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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2009年01月

2009年01月29日08:03
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梅図かずお氏の自宅に関する近隣住民の請求が棄却される。


最近では数少ない良いニュースだ。


当たり前の結果だしザマぁみやがれとは思う。

そもそもこの訴えを起こした二人というのはどうやら近隣住民というのは真っ赤な偽り、2キロも離れた場所に住む連中だそうな。そいつらが近隣の景観を壊すだのナンだのとイチャモンつけて金をせしめようとしたらしい。ヤカラだよそれじゃあ。



拡大解釈かとは思うけど、つい最近youtubeで観た手塚治虫の生涯の中の「悪書追放運動」を連想した。
まだマンガがポンチ絵と呼ばれ蔑まれていた頃、PTAの糞婆ぁ供が手塚治虫氏と担当を呼び付けて、やれ俗悪だの荒唐無稽だ子供に悪影響を及ぼすだのと吊し上げしたらしい。しかしその馬鹿供は、ロボットが人間の言葉を喋っているのはおかしい、ある場面の描写が性的に露骨だとかいった風評だけで手塚を俗悪と決め付け、またラジオで聞いただけの「赤胴鈴之助」をいいマンガの見本で挙げるなど、実際のマンガを読まずに印象だけで、人が子供のために真剣に取り込んでいる仕事を一方的に否定したり無責任に肯定したりしてる。
所謂今のクレーマーと同じだし、今回の楳図かずお氏を訴えた阿呆プロ市民とも同じ様な構造だと思う。いや、金取ろうとしてる分だけ質が悪いか。


既にテレビなどで報道されているけど、阿呆が大挙して記念撮影とか行かねばいいけど...。楳図さんもこれ以上騒がれたらそれこそ近隣住民に気を使うだろうし。
しつこいリポーター相手にもニコニコと返答している楳図さんを見ていると、この世にも稀な偉人奇人をもっといたわろうよと思った。

2009年01月26日00:34
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26421f1b.JPG 友人のバンド「捻転時計」のライブを観に行って来た。



このバンドは結構長い付き合いになるし、いいライブは何度となく観ているが、今日のライブは改めて楽曲の良さを確認出来るライブだった。



一番最初に出合った時の衝撃はほぼ100%ギターの異常なかっこよさだったが、最近は宗旨変えしたのか、反則技とも言えるような爆音ギターを割と抑え、いいバランスで全ての楽器を配置し、かなり練られたアレンジが施されていて、より楽曲の良さで勝負するスタイルになっている。



さてここで言う「いい曲」と言うのはヒット性があって、皆が薄ら寒い大合唱している姿が目に浮かぶ様な曲ではない。
甚だ個人的な感覚だが、いい曲ってのは作家の生理がちゃんと繁栄されていて、こっちの内面に優しく忍び込んでくる様な楽曲の事だと思う。
あとちゃんと自らのルーツと地続きでいながらそこから跳躍しようとする気配がある楽曲。それを作れる人は中々少ない。
このバンドの曲を作曲している山崎怠雅氏はそのタイプの人だ。本人に言質を取ったわけではないので責任は持てないが、彼と俺はルーツが近いんで確信に近い形でそう感じる。彼は自らの趣味性に絡めとられてしまって他人の曲だか自分の曲だか分からないような状態には意地でもなりたくないはずだ。と言うかそうはなりたくねぇ、という自意識が伝わって来て非常にシンパシーを感じる。決してパッと聞きでとっつきやすいタイプの楽曲ではないけど、独特のひんやりとした感触の詩曲と、それを表現するコードプログレッションはかなりレベルが高いと思う。あと、唐突に突入するレッドゾーンを呼び込む構成も巧みだ。



天から曲が降ってくるのを待つタイプや、感じるまま気持ちの赴くまま作るのもそれはそれで凄いが、俺の個人的な経験から言うとちゃんと裏付けと意図があって作る方が、かえって意図せぬマジックを呼び込みやすいと思うし、色んな逡巡が背景に見え隠れする楽曲の方が好きだ。



繰り返すけど、この話はごくごく個人的な見解だし非常に微妙な話なんで、これを明確な形で他人に伝えるのは不可能なんでやらないけど、俺が敬意を払っているソングライターは皆そんなタイプだと勝手に思っている。



