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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2011年08月

2011年08月28日22:01
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昨日の岡野さんのライブは来てくれた人の感触としては好評だったようだ。
個人的にはもっとライブ感が出せるような、歌が歌いやすいようなグルーヴのギターを弾きたかったけど、準備期間が短かったし何より知り合ったばかりといっていいほどの関係なので、今回はお互いのグルーヴの摺り寄せってところでとどまった感じだろうか。まあ次の機会があったらもっとがんばろうと。
岡野やすこファンがピアノ弾き語りのスタイルを欲していて、ギターとのデュオじゃ物足りないっていうのが大方ならちょっと考えないとねぇ・・・。



胎盤というか昨夜のメインはゴマアブラというファンクバンドで、ファンク、ソウル、R&Bといったルーツをストレートに表現しているバンド。そりゃあライブは盛り上がったさ。メンバーがこれまたいいキャラしてるんだ。打ち上げでもそれぞれをいじりまくったさ。


リーダーでヴォーカル/ベースの林君は俺が昔ワイセッツというバンドをやっていた頃によく対バンしていた毒人参という女子ヴォーカルのロックバンドでベースを弾いていて、昨日顔合わせのときに声をかけてくれて初めて気づいた。人間どこでつながってるかわかりゃしねぇ。それにしても歌もベースもめちゃめちゃうめぇ!いるんだね、こういう人が。


昨日出させてもらったスターパインズカフェは今福島と宮城の日本酒を出していて、うちの親父と同じ名前の「大七」は美味かったな。酒盗とクリームチーズとこあ福島産の漬物などをアテにかなり日本酒を飲んじまった。ファンクビートを浴びてるとビールとかの方が盛り上がったんだろうけどね。


やっぱバンドのライブはいいな。サポートメンバーで固めたようなバンドじゃなくて、メンバー一丸となって一つの目標に向かって突き進んでる「バンド」ってやつ。グルーヴが違う。歌詞カードや楽譜見ながらライブやってちゃグルーヴなんざ生まれねぇ。そういいながら俺も昨日は見てたけどね(笑)。ダメだぁ〜。リヴェンジしたい。というかバンドやりたい。


2011年08月27日13:53
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本日、岡野やすこさんのサポートでギター弾きます。吉祥寺スターパインズカフェにて、19時40分から。


今まで自分勝手なギターしか弾いてこなかったので、人のサポートで弾くってのは修行のようなもんだ。この歳になってからサポートギターの修行ってのも芳ばしいが、まあジンセーマンセーこれシュギョーといううことで、俺の緊張したギターを冷やかしにくる目的でもいいので岡野さんの歌を聴きに来てください。と言うとやすこに怒られるだろうか。
2011年08月25日11:22
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昨夜のライブは久方ぶりでかつ急だったもんで、思いきったことをやってみた。


「足つった!」というアホみたいな新曲、ビートルズのカバーで「伊豆へ不倫旅行しよう!」という歌詞をつけた「イエス・イット・伊豆」、最近狂ったように聴いてるねごとの「カロン」などをやってみた。


新機軸をやると中々気合いが入る。特にねごとの曲。リアルタイムのヒット曲をカバーするなんていう事は相当レアケースなんだけど、やりたくてやりたくてしょうがないからやっちまったんだ。しょうがあるめぇ。本当にいい曲だ。


また歌いたいや。
2011年08月23日19:33
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急きょ、明日弾き語りライブすることと相成りました。場所はいつもの「真昼の月 夜の太陽」、時間は19時40分からどす。


昨夜はその真昼でセッション大会があり、ギターもともかくながら、かなり歌いまくって酒のみまくったので、咽がかなり疲弊してるけんど、明日までにはなんとかなるでしょう。多分...。


もし時間があったら遊びに来てください
な。

LIVE HOUSE 「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
TEL&FAX 03-6380-3260
HP http://mahiru-yoru.com/

楽しみたいもんですよ。
2011年08月05日22:44
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ねごとのアルバム「ex Negoto」をずっとループしてる。


一言で言うなら麻薬性のある音。その麻薬性の最大の要因はヴォーカルのさちこさんの声にある。


とても不思議な質感を持っているんだわ。ロリータ声でもない、中性的とも違う、ヴォーカロイドのような気色悪いエモーショナリズムでもない、その中間の何処かというようなそんな声。
aikoとか木村カエラのような平坦な感情表現の程よさとは違う、初期の椎名林檎に近い、機能性重視の抑揚と抑制が効いた歌い回し、というとワケわかんないな(笑)。


