2006年05月
c9c62381.jpg 新曲をバンドでやる場合、いつもは前もって自作のデモテープでメンバーに聴かせておいて取りかかるんだけど、今日はスタジオで弾き語りをして新曲をお披露目してセッションした。そんなことをしたのはひょっとしたら「赤電車」っていう曲以来のことかもしれない。
今日持っていった新曲はちょっとジャズのテイストの入ったポップソングというイメージを持っていた。
で、これはタイミングとしか言いようもないんだが、ちょうどベースの蛇石が今日ウッドベースを購入したということでスタジオに持ってきていた(写真参照)。
んで、この新曲にウッドベースはピッタリなんだよ。何と言うタイミングの良さ。
別に今日前もって新曲を持って来るって言ってなかったし、ましてやその曲にウッドベースが合うなんてのも言ってなかったわけさ。
だから今日はドラム井上もブラシに持ち替えてジャズっぽいアレンジで新曲や今までの曲をセッションしたんさ。
何だかスゲエ楽しかったわ。ジャズギターなんか弾けんけどね〜。俺だけブルースだよ、ジャズ風味の。
今現在取り組んでいた新曲は2曲だったんだけれど、やっぱ次に出すのもマキシシングルにしたいからもう一曲、なるべくちょっと軽めのやつが欲しいってメンバーから要望があったんで作ったんだわ。
で、まあ自分としてはいい感じの曲に仕上がったと思ってたし、サウンドイメージも膨らんでいたし自信作(毎回自信作だけどよ!)だったんだけど、まあやっぱり毎回毎回どういう審判がくだされるかはドキドキモンだわな。
結構平気でダメだしする人達だからね。ボツの山が結構ある訳よ。
前回持って行った曲で(個人的には自信作ですぐにでもやりたいと思ってんだが)今んとこ保留になってる曲に「微熱」って言う曲があるんだけど、それがダメならってんで今回は「平熱」って言うタイトルにした。
で、まあ皆この曲をとりあえずは気に入ってくれたみたいで、蛇なんか、
「俺なんとかこの曲ウッドベースでやりたいから猛特訓する!」とか言ってるし、皆あんまり全体像は見えてないかもしれないけど取りあえずやる気にはなってくれているようで、よかったよかった、ボツになんなくて。
嫌なもんですよ自信作をボツにされんのは。
まあ何となく感じるんだがこの曲は割とスムーズにアレンジは進みそう。自分の持っているイメージとメンバーが見つけようとしているイメージにそれほどブレがないように思う。今日いきなりやったセッションで早くもアレンジの形が見えたし。俺だけかもしれんけどね。
まだ着手したばっかりだけれど、なんとかいいもんにするよ〜。御期待を。
今日持っていった新曲はちょっとジャズのテイストの入ったポップソングというイメージを持っていた。
で、これはタイミングとしか言いようもないんだが、ちょうどベースの蛇石が今日ウッドベースを購入したということでスタジオに持ってきていた(写真参照)。
んで、この新曲にウッドベースはピッタリなんだよ。何と言うタイミングの良さ。
別に今日前もって新曲を持って来るって言ってなかったし、ましてやその曲にウッドベースが合うなんてのも言ってなかったわけさ。
だから今日はドラム井上もブラシに持ち替えてジャズっぽいアレンジで新曲や今までの曲をセッションしたんさ。
何だかスゲエ楽しかったわ。ジャズギターなんか弾けんけどね〜。俺だけブルースだよ、ジャズ風味の。
今現在取り組んでいた新曲は2曲だったんだけれど、やっぱ次に出すのもマキシシングルにしたいからもう一曲、なるべくちょっと軽めのやつが欲しいってメンバーから要望があったんで作ったんだわ。
で、まあ自分としてはいい感じの曲に仕上がったと思ってたし、サウンドイメージも膨らんでいたし自信作(毎回自信作だけどよ!)だったんだけど、まあやっぱり毎回毎回どういう審判がくだされるかはドキドキモンだわな。
結構平気でダメだしする人達だからね。ボツの山が結構ある訳よ。
前回持って行った曲で(個人的には自信作ですぐにでもやりたいと思ってんだが)今んとこ保留になってる曲に「微熱」って言う曲があるんだけど、それがダメならってんで今回は「平熱」って言うタイトルにした。
で、まあ皆この曲をとりあえずは気に入ってくれたみたいで、蛇なんか、
「俺なんとかこの曲ウッドベースでやりたいから猛特訓する!」とか言ってるし、皆あんまり全体像は見えてないかもしれないけど取りあえずやる気にはなってくれているようで、よかったよかった、ボツになんなくて。
嫌なもんですよ自信作をボツにされんのは。
まあ何となく感じるんだがこの曲は割とスムーズにアレンジは進みそう。自分の持っているイメージとメンバーが見つけようとしているイメージにそれほどブレがないように思う。今日いきなりやったセッションで早くもアレンジの形が見えたし。俺だけかもしれんけどね。
まだ着手したばっかりだけれど、なんとかいいもんにするよ〜。御期待を。
39380d51.jpg 荒井由実の「卒業写真」という曲が大好きだ。
あまりにも有名な曲なのでご存知の方も多くおられるだろう。いろんなアーティストにカバーされ、日本の青春ポップスのコンピレーションCDなんかにも必ず入っていて、所謂スタンダードナンバーとしての地位を確立している曲だ。
でもこの荒井由実の「卒業写真」はそういったスタンダードナンバーにありがちな「そつの無さ感」、「破綻の無さ感」あるいは「完璧な出来」といったよそ行きな感じとは無縁のバージョンとなっている。
この作品が収録されたアルバム「コバルト・アワー」が発表されたのが1975年。バッキングを務めていたのは、
