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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2006年04月

2006年04月30日05:53
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d7b49f6e.jpg よく年を取ると新しいものについて行けなくなるとか興味が無くなるとか言う。実際十代の頃のように貪欲に何もかも受け入れることは無いし、そう簡単に物事にハマったりはしない。



でもそうだろうか?個人的には「新しいもの」を欲する気持ちはより強くなっていると感じる。



確かに間口は狭くなっている。価値観がある程度固まってくれば「必要なもの」と「必要じゃないもの」の差別化が明確に出来るようになるから、「何でも一回取り込んでそれから考える」なんて事をするのは億劫になる。



でもその凝り固まった概念をブチ壊すような「新たなもの」の登場を待ち望んでいる事は確かだ。少なくとも我を忘れて本気でハマれるものは常に欲している。



しかし一体何を持ってして「新しいもの」と判断するのだろうか?
今まで自分の中に無かった「新しいもの」のはずなのに、それを受け入れて、「良し」とする価値判断基準はどこにあったのか?



半ば答えは出ている。「自分が求めているもの」の価値観の殆どは十代にして既に形成されているのではなかろうか?
それを「新しい」と感じるのは、今の時代に相応しい「意匠」を纏っているからでしかない。
逆に言うなら「新しい意匠」が施される事によって、昔から形成してきた自分の「価値観」や「美意識」や「モラル」が現在でも普遍的なものになりうるという事を確認したいということなのであろう。
それほど十代に形成された己の「価値観」というものに対する執着は根深いものなんだと思う。
だから「新しい」と思えるものはどこかしら既に「感じた」事があるような気がするのだ。「懐かしい」とすら。



では十代とは一体なんなのか?




「知らないという事は何よりの武器であり快楽である」


十代とはとそういう時期だ。自らの「無知」すら自覚せず無責任で、全てが未知との遭遇であるわけだからそりゃあ楽しい。
よっぽど不遇な環境に身を置いてない限りは、いつでも新しいモノや価値観との出会いを期待出来るという素晴らしい季節だ。



だから【十代に受験勉強に明け暮れ、所謂「サブカルチャー(死語)」と呼ばれるものには触れず、適当な娯楽と快楽でお茶を濁し、「真の感動」を避けてきた挙げ句に高学歴を手にした人】とは話が合わない事が多い。
勿論スポーツに明け暮れた人、恋愛に明け暮れた人、非行に明け暮れた人、仕事に明け暮れた人、に対して悪感情は無い。
だが残念ながら共通言語はあまり持てない。まあ何にしても「明け暮れる」事の出来る季節なわけです十代ってのは。



俺の十代に形成された「価値観」、「無」に亀裂を生じさせたビッグバンは紛れも無く「ビートルズ」である。



「ビートルズ」は、ビッグバンによって生まれた「真っ白なキャンバス」に最初に色をつけていた「価値観」だ。



そして十代二十代を通じていろんな色をそのキャンバスに塗っていった。
めくるめくような「新しい価値観」との出会い、「衝撃」や「感動」によって次々に色は塗られる。
こんな配色もあんな配色もこのキャンバスにアリなんか!と逆にキャンバス自体の可能性にも意識が行くくらいになる。



しかし段々と塗りつぶされて行き、そしてついには塗られるべき白地は無くなってしまう。
ひょっとしたらこれは「木を見て森を見ない」状態であって、巨視的に観ればまだ全然白紙だらけかもしれない。だが今は少なくともそんな達観した客観性よりも、刹那的ではあっても目の前にあるキャンバスに新たな色を塗る場所を切実に欲している事の方が大事だ。
塗るところが無いなら、上から新たに強引に塗っても発色するような濃い〜い生命力を持った「新しい色」でなければならない。
ようするにちょっとやそっとの事ではキャンバスに新たな色は加えられないのだ。



俺は趣味的には決してマニアックではない。フェチでもなければ愛好家でもない。どちらかと言うと中毒患者といったほうがいいだろう。



「ビートルズ」「黒澤明」「手塚治虫」「ビートたけし」「ジミヘン」「三船敏郎」「レッドツェッペリン」「小津安二郎」「ダウンタウン」「高峰秀子」etcetczzzzzz......、大きな大衆的支持を得、誰もが知っている巨大な存在に心を奪われて幾つもの季節を過ごしてきた。



