2006年10月
9a3a91fb.jpg 哀しい歌に惹かれる。とてつもなく哀しい歌に。
メソメソしたしみったれた歌は大嫌いだ。自己憐憫に満ちて自己完結な歌は気が滅入る。
激しく摩擦を起こし感覚をヒリヒリとさせてくれるような歌が必要だ。自己を哀れんでいる暇なんかねぇんだ、と唾を吐きかけてくるようなやさしい歌が必要だ。
そんな歌を作り歌う人は皆哀しさを強烈に感じさせる。自分を本当に鼓舞させてくれる歌がどうしても必要だったのにどこにもないから自分で作ってしまったのだ。偉大なる自慰行為。哀しい。
がんばってジョン ジョンがんばって
大丈夫だよ
戦いに勝てるさ
がんばれ世界よ 持ちこたえろ
大丈夫だよ
光明が見えてくるだろうから
HOLD ON/JOHN LENNON
世界で最も偉大なロックバンドを解散させたあと、世界で最も有名なロックンローラーが最初に発表したアルバムに入っている、世界で最も哀しい自慰ソング。
この曲が凄いのは「がんばれジョン」「がんばれヨーコ」と歌ったあとに「がんばれ世界」と歌っている所だ。
「自分」と「世界」を何のためらいも尊大さも無く並列してみせるところがジョンレノンの凄さで、しかもこれを高らかに歌い上げるのではなくテロテロとギターを弾きながらヘロヘロと歌ってるという所が実にポップ。なんて哀しくて情けなくて素晴らしいんだ!
この曲が入っている「ジョンの魂」というこのアルバム、冒頭は重苦しい鐘の音が数回轟く。そしてその響きを断ち切って「マザー」がいきなり始まる。
母さん 僕はあなたのものだったけれど
あなたは僕のものになってはくれなかった
僕はあなたを求めたけど あなたには僕はいらなかった
だからこう言うしかなかった
さようなら さようなら
父さん あなたは行ってしまったけれど
僕は決して忘れる事が出来なかった
僕にはあなたが必要だったのに あなたに僕はいらなかった
だからこう言うしかなかった
さようなら さようなら
子供達よ 僕と同じ事は決してするな
僕は歩けないのに走ろうとしてたんだ
だからこう言うしかなかった
さようなら さようなら
MOTHER/JOHN LENNON
この曲でジョンレノンは自らの両親、そしてビートルズという夢との決別を歌う。「歩けないのに走ろうとしていた」とはまさにビートルズの事だろう。
シンプルな伴奏をバックに実に清々しく優しく歌い放っている。歌詞も簡潔で深い。これほど明快に強烈に自分の人生を表現し切った作品はそうそうない。
しかしこの歌が本当の意味で凄みを増すのは最後のリフレインの所だ。
母さん 行かないで
父さん 戻ってきて
この言葉を延々絶叫し続ける。シャウトなんてカッコいいもんではなくて本当に心から絞り上げるような絶叫。そこまで清々しく歌ってきた決別の意思を反古にするようなこんな言葉を何のてらいもなくただ暴力的に並べてしまうところが凄まじい。
これは決別の歌なんて勇ましいものではない。実に情けなく哀しい心情吐露の歌だ。
哀しい歌がどうしようもなく必要だ。
心を鼓舞してくれるような強烈に哀しい歌が。偉そうに人を鼓舞するような勇ましい応援歌は大嫌いだ。いらない。
まず自分を強烈に鼓舞させなければ何も始まらない。人には伝わらない。
そんな歌を作らねば。
メソメソしたしみったれた歌は大嫌いだ。自己憐憫に満ちて自己完結な歌は気が滅入る。
激しく摩擦を起こし感覚をヒリヒリとさせてくれるような歌が必要だ。自己を哀れんでいる暇なんかねぇんだ、と唾を吐きかけてくるようなやさしい歌が必要だ。
そんな歌を作り歌う人は皆哀しさを強烈に感じさせる。自分を本当に鼓舞させてくれる歌がどうしても必要だったのにどこにもないから自分で作ってしまったのだ。偉大なる自慰行為。哀しい。
がんばってジョン ジョンがんばって
大丈夫だよ
戦いに勝てるさ
がんばれ世界よ 持ちこたえろ
大丈夫だよ
光明が見えてくるだろうから
HOLD ON/JOHN LENNON
世界で最も偉大なロックバンドを解散させたあと、世界で最も有名なロックンローラーが最初に発表したアルバムに入っている、世界で最も哀しい自慰ソング。
この曲が凄いのは「がんばれジョン」「がんばれヨーコ」と歌ったあとに「がんばれ世界」と歌っている所だ。
「自分」と「世界」を何のためらいも尊大さも無く並列してみせるところがジョンレノンの凄さで、しかもこれを高らかに歌い上げるのではなくテロテロとギターを弾きながらヘロヘロと歌ってるという所が実にポップ。なんて哀しくて情けなくて素晴らしいんだ!