細野晴臣(B)鈴木茂(G)林立夫(Dr)松任谷正隆(Key)の4人からなる「ティン・パン・アレイ」だ。
このアルバムではどの曲も素晴らしい演奏(一曲目のタイトルソングのファンキーさは凄まじい!)をしているのだが、その中でも「歌もののバッキング」というお仕事を完全に逸脱し切っている異様なパフォーマンスが聴けるのが「卒業写真」だ。
まあ何より荒井由実の、この時期でしかあり得ない凛とした潔癖性を感じさせる「声」と旬の時期にあった作曲家のしての高みが、これまた演奏家集団として最も脂の乗り切っていたこの時期のティン・パン・アレイに通常の「歌とバッキング」という関係性を超越したパフォーマンスをさせている。
だからといってこれ見よがしな大げささは特に無く、どちらかと言うと抑制された印象を与える演奏なのだが、実はプレイヤー全員が開放的に奔放に歌いまくっているようなパフォーマンスが、(ヘタをするとニューミュージック的なベタベタした湿度と色に染められがちな)若干後ろ向きで微妙なこの詞の世界観を、崇高な哀愁感のある美しい情景にしている。
特に細野晴臣氏のベースは凄まじ過ぎる。彼独特の浮遊感と透明感を持った色気のあるトーン、曲の後半などは殆どベースとしての役割を放棄しているかの様に歌いまくるフレージングで、ゴールデンカップスのルイズルイス加部氏のベースとはまた別な意味で「リードベース」とも言える様なプレイをしている。
そこに鈴木茂の感覚と知性が同居した自由なフレーズが絡み、林立夫の艶っぽい音色と味なタイム感のドラムが歌い、松任谷正隆のオルガンが控えめながらも滲んだ景色を描く。
そして曲の後半から入ってくる整合感のあるホーンとストリングスがそのフリーキーなリズム隊に絡んでくる時の美しさと言ったらもう、堪らんですよ。
何と言うか、これほどたとえようの無い切なさをこちらに喚起させる奇跡的な演奏、歌唱は中々あるもんではない。
これに匹敵しうるものと言えば、小坂忠の「機関車」ではなかろうか。
これは同じ1975年に発表された小坂忠の「ほうろう」というアルバムに収録された曲で、このアルバムも細野晴臣プロデュース、バッキングは「ティン・パン・アレイ」が全面的にかかわっている。
中でも特にこの「機関車」は林立夫の摩訶不思議なタイム感のドラムにつられてか、歌もコーラスも含め全員結構ヤバいというか、かなりヨレヨレの演奏を聴かせている。ハッキリ言ってかなりバラけている。しかしそれ故かもう全員一丸となってめちゃくちゃエモーショナルに歌いまくるプレイをしている。
細野氏のベースが奔放なのは言うまでもないが、鈴木茂氏のギターと松任谷正隆氏のピアノが絡み合いながらも熾烈な主導権争いをしている後ろでオルガンがウネリを上げていたりする。
同じように山下達郎と吉田美奈子という豪華過ぎるコーラス隊も「勇み足」とも言える様な瞬間があるくらいリードボーカルに食らいつきながら切実に歌い上げている。
そして何よりバンドと一丸となって高ぶる小坂忠氏の乾いていながらも艶っぽい声と情感たっぷりの歌唱が素晴らしい。
「ティン・パン・アレイ」という演奏家集団がその70年代当時の、そしてその後の音楽業界に与えた影響というのはもう計り知れないものがある。
彼等はロック、フォークの名盤から歌謡曲の世界にまで数多くの名演を残しているが、「ティン・パン」の特に細野晴臣氏の凄かったところは、単にいい演奏を残しただけでなく業界のシステムに対して疑問を持ちそれをクレバーな手法で変えて行ったことである。
細野氏ははっぴいえんど時代からスタジオミュージシャンとしても活動していたが、まだまだ製作現場は旧態然としていて、レコード会社主導でレコーディングが企画されアーティストもミュージシャンも本人達の思惑が反映されない見当外れな作品が量産されて行くといった状況だったようだ。
そこで細野氏が中心となって「キャラメルママ」というライブやレコーディングのバッキングを担う演奏家集団を発足し、それが発展して「テイン・パン・アレー」となり、現場の主導権をアーティスト本人とともに握るプロデュース業、場合によってはレコーディングの環境設定や場所設定の様なコーディネイター的な役割までもを担うような音楽集団となった。
だから彼等のかかわった作品は、それまでの定型パターンによって作られたレコードには無かった1枚1枚独特の個性があり、それが市場に大きな影響を及ぼして行った。
そのスタイルの独自性が奔放に表われたのが「ほうろう」のようなソウル、ファンク色の強い作品で、一番ラジカルにあらわれたのが荒井由実が分類されていたニューミュージック作品ではないだろうか(まあどう考えても荒井由実は当時の他のニューミュージックとは成り立ちからして違うが)。
所謂ロック・フィールドの人間と思われていた細野氏達がそういうニューミュージックの世界にもたらした異物感はかなりのもんだったのでは。上記の二曲を聴くだけでもその演奏スタイルがいかに当時のお決まりのパターンのニューミュージックと違い、ラジカルで強い生命力を持っているかが解る。
細野氏が70年代「ティン・パン・アレー」を通して作りあげた演奏スタイルやレコーディングシステムはその後の音楽業界に引き継がれたが、その弊害ともいえる「スタジオミュージシャン至上主義」という流れをある意味ブチ壊したのがこれまた細野氏が作った「YMO」を中心とするテクノやニューウェーブだったのもまた凄まじい話だ。まあその辺のことはそんなに図式的に捉えると危険なので深入りはしないが、まあとにかく日本には「細野晴臣」という偉人がいたのである。
