三さん、鳩山浩二さん、Hazeldub Archestraさんです。
チケ代は予約で2千円プラス1ドリンク、当日は2千300円プラス1ドリンク。
当日は新曲プラス昔良くやってた「あ〜」ではじまる曲もやるかもしれない。ま、まだ分らんけどね。とにかくまあ遊びに来ておくれよう。
今回来れない人は来月3月24日にやらかすワイセッツ初企画「あんたのよていをくるわせたい」に来ておくれ。その告知はまたやります。でわ。
こないだの土曜日にオールナイトでレコーディングをしてきた。メンバーも書いているが新曲を含む三曲のリズム録りだ。(写真参照)
今回はプロの方に手伝ってもらって、マイキングからレコーディングオペレーションから雰囲気作り(ほんますんません...)まで色々学ぶとこおおありの大収穫レコーディングだった。
今回録った3曲中2曲はライブなどでやり慣れた曲ではなく、純然たる新曲だったためなかなか大変だった。
デモテープを渡してから選曲して取りかかるまでかなり短い期間で進み、そしてスタジオでアレンジする事総計17時間でレコーディングでまで漕ぎ着けた。なかなかいいペースだったんでは?
しかしやり込んだ絶対数が少ないからまだ完全には自分達のものになりきってないらしく、それなりに手こずった。
が、なんとか時間までに録り終えた。若いリズム隊はよくやったと思う。
で、問題はここから。昨日ギター録りをしたんだがうまく行かずいいテイクは押さえられずに終わった。
憤りと猛省で深夜遅くまで焼酎をあおりながらユニコーンのレコーディング風景のビデオを観る。楽しそうだなあ...。いかんいかん。猛練習しなければ。
しかも歌を今月末に録る事になっていて、これまた歌っている絶対数が少ないからかなりの歌い込みをしなければ。そして本番の日には早いテイクで押さえなければならない。まあ初期のテイクの方がノリもコンディションもいいに決まってるんだけど、今回はその日のうちにミックスをしてもらう事になっているので、かつてのように何日も何日もいいテイクが出るまで粘るなんて甘えた事言ってられない。
他にも色々事情があってそんなにそんなに時間がとれないから今焦ってます。しかも今週金曜日にはライブがあるし!あ、そうだそのライブ告知をしよう!
2月24日つまり今週の金曜日、渋谷エッグマンで捻転時計さんの企画「甜転展vol,2」。
前回の同企画にも出させてもらって、なんとあの早川義夫さんと対バンなんてとんでもなく素晴らしい経験をさせてもらったんだけれども、今回も灰野敬二さんというとんでもないゲストがおられるので是非体験しに来て下さい。
18時オープンの18時半スタートで、ウチらの出番は2番目で19時20分あたり。
他の出演者は、捻転時計さん、灰野敬二さん、ammoniteさん、チバ大三さん、鳩山浩二さん、Hazeldub Archestraさんです。
チケ代は予約で2千円プラス1ドリンク、当日は2千300円プラス1ドリンク。
当日は新曲プラス昔良くやってた「あ〜」ではじまる曲もやるかもしれない。ま、まだ分らんけどね。とにかくまあ遊びに来ておくれよう。
今回来れない人は来月3月24日にやらかすワイセッツ初企画「あんたのよていをくるわせたい」に来ておくれ。その告知はまたやります。でわ。
21fec52d.jpg 遅ればせながらボブディランの映像ドキュメンタリー作品「ノーディレクションホーム」を観た。めちゃくちゃ感動した。
ボブディランは俺にとっては長く親しんできたアーティストではあるものの、正直なところ熱狂的な信者であったりマニアであったりしたことはない。ただこの作品は観ておかなければならないとずっと思っていた。
この「ノーディレクションホーム」は、ディランの幼少期に始まり、デビュー前から絶頂期である1965年あたりにかけてまでを切り取ったドキュメンタリー映画だ。
とにかくこの1965年あたりのディランの放つオーラたるや凄いとしか言いようがない。
ある特定のアーティストや特定のバンドの変化や進化が、そのままポップミュージックのイノベーションの季節になりそれが世間を騒がせて行くということが、歴史上稀にではあるがあった。
例えばビートルズなら「ラバーソウル」から「サージェントペパーズ」あたりまで、例えばスティービーワンダーなら「トーキングブック」から「キーオブライフ」あたりまで、例えばプリンスなら「アラウンドザワールド」から「サインオブタイムス」まで。
そしてボブディランなら「ブリングイットオールバックホーム」から「追憶のハイウェイ61」あたり、ディランがフォークギターからエレキギターに持ち替え「ライクアローリングストーン」という名曲を世に放ったこの時期がそうだ。
そういう時期、アーティストは何を求めて変化しているのだろうか?より大きな市場を求めて自らの意思で変化して行く場合もあるだろう。
しかし彼等の場合は恐らく自分の意図を越えたところで自らのクリエイティブな欲求が爆発し、それまでの支持者を無視してまでも変化せざるをえないような精神状態になっていったのではないか。
実際それらのアーティストの変革期の作品はおおむねセールス的には下降していることが多い。
しかしディランの場合はもっとラディカルで現実的な形でそれまでの支持者との摩擦が現れる。
この映画は実に丁寧に作られている。ディランの作品や映像だけでなく、ディランが影響を受けたアメリカのトラディショナルフォークやカントリー、ロックンロール、ブルースのアーティスト達の貴重な映像や、あるいは関係者の数々の証言によって多面的にボブディランの歴史が紐解かれて行く。
最初期の頃、「フォークの神様」、「新しい時代の代弁者」なんて言われていた頃のボブディランの顔にはまだ幼さがあり、アコースティックギター一本で淡々と自作の歌を歌うテレビ映像はなかなか興味深い。
この当時のフォーク界にあった「商業主義に侵されずピュアなフォークソングによって現実を告発し世界を変革して行こう」という空気の中で呼吸をしているうちに、いつのまにか「フォークの救世主」に祭り上げられていったディランの顔からはだんだんとはにかんだ愛くるしさが消え、エレクトリック指向に転向し攻撃的な姿勢であったであろう頃のディランは、詩人アレンギンズバーグの言葉を借りるなら「精神的、音楽的パワーの頂点にいるかに思えた彼ら(ちょうどディランとジョンレノンが同じ場にいたときの印象らしい)があまりに心許なげに見えた」。
だいたいディランとかレノンとかいった分裂症気味の天才が一つのレッテルに押し込められて安定していられる訳がない。
ロック史の中でも特筆すべき事件であるこのボブディランの「フォークからロックへの転向」は、「フォークの神様」ボブディラン支持者からの強烈な反発というものを巻き起こして行く。
この映画の中で聞かれるファンの反応はとにかく凄まじい。特に1965年のヨーロッパツアーを捉えたドキュメント映像が凄まじい。
ライブ会場のロビーでマイクを向けられたファンは口々に「こんなものはゴミだ」「くだらない」「俺はフォークを聴きに来たんだ、バンドを観にきたんじゃねえ」、会場内の観客達はエレクトリックバンドを従えたディランに向かって「裏切り者!」「帰れ!」とののしる。そんな観客に向かってディランは「次はフォークソングをやる。」と言い、観客から大歓声が上がると「喜ぶと思ったよ」といいフォーク時代の曲をバンドで轟音で演奏しだす。
なんと言っていいのか...もうとにかくロックとしか言いようがない。
このツアー中撮られたライブ映像や楽屋で観られるディランは明らかに観客やまとわりつく有象無象と闘っている。怒っている。しかし拳を振り上げてメラメラと怒るような健全な元気さはない。もっと病的な精神状態で怒っている。
フォーク界のリーダーから一気にポップスターになったディランにはメディアもつきまとい出し、下らない質問を繰り返す記者達には、めちゃくちゃ知的なユーモアでかわしながらも殆どまともに答える気はなく、傍若無人にサインをせがむファンに呆れはて、本当に目はトローンとし「とにかく早く家に帰りたい」と嘆く。
とにかく、とにかく疲れている。
しかしステージに立ったディランはそんな煩わしいことに対する疲れを抱えたまんま、めちゃくちゃエモーショナルで荒々しいバンドの演奏にのり攻撃的な言葉を吐き出している。
怒りに満ちたシャウトではなく「お前らに分るものか」という蔑視と高潔な悟りすら感じさせる張りつめた声を大観衆に向かって叩き付けている。
そして最後のシーン、ロック史の中ではあまりにも有名なエピソードだが実際映像が残っているとは思わなかったあの有名なやりとり、観客の一人が「お前はユダだ!(裏切り者の事)」と叫ぶとディランは「お前らなんか信じない、(少し間を置いて)お前らは嘘つきだ」と淡々と答えたあと後ろのバンドに向かって「プレイファッキンラウド!」と叫んで大轟音で「ライクアローリングストーン」を叩き付ける。
ギリギリのテンションがディランを支えていた時期の本当に決定的な瞬間を捉えた、まさに息を呑むシーンだ。
実際このツアーを終えた後ほどなくしてディランはバイク事故を起こし3年の間ロックシーンから姿を消す。自殺ではないだろうが、一人の人間では支えられないいろんなプレッシャーがその事故を起こさせたのではないか?推測の域を出ないがそれにしても出来過ぎた話だ。
まあ繰り返しになるが...... ロックとしか言いようがない。これほど大衆と敵対しながらも大衆に自らを曝け出し叩き付けたアーティストの、実にロックなドキュメント映像は観た事がない。
ツアー中の一場面、楽屋にいたディランが吐き捨てた言葉が忘れられない。
「新しいボブディランを雇ってくれ。そいつにやらせればいい。どれだけ続くものか」
