2008年10月
素敵な時間を過ごすと平和なメロディーが生まれ、悪いニュースを聞くと重い言葉になり、楽しい宴があればハネたビートになり、無気力が心を支配したら気怠いグルーヴになり、血湧き肉躍るような事があればハードな音を求め、淋しさに襲われたら切ないコード進行が聞こえ、美しい人と話すとラブソングになる。
馬鹿みたいに感情に素直に、感覚に忠実に曲を作りまくっている。
人のためになるように、自分の事を歌にしている。
人の事を考えているうちに自分を探している。
色々やりたい事はあるけど、もう一度初心にかえって積み上げ直すことにしよう。
もうしばらくして準備が整ったら、引き籠もって創作に没頭する日々になる。
なんか越冬対策を箇条書きしてるみたいになってきた。
まあでも、引き籠もるとは言っても弾き語りとかはやりたいなぁ。
どなたか弾き語り合わないですか?
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馬鹿みたいに感情に素直に、感覚に忠実に曲を作りまくっている。
人のためになるように、自分の事を歌にしている。
人の事を考えているうちに自分を探している。
色々やりたい事はあるけど、もう一度初心にかえって積み上げ直すことにしよう。
もうしばらくして準備が整ったら、引き籠もって創作に没頭する日々になる。
なんか越冬対策を箇条書きしてるみたいになってきた。
まあでも、引き籠もるとは言っても弾き語りとかはやりたいなぁ。
どなたか弾き語り合わないですか?
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凄くおじさんみたいなことを書いてみる。
やっぱ電車ん中で化粧している女の子には萎える。
公共道徳がどうとかは正直どうでもよくて、それよりもそういう楽屋裏を男には見せないでくれよといいたい。その人にとっちゃ目当ての男以外はどうでもいいんだろうが、やっぱ化けるなら一人で家で化けといてくれよ。完成形になればなるほど神秘性が消えていくような感じがどうにも...。
また偏見かもしれないけど、そういう女の子ってだいたいキャンキャンだかワンワンだかに出てきそうなメイクしてる。髪型も服装もそんな感じ。で、決まってルイ・ヴィトンとかのバッグを持ってる。小娘がそんなの持つなよ、下品だから。全身シャネルで固めている泉ピン子の下品さと変わらねぇよ。
こっちの気持ちとしては、決して楽屋裏を覗く事が嫌いなわけじゃないけど、楽屋裏を楽屋裏と認識せずに開けっ広げにしても平気な女の子の精神性に哀しさを覚える。
哀しい男のSAGAだけど、隠された方が萌えるんだよなぁ。
なんか言う事が中尾アキラみたいでヤダね...。
やっぱ電車ん中で化粧している女の子には萎える。
公共道徳がどうとかは正直どうでもよくて、それよりもそういう楽屋裏を男には見せないでくれよといいたい。その人にとっちゃ目当ての男以外はどうでもいいんだろうが、やっぱ化けるなら一人で家で化けといてくれよ。完成形になればなるほど神秘性が消えていくような感じがどうにも...。
また偏見かもしれないけど、そういう女の子ってだいたいキャンキャンだかワンワンだかに出てきそうなメイクしてる。髪型も服装もそんな感じ。で、決まってルイ・ヴィトンとかのバッグを持ってる。小娘がそんなの持つなよ、下品だから。全身シャネルで固めている泉ピン子の下品さと変わらねぇよ。
こっちの気持ちとしては、決して楽屋裏を覗く事が嫌いなわけじゃないけど、楽屋裏を楽屋裏と認識せずに開けっ広げにしても平気な女の子の精神性に哀しさを覚える。
哀しい男のSAGAだけど、隠された方が萌えるんだよなぁ。
なんか言う事が中尾アキラみたいでヤダね...。
今日テレビでやってた棟方志功のドラマはとても感動的だった。
劇団ひとりが演じた棟方志功は凄く良かった。泣き芸ここに極まれり。奥さん役の香椎さんの美しさは尋常ではない。鶴田真由はホントにキレイだなぁ。
棟方志功に関しては殆ど知らなかったけど、作品から伝わってくる朴訥な力強さは只事ではない。
何事に対しても交じり気の無い心でぶつかって行くから嘘くさくない。芸術にも女性にも金にも名誉にも宗教にも直裁に。非常に本能的な人なんだろうなぁ。
夫婦喧嘩のシーンがとてつもなく良かった。子供の病気をほっといて帝展発表に行こうとして奥さんブチ切れ。
