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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2010年10月

2010年10月28日20:51
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というかなんの根拠もない妄想っつうか茶飲み話なので、細かいところはツッコまないようお願いします。


最近グリーゼ581G なる地球から20光年離れた惑星から、こちらから送ったパルス信号の返信があったらしい。つまり地球外知的生命体の存在が確認されたというのである。で、実はそれはガセだったという報道も含めてだが、そんな話を聞いた。



昨夜テレビでたまたまフリーメイソンに関する特集をやっていてその中で、ケネディー大統領が暗殺された本当の理由は、アメリカは既に宇宙人との交信に成功しているということをケネディーが公表しようとしたのを、それを嫌がるフリーメイソンが阻止しようとして殺したらしいと。


人類の起源に関して宇宙からの生命体が重要な要素を持っていたという秘密を握るフリーメイソンが、口封じのために殺したと。



すご~く駄々羅に観てたんで詳しいことや専門用語等は一切忘れたが、アメリカという国は50年たったら国家機密を公表するという国らしいのだが、来るべき2013年はケネディーが殺されてちょうど50年。


よく言われているようにマヤの予言書では2012年に地球が終わるという。どこまで信用できるもんかは知らないけど、こうなってくるとそれなりにリアリティが出てきた。



ひょっとしたらこれまでの世界秩序が終わるのが2012年で、宇宙人との交信、交流が公式に発表される2013年をもって新しい世界秩序が生まれるのでは?という気がしてきた。



だから2013年に地球滅亡というマヤの予言書を信じるフリーメイソンが、2013年から数えること50年前にケネディーの口封じをしたのだ。


最近中国で反日デモの矛先が国政に対する不満へとベクトルが変わってきているのも、来るべき2013年にむけての揺さぶりである、とか今回の宇宙からのパルス返信も、宇宙のどこかにいる地球外知的生命体との交流が始まる元年への布石かもしれない。


と、色々都合のいいように、「こじつけ」は出来る。


こういういかにもマユツバっぽい話は結構好きだ。
物事は都合のいい方向に考えた方がいい。


ひょっとしたらそこの惑星には地球人の発想では思い付かないような面白いカルチャーが存在してるかもしれないし、気が狂いそうになるような気持ちいい行為なり感覚なりが有るかもしれない。


まあ宇宙人が攻めてきて文字通り地球滅亡なんてことになるかもしれないけどね。まあ死ぬときゃ死ぬしさ。


まあそうなったら一応地球人も戦うだろうから、ひょっとしたら地球最後の日くらいは地球に住む人が「恐怖」あるいは「諦め」で一つなるかもしれない。ジョンも浮かばれるだろう。


でもやっぱりパニックになるんだろうな。殺人、強盗、強姦で阿鼻叫喚の地獄絵図になるだろう。
「信頼」とか「安全」とかを無くしてしまえば簡単に地球は滅ぶ。宇宙人の侵略を待たずして。


地球の平和を守るため~♪みたいなテーマソングにのってやって来るヒーローが、その時には現れるんだろうか?
2010年10月28日06:01
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下唇にぴったりとくっついた焼き海苔を剥がしたら、唇から流血。どうせ唇から血を流すんならもっと色っぽいアクシデントで流したいもんだ。

エレファントカシマシの新しいシングル「いつか見た夢を」がとても良くて繰り返し聴いている。


[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/oQ23Uewsl24&feature=youtube_gdata_player]



ここ最近のエレファントカシマシのシングルは正直言って、名曲風味だけどいまいちピンとこないし物足りないって曲ばかりだったんだけど、今回の「いつか見た夢を」は、まあ同じ路線上にあることはあるんだけど、もっとシンプルにガツンとくる方向に行っている。曲も短いしPVも妙なストーリーをつけずシンプルなもんだし。
なにせド頭の言葉が、