ボブディランは俺にとっては長く親しんできたアーティストではあるものの、正直なところ熱狂的な信者であったりマニアであったりしたことはない。ただこの作品は観ておかなければならないとずっと思っていた。
この「ノーディレクションホーム」は、ディランの幼少期に始まり、デビュー前から絶頂期である1965年あたりにかけてまでを切り取ったドキュメンタリー映画だ。
とにかくこの1965年あたりのディランの放つオーラたるや凄いとしか言いようがない。
ある特定のアーティストや特定のバンドの変化や進化が、そのままポップミュージックのイノベーションの季節になりそれが世間を騒がせて行くということが、歴史上稀にではあるがあった。
例えばビートルズなら「ラバーソウル」から「サージェントペパーズ」あたりまで、例えばスティービーワンダーなら「トーキングブック」から「キーオブライフ」あたりまで、例えばプリンスなら「アラウンドザワールド」から「サインオブタイムス」まで。
そしてボブディランなら「ブリングイットオールバックホーム」から「追憶のハイウェイ61」あたり、ディランがフォークギターからエレキギターに持ち替え「ライクアローリングストーン」という名曲を世に放ったこの時期がそうだ。
そういう時期、アーティストは何を求めて変化しているのだろうか?より大きな市場を求めて自らの意思で変化して行く場合もあるだろう。
しかし彼等の場合は恐らく自分の意図を越えたところで自らのクリエイティブな欲求が爆発し、それまでの支持者を無視してまでも変化せざるをえないような精神状態になっていったのではないか。
実際それらのアーティストの変革期の作品はおおむねセールス的には下降していることが多い。
しかしディランの場合はもっとラディカルで現実的な形でそれまでの支持者との摩擦が現れる。
この映画は実に丁寧に作られている。ディランの作品や映像だけでなく、ディランが影響を受けたアメリカのトラディショナルフォークやカントリー、ロックンロール、ブルースのアーティスト達の貴重な映像や、あるいは関係者の数々の証言によって多面的にボブディランの歴史が紐解かれて行く。
最初期の頃、「フォークの神様」、「新しい時代の代弁者」なんて言われていた頃のボブディランの顔にはまだ幼さがあり、アコースティックギター一本で淡々と自作の歌を歌うテレビ映像はなかなか興味深い。
この当時のフォーク界にあった「商業主義に侵されずピュアなフォークソングによって現実を告発し世界を変革して行こう」という空気の中で呼吸をしているうちに、いつのまにか「フォークの救世主」に祭り上げられていったディランの顔からはだんだんとはにかんだ愛くるしさが消え、エレクトリック指向に転向し攻撃的な姿勢であったであろう頃のディランは、詩人アレンギンズバーグの言葉を借りるなら「精神的、音楽的パワーの頂点にいるかに思えた彼ら(ちょうどディランとジョンレノンが同じ場にいたときの印象らしい)があまりに心許なげに見えた」。
だいたいディランとかレノンとかいった分裂症気味の天才が一つのレッテルに押し込められて安定していられる訳がない。
ロック史の中でも特筆すべき事件であるこのボブディランの「フォークからロックへの転向」は、「フォークの神様」ボブディラン支持者からの強烈な反発というものを巻き起こして行く。
この映画の中で聞かれるファンの反応はとにかく凄まじい。特に1965年のヨーロッパツアーを捉えたドキュメント映像が凄まじい。
ライブ会場のロビーでマイクを向けられたファンは口々に「こんなものはゴミだ」「くだらない」「俺はフォークを聴きに来たんだ、バンドを観にきたんじゃねえ」、会場内の観客達はエレクトリックバンドを従えたディランに向かって「裏切り者!」「帰れ!」とののしる。そんな観客に向かってディランは「次はフォークソングをやる。」と言い、観客から大歓声が上がると「喜ぶと思ったよ」といいフォーク時代の曲をバンドで轟音で演奏しだす。
なんと言っていいのか...もうとにかくロックとしか言いようがない。
このツアー中撮られたライブ映像や楽屋で観られるディランは明らかに観客やまとわりつく有象無象と闘っている。怒っている。しかし拳を振り上げてメラメラと怒るような健全な元気さはない。もっと病的な精神状態で怒っている。
フォーク界のリーダーから一気にポップスターになったディランにはメディアもつきまとい出し、下らない質問を繰り返す記者達には、めちゃくちゃ知的なユーモアでかわしながらも殆どまともに答える気はなく、傍若無人にサインをせがむファンに呆れはて、本当に目はトローンとし「とにかく早く家に帰りたい」と嘆く。
とにかく、とにかく疲れている。
しかしステージに立ったディランはそんな煩わしいことに対する疲れを抱えたまんま、めちゃくちゃエモーショナルで荒々しいバンドの演奏にのり攻撃的な言葉を吐き出している。
怒りに満ちたシャウトではなく「お前らに分るものか」という蔑視と高潔な悟りすら感じさせる張りつめた声を大観衆に向かって叩き付けている。
そして最後のシーン、ロック史の中ではあまりにも有名なエピソードだが実際映像が残っているとは思わなかったあの有名なやりとり、観客の一人が「お前はユダだ!(裏切り者の事)」と叫ぶとディランは「お前らなんか信じない、(少し間を置いて)お前らは嘘つきだ」と淡々と答えたあと後ろのバンドに向かって「プレイファッキンラウド!」と叫んで大轟音で「ライクアローリングストーン」を叩き付ける。
ギリギリのテンションがディランを支えていた時期の本当に決定的な瞬間を捉えた、まさに息を呑むシーンだ。
実際このツアーを終えた後ほどなくしてディランはバイク事故を起こし3年の間ロックシーンから姿を消す。自殺ではないだろうが、一人の人間では支えられないいろんなプレッシャーがその事故を起こさせたのではないか?推測の域を出ないがそれにしても出来過ぎた話だ。
まあ繰り返しになるが...... ロックとしか言いようがない。これほど大衆と敵対しながらも大衆に自らを曝け出し叩き付けたアーティストの、実にロックなドキュメント映像は観た事がない。
ツアー中の一場面、楽屋にいたディランが吐き捨てた言葉が忘れられない。
「新しいボブディランを雇ってくれ。そいつにやらせればいい。どれだけ続くものか」
858ab4a3.jpg
放送禁止用語って何なんだろう?
俺は「キチガイ」という言葉が大好きだ。言葉の響きがいい。音としてもの凄く気持ちいい。「吉害」とも表記出来るナイスなヤツだ。
昔作った自分の曲に「行き違い→聞き違い」という曲があった。
ホントにキチガイみたいな曲で、プログレ的な変拍子を無理矢理ファンクなリズムにねじ込んだオケに、頭の狂ったような言葉の羅列のラップをのせ、サビはただひたすら「イキチガイばかり、キキキキチガイばかり」と絶叫する。
ていう曲を作ってしまったくらい「キチガイ」という言葉が好きだ。発声したかった、「キチガイ」を。
でもこの言葉は放送禁止用語だし、こうやって書くのすらダメかもしれない。
キングクリムゾンのあの必殺の名曲「21世紀の精神異常者」も最近では「21世紀のスキッツォイドマン」というあの曲のキチガイ度を思いっきり水増しするような間抜けな表記にされている。恐らく「精神異常者」という言葉がダメなんだと思う。
北野武監督の第一作目「その男狂暴につき」がテレビで放送された時、映画の最後の方、壮絶で衝撃的なラストシーンの最後に「どいつもこいつもキチガイだ......」というめちゃくちゃ重要なセリフがあるんだがそこのとこの音声がオフになっていた。全てを台無しにする恐ろしい編集......。
以前初めて生本番のラジオに出た時、「発狂」という言葉を発して後でオコゴトを喰らったこともあった。そういえば確かピンクフロイドのアルバムタイトル「狂気」も放送では不適切な言葉とされている。
一体誰が迷惑するというのだ?
意図的に特定の人物や特定の症状を差別的なニュアンスで発言したり表現したりするのはよくないことであるのは分りきっている。
しかしそうじゃない場合、その言葉を使わざるをえない文脈がそこに流れている場合でも一緒くたにして「放送禁止」とするのは表現の弾圧である。
ほんっっっっとうに頭が悪いとしか言いようが無い。
「言葉の規制」なんていうめちゃくちゃ知性のいる「検閲」という作業をしている人間の殆どはクソバカタレなんだろうか?
ちゃんと文脈を読み取る能力が無いのか?
阿呆なおばはんPTA感覚みたいなのが表現の世界にのさばって無意味な検閲を行わさせているのか?
そういう感覚が徒競走で全員並んでゴールさせたり、学芸会では全員主役で脇役なしなんてことを本気で実現させてしまった。
馬鹿は死んでくれ。全ての人間の知性や可能性が奪われるから。
松本人志がず〜っと言い続けていること。
「コントとかで食い物を使ったらあれは食いもんを粗末にしとるってすぐクレームが来るけど、ドラマとかで食いもんをぶちまけても別にクレームは来ん。なんでやねん!?」
まさになんでやねん?!である。
ワイドショーで、ある女優が流産をしたときの悲しみの会見の映像に、妊娠発覚したときの幸せそうな会見の映像をオーバーラップさせて編集をしていた。こっちの方がよっぽど人権無視でひでえことしてるだろ!
コントにクレームをつけ、ワイドショーの残酷な編集に気付かずボケーと見ている奴等、それは放送禁止用語をいちいち指摘してるのと同じような連中に違いない。
馬鹿は死んでくれ。というか何にもするな。人にクレームを付けるだけの批評能力なんか備わってないんだから黙っといてくれよ。
「放送禁止用語」......嫌な響きだ。「キチガイ」のほうがよっぽどいい響きだし実に音楽だ。
「放送禁止用語」......そんな言葉じゃ曲は作れない。
放送禁止用語って何なんだろう?
