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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2012年04月

2012年04月24日21:59
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さて、明日はいよいよライブだ。バンドでのライブは久し振り。


ベースはおいちゃん、ドラムはフジモト、と以前からよくやってる二人とのトリオ。二人とも現代のR&Bの感覚を持ってるので、俺が脂っこいジミヘンライクなギターを弾いても割とポップなサウンドに変換してくれると思う。


あと成り行きでDJタイムにも参加することになっちゃった。といってもいわゆるDJスキルは持ってないので、ひたすらグルーヴィーなトラックをかけまくるだけ、それしかできません。しかもダンストラックなんぞはほとんど持ってないのでおのずと60〜70年代のナンバーが多目になるだろね。まだ選曲してねぇんだが。ああ、でもクレイジーキャッツとか左とん平とかかけたいな。


ま、とにかくライブだライブ。ファンキーでハードで女々しいポップをやるぜい。


場所は六本木SONORA。まにょさん企画のお豆ナイト。俺は何故かトリで10時からなんだけど、イベントは8時から。DJタイムは7時からなので、平日の六本木にこられる人は集合しておくれよ。


あ〜日本酒が染みる。明日もいい酒呑みてぇな。
友人に誘われて渋谷のルビー・ルームというバーで開催されているオープンのジャムセッションに行ってきた。


たまたま何かのツアーバンドのジャズ/フュージョン系の黒人ドラマーとベーシストとキーボーディストが来ていて、凄まじいプレイを見せて場を盛り上げていた。


ひょっとしたらフュージョン的な基準からいったら標準レベルのプレイヤー達なのかも分からないけれど、充分なグルーヴとテクニックがあって俺には刺激があった。


なにせこちとらブルース・ペンタとなんちゃってジャズしか出来ねぇ野良ミュージシャンだからね。


セッションの方向性は終始一貫してフュージョン系。会場に来ていた日本人ミュージシャンもほぼジャズ/フュージョン系のプレイヤー達だった。一緒にいった友人いわくバークレー出の奴等が集まってたんじゃねぇかと。確かに皆やたらと難しいことをやっていた。


だけどそういった若干頭でっかちで小手先の技術に長けた彼らと比べて、やっぱりブラックの三人は全然グルーヴが違った。


勿論手数の多さやスピード、初見の楽曲に対する咀嚼力などは半端ではないけれど「苦節ウン年、こんなに難しい事が出来るようになりました」的なブルージーな自己顕示欲など微塵も感じさせない、ひたすら派手なプレイでハッピーなヴァイブを出しまくっていた。特にドラマー!!!


少々尺からはみだそうがキメがずれようがお構い無く、つうかその外したところから笑みが生まれるような、そんなひたすら気持ちのいいグルーヴを出していた。


やっぱ音楽は技術じゃなくグルーヴなのだ。あれだけの技術をグルーヴを出す方向に行使すれば、楽器のことを知らない素人にも共有できる音楽の楽しさが伝えられる。本来的なコミニュケーションてそういうもんだもん。楽器が出来ようが出来まいが、ひとつのグルーヴのもとで皆が楽しくなれる。それがミュージック。ワン・ネイション・アンダー・ザ・グルーヴですよ。一部の楽器おたくが感心するような発表会的テクニック大会なんかどうだっていいんだ。


必要なのはグルーヴを生むためのテクニック。手数が多かろうと少なかろうと関係無い。まあ、フレーズの引き出しは多い方がより楽しみ方も多様化するし、気持ちいいグルーヴを会得するためには上手いにこしたことはないのだけれど。



ま、なんにせよ「ロックにテクニックなんて必要ねぇ!」なんてセリフは、必要なテクニックがあって初めてほざけるセリフなのだ。と強く思うわ。



で、肝心のセッションなんだが、二曲ほどジャムらせてもらった。
残念ながらその黒人のドラマーとは参加者の兼ね合いやらなんやらで絡めなかったが、ベーシストとキーボーディストとはセッションできた。


プレイを共にしたドラマーは、一曲は一緒に行った友人、もう一曲は初めて一緒にやった人。
友人のドラマーはさすが洋行帰り(笑)、いいグルーヴを出していたし、まあ一緒にやるの慣れてるせいもあってやり易かったけど、もう一人のドラマーはやたらとめんどくさいことをしているだけでグルーヴレスなプレイヤーだったので、ミーターズの「シシー・ストラット」かなんかをやりながら、そのブラックのキーボーディストと「困ったもんだ(苦笑)」的な目配せをしつつ、フレーズの掛け合いをしたりして楽しんだ。


