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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2011年04月

2011年04月24日17:57
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久しぶりにジミヘンのファースト「アー・ユー・エクスぺリエンスト?」とセカンドの「アクシス:ボールド・アズ・ラヴ」を聴いている。



ジミヘンに限らずツェッペリンもクリームもクリムゾンも本格的に聴き狂い出したのは中学生、あるいは高校生の頃。



無分別な快感と過剰な暴力衝動のリビドーをロックに求めることに夢中で、音楽を「観賞する」なんて悠長なことやってられなかった時期。



なのでそれ以前に狂っていたビートルズと違ってオリジナル・スタジオ・アルバムを順を追って買い集めていくという聞き方は、こういったヘヴィーなバンドに対してはしていなかった。


こじんまりとまとまったスタジオ録音のヒット曲や代表曲なんてものはラジオからエアチェックしたやつで充分。せいぜいレンタルCD屋で借りるベスト盤どまりで、まともに身銭切って集めるのはライブ盤やブートレグばかりだった。



そこにはスタジオテイクでは味わえないような破天荒なパフォーマンス、無尽蔵のエネルギー、いつ終わるのか何処に辿り着くか分からないインプロのスリルがあって「やっぱ高いカネ払ったからにはしっかり気持ちよくさせてくれなきゃぁよ」というスケベジジイのような心持ちで音源を買っていた。



だからハズレのブートレグや自分の欲求水準を満たしてないライブ盤に出くわすと本気で悔しがって、怒りのあまりCDを壁に叩きつけたりした。
なにせあの時分の過剰な暴力衝動はザ・フーの傑作ライブアルバム「ライブ・アット・リーズ」ですら「ウッドストックの時よりおとなしい」という理由ですぐに売り飛ばさせたくらいなのだ。今聴くとスゲェアルバムだけどね。



なのでジミヘンも「モンタレー」や「ウッドストック」や「バークレー」といったライブアルバムばかり聴いていて、ちゃんとしたスタジオ盤を聴いたのは二十歳過ぎてからだ。



ジミヘンの存命中に発表されたスタジオ録音盤は僅かに三枚。



二十歳くらいの自分の感性にとってファーストの「アー・ユー・エクスペリエンスト?」は確かに代表曲のオンパレードだが、それ故に素晴らしいライブテイクが山のように存在するため最もショボくさい印章しか抱けなかったアルバムだった。



サードの「エレクトリック・レディランド」はどのバイヤーズガイドを読んでも名盤と書いてあるにも関わらず、幾つかの代表曲以外はダラダラ長くしまりの無い曲のオンパレードでイライラした。ノエル・レディングのヴォーカル曲なんて要らないって。



なので有名曲が「リトル・ウィング」という傑出したバラードしか入ってなく、全体的にヘンテコリンなサイケ臭が充満していて、ちょっとジャズの香りもするセカンドアルバム「ボールド・アズ・ラヴ」が一番聴き込んだアルバムとなった。このアルバムはトベるよ~。



とは言っても相変わらず日常的に聴くジミヘンはライブ盤ばっかりで、ライブテイクにこそ宇宙と交信するような、時代を超越した魔法の瞬間は封じ込められているといまだに信じている。



ただ今の感性で改めてファーストとセカンドを聴くと、ジミヘンのアーティストとしての天性、潜在的な魔力ではない、繊細で意識的な音楽家としての能力の要素の殆んどがこの二枚で出尽くしているのではなかろうかと思える。



特にファーストにおける多くのトラックは、デビュー以前の下積み時代からの音楽的蓄積、ルーツミュージックや同時代の音楽に対する斬新な解釈、そしてスウィンギンロンドンと言われた当時のイギリスの空気とサイケ時代との端境期の空気を敏感に切り取ったようなサウンドが、凄まじい強度で一体化している。
言い換えれば、ジミの中で濃縮された音楽史と、突然変異的な新しいロックの音がぶつかり合う際の摩擦ノイズを音盤に移し変えたようなアルバムだ。



特に驚きに値するのが自作曲を作り始めてからまだ間が無いジミが、タイトなレコーディングスケジュールに押されるようにして産み出したオリジナルナンバーの驚くほどのポップさだ。