俺は「キチガイ」という言葉が大好きだ。言葉の響きがいい。音としてもの凄く気持ちいい。「吉害」とも表記出来るナイスなヤツだ。
昔作った自分の曲に「行き違い→聞き違い」という曲があった。
ホントにキチガイみたいな曲で、プログレ的な変拍子を無理矢理ファンクなリズムにねじ込んだオケに、頭の狂ったような言葉の羅列のラップをのせ、サビはただひたすら「イキチガイばかり、キキキキチガイばかり」と絶叫する。
ていう曲を作ってしまったくらい「キチガイ」という言葉が好きだ。発声したかった、「キチガイ」を。
でもこの言葉は放送禁止用語だし、こうやって書くのすらダメかもしれない。
キングクリムゾンのあの必殺の名曲「21世紀の精神異常者」も最近では「21世紀のスキッツォイドマン」というあの曲のキチガイ度を思いっきり水増しするような間抜けな表記にされている。恐らく「精神異常者」という言葉がダメなんだと思う。
北野武監督の第一作目「その男狂暴につき」がテレビで放送された時、映画の最後の方、壮絶で衝撃的なラストシーンの最後に「どいつもこいつもキチガイだ......」というめちゃくちゃ重要なセリフがあるんだがそこのとこの音声がオフになっていた。全てを台無しにする恐ろしい編集......。
以前初めて生本番のラジオに出た時、「発狂」という言葉を発して後でオコゴトを喰らったこともあった。そういえば確かピンクフロイドのアルバムタイトル「狂気」も放送では不適切な言葉とされている。
一体誰が迷惑するというのだ?
意図的に特定の人物や特定の症状を差別的なニュアンスで発言したり表現したりするのはよくないことであるのは分りきっている。
しかしそうじゃない場合、その言葉を使わざるをえない文脈がそこに流れている場合でも一緒くたにして「放送禁止」とするのは表現の弾圧である。
ほんっっっっとうに頭が悪いとしか言いようが無い。
「言葉の規制」なんていうめちゃくちゃ知性のいる「検閲」という作業をしている人間の殆どはクソバカタレなんだろうか?
ちゃんと文脈を読み取る能力が無いのか?
阿呆なおばはんPTA感覚みたいなのが表現の世界にのさばって無意味な検閲を行わさせているのか?
そういう感覚が徒競走で全員並んでゴールさせたり、学芸会では全員主役で脇役なしなんてことを本気で実現させてしまった。
馬鹿は死んでくれ。全ての人間の知性や可能性が奪われるから。
松本人志がず〜っと言い続けていること。
「コントとかで食い物を使ったらあれは食いもんを粗末にしとるってすぐクレームが来るけど、ドラマとかで食いもんをぶちまけても別にクレームは来ん。なんでやねん!?」
まさになんでやねん?!である。
ワイドショーで、ある女優が流産をしたときの悲しみの会見の映像に、妊娠発覚したときの幸せそうな会見の映像をオーバーラップさせて編集をしていた。こっちの方がよっぽど人権無視でひでえことしてるだろ!
コントにクレームをつけ、ワイドショーの残酷な編集に気付かずボケーと見ている奴等、それは放送禁止用語をいちいち指摘してるのと同じような連中に違いない。
馬鹿は死んでくれ。というか何にもするな。人にクレームを付けるだけの批評能力なんか備わってないんだから黙っといてくれよ。
「放送禁止用語」......嫌な響きだ。「キチガイ」のほうがよっぽどいい響きだし実に音楽だ。
「放送禁止用語」......そんな言葉じゃ曲は作れない。
58376b80.jpg今バンドで新曲を練っている。そして今週末からレコーディングに入る。
着床、いや着手してから録音までかなり速いペースで進まざるをえないことになっている。今までよりも早くて深い解釈能力と集中力が要求されている。
自分に向けて曲を作り、自分で演奏するためにアレンジをし、自分に聴かせるために録音し、というスタンスだった20代の頃とは創作活動のベクトルがかなり変わった。
個人的な部分では「内なる自分と向き合う」という前提、「自分が聴きたいと思うような曲を産み出したい」という動機は何ら変わることは無いが、今は聴き手をかなり明確に想定して全ての創作、制作プロセスを行っている。
こんな風に自分が変わってきたのはバンドでやっているからだ。
自分は非常に自己完結的な人間で、自己プロデュースを完璧に行い、孤独な創作スタンスを持つ人間かと思ったていたがどうやらそれは大間違いのようだった。
自分のことなんか全然分ってないし、他者と関わり合うこと、共犯関係を結ぶことによってこそ自分のおいしいところが出せるようだ、どうやら。
新しい曲というもんはバンドを動かして行く上で非常に有用なガソリンになる。たんに新しい事やると新鮮だ、とかいうことだけじゃなくて、「新曲」という、現実には陰も形も無い「妄想」を共同でくんずほずれつして形にしてこの世に産み落とすなんて、知らない人にとっては「何じゃそら?」ていうぐらいっ不思議なことだし、音の振動によって他者に伝える行為なんていうのはこれまた実に神秘的でスリルのあることだ。
生憎曲が出来ないという俗にいう「スランプ」っていう状態には殆ど陥ったことは無いし、年を経るごとに作風も変わってくるからまだしばらくは飽きたりルーティーンワークみたいなことにはならないだろう。
やることはいっぱいあるし大変だが、新しいものが産まれるというのはやっぱりワクワクするもんだ。
より開かれた存在になるために、より開かれた自分をさらけだす。
着床、いや着手してから録音までかなり速いペースで進まざるをえないことになっている。今までよりも早くて深い解釈能力と集中力が要求されている。
自分に向けて曲を作り、自分で演奏するためにアレンジをし、自分に聴かせるために録音し、というスタンスだった20代の頃とは創作活動のベクトルがかなり変わった。
個人的な部分では「内なる自分と向き合う」という前提、「自分が聴きたいと思うような曲を産み出したい」という動機は何ら変わることは無いが、今は聴き手をかなり明確に想定して全ての創作、制作プロセスを行っている。
こんな風に自分が変わってきたのはバンドでやっているからだ。
自分は非常に自己完結的な人間で、自己プロデュースを完璧に行い、孤独な創作スタンスを持つ人間かと思ったていたがどうやらそれは大間違いのようだった。
自分のことなんか全然分ってないし、他者と関わり合うこと、共犯関係を結ぶことによってこそ自分のおいしいところが出せるようだ、どうやら。
新しい曲というもんはバンドを動かして行く上で非常に有用なガソリンになる。たんに新しい事やると新鮮だ、とかいうことだけじゃなくて、「新曲」という、現実には陰も形も無い「妄想」を共同でくんずほずれつして形にしてこの世に産み落とすなんて、知らない人にとっては「何じゃそら?」ていうぐらいっ不思議なことだし、音の振動によって他者に伝える行為なんていうのはこれまた実に神秘的でスリルのあることだ。
生憎曲が出来ないという俗にいう「スランプ」っていう状態には殆ど陥ったことは無いし、年を経るごとに作風も変わってくるからまだしばらくは飽きたりルーティーンワークみたいなことにはならないだろう。
やることはいっぱいあるし大変だが、新しいものが産まれるというのはやっぱりワクワクするもんだ。
より開かれた存在になるために、より開かれた自分をさらけだす。
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ネット上にも写真が出てるが、なんと!!スライストーンがグラミー賞の舞台に上がったそうだ。
殆ど歌いはしなかったらしいが、スライのトリビュートアルバムが出たことと連動してのパフォーマンス中にひょっこり現れてあっという間に引っ込んで行ったらしい。
ちなみに風貌はえらく高くおっ立てた金髪のモヒカンにド派手な蛍光色の衣装に「SLY」マークの変身ベルト(みたいなやつ)。悪役ヒーローか!