ま、果たして俺の牧歌的なテクニックと理論レスなスケール感など彼等にゃ通用しないだろうけど、少なくとも俺なりの音楽的言語を駆使してカタコトながら会話しようと努めていた事ぐらいは伝わったのか、終わったあと一応「ナイス」だの「サウンズ・グッド」なんだのと誉めてはくれた。ま、社交辞令かもしれんがね。でも素直に受けっとておこ。その方が人生幸せになるから。


やっぱジャズやファンクやR&Bにずっと影響を受けてきた人間にしてみれば、本場のミュージシャンと絡む機会が持てたことは幸運だし、襟を正したくなる気分にもなるし、心地のよい緊張も味わえる。


自分の技能に過信する事などは微塵もないけれど、普段音を出すときに無意識のうちに思いがちな「この曲は自分が引っ張ってやる」という鼻っ柱の強い部分が、昨夜のセッションでは皆無で、ただもう胸をかりるつもりで身を投げ出さざるをえない状況になったというのはやっぱり精神衛生上いいもんだ。
気楽なジャムセッションをやりつつも己が何者なのかをずっと問われているようだった。こういう機会がもっともっとたくさんあったらいいのにな。





にしてもギタリストとしての話ばかりに最近はなっている。
「自分はあくまでもシンガーソングライターである」と意地でも言い張りたくなる局面ばかりだ。



でもどれほど自分がそれを主張しようとも結局ギタリストとして云々されるという現実。
これはこれで受け入れるしかないのかもなと、最近は諦め半分思っている。


こっちゃ滅茶苦茶すんばらしい名曲を作り、魂をふりしぼって歌ってるつもりだし、チキショーなんでそれがわかってもらえないんだ?周りは馬鹿ばっかだ、と苛立ったりもするが、結局自分の中のアビリティとしてギターが突出してんだろうし、露出する機会が圧倒的なのはギタリストとしてだ。しょーがねぇや。


俺のアイドルであるクラプトンが、どれほど素晴らしい曲を作り、どれほどブルージーな名唱を聴かせようとも、結局は「伝説のギタリスト」という表層をなぞるような馬鹿げたキャッチコピーで呼ばれてしまうのだから、極東の島国の無名ミュージシャンの俺なんかなおさら贅沢は言えねぇ、その路線で精進するしかねぇ。しょーがないわな、クラプトンでギターを覚え、いまだに、というか今この瞬間も(笑)クラプトン聴いてんだから。自分の体質がクラプトン志向なんだろ。


さて、そんな毒吐きと開陳とワケわかんない不遜な自己分析でウップンをはらしたとこでシンガーソングライター高瀬(笑)の告知を。今月4月25日、六本木SONORAでソロライブやるよ。まにょイベントです。出番はなんとトリの10時から。


当所ギターとパーカッションのデュオというつもりだったけど、ひょっとしたらベーシストもいれてバンドスタイルでやるかもしれんです。そうなったら楽しいな。確定したらまた詳細は書くので、是非バンドでグルーヴするシンガーソングライター(笑)高瀬のライブをみにきてくだしゃい。(笑)を付ける時点でダメだよなぁ...。


あ、あと今週土曜日は真昼の月夜の太陽で春夏秋冬があってTwo Peas In A Podでギター弾きます。個人的にはこないだの雪辱戦なのでグルーヴするギタリスト高瀬は燃えております。お客さん来てくれたら萌えるとも思います。


あとその日はグルーヴするミキサー高瀬がミックスしたTwo Peas の音源を売るのでそれも買ってもらえたらありがてぇ。まだまだ改良の余地があるミックスで完璧とは言えないけれど、ソウルを込めた音源になってるとおもうよ。


あと、最後。5月の17日、新大久保の水族館てライブハウスにもグルーヴするシンガーソングライター(笑)高瀬は出ることが決まっとるんだ。詳細は追って。
2012年04月14日21:09
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人の作品のかかりっきりで自分の告知をおろそかにしてた。


今月の25日水曜日、久しぶりに真昼の月じゃないとこ、いわばアウェイの場所、しかも初めての場所でライブやるよぅ。六本木SONORAってとこ。ミュージシャン仲間のまにょさんから誘われたんだぜ。