「あなたは一人で神様に向かって版画彫ってるのかもしれないけど、アタシも子供たちも亡くなったあなたのお姉さんも青森の人も一緒に彫ってるのよ!少しでもいいから感謝してよ!」
「お前には宗教心がない!」
「あるわよ!」
「あるなら言ってみろ!」
「私の宗教は...」
「なんだ!?」
「私の宗教は.........棟方志功です!」
「......」
そこへ仲間から棟方志功帝展特選の知らせ。そして感極まって奥さんが抱き付く。棟方志功うちふるえる。ドラマかよ!ドラマです。でも号泣です。あんな美人にそんなこと言われてぇ〜。観てないの人には伝わらんだろうけど、素晴らしいシーンだった。芸術に一心に向かう人間にナイフを突き付けるようなシーンではあるけど、愛あればこそのやりとりだった。
ちなみに来週のあの枠は赤塚不二夫特集だ。ああ〜楽しみにしてます。
劇団ひとりが演じた棟方志功は凄く良かった。泣き芸ここに極まれり。奥さん役の香椎さんの美しさは尋常ではない。鶴田真由はホントにキレイだなぁ。
棟方志功に関しては殆ど知らなかったけど、作品から伝わってくる朴訥な力強さは只事ではない。
何事に対しても交じり気の無い心でぶつかって行くから嘘くさくない。芸術にも女性にも金にも名誉にも宗教にも直裁に。非常に本能的な人なんだろうなぁ。
夫婦喧嘩のシーンがとてつもなく良かった。子供の病気をほっといて帝展発表に行こうとして奥さんブチ切れ。
「あなたは一人で神様に向かって版画彫ってるのかもしれないけど、アタシも子供たちも亡くなったあなたのお姉さんも青森の人も一緒に彫ってるのよ!少しでもいいから感謝してよ!」
「お前には宗教心がない!」
「あるわよ!」
「あるなら言ってみろ!」
「私の宗教は...」
「なんだ!?」
「私の宗教は.........棟方志功です!」
「......」
そこへ仲間から棟方志功帝展特選の知らせ。そして感極まって奥さんが抱き付く。棟方志功うちふるえる。ドラマかよ!ドラマです。でも号泣です。あんな美人にそんなこと言われてぇ〜。観てないの人には伝わらんだろうけど、素晴らしいシーンだった。芸術に一心に向かう人間にナイフを突き付けるようなシーンではあるけど、愛あればこそのやりとりだった。
ちなみに来週のあの枠は赤塚不二夫特集だ。ああ〜楽しみにしてます。
204e9d49.JPG あからさまにヅラだと分かる人を町中や電車の中で見たりすると思わず見てしまう。悪いとは思いつつ。
ましてやテレビでそんなヅラ頭を見てしまうとかなり凝視してしまう。
なんか藁をも掴む思いで掴んだ藁をそのまま乗っけたような完成度のヅラ。
一般人ならまだしもテレビに出てくる人はもっと完成度の高いヅラを被らないとしゃべってる事に説得力が無くなっちゃう。
小倉さんの衝撃映像はまだネットで見られるんだろうか...。
そういや頭に黒い粉を振って薄毛を隠すっていう「何もそこまで...」な広告が昔からよく雑誌に出てるけど、それ実際に振ってるおじさんを電車で見掛けた事がある。でも間近で見たらなんか頭にネズミ花火の残りカスみたいなのがこびりついてるだけで見た目が気持ち悪かった。
実際見て学んだ誇大広告の正体。
ましてやテレビでそんなヅラ頭を見てしまうとかなり凝視してしまう。
なんか藁をも掴む思いで掴んだ藁をそのまま乗っけたような完成度のヅラ。
一般人ならまだしもテレビに出てくる人はもっと完成度の高いヅラを被らないとしゃべってる事に説得力が無くなっちゃう。
小倉さんの衝撃映像はまだネットで見られるんだろうか...。
そういや頭に黒い粉を振って薄毛を隠すっていう「何もそこまで...」な広告が昔からよく雑誌に出てるけど、それ実際に振ってるおじさんを電車で見掛けた事がある。でも間近で見たらなんか頭にネズミ花火の残りカスみたいなのがこびりついてるだけで見た目が気持ち悪かった。
実際見て学んだ誇大広告の正体。
今やってた「タイノッチ」て番組がかなり面白かった。
国分太一とイノッチと千原ジュニアと紙ちゃんていう女の人が仕切る「大人げない暇つぶし」をするという番組で、先週が第一回目だったらしいのだがそれがいきなり番組内ドッキリで、ウソの第一回目の番組は前もって収録しといて(それが第3回目の放送になるという)、ホントの第一回は先週生放送でされたよう。で、イノッチは生だということを知らされておらず、生放送中に電話で呼び出されタクシーで向かうも結局間に合わず放送終了。う〜ん大人ない。