特別功労賞でも貰ったのかしらね?えらいニュースが飛び込んできたもんだ。
スライストーン。だいたいロックのバイヤーズガイドに載ってるのはこんな感じだ。
スライストーン。スライ&ザ・ファミリーストーンのリーダーとして1967年デビュー。ジェイムスブラウンと並ぶ「ファンク」のオリジネイターとして賞され黒人音楽の革命児として名実共にその名を世界に知らしめる。特に60年代後期から70年代初頭にかけて全盛期をむかえ、音楽史に残る名盤、名曲を発表するが、ドラッグの影響で段々落ち目になり、精彩を欠く作品を連発する。何度もカムバックアルバムを出すも70年代終わりには見る影もなく現在では消息不明。
そのスライが人前に再び姿を現した。ホントに21世紀何が起こるか分らない。
感覚的なものなので文章にするのはなかなか難しいが、黒人音楽には特有の属性がその音の感触の中にある。なんと言うのか...、
黒人音楽は「固くてしなやか」なのだ。
黒人のアスリートの筋肉が世界中のアスリートの誰よりも鋼のような固さと弾力性を持ってるだろうと想像させるのと同じように、黒人音楽から感じられるグルーヴは「固く」それでいて「しなやか」なのだ。
個人的な意見だが、「黒人音楽の音楽的洗練は音の純化に向かう」と思うのだ。
白人音楽の洗練がオーケストラを加えたりして装飾的になって行き、音と音の隙間を埋め尽くして行くことに対して、黒人音楽はむしろ音数が減って行きひたすら縦の線がくっきりしてスカスカになって行く。オーケストラを使おうがホーンセクションを使おうが音楽の骨格、輪郭がぼやけることはない。
一個一個の音から余計な意味性を無くし、音は音でしかないところまで純化していき、それらを再構築していって一つのグルーヴにする。
ダンスミュージックは常に黒人音楽から産まれてきた。踊るためには意味性や思想性など要らない。ひたすら踊るためのグルーブが要求される。そんな極めて機能主義的な音楽が黒人音楽から産まれてきたのは必然だ。
元々音楽とは原始時代、人間が収穫祭などで踊るためのダンスミュージックだった。
脳内麻薬が出るまでひたすら炎の周りを踊って気分を昂揚させるために、ものを叩いたり叫び声を挙げたりを延々と繰り返してトリップするミニマルミュージックだったのだ。
それはJBのファンクにもテクノにもヒップホップにも受け継がれてる、人間が常に本能的に要求してきた原初的な昂揚感なのだ。
ジェイムスブラウンのファンクは、声を含む楽器の一つ一つの音を極限までパーカッシウ ?にしていき、全体のアンサンブルをリズムの複合体として構成したものだ。
だから一つ一つの音は「固い」。ギターの音を聴けば分るが、歪んだ粘りのあるトーンは殆どなく、クリーンな音色によるカッティングが主だ。ホーンセクションもメロディを奏でているというよりは破裂音のようなトーンで一音一音を確実にリズムの縦軸に置いて行くというやり方だ。リズム隊はシンコペーションを多用し「間」と「流れ」を作る。そして御大JBは「ヒレ!」とか「ゲロッパ!」とか叫んでるだけだ(笑)。それらのポリリズムによるブレがあの唯一無二のファンクグルーヴを創り出している。
それに対してスライのファンクは、デビュー当時からすでに純黒人音楽的なルールからは外れていた。
ジェイムスブラウンよりも10歳若い(JBはだいたい歳をサバを読んでるから正しい数字かどうかは分らないが)ということもあってか白人音楽、とくにロックの影響が非常に大きい。なにしろドラマーは白人だ。
ロックの影響は具体的に楽器の音色や、親しみ易いメロディーなどに顕著だ。JBのひたすらパーカッシウ ?な固く攻撃的な音構造に対して、スライの楽曲は「タイト」と言うよりは「ハードでルーズ」。勿論リズムがだらしないという訳ではない。ただリズムの打点と隙間が大きいので、太くうねるようなグルーヴになるのだ。その上にシンプルだが輪郭のはっきりしたメロディラインが乗っかり、ワンコードではなく場面転換のはっきりした構成がある非常にポップなファンクなのだ。
ゆえに黒人村社会からは「白人に対して迎合的である」と言う批判がありつつも広く白人にも受け入れられワールドワイドな成功を手にする。
だからスライは純然たるファンクのオリジネーターと言うよりは、ファンクと言う純黒人音楽をいったん解体して、いろんな音楽と異種混合させて再構築し、ポップミュージックの中に「ファンク的」なるものを広く普及した「発明者」と言うよりは「推進者」である。ただ白人音楽を主とする当時の市場に放り込まれたスライのミクスチャー音楽は紛れも無く新種の「発明」であり、ポップミュージックの新たなイノベイターとして迎えられたのだ。黒人白人男女混合と言うバンド編成も当時の白人サイケデリックヒッピーカルチャーの中では人類の理想的な在り方として捉えられたのだろう。
本当にこの時期、初期の作品にはひたすら聴く者の気持ちを昂揚させる力強い作品が多い。
「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」や「ハイヤー」に見られる、 凄まじいファンクグルーウ ?の推進力を力技でポップミュージックに変えてしまうエネルギー、「スタンド!」や「エブリデイ・ピープル」に顕著な、ファンク的な感覚をベースにしながらも「ユルさ」「クールさ」の要素を持ち込み洗練されたポップミュージックにまで消化した折衷性は凄まじい。
そして前期の到達点とも言えるようなシングル「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイムタイム」と「サンキュー」まで進化は続く。
この二曲はスライの革新性、折衷性、大衆性が極端にまで現れた凄まじい楽曲だ。「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイムタイム」の、ビートルズに匹敵するようなメロディーの美しさ、コードプログレッションの斬新さ、純音楽的観点から言っても見事としか言いようの無いアレンジメント、これら全てはスライの持つ黒人的資質と白人的素養が非常に高いレベルで融合していることを示すものでありこの曲は全米NO,2にまでなっている。
これに対して「サンキュー」は当時革命的だったラリーグラハムのチョッパー奏法という「発明品」を要して「打楽器的リズム複合体アレンジ」の純黒人音楽的なワンコードファンクである。しかもこの恐るべき革新的な楽曲は奇跡的にポップな感覚を携えており見事全米NO,1にブチ込んだ。ここにきて「革新性」「折衷性」「大衆性」は頂点を迎える。
食い物は腐る寸前が一番うまいらしい。果物なんかは腐りかけが一番糖度が高いようだし、肉は旨味成分が一番多いのが腐る寸前だ。
「サンキュー」から2年近くのインターバルを空けて発表された「暴動」はまさに腐りかけの旨みが溢れたアブナい作品だ。これ以上イッたものを食っては食中毒になる。ギリギリの臨界点。
それまでのギラギラした革新性や多くの大衆を巻き込んで行くような巨大なグルーヴは影を潜め、非常にナチュラルに全てが溶けている。まるでスライの脳みそのように。
ドラッグが多分に影響したのだろうが、殆どの楽器をスライが演奏したとも言われているこの内省的沈鬱アルバムにはヘロヘロのラリラリのグルーヴが横たわっている。
黒人的グルーブと白人的グルーヴが「折衷」ではなく「溶解」して出来た得体の知れないグルーヴだ。
全米NO,1になったシングル「ファミリー・アフェアー」やポップなメロディメーを持つ「スマイリン」といった曲でさえもこのアルバム全体を覆い尽くす憂鬱なグルーヴから逃れることは出来ない。
スライの声とヨロヨロのエレピを聴いてるだけでもドラッグ中毒者のヘラヘラとした「力ない陽気さ」と「けだるさ」が伝わってくるが、このアルバムから始まる後期のスライが持つ重要な要素がその「けだるさ」である。
それは人間スライの崩壊を引き換えに手に入れたグルーヴだった。
前期のスライが「陽」の推進力で走ってきたならば、ならこのアルバムから始まる後期のスライは「陰」の求心力で貫かれている。
ドラッグの悪影響でアッパーに大衆を扇情するエネルギーを失ったスライは、やはり同じようにドラッグを使ってひたすら内に入って行くしか無かった。
俺は前期よりもこの時期のスライに深く耽溺した。初期から「ファンク」というカテゴリーに納まらないスタイルの音であったが、この時期に至ってはいかなるジャンル分けも不可能なくらい逸脱している。
世界を味方に凄まじい勢いで「ファンク村」から脱出してみたら次の戦場、あるいは落ち着くべき場所が無かったことに気付いてフワフワ浮いているしかなかったような音だ。
この後またしても2年のインターバルを空けて発表された「フレッシュ」という、「暴動」よりも更に溶解し得体の知れないものに仕上がったこの空前絶後の名盤を最後にスライは1973年終わった。
その後のアルバムは多くのファンにとって無きに等しいほどの惨憺たる出来であり、自らの再生のために過去の自分をコピーしているような作品ばかりである。
他のアーチストならまだ許されるがかつてイノベイターであったスライに求められた作品群ではなかった。
「フレッシュ」のオープニングナンバー「イン・タイム」の恐ろしく入り組んだ奇形なリズムアンサンブルと、その最終形のスライグルーヴに自ら手向けた鎮魂歌であるかのような「ケ・セラ・セラ」を聴きながらスライは1973年に終わったんだと再認識する。
ここまで書いておいてなんだが、俺は殆どブラックミュージックを聴かない。
いや、嫌いという訳ではない。むしろファンクでもR&Bでもブルースでも凄く好きだし肌には合ってるんだが、所謂愛好家ではない。それはロック「愛好家」でないのと同じだ。
ロックにも同じことがいえるが、「ブラックミュージック村」の中に納まって安定しきっている音、それはそれで素晴らしいものは沢山あるが、そこからは居心地の良さ以上のものは得られないからだ。
黒人音楽の世界は以外に保守的である。人種的な問題もあるが、黒人音楽村の中でこそ通用する音楽マナーを守っているうちは熱狂的に歓迎されるが、そこから脱出してより広い大衆性を獲得しようとした時に排斥される。スライが、マイルスが、ジミヘンが、プリンスがリウ ?ィングカラーそうであった。所謂ブラックミュージックの異端児であり革命児である。
だが「脱」黒人音楽の方向に突き進んでいったそれらのアーティストにこそ俺は黒人の持つダイナミズムを感じる。
村から出て行くための道具としての「革新性」という刃の鋭さに俺は「黒人音楽」の凄みを感じる。
その「革新性」が「大衆性」に直結するという奇跡に「ポップ」を感じる。
だからデビュー当初からブラックミュージック、ファンクミュージックの枠内にいながらそれを突き破ろうとする音楽性を持っていたスライは、凄まじく革新的でありながら「ポップ」な存在だった。
しかしスライの場合「その後」というのが恐ろしく独自で過激だったのだ。
「暴動」、「フレッシュ」というスライの後期の音に感じられる「けだるさ」は、音楽的イノベーションが極点の達した後の景色を無意識のうちに表現しており、本来なら頂点に達した後は下降線をたどったり死んだりするところを奇跡的に回避して辿り着いた「果ての果て」、というポップミュージックが滅多に行くことの出来ない地点から鳴らされた希有なグルーヴである。
俺が愛した後期スライの「けだるさ」は、まるで腐る寸前の果実のようにギリギリの旨味をたっぷりと含んでおり、それが「フレッシュ」と名付けられていたのはなかなか皮肉っぽくてシャレている。
ネット上にも写真が出てるが、なんと!!スライストーンがグラミー賞の舞台に上がったそうだ。
殆ど歌いはしなかったらしいが、スライのトリビュートアルバムが出たことと連動してのパフォーマンス中にひょっこり現れてあっという間に引っ込んで行ったらしい。
ちなみに風貌はえらく高くおっ立てた金髪のモヒカンにド派手な蛍光色の衣装に「SLY」マークの変身ベルト(みたいなやつ)。悪役ヒーローか!