アルバム発表以前に出されたシングル収録曲「ファイヤー」「ストーン・フリー」「パープル・ヘイズ」「ミッドナイト・ランプ」やアルバム収録曲の「キャン・ユー・シー・ミー」といった曲の異様なポップさ、しかもお子様ランチ的なキャッチーさではなく、後に台頭するハードロックの骨格すらも既に備わっているという革新的なポップソングがこの段階で作られているというのは驚嘆すべき事実だ。こういったコンパクトでポップなロックナンバーは後のアルバムでは数えるくらいしか聴かれない。



他にも「マニック・ディプレッション」の「スウィングするハードロック」というミクスチャー性、「フォクシー・レディー」「ラヴ・オア・コンフュージョン」「アイ・ドント・リヴ・トゥデイ」に見られる、ギターのフィードバックやディストーション・サウンドを単なる飛び道具ではなく、楽曲のアレンジ上欠くことのできない要素として組み込む絶妙なセンス、「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」や「アー・ユー・エクスペリエンスト?」の、単なる冒険主義ではない実験精神と遊び心を、先進的で洗練された楽曲に昇華するアレンジ能力、「風の中のマリー」や「メイ・ディス・ビー・ラヴ」の異様なまでに詩情に溢れたギター・アレンジと幽玄なサウンド。



デビューアルバムにしてこれだけの要素が揃い、しかも粗製乱造気味の制作ペースにも関わらずこれほどの完成度に仕上げる手腕というのはやはりとんでもない。



特記事項として、デビュー前からジミヘンの売り出しに躍起になったのがアニマルズのベーシストのチェス・チャンドラーという人が重要だ。
ビートルズの世界デビューに引っ張られる形で、ブリティッシュ・インヴェンションの中でも特に大きな成功を納めたバンドとしてアニマルズは認知された。またビートルズに比べてブルースやR&Bの要素が強いこともあって、少し後にアメリカ進出するストーンズやヤードバーズがアメリカで受け入れられる下地を作ったとも言える。
ただそうはいってもビートルズに比べれば十把一絡げのバンド扱いで、主な活動はコンサートという名の営業。スタジオレコーディングにおいてはアーティスト性なんぞ知るか!というような無茶なスケジュールと制作費で挑まされていて、そうしたなかで消耗していった数多くのバンドの中のひとつでもあった。



で、そうしたアニマルズの制作スタイルをチェス・チャンドラーはジミにも踏襲したお陰で「楽曲の長さは三分前後」「スタジオ代を押さえるためにも制作は短期集中型」「前もってアレンジを完成させ、リハも積んでおき、本番では少ないテイクで仕上げる」という制約が、集中力と凝縮されたエネルギーを生んだとも言える。
しかもその乱暴な制作スケジュール故に、曲によってはスリー・リズムはスタジオライブで一発録り、それを1チャンネルにブッ込むというミックスになり、それがかえって良いガレージ感を生むという、いかにも結成間もないバンドならではの勢いさえ味方に付けている。



このアルバムには後のスタジオ盤やライブテイクで聴かれるような長尺のギターソロ、宇宙と交信するかのようなインプロ、求道者然としたストイックなフレージングは無い。
それ故に俺のような発情したロック病患者にとっては中々食指が進まないアルバムであったが、ジミ・ヘンドリックスという、単なる天才的なギタープレイヤーという枠組みに留まらない、総合的な音楽力を持ったアーティストの「音楽見本市」を最初にしていきなり叩きつけてしまったアルバムなのだ。



そういった雑多な要素が濃縮された楽曲の中に、必然的に組み込まれたギターソロは、開放感には乏しいが、凄まじい勢いと強烈にうねるグルーヴを伴ってそれぞれの楽曲にガッチリと納まっている。



またこのアルバムは、ジミ・ヘンドリックスという黒人特有のファンキーなグルーヴとブルース感を持ち合わせたミュージシャンでありながら、白人マーケットに強烈にアピールするキャッチーで斬新なロックのフォルムを提示するスターという二面性と、それゆえに生じる世間とのブレを顕在化させてしまったアルバムでもある。