いつか見た夢を

正夢にしよう

つまり毎日を往け



という、訳知り顔の女からは「ずいぶんロマンチストだわね」って鼻で笑われそうな歌詞だ。
だけどこういう愚直なまでの真実をぶつける歌詞を堂々とロックのビートに載せて叫ぶところにこそエレファントカシマシの良さがあって、俺はとにかく好きだ。



イントロなしでいきなり歌から入るから、宮本浩次の声の強さにまずやられる。


この人の声ってのはいかにもロックな歪んだ声であるようだけれど、不思議な透明感も備わっていているので暑苦しく感じられない。もちろんメーター振り切った絶叫絶唱も最高なんだけれど、やっぱり良いメロディーなら良い声で聴きたいというこちら側の欲求にここ10年くらいは答えてくれていて、特にこの曲なんかはここ最近のシングルの中では一番良い声で録音されてるように感じる。この曲で一番高いBのロングトーンなんかは聞き惚れてしまう。



あと「自分次第」や「気分次第」という歌詞の部分ではメジャーなコード進行に対してあえてブルーノートで音をぶつけてくるあたりがなかなか考えているなぁと思った。最近のエレカシの曲ってやたらと言葉数が多くて、その辺の小技がすごくがさつになってきている気がしたもんで。



ただシングルに収められている「エレキ弾き語り」バージョンが興味深い。これは正規バージョンからヴォーカルトラックとギタートラックを抜き出したものではない。全然別バージョンだ。
正規バージョンに比べて相当テンポも速いしグシャグシャに歪んだグランジな録音で、元々はこういう目論見で作った曲だったんだろうなぁということを偲ばせる凄まじいテイクだ。いかんせん内容とかメロディーがそんなにパンクなものではないからちぐはぐな印象を受けるが、これはこれで好きだ。



もちろん正規テイクのほうが何倍も聴きやすいし、だからこそあのアレンジを善しとしたんだろうけれど、それとは別な次元で宮本浩次は今のエレカシの保守本道、名曲路線に飽き飽きしてんじゃないだろーかという、まるでこっちの気持ちを見透かすようなモードに来ているはずだ。



「今宵の月のように」が売れて以降、その売れ線路線とその真逆のハードコアな路線を行ったり来たりしていて、それが10年近くの浮遊期となったんだけれど、せっかく近作で再び売れた訳だし、暗黒時代、暗中模索時代にはもう戻ってほしくない。



ただ、今度出るアルバムの中心部あたりには「奴隷天国」や「ガストロンジャー」「パワー・イン・ザ・ワールド」級の核爆弾を投下してほしいなとは思う。
エレカシの「身も蓋もなさ」に快感を覚える古くからのファンとしては「優等生」なメッセージや「二枚目路線」だけじゃないエレカシを聴きたい切に願う。


忌野清志朗や井上陽水や奥田民生みたいな「名曲」でありながら同時に「身も蓋もない」という方向はよっぽどの手連でないと作れないし、宮本はそんなに器用な人ではないと思う。
むしろ狂人的なまでの一途さと激しさで「ファイティングマン」とか「珍奇男」「男は行く」とか「奴隷天国」とか「俺たちの明日」とか作った人だから、とことん愚直なまでに「身も蓋もない」真実を歌ってほしい。



「身も蓋もない」といえば、で繋がるかどうかはわからないけれど、最近やっとまともに聴いた少女時代のシングル「gee」はいいわ。



[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/XI9bLMRgEkQ&feature=youtube_gdata_player]


なんというか、ビートの感覚が妙に古くてかっこ悪いところが実にしっくりくるというか、AKB48の妙にマジな感じよりもよっぽど聴いてて恥ずかしくて気持ち良い。本当は日本語バージョンのほうがもっとナメてていいんだが、ネットでは削除されてる。


まあ歌ってる本人たちはこういう斜めな聴き方されても困るだろうし、意図的にナメてやってるはずもないだろうけど、こっちはもとより歌ってる女の子には関心はなく、この妙に古くて恥ずかしいビート感覚、気取ってないハスに構えてない、いかにも韓流って感じが、国民性の違いを感じて面白がってるのだ。



これは売れるだろうな。一昔流行った「パラパラ」みたいな、吐き気がするほど「非ファンキー」なビートが日本人は根源的に好きみたいだし、これもしなって弾むビート感覚はゼロだ。
けど妙に気持ち良いと感じるのは、日本人が古来より持ってる「盆ダンス」の血のせい?