特別功労賞でも貰ったのかしらね?えらいニュースが飛び込んできたもんだ。
スライストーン。だいたいロックのバイヤーズガイドに載ってるのはこんな感じだ。
スライストーン。スライ&ザ・ファミリーストーンのリーダーとして1967年デビュー。ジェイムスブラウンと並ぶ「ファンク」のオリジネイターとして賞され黒人音楽の革命児として名実共にその名を世界に知らしめる。特に60年代後期から70年代初頭にかけて全盛期をむかえ、音楽史に残る名盤、名曲を発表するが、ドラッグの影響で段々落ち目になり、精彩を欠く作品を連発する。何度もカムバックアルバムを出すも70年代終わりには見る影もなく現在では消息不明。
そのスライが人前に再び姿を現した。ホントに21世紀何が起こるか分らない。
感覚的なものなので文章にするのはなかなか難しいが、黒人音楽には特有の属性がその音の感触の中にある。なんと言うのか...、
黒人音楽は「固くてしなやか」なのだ。
黒人のアスリートの筋肉が世界中のアスリートの誰よりも鋼のような固さと弾力性を持ってるだろうと想像させるのと同じように、黒人音楽から感じられるグルーヴは「固く」それでいて「しなやか」なのだ。
個人的な意見だが、「黒人音楽の音楽的洗練は音の純化に向かう」と思うのだ。
白人音楽の洗練がオーケストラを加えたりして装飾的になって行き、音と音の隙間を埋め尽くして行くことに対して、黒人音楽はむしろ音数が減って行きひたすら縦の線がくっきりしてスカスカになって行く。オーケストラを使おうがホーンセクションを使おうが音楽の骨格、輪郭がぼやけることはない。
一個一個の音から余計な意味性を無くし、音は音でしかないところまで純化していき、それらを再構築していって一つのグルーヴにする。
ダンスミュージックは常に黒人音楽から産まれてきた。踊るためには意味性や思想性など要らない。ひたすら踊るためのグルーブが要求される。そんな極めて機能主義的な音楽が黒人音楽から産まれてきたのは必然だ。
元々音楽とは原始時代、人間が収穫祭などで踊るためのダンスミュージックだった。
脳内麻薬が出るまでひたすら炎の周りを踊って気分を昂揚させるために、ものを叩いたり叫び声を挙げたりを延々と繰り返してトリップするミニマルミュージックだったのだ。
それはJBのファンクにもテクノにもヒップホップにも受け継がれてる、人間が常に本能的に要求してきた原初的な昂揚感なのだ。
ジェイムスブラウンのファンクは、声を含む楽器の一つ一つの音を極限までパーカッシウ ?にしていき、全体のアンサンブルをリズムの複合体として構成したものだ。
だから一つ一つの音は「固い」。ギターの音を聴けば分るが、歪んだ粘りのあるトーンは殆どなく、クリーンな音色によるカッティングが主だ。ホーンセクションもメロディを奏でているというよりは破裂音のようなトーンで一音一音を確実にリズムの縦軸に置いて行くというやり方だ。リズム隊はシンコペーションを多用し「間」と「流れ」を作る。そして御大JBは「ヒレ!」とか「ゲロッパ!」とか叫んでるだけだ(笑)。それらのポリリズムによるブレがあの唯一無二のファンクグルーヴを創り出している。
それに対してスライのファンクは、デビュー当時からすでに純黒人音楽的なルールからは外れていた。
ジェイムスブラウンよりも10歳若い(JBはだいたい歳をサバを読んでるから正しい数字かどうかは分らないが)ということもあってか白人音楽、とくにロックの影響が非常に大きい。なにしろドラマーは白人だ。
ロックの影響は具体的に楽器の音色や、親しみ易いメロディーなどに顕著だ。JBのひたすらパーカッシウ ?な固く攻撃的な音構造に対して、スライの楽曲は「タイト」と言うよりは「ハードでルーズ」。勿論リズムがだらしないという訳ではない。ただリズムの打点と隙間が大きいので、太くうねるようなグルーヴになるのだ。その上にシンプルだが輪郭のはっきりしたメロディラインが乗っかり、ワンコードではなく場面転換のはっきりした構成がある非常にポップなファンクなのだ。
ゆえに黒人村社会からは「白人に対して迎合的である」と言う批判がありつつも広く白人にも受け入れられワールドワイドな成功を手にする。
だからスライは純然たるファンクのオリジネーターと言うよりは、ファンクと言う純黒人音楽をいったん解体して、いろんな音楽と異種混合させて再構築し、ポップミュージックの中に「ファンク的」なるものを広く普及した「発明者」と言うよりは「推進者」である。ただ白人音楽を主とする当時の市場に放り込まれたスライのミクスチャー音楽は紛れも無く新種の「発明」であり、ポップミュージックの新たなイノベイターとして迎えられたのだ。黒人白人男女混合と言うバンド編成も当時の白人サイケデリックヒッピーカルチャーの中では人類の理想的な在り方として捉えられたのだろう。
本当にこの時期、初期の作品にはひたすら聴く者の気持ちを昂揚させる力強い作品が多い。
「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」や「ハイヤー」に見られる、 凄まじいファンクグルーウ ?の推進力を力技でポップミュージックに変えてしまうエネルギー、「スタンド!」や「エブリデイ・ピープル」に顕著な、ファンク的な感覚をベースにしながらも「ユルさ」「クールさ」の要素を持ち込み洗練されたポップミュージックにまで消化した折衷性は凄まじい。
そして前期の到達点とも言えるようなシングル「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイムタイム」と「サンキュー」まで進化は続く。
この二曲はスライの革新性、折衷性、大衆性が極端にまで現れた凄まじい楽曲だ。「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイムタイム」の、ビートルズに匹敵するようなメロディーの美しさ、コードプログレッションの斬新さ、純音楽的観点から言っても見事としか言いようの無いアレンジメント、これら全てはスライの持つ黒人的資質と白人的素養が非常に高いレベルで融合していることを示すものでありこの曲は全米NO,2にまでなっている。
これに対して「サンキュー」は当時革命的だったラリーグラハムのチョッパー奏法という「発明品」を要して「打楽器的リズム複合体アレンジ」の純黒人音楽的なワンコードファンクである。しかもこの恐るべき革新的な楽曲は奇跡的にポップな感覚を携えており見事全米NO,1にブチ込んだ。ここにきて「革新性」「折衷性」「大衆性」は頂点を迎える。
食い物は腐る寸前が一番うまいらしい。果物なんかは腐りかけが一番糖度が高いようだし、肉は旨味成分が一番多いのが腐る寸前だ。
「サンキュー」から2年近くのインターバルを空けて発表された「暴動」はまさに腐りかけの旨みが溢れたアブナい作品だ。これ以上イッたものを食っては食中毒になる。ギリギリの臨界点。
それまでのギラギラした革新性や多くの大衆を巻き込んで行くような巨大なグルーヴは影を潜め、非常にナチュラルに全てが溶けている。まるでスライの脳みそのように。
ドラッグが多分に影響したのだろうが、殆どの楽器をスライが演奏したとも言われているこの内省的沈鬱アルバムにはヘロヘロのラリラリのグルーヴが横たわっている。
黒人的グルーブと白人的グルーヴが「折衷」ではなく「溶解」して出来た得体の知れないグルーヴだ。
全米NO,1になったシングル「ファミリー・アフェアー」やポップなメロディメーを持つ「スマイリン」といった曲でさえもこのアルバム全体を覆い尽くす憂鬱なグルーヴから逃れることは出来ない。
スライの声とヨロヨロのエレピを聴いてるだけでもドラッグ中毒者のヘラヘラとした「力ない陽気さ」と「けだるさ」が伝わってくるが、このアルバムから始まる後期のスライが持つ重要な要素がその「けだるさ」である。
それは人間スライの崩壊を引き換えに手に入れたグルーヴだった。
前期のスライが「陽」の推進力で走ってきたならば、ならこのアルバムから始まる後期のスライは「陰」の求心力で貫かれている。
ドラッグの悪影響でアッパーに大衆を扇情するエネルギーを失ったスライは、やはり同じようにドラッグを使ってひたすら内に入って行くしか無かった。
俺は前期よりもこの時期のスライに深く耽溺した。初期から「ファンク」というカテゴリーに納まらないスタイルの音であったが、この時期に至ってはいかなるジャンル分けも不可能なくらい逸脱している。
世界を味方に凄まじい勢いで「ファンク村」から脱出してみたら次の戦場、あるいは落ち着くべき場所が無かったことに気付いてフワフワ浮いているしかなかったような音だ。
この後またしても2年のインターバルを空けて発表された「フレッシュ」という、「暴動」よりも更に溶解し得体の知れないものに仕上がったこの空前絶後の名盤を最後にスライは1973年終わった。
その後のアルバムは多くのファンにとって無きに等しいほどの惨憺たる出来であり、自らの再生のために過去の自分をコピーしているような作品ばかりである。
他のアーチストならまだ許されるがかつてイノベイターであったスライに求められた作品群ではなかった。
「フレッシュ」のオープニングナンバー「イン・タイム」の恐ろしく入り組んだ奇形なリズムアンサンブルと、その最終形のスライグルーヴに自ら手向けた鎮魂歌であるかのような「ケ・セラ・セラ」を聴きながらスライは1973年に終わったんだと再認識する。