この曲が入っている「ジョンの魂」というこのアルバム、冒頭は重苦しい鐘の音が数回轟く。そしてその響きを断ち切って「マザー」がいきなり始まる。
母さん 僕はあなたのものだったけれど
あなたは僕のものになってはくれなかった
僕はあなたを求めたけど あなたには僕はいらなかった
だからこう言うしかなかった
さようなら さようなら
父さん あなたは行ってしまったけれど
僕は決して忘れる事が出来なかった
僕にはあなたが必要だったのに あなたに僕はいらなかった
だからこう言うしかなかった
さようなら さようなら
子供達よ 僕と同じ事は決してするな
僕は歩けないのに走ろうとしてたんだ
だからこう言うしかなかった
さようなら さようなら
MOTHER/JOHN LENNON
この曲でジョンレノンは自らの両親、そしてビートルズという夢との決別を歌う。「歩けないのに走ろうとしていた」とはまさにビートルズの事だろう。
シンプルな伴奏をバックに実に清々しく優しく歌い放っている。歌詞も簡潔で深い。これほど明快に強烈に自分の人生を表現し切った作品はそうそうない。
しかしこの歌が本当の意味で凄みを増すのは最後のリフレインの所だ。
母さん 行かないで
父さん 戻ってきて
この言葉を延々絶叫し続ける。シャウトなんてカッコいいもんではなくて本当に心から絞り上げるような絶叫。そこまで清々しく歌ってきた決別の意思を反古にするようなこんな言葉を何のてらいもなくただ暴力的に並べてしまうところが凄まじい。
これは決別の歌なんて勇ましいものではない。実に情けなく哀しい心情吐露の歌だ。
哀しい歌がどうしようもなく必要だ。
心を鼓舞してくれるような強烈に哀しい歌が。偉そうに人を鼓舞するような勇ましい応援歌は大嫌いだ。いらない。
まず自分を強烈に鼓舞させなければ何も始まらない。人には伝わらない。
そんな歌を作らねば。
16d7ca9e.jpg ウチのドラムに頼まれて今マイルスデイヴィスのベストを作っている。
クロスオーバー期以前という要望なので、俺がマイルスで最も好きな時期、1965〜68年辺りの俗に言う「新主流派」時代のマイルスクインテットの音源を中心に編んでいる。
この時期はサックスにウェインショーター、ピアノにハービーハンコック、ベースはロンカーター、そしてドラムスにトニーウィリアムスというとんでもない布陣が集まったクインテットで、とにかく凄い。
後のエレクトリックマイルスの土俗的で大らかなグルーヴとは違って、エレクトリック期直前のこの時期のマイルスバンドはギリギリの緊張感とヒンヤリした質感の音が特徴だ。
特にこの面子でのラストアルバム「ネフェルティティ」はジャズという枠組みの崩壊寸前の所で踏みとどまっているような極北感があって俺は堪らなく好きだ。トニーウィリアムスのドラムがとにかく凄い。
マイルスにハマるきっかけとなったアルバムがこの時期の2枚目のアルバム「マイルススマイルス」という(ジャケットはマイルスが笑っている写真のアップのみ。シャレかよ!?写真参照)アルバムだったのでここから結構選曲した。「サークル」とか「フットプリンツ」とか「フリーダムジャズダンス」なんて最高だよ。
俺はあんまりウェインショーターの良さが分らないんで耳が行くのはハービーの独特のハーモニーとか、ロンのハイフレットのときのピッチ感だったりするんだけど、やっぱ御大の少しかすれたトーンのペットが出てくると「参りました」となってしまう。「間」がこれほどサマになるミュージシャンは中々いない。吹いてないときの空気の音に色気がある。そこに居るだけで音楽が鳴っている。
ジャズミュージシャンて押し並べて皆演奏が上手いのでジャズにおける上手い下手の差はよく分からない。マイルスだって決して上手いプレーヤーではないだろう。実際「コレええんか?」と突っ込んでしまうようなミストーンが平気で正規盤に収録されてたりするけど、マイルスはテクニックではなくてその存在全体、魂で音楽を表現していたんだと思う。ステージに立って吹く前からすでに音楽が鳴っている希有な人だったんだろうと思う。