だがこれらの類似品は要らない。いくらキングクリムゾンが好きでも、後発の同じような事をやってるバンドの音で同じ感動を味わえる訳が無い。



中毒患者は効き目の薄いクスリは要らないのだ。「快楽」を求むる欲求はそんな類似品では満たされないのだ。


欲しいのは似たようなフォルムではなくて、等しい域にある「快楽を与える機能」である。



漫画「美味しんぼ」からの引用になるが、「ふぐの白子」の代用品として「たらの白子」を食わされたって、味が劣る分だけ飢餓感はつのるばかり。むしろ「ふぐの白子」と同じくらいの域に達している「子牛の脳みそ」などのほうが「ふぐの白子」を食った時と同じような感動を得られるというもの。



だから年を経て「求めるもの」がはっきりしてくると、無駄なもの、効力の薄いものは摂取しなくていい代わりに、自らの欲求に対してジャストで応えてくれるモノ、しかも自分の中にそれまでには無かったと錯覚させてくれるほど巧妙にキクやつでないと中々満足出来ない。



新しく出会うものにそれがあると本当に生きていてよかったと思う。大げさだがこの世に自分が生かされている気がする。



エイフェックスツインのリズムトラックだけで構成された過激なドリルンベースを聴いたとき、レディオヘッドが突然「エビシ〜ン」とヘロヘロな声で歌いだしたとき、サンボマスターの「今までの過去なんてなかったかのように歌いだすんだ」という叫びを聴いたとき、自分の中にそれまであると気付かなかった「空白」の存在と、その「空白」がその音によっていきなり埋められているという事実に俺は異常に興奮する。



数は少ないけれど確実にまだ俺は「感動」出来る。それはとても嬉しい事だ。



もしも自分の表現活動を行う動機の中に「感動」が無くなってしまったら哀しい。
「否定」と「選択」によって追いつめられて選び取った方法論ながら、やはり「感動」を生み出したいのだ。


まだまだ俺の心を突き動かすものは眠っている、待っている。
それが自分で創り出すものならばもっと嬉しい。
2006年04月28日00:44
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7d716918.jpg 昨日の朝、電車に乗って栃木へ。親戚の叔父が死んだので葬式に行った。


サンボマスターの本をず〜と読み耽っていたのでつい降りる駅に気付かず次で降りてUターン。時間ギリギリだったのでイライラしながら上りを待っていると、横で口を半開きしたジジイが「花が咲いとるなあ」と独り言をボソリ。その言葉でやっと本から顔を上げウォークマンを外し景色を見る。
いい天気、しかも辺鄙な駅だから一面田んぼで確かに何か春らしい花が咲いている。何だか落ち着く。
一昔前のニューミュージックシンガーのぬるい言葉みたいになるからあまり言いたかないけど、田舎の風景ってたまに観ると感動する。


感動はウォークマンの中にも本の上にもあるけど、当たり前に存在している風景の中にもある。


まあ、あまり必要以上に自然にロマンを感じても自然てのは鼻にも引っかけないから淡々と噛み締めるだけにする。


葬式会場には時間ギリギリに間に合ったが、久しぶりに会う親父にいきなり怒られる。
「お前な、大人ってのはもうちょっと余裕を持って行動するんだ」云々カンヌン言われながら背広を着る。久しぶりだったがネクタイの結び方は身体が覚えていてくれた。
それにしても葬式は、と言うか全てのあらゆる儀式ってやつは退屈なもんで、有難いんだか有難くないんだか分らない経を読む坊主の後頭部を観ていたら睡魔が襲ってきてしばしあっちの世界。