今日放送された第2回目では遅れて来たイノッチのうろたえ振りをネタにトークする、という究極の内輪ネタでお茶を濁すと言う限り無く深夜番組っぽい下らなさ。金が無いのを逆手に取った面白い発想で、思わず笑ってしまった。いや〜イノッチっていいキャラしてるわ。男友達多そう。
まあ来週以降もこの下らなさを保ってくれるかは分からないし、いわゆるホントにつまらない深夜番組との差はかなり微妙だったのでどうなるか分からない。まあジュニアがいることだしマジで大人げなくて下らない暇つぶしを楽しみにしてる。
国分太一とイノッチと千原ジュニアと紙ちゃんていう女の人が仕切る「大人げない暇つぶし」をするという番組で、先週が第一回目だったらしいのだがそれがいきなり番組内ドッキリで、ウソの第一回目の番組は前もって収録しといて(それが第3回目の放送になるという)、ホントの第一回は先週生放送でされたよう。で、イノッチは生だということを知らされておらず、生放送中に電話で呼び出されタクシーで向かうも結局間に合わず放送終了。う〜ん大人ない。
今日放送された第2回目では遅れて来たイノッチのうろたえ振りをネタにトークする、という究極の内輪ネタでお茶を濁すと言う限り無く深夜番組っぽい下らなさ。金が無いのを逆手に取った面白い発想で、思わず笑ってしまった。いや〜イノッチっていいキャラしてるわ。男友達多そう。
まあ来週以降もこの下らなさを保ってくれるかは分からないし、いわゆるホントにつまらない深夜番組との差はかなり微妙だったのでどうなるか分からない。まあジュニアがいることだしマジで大人げなくて下らない暇つぶしを楽しみにしてる。
姉が上京したので久し振りに話をした。
久し振りの会話にもかかわらず会話の際の温度設定が非常に楽だ。映画や政治など共通の話題が多いせいもあるが、どんなトーンで話そうが、どんな球を投げて来ようが楽に対応出来る。これが「血」というやつか。
姉から聞く両親の近況は中々にものを考えさせる。
俺も歳をとるが、親も確実に老いている。老人とまでは言わないまでも、「痴呆」や「死」というやつをリアルに想像出来る年齢には足を踏み入れつつある。
自分のイメージでは親というのは40才くらいで止まっているし、自分自身20歳くらいから対して変わってないような気がしているが現実は全然そんなことはなく、皆等しく死に近付いているんだなぁと強く思った。
この歳になると自分の親がどんな人間なのかある程度冷静に考える事が出来る。
男親である父親が俺の事をある意味では見限っているのも強く分かる。
40年間勤勉に会社勤めをした父親にとって、30を越えても相変わらず金にもならない虚業にうつつをぬかしている男など理解の範疇を越えているのだろう。
親としての子に対する愛情はともかく、一人の男としては「失格」の烙印を父親が押しているのは痛いほど感じ取れる。それに関しては哀しいけれど、かと言ってこれ以外の生き方は今のところ見つからないし、ホント申し訳ないとしか言いようがない。
それを考えると母親というのは凄い生き物だ。幾つになろうが子供に対しては無償の愛情を注いでくれるし、それこそ凶悪犯罪を冒して死刑になってもそいつのために涙を流してくれるただ一人の人間なのだ。
うちの父親のエピソードで一番グッときたのが、人前で涙を流さない父親が唯一声を上げて泣いたのは自分の母親の葬式の時だったという。母親の死の前には自制心など軽く消えてしまうということか。
何年か前ビートたけしの母親が亡くなった時、たけしはカメラの前でインタビューを受けながら号泣していた。
50をとうに越したオッサンがガキみたいにしゃくり上げながら「これからはいい子になるからよ、っていいながらおふくろを見送りました...」と答えていたのを強烈に覚えている。
寝たきりだった自分の父親が死んだ時は「正直死んでくれてホッとしたよ、あと何年面倒見なきゃいけねぇんだろうと思ってたから」と語り、弟子のダンカンの父親が死んだ時は、棺桶から死体を出して肩を組んで酒を酌み交わしたというエピソードを持つあのたけしが、自分の母親の死にはギャグ一つ飛ばせなくなるのだ。通俗的な言い方になるけれど、母親の前では男は常にガキになるのだ。恋人や嫁さんに対しても、どこか母親的なものを求めてしまう男は実に多い。