話が「卒業写真」からえらく遠くまで来てしまった。
あまりにも有名な曲なのでご存知の方も多くおられるだろう。いろんなアーティストにカバーされ、日本の青春ポップスのコンピレーションCDなんかにも必ず入っていて、所謂スタンダードナンバーとしての地位を確立している曲だ。
でもこの荒井由実の「卒業写真」はそういったスタンダードナンバーにありがちな「そつの無さ感」、「破綻の無さ感」あるいは「完璧な出来」といったよそ行きな感じとは無縁のバージョンとなっている。
この作品が収録されたアルバム「コバルト・アワー」が発表されたのが1975年。バッキングを務めていたのは、
細野晴臣(B)鈴木茂(G)林立夫(Dr)松任谷正隆(Key)の4人からなる「ティン・パン・アレイ」だ。
このアルバムではどの曲も素晴らしい演奏(一曲目のタイトルソングのファンキーさは凄まじい!)をしているのだが、その中でも「歌もののバッキング」というお仕事を完全に逸脱し切っている異様なパフォーマンスが聴けるのが「卒業写真」だ。
まあ何より荒井由実の、この時期でしかあり得ない凛とした潔癖性を感じさせる「声」と旬の時期にあった作曲家のしての高みが、これまた演奏家集団として最も脂の乗り切っていたこの時期のティン・パン・アレイに通常の「歌とバッキング」という関係性を超越したパフォーマンスをさせている。
だからといってこれ見よがしな大げささは特に無く、どちらかと言うと抑制された印象を与える演奏なのだが、実はプレイヤー全員が開放的に奔放に歌いまくっているようなパフォーマンスが、(ヘタをするとニューミュージック的なベタベタした湿度と色に染められがちな)若干後ろ向きで微妙なこの詞の世界観を、崇高な哀愁感のある美しい情景にしている。
特に細野晴臣氏のベースは凄まじ過ぎる。彼独特の浮遊感と透明感を持った色気のあるトーン、曲の後半などは殆どベースとしての役割を放棄しているかの様に歌いまくるフレージングで、ゴールデンカップスのルイズルイス加部氏のベースとはまた別な意味で「リードベース」とも言える様なプレイをしている。
そこに鈴木茂の感覚と知性が同居した自由なフレーズが絡み、林立夫の艶っぽい音色と味なタイム感のドラムが歌い、松任谷正隆のオルガンが控えめながらも滲んだ景色を描く。
そして曲の後半から入ってくる整合感のあるホーンとストリングスがそのフリーキーなリズム隊に絡んでくる時の美しさと言ったらもう、堪らんですよ。
何と言うか、これほどたとえようの無い切なさをこちらに喚起させる奇跡的な演奏、歌唱は中々あるもんではない。
これに匹敵しうるものと言えば、小坂忠の「機関車」ではなかろうか。
これは同じ1975年に発表された小坂忠の「ほうろう」というアルバムに収録された曲で、このアルバムも細野晴臣プロデュース、バッキングは「ティン・パン・アレイ」が全面的にかかわっている。
中でも特にこの「機関車」は林立夫の摩訶不思議なタイム感のドラムにつられてか、歌もコーラスも含め全員結構ヤバいというか、かなりヨレヨレの演奏を聴かせている。ハッキリ言ってかなりバラけている。しかしそれ故かもう全員一丸となってめちゃくちゃエモーショナルに歌いまくるプレイをしている。
細野氏のベースが奔放なのは言うまでもないが、鈴木茂氏のギターと松任谷正隆氏のピアノが絡み合いながらも熾烈な主導権争いをしている後ろでオルガンがウネリを上げていたりする。
同じように山下達郎と吉田美奈子という豪華過ぎるコーラス隊も「勇み足」とも言える様な瞬間があるくらいリードボーカルに食らいつきながら切実に歌い上げている。
そして何よりバンドと一丸となって高ぶる小坂忠氏の乾いていながらも艶っぽい声と情感たっぷりの歌唱が素晴らしい。
「ティン・パン・アレイ」という演奏家集団がその70年代当時の、そしてその後の音楽業界に与えた影響というのはもう計り知れないものがある。
彼等はロック、フォークの名盤から歌謡曲の世界にまで数多くの名演を残しているが、「ティン・パン」の特に細野晴臣氏の凄かったところは、単にいい演奏を残しただけでなく業界のシステムに対して疑問を持ちそれをクレバーな手法で変えて行ったことである。
細野氏ははっぴいえんど時代からスタジオミュージシャンとしても活動していたが、まだまだ製作現場は旧態然としていて、レコード会社主導でレコーディングが企画されアーティストもミュージシャンも本人達の思惑が反映されない見当外れな作品が量産されて行くといった状況だったようだ。
そこで細野氏が中心となって「キャラメルママ」というライブやレコーディングのバッキングを担う演奏家集団を発足し、それが発展して「テイン・パン・アレー」となり、現場の主導権をアーティスト本人とともに握るプロデュース業、場合によってはレコーディングの環境設定や場所設定の様なコーディネイター的な役割までもを担うような音楽集団となった。
だから彼等のかかわった作品は、それまでの定型パターンによって作られたレコードには無かった1枚1枚独特の個性があり、それが市場に大きな影響を及ぼして行った。
そのスタイルの独自性が奔放に表われたのが「ほうろう」のようなソウル、ファンク色の強い作品で、一番ラジカルにあらわれたのが荒井由実が分類されていたニューミュージック作品ではないだろうか(まあどう考えても荒井由実は当時の他のニューミュージックとは成り立ちからして違うが)。
所謂ロック・フィールドの人間と思われていた細野氏達がそういうニューミュージックの世界にもたらした異物感はかなりのもんだったのでは。上記の二曲を聴くだけでもその演奏スタイルがいかに当時のお決まりのパターンのニューミュージックと違い、ラジカルで強い生命力を持っているかが解る。