ここまで書いておいてなんだが、俺は殆どブラックミュージックを聴かない。
いや、嫌いという訳ではない。むしろファンクでもR&Bでもブルースでも凄く好きだし肌には合ってるんだが、所謂愛好家ではない。それはロック「愛好家」でないのと同じだ。
ロックにも同じことがいえるが、「ブラックミュージック村」の中に納まって安定しきっている音、それはそれで素晴らしいものは沢山あるが、そこからは居心地の良さ以上のものは得られないからだ。
黒人音楽の世界は以外に保守的である。人種的な問題もあるが、黒人音楽村の中でこそ通用する音楽マナーを守っているうちは熱狂的に歓迎されるが、そこから脱出してより広い大衆性を獲得しようとした時に排斥される。スライが、マイルスが、ジミヘンが、プリンスがリウ ?ィングカラーそうであった。所謂ブラックミュージックの異端児であり革命児である。
だが「脱」黒人音楽の方向に突き進んでいったそれらのアーティストにこそ俺は黒人の持つダイナミズムを感じる。
村から出て行くための道具としての「革新性」という刃の鋭さに俺は「黒人音楽」の凄みを感じる。
その「革新性」が「大衆性」に直結するという奇跡に「ポップ」を感じる。
だからデビュー当初からブラックミュージック、ファンクミュージックの枠内にいながらそれを突き破ろうとする音楽性を持っていたスライは、凄まじく革新的でありながら「ポップ」な存在だった。
しかしスライの場合「その後」というのが恐ろしく独自で過激だったのだ。
「暴動」、「フレッシュ」というスライの後期の音に感じられる「けだるさ」は、音楽的イノベーションが極点の達した後の景色を無意識のうちに表現しており、本来なら頂点に達した後は下降線をたどったり死んだりするところを奇跡的に回避して辿り着いた「果ての果て」、というポップミュージックが滅多に行くことの出来ない地点から鳴らされた希有なグルーヴである。
俺が愛した後期スライの「けだるさ」は、まるで腐る寸前の果実のようにギリギリの旨味をたっぷりと含んでおり、それが「フレッシュ」と名付けられていたのはなかなか皮肉っぽくてシャレている。
1d210498.jpg もうすぐエレファントカシマシの新作が発表される。
エレファントカシマシの宮本浩次という人間に対して俺が寄せる思いはかなり深い。
初めて本気でのめり込んだ現在進行形の日本人アーティストという意味でも重要だったが、17歳と言う多感な時期に出会った事が非常にでかい。
17歳と言えば多かれ少なかれ情緒不安定な時期だろうが、御他聞にもれず俺もかなり不安定だった。毎日おかしくなりそうだった。
遊び回って発散するには家が厳格すぎ、「不良」と呼ばれる判り易い逸脱の仕方にもバカバカしさを感じ、かといってスポーツや恋愛によって発散出来るような健全な性格でもなかったので、内にこもってただひたすらヒリヒリしたロックばかりを聴き、ギターをかき鳴らすことによってかろうじて平穏を保っていた。そんな息が詰まるばかりの毎日、日々性能のいい呼吸装置を探していたように思う。
エレファントカシマシはその時求めていた最も理想的な呼吸装置だった。これこそ俺が求めてやまなかった音だった。
ロックのフォルムとして格好いいとか、詩が世相を打ち抜いてるとかそういう客観的な要因なんかは俺にとってはどうでも良かった。そんなものは世間に溢れているし実際エレカシはそんな風潮に背を向けひたすらバランスの悪い異物として音塊を叩き付けていた。
最初に聴いたエレカシはラジオから流れてきた「男は行く」
ああ俺は ひとり行く
ビルを山に見立てるために
浮き世の風邪を味わいに
ああ 青蠅のごとく 小うるさき人達よ
豚に真珠だ貴様らに
聞かせる歌などなくなった
「男は行く」
当時の威勢のいいロックバンドならこんな内容の歌なら、もっと言葉をライトにしてズンドコズンドコ元気のいい演奏、攻撃的な演出のもとアッパーなナンバーに仕立て上げたろう。
でもエレカシはそんなウソっぽさからは無縁だった。エレカシの音はそれまで聞いてきたどんなロックよりも正直で自然で様子がおかしかった。
攻撃的になるどころか、むしろ自らを痛めつけているような巨大なマゾヒズムの塊のような音だった。
喉がちぎれんばかりに絶叫し、酔っぱらったレッドツェッペリンの様なむちゃくちゃなタイム感の演奏にのせ、デモテープのごとき録音状態のまんまでやっているのである。
めちゃくちゃバランス悪い。頭がおかしくなければこんなレコードを作るわけない。
それに頭をぶん殴られたようなショックを受けたのだ。いやショックというより、身体が栄養を吸収するようにいきなり染み込んで行った。
まさに優秀な呼吸装置。俺はエレカシによって救われた。
早速この曲が入っているアルバム「生活」を買って聴いた。
よくこんなもんがメジャーレーベルから出たもんだと思うくらいむちゃくちゃなバランスのアルバムだった。
前半は「男は行く」のような酔っぱらったツェッペリン状態の曲が並ぶ。
死んだら、俺が死んだら
立派な墓を
人のあわれを誘う悲しい墓を建ててくれ
「凡人ー散歩きー」
これを絶叫しながら演奏はカオスに向かうのである。ゾクゾクしてくる。期待は否が応でも高まる。しかしアルバム後半からどんどん様子が変わってくる。
これから先は死ぬるまで
表へ出ないでくらす人。
コツコツ鳴ってる火鉢を間に
誰かが俺に聞いている。
「体の調子は何うなんだ?」
「寄生虫にやられている。」
「お前に女は必要か?」
「ペットのようなら飼ってもいい。」
「お前はなぜに生きている?」
「小さき花を見るために。小さき花を見るために。」
歌を誰か知らないか?
つまらぬときに口ずさむ、
やさしい歌を知らないか?
「遁世」
この曲はペナペナな音のエレキギター一本の弾き語りで、時折絶叫しながら12分にも渡って展開される曲である。
この時宮本浩次24歳。一体何があったらこんなところまで行けるのだろうかと思う。
アルバムの後半はこういった限りなく弾き語りに近い淡々とした長尺の曲ばかりが並んでいる。曲としてもロックのアルバムとしてもとにかくイビツでバランスの悪い作品だ。あり得ないタイミングでブレイクをくり返すバンドアレンジ、グシャグシャのノイズ、アコギのナンバーは歌詞の中で自問自答が繰り広げられ、切なさはなくひたすら悲しく寂しく、絶叫しても外に向かわず自らを斬りつけ、文語調でひたすら赤裸々な独白が続く、とにかく徹頭徹尾、閉じた印象のままアルバムは終わる。
この時にしか作り得ないであろう奇跡的な一枚だと思う。
こんなめゃくちゃなバランスの悪さが17歳の頃の俺のバランスの悪さだった。だから本当に中毒患者がクスリを与えられたように我を忘れて摂取していた。
その後どんどん初期の作品を聴きあさるのだが、まずファーストアルバムを聴いた時には違和感を感じた。「生活」の持っているイビツさとはまさに正反対のベクトルを持っていたからだ。
まず音が普通に抜けのいいかたちで録られていて、ちゃんとしたスリーコード主体のロックンロールであること。
ヴォーカルも狂ってはいるけれど常軌を逸する事はなくちゃんと的のど真ん中を射抜いていること。
新人のデビューアルバム、ロックンロールのアルバムとして見事な出来栄えを示している。
このアルバムに於ける「怒り」のベクトルの的確さは今聞いても見事だ。バブル全盛期の社会、人間に対する違和感や嫌悪感、倦怠感を、ストレートにシンプルに、あるいは皮肉っぽく、そして少々の文学性を含んで表現しきっている。
これらの事は今聴くとよく分かるし、今では大好きな作品なのだが、「生活」の持つ「果ての果て」感や狂気にハマっていた身ではファーストの整合感は至極真っ当過ぎたのだ。
エレカシ、というか宮本はセカンドアルバムあたりからどんどん内に籠って行く。曲はひたすら重くなってゆき、歌う対象は当時の社会やそれに浮かれる人々ではなく、優しい川や土手、太陽、自分になる。
そしてサードアルバム「浮世の夢」ではそれに加えてもはやロックバンドである事すら放棄したかのような、アコギ主体のスローナンバー、戦前唱歌のようなスタイルの曲が並ぶ。
内省化はどんどん進みその極北点が四枚目の「生活」だった。ファーストの頃から突き詰めてきた事がそこで臨界点に達して爆発、ではなく凝固したままあり得ないフォルムを形成したのだ。
その次の五枚目は少し拡散したかのような印象を受ける。それまでの要素をまんべんなく感じさせながらも今ひとつイキきれてない。
この時期宮本はかなり大きな失恋をしたらしくそれが原因か、全体的、特に歌にやる気がなくなっている。実際前作から1年7ヶ月のインターバルが空いてしまっている。決して嫌いなアルバムではなく好きな曲も多く含まれているのだが、やはり寸止め感は否めない。
六枚目の「奴隷天国」は初めてリアルタイムで迎える新作だった。予約してまでして買った生まれて初めてのCDだった。
タイトル曲「奴隷天国」を聴いたときは戦慄と恐怖を覚えた。
「太陽の下おぼろげなるまま、右往左往で夢よ希望と同情乞うて」生きている人間なんか死ねと言い切り、最後には歌う事を止め以下の言葉を吐き捨てる。
何笑ってんだよ
何うなずいてんだよ
おめえだよ
そこの そこの そこの
おめえだよ
おめえだよ
「奴隷天国」
久々にエレカシが内に籠らず人々に向けて発信している曲だ。
それが「死ね」だった。
今考えると笑えるが当時は本当にCDを聴きながらビビったものである。