今年の年末は久し振りに帰郷して両親の顔を見とこうか。家族で紅白歌合戦見ながら年越しそばというのもいつまでも出来る訳ではないしね。
久し振りの会話にもかかわらず会話の際の温度設定が非常に楽だ。映画や政治など共通の話題が多いせいもあるが、どんなトーンで話そうが、どんな球を投げて来ようが楽に対応出来る。これが「血」というやつか。
姉から聞く両親の近況は中々にものを考えさせる。
俺も歳をとるが、親も確実に老いている。老人とまでは言わないまでも、「痴呆」や「死」というやつをリアルに想像出来る年齢には足を踏み入れつつある。
自分のイメージでは親というのは40才くらいで止まっているし、自分自身20歳くらいから対して変わってないような気がしているが現実は全然そんなことはなく、皆等しく死に近付いているんだなぁと強く思った。
この歳になると自分の親がどんな人間なのかある程度冷静に考える事が出来る。
男親である父親が俺の事をある意味では見限っているのも強く分かる。
40年間勤勉に会社勤めをした父親にとって、30を越えても相変わらず金にもならない虚業にうつつをぬかしている男など理解の範疇を越えているのだろう。
親としての子に対する愛情はともかく、一人の男としては「失格」の烙印を父親が押しているのは痛いほど感じ取れる。それに関しては哀しいけれど、かと言ってこれ以外の生き方は今のところ見つからないし、ホント申し訳ないとしか言いようがない。
それを考えると母親というのは凄い生き物だ。幾つになろうが子供に対しては無償の愛情を注いでくれるし、それこそ凶悪犯罪を冒して死刑になってもそいつのために涙を流してくれるただ一人の人間なのだ。
うちの父親のエピソードで一番グッときたのが、人前で涙を流さない父親が唯一声を上げて泣いたのは自分の母親の葬式の時だったという。母親の死の前には自制心など軽く消えてしまうということか。
何年か前ビートたけしの母親が亡くなった時、たけしはカメラの前でインタビューを受けながら号泣していた。
50をとうに越したオッサンがガキみたいにしゃくり上げながら「これからはいい子になるからよ、っていいながらおふくろを見送りました...」と答えていたのを強烈に覚えている。
寝たきりだった自分の父親が死んだ時は「正直死んでくれてホッとしたよ、あと何年面倒見なきゃいけねぇんだろうと思ってたから」と語り、弟子のダンカンの父親が死んだ時は、棺桶から死体を出して肩を組んで酒を酌み交わしたというエピソードを持つあのたけしが、自分の母親の死にはギャグ一つ飛ばせなくなるのだ。通俗的な言い方になるけれど、母親の前では男は常にガキになるのだ。恋人や嫁さんに対しても、どこか母親的なものを求めてしまう男は実に多い。
今年の年末は久し振りに帰郷して両親の顔を見とこうか。家族で紅白歌合戦見ながら年越しそばというのもいつまでも出来る訳ではないしね。
bce84f23.JPG どうにも精神的に上向きになれない時には、何を観ても聴いても反応が鈍くなる。全てが人事だと思ってしまい客観的になってしまう。
音楽や映画などがもたらす「感動」というものは中毒性があるもので、味わえば味わうほど感覚が馬鹿になっていき、ちょっとやそっとのことでは充足出来なくなってしまう。
何事でもそうだが夢中になればなるほど、それに覚めてしまった時の虚しさは計り知れない。覚めたくはないのにいつの間にか満足出来なくなってしまっているのを自覚した時の哀しさは結構重い。どんな物にも必ず終わりがあるし、その度に変わる事を自分に強いて行くうちに大人になっていく。
「おとなしくなる」という言葉は「大人しくなる」とも書く。
心が激しく高ぶる感覚を失って穏やかになる事から生まれて表記だと昔は思っていた。
しかし「感動」を求める欲望は年を経れば経るほどおとなしくなるどころか激しくなるし、段々と他人から与えられるもの(作品やパフォーマンス)に満足出来なくなってくるから、「感動」を自ら生み出したくなる。大人になるという事は、自分の欲求に対しては人を当てにせず自分でカタを付けるというある種の「自慰行為」のことだと今は解釈している。
願わくばその自慰行為が他人にえも言われぬ高揚感を与える事になり、その感覚が繋がって行く事が出来たなら「立派な大人」になれる。