細野氏が70年代「ティン・パン・アレー」を通して作りあげた演奏スタイルやレコーディングシステムはその後の音楽業界に引き継がれたが、その弊害ともいえる「スタジオミュージシャン至上主義」という流れをある意味ブチ壊したのがこれまた細野氏が作った「YMO」を中心とするテクノやニューウェーブだったのもまた凄まじい話だ。まあその辺のことはそんなに図式的に捉えると危険なので深入りはしないが、まあとにかく日本には「細野晴臣」という偉人がいたのである。
話が「卒業写真」からえらく遠くまで来てしまった。
さっきの日記の最初に書いたように、最近マンネリ化してたセットリストをかなり変えてみた。いつもは30分ステージなんだけど今回はかなり時間的に自由だったからからね。都内ではやったことなかったけど各方面から要望の多かった「水で出来た道」や久々の「赤電車」「サド犬」か出来たのが嬉しかった。バンドが今にも通じるモードにシフトし、それを意識して作った初期のそれらの曲群はまだちゃんと生きているから今後もフレキシブルに入れ替えながらやっていくつもりだ。
定番の「ハカマハケ」はもう「しゃべり場」じゃなくて「暴れ場」。その日のライブの精神状態と総括が如実に現れる曲。はい、案の定今回もいつもにも増して暴れてしまいました。っていうかもう残りのエネルギーを使いきるための放出場だから、のたうち回って転げ回って見せ物になって「魂」ってやつをお客さんに渡すのさ、ヘッ。だから放心しぬけがらになった状態で聞く「アンコール」の拍手は、祝福の福音であると同時にギロチン台に向かう馬車の音のようにも聞こえる。蛇が「奴は歳なんで楽屋でへばってるからもう少し待ってて下さい」と言いやがったからスキップして再登場し「若さ!」をアピールする。でも肩で息しながらステージに座り込んじゃったけどね。
で「またぞろ一人」。もう声なんか出ね〜よ。青江美奈の吐息と初期プリンスの脱ぎっぷりを途中サンプリングしつつ、ぬけがら人間のドキュメントをしばらくお送りして終演。 楽屋で一瞬ふか〜く虚脱したけどすぐに元気になってお客さんに挨拶。いつも来てくれる人、一年ぶりに来てくれた人、OTや打首獄門同好会のバンド仲間の人達、このライブはあんた方が主役でした。ありがとう、感謝します。
蛇足ながらDJも楽しかった。いつものクレイジーやコナサンミンバンワやシンガー板尾といった諧虐モノも掛けたが、今回はゴールデンカップスや尾藤イサヲ内田裕也やサディスティックミカバンドといったJ‐Grooveの定番もかけた。でも小林アキラの「しょがないね〜〜〜」とハッキリ♯しながらどこまでも飛んでいってしまうハイトーンにゃ叶わないね。あと個人的には、笑わせることを目的とした音源としては世界最古の録音物で、前世紀の初頭にドイツで録音された「Lughing Record」というただオッサンとオバサンが笑ってるだけの音源を掛けたときの会場の困惑っぷりと笑うしかないという空気が可笑しかった。文字数もつきたのでまた。
定番の「ハカマハケ」はもう「しゃべり場」じゃなくて「暴れ場」。その日のライブの精神状態と総括が如実に現れる曲。はい、案の定今回もいつもにも増して暴れてしまいました。っていうかもう残りのエネルギーを使いきるための放出場だから、のたうち回って転げ回って見せ物になって「魂」ってやつをお客さんに渡すのさ、ヘッ。だから放心しぬけがらになった状態で聞く「アンコール」の拍手は、祝福の福音であると同時にギロチン台に向かう馬車の音のようにも聞こえる。蛇が「奴は歳なんで楽屋でへばってるからもう少し待ってて下さい」と言いやがったからスキップして再登場し「若さ!」をアピールする。でも肩で息しながらステージに座り込んじゃったけどね。
で「またぞろ一人」。もう声なんか出ね〜よ。青江美奈の吐息と初期プリンスの脱ぎっぷりを途中サンプリングしつつ、ぬけがら人間のドキュメントをしばらくお送りして終演。 楽屋で一瞬ふか〜く虚脱したけどすぐに元気になってお客さんに挨拶。いつも来てくれる人、一年ぶりに来てくれた人、OTや打首獄門同好会のバンド仲間の人達、このライブはあんた方が主役でした。ありがとう、感謝します。
蛇足ながらDJも楽しかった。いつものクレイジーやコナサンミンバンワやシンガー板尾といった諧虐モノも掛けたが、今回はゴールデンカップスや尾藤イサヲ内田裕也やサディスティックミカバンドといったJ‐Grooveの定番もかけた。でも小林アキラの「しょがないね〜〜〜」とハッキリ♯しながらどこまでも飛んでいってしまうハイトーンにゃ叶わないね。あと個人的には、笑わせることを目的とした音源としては世界最古の録音物で、前世紀の初頭にドイツで録音された「Lughing Record」というただオッサンとオバサンが笑ってるだけの音源を掛けたときの会場の困惑っぷりと笑うしかないという空気が可笑しかった。文字数もつきたのでまた。
5・11@シブヤネでのワイセッツライブ、期せずしてスリーマンになったりセットリストをガラッと変えてみたりと、いろんな意味で期待と不安が交錯していたライブだったが、結果的には多くのいいバイブのお客さんに恵まれて、終わってみれば大成功、個人的にはワイセッツ史上最高の達成感が残せた。演奏や歌ではかなり不十分だったにも関わらずだ。