納骨等終わって昼食。親父の隣りに座って久々に酒を酌み交わす。男同士だからあまり言葉数は多くないものの、死んだおじさん、つまり親父の兄貴がもういないという事実事はやはり「実に寂しい」と。
親族の集まりとあって次々に酌に来る。ビールとポン酒のチャンポンで、注がれるに任せてハイペースで呑んでいたらかなりハイになり、隣りに居た3歳になるいとこのガキと遊びまくる。
「仮面ライダーブレード」なる人形を持っていたのでこの手のシリーズや円谷プロ関係は相変わらず根強いな〜と思いながら、「いいか、こいつらより強い悪モンがいるんだ。あのな、そいつはジミヘンドリックっつうんだ、ほれ言ってみ、ジミヘンドリックス」「......じみ...へんでぃくす...」「よし覚えとけ」と、英才教育を施す。
最初はこのスキンヘッドの親父に恐れを感じていたが段々慣れてきてほどなくしてすっかり仲良しに。
眉間の皺がますます深く刻まれて相も変わらず沈んだ顔した元俳優のいとこと相身互いなシケた会話をしながらも子供の能天気さと安酒の悪酔いに救われてずっと笑顔の俺。
しかし帰りの車のGに耐えかねてついに嘔吐まちっく。吐く吐く。コンビニで、駅で、新幹線の便所で、各主要ポイントにマーキングをしながらやっと自宅に。最終ポイント自宅便所ででゴール嘔吐。そのままぶっ倒れて寝る。



夜やっと起きてまずはお約束、再リバース@自便所。ふらふらしながら24時間スーパーまで水を買いに。
行き道、サンボマスターが出演したラジオ番組のエアチェックMDを聴く。
サンボが選ぶフェイバリットナンバー100みたいな番組で山口氏はやたらとはしゃいで名曲を紹介する。ほんっっっとうに奴等の選曲は直球、本質を付いた曲ばかりで、ありがちな変な気取りとか、いかにもな通狙いなところが無い。素晴らしい事ですよ!いいもんはいいんだって言える事はとってもとっても素晴らしい事だ!
そこで1位に選んだ曲は遠藤賢司の「不滅の男」。よく知られた名曲だが、実は聴くのは初めてだった。


「頑張れなんて言うなよ、俺はいつだって最高なんだ!」


っていうシャウトがめちゃくちゃカッコいい!ハマりそう。じっくり遠藤賢司を聴いてみようと思いつつ夜道をふらふらしながらチャリをこぎこぎ。もういちどドブ川にマーキング。


翌朝、今日はワイセッツインスタジオ。新曲の練り直し。
その新曲、アレンジ的に今ひとつピンと来なくて煮詰まっていたのだが、ヒョンな事からコンガやタンバリンとかのパーカッション類を入れてみる案を思いつき早速実行。
調子に乗って俺はギターを叩き、キーボードのネエちゃんは缶缶とかスタジオにあったいろんなモノを叩きだす。思いのほかいい感じになって満足。ギターパートにも新たな光(写真参照)が差したような気がする。なんとか早く仕上げなきゃ。


帰りの車でジミヘンの「アメリカ国家」を聴く。堪んねえな。どっからこんな音が出てくんだよ。どんな音が頭ん中でなってんだよ。いつかジミヘンについて書きたいな。折りをみて。


夜再びワイセッツ+ワイセッツコミュ管理人くららさん5名が集合。元ユニコーンの川西ジェット氏と元ジュンスカの宮田ジェット氏のバンド「ジェット機」を代官山UNITへ観に行く。
俺の知ってるあの声とあのドラムの音が相変わらず鳴り、「あ〜これこれ」と思わず懐かしくなってくる。しかも異様にハイテンションなライブで、バブル絶頂の頃、泡沫バンドブーム前夜のアイドルチックながらも実力派ロックバンドがひしめき合っていた頃のアゲアゲな雰囲気がそのまま代官山に現出。う〜ん根深いなこれはと思わず感慨深くなる。



そのあと、お馴染みの二子玉の拉麺屋「濃麻呂」に全員で行く。生ニンニクと辛子高菜と山盛りの青ネギというフル装備、おまけにスープがトロトロになるくらいのすりごま。食った食った。是非皆様にもお勧めな拉麺屋です。



久々の日記なんで身辺雑記みたいになっちゃったけどたまにはいいか。


何か今異様にライブがしたいしたい。ゴールデンウィークのさなか5月2日四谷フォーバレーでやらかします、ワイセッツライブ。時間は19時頃、フォーバレーの24周年記念イベントだそうで熱いバンドがひしめき合う事必至の夜です。是非遊びにきて下さい。でわ。
2006年04月19日23:00
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昨日高田馬場フェイズでライブだった。


3年ぶりくらいに立つステージ、久々のトップバッターっちゅうことで正直プレッシャーはあったものの、そして懸念は的中したものの、でも後で聴いてみると中々いいじゃんっていうライブでした。