そんなプレイヤー、表現者でマイルスに匹敵する人を他にあげるならジミヘンドリックスしかいないんじゃないだろうか。
今日下北の古着屋をなんとなく廻っていたらある店でジミヘンとジムモリソンが泥酔ジャムセッションをした時の結構レアな音源がかかっていて思わず聴き入ってしまった。
この音源は俺も持っているのだけれど、この時のジミのギターは単なる適当なジャムセッションとは思えないほど鬼気迫っている。全体のノリがダラダラしブルースセッションなだけに、余計ジミの暴力的なまでにセクシーなギターが際立つ凄まじいライブだ。
話によるとジミヘンドリックスという人は大変気のいい奴で、誰とでも仲良くなる人なのでレコーディング何かで煮詰まると適当に通りを歩いてる人に「楽器出来る?」とか言ってスタジオに連れ込んで乱痴気騒ぎで無駄な時間を浪費して莫大なスタジオ費用がかかったとか、自分のライブが終わっても興奮が納まらず夜な夜なクラブに出向いてはひたすらお気楽にジャムセッションしまくってたらしい。時にはエリッククラプトンとかジェフベックとかいった当時のトップクラスのミュージシャンとセッションして当然の如く圧倒、圧勝して彼等を精神的に追いつめたりしていたという「らしい」エピソードも残っている。後に語っていたがジェフベックは其の時期本気でギタリスト廃業も考えたらしい。ジミーペイジに至ってはスタジオワークとヤードバーズが忙しくて一度も生で観た事がないと後に語っているように「逃げて」(笑)いたようだ。
とにもかくにもジミヘンって最高に「セクシー」だ。
で、その上記のジャムセッションで泥酔してただ「ヴォオオ〜」と叫んでいただけのジムモリソン。彼のドアーズでの成功から死に至るまでの時期を切り取った伝記映画「ドアーズ」(監督はオリバーストーン)のビデオが下北で300円で売っていたので即買い。実に10年ぶりぐらいにこの映画を観る。
昔観た時はそれほどドアーズを聴きまくっていた訳ではなかったので、結構面白かった映画、あんまりジムモリソンが似てないという印象くらいしかなかったけど、改めて観て思ったのが、まあ当然の事ながら異様に音楽に力を入れている映画だわコレ。
音楽/ドアーズとなっているのでオリジナルドアーズの音源を使っていると思うんだけど、ライブシーンに使われた音源はアレどうなってんだろう?かなりのそっくりさんが新たに録音したんだろうか?っていうくらい臨場感のある音像で、俺が聴いたどのドアーズのライブ音源よりもジムモリソンが狂ったように雄叫びをあげ、陶酔して踊り、観衆を煽るだけ煽り、劇的で鬼気迫るものがあった。たとえコレが新たに録音された別人の歌だったとしても当時のドアーズのライブってこのくらいヤヴァくてめちゃくちゃでスリリングだったんだろうなと思わせるに充分な出来だった。
この手の音楽絡みの映画、特にロックもので一番シラケるのがそこのツメが甘い作品だ。昔観た映画で「ジョンとヨーコのラブストーリー」とか何とか言うタイトルのそっくりさん演じる映画があった。その中でビートルズのライブのシーンが出てきた。で、彼等がステージに呼び込まれていきなり演奏し出すのが「ヘルプ」。ビートルズのライブで「ヘルプ」がオープニングを飾ったライブなんて一度もない。確かに些細な事かもしれんし、ジョンレノンの苦悩を初めて作品化した「ヘルプ」という曲を使いたかった意図は映画の内容上分るのだが、それにしても曲の滑り込ませ方としては他に持ったあったんじゃない?ていうくらい適当だった。そう言う細かい詰めの甘さが作品に対して懐疑的なってしまう要因を作るのに。
その点この「ドアーズ」は良心的に作られてるんではなかろうか?俺はドアーズマニアではないので詳しい事は分らないけど感覚的に不自然に感じる所は無かった。まあ、映画で描かれているジムモリソン像が正しかったのかどうかはどうでもいいしそこはオリバーストーンの表現の領域なので、映画としては相変わらず「楽しめる」作品だった。ジムモリソンの存在自体が「表現」として成り立っているからねえ。