これほどの音楽的水準がありながらも、なにやら珍奇な新種としての珍しさが先行せざるを得なかったジレンマが、後のアルバムや活動スタンスの混沌を用意してしまっているという意味でも、ジミヘンにとっては十字架となったアルバムかもしれない。
どれだけ画期的な新曲をつくってもライブでは「パープル・ヘイズやれー」「いや、ファイヤーだ!」「ギターを壊せ、燃やせ」と怒号が飛べば、そりゃステージでは目をつぶって自分の世界に入るし、スタジオに籠ってあてどもなくギターのオーバーダブを繰り返すわなぁ。



このあとジミヘンは、デビュー時のインパクトとファーストアルバムで強烈に提示したブルース・ハードロックやサイケデリックといった、良くも悪くも自己耽溺に陥りやすい音楽ジャンルを代表する「時代の寵児」という場所から脱却し、もっと共生感のある統合的な音楽スタイル「ファンク」に自分の活路を見出だすのだが、そういったファンク路線の楽曲を試行錯誤しながら録音していた時期にジミヘンは非業の死を遂げる。そしてそれら次なる時代を意識した楽曲群はジミの死後、墓暴きのような形で散発的に発表されていく。



死後27年を経た1997年に、それら散逸した楽曲を集め、生前のジミが望んだ意向に最も沿う形で纏められたアルバム「ファースト・レイズ・オブ・ニュー・ライジング・サン」となって発表される。



ここにきてやっとファーストアルバム「アーユーエクスペリエンスト?」で見せた凝縮されたエネルギーに匹敵する作品、総合的な音楽力を持ったジミ・ヘンドリックスというアーティストの才能を証明するアルバムが発表されたことになる。
まあ死後纏められたものゆえにどこまでいってもバーチャルでしかないのだけど。



この二枚は同じように雑多な音楽性を持っているが、「アー・ユー・エクスペリエンスト?」が「時代の空気」とか「バンド結成時の勢い」といった音楽的才能以外の要因が大きく作用して統一感を出していたのに比べ、「ファースト・レイズ~」の方は明らかにジミが意識的に選びとった「ファンク」というスタイル、「黒人音楽家」としての強い意志が、作品をひとつのベクトルに集約させている点で、より総合的なアーティストとしてのジミ・ヘンドリックスを浮き彫りにしている。



ただね......どっちが聴いてて面白いかっつうと、そらもう圧倒的にファーストなんだよなぁ。
やっぱスケジュールだの楽曲の尺だのシングル候補曲だのといった鬱陶しい制約、外的枠組みをアーティストに強いた方が、とんでもない爆発力とキャッチーさを持った楽曲が生まれるみたいだ。



特にジミヘンみたいに四方八方にその天才性が飛び散っていく人は、無理矢理にでも一歩方向にその才能を集中させる外的要素が必要だったんだな。


つまりファーストアルバムにおける一番の功労者はチェス・チャンドラーというわけだ。なんつう結論。
2011年04月22日20:02
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最近よく耳にする福島県差別を聞くにつけなんとも言えない不愉快な気持ちと、怒りがわいてくる。


旅館やガソリンスタンド等で「福島県人お断り」といった貼り紙をしてるところ。よくこんな時にそんな心無いことが出来るよな。しかもまがりなりにも客商売の場所でだよ?怒った人間から火を放たれたりしても文句言えんぞ?


別にええカッコしいするつもりはない。俺だって放射能汚染は怖いさ。でもそう簡単に放射能が人から人へ伝染してたまるもんか。
被災した人が近くに来たり風呂に入ったからってインフルエンザみたいにうつると思ってんのかよ?


しかも原発近辺の海で採れた魚を食えってんなら躊躇するのも無理はないけど、同じ福島でも全然影響の無い地区で採れた米、しかも去年採れた米までも買わないようにしてるんだってよ。生産者はわざわざ検査に出して安全性を謳ってるのにだよ!?絶対放射能なんか出るわけ無いのに。



どうして日本人てなこうも根拠の無い噂に右往左往するんだ?烏合の衆どもめ!!!


不本意ながら福島から他県に避難してきたらいわれの無い差別でイジメれるなんて、どんだけトラウマになると思ってるんだ?
イジメた方のクソガキとちゃんと教育しとかなかったバカ親を原子炉に投げ込んで作業させてやりてぇよ。



政府が大連立ひとつ出来ず、法案通すのにも、被災地の慰問しに行く決定するにもバカみたいに時間をかけてる時に、同じ日本人同士で無意味な差別をしていてどうすんのよ?