来てくれたみなさん有りがと〜。早い時間にもかかわらず多くの人に来てもらって大変感謝しております。


MCでも喋ったけど、当日はミスしたら一個につき1カケの99%カカオのチョコを食う、という罰ゲームを課していた。


ちなみにこのチョコ、明治から出ている代物なんだがまともに食えたもんじゃないっつうぐらいハードコアなお味で、ニガ〜!と思わず叫んだ後周りを確認してしまう?くらいのブラッキーなお味で、思わずパッケージ逆さに持って66%だよって言って騙して食わせたくなるような少年ぽいイタズラ心が久々に芽生えてしまうようなお味なんだよ!



まあ結局、ホントにミスの数ぶん食ってたら腹を下すのは必至て言うくらいミスしちゃったけどまあいいや、えへ。



終わった後、疲れでフラフラしながらも来てくれたお客さんと話をしてたらあっという間に時間が経ってしまいいつしか終演時間に。
そしたら出番終わった後、ず〜と居なかったウチのキーボードが少々酩酊しながらフラフラ戻ってきやがった。近くの居酒屋で友人と呑んでたんだとよ。合流して以降終始ニコニコしてやがる。このやらう!


メンバー全員で帰りの車ん中でさんざんイビリながら一路ラーメン屋へ。
俺は高田馬場でどーしても「ぶぶか」って言うラーメン食いたかったんだが色々してて無理だったので、二子玉川のブッ「鵠麻呂」へ。
久々に食ったがやはりうまい!生にんにくブチ込んで辛子高菜もブッ込んで替え玉したらもう満足。疲れも吹っ飛んだ、と思ったら翌朝つまり今日、思いっきり疲れが残ってたんで今日一日ローテンション。
やっぱライブの翌日いきなり実生活に戻ると虚脱感がより強調されて中々ヘビーでんな。まあ次回はゴールデンウィーク中ですんでライブ後は反省内省のためにゆっくりしよう。



そう!次回は四谷フォーバレーでライブ!5月2日、時間は19時過ぎからです。また告知しまっす!
5f94c5ff.jpg 「無気力」に体中が支配される事がある。


そんな時ふと取り出してみた漫画「迷走王ボーダー」。
また再び一気に読み倒してしまった。

この漫画は俺にとってはバイブルのようなもんだ。高校生の頃読んで以来、未だに読むたびにアドレナリンがみなぎる。色褪せない。


この作品は狩撫麻礼(劇画原作者)とたなか亜希夫(漫画家)のコンビによる名作で、1986年に連載開始して1989年に連載終了している全14巻からなる長編である。
まさに80年代後半のバブル最盛期に登場した時代の徒花的な作品で、当然俺はリアルタイムでは知らない作品だ。
たまたま高校の時の同級生が進めてきたので読んだらズッポリハマってしまった。長らく絶版だったが何年か前にやっと待望の復刻版が出たので今は楽に入手出来る。



漫画の内容を文章で説明する事程徒労なものは無いが少し解説するなら、


「無気力」「情熱」「叙情」「殺伐」「ギャグ」「ロマン」「阿呆」「思想」「性欲」「ロック」「ボクシング」「金儲け」「暴力」「ギャンブル」「女」「反骨」「孤独」「哀しさ」といったあらゆる「男性原理」を過激に描き切った、滅茶苦茶笑えて感動出来る傑作漫画なのである。


特に一番テンションが上がるのが、主人公が手に入れた五億円の
金を元手に、解散したボブマーリーのバンド「ウェイラーズ」を日本に呼んで彼等をバックに東京ドームで歌うという場面。この漫画の思想がもっと筆致高く描かれる場面だ。引用すると、



聴こえるか 俺の声が!?

今 この瞬間こそが 時代の転換期...

何かが飽和点に達し

未知の時が始まる...

若者が...ブルーハーツがその事を

俺に知らせてくれた

俺は恥っさらしのボーダー

現在は まだ目に見えない

官能的で根源的な

ある秩序の使徒なのだ

いつの日か多数者も深層の

時間の流れ...「共時性」について

...「契機」について...

気付くだろう

俺は決してギブアップしない

「あちら側」は馴れ合いの利益共同体に過ぎない

どちらが正しい「意思」を持てるか明白だろう!?