捻転時計は六月にワンマンライブをやるらしいんで、このいいバランスを保持しながらも、かつての「無茶さ加減」も織り交ぜてカオスを生み出して欲しい。演奏力の高いバンドなんで、少々ギタリストが無茶やらかしても大丈夫だと思う。



そういや今日電車であの天才:楳図かずお氏に遭遇したなぁ。年末放送されたガキの使いの「笑ってはいけない新聞社」で、楳図かずおの葬式をやっていて息が止まる程笑ったが、生で見ることが出来てなんか縁起がいい。



と思ったら朝青龍が優勝してた。いや〜良かった良かった。相撲協会の連中が眉をひそめる様な力士だ。そりゃあ応援するでしょう。
2009年01月24日09:46
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c5c1d653.jpg 最近聞いたで嬉しかったのはユニコーンの再結成ニュースだ。



最近はジュンスカの再結成なんかもあったし、あのバンドブームの頃のバンドのリバイバルが今のブームだからな〜、と最初は平熱だったんだけど、なんとフルアルバムを作って再結成してしまったという情報が入ってきてからは俄然温度が上がった。これはユニコーンならではだと思ったし、単に懐メロライブやって終わりじゃあユニコーン再結成の必然性が無いもんね。う〜んアルバムが楽しみだ。インタビュー読む限りではまさにあのユニコーン!でありながらちゃんと今の音になっているという。
今回の地味変をパロッたアー写といい「蘇る勤労」というツアータイトルといい、あのユニコーンの人をナメた感覚というのは健在で嬉しくなった。



ユニコーンはライブにおけるエンターテイメント性も、スタジオ録音における実験性も当時のバンドの中では群を抜いていたと思うし、独特の笑いの感覚を持っていた、日本では珍しいバンドだった。



楽曲の素晴らしさ、遊び心、技術的には高度ながらもどこかアマチュアリズムを残す演奏スタイル、どれもこれも敢えて言うならビートルズ的な魅力にあふれていた。ミーハーな女の子ファンも多数いたし。



だがセールスは決して爆発的というわけではなかった。
ユニコーンは俺が中学生の頃(つまり17〜18年前、...うわ!)に全盛期を迎えていたけれど、その頃ですらミリオンなんて程遠い、30万枚規模の売り上げだったように記憶している。
それでもこういったバンドがその規模のセールスを記録するのは日本ではなかなか無いことだし、俺ら世代のある特定の周波数を持つ人間にはビートルズ級の影響を残しているバンドだ。



特にラスト二枚のアルバム「ヒゲとボイン」と「スプリングマン」は、当時の浮かれたバンドブームに乗っかってユニコーンを聴いていたミーハー共を一蹴するようなマニアックな実験性が溢れていて、いまだに聴くことのあるアルバムだ。



当時のバンドブームの頃、多くのバンドが出てきてはいつの間にか解散したり消えて行ったりした。



ユニコーンには奥田民生という偉人が現役バリバリで活躍したせいもあって、忘却の彼方にに消えてしまうことなく、常に名前の挙がる機会の多かったバンドだ。だから今回の再結成にしても意外と違和感が無いし、むしろ素直に楽しめる。
特に人間関係的に最悪になって解散したわけではなく、音楽的モチベーションが無くなって自然と人間関係も消えたようなドライなバンドだったから、変なドラマ性など関係なく音楽として楽しめる再結成だと思う。



だからその対極として、「ザ・ブルーハーツ」は何があっても絶対再結成しないだろうな。俺らの世代にとってあまりにも重要な意味を持っていた、なおかつあの時代だったからこそあれほど状況に重く突き刺さったバンドだったからこそ、時を経て再生されることなどありえない。と思いたい。



世界的にブームとなった「再結成」もあらかた終わったし、映画界のリバイバルも悲しい状況だし、そろそろ「新しいオリジナル」が隆盛にならなきゃウソだ。

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性懲りもなく買ってしまった「ジミー・ペイジ ギタリスト飛龍力50年」なるツェッペリン本(最近出版されたものらしい)を読んでいて、これまた性懲りもなく年に何度もあるツェッペリン研究期に入っている。