という事で相変わらず昔のものを聴いている。あ、今日下北の電気屋の街頭テレビででモー娘。のコンサートも観たよ。誰がどうでもいいくらい分らないけど、若い女子が汗かきながら歌って踊っているのを観るのはいいもんだ。うん、良かった。音がオフになっていたからね。
クロスオーバー期以前という要望なので、俺がマイルスで最も好きな時期、1965〜68年辺りの俗に言う「新主流派」時代のマイルスクインテットの音源を中心に編んでいる。
この時期はサックスにウェインショーター、ピアノにハービーハンコック、ベースはロンカーター、そしてドラムスにトニーウィリアムスというとんでもない布陣が集まったクインテットで、とにかく凄い。
後のエレクトリックマイルスの土俗的で大らかなグルーヴとは違って、エレクトリック期直前のこの時期のマイルスバンドはギリギリの緊張感とヒンヤリした質感の音が特徴だ。
特にこの面子でのラストアルバム「ネフェルティティ」はジャズという枠組みの崩壊寸前の所で踏みとどまっているような極北感があって俺は堪らなく好きだ。トニーウィリアムスのドラムがとにかく凄い。
マイルスにハマるきっかけとなったアルバムがこの時期の2枚目のアルバム「マイルススマイルス」という(ジャケットはマイルスが笑っている写真のアップのみ。シャレかよ!?写真参照)アルバムだったのでここから結構選曲した。「サークル」とか「フットプリンツ」とか「フリーダムジャズダンス」なんて最高だよ。
俺はあんまりウェインショーターの良さが分らないんで耳が行くのはハービーの独特のハーモニーとか、ロンのハイフレットのときのピッチ感だったりするんだけど、やっぱ御大の少しかすれたトーンのペットが出てくると「参りました」となってしまう。「間」がこれほどサマになるミュージシャンは中々いない。吹いてないときの空気の音に色気がある。そこに居るだけで音楽が鳴っている。
ジャズミュージシャンて押し並べて皆演奏が上手いのでジャズにおける上手い下手の差はよく分からない。マイルスだって決して上手いプレーヤーではないだろう。実際「コレええんか?」と突っ込んでしまうようなミストーンが平気で正規盤に収録されてたりするけど、マイルスはテクニックではなくてその存在全体、魂で音楽を表現していたんだと思う。ステージに立って吹く前からすでに音楽が鳴っている希有な人だったんだろうと思う。
そんなプレイヤー、表現者でマイルスに匹敵する人を他にあげるならジミヘンドリックスしかいないんじゃないだろうか。
今日下北の古着屋をなんとなく廻っていたらある店でジミヘンとジムモリソンが泥酔ジャムセッションをした時の結構レアな音源がかかっていて思わず聴き入ってしまった。
この音源は俺も持っているのだけれど、この時のジミのギターは単なる適当なジャムセッションとは思えないほど鬼気迫っている。全体のノリがダラダラしブルースセッションなだけに、余計ジミの暴力的なまでにセクシーなギターが際立つ凄まじいライブだ。
話によるとジミヘンドリックスという人は大変気のいい奴で、誰とでも仲良くなる人なのでレコーディング何かで煮詰まると適当に通りを歩いてる人に「楽器出来る?」とか言ってスタジオに連れ込んで乱痴気騒ぎで無駄な時間を浪費して莫大なスタジオ費用がかかったとか、自分のライブが終わっても興奮が納まらず夜な夜なクラブに出向いてはひたすらお気楽にジャムセッションしまくってたらしい。時にはエリッククラプトンとかジェフベックとかいった当時のトップクラスのミュージシャンとセッションして当然の如く圧倒、圧勝して彼等を精神的に追いつめたりしていたという「らしい」エピソードも残っている。後に語っていたがジェフベックは其の時期本気でギタリスト廃業も考えたらしい。ジミーペイジに至ってはスタジオワークとヤードバーズが忙しくて一度も生で観た事がないと後に語っているように「逃げて」(笑)いたようだ。
とにもかくにもジミヘンって最高に「セクシー」だ。
で、その上記のジャムセッションで泥酔してただ「ヴォオオ〜」と叫んでいただけのジムモリソン。彼のドアーズでの成功から死に至るまでの時期を切り取った伝記映画「ドアーズ」(監督はオリバーストーン)のビデオが下北で300円で売っていたので即買い。実に10年ぶりぐらいにこの映画を観る。