ディーバ系女性シンガー特有の三日目の生理痛の重さを押し付けてくるかのような暑苦しさが嫌いな俺としては、この非人間的一歩手前のような器楽的な声の不思議な魅力は、今の自分の温度にジャスト。とても気持ちがいいッス。



暑苦しさが悪いという訳じゃないし、むしろそれくらい過剰じゃないと満足できないオーヴァードーズ体質なんだけれど、こと日本的湿度とか演歌的情緒がロックやポップスに入り込んでくるのに、一度は拒絶反応を示してしまいがちな自分にとって、この声の無機質一歩手前のエモーションは理屈抜きで体に染み込むわぁ。エイフェックスツウィンとかレイハラカミの電子音が理屈抜きに気持ちいいのと似ている。


このアルバムの代表的な曲「カロン」。この曲のサビの「何度夢をくぐったら君に会えるの」という部分を聴くと毎回胸がキューっと締め付けられる。


この歌詞が切なさを生んでるのもあるだろうし、そこの部分のコード進行の響きにえも言われぬ美しさがあるのかもしれない。


しかし何よりもこの声、人間性や思想性、背負っている人生といった全ての煩わしさを感じさせない、純粋に音として気持ちのいい声の響きが、矛盾するようだけど異様なまでに切なく、エモーショナルな感動を喚起させる。



超飛躍だし直接的な関連性は無いけれど、小津映画や北野映画に感じる、メロドラマ的記号性を一切廃除し、究極のミニマリズムを追求した果てに醸し出される「切なさ」や「美しさ」、それと同じような作用がこのねごとのヴォーカルさちこさんの声にはある。飛躍し過ぎか(笑)。


この声を支えるバンドの音がまたとてもいい。
ブルースとかR&Bとかロックンロールといった借り物のルーツミュージックの匂いが殆んど無い、脱臭されたロックの音。これが実にこのヴォーカルに合う。まあそりゃバンドだからそうなってきたのは当たり前か。



10年代特有の湿っているようでサラッとしているギターロックの音に絡むセンスのいい電子音、黒っぽさや突っ掛かりの少ないグルーヴ、まさにこの声に相応しいバンドサウンド。本来はこういったものとは真逆の暑苦しくグルーヴィーでブラッキーな音楽が好きなくせにね(笑)。逆もまた真なりってことか。



果たしてこの質感がライブで再現できるかも分からないし、3年後も5年後もこの美しさや切なさが保っているのか分からないけれど、少なくともこのアルバムには、どんなに優れたバンドでもそう何度も再現出来ないであろう奇跡的なバランスで保たれた美しさや切なさ、そしてえも言われぬ快感が封入されている。



ひょっとしたら十代や二十代のファンが受け止めている感動とは全く別なところでハマってるのかもしれないが、久しぶりに一枚丸々聴き通すことが心地よいアルバムだ。三十路のヤモメにも響くよ、このアルバム。


こういう音、2011年の必然性を感じる音に触れるととっても刺激される。こんな気持ちは過去の名盤や名演を聴いても中々得られない。こういう音にもっと出会いたいなぁ。
2011年08月01日16:11
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ここ最近思うことについて。


姉貴が二人いて末っ子という環境で育ち、親しい親戚にもいとこにも自分より年下の女子がいなかったせいか、自分と接する女性に対しては、恋人であろうと、友人であろうと、知り合いであろうと、歳上であろうと年下であろうと、基本「お姉ちゃん」に接するスタンスになってしまうようだ。ようするに「甘ったれる」というスタンス。



勿論文字通り甘える訳ではないのだが、会話をしていても、仕事をしていても、もっと濃密なコミニュケーションをしていても「分かっててくれてるはず」か「わかってくれよぅ」というのが基本にあるようだ。「分からせる」とか「いやがおうでも分かるってくらい説得力がある」ってのでは決してない。これはいい年こいて厄介だ。ましてやシンガーソングライターには向かないかもしれない(笑)。