今回はパーカッションの藤本とのデュオでやる。予定。まだリハしてないんで、てへぺろ。


どうなるかわからんし、どんな雰囲気かもわからんので小細工せずいつもの鉄板ネタでやる。けど新しい曲を一曲くらいはやろうかと。自分に緊張を強いるためにもね。


あと今月は件のTwo Peas In A Pod のライブが2つあるんだ。17日と21日かな。つまりあと数日で音源を製品にしなくちゃいかんのだ。
まあ音はほぼ出来たけどね。あとのパッケージングやらなんやらは徹平の仕事。売れるようなジャケットにしてくれよ。


あとついでに23日は友人とロジャーダルトリーのライブを観に行くんだ。クソロートルのダルいライブになるか、さすがロックレジェンド!なこっちがビビるようなライブなのか、どちらにせよ楽しみ。


とりあえず25日は是非遊びに来てほしい。いつものように酒呑んでタルタルやるようなことは間違っても無いと思うんで。つうかアウェイだから淋しいんだよ、文句あっか?!青島だぁ。


19:00 オープンで小一時間DJ タイムがあって、20時からライブスタート。俺は何故かトリで22時!からだそうです。平日の遅い時間なんで堅気の人にゃ来てくれといいにくいけど、まあ六本木っつうことで。ギロッポンつうことで。


4/25(水) 六本木 SONORA
「お豆ナイトVol.3」
出演:谷川 智宏、生田 粋、高瀬大介、マニョ
open 19:00 前売/当日 2000円(ドリンク別)
http://sonora.in/sonora/top/top.html


来てくれぃ。わばアウェイの場所、しかも初めての場所でライブやるよぅ。六本木SONORAってとこ。


今回はパーカッションの藤本とのデュオでやる。予定。まだリハしてないんで、てへぺろ。


どうなるかわからんし、どんな雰囲気かもわからんので小細工せずいつもの鉄板ネタでやる。けど新しい曲を一曲くらいはやろうかと。自分に緊張を強いるためにもね。


あと今月は件のTwo Peas In A Pod のライブが2つあるんだ。17日と21日かな。つまりあと数日で音源を製品にしなくちゃいかんのだ。
まあ音はほぼ出来たけどね。あとのパッケージングやらなんやらは徹平の仕事。売れるようなジャケットにしてくれよ。


あとついでに23日は友人とロジャーダルトリーのライブを観に行くんだ。クソロートルのダルいライブになるか、さすがロックレジェンド!なこっちがビビるようなライブなのか、どちらにせよ楽しみ。


とりあえず25日は是非遊びに来てほしい。いつものように酒呑んでタルタルやるようなことは間違っても無いと思うんで。つうかアウェイだから淋しいんだよ、文句あるか!青島だぁ。


19:00 オープンで小一時間DJ タイムがあって、20時からライブスタート。俺は何故かトリで22時!からだそうです。平日の遅い時間なんで堅気の人にゃ来てくれといいにくいけど、まあ六本木っつうことで。ギロッポンつうことで。


4/25(水) 六本木 SONORA
「お豆ナイトVol.3」
出演:谷川 智宏、生田 粋、高瀬大介、マニョ
open 19:00 前売/当日 2000円(ドリンク別)
http://sonora.in/sonora/top/top.html


来てくれぃ。
2012年04月13日22:18
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今俺が参加しているTwo Peas In A Podの音源のミックスをしている。


自分の作品のミックスはさんざんやったが、人の作品のミックスは初めてだ。つっても自分の音が入ってるから完全に他人の作品てわけじゃないが、まあともかく人の作品のミックスを一度してみたかったんで、ヘロヘロになりながらも没入している。今八合目くらいまではきたか?




ライブジャンキーの人には到底敵わないが、今までそれなりにはインディーズのバンドのライブを観てきて、ごくまれに凄いと感じるバンドもあった。音楽インポの俺がそう感じるなんて珍しいのでそういうときは可能な限り音源を入手する。


しかしそうやって購入した音源でそのライブ以上に感心したことは皆無だ。


俺がいいなぁと感じるバンドの大抵はライブバンドなので、音源の方もライブの追体験をするという意味合いが強い。
まあインディーズのバンドでライブとスタジオ音源は別のコンセプトなんて洒落た事をしているバンドはあまり居ないのだが。