この本、ジミー・ペイジ本人や関係者各位の発言が頻繁にインサートされながらヒストリーが進むので、画期的に分かりやすい内容になっているが、改めてヒストリーを追ってみて感じたのは、レッド・ツェッペリンというバンドは、実にハードロックだったんだなぁという事。ジミー・ペイジファンが聞いたら噴飯ものの結論だし、彼等が提示した楽曲を聴けばそれが単なるハードロックというジャンルでは括れない事は百も承知だ。


しかし彼等は圧倒的に優秀なハードロックバンドであったがゆえに、ハードロックを超越する唯一無二の音楽性を獲得出来たのだと思う。



今さらながら言うのもなんだが、デビュー当時の彼等が放出していたエネルギーの総量たるや凄まじい。
単に音の馬鹿でかいガレージバンドや、無秩序で演奏が長いだけのサイケバンドなど霞んでしまうくらいの総合力とエネルギーを誇っていた。
最初期、まだバンドが無名の頃のツアーでは多くのバンドの前座をつとめたらしいが、どの会場でもメインアクトを食ってしまうほどの圧倒的なライブパフォーマンスを繰り広げ、いつしかヘッドライナーになっていたという。1stアルバムが出る前後のライブを収めた海賊盤がいくつか存在するが、後年のようなこなれ方は無いものの、昇り調子の破格なパワーで会場を圧している様子は、劣悪な録音の彼方からでも伝わってくる。ましてや正規盤の「BBCセッション」の1969年の音源や、1970年のロイヤルアルバートホールでのライブを収めた映像からは、よりハッキリとバンドの持つ圧倒的な「肉体性」が伝わってきて、つくづくロックとは肉食獣の音楽だと痛感してしまう。


司祭としてのジミー・ペイジの強烈なカリスマ性と、激烈ながら緻密に構築されたギターワークや、白人としては破格にファンキーながらも「つなぎ」としての完璧なプレイに徹していたジョン・ポール・ジョーンズの「キャリア組」二人も凄いが、何より圧巻なのはプロとしては新人の二人、ロバート・プラントとジョン・ボーナムの「野獣組」だろう。
デルタブルースの猥雑さと情感を爆発させながら、殆ど天井知らずと思えるような人間離れしたハイトーンを縦横無尽に繰り広げるプラントと、セミプロ時代の頃は、そのあまりにもラウドすぎるプレイが周りのバンド仲間から嫌がられたというほど全身全霊を使って叩きながら、同時に驚くほど技巧的で繊細なフレーズも繰り出してくるという脅威のドラマー、ジョン・ボーナム。この二人、まるで陽の当たらなかったセミプロ時代の怨念を晴らすかのような「解き放たれた野獣」状態で、脅威の肉体性を誇示している。



この最強の布陣がその肉体性を駆使して、文字通りの「ハードロック」を鳴らしていたのはデビューから二年の間、1970年くらいまでだ。その間殆ど休み無しでツアーに明け暮れ、ドラッグとアルコールとグルーピーに纏わるありとあらゆる悪業に明け暮れ、ハードロックの古典とも言える二枚のアルバムを作った後、長い休暇に入る。
この頃からツェッペリンの影響下にある多くの亜流ハードロックバンドが発生するのだが、当のツェッペリンのメインソングライターのジミー・ペイジとロバート・プラントはその間、電気も通わぬ山小屋に籠ってアコースティックギター主体の楽曲を数多く生み出している。
それらの楽曲は、1stと2ndによって沸騰したハードロック中毒患者を絶望の底に叩き落とすことになる3rdアルバムの主軸を成すことになるのだが、元々バンドの結成当初の段階ではバンドの方向性をハードロック路線にするかフォーク路線にするか真剣に話し合ったほど、アコースティック的な資質を内包していたバンドだったし、初期二枚のアルバムにもアコースティックギターは隠し味としては重要な要素となっている。
が、3rdアルバムにおいては半数以上の楽曲がアコースティック主体のサウンドになり、しかも単にフォーク路線の楽曲が増えたという変化だけではなく、彼等の看板であるハードロックナンバーにまでも重要な地殻変動を及ぼしている。
それまでのメロディアスな単音リフ主体によるハードロックや、粘着質で情動的なブルースの要素が希薄になり、より技巧的で複雑なリズムから派生する奇妙なグルーヴを生み出すようになる。このアルバムの代表的なハードロックナンバーである「移民の歌」も、基本となるリフは引っ掛かりの多いつんのめるようなリズムを持っているが、それを驚異的なしなりを持つボンゾのキックドラムとプラントの勇壮な雄叫びによって強引に疾走感あるハードロックに仕立てている。この時代はまだ、ジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズの生み出すひねくれたリフも、力技でしなやかなハードロックに変えてしまう「肉体性」がバンド全体にあったし、その潜在的な基礎体力に自ら挑戦するかのように様々な音楽ジャンルをその体内に取り込んで行く。
その結果、この時期発表されたアルバム「Ⅳ」と「聖なる館」には直線的なハードロックナンバーは殆ど姿を消し、複雑な構造を持つ楽曲が増え、リズムやサウンドのバリエーションも多様化していった。
それでもライブにおいてはそれらの楽曲も、彼等の無尽蔵のエネルギーがハードロックに変えていった。そのいい例が「ブラック・ドッグ」であり「丘を越えて」であり「オーシャン」であり「天国への階段」である。