お前は病気のハ虫類だ

蛇よ 相応しいスケベな人間しかダマせやしねえぜ

おまえの「毒」よりも

俺の「情熱」のほうが濃い!!

決してギブアップするな

そうだ起ち上がれ

GET UP STAND UP!!

黒人音楽の「魂」は連綿と続く

俺がボブ・マーレーから受け取ったバトンを

今夜 誰かに渡したぞ

さあ 次はおまえだ!!



このアジテーションがまるまる7ページを使って、主人公がボブ・マーレーの「LIVELY UP YOURSELF」「NO WOMAN NO CRY」「I SHOT THE SHERIFF」「GET UP STAND UP」を歌うシーンで吐かれるワケである。


そりゃあ盛り上がるわ、俺みたいなヤツにとっては堪らん訳よ。初めて漫画から音楽が流れてくる体験をした。
まあ、この場でここだけ引用したって解らない人が殆どだろうけど、とにかく熱量がここで異様なまでにグッと上がるんだよ。



狩撫麻礼原作の漫画は殆ど集めたが、結構説教臭くてただひたすら暗くてノーフューチャーなヤツもあったりするが、この「ボーダー」は奇跡的に他のどんな作品よりも深くてポップな作品である。


結局この漫画から受けた影響を引きずったまんまずっと音楽を作り続けて行くんだろうな、俺は。勿論説教クセエなとか、今時こんな事いっても始まらんぜとか突っ込めるところはあるけれど、やっぱりここからの影響は消せない。逃れられない。


この漫画を少しでも多くの人に読んでほしいと思う。誰にでも分るし、好き嫌いがはっきりする作品だと思う。昨今こんなにも性格のはっきりした漫画はそうそう無い。



で、ここらでライブ告知を一つ。今度の火曜日4月18日、高田馬場フェイズでワイセッツのライブをまたやらかします。時間は18時半から。出番は初っ端。久しぶりだ、こんなに早いの。
ま、とにかく迷走王ワイセッツのボーダーライン(境界線上)を行くような無気力ハイテンションライブを是非堪能しにきて下さい。

2006年04月14日13:17
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昨日はワイセッツのライブだった。


昨日もトリだったんだけれど,いつにも増して濃ゆい対バンだったせいか、俺らの出番になる頃には結構お疲れ気味だったかもしれない、俺もお客さんも。


でもまあ始まりゃいつもの俺ら。新曲中心のセットリストで前半ポップに、後半カオスにっていう流れでブチかましたよ。
いきなりど頭のドラムフィルでスッ転んでくれたけどいい感じで「ライブ」してたな、皆。昨日は個人的にもハッタリギターだけじゃなくて歌をのびのび歌えたライブだった。気持ちよかった。ただまあ行きのクルマで小林旭を聴いたせいか若干シャープ気味だったかなあ...。旭のシャープ具合は半端じゃねーよ。伝染するもん。


あ、最近はカルトな音楽玄人の人達だけじゃなく「ワイセッツのお客さん」と呼べる方々も毎回来てくれるからとっても嬉しい。他のバンドのサポートやったり、ブログやったり、オーディオリーフやジョージショップといったネット配信やったり、色々露出多くしてます、ワイセッツ。でももっと露出狂にならなきゃね。


次のライブは4月18日、高田馬場フェイズで出番は今度は初っ端、時間は18時半でございます。早い時間だけどまあ、時間がある方は遊びにきて下さいな。


ba25bc2e.jpg 最近エレファントカシマシとウルフルズというベテランバンドの新譜がちょうど同じ時期に出た。


ウルフルズの方はまだ聴けてないんだが、エレファントカシマシの最新作「町を見下ろす丘」は聴いた。


今回は久々の佐久間正英氏がプロデューサーという事で、あのエレカシが売れてた頃の感触が戻ってくるんではないかという期待があったんだが、そういった期待はかわされてしまった。
正直最初はピンと来なかった。しかしじっくり聴くうちにこれは素晴らしい作品じゃないかと思えるようになった。
前々作の「扉」という作品があまりに素晴らしかったのだけれど、その作品にあった「今現在の等身大の自分を受け入れ、気負う訳でもなく自嘲する訳でもなく素直に高邁な思想をぶち上げる」といった姿勢がよりポップなアウトプットで表現された作品だと思うのだ、今作は。
しかもまだまだ開けて行く余地がありエレカシの持っている一番大衆的な路線への道筋が見えるという意味では、ここ十年での最重要作ではないかとも思う。