またその自慰行為がもたらす高揚感が、次世代にまで繋がって行く事になったなら「偉大な大人」になる。
と、勝手な解釈による論理展開をやっていると殆どキチガイかと思われるので止めるが、実は今までは「枕」で、本題はここから。
その「偉大な大人」の最高峰である北野武監督作品「アキレスと亀」を観た。
ファンだからそれなりに楽しめたけれど、正直映画としての説得力に欠けた、かなりの自慰行為的作品と言わざるを得ない。あまり言いたくないけど、かなり監督自身にとって都合のいい世界観の作品で、特に女性からは共感を得られにくい作品だと思う。
この作品、簡単に言うと芸術に取り憑かれた男が、奥さんや娘といった周りの人間を不幸にしながらも金にならないその芸術を創り続け、最後は本人も狂って自殺するという内容だ。
この骨子で監督が北野武、なら我々が期待するのはとてつもなく救いようがない果ての果てを見せていくれるような、北野臭プンプンの乾いた狂気なのだが、そうはなってない。主人公は最終的には救われるし、割とオーソドックスな作りの映画だし、かと言ってベタな感動作かと言えばそこまでは通俗的には行けずに途中で「照れ」ているというなんとも宙ぶらりんな作品だ。
で、その「照れ」の最たる部分がビートたけし演じる晩年の主人公だ。
少年期は無邪気に、青年期はストイックにアートに打ち込んできた主人公だが晩年の主人公は、芸術のために奥さんを使って様々な(アートという名の)奇行を繰り返す。
奇行というのは俯瞰して見ると笑えるが、当人にしてみれば至って真剣なものだ。だからそこはシリアスな「俳優北野武」で演じてこそ観ている側に主人公の狂人振りが伝わるのに、ここでのたけしは、主人公の奇行振りを笑いながら俯瞰している「コメディアンたけし」の空気感を放っている。
これでは説得力は出ない。俯瞰するのは観客だけでいいのだ。
言うまでもなく北野武の「照れ」はその作風の大きな特徴となっているし、それが独自で過激な映画文法を生み出し、他に類が無い充足感を与えてくれた。またそれが特に海外における高い商品性にも繋がっている。「HANA-BI」などその最たるものだ。
しかし北野作品として国内で最大のヒットになった「座頭市」などは、その「照れ」がいい具合で中和されていた。まず「座頭市」それ自体が在り物なので、説明的要素がいらずクールに北野武の映画職人的資質を駆使すれば良かったし、主人公である市自体が三枚目的資質(照れの側面)を内包しているキャラクター設定だから、たけしは照れる事なく思いっきり役に準ずるだけで相当カッコよいヒーローとして映る。つまりたけし的要素てんこ盛りながら、ある意味相当ベタな通俗的娯楽作品として成立している作品だったのだ。
そう考えるとつくづく北野武という人は「批評の人」なんだなぁと思う。一から自分の事を語るよりも、与えられた素材を「俺ならこうする」と批評的アプローチで料理した方が、何よりも過激に本人の資質を表し、なおかつ高い商品性を持ってしまうという。まず監督デビュー作「その男凶暴につき」からして深作欣司監督の代役だし、元々あった脚本やカット割りを思いっきり改作して出来上がったのがあの作品だ。
個人的にはあの作品の衝撃を越えるものには未だに出会っていない。
今回の作品は当初から国内での高い興業成績を狙った大衆作品として創られたものらしい。ならば半端なたけし的なコント(それ自体は笑えるが)に走らず、電撃ネットワークなど出さず(電撃ネットワークが嫌いというわけではないが、登場シーンの時代の空気感には合ってないと思う)、徹底的にシリアスに狂人を演じて欲しかった。そうしなければ最後のシーン、一度見限った奥さんがもう一度現れてよりを戻すなんてシーンに説得力も何も生まれない。
北野作品の最大の特徴であり凄みである「笑いとシリアスは同じ」という論理、同じネタでもその空気感を少し変えるだけで笑いになったりシリアスになったりするというあの素晴らしい発想は、この作品では間違った方向に作用していると思う。この作品に照れ笑いはいらないのだ。
この作品が、芸術に取り憑かれた独りの狂人を徹底的に俯瞰する映画なら、オーソドックスな大衆作品に無理矢理落とし込むのではなく、北野武独自の美意識を貫いた「芸術」作品であった方がもっと伝わってきたはずだ。何故なら北野武という存在自体がもはや大衆の欲求をものの見事に体現するエンターテイナーという枠組みから大きく外れ、唯我独尊の「存在自体が作品になる」稀有な人物だからだ。