しかし1972年あたりをピークにその「肉体性」に衰えが顕れ始め、特にロバートプラントの声帯の衰えは歯止めが利かなくなってくる。
独学で身に付けた歌唱方によって長年フルパワーでシャウトし続けたツケが回って来たせいもあるが、ツアー中の荒れた生活も多分に影響しているだろう。また1975年には家族を巻込む大事故を起こし、自身の足にも深刻な後遺症を残す。更に1977年には病気で息子を亡くすという悲劇もあり、音楽やバンドに対するモチベーションに深刻な影響をもたらす。
過酷なツアースケジュール、そのストレスを解消するためのドラッグや、飽く事無く続くグルーピーとの乱交などによって徐々に体は蝕まれ、またツアースタッフやメンバーによる暴力事件なども頻発し、ツェッペリンの行くところトラブルありというような状態になる。
そんな状況にジョンポールジョーンズは嫌気が差し、一時は脱退も考える。
ジミー・ペイジはヘロイン中毒が悪化し、ステージ以外ではスタッフに抱えられなければまともに移動出来ない時期もあったらしい。
一番のトラブルメーカーであるボンゾも、その蛮行の要因は、長らく家族と離れなければならない寂しさからくるものだったらしい。



そんなセックス、ドラッグ、ロックンロールという、まさに「ハードロック」的ライフスタイルのツケがどっと回ってきたのが1975年あたりから。
精神的ストレスと肉体疲労によって、確実に初期の破天荒なエネルギーは失われていったが、普通のハードロックバンドにとって、その「肉体性」の衰えはそのままバンド自体の凋落に直結するが、ツェッペリンはそうはならなかった。むしろその異質な独自性を本格的に現し始めたのは実はこの辺りからなのだ。
この時期に発表された「フィジカル・グラフィティ」と「プレゼンス」には、他に類を見ない異様なフォルムを持った楽曲が数多く並んでいる。
いわゆるハイトーンシャウトや叙情的なギターソロ、大仰な構成といった、ツェッペリンが先鞭をつけ多くの亜流を生んだ所謂「ハードロックの様式美」は無くなり、表層的で発散的なハードネスをはぎ取り、むき出しの本質的なエネルギーと、揺るぎない音楽の「存在」そのものを追求したような楽曲に向かっている。まるで異様な形をした巨大なオブジェが一心不乱に突進して来るような、根拠不明な暴力性を感じさせる楽曲の数々。「アキレス最後の戦い」「ワントン・ソング」「俺の罪」「カシミール」「死にかけて」「シック・アゲイン」など、80年代以降のヘビメタルキッズがハードロック的カタルシスを求めて手を出しても、拍子抜けするような凄まじく異様な楽曲が並んでいる。ザマァみやがれ!