この二つのバンドのリーダー、宮本浩次とトータス松本とい
う暴走し苦悩する天才のインタビューが雑誌に載っていたので興味深く読んだ。


この二つのバンド、奇妙に符合するところがある。


リーダーの才気と理想があまりに強烈で先走り過ぎていて他のメンバーが付いて来れないこと。

メンバーが萎縮してしまうような雰囲気をリーダーが創り出してしまう事。

それによってますますワンマンバンドかが進んで行ってしまうこと。

バンドの必要性を誰よりも感じていながらも、ソロでやったらええやんと言われがちなキャラクターを持っている事。


その二つのバンドがここにきて素晴らしいアルバムを作ってくれた。決して順風満帆ではなかったここ十年間を経たこのふたつのバンドが今後どうなって行くか非常に興味が持てるのが個人的に凄く嬉しい。ウルフルズ早く聴かなきゃ。あ、そういえばサンボマスターの新作も早く聴かねば。


世の中いろんなバンドが数あるように、リーダーの組織論も同じだけある。


例えばキングクリムゾンのロバートフリップやフランクザッパ、マイルスデイヴィスのようにメンバー個人個人のプレイヤビリティーを尊重しつつも、どんな時期のメンバー構成だろうと音を聴けばリーダーの生理が反映された音作りをするというタイプ。おまけにメンバーの人事移動権を完全に掌握しているという胃にくるような人間。


これはJBのような徹底した独裁制とはまた違った意味でタチ悪い。勿論音楽的には充実したものが作れたりもするがバンドを維持するという意味に於いては中々辛いものがあるし、下手すりゃ本人の健康を蝕んでしまう事もある。
個人的にはこういう底意地の悪い完全主義者には憧れるし、知らず知らずのうちに自らもそういう方向に進んで行ってるところもあるかもしれない。
ただメンバーが萎縮するような環境を創り出したくはないなあ。俺自身周りに萎縮して音楽を作っていた時期があっただけに、そういう状況ではいいもんは中々出てこないのはよ〜う知っている。
かといって仲良しこよしでぬるいまんま認め合って妥協し合っての音楽制作も下らない。当たり前だが。


う〜ん難しい。自分のイメージに近づけたいという作家としての欲求もありながら、其れを行使し過ぎてもバンドで作る意義がないし、そういった必然性の無さが何より音に如実に現れる。


レッドツェッペリンというバンドの在り方はそういう意味では理想と言えるのではなかろうか。まああくまで私見だが。


あのバンドはジミーペイジと言う経験値豊富な策士が、ロバートプラントとジョンボーナムという野蛮人二人を暴れさせる土壌を作り、彼等に合わせて自分も暴走しておいて、おいしいところはしっかりとかっさらい、同じように経験値豊富でありながら自己顕示欲のあまりないジョンポールジョーンズに手綱を引かせてバランスをとっていたように見える。繰り返すがあくまで私見である。
ま、この方法論はむしろ異例中の異例であり参考にはならんが。


う〜ん考えれば考えるほど何だか難しくなってきた。

2006年04月09日06:47
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13ca65c3.jpg 今日スタジオで見たアホなポスターを見かけた。(写真参照)


何でも今年はビートルズが来日して40周年なので大人のアマチュアビートルズコピーバンド大会をやってしまおうと。しかもビートルズが記者会見した「真珠の間」でライブ!そしてベストバンド賞としてビートルズが泊まったスイートルームに宿泊!と言う餌で大人を釣ってしまおうと言う企画。どこがこんな事企画したんだと思ったらあらまあよく知ってる会社YしろまるMしろまるHしろまる


ま、とにかく今年はビートルズ来日40周年らしい。


ビートルズは1966年6月29日にやって来た。そして5回ほど日本武道館でライブをやって帰っていった。


このビートルズの来日公演のビデオと言うのが存在する。俺が小学生の頃、なにかのビートルズ本でその映像の存在を知りも〜う観たくて観たくてキチガイのようになっていろいろ探しまわった。でもどこのレコード屋に言っても「廃盤で取り扱ってません」の一点張り。小さいなりにも思いは募るばかりよ。ところがひょんなことから友達の親父の知り合いがそのビデオをもっていると言う事を知りしつこくしつこくダビングしてくれと口説きまくってたら何ヶ月かたってやっと観ることができた。


まあ動くビートルズがしかもカラーで観れちゃうんだからそりゃ興奮したよ。4人のアイドルルックス的にも最高の時(の末期)だし。
だけどあれ?とも思った。なんだか演奏が鈍重であんまりノリが良くない。俺の知ってるビートルズってこんなんだっけ?