それはともかく、音源は音源でライブに通じる迫力なり勢いを感じたいのだが、大抵が音はショボいし演奏もこじんまりとしていて、楽曲の記録以上の意味を見いだせないものだ。


つい最近も知り合いから「一応CDは買うけど普段は殆ど聴かない、ライブの方がいい」という意見を聞いたばかりだ。そういう人は多い。


俺は好きなバンドの曲はヘッドフォンで歩きながらじっくり聴くのが好きという音フェチ派なので、気に入ったバンドには音源制作にもちゃんと力をいれてほしいのだ。



自分達がライブでどういう音で聴かれているか?ということに自覚的になればおのずとミックスというかサウンドの質感の方向性は決まってくる。それに対して余りにも無頓着で、ただ音を並べて整理しましたといったミックスが多すぎると思う。


また他者に任せる、自分達のサウンドの指向性やコンセプトなどを伝達せずコミニュケーションも出来てないまま、格安でやってくれるミキサーに丸投げするというパターンもある。この場合も同じように記録以上の意味を見いだせない、適度に綺麗でそつの無い音源が出来上がる。


バンドのコンセプトを理解してない中途半端なプロに頼むくらいなら自分達でやった方が百倍ましだ。
素人ミックスでも本人達の熱意のこもった音源の方がグッとくる。


勿論プロ中のプロだったらそんな次元を越えてバンドの潜在能力を引き出すようなミックスでさえ可能だったりもするのだがインディーズバンドにそんなプロに頼む金はない。


大前提の話だが、ライブでの勢いや迫力を音源にするには、単に最高のスタジオライブを収音すればいいというもんではない。どんなにいいパフォーマンスを録音したところでそのままでは生で直に体験するライブにかなうわけない。


録音機材、エフェクト、ギミックなどを駆使して「ヴァーチャル」にライブ感を「でっち上げる」のだ。
でっち上げるなんて言葉、あんまり良いもんではないが、どれほどいいマイク、再現性が高いマイクで収音したとしてもそのままでは生で聴いた音のリアルさを完全には再現できない。だから音を加工する。ある周波数をあげたり下げたり、時には歪ませたりして、実際鳴らされた音とは違うものにしたりもする。最終的にライブで聴いたのと「似たようなもん」になりさえすればいいんだから。


と、えっらそうな事をつらづらと書いてきて後には引けないことになりつつあるが、やっぱ良いマイクと良いコンプが無いとキツいなぁ(笑)。
どんなにミックスでドーピングをしようとも、ダイナミックレンジのショボさはどうしよもねぇなぁ...。編集画面見ながら聴いてる音はそれなりのもんだがmp3に圧縮したときのレンジの落差ときたらもう...。泣けるよ。ディスク化せずにデータで発売するアーティストの気持ちも多少は分かる。よりマスターに近い音で聞いてほしいんだよ、作ってる側としちゃ。


音源聴いた人が「口ほどにもねぇな、たいしたことないじゃないか」と言われたら「こっちゃ素人ですんで、げへへ...」と言って逃げますけどね。
2012年04月12日08:00
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南海キャンディーズ山里とオードリー若林の「足りないふたり」は感動的ですらある。


今週は二人の「テレビ芸人」としての苦労を逆手に取った内容だった。


ネクラで性格のねじまがった二人にとって、身の毛のよだつような健全なゴールデンタイムのバラエティや昼間の情報番組における、感動VTRに対するコメントやグルメレポーター的な仕事が苦手で苦痛なのは想像にかたくない。


柴田理恵や久本雅美のようにバカみたいに感動して涙流したりアホなリアクションとってれば健全なゴールデンタイムのバラエティではいいんだろう。


が、若林や山里のように卓越したワードセンスとお笑いダークサイドを持つ芸人にとって、そのようにテレビとベッタリ寝るようなリアクションを晒すことはケツの穴を見られるよりも恥ずかしいことだろう。


かといって空気を読まずにアナーキーな暴走コメント連発してテレビからフェイドアウトしていっていいタイプの芸風でもない。江頭のあのハードコアな芸風でしかしテレビに居残り続ける様は奇蹟に近い。



まあ江頭はともかく大抵の芸人は多かれ少なかれ時間帯に合わせたコメントなりなんなりでお茶を濁しているなか、山里や若林のように笑顔の合間に気付くか気付かれないかギリギリのタイミングで舌を出すような、あえてテレビに「使われてやっている」というしたたかな芸人根性に、俺なんかは感動する。