芸術に取り憑かれて狂っていく男というのは、もう一人の、あるいはこれからの北野武自身に他ならない。
などと言いながら「枕」に書いたように、精神的にそこそこ落ちているので、結構人事〜な感じで観ていた。だから「期待が大きかった分落胆した」なんて事はなく、あまり期待もせずフラットに観てしまった。
いいんだろうかこんな状態で、という気もするが、この慢性的不感症状態はもうかなりの所まで来ている。外的刺激でどうこうなる類ではないみたいなので、この年末は引き籠もって生み出す(膿出す)作業に没頭する予定です。自分の原点である宅録に戻りつつ、今まで手を出して来なかった事にも挑戦してみようかなと。アウトプットの方は...ま、おいおい考えることにして、今日も言葉手繰りの旅(散歩)の日々。
音楽や映画などがもたらす「感動」というものは中毒性があるもので、味わえば味わうほど感覚が馬鹿になっていき、ちょっとやそっとのことでは充足出来なくなってしまう。
何事でもそうだが夢中になればなるほど、それに覚めてしまった時の虚しさは計り知れない。覚めたくはないのにいつの間にか満足出来なくなってしまっているのを自覚した時の哀しさは結構重い。どんな物にも必ず終わりがあるし、その度に変わる事を自分に強いて行くうちに大人になっていく。
「おとなしくなる」という言葉は「大人しくなる」とも書く。
心が激しく高ぶる感覚を失って穏やかになる事から生まれて表記だと昔は思っていた。
しかし「感動」を求める欲望は年を経れば経るほどおとなしくなるどころか激しくなるし、段々と他人から与えられるもの(作品やパフォーマンス)に満足出来なくなってくるから、「感動」を自ら生み出したくなる。大人になるという事は、自分の欲求に対しては人を当てにせず自分でカタを付けるというある種の「自慰行為」のことだと今は解釈している。
願わくばその自慰行為が他人にえも言われぬ高揚感を与える事になり、その感覚が繋がって行く事が出来たなら「立派な大人」になれる。
またその自慰行為がもたらす高揚感が、次世代にまで繋がって行く事になったなら「偉大な大人」になる。
と、勝手な解釈による論理展開をやっていると殆どキチガイかと思われるので止めるが、実は今までは「枕」で、本題はここから。
その「偉大な大人」の最高峰である北野武監督作品「アキレスと亀」を観た。
ファンだからそれなりに楽しめたけれど、正直映画としての説得力に欠けた、かなりの自慰行為的作品と言わざるを得ない。あまり言いたくないけど、かなり監督自身にとって都合のいい世界観の作品で、特に女性からは共感を得られにくい作品だと思う。
この作品、簡単に言うと芸術に取り憑かれた男が、奥さんや娘といった周りの人間を不幸にしながらも金にならないその芸術を創り続け、最後は本人も狂って自殺するという内容だ。
この骨子で監督が北野武、なら我々が期待するのはとてつもなく救いようがない果ての果てを見せていくれるような、北野臭プンプンの乾いた狂気なのだが、そうはなってない。主人公は最終的には救われるし、割とオーソドックスな作りの映画だし、かと言ってベタな感動作かと言えばそこまでは通俗的には行けずに途中で「照れ」ているというなんとも宙ぶらりんな作品だ。
で、その「照れ」の最たる部分がビートたけし演じる晩年の主人公だ。
少年期は無邪気に、青年期はストイックにアートに打ち込んできた主人公だが晩年の主人公は、芸術のために奥さんを使って様々な(アートという名の)奇行を繰り返す。
奇行というのは俯瞰して見ると笑えるが、当人にしてみれば至って真剣なものだ。だからそこはシリアスな「俳優北野武」で演じてこそ観ている側に主人公の狂人振りが伝わるのに、ここでのたけしは、主人公の奇行振りを笑いながら俯瞰している「コメディアンたけし」の空気感を放っている。
これでは説得力は出ない。俯瞰するのは観客だけでいいのだ。
言うまでもなく北野武の「照れ」はその作風の大きな特徴となっているし、それが独自で過激な映画文法を生み出し、他に類が無い充足感を与えてくれた。またそれが特に海外における高い商品性にも繋がっている。「HANA-BI」などその最たるものだ。