改めて言うのもなんだが、ライブってその場の空気、バイブレーションとか磁場がライブの良し悪しを左右するもんだとつくづく感じた。それば演奏する側だけで作るものではなく、聴き手側の温度がもたらすエネルギーも大きく作用するものだ。というかそのエネルギーこそがライブの原動力となって、まな板の上のバンドを猿のように踊らせる。そこには送り手と受けてという「主従関係」は存在せず、ともにその場の空気を作っているという「共犯関係」があるのみである。勿論いい三味線弾かないと芸者はいい踊りが出来ないように、バンド力がないとお客さんもその気にはなっていい三味弾いてくれないんだけどね。うちのバンドは音楽的にはストイックで生真面目に追求するんだけど、エンターテインという面においては立ち遅れていた。でもやっと、ライブというのは発表会ではなく磁場の創出であるということを学習してきたようだ。そのための曲作り、制作、方針転換などをやってきた成果、一つ目の通過ポイントが今回のライブで見えた気がする。
その場の磁場を共有してくれた共犯者であるお客さんにはほんっとうに感謝します。
それにしてもライブ楽しかった〜。最初こそ緊張してたもののだんだんほぐれてきてからは飛んだり跳ねたり倒れたりでもう大変。ちゃんと歌えよと自分に突っ込みつつも身体はもう止まらない齢30。最近サンボマスターのライブばっかり聴いてるせいかやたらめったら熱い想いがこみ上げてきてついつい饒舌になってしまうMC。「ワイセッツってバンド名変えようと思うんだけど...」って言ったら「え〜?」って声があちこちから聞こえてきてなんか嬉しかった。自分としちゃ単なる茶飲み話程度の事だったんだけど、まじめに受け止めてアンケートにも「バンド名は変えるな」と書いてくれた人もいた。バンド名一つとっても「もう俺だけのもんじゃねえんだなぁ...」と感慨深くなった。
これ携帯からの書き込みなんで文字数が残り僅か。まだ書くことあるんでいったん終了してまたすぐつづけます。
改めて言うのもなんだが、ライブってその場の空気、バイブレーションとか磁場がライブの良し悪しを左右するもんだとつくづく感じた。それば演奏する側だけで作るものではなく、聴き手側の温度がもたらすエネルギーも大きく作用するものだ。というかそのエネルギーこそがライブの原動力となって、まな板の上のバンドを猿のように踊らせる。そこには送り手と受けてという「主従関係」は存在せず、ともにその場の空気を作っているという「共犯関係」があるのみである。勿論いい三味線弾かないと芸者はいい踊りが出来ないように、バンド力がないとお客さんもその気にはなっていい三味弾いてくれないんだけどね。うちのバンドは音楽的にはストイックで生真面目に追求するんだけど、エンターテインという面においては立ち遅れていた。でもやっと、ライブというのは発表会ではなく磁場の創出であるということを学習してきたようだ。そのための曲作り、制作、方針転換などをやってきた成果、一つ目の通過ポイントが今回のライブで見えた気がする。
その場の磁場を共有してくれた共犯者であるお客さんにはほんっとうに感謝します。
それにしてもライブ楽しかった〜。最初こそ緊張してたもののだんだんほぐれてきてからは飛んだり跳ねたり倒れたりでもう大変。ちゃんと歌えよと自分に突っ込みつつも身体はもう止まらない齢30。最近サンボマスターのライブばっかり聴いてるせいかやたらめったら熱い想いがこみ上げてきてついつい饒舌になってしまうMC。「ワイセッツってバンド名変えようと思うんだけど...」って言ったら「え〜?」って声があちこちから聞こえてきてなんか嬉しかった。自分としちゃ単なる茶飲み話程度の事だったんだけど、まじめに受け止めてアンケートにも「バンド名は変えるな」と書いてくれた人もいた。バンド名一つとっても「もう俺だけのもんじゃねえんだなぁ...」と感慨深くなった。
これ携帯からの書き込みなんで文字数が残り僅か。まだ書くことあるんでいったん終了してまたすぐつづけます。
HPでも告知されているようにオレンジタイガーが解散してしまった。
オレンジタイガーとは1年半ほど前の屋根裏で対バンしたとき以来少しずつ少しずつ仲を深めていった間柄だ。なぜ少しずつだったのかと言うと、お互いシャイだったのと、俺と四弦虎のガラが悪かったからだ。
まあそれはともかくとして、それ以来何度も対バンして時には対決みたいな事にもなった事もある。ウチのイベントにでてもらった事もあるしOTに呼ばれた事もある。個人的にも四弦の家に言って酒を呑む間柄だ。ここまで親しくなったバンドは今までない。
オレンジタイガーはロックをやりながらも、「侘び寂び」をその文体の中に現出させる事の出来る希有なバンドである。
ヘタな昭和歌謡曲テイストのイロものバンドや、コンセプト先攻型の企画もの和テイストバンドが多い中、本当に「日本的」と言える音の佇まいとオリジナリティーを持ったバンドだ。かなりムラッ気の多いバンドで、方向性やスタイルはかなり変化していたがその「侘び寂び」は決して失われる事はなかった。
楽曲が元々持っている「匂い」が導くものでもあったろうし、メンバー間の絶妙なバランスによって保たれていたのかもしれない。
しかし確かに内部事情を聞くと色々あるんだなあと思ったし危機感はあったものの、こうもあっさりと解散するとは思わなかった。まあ解散するときゃ意外とあっさりといくもんかもしれないなあ、とバンドを解散させた事すらない俺は思うのだ。
「バンド」や「音楽」を所有しているのはコンポーザーやメンバーではなく、それを支持する「聴き手」だ。「聴き手」こそが音楽の主役と言ってもいい。聴き手がいない音楽は単なる音であるが、聴き手の存在によって音は音楽になりコミニュケーションになる。聴き手の要求がバンドの変化を促し進化や変化を生む。聴き手の欲求が音楽を創作する原動力になる。