ちょうどその頃初めてテレビで動くエレカシを観たのもこの曲だった。
最初は座ってギターを弾きながら歌っていたのだがすぐにギターを投げ捨て、髪をかきむしりながら言葉を吐き捨て、ステージのものを破壊しながら客を罵倒していた。「おめえだよ!オラ!おめえだよ!」というところに至っては客は下を向いて目を合わせないようにしている。
よくあるロックのライブに於けるのスポーツのような激しい動き、ポーズとしての攻撃的ステージアクションとかではない、
ユラユラとふらつきながら、なんか根拠の分らない暴力のはけ口を探しているような、餓えたヤカラの目つきで狼藉を繰り返してるかのような、そんな動き。恐ろしさを覚えた。他では感じられない凄みがあった。
そして俺は録画したビデオを何度も何度も観てのたうち回るくらいシビレていた。これぐらいやってくんないと自らの過剰な暴力衝動のカタルシスは得られなかったんだろう。
全てのものに対して「否」を突きつけた宮本がついに強い「是」を求めて作ったのが七枚目「東京の空」だ。
まず第一印象として強烈な違和感を覚えた。世界観が変わり、音質が変わり、歌が変わり、歌詞が変わり、演奏が変わり、たたずまいが変わった。それまでのエレカシにどっぷり浸かっていたのだから違和感を覚えたのも仕方がないが、とにかくよそよそしい肌触りと薄ら寒い言葉ばかりになってしまったと感じてずいぶん戸惑った。
しかしそれは最初のうちだけで、それまでエレカシを覆っていた「異端さ」「重さ」「怖さ」「滅茶苦茶さ」といったある意味余計な付加価値を取り除き、作品の質、それで他のアーティストと同じ舞台に立って勝負する作品なんだと感じてからは、この凄まじい傑作に素直にハマって行けた。
この世がどうにもならねえぐらいは誰でも知ってらぁ
それでもやめられねぇぜ殺されるまでは
お前のウソもあいつのウソも全部見通しだ
かまわねぇやってくれなんでもいいから俺を踊らせろ
「この世は最高!」
「異端」とか「破格」とかある意味居心地のいい場所を捨てて、エレカシは再び世界と向き合って闘い出したんだなと感じた。
だから俺も煮え切らない日々をエレカシの歌にのせて諦観している季節を終わらせなければいけない。自分で何かを産み出し動かして行かなければならない。徐々にだがそういう方向へ自分を持っていくきっかけになった。
そしてこの辺りから俺もただ自らの暴力衝動のはけ口のようなノイズギターや自己満足の絶叫で充足する事を止め、一人きりの宅録ではあるが、日本語で歌詞を書き、アレンジを考え、ドラムもベースもギターも自分で演奏し作品として結実させ、自分の音楽を他者に聴かせるための努力をするようになった。
つまり、宮本に自己投影化して薄ら寒い共感に浸って現状を安直に肯定していた「モラトリアム」を捨てるきっかけになった記念すべきアルバムなのだ「東京の空」は。
このアルバム制作中にエレカシは契約打ち切りを言い渡され、半ば開き直って制作されたと言う。
そのせいか今聴くと少々ヤケになってるかな?と思えるような部分もあるが、それすらも諧謔性に変えて作品化する威勢の良さがある。
それは宮本が単に思いつきでこういう開かれた方向に出たんではなくて、本当に腹をくくったからこそ、そのタフさが生まれたんだろう。事実契約が切れてからの二年近くの間、新しい曲を作り続け、ライブハウスを巡り、もう一度一からスタートを切っている。
ちょうどその時期に生エレカシを体験する。やたらとテンション高く、キレよく動き回ってた。少し前では考えられなかった「エレファントカシマシと歌おう」のコーナーが設けられ本人も「俺はよそのコンサート言っても絶対歌わないけどね」と照れ隠しを言うくらい寒いコールアンドレスポンスが繰り広げられ少々落胆したが、それでもステージでのたうち回る宮本観たさに度々足を運んだ。徐々に機は熟してくる。
そして復活。再契約後初のアルバムがいきなりオリコンチャート10位、次のアルバムが60万枚を越える大ヒット、シングルヒットも生まれお茶の間にエレカシが登場しまくると言うウソみたいなサクセスストーリーが展開される。
その時期は「作品が日和った」とか「シャ乱Qとなんか並んでんじゃねーよ」とか昔からのファンから不満の声が出まくったが、宮本はこの時期はそんな声を聞いてるほど暇ではなく、ひたすら自分達が受け入れられて行く事に対して貪欲になり、ひたすら呪文のように「いい曲作らなきゃいい曲作らなきゃ」と繰り返していた。
俺はそんな宮本を頼もしく思ったし宮本の打ち出してくるものに一喜一憂していたが、「エレカシモラトリアム」は卒業していたから宮本は宮本、自分は自分と割り切って観ていれた。
その後もドラマに単独出演したり、「HEYHEYHEY」や「うたばん」に出て様子のおかしい爆裂トークを披露したりして、エレカシは(売り上げはともかく)広く一般に認知されるようになった。
この辺りまでだろうか、エレカシ史と自分史がリンクさせていたのは。それ以降の作品も好きなのは幾つもあるし「ガストロンジャー」なんていうロック界を震撼させるような作品が出れば熱くなるが、いわゆる御本尊としてのエレカシではなく、優れたアーティスト、戦略の下手なアーティスト、ブレがありすぎるアーティスト、相変わらず異端で破格のアーティストという感じで、ある程度客観的に接するようになった。
とにかくいろんな意味で暗黒時代のエレファントカシマシ、宮本浩次に覚醒させられてきたし、「思春期」「モラトリアム」の時期に内省期のエレカシに出会えた事を幸せに思う。
その後の自分の人生にいい影響を与えたのかは分らないし、ひょっとしたらエレカシにハマったおかげで自分の中のいろんな芽が出遅れたかもしれない。
しかしそれでも思う。俺にとってエレファントカシマシは(あまり使わない言葉なので少々気恥ずかしいが)「青春」だったのかもしれない。
ある人はブルーハーツがそうであるように、BOWYがそうであるように、RCサクセションがそうであるように。
エレファントカシマシの宮本浩次という人間に対して俺が寄せる思いはかなり深い。
初めて本気でのめり込んだ現在進行形の日本人アーティストという意味でも重要だったが、17歳と言う多感な時期に出会った事が非常にでかい。
17歳と言えば多かれ少なかれ情緒不安定な時期だろうが、御他聞にもれず俺もかなり不安定だった。毎日おかしくなりそうだった。
遊び回って発散するには家が厳格すぎ、「不良」と呼ばれる判り易い逸脱の仕方にもバカバカしさを感じ、かといってスポーツや恋愛によって発散出来るような健全な性格でもなかったので、内にこもってただひたすらヒリヒリしたロックばかりを聴き、ギターをかき鳴らすことによってかろうじて平穏を保っていた。そんな息が詰まるばかりの毎日、日々性能のいい呼吸装置を探していたように思う。
エレファントカシマシはその時求めていた最も理想的な呼吸装置だった。これこそ俺が求めてやまなかった音だった。
ロックのフォルムとして格好いいとか、詩が世相を打ち抜いてるとかそういう客観的な要因なんかは俺にとってはどうでも良かった。そんなものは世間に溢れているし実際エレカシはそんな風潮に背を向けひたすらバランスの悪い異物として音塊を叩き付けていた。
最初に聴いたエレカシはラジオから流れてきた「男は行く」
ああ俺は ひとり行く
ビルを山に見立てるために
浮き世の風邪を味わいに
ああ 青蠅のごとく 小うるさき人達よ
豚に真珠だ貴様らに
聞かせる歌などなくなった
「男は行く」
当時の威勢のいいロックバンドならこんな内容の歌なら、もっと言葉をライトにしてズンドコズンドコ元気のいい演奏、攻撃的な演出のもとアッパーなナンバーに仕立て上げたろう。
でもエレカシはそんなウソっぽさからは無縁だった。エレカシの音はそれまで聞いてきたどんなロックよりも正直で自然で様子がおかしかった。
攻撃的になるどころか、むしろ自らを痛めつけているような巨大なマゾヒズムの塊のような音だった。
喉がちぎれんばかりに絶叫し、酔っぱらったレッドツェッペリンの様なむちゃくちゃなタイム感の演奏にのせ、デモテープのごとき録音状態のまんまでやっているのである。
めちゃくちゃバランス悪い。頭がおかしくなければこんなレコードを作るわけない。
それに頭をぶん殴られたようなショックを受けたのだ。いやショックというより、身体が栄養を吸収するようにいきなり染み込んで行った。
まさに優秀な呼吸装置。俺はエレカシによって救われた。
早速この曲が入っているアルバム「生活」を買って聴いた。
よくこんなもんがメジャーレーベルから出たもんだと思うくらいむちゃくちゃなバランスのアルバムだった。
前半は「男は行く」のような酔っぱらったツェッペリン状態の曲が並ぶ。
死んだら、俺が死んだら
立派な墓を
人のあわれを誘う悲しい墓を建ててくれ
「凡人ー散歩きー」
これを絶叫しながら演奏はカオスに向かうのである。ゾクゾクしてくる。期待は否が応でも高まる。しかしアルバム後半からどんどん様子が変わってくる。
これから先は死ぬるまで
表へ出ないでくらす人。
コツコツ鳴ってる火鉢を間に
誰かが俺に聞いている。
「体の調子は何うなんだ?」
「寄生虫にやられている。」
「お前に女は必要か?」
「ペットのようなら飼ってもいい。」
「お前はなぜに生きている?」
「小さき花を見るために。小さき花を見るために。」
歌を誰か知らないか?
つまらぬときに口ずさむ、
やさしい歌を知らないか?