昔観た時はそれほどドアーズを聴きまくっていた訳ではなかったので、結構面白かった映画、あんまりジムモリソンが似てないという印象くらいしかなかったけど、改めて観て思ったのが、まあ当然の事ながら異様に音楽に力を入れている映画だわコレ。
音楽/ドアーズとなっているのでオリジナルドアーズの音源を使っていると思うんだけど、ライブシーンに使われた音源はアレどうなってんだろう?かなりのそっくりさんが新たに録音したんだろうか?っていうくらい臨場感のある音像で、俺が聴いたどのドアーズのライブ音源よりもジムモリソンが狂ったように雄叫びをあげ、陶酔して踊り、観衆を煽るだけ煽り、劇的で鬼気迫るものがあった。たとえコレが新たに録音された別人の歌だったとしても当時のドアーズのライブってこのくらいヤヴァくてめちゃくちゃでスリリングだったんだろうなと思わせるに充分な出来だった。
この手の音楽絡みの映画、特にロックもので一番シラケるのがそこのツメが甘い作品だ。昔観た映画で「ジョンとヨーコのラブストーリー」とか何とか言うタイトルのそっくりさん演じる映画があった。その中でビートルズのライブのシーンが出てきた。で、彼等がステージに呼び込まれていきなり演奏し出すのが「ヘルプ」。ビートルズのライブで「ヘルプ」がオープニングを飾ったライブなんて一度もない。確かに些細な事かもしれんし、ジョンレノンの苦悩を初めて作品化した「ヘルプ」という曲を使いたかった意図は映画の内容上分るのだが、それにしても曲の滑り込ませ方としては他に持ったあったんじゃない?ていうくらい適当だった。そう言う細かい詰めの甘さが作品に対して懐疑的なってしまう要因を作るのに。
その点この「ドアーズ」は良心的に作られてるんではなかろうか?俺はドアーズマニアではないので詳しい事は分らないけど感覚的に不自然に感じる所は無かった。まあ、映画で描かれているジムモリソン像が正しかったのかどうかはどうでもいいしそこはオリバーストーンの表現の領域なので、映画としては相変わらず「楽しめる」作品だった。ジムモリソンの存在自体が「表現」として成り立っているからねえ。
という事で相変わらず昔のものを聴いている。あ、今日下北の電気屋の街頭テレビででモー娘。のコンサートも観たよ。誰がどうでもいいくらい分らないけど、若い女子が汗かきながら歌って踊っているのを観るのはいいもんだ。うん、良かった。音がオフになっていたからね。
513e232d.jpg 今スピリッツで連載している、ハクバノ王子サマ/朔ユキ蔵
という作品がとても面白い。
もともと朔ユキ蔵はエロ雑誌出身で、かなり刹那的で暴力的でエモーショナルでロックなエロマンガを書いていた。そのころから単なるエロマンガ家ではないなと思っていたけど、その後メジャー青年誌であるスピリッツにて、かなり荒唐無稽でバカバカしくも面白い「つゆだく」というエロギャグ漫画を連載して決定的に人気作家となる。
そして次の作品として描かれたのがこの「ハクバノ王子サマ」である。
この作品は今までの破壊的なエロマンガから一転して、淡く微妙な男女の感情の機微を描いたシリアス漫画だ。
25歳で女子高に赴任してきた新米教師「小津」と32歳の独身女性教師「原」の恋愛に「原」と過去に関係のあった同僚「黒澤」や「小津」の妹らが絡んでくる。
「原」と「小津」はお互いに心惹かれ合うも「小津」には婚約者がいたり「原」は7歳も年上であるといった複雑な感情が入り交じって云々、といった設定だけ見ればごくごくありふれた、まあ日本人が好きな「すれ違い恋愛劇」だ。
しかしこんなに手垢にまみれたパターンの漫画なのに新鮮で面白いのだ。
何故か。それは朔ユキ蔵の表現力の高さに他ならない。この作品における朔ユキ蔵の描く心理描写はえらくきめ細かく繊細だ。
普通の感覚を持った登場人物の、普通の感情の機微を、普通に描いているだけなのに、その絶妙なさじ加減による抑制と昂揚がこちらの心を捉えて離さない。