また例によってその異様さはライブでより顕著になる。この時期のライブは海賊盤で多く出ており、また何よりも正規盤のDVDでも確認することが出来る。1975年のアールズコートでのライブと1979年のネブワースでのライブだ。
一連の悲劇以来すっかりクリーンな生活に改めたロバートプラントのヴォーカルからは、中性的な艶っぽさやブルース的感情表現力が乏しくなり、より直線的で楽器的要素を強めている。
バンド内脇役に徹するだけでは飽きたらなくなったジョン・ポール・ジョーンズは、ベースよりもキーボードに向かう事の方が増え、またベースのサウンドもかつてのしなりのあるファンキーさから、よりトレブリーで硬質な感触を強調するサウンドになっている。
体格もマッチョになったこの二人の「クリーン組」と反比例して、「ジャンキー組」二人、異様にやせ細ったジミーペイジと巨大化したボンゾは、ますます自分勝手に暴走し始めるのだ。
手のつけられない程のヘロイン中毒だったペイジのギターは、フレーズもリズムも明らかに不安定になり、音作りも粘り気のないガリガリとした幼稚なものになっている。
そこへ持って来てアル中のボンゾのグルーヴは、ますます自分勝手にモタったり走ったりするようになる。初期の頃から比較的走りやすいドラマーだったが、この時期のボンゾの異様なBPM感覚は、このバンドの構造の異様さに拍車をかけている。
ライブによってはボンゾとジミーペイジ二人だけでライブが進んでいるような錯覚を覚える瞬間もある程、この暴走コンビの相性の良さは突出しており、それを証明するようなトラックが実は正規盤にある。個人的には今のところのボンゾのベストトラックだ。少々マニアックだが、例の2枚組ライブDVDの二枚目のメニュー画面の「Interviews and Promos」をクリックして、次の画面に出てくる「Promos」をクリックしたら流れてくる「永遠の詩」だ。まさにブッ壊れたマシーンを人力で表現したらこうなるという見本のような壮絶なドラミング。元々の曲自体が3分の2はギターパートという異常な曲だが、殆どギターソロとドラムソロだけで出来上がっている様な凄まじいテイクだ。このDVD持っている人は是非聴いてみて欲しい。



結論。つまりはハードロック的なライフスタイルがもたらした肉体的及び精神的弊害が、新しい音楽スタイル創出の契機となるという、その稀有な例がレッド・ツェッペリンであり、またその奇跡的なバランスが脆くも崩れてしまった要因も、ジョンボーナムのアルコール過剰摂取による事故死という、実にハードロック的なあり方がもたらしたものであったのは実に皮肉なものである。
そうした意味でレッド・ツェッペリンはやはりハードロックバンドだった。



後期ツェッペリンの音楽性とジミー・ペイジのギタースタイルを考えると、ボンゾ不在ではバンドの存続は有り得ないというメンバーの決断は実に納得のいくものである。
解散後のジミー・ペイジの活動が、どこまで行ってもツェッペリンの幻影から逃れられなかったのもいた仕方ない。自らのギタースタイルをボンゾとのコンビネーション、そしてツェッペリンというユニットの中でしか有効に機能しないものへと変化させて行ったのだから、ある日それを変えて別な事やれと言われても、いきなり左利き用のギターで弾けと言われる様なもんだろう。



それにしても、バンドが最初に顔合わせをした時に演奏し、最初期のツアーのオープニングナンバーだった「トレイン・ケプト・ローリン」を、結果的に最後のツアーとなった1980年のライブでもオープニングナンバーに据えた事など、まるでバンドが終わる事を予見していたようで、神がこのバンドに与えた使命の様なものを感じなくもない。



で、なんでこんな面倒くさい事を考えているかというと、今やろうとしているバンドや新たに始まるかもしれないユニットが、後期ツェッペリン要素の強いものだからだ。
勿論従来通りの歌モノの曲も作ってはいるが、ギターとドラムによって形作られる不安定で異様な質感に今は惹かれる。独りで作曲していたのでは生まれない過激なサウンドとスタイル。
こないだバンド仲間のフレイ・マーブル・リキッドのドラマーたけやんと二人でオールナイトでスタジオ入りし、大爆音で朝まで楽曲作りをしてみた(写真は徹夜明けの多摩川付近)。
自分としてみれば初めての試みだったが、思いのほか面白いものが生まれたのでなんとか発展させたい。



で、一昨日は今度三月の耳の日にライブをやるバンドでベースを携える山崎怠雅君が狂人ギターをつとめる捻転時計の新年会に紛れ込んで来た。
参加した最大の要因はメイン料理がモツ鍋だったことなのだが、オプションでつける「コラーゲンボール」(写真参照、鍋の真ん中に鎮座ましている丸い物体)に異様に惹かれ、当然のごとく投入。お肌も頭もツルツルのテカテカになる。