やっぱアヴァンギャルドな方向でブーストしていって孤高を気取るより、心に毒と破壊を持ちながらそれを時々滲ませつつも、アウトプットはポップにってスタイルの方が好きだ。
言うなればビートルズ。
椿三十郎風に言うなら「良い刀は鞘に納まっている」。



で、今週の「足りないふたり」はそんな二人が編み出した「それほど恥ずかしくないけど場の空気を凍らせない」コメント術やリアクション方を開陳するという内容で、アメトーークやロンハーとも共通する、表に出てる顔の裏にある内部状況や、芸人だけが熟知しているシステムを開陳して笑いに変えるという「お笑いステロイド」的なものだ。


ただそこで若林と山里が素晴らしいのはそれらの開陳を前フリにしてなんと新作漫才を作って披露したことだ。
その辺がただ開陳しっぱなしのアメトーーク的な番組とは違うところ。お笑いステロイドの投与ばかりではなく、ちゃんと芸人としてのオトシマエをつける「足りないふたり」は本当に素晴らしい。





さて、そういった「お笑いステロイド」的番組の乱立というのは功罪あって、面白いんだけどこんなことばかりやってちゃ自滅するという危険性もある。
こういうのをバンバンテレビでやるから視聴者の感覚は鍛えられて麻痺し、耳年増というか耳芸人というかエセ評論家(俺のことか)が増幅するという弊害もある。一般人が「雛壇芸人」だの「裏回し」といった言葉を理解してるって一体どんな国なんだ?


で、芸人もしたたかなもんでもっと深くて細いところまで掘っていって楽しむようになる。するとさらにそこも一般視聴者も付いていく。
そんないたちごっこを繰り返しながら日本のお笑いっつうのは深化してきたんだろう。なんだかんだいって日本のお笑いのレベルは世界に類をみないくらい高度になってると思う。


さっきこういった類いのお笑いステロイドは自滅回路であるという書き方をしたが、そのしたたかっぷりを考えると恐らくそうはならないのかもしれない。


ビートたけしが自らが仕切るゴールデンタイムのバラエティ番組の裏事情、言わば関係者が楽屋で話すような内容の話をオールナイトニッポンでバンバンばらしてたのがもう30年くらい前。
そこから日本のお笑いが衰退していったか?といったらしていないと思う。


クソったれバカ野郎なクレーマーが増えたせいで、こないだのたけしの深夜番組のように過激な破壊とかエロとかをバラエティで出来なくなった分、自粛から免れる為の苦肉の策で発想力や企画力の要求水準が異様に高くなっていき、今や80年代から90年代にかけて隆盛を誇ったやたらと金をかけながら下品で下らない事をするという牧歌的な発想の番組なんぞは見る影もないし、まあ単純に笑えない。



ファンであるから認めるのは辛いけどああいった「たけし的バラエティ番組」は、今の発想力勝負の番組が群雄割拠するなかでは、あまりにも古くてつまらないということがハッキリしてしまっている。あれは時代の熱量と比例してたんだろうなぁ。あの時代に作られた番組は今見ても面白いのかもしれないが、あの発想を今の時代に持ってきて今やってみるとこれほど下らないもんかとつくづく感じた。膣カンジタ。



ビートたけしはよく「芸人にとって最高の誉め言葉は「下らね〜っ」て言われることだ」と言っているが、かつてのたけしのように異様に頭の回転が早く、魅力的な話芸を武器に持った人間が、思いっきり下らないネタを凄いスピードでバンバカ繰り出すこと自体にはギャップがあって面白いんだけれど、そうではない人間の集まりであるたけし軍団がやる、ただ「下らねぇ〜」って殿に言われることだけが目的のコントやリアクション芸はひたすら退屈なだけだ。



そういう意味では「ごっつええ感じ」でアナーキーで過激なコントを連発して天下をとった松本人志が、いまだにOMOJANやIPPONグランプリという大喜利的な番組で企画から演者まで出来るのも、松本が元々発想の人であり、「下らねぇ〜」が誉め言葉という美学に酔わずに、ひたすら「オモロイ」もんを考え突き詰めてきたからだ。


その松本人志とて発想力の面ではもう全盛期 とは言いがたいけれど、そのイズムは今のバラエティ番組の最前線で戦っている芸人に継がれていてやっぱり「松本以後」を感じさせる芸人は面白い。