エレカシがこの曲をカバーしたらおぞましくて面白いだろうな。
2010年10月27日02:05
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「どう言葉にしたらいいか解らない感情」を持ったとき、


それをなんとか言葉にして人に伝えようと色々探しているうちに出てきた言葉で、


誤解させたり傷つけてしまったりする。


もがいたり考えたりする分だけ、余計ないざこざが増える。


それで「伝える」ことが怖くなってしまって物言わぬ人になる人もいる。


俺はそんなの真っ平ごめんだからよ、なんでもかんでも言葉にしてみる。


人を怒らせたり傷つけたりするのはこっちも辛いけど、


そこを恐れるあまり何もなかったように目をつぶって黙るのは、


生きてる実感を自ら捨てることになるじゃぁないかよ。


誤解されても、怒られても構わねぇ。


人を傷つける権利は俺にはないけれど、傷つく権利はあるから、


「心はズタズタなままで、

曲がりきれないカーブに差し掛かった」


なんて曲もかつて作ったこともあるけど、



そんな気持ちで「どう言葉にしたらいいか解らない感情」に向き合っていく。


と思うような夜もある。



と気取ってみる夜もある。


2010年10月25日00:46
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連日のように中国の反日デモのニュースが流れているが、はっきり言ってもうあそこまで低次元だと腹も立たんわ。騒いでる奴は笑ってるしね。


日本国旗に糞の絵を書いてそれを振り回してるんだよ?まんま文字通り子供じゃねぇか。ドリフのコントレベルだな。哀れだ。


元々嫌いなんだよ、中国人だろうが日本人だろうが、なんか騒ぎがあるとたいして考えもなくそれに加担する奴等。是非ともRC サクセションの「シュー」を聞いてほしい。♪ウーゴーノシュー♪


どちらかというと日本のメディアのクソッタレぶりと政府の腑抜けぶりにイライラする。
日本で頻繁にやってる反中デモに関しては殆んど「メディア統制か?」というぐらい報道はしない。国民性を反映してか相当紳士的なデモだってのに。中国の下劣なお祭りデモはバンバン報道するのに。


民主党の声明も中国政府と日本の民意の両方に気を使ってどっち付かずの事しか言わない。それが益々こちらを苛立たせてんのがわかんねぇのかよ?



つくづく日本人てのはお人好しな国民だなぁと思う。俺も相当お人好しだから近親憎悪もあってイライラする。



そんなお人好しな国民性の人間が南京大虐殺なんか出きるわけねぇだろ。
そりゃ戦争してたんだから殺戮はあったんだろうけど、何十万人だか何百万人だか毎年更新されるんで分からねぇけど、当時存在しなかった数の人間をどんな魔法を使ったら殺せるんだよ?


国民性なんざそう変わるわけねぇよ。日本も中国も。
今の中国は昔から続く中国だよ。100年前だろうと1000年前だろうと変わりねぇだろうさ。日本も同じ。



まあ南京大虐殺なんて、反日教育のための教材だから数なんてのはファンタジーでいいんでしょ。
そうやって中国政府の都合のいいように操られて非道で子供じみたレベルの低い感情を日本に持ち続けて今に至るわけだ。哀れな国民。とっととバブルがはじけて共産党に洗脳されてた事に気付き、まるでひりだした宿便を見るような目付きで世界中の人間から見られてる事を恥じてくれよ。
2010年10月23日23:50
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毎年この時期はビートルズ年末商戦で盛り上るのだけど、今年は赤盤青盤という定番のベストアルバムのリマスターで盛り上がっている。