ジョンの歌い方はけだるそうでピッチも上がりきってないし、ジョージの歌とあまりにも外れてコーラスはかなりバラバラ、リンゴはず〜と不貞腐れてまともなオカズも叩かずひたすらビートを刻んでるだけだし、ジョージはやたらと手を振ったりして黄色い歓声を浴びてるけど自分の歌の音程は外れまくるわ肝心のギターの音が濁ってクリアに聞こえないし、張り切ってんのはポールだけと言う状態。
まあこの日は日本でのライブ一発目で明らかにリハ不足、おまけにマイクの状態も悪く音響も良くなかったらしいが、それにしてもえらくやる気のない演奏だ、今聴くと。


よく知られてることだがビートルズはこの年の8月でライブ活動をやめてしまう。


当時のビートルズ人気は俺らには想像出来ないくらいキチガイじみていたらしく、どこの国に行っても女の子の黄色い絶叫がコンサート会場を包み、ステージ上にいても自分の声や音が聴き取れない状態だったらしい。
何せモニターもなければPAもない環境で何万人の前に立たされ演奏しろって言われたって今の感覚なら途方に暮れてしまう。


世界で最初に球場コンサートをやったのもビートルズなのだが、その時の映像を見るとほんとにとんでもない環境でやっているのが分かる。普通のリハスタに置いてあるくらいのアンプを各人一個づつ使い、それに何本かマイクを立てて拾い、それを球場の場内アナウンス用のスピーカーから流す!!と言う荒技で「球場コンサート」オッケー!?
そして球場だからまさにサラウンド状態で女の子のまき散らす絶叫が飽和状態になりグランドの真ん中にいるビートルズに襲いくる!
しかしビートルズはめちゃくちゃ興奮して楽しそうにしかもめちゃグルーヴィーに演奏している!ジョンに至ってはドラッグで頭満開の状態、オルガンにひじグリッサンドを決めまくり踊ってる。そしてライブが終わったら護送車で移動。まさに狂気の沙汰でえNight。そりゃ神経すり減るわ。


と言うことで1966年8月、ついにビートルズはライブをやめてしまう。この当時、ビートルズのようなアイドルロックバンドがコンサート活動をやめると言うのはほぼ自殺行為だった。何せMTVも何もない時代である。コンサートで営業してレコードを売ると言うのが一番効果的な宣伝方法であり活動手段であった。


しかし1966年に発表されたビートルズのアルバム「リボルバー」に象徴されるように当時のビートルズの向かっていた創作のベクトルは完全にスタジオ志向であり、そのアルバムの楽曲は当時のライブテクノロジーでは再現不可能であったようだ。だからビートルズがライブをやめてしまうのは必定だったのだ。


そしてビートルズがスタジオに籠りだしたこの年にクリーム、ジミヘンドリックエクスペリエンスといったアンプをフルボリュームにして歪んだ音を出す轟音ロックバンドが出現し、ライブ会場における音響システムの発展、PAシステムの開発を余儀なくされることになる。


と言うのがロックの歴史本によく書かれてある。1966年てロック史においてはめちゃくちゃ重要な年だったんだよなあと改めて思う。まあ殆どの人にとってはどうでもいいやね。


しかしこの「リボルバー」と言う作品。素晴らしすぎる。いつ聴いても最初に聴いた時の乾いた感触、陰でも陽でもない独特の世界観、テンション張りつめた質感が伝わってくる。
歌詞やメロディーだけでなく、アレンジや音作りや空気感までもがこの時期のビートルズの爆発する創作衝動とある種の厭世観を表現しきっていてまさにコンセプチャルなアルバム。しかも「トゥモロウネバーノウズ」から「イエローサブマリン」まで楽曲はバラエティに富みまくっているし、エレキ仕掛けのおもちゃのような歪んだ音像がサイケ時代到来を予感させる所も流石としか言いようがない。これが40年前に作られたのである。恐ろしい......。