ACのCMみたいに「日本人は今こそひとつになろう」なんつって言ったところで、そう簡単にひとつになれるほど人間て簡単に出来てないよ。
けど何の罪もない、いやむしろ電力のために犠牲になってくれてる人を無根拠に差別するなんていう、自分が惨めになるだけの醜い行為を続けるほどクズな国民だったかね?日本人てな。


チキショー今夜は福島の酒呑むぞ!
2011年04月20日18:13
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徹子の部屋に居る細野晴臣さんを観た。


YMO、ライディーン、タイタニックといったごくごく一般的興味のベクトルに沿った話が進んでいくなか、最後の方でやっと細野さんのルーツミュージック、ビッグバンドジャズに関する話が出てきて、徹子が「私も昔はジャズシンガーになりたかったんです」と言うと細野さんも「ギター持ってくればよかったな、今度...セッションしますか?」と御愛想とは言えいい感じに乗ってきたあたりでエンディングの「ル~ルル」が流れてくるというなんだかなぁという内容だったが、まあこれが徹子。別にはっぴいえんどやティンパンアレイ、マーティンデニーの話が出るとは思わないしされても困る(笑)。

また細野さんも音楽の話になると明らかにテンションが上がってしまうのが微笑ましい。タイタニック絡みの話は散々聞かれて辟易してんだろなぁ。それでも改めてタイタニック関係の話をじっくり聞けてそれはそれで良かったけど。


まあとにかく普通の音楽番組ではありえないような雰囲気のレア細野トークが聞けて良かったことは良かったな。



それにしても細野さんの声ってなんていい声なんだろう。音波として心地いい。
2011年04月18日22:16
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ここ数年は一年に一回くらいのペースで会う友人達と、昨日宴をした。
考えてみれば東京に来て一番最初に知り合った人達だ。長い付き合いになったもんだ。


福島や東北の日本酒を持ちより、クイクイ空けていっていい気持ちになったし、久々に人の手料理、卵焼きだの高野豆腐だのポテトサラダだのを食べて「やっぱこういう味っていいな、コンビニ弁当とは全然違うな」と感慨深くなったのだけど、もうひとつどうしてもやりたかったのが料理、久々に自分で作ったもんを食いたかった。



なので早朝に中野にある肉のハナマサまで行って、牛の喉肉と咽の軟骨というヴォーカリストっぽいセレクトの獣肉を購入。


で、友人宅で久々にアドリブ料理。その場にあった塩と胡椒と砂糖と醤油を使って、殆んど味見もせずにチャチャチャとやって「軟骨の炒めもの」出来上がり。
適当にやったにもかかわらずメチャクチャ美味いんだこれが。友人の子供も喜んでバクバク食ってたな。
あんまり自画自賛すると嫌味なので「美味いでしょー?」とは言わなかったけど、久しぶりに自分の味覚にジャストな味付けのもんを食して、一人悦に入ってた。



それにしても二ヶ月くらい一切料理しなかったのにリハ無しでこの完成度。歌やギターならこうはいかない。道をあやまったかな(笑)?



自分にとってのジャストな味ってのがそれぞれにあるのに、それを超越したさらに美味いものを作って提供している料理人の人々には頭が下がる。



さらに言うなら美味い料理で旦那や子供を喜ばせている世の母親ってのも本当に偉いなぁ。特に子供にたいしてはその子の味覚のジャストそのものを形作るわけだからね。料理のうまい嫁さんが欲しいぜ。


早いとこコンロ買って自分の食育に励も。


2011年04月15日12:51
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今家にコンロが無いので飯はもっぱらコンビニやスーパーの弁当か外食だ。