うちもOTもメジャーバンドではないのでマスとも言える数の支持者はいないが、それでも確実に支持してくれる「聴き手」がいる。バンドが勝手に自らの存在を終わらせるんではなくて、「聴き手」その人々のためにきっちりとけじめをつける意味での「ラストライブ」をやるオレンジタイガーは偉いと思う。
解散が決定してからのライブなんてどんな心境なんだろう、とバンドを解散させてことすらない男は思ってしまうのだが、やはり「オレンジタイガーの支持者」という真の主役不在のままでは舞台の幕は降ろせんという事だ。6月8日のシブヤネは絶対に行くつもりである。
という事でまだ解散はしないワイセッツのライブが明後日5月11日にある。場所はこれまた渋谷屋根裏。
この日はなぜか知らんが急遽「ビキニライン」さんとの2マンです、はははやったやった、はあ〜あ。この事態、イキナリですよ!どうしよう?元々今回は昔やってた曲を復活させていつもとは違うものにしようとしてたんだけど、どうやら演奏時間も増えそうだしこうなったら新曲旧曲色々取り混ぜたベストオブワイセッツ的なものにしたいな。まあまだどうなるか分らないけど時間がある方は是非遊びにきて下さい。時間はうちらは8時半くらいです。
オレンジタイガーとは1年半ほど前の屋根裏で対バンしたとき以来少しずつ少しずつ仲を深めていった間柄だ。なぜ少しずつだったのかと言うと、お互いシャイだったのと、俺と四弦虎のガラが悪かったからだ。
まあそれはともかくとして、それ以来何度も対バンして時には対決みたいな事にもなった事もある。ウチのイベントにでてもらった事もあるしOTに呼ばれた事もある。個人的にも四弦の家に言って酒を呑む間柄だ。ここまで親しくなったバンドは今までない。
オレンジタイガーはロックをやりながらも、「侘び寂び」をその文体の中に現出させる事の出来る希有なバンドである。
ヘタな昭和歌謡曲テイストのイロものバンドや、コンセプト先攻型の企画もの和テイストバンドが多い中、本当に「日本的」と言える音の佇まいとオリジナリティーを持ったバンドだ。かなりムラッ気の多いバンドで、方向性やスタイルはかなり変化していたがその「侘び寂び」は決して失われる事はなかった。
楽曲が元々持っている「匂い」が導くものでもあったろうし、メンバー間の絶妙なバランスによって保たれていたのかもしれない。
しかし確かに内部事情を聞くと色々あるんだなあと思ったし危機感はあったものの、こうもあっさりと解散するとは思わなかった。まあ解散するときゃ意外とあっさりといくもんかもしれないなあ、とバンドを解散させた事すらない俺は思うのだ。
「バンド」や「音楽」を所有しているのはコンポーザーやメンバーではなく、それを支持する「聴き手」だ。「聴き手」こそが音楽の主役と言ってもいい。聴き手がいない音楽は単なる音であるが、聴き手の存在によって音は音楽になりコミニュケーションになる。聴き手の要求がバンドの変化を促し進化や変化を生む。聴き手の欲求が音楽を創作する原動力になる。
うちもOTもメジャーバンドではないのでマスとも言える数の支持者はいないが、それでも確実に支持してくれる「聴き手」がいる。バンドが勝手に自らの存在を終わらせるんではなくて、「聴き手」その人々のためにきっちりとけじめをつける意味での「ラストライブ」をやるオレンジタイガーは偉いと思う。
解散が決定してからのライブなんてどんな心境なんだろう、とバンドを解散させてことすらない男は思ってしまうのだが、やはり「オレンジタイガーの支持者」という真の主役不在のままでは舞台の幕は降ろせんという事だ。6月8日のシブヤネは絶対に行くつもりである。
という事でまだ解散はしないワイセッツのライブが明後日5月11日にある。場所はこれまた渋谷屋根裏。
この日はなぜか知らんが急遽「ビキニライン」さんとの2マンです、はははやったやった、はあ〜あ。この事態、イキナリですよ!どうしよう?元々今回は昔やってた曲を復活させていつもとは違うものにしようとしてたんだけど、どうやら演奏時間も増えそうだしこうなったら新曲旧曲色々取り混ぜたベストオブワイセッツ的なものにしたいな。まあまだどうなるか分らないけど時間がある方は是非遊びにきて下さい。時間はうちらは8時半くらいです。
26c9ce74.jpg 昨日は四谷フォーバレーでライブだった。来てくれた方々どうも有り難うございました。
前回の日記で書いたような「何が起こるか分らないような不穏な空気」と「強烈な磁場」を創出すべく臨んだのだが、朝から雨やら雷やら地震やら、もう不穏な空気になりまくりで「俺には神通力でもあんのか」と溜め息を吐いていた。でもそれにもかかわらず結構な人が会場にいてくれてありがたかった。
ウチらの出番の前の前、イベントのトップバッターとしてでてくれた「JUKE JOINT JIVE BAND」という若手のロックンロール/ソウル/ブルースバンド(写真参照)のライブが素晴らしくていきなり興奮。前回も四谷フォーバレーで対バンした事があるんだけれど、その時とはダンチで凄くなってた。とくにヴォーカルの黒人コンプレックス丸出しの、というかオーティス&トータスみたいなシャウティングにシビレた。若いしまだまだ荒削りなんだけれど、何か強烈な「思い」を伝えようとするヴォーカルスタイルはキた、と年食っても荒削りな俺は思った。
それに発奮されたせいか、はたまた当日のその場の磁場がそうだったのかは分らないが訳の分からない躁なテンションになって、浮いてんじゃねえかな?とは感じながらも頭からトバしてしまった。