朔ユキ蔵は最初にも描いたようにかなり刹那的で暴力的な作家だ。
その作家が敢えて抑制されたトーンで描いているがゆえに、いつ暴発してもおかしくない、これまで作ってきたトーンを破壊して終わらせてもおかしくないという緊張感をその行間から産んでいる。だからそのペンタッチは力強く生命力とエロスを感じさせるものだ。
しかし期待してしまうのだ。この「普通」だらけの展開が、いきなり「カオス」となる瞬間を。そしてその「カオス」が去ったあとの荒涼としたしかし清々しい景色を。ていうかこの作家本当にやりかねない。それだけこの筆致はそんな暴力性を孕んでいるのだ。
しかしその緊張感を孕んだままそうならないでちゃんとした「作品」として完結させてこちらを弛緩させて欲しいと言う想いもない事はないのだが。ああ次はどうなるんだろう?久しぶりにリアルタイムで楽しめる漫画だ。
ということで今週か次週あたりにまた次の展開が期待出来そうだ。
さてもう今日になってしまいましたが代々木公園でザ・ワイセッツは路上ライブをやらかします。原宿駅から代々木公園に向かって歩いてしかし公園には入らず外周を5分ほど歩いてひとしきり見せ物が終わったあたりにある信号機のすぐ近くでやります。
今回はノリマユゲとのツーマンでございます。秋の涼しい風がワイセッツの音を多少除湿してくれるでしょう。
という作品がとても面白い。
もともと朔ユキ蔵はエロ雑誌出身で、かなり刹那的で暴力的でエモーショナルでロックなエロマンガを書いていた。そのころから単なるエロマンガ家ではないなと思っていたけど、その後メジャー青年誌であるスピリッツにて、かなり荒唐無稽でバカバカしくも面白い「つゆだく」というエロギャグ漫画を連載して決定的に人気作家となる。
そして次の作品として描かれたのがこの「ハクバノ王子サマ」である。
この作品は今までの破壊的なエロマンガから一転して、淡く微妙な男女の感情の機微を描いたシリアス漫画だ。
25歳で女子高に赴任してきた新米教師「小津」と32歳の独身女性教師「原」の恋愛に「原」と過去に関係のあった同僚「黒澤」や「小津」の妹らが絡んでくる。
「原」と「小津」はお互いに心惹かれ合うも「小津」には婚約者がいたり「原」は7歳も年上であるといった複雑な感情が入り交じって云々、といった設定だけ見ればごくごくありふれた、まあ日本人が好きな「すれ違い恋愛劇」だ。
しかしこんなに手垢にまみれたパターンの漫画なのに新鮮で面白いのだ。
何故か。それは朔ユキ蔵の表現力の高さに他ならない。この作品における朔ユキ蔵の描く心理描写はえらくきめ細かく繊細だ。
普通の感覚を持った登場人物の、普通の感情の機微を、普通に描いているだけなのに、その絶妙なさじ加減による抑制と昂揚がこちらの心を捉えて離さない。
朔ユキ蔵は最初にも描いたようにかなり刹那的で暴力的な作家だ。
その作家が敢えて抑制されたトーンで描いているがゆえに、いつ暴発してもおかしくない、これまで作ってきたトーンを破壊して終わらせてもおかしくないという緊張感をその行間から産んでいる。だからそのペンタッチは力強く生命力とエロスを感じさせるものだ。
しかし期待してしまうのだ。この「普通」だらけの展開が、いきなり「カオス」となる瞬間を。そしてその「カオス」が去ったあとの荒涼としたしかし清々しい景色を。ていうかこの作家本当にやりかねない。それだけこの筆致はそんな暴力性を孕んでいるのだ。
しかしその緊張感を孕んだままそうならないでちゃんとした「作品」として完結させてこちらを弛緩させて欲しいと言う想いもない事はないのだが。ああ次はどうなるんだろう?久しぶりにリアルタイムで楽しめる漫画だ。
ということで今週か次週あたりにまた次の展開が期待出来そうだ。
さてもう今日になってしまいましたが代々木公園でザ・ワイセッツは路上ライブをやらかします。原宿駅から代々木公園に向かって歩いてしかし公園には入らず外周を5分ほど歩いてひとしきり見せ物が終わったあたりにある信号機のすぐ近くでやります。
今回はノリマユゲとのツーマンでございます。秋の涼しい風がワイセッツの音を多少除湿してくれるでしょう。