そういうもんて原価との折り合いをつけながら味覚の平均値をとるような味付けをされているが、だからといって平均的に満足出来るかというと全然出来ない。


所詮平均値など虚構であって、本当に自分にとってのジャストな味で無い限り人間というのは満足できない我が儘な生き物だ。


自分で料理すること、自分好みの味にアレンジするかというのがいかに精神衛生上良いことなのか、というのを痛感する日々だ。



別にコンビニ弁当に罪はないが、揚げ物だらけのコンビニ弁当棚を見るたびに溜め息が出てきて食欲が萎えてしまう。


人類最大の調味料である「空腹」を利用すればいいんだが、そう頻繁にそれを使えるほど世捨て人じゃないので無理矢理にでもかっ込むしかない時もある。


これは非常に食い物にたいして不遜な向き合いかただとは思うし罪悪感もある。
しかしそうは言ってももっと精神が豊かになるような物を食いたいのだからしょうがない。


もっというなら野菜、煮物、漬物、そんなもんが充実している弁当が食いたいのだ。野菜ジュースは好きだが、それでバランスを取るような食事はなんか嫌なのだ。
「ハンバーグと焼き肉と唐揚げの三色ガッツリ弁当」などを見るとそれをフリスビーのように投げたくなってくるのだ。食ったことあるけど(笑)。


ちょっと前に知り合いと野菜を打ち出している居酒屋で呑んだのだが、生野菜、温野菜を肴に呑むのは実に気持ちのいいもんだ。毎日こんな食生活でもいいと思ったくらいだ。



普通に暮らしている俺がこんな思いになるのは贅沢と言うものというのは分かっている。被災地には三食塩にぎりとパンだけなんていう現実があるのだ。


昨日から石原軍団が被災地へ炊き出しにいってるというニュースを聞いて、不遜にも自分のことのように嬉しくなってしまった。


なにしろダイナミックな事が信条の石原軍団、今回も豊富なメニューと量を用意しているようだ。一ケ月分、1万4千食分の量だとか。


で、その中でもサラダや煮物など野菜が飛ぶように出てるらしい。それもむべなるかな。
やっぱり食い物は腹塞ぎの単なる糧ではなく、精神の衛生を高める物であると強く納得した。
農耕民族の末裔である日本人にとって野菜というのは一種の精神安定剤のようなものなんだろう。


マックとスナック菓子で育った親の劣悪な食育のせいで野菜が食えないガキが増えてるらしいが、よっぽど狂気の食生活をしない限り、祖先の血が野菜を摂取することを強いる時が来るはずだ。まあその前にいやがおーでも身体が野菜を欲するか。


日本人は結構貧しい食生活をしてきたせいか、脂や油を採りすぎると身体が拒否反応を示すというか摂生するように出来ているもんだ。一部の人間を除いて。
これって単に年を取ってアッサリしたもんを好むようになった年齢的な思い込みか(笑)?



あ~菜の花のおひたしが食いたい!
2011年04月12日14:02
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劇団ひとりの「夢空間1DK」というDVDを観た。


ごく普通のトーク番組のようでいて微妙に居心地の悪い番組。司会の劇団ひとりが微妙に戸惑い、傷付いていくという作りで、劇団ひとりの微妙な表情が堪らない。


こういう人間の感情の微妙な機微をついてくる劇団ひとりの笑いは大好きだ。そこには必ず「哀しさ」が含まれている。


というか本当に笑えるものってのには常に「哀しさ」がじっとりと滲んでる。
たけしも松本もその笑いには必ず原風景のように「哀しさ」が張り付いていて、そこから立ち上る匂いがネタに奥行きと深さを与える。



マジ歌選手権やオモバカGPでの劇団ひとりのネタなんかそのさいたるもので、トラウマや他人に触れられたくないものをあえて泣きながら晒すことによるヒリヒリ感が笑いとなっている。


そういえば一番最初に劇団ひとりを知ったのが、まだ劇団ひとりが全く無名の頃、ホントにチープなローカル番組だったと思う。
どっかの駅前でちょっとしたことをきっかけに駄々をこねだし、地団駄をふみ、しまいには這いつくばって号泣し、のたうちまわっている姿を、カメラがだんだん離れながらも撮り続けるという、かなりアヴァンギャルドな画だった。
それを観ながら俺はのたうち回って笑い転げたが、同時に妙な郷愁というかもの哀しい懐かしさを覚えたのを今でも覚えている。なんか子供の頃の記憶に直結したのかもしれない。



だいたい「劇団ひとり」って芸名からして哀しすぎるよな。
最初にその名前を聞いたときから俺の大好物だ!と思ったのも覚えている。哀しいけど笑える。いや、哀しいから笑える。名は体を表すなぁ。
2011年04月09日23:19
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余震は相変わらずあるが、やっと気温は春めいて来ている。
曇天ではあるけど、通りすぎる風には最早身を切る力もなく暖かい。