コントロール出来ないほどのエモーションの洪水が溢れてきたせいでピッチやリズムは粗かったものの声に「熱」が込もっていたと思う。
他のメンバーもそれぞれのプレイが妙に噛み合ないなあと思いながらもその場の奇妙な磁場にやられて結果的には久々に「楽しかった」と言えるライブだったようだ。
演奏的にはダメだったとリズム隊は特に反省してたが、全員共通してるのは自己満足と言われるかも知らんが久々に「やりきった」感と「やってもうた」感があったライブだった。
最近はカッチリとまとめよう、親切なライブをしようという意図でライブに臨んでいたのだが、図らずも俺が書いた日記の如くナチュラルに破綻して、「強烈な磁場」が多少なりとも生み出せたんではないかと思う。だから言ったろうお前ら、と言いたい。
まあ、まだまだ何が起こるか分らんという緊張感や、丁々発止のやり取りが出来たりするほど解放出来てないんで次はそこ目標で。
次回のライブは5月11日、シブヤネ。昨日朝までやった打上げに於いて俺が提案した事なんだけど、久々にやる曲を今のメニューに組み込んでみようかと。まだ決定じゃないけどね。兎に角是非次もよろしくお願いいたシンす。
前回の日記で書いたような「何が起こるか分らないような不穏な空気」と「強烈な磁場」を創出すべく臨んだのだが、朝から雨やら雷やら地震やら、もう不穏な空気になりまくりで「俺には神通力でもあんのか」と溜め息を吐いていた。でもそれにもかかわらず結構な人が会場にいてくれてありがたかった。
ウチらの出番の前の前、イベントのトップバッターとしてでてくれた「JUKE JOINT JIVE BAND」という若手のロックンロール/ソウル/ブルースバンド(写真参照)のライブが素晴らしくていきなり興奮。前回も四谷フォーバレーで対バンした事があるんだけれど、その時とはダンチで凄くなってた。とくにヴォーカルの黒人コンプレックス丸出しの、というかオーティス&トータスみたいなシャウティングにシビレた。若いしまだまだ荒削りなんだけれど、何か強烈な「思い」を伝えようとするヴォーカルスタイルはキた、と年食っても荒削りな俺は思った。
それに発奮されたせいか、はたまた当日のその場の磁場がそうだったのかは分らないが訳の分からない躁なテンションになって、浮いてんじゃねえかな?とは感じながらも頭からトバしてしまった。
コントロール出来ないほどのエモーションの洪水が溢れてきたせいでピッチやリズムは粗かったものの声に「熱」が込もっていたと思う。
他のメンバーもそれぞれのプレイが妙に噛み合ないなあと思いながらもその場の奇妙な磁場にやられて結果的には久々に「楽しかった」と言えるライブだったようだ。
演奏的にはダメだったとリズム隊は特に反省してたが、全員共通してるのは自己満足と言われるかも知らんが久々に「やりきった」感と「やってもうた」感があったライブだった。
最近はカッチリとまとめよう、親切なライブをしようという意図でライブに臨んでいたのだが、図らずも俺が書いた日記の如くナチュラルに破綻して、「強烈な磁場」が多少なりとも生み出せたんではないかと思う。だから言ったろうお前ら、と言いたい。
まあ、まだまだ何が起こるか分らんという緊張感や、丁々発止のやり取りが出来たりするほど解放出来てないんで次はそこ目標で。
次回のライブは5月11日、シブヤネ。昨日朝までやった打上げに於いて俺が提案した事なんだけど、久々にやる曲を今のメニューに組み込んでみようかと。まだ決定じゃないけどね。兎に角是非次もよろしくお願いいたシンす。
今日は四谷フォーバレーでワイセッツのライブだ。フォーバレーは久々なのだが、何でもフォーバレー24周年記念イベントという事らしい。
四谷フォーバレーというのはウチにとっては中々縁の深い場所だ。
ワイセッツ結成以前にそれぞれのメンバーはここのステージに立っている。何より個人的には東京に出てきて最初にやったライブがフォーバレーだったからだ。
まあいろいろとツテがあってフォーバレーでやらせてもらえる事
になったのだが、その時は当然独り弾き語りでギターとピアノを使った。今考えると、それまで所謂ちゃんとしたライブ経験もないまま、ほとんど宅録ノリの延長であのフォーバレーのステージに立ってたのだ。怖いもの知らずというか何と言うか......。
実はその時の映像があって(封印してあるが)まあ当然歌、演奏ともに酷い出来だったんだが、この男妙にステージ度胸だけは座っていて態度もふてぶてしい。いきなり2曲目あたりで弦を切っても平然と曲の途中でぶった切って、「しばし御歓談を...」とかなんとか言って後はノンMCのまんまお客さんを放置して弦を張り替えてやがる。まあ、照れ隠しの反面、自信も確信が全く無いくせに虚勢だけは張っているってのがバレバレだけれどね。
おまけにボッサボサの髪と(その頃はあったんだよ)書生さんのような冴えないいでたちに雪駄履き、というおおよそステージ衣装とは言えないような格好。
結局最後まで愛想も振らず殆ど喋らず唐突に終えたようなライブ......だったように記憶している。
それを考えると今のバンドでのステージは隔世の感がある。曲りなりにもそれなりに真っ当にやってるもんな。確かに相変わらず「ショウ」と言えるほどガッチリやりきってるるとは言えないが、少なくともちゃんと事前に決めた事を本番でやろうとはしてる。一つの流れのもと、まとめようとしてる。「意味不明の暴走」と「破綻」の呪縛からは逃れられているとは思う。
だが果たしてこれでいいもんなんかな?