「遁世」
この曲はペナペナな音のエレキギター一本の弾き語りで、時折絶叫しながら12分にも渡って展開される曲である。
この時宮本浩次24歳。一体何があったらこんなところまで行けるのだろうかと思う。
アルバムの後半はこういった限りなく弾き語りに近い淡々とした長尺の曲ばかりが並んでいる。曲としてもロックのアルバムとしてもとにかくイビツでバランスの悪い作品だ。あり得ないタイミングでブレイクをくり返すバンドアレンジ、グシャグシャのノイズ、アコギのナンバーは歌詞の中で自問自答が繰り広げられ、切なさはなくひたすら悲しく寂しく、絶叫しても外に向かわず自らを斬りつけ、文語調でひたすら赤裸々な独白が続く、とにかく徹頭徹尾、閉じた印象のままアルバムは終わる。
この時にしか作り得ないであろう奇跡的な一枚だと思う。
こんなめゃくちゃなバランスの悪さが17歳の頃の俺のバランスの悪さだった。だから本当に中毒患者がクスリを与えられたように我を忘れて摂取していた。
その後どんどん初期の作品を聴きあさるのだが、まずファーストアルバムを聴いた時には違和感を感じた。「生活」の持っているイビツさとはまさに正反対のベクトルを持っていたからだ。
まず音が普通に抜けのいいかたちで録られていて、ちゃんとしたスリーコード主体のロックンロールであること。
ヴォーカルも狂ってはいるけれど常軌を逸する事はなくちゃんと的のど真ん中を射抜いていること。
新人のデビューアルバム、ロックンロールのアルバムとして見事な出来栄えを示している。
このアルバムに於ける「怒り」のベクトルの的確さは今聞いても見事だ。バブル全盛期の社会、人間に対する違和感や嫌悪感、倦怠感を、ストレートにシンプルに、あるいは皮肉っぽく、そして少々の文学性を含んで表現しきっている。
これらの事は今聴くとよく分かるし、今では大好きな作品なのだが、「生活」の持つ「果ての果て」感や狂気にハマっていた身ではファーストの整合感は至極真っ当過ぎたのだ。
エレカシ、というか宮本はセカンドアルバムあたりからどんどん内に籠って行く。曲はひたすら重くなってゆき、歌う対象は当時の社会やそれに浮かれる人々ではなく、優しい川や土手、太陽、自分になる。
そしてサードアルバム「浮世の夢」ではそれに加えてもはやロックバンドである事すら放棄したかのような、アコギ主体のスローナンバー、戦前唱歌のようなスタイルの曲が並ぶ。
内省化はどんどん進みその極北点が四枚目の「生活」だった。ファーストの頃から突き詰めてきた事がそこで臨界点に達して爆発、ではなく凝固したままあり得ないフォルムを形成したのだ。
その次の五枚目は少し拡散したかのような印象を受ける。それまでの要素をまんべんなく感じさせながらも今ひとつイキきれてない。
この時期宮本はかなり大きな失恋をしたらしくそれが原因か、全体的、特に歌にやる気がなくなっている。実際前作から1年7ヶ月のインターバルが空いてしまっている。決して嫌いなアルバムではなく好きな曲も多く含まれているのだが、やはり寸止め感は否めない。
六枚目の「奴隷天国」は初めてリアルタイムで迎える新作だった。予約してまでして買った生まれて初めてのCDだった。
タイトル曲「奴隷天国」を聴いたときは戦慄と恐怖を覚えた。
「太陽の下おぼろげなるまま、右往左往で夢よ希望と同情乞うて」生きている人間なんか死ねと言い切り、最後には歌う事を止め以下の言葉を吐き捨てる。
何笑ってんだよ
何うなずいてんだよ
おめえだよ
そこの そこの そこの
おめえだよ
おめえだよ
「奴隷天国」
久々にエレカシが内に籠らず人々に向けて発信している曲だ。
それが「死ね」だった。
今考えると笑えるが当時は本当にCDを聴きながらビビったものである。
ちょうどその頃初めてテレビで動くエレカシを観たのもこの曲だった。
最初は座ってギターを弾きながら歌っていたのだがすぐにギターを投げ捨て、髪をかきむしりながら言葉を吐き捨て、ステージのものを破壊しながら客を罵倒していた。「おめえだよ!オラ!おめえだよ!」というところに至っては客は下を向いて目を合わせないようにしている。
よくあるロックのライブに於けるのスポーツのような激しい動き、ポーズとしての攻撃的ステージアクションとかではない、
ユラユラとふらつきながら、なんか根拠の分らない暴力のはけ口を探しているような、餓えたヤカラの目つきで狼藉を繰り返してるかのような、そんな動き。恐ろしさを覚えた。他では感じられない凄みがあった。
そして俺は録画したビデオを何度も何度も観てのたうち回るくらいシビレていた。これぐらいやってくんないと自らの過剰な暴力衝動のカタルシスは得られなかったんだろう。
全てのものに対して「否」を突きつけた宮本がついに強い「是」を求めて作ったのが七枚目「東京の空」だ。
まず第一印象として強烈な違和感を覚えた。世界観が変わり、音質が変わり、歌が変わり、歌詞が変わり、演奏が変わり、たたずまいが変わった。それまでのエレカシにどっぷり浸かっていたのだから違和感を覚えたのも仕方がないが、とにかくよそよそしい肌触りと薄ら寒い言葉ばかりになってしまったと感じてずいぶん戸惑った。
しかしそれは最初のうちだけで、それまでエレカシを覆っていた「異端さ」「重さ」「怖さ」「滅茶苦茶さ」といったある意味余計な付加価値を取り除き、作品の質、それで他のアーティストと同じ舞台に立って勝負する作品なんだと感じてからは、この凄まじい傑作に素直にハマって行けた。
この世がどうにもならねえぐらいは誰でも知ってらぁ
それでもやめられねぇぜ殺されるまでは
お前のウソもあいつのウソも全部見通しだ
かまわねぇやってくれなんでもいいから俺を踊らせろ
「この世は最高!」
「異端」とか「破格」とかある意味居心地のいい場所を捨てて、エレカシは再び世界と向き合って闘い出したんだなと感じた。
だから俺も煮え切らない日々をエレカシの歌にのせて諦観している季節を終わらせなければいけない。自分で何かを産み出し動かして行かなければならない。徐々にだがそういう方向へ自分を持っていくきっかけになった。
そしてこの辺りから俺もただ自らの暴力衝動のはけ口のようなノイズギターや自己満足の絶叫で充足する事を止め、一人きりの宅録ではあるが、日本語で歌詞を書き、アレンジを考え、ドラムもベースもギターも自分で演奏し作品として結実させ、自分の音楽を他者に聴かせるための努力をするようになった。
つまり、宮本に自己投影化して薄ら寒い共感に浸って現状を安直に肯定していた「モラトリアム」を捨てるきっかけになった記念すべきアルバムなのだ「東京の空」は。
このアルバム制作中にエレカシは契約打ち切りを言い渡され、半ば開き直って制作されたと言う。
そのせいか今聴くと少々ヤケになってるかな?と思えるような部分もあるが、それすらも諧謔性に変えて作品化する威勢の良さがある。
それは宮本が単に思いつきでこういう開かれた方向に出たんではなくて、本当に腹をくくったからこそ、そのタフさが生まれたんだろう。事実契約が切れてからの二年近くの間、新しい曲を作り続け、ライブハウスを巡り、もう一度一からスタートを切っている。
ちょうどその時期に生エレカシを体験する。やたらとテンション高く、キレよく動き回ってた。少し前では考えられなかった「エレファントカシマシと歌おう」のコーナーが設けられ本人も「俺はよそのコンサート言っても絶対歌わないけどね」と照れ隠しを言うくらい寒いコールアンドレスポンスが繰り広げられ少々落胆したが、それでもステージでのたうち回る宮本観たさに度々足を運んだ。徐々に機は熟してくる。
そして復活。再契約後初のアルバムがいきなりオリコンチャート10位、次のアルバムが60万枚を越える大ヒット、シングルヒットも生まれお茶の間にエレカシが登場しまくると言うウソみたいなサクセスストーリーが展開される。
その時期は「作品が日和った」とか「シャ乱Qとなんか並んでんじゃねーよ」とか昔からのファンから不満の声が出まくったが、宮本はこの時期はそんな声を聞いてるほど暇ではなく、ひたすら自分達が受け入れられて行く事に対して貪欲になり、ひたすら呪文のように「いい曲作らなきゃいい曲作らなきゃ」と繰り返していた。
俺はそんな宮本を頼もしく思ったし宮本の打ち出してくるものに一喜一憂していたが、「エレカシモラトリアム」は卒業していたから宮本は宮本、自分は自分と割り切って観ていれた。
その後もドラマに単独出演したり、「HEYHEYHEY」や「うたばん」に出て様子のおかしい爆裂トークを披露したりして、エレカシは(売り上げはともかく)広く一般に認知されるようになった。
この辺りまでだろうか、エレカシ史と自分史がリンクさせていたのは。それ以降の作品も好きなのは幾つもあるし「ガストロンジャー」なんていうロック界を震撼させるような作品が出れば熱くなるが、いわゆる御本尊としてのエレカシではなく、優れたアーティスト、戦略の下手なアーティスト、ブレがありすぎるアーティスト、相変わらず異端で破格のアーティストという感じで、ある程度客観的に接するようになった。
とにかくいろんな意味で暗黒時代のエレファントカシマシ、宮本浩次に覚醒させられてきたし、「思春期」「モラトリアム」の時期に内省期のエレカシに出会えた事を幸せに思う。
その後の自分の人生にいい影響を与えたのかは分らないし、ひょっとしたらエレカシにハマったおかげで自分の中のいろんな芽が出遅れたかもしれない。
しかしそれでも思う。俺にとってエレファントカシマシは(あまり使わない言葉なので少々気恥ずかしいが)「青春」だったのかもしれない。
ある人はブルーハーツがそうであるように、BOWYがそうであるように、RCサクセションがそうであるように。