こないだのライヴは人の手を借りて、人の曲もやりつつ、今の状況に対して自分なりに何が伝えられるかを考えてやった。


どうしても矢野顕子さんの曲「Prayer」の


降り積もる悲しみに 負けることなく

祈ることだけ 今強く願うことだけ

あなたの声も 指先も 心も

愛に包まれているように



という言葉を歌いたくて、一曲目に歌った。
矢野顕子さんの曲をカバーするのも、ましてや人前でやるのも初めてだったけど、とにかく丁寧に優しく歌うことを心がけた。
綺麗事言ってんじゃねぇよ、と言われるようなカバーになってなければいいのだが、聴いた人はどう感じたんだろうな?



ライブはグダグダだったという意見と、楽しかったという意見が交錯するもので、よくも悪くも今の自分の温度を反映したものだったように思う。



「暗く押し黙って、威圧的な曲を語気荒く弾き語る」という俺が油断すると陥りがちなスタイルのライブだけにはしたくなかったので、意図的に緩いテンポ、精神が弛緩するような穏やかなライブになるよう心掛けた。


唯一やる予定だったアップテンポの曲さえも本番中に思い止まってやめにした。
その代わりやったぶっつけ本番のピアノ弾き語りは案の定コケたが(笑)。これはかなり減点。


サルパラダイスの田中さんにリードギターを弾いてもらった自分の曲「霧中の舟」と「人間はとてもはかない」は、田中さんに「コードがめんどくさい」と言われたが(笑)、自分の曲としては(歌詞の内容云々の話ではないが)かろうじて今の状況に有効性があるんではなかろうか?という願いを託して演奏した。



特に激しいギターソロを絡めた「はかない」の方は結構盛り上がったような気がする。まあこの辺になるとそこそこアルコール覚醒してたんで分かんないけど(笑)。



山崎怠雅くんと一緒にやったビートルズの「Don't Let Me Down」と和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」は良い出来だった。
流石に何度もやってる怠雅ースだけあって、僅かなリハで挑んだにも関わらず息が合い、二人とも思いっきり歌えたんじゃないかと思う。つうか俺は気持ちよかった。ちょっとジョンのイタコになってしまう瞬間もあった(笑)。



それにしても「あの鐘を鳴らすのはあなた」は強い曲だなぁ。
今、義援金募集のテーマソング的な使われ方で頻繁に耳にするけど、もっと普遍的な人間讃歌のような趣があって、いつ歌っても力が沸いてくる。


これぐらい強くて大きい歌をいつか作りたいとずーとずーと思っているがまだまだだな。
「人間はとてもはかない」から「そばにいてくれないか?」と懇願するくらいは出来ても、ど頭から「あなたに会えてよかった」とかますくらいの度量が無いと人を感動させることは出来ない。



計らずも二人の「アッコちゃん」に挟まれた選曲でお送りしたライブ、幸せな流れではあったけど、ホントはもっともっと多くの人に観てもらいたかったライブでもあった。非常に悔しい。



5月も6月も懲りずにライブやるんで、時間を合わせて来てください。
歌うたいは一緒の空間に居てくれて、一緒に酒(に限ったことではないが)を呑んでくれるだけで満足な生き物なんです。
2011年04月05日21:52
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最近気付いたがどうやら俺の部屋は外よりも寒いようだ。陽当たりのせいか?今日の昼も外は暖かいのに部屋にいると手がかじかむくらいだ。夏は良い方に転んでくれよ。


それにしても今日はいい天気だった。春が近づいてる。いや、時期的には完全に春なんだが俺の部屋が暖かくなるくらいまでに春めけ!とりあえず明日もこの調子で頼む、空。


とうことで明日はライブ。


以前にも書いたが、今回は山崎怠雅クンと怠番なので怠雅~スでもやる予定。


また今回はサルパラダイスの田中さんにギターを弾いてもらう曲もあります。いいもんになるよ。
つうことで、時間がある人は遊びに来ておくれぃ。


4月6日(水) 「夜風に花を咲かせる」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:Minori、山崎怠雅、Darjiling、高瀬大介

俺は今回4番目の20:20〜20:50の出番でっす!ロッケンロー!!


LIVE HOUSE 「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
TEL&FAX 03-6380-3260
HP http://mahiru-yoru.com/
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