よく語られるようにこのベストは、ビートルズ解散の記憶もまだ生々しい1973年に、ジョージハリソンによる選曲で編まれ発表され大ヒットしたベストアルバムだ。


しかしこのアルバムは単なるベストアルバムではなく、ビートルズの全盛期を知らない、70年代にティーンエイジャーとなった世代、あるいは俺のようにビートルズが解散したあとから生まれた世代にとっても究極の入門編となった。



特に日本では1970年代にビートルズブームが爆発し、ビートルズ現役時代には考えられなかった「ビートルズ世代」という実態のよくわからない言葉まで生まれる。



ビートルズ現役時代にファンだった人の文章を読むと、ビートルズファンはとにかく迫害され、大人からはおろか同世代の人間からも「あんな下らないものすぐに消える」「単なる騒音」「エレキを聞くと不良になる」「日本を軟弱化させるビートルズを日本から追い出せ」と、今からは考えられないくらい狭量で偏見に満ちた認識てみられていたという。今の中国の反日運動みたい。


まあつまり「ビートルズ世代」なんてものは存在せず、その言葉は70年代に起きたビートルズブームのキャッチコピーみたいなもんだったんだろう。


むしろ日本における本当のビートルズ世代というのは、ロックがある程度市民権をえて、ビートルズもロックの古典として定着し、余計な偏見もなく逆に新鮮な音楽として接した世代ではなかろうか?
その新たな「ビートルズ世代」にとっての必須アイテムとなったのがこの赤盤青盤で、それこそビートルズがいまだに新たなファンを生み続け、年末商戦の定番アイテムとなるような状況を作り出した最初の取っ掛かりとなったベストアルバムなわけである。


恐らくだけど、ベストアルバムというのがこれほど長く売れ続けるもので、なおかつ次世代のファンを生むまでに大きな影響力を与えるものだという認識を最初に植え付けたのが、このビートルズの赤盤青盤なのではないだろうか。


ご多分にもれず、俺も姉が聞いていたこのアルバムを耳にしていたせいで人生を踏み外したクチである。思い入れのあるアルバムであることにかわりはない。いまだに「シー・ラブズ・ユー」が終わったら「抱きしめたい」のイントロが耳鳴りがする。「ア・ハードデイズ・ナイト」の次は「恋する二人」のハーモニカではなく「アンド・アイ・ラブ・ハー」のガットギターのイントロが来る方がしっくりくるという不幸な後遺症が残っているのだ。




ビートルズ解散後、すぐにマネージメントサイドはベストアルバムの発売をメンバーに打診したが、「自分達の作品は全てがベスト、わざわざベストアルバムなんか出すよりも全アルバムを聴け」というビートルズしか言ってはいけない究極のセリフを吐いてベスト盤発売を拒否した。
その後海賊盤で勝手にビートルズのベスト盤は出され、それがかなりの売り上げを記録したということで、ビートルズ自身も安直なベストではなく決定版を出しておこうという気持ちになったという。


その判断は正しかった。このベスト盤をきっかけにビートルズにハマり、結局ビートルズの作品を全部揃えるような熱狂的なファンが次世代にも生まれ、それに飽きたらず海賊盤にまで手を出し研究者にようなビートルマニアまで生んでしまう状況になった。最初にビートルズ側が最初に主張したような状況になったのだ。
こんな状況を生み出したバンドはビートルズが史上初だろう。


「取り敢えずコレ聞いときゃいいか」ってな安直さで扱われるベスト盤が多い中、文字通り「入門編」という使命を全うし続けているこのビートルズの赤盤青盤は「究極のベストアルバム」と言わざるをえない。



ビートルズはベストアルバムというジャンルにおいてもイノヴェイティブな作品を残したのである。
2010年10月23日14:34
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俺は酒が好きだ。というより酒の席が好きだ。