「固定概念」とか「ロマン」という風に取られてもいいんだが、「ロックバンド」の魅力って
「何が起こるか分らないような不穏な空気」
が出せるかどうかで決まるんだと思う。不確定要素がいっぱいあって、瞬間瞬間の空気の流れを自らの磁場に変えて行く事がロックバンドのすべき事ではないか。
単にアドリブを連発して意図的に緊張感と新鮮さを作り出すのも手かとは思うが、「インプロウ ?ィゼイション」という名の「予定調和」になってもしかたないし、どちらかと言えばもっと霊感めいたものからくる自然な衝動が音に反映出来ればいいんだが。かなり難しい事だと思うし、全員の気持ちがそこに向かっていなければなし得ない事だと思う。そう、こればっかりは俺一人がそのモードになっても全体の音には反映されないだろう。鶏が先か卵が先かではないが、気持ちが先か音に気持ちが導かれるのか、とにかくそういうバイオリズムが自然に生まれん事にはなあ...。音に本当の生命力が宿るのはそっからだと思う。
という事で思いは逡巡しておりますが、今日19時過ぎあたりからワイセッツの独自の磁場が四谷に生まれる事を祈って。
四谷フォーバレーというのはウチにとっては中々縁の深い場所だ。
ワイセッツ結成以前にそれぞれのメンバーはここのステージに立っている。何より個人的には東京に出てきて最初にやったライブがフォーバレーだったからだ。
まあいろいろとツテがあってフォーバレーでやらせてもらえる事
になったのだが、その時は当然独り弾き語りでギターとピアノを使った。今考えると、それまで所謂ちゃんとしたライブ経験もないまま、ほとんど宅録ノリの延長であのフォーバレーのステージに立ってたのだ。怖いもの知らずというか何と言うか......。
実はその時の映像があって(封印してあるが)まあ当然歌、演奏ともに酷い出来だったんだが、この男妙にステージ度胸だけは座っていて態度もふてぶてしい。いきなり2曲目あたりで弦を切っても平然と曲の途中でぶった切って、「しばし御歓談を...」とかなんとか言って後はノンMCのまんまお客さんを放置して弦を張り替えてやがる。まあ、照れ隠しの反面、自信も確信が全く無いくせに虚勢だけは張っているってのがバレバレだけれどね。
おまけにボッサボサの髪と(その頃はあったんだよ)書生さんのような冴えないいでたちに雪駄履き、というおおよそステージ衣装とは言えないような格好。
結局最後まで愛想も振らず殆ど喋らず唐突に終えたようなライブ......だったように記憶している。
それを考えると今のバンドでのステージは隔世の感がある。曲りなりにもそれなりに真っ当にやってるもんな。確かに相変わらず「ショウ」と言えるほどガッチリやりきってるるとは言えないが、少なくともちゃんと事前に決めた事を本番でやろうとはしてる。一つの流れのもと、まとめようとしてる。「意味不明の暴走」と「破綻」の呪縛からは逃れられているとは思う。
だが果たしてこれでいいもんなんかな?
「固定概念」とか「ロマン」という風に取られてもいいんだが、「ロックバンド」の魅力って
「何が起こるか分らないような不穏な空気」
が出せるかどうかで決まるんだと思う。不確定要素がいっぱいあって、瞬間瞬間の空気の流れを自らの磁場に変えて行く事がロックバンドのすべき事ではないか。
単にアドリブを連発して意図的に緊張感と新鮮さを作り出すのも手かとは思うが、「インプロウ ?ィゼイション」という名の「予定調和」になってもしかたないし、どちらかと言えばもっと霊感めいたものからくる自然な衝動が音に反映出来ればいいんだが。かなり難しい事だと思うし、全員の気持ちがそこに向かっていなければなし得ない事だと思う。そう、こればっかりは俺一人がそのモードになっても全体の音には反映されないだろう。鶏が先か卵が先かではないが、気持ちが先か音に気持ちが導かれるのか、とにかくそういうバイオリズムが自然に生まれん事にはなあ...。音に本当の生命力が宿るのはそっからだと思う。
という事で思いは逡巡しておりますが、今日19時過ぎあたりからワイセッツの独自の磁場が四谷に生まれる事を祈って。