恐ろしいと言えば、ビートルズが来日した時点ではこのアルバム発売はされていないものの、もう音は出来上がっていたので日本に持って来ていたらしい。そしてなんと!その当時のトップスターである加山雄三が自分のレコードを持ってビートルズを訪ねていき、スイートルームの中で日英トップスターによる最新作対決が行われたようだ。何てことを!ジョンとポールは加山雄三の曲を聴いてどんなことを思ったんだろうとか?想像すると床をのたうち回りたくなってくるのでやめよう。いや加山雄三は加山雄三でいいんだけどね......。


今年は何メディアでも何でもいいけど来日40周年記念で盛り上がるんだろうか?俺としては何よりも期待したいのは今出てるデキの悪い6月29日のテイクじゃなくて7月1日のいい演奏テイクのDVDを出して欲しいんだよ。世界中のマニアが待ち望んでいるブツなんだよ!海賊盤で持ってるけど明らかに歌も演奏も音色もテンションもいいもんね。何で出来の悪い方が正規に発売されてんだかよう分からん。アップル〜!頼むよ。どうでもいいベスト盤なんか出さんでいいからそういう重要アイテムを出してくれよ。


マニアックな内容ですいませんね。
2006年04月01日12:51
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bc3858a0.jpg 今日はエイプリルフールらしい。いきなり騙されてしまった。



昔大学時代、エイプリルフールに阿呆な同級生が俺のこれまた阿呆な同級生に「お前のアパート火事になってるよ〜エへへへ」とかなんとかどうでもいいことを抜かしてたので、そいつの後ろに回ってケツにライターで火をつけてみた。案の定「俺が火事になるやん〜シャレにならんって」とかなんとか薄ら寒いリアクションをしたんで「イヤ別に4月馬鹿とかじゃなくて単に馬鹿なお前を燃やしたいんだよ」とか言って火をつけ続けてしまいには引かれた、というほほえましい思い出がよみがえる。その時俺の頭には「トムとジェリー」のアニメが流れていたとかいないとか......。



しかしこのエイプリルフールに産まれた人はもう存在自体が嘘くさくて、かわいそうだよねえ。その人に罪は無いが何か人生を通じて常にボケを期待されそうで......。
よし!逆の発想にしよう。俺の周りの嘘くさい人は全部4月1日生まれだと思うことにしよう。あの人もあの人もあの人も......・



もし今日たまたまプロポーズしてしまって、しかもそれを受けてしまったらずっと不安だろうなあ。えらく長〜〜いタームのボケをかまされてるようで。死ぬ間際に「うっそんよね〜」とか言って事切れるのもまたイト犯し。



それにしても俺は嘘がつけないタチだ。すぐ顔に出る。絶対浮気したらバレる。嘘を正直にぶっちゃける瞬間の便秘が解消されたような快感がいいのかもしれんなあ。


ドッキリみたいな事も出来ない。すぐばらす。後でばらして笑える嘘ならぜひとも巧妙についてみたいもんだ。すっごいドッキリを成功させたい。笑えつつもトラウマになるような深いヤツ。何か無いかなあ。今日やったらすぐバレるから、日をあらためて何か仕込もう。


エイプリルフールというバンドが日本にはいた。後に「はっぴいえんど」を結成する細野晴臣氏と松本隆氏と後にソロで活躍する小坂忠氏が在籍したバンドだ。
細野さんとエイプリルフールって何か妙にイメージがぴったりと合う。
音楽史に残した偉大な功績と本人のパブリックな軽〜いパーソナリティの落差が何だとってもエイプリルフール。


細野氏は兎に角バンド名を考えるのが好きだったようで、はっぴいえんど時代も移動中とかにバンド名を考えてノートにとっていたら鈴木茂氏が「細野さん何書いてんの?」と聞いたら「ん?僕が次にやるバンドの名前」としらっと答えたそうだ。愕然とした鈴木氏は「この人について行くのはやめよう」と思ったらしい。その後現在に至るまでその関係がずっと続いてるのは周知の通り。


飯を作らにゃならんので終わり。
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