山里も若林も勿論松本以後というスタンスの芸人ではあるけど、例えばバカリズムや千原ジュニアといった発想力の方向でその能力を発揮している人達と違って、反射神経的コメント能力というか、何かをふられたときにとっさに出てくる言葉にどれだけ自分のイズムとお笑い毒素を盛り込めるかという所に心血を注いでいるような気がする。


で、実は松本人志という人はその反射神経的なコメント能力においてはいまだに他の追随を許さないくらい凄い。



コント番組や大喜利的な番組の場合、ちょっと考え過ぎというか先へ行き過ぎのところがあって理解出来ないというか笑えなくなってきているが、普通のバラエティ番組、芸人やら芸能人がいっぱいいて笑いのベクトルだけが突出しているわけではない番組における、ふとしたタイミングで出てくるコメント、特にダメな芸人の所作やエピソードに対するコメントや、事故処理能力の高さととっさの判断力、その場の空気を読む力は凄まじい。
普通は加齢と共にその手の反射神経は衰えてくる。たけしですら30代後半あたりからその手の反射神経が鈍ってきたので、自分の創造性を発揮するステージを、発想を熟慮出来る映画に移行させたという事情がある。


松本人志の反射神経的コメント能力の高さはある意味では島田紳助の天才性を受け継いだのかもしれないが、その方向性や漂ってくる匂いは全然違うし、殺傷能力はともかく毒性や副作用の深刻さにおいては桁違いに松本の方が凄い。


で、そのベクトルの笑いを反射神経ではなくネタとして組み込み結果を出しているのがオードリーと南海キャンディーズだった。


両者ともM-1グランプリ2位という奇妙な符合があるが、最初にそれぞれの漫才を見たときは衝撃だったし、ツッコミのワードセンスの高さとバリエーション豊富さに驚いた。



関西芸人のようにやたらとでかい声で乱暴に相方を叩く訳ではなく、声のトーンも軟硬取り揃え、無視や人格否定といった陰湿な方法でツッコんだり、お客さんに謝罪するという形でのツッコミがあったりと、とにかくイリーガルなお笑い文法を駆使しまくっての笑いの取り方には気持ちのよさを感じた。



さすがに浜田雅功のようにワードセンスは相方に任せて、叩きかたや声のトーン、タイミングのずらしかたやスピード感だけで、変幻自在の松本のボケに即対応するという「高性能ツッコミマシーン」タイプではない。そんな先天的ツッコミ型芸人は中々居ない。無言で頭突きするだけでツッコミとして成立させてしまう芸人なんて浜田だけだ。



若林や山里はどちらかというとツッコミのワードのなかにボケも内包されているという、たけしや新助のような漫談型のツッコミ芸人で、ネタもボケ主導型ではなく、ツッコミがあって初めて成立するようになっている。



で、そんな司令塔二人が自らのお笑い論法を解体し、再構築してネタとして提示するという、結構な封じ手をやっている番組が「足りないふたり」。


オードリーはコンビとしての露出も多いし、ラジオを聴いていればコンビ間の関係性や春日とのコンビでなければ中々発揮出来ない才が若林の中にあることも確認出来るのでコンビ解散は無いだろうが、元々お笑いスキルが稀薄だった相方がボクサーになり、生来のピン芸人タイプで何人もの相方を精神崩壊に追い詰めるほど性格の悪い山里にとっては、南海キャンディーズが崩壊してもしょうがないし、実は本人も痛くも痒くもないと思ってるのではないか?と思った。「足りないふたり」のような番組はそれに拍車をかけるだろう。



しかし違うのだ。「足りないふたり」の漫才は確かに面白いし好きなタイプの笑いではあるけど、やっぱり爆発力が違う。
同じようにスキルの高い二人が協調しながら作っていく笑いよりも、異物を取り込み飼い慣らしたりときに蹴られたりしながら七転八倒するそれぞれのコンビの笑いの方が遥かに爆発力があって凄い。M-1で観たときの衝撃ってホントに凄かったんだから。


とは言えこの「足りないふたり」の、傷をなめあってるようでいて実は塩を塗り込みあってるような関係性が垣間見れるこの番組は楽しい。ステロイド度数は高いが、好きなもんにとってはたまらない旨味を含んでいる。



昔の「松本新助」がそうであったようにお笑いIQの高い二人による偉大なるスピンオフ番組という感じか。
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