ツェッペリンからちょっと離れてしまったな。ここまで読んでしまった奇特なアナタ。本気の希望者には俺が編さんする「ライブ音源から汲み取るレッド・ツェッペリンの音楽的変遷」なるCDをあげよう!と思い付きで書いてみる。
2009年01月14日03:48
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今週やっているNHKスペシャル「女と男〜最新科学が読み解く性」が面白い。


ありがたいことに再放送してくれるから、さっきまで見逃してた一回目を観ていた。最終回は今度の日曜だ。



この番組に出てくる「最新科学による研究」とやらをやっているのはアメリカで、科学によって男女の心のメカニズムやらなんやらを解明していこうと言うそのへんの発想はいかにもアメリカ的だなぁという気はしないでもないが、男女が「脳」のどこを働かせているかの差異が、男女の思考や行動パターンの違いになってるという考え方は説得力がある。



その差異は、原始の頃からDNAに刷り込まれていて、男女それぞれが担う役割分担の差異、つまり「獲物を採って来る男と家で子供を育てる女」という違いから生じるものであるらしい。



まあ詳しく述べていたらキリが無いが、例えば相手の心の機微を読み取る能力や、感情の高ぶりを抑える能力などは、原始の頃より他の部族と交わり会話をよくしていた女の方が圧倒的に優れているとか、原始の頃、子供がある程度目を離しても生きていけるようになるまでの年数が3〜4年だったため、男女がパートナーシップを解消する目処、つまり別れやすいのは3年目である等々、実に思いあたるふしがある研究結果ばかりだ。



よく「女の気持ちは分からん」とか「なんでこっちの気持ちが分からねぇんだアイツは」てな考えに陥るが、それはこっちがあっちの事を分かろうとする努力と能力の欠如の為であり、合理的にかつ論理的に考えてそのへんの能力にはどうやら男は太刀打ち出来ないようだ。



野郎は勘違いと空回りが多すぎる。



殊に雇用の均等化によって男女の役割分担が曖昧になっている現代においては、男が男であることによってエバれる局面など無くなってきているし、男の方が女のメンタリティーを理解しなければ上手く機能していかない事の方が多いようだ。


古今亭志ん生が得意としたような、だらしなくて馬鹿な亭主のケツを、しっかりものの女房が叩いて何とかする、なんてのも結局は男が描く都合のいい風景なのかねぇ...。



ちなみにこのシリーズ、最終回のテーマは「男は地球から消えるかもしれない」だ。...観るの嫌になってきたな。
2009年01月11日20:21
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本日は晴天のもと、河原で「くさや」を焼いて喰ってみた。


肥溜め臭とはよく言ったもの。かなり懐かしい匂いが辺りを包む。しかし予想していたよりはたいした事は無く、干物のかなりキツいやつって感じ。日本酒に抜群に合いそうなおつな味だった。


ただ冷めたらかえって糞便臭がきつくなったので、熱いうちに「くせぇ、くせぇ」と騒ぎながら喰った方がいいみたいだ。



それにしても年末年始はやたらと日本酒や焼酎を呑んだし、旨い肴を摂取しまくってしまった。また家族サービスと称して、モツ炒めだのビーフンだのとカロリー高めな料理を提供しちまった。色気のない分食い気に走ったんですな。



しばらく摂生しよう。
2009年01月04日15:04
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f42be746.JPG 大学の頃過ごした高松に10年振りに来てみたら唖然とするほど様変わりしていた。何この大都市感?夜8時になると繁華街のシャッター全部しまってるような場末な街だったのに。すっかり四国の窓口的にツラをしている。軽くうどんを食いに来ただけなのに、いきなりカウンター食らった。


10年とはそういうものか。
2009年01月04日15:02
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9366f681.JPG 大学の頃過ごした高松に10年振りに来てみたら唖然とするほど様変わりしていた。何この大都市感?夜8時になると繁華街のシャッター全部しまってるような場末な街だったのに。すっかり四国の窓口的にツラをしている。軽くうどんを食いに来ただけなのに、いきなりカウンター食らった。


10年とはそういうものか。
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