しかし北野作品として国内で最大のヒットになった「座頭市」などは、その「照れ」がいい具合で中和されていた。まず「座頭市」それ自体が在り物なので、説明的要素がいらずクールに北野武の映画職人的資質を駆使すれば良かったし、主人公である市自体が三枚目的資質(照れの側面)を内包しているキャラクター設定だから、たけしは照れる事なく思いっきり役に準ずるだけで相当カッコよいヒーローとして映る。つまりたけし的要素てんこ盛りながら、ある意味相当ベタな通俗的娯楽作品として成立している作品だったのだ。
そう考えるとつくづく北野武という人は「批評の人」なんだなぁと思う。一から自分の事を語るよりも、与えられた素材を「俺ならこうする」と批評的アプローチで料理した方が、何よりも過激に本人の資質を表し、なおかつ高い商品性を持ってしまうという。まず監督デビュー作「その男凶暴につき」からして深作欣司監督の代役だし、元々あった脚本やカット割りを思いっきり改作して出来上がったのがあの作品だ。
個人的にはあの作品の衝撃を越えるものには未だに出会っていない。
今回の作品は当初から国内での高い興業成績を狙った大衆作品として創られたものらしい。ならば半端なたけし的なコント(それ自体は笑えるが)に走らず、電撃ネットワークなど出さず(電撃ネットワークが嫌いというわけではないが、登場シーンの時代の空気感には合ってないと思う)、徹底的にシリアスに狂人を演じて欲しかった。そうしなければ最後のシーン、一度見限った奥さんがもう一度現れてよりを戻すなんてシーンに説得力も何も生まれない。
北野作品の最大の特徴であり凄みである「笑いとシリアスは同じ」という論理、同じネタでもその空気感を少し変えるだけで笑いになったりシリアスになったりするというあの素晴らしい発想は、この作品では間違った方向に作用していると思う。この作品に照れ笑いはいらないのだ。
この作品が、芸術に取り憑かれた独りの狂人を徹底的に俯瞰する映画なら、オーソドックスな大衆作品に無理矢理落とし込むのではなく、北野武独自の美意識を貫いた「芸術」作品であった方がもっと伝わってきたはずだ。何故なら北野武という存在自体がもはや大衆の欲求をものの見事に体現するエンターテイナーという枠組みから大きく外れ、唯我独尊の「存在自体が作品になる」稀有な人物だからだ。
芸術に取り憑かれて狂っていく男というのは、もう一人の、あるいはこれからの北野武自身に他ならない。
などと言いながら「枕」に書いたように、精神的にそこそこ落ちているので、結構人事〜な感じで観ていた。だから「期待が大きかった分落胆した」なんて事はなく、あまり期待もせずフラットに観てしまった。
いいんだろうかこんな状態で、という気もするが、この慢性的不感症状態はもうかなりの所まで来ている。外的刺激でどうこうなる類ではないみたいなので、この年末は引き籠もって生み出す(膿出す)作業に没頭する予定です。自分の原点である宅録に戻りつつ、今まで手を出して来なかった事にも挑戦してみようかなと。アウトプットの方は...ま、おいおい考えることにして、今日も言葉手繰りの旅(散歩)の日々。
「ハリマオ」のライブが終わった。来てくれた人達、メッセージくれた人達、コメントくれた人達、どうもありがとうございました。
元々このバンドは捻転時計の山崎怠雅君になんかやらない?って持ち掛けられたのがきっかけで、この二人が組むならワイセッツの頃は敢えて禁じ手にしていたハードロック的なイディオム、というか自分のルーツであるツェッペリンやジミヘンやクリームといったビンテージロックの要素を臆面も無く盛り込んだサウンド、なおかつギリギリの所で踏みとどまって趣味趣味音楽にならないような楽曲っていうのを目標に組んだバンドだった。
結果としてお客さんにどう聞こえてたかはまだ分からないんだけど、少なくとも個人的にはこの方法論をうまく発展させたら結構面白い音楽、圧倒的な迫力を持つ音楽が生まれるかもしれないな、とチラッとはよぎったのでなるべくなら育てて行きたいなぁとは思ってます。
やっぱアレだな、ツェッペリンからパクりましたとかいちいち言い訳しなくてもいいように、演り倒しながら自分達ならでわのグルーヴを発見しなきゃいかんな。あとたとえモロにツェッペリンとかにインスパイアされてても、関係ねぇと我が物顔で爆音鳴らしまくれるような図々しさも必要だなぁ。