妹もしくは年下の親族が居れば、年下の女子に対しての正しき処しかた、諸々を背負うということについての自覚が生まれるんだろうが、極端なまでそっちに対しては欠落している。
ホントに自分よりだいぶ下でも、少なくとも相手が成人してりゃ同じ目線か甘えるスタンスで接してしまう。ひょっとしたら女子高生ぐらいと付き合う機会があったら(残念ながら全く無いが)、たとえ未成年でも姉ちゃんみたいに接してしまうかもしれない。





さて、自分で書くのも馬鹿だけど仕方ないので言うが、よく女の人(に限らないが)から「かわいい」とか「素直」とかって言われることが頻繁にある。
この年の男、しかもかなりいかつい見た目のおっさんを指してそういう形容をするのは、冗談かバカにしてんのかコノヤローとしか思えなかったが、色々根拠を聞くとどうも本当にそう思われてるようだ(ナニを書いてんだか...)。
なにせ元の彼女に「あんたはカッコよさゼロ、100%カワイイで出来てた」と言われた。正直ちょっとショックだったが(笑)。



当たり前だが自分では自身のことを「かわいい」とも「素直」ともましてや「真っ直ぐ」だとか「正直」だとも全く思わない。人間の誰しもがそうであるように、イヤらしくて狡くて汚い部分も一杯あると思う。



ただ人に、特に女の人にそういう風に思われがちな傾向の最大の要因は、やはり育ってきた環境なのだと思う。要するに無意識レベルで年下とか子供のようなスタンスで女の人と接してしまっている。子供は決して純真無垢ではなく、狡いし嘘つきだけど、割りと簡単に見透かされてしまうレベルの計算しか出来ない。で、俺はそのレベルなのだろう(笑)。実際すぐ嘘はバレてたし。


環境のせいにするのも狡いし、決して女系一家というわけではない。歳上の従兄には男もゴロゴロ居やがる。けど、自分より下に女子は居ないし、最も身近にいたのが姉貴二人というのは、やっぱりでかいなぁ。いつまでたっても子供スタンス、年下スタンス、末っ子スタンスから卒業できない。結婚して子供でも生まれりゃ変わるのだろうか。よく男の話を聞いてると人生観が変わるような出来事で一番に上がるのは子供が生まれたことだ。



どうもここ最近そんなことについて考えさせられるような出来事が多くて。



女の人というのは自分にとってはいつまでたっても理解不能で不可解でまどろっこしいと思えるのだけど、だからといって嫌いにはなれない。というか大好きだ。



ただ女心の分からない男というのは糾弾されることが多いが、男心が分からねぇ、分かろうとしねぇ女ばっかのくせにそれについては誰も何も言わねぇじゃねぇか、不公平だバカヤロー!という思いがどこかにあるのは事実。


まあいいんだけどね、男は女の下僕だから。


全くとりとめが無くなってきて、この文章を整然とさせる気力が無くなってきたが、最後にひとつ、加藤茶が23歳の女性と再婚というニュースがあってまた色々と思った。
正直いい年こいてよくやるわチキショーと思うのと同時に、多分「年下と付き合う」「責任をもって背負う」というスタンスではなくどこか「甘えさせてくれる」「自分の欠落部分を補完して欲しい」という思いで結婚したんじゃねぇだろうかと邪推してしまう。



「男はいくつになっても子供だ」というロマンの話ではなく、単純に男は生命体として女より相当弱いというだけの話。だって男は寂しくて自殺までするんだよ?


多分俺らでも還暦を迎えたジジイでも等しく、女性というのは、どんなに年下であろうともひれ伏してしまうほどの存在なのだろう。なんたって母ちゃんの股の間から生まれたんだからね。生まれた時点で敵わない。


だから「かわいい」と言われる事について無下に反発してもしょうがないし、女から見りゃどんなオッサンでも男ってな「かわいい」と言えてしまうようなとるに足らない部分があるってことで納得しようとしてる2011年夏。言い出せなくて...夏。ぶっちゃけまして...夏。


夏と言えばこないだは久し振りに夏らしく海いってはしゃいで楽しかったなぁ〜♪どうでもいいこと考えこねくりまわしてるより、酒のんで女子と戯れて海に浸かってるほうが精神衛生上いいやね。


最後にひとつ...と書いてからどんだけ話が二転三転したんだ?というのも含めて「とりとめなくて...夏」
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