元々このバンドは捻転時計の山崎怠雅君になんかやらない?って持ち掛けられたのがきっかけで、この二人が組むならワイセッツの頃は敢えて禁じ手にしていたハードロック的なイディオム、というか自分のルーツであるツェッペリンやジミヘンやクリームといったビンテージロックの要素を臆面も無く盛り込んだサウンド、なおかつギリギリの所で踏みとどまって趣味趣味音楽にならないような楽曲っていうのを目標に組んだバンドだった。
結果としてお客さんにどう聞こえてたかはまだ分からないんだけど、少なくとも個人的にはこの方法論をうまく発展させたら結構面白い音楽、圧倒的な迫力を持つ音楽が生まれるかもしれないな、とチラッとはよぎったのでなるべくなら育てて行きたいなぁとは思ってます。
やっぱアレだな、ツェッペリンからパクりましたとかいちいち言い訳しなくてもいいように、演り倒しながら自分達ならでわのグルーヴを発見しなきゃいかんな。あとたとえモロにツェッペリンとかにインスパイアされてても、関係ねぇと我が物顔で爆音鳴らしまくれるような図々しさも必要だなぁ。
本日ライブやるバンドの名前が決まった。
ハリマオ
です。ネタ元は...まあいいか。来てくれる人は「ハリマオ」と元気よくお願いします。ガルル。
ハリマオ
です。ネタ元は...まあいいか。来てくれる人は「ハリマオ」と元気よくお願いします。ガルル。
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「The Movement 70's」というドキュメント映画が今月25日に上映される。日本のロック黎明期1970年代前半の映像がガンガン出てくるらしい。
はっぴいえんどとかフラワー・トラヴェリン・バンド、頭脳警察などなどホントに映像が残ってたんかよ?ってなところから、遠藤賢司、イエロー、四人囃子、クリエイション、村八分、ファー・イースト・ファミリー・バンド、ハルヲフォンまで盛り沢山。
この辺りの日本のロック、今さらガッツリと聴くには今の俺にはちょっと重いけど、映像で矢継ぎ早に出てくるなら無茶苦茶楽しめそう。興味ある人行かない?
www.rock-tanjo.jp
てな期待を膨らませながら、久し振りにバンド形態でライブやります。どきどき。
今週の金曜日、六本木エッジにて。トリなんで21時くらいからだと思われます。チケ代は2000円+1ドリンク。
メンツはギターに捻転時計の山崎怠雅君、ベースに元パンピーズの鈴木大輔君、ドラムに先日ラストライブやったばかりの元ブルーライオンの河野瞬君に俺の四人。
はっきり言ってまだどんなサウンドになるか分からない、この期に及んで(笑)。ただ今まで以上にハードにロックロックしたものになるはず。最近身体の具合が悪いのに大丈夫だろうか...(笑)。
興味ある人来ない?
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「The Movement 70's」というドキュメント映画が今月25日に上映される。日本のロック黎明期1970年代前半の映像がガンガン出てくるらしい。
はっぴいえんどとかフラワー・トラヴェリン・バンド、頭脳警察などなどホントに映像が残ってたんかよ?ってなところから、遠藤賢司、イエロー、四人囃子、クリエイション、村八分、ファー・イースト・ファミリー・バンド、ハルヲフォンまで盛り沢山。
この辺りの日本のロック、今さらガッツリと聴くには今の俺にはちょっと重いけど、映像で矢継ぎ早に出てくるなら無茶苦茶楽しめそう。興味ある人行かない?
www.rock-tanjo.jp
てな期待を膨らませながら、久し振りにバンド形態でライブやります。どきどき。
今週の金曜日、六本木エッジにて。トリなんで21時くらいからだと思われます。チケ代は2000円+1ドリンク。
メンツはギターに捻転時計の山崎怠雅君、ベースに元パンピーズの鈴木大輔君、ドラムに先日ラストライブやったばかりの元ブルーライオンの河野瞬君に俺の四人。
はっきり言ってまだどんなサウンドになるか分からない、この期に及んで(笑)。ただ今まで以上にハードにロックロックしたものになるはず。最近身体の具合が悪いのに大丈夫だろうか...(笑)。
興味ある人来ない?