が、暗い酒は嫌いだ。絡み酒はもっと嫌いだ。泣き上戸になる酒はもっともっと大っ嫌いだ。


酒はこの世の憂さを晴らすもの。馬鹿げた話で笑いあってコミニュケーション濃度を深めるものと思っている。



だから酩酊したときくらいは、自分の身の上すらもギャグにできる奴、時には自分の体を張ってまで笑いをとれる奴、そんな奴が大好きだ。


逆に酒の席ですら無意味なプライドと虚勢が枷になってバカになれない奴は大嫌いだ。



大抵の人間はクソッタレた部分を抱えてるし、結局はそのクソッタレた部分なんざ隠し通せる筈もないもんなんだから、そこはギャグにしてさらけ出せよ、と思ってしまう。


タブー、NG ワードを抱えたまま会話をするのは苦痛だ。
傷つきやいメンタリティーも正直鬱陶しいし、気を使いすぎるくらい使わないと壊れてしまうような繊細さも嫌いだ。どうも自分が図々しいもんで。



幸いにして、俺と酒席を共にする数少ない人たちの殆んどは、その鬱陶しさとは無縁の人種なので助かっている。「少々のことは酒で流せよ、洒落の分からねぇ野郎だ」という言い分が通じる人たちだ。


ということで酒の席は極力ハイテンションで笑いがある場所ってのにしないと、って常々思っている。



だかたこそなのか、その酒の席が楽しければ楽しいほど、盛り上がれば盛り上るほど、それが終わって一人になった時につくづく思ってしまうことが、立川談志曰く、


「酒が人間をダメにするんじゃない、人間はハナから駄目な生き物なんだ、ということ確認するために酒は存在している」


という言葉。まああまりに男の実感ぽすぎて女にとっちゃ、わかるかなぁ?わかんねぇだろうなぁ~(どうでもいいけど古いね)という文言だが、本当にこういう思いに至ってしまうのだからしょうがない。談志のこの言葉を初めて聞いたときは感銘のあまり泣いてしまいそうになった。


この実感を味わい、シリアスに、孤独に内省したいがために、酒をのんで酩酊する。



しかしその内省のはてに行き着くのが、


「ケッ、おめぇらにわかってたまるかバカヤローめ」

となるんだからどうしようもないが。
2010年10月19日15:06
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松本人志の久々のコント「MHK 」、視聴率6.2で大惨敗だそうな。


そりゃそうだろう。ハードディスクにバンバン録画して後で観る人が多数いる昨今、ましてや「作品」化傾向の強い芸人松ちゃんのコント、今の「テレビ的」な分かりやすさなんかハナから度外視してるもんな。


あと内容についても「つまらん」「クソ」みたいな声が多数あるのも当然。実際ゲラゲラ笑えるようなコントは殆んど無かった。


「ごっつええ感じ」の頃のコントが笑えたのは内容の良さもあることながら、むしろ、あうんの呼吸でセッションできる芸人仲間を相手に演技していたから「芸人のフリートーク」的面白さが大きく作用していたからだ。


今回の「MHK」に限らず「ビジュアルバム」でも「映画」でも「一人ごっつ」でもそうだけど、そういう「芸人のフリートーク」力に頼らない方向、設定や世界観だけで見せていく方向に突き進んでいるんだから、そりゃあゲラゲラは笑えない。


というより今回のコントは面白いか面白くないかというよりも、その世界を好きか嫌いか、それを面白がれるか否か、そうなると結局は「松本人志の世界観を好きか嫌いか」になってくる。


そういう意味では今回のコント、期待通り大好きだし、予想通り笑えなかった(笑)。


松ちゃんにとっては、浜田なり板尾なり今田なりを呼んできてごっつ的な方向で爆笑コントを作るのはわけないことだけど、そこに新たな興奮を覚えることはないだろう。というか「そうじゃない」物を作り続けてきたからこその松本人志なわけだ。ドキュメントで言ってたように「過去を捨てる」事こそが笑いを作り続けていく原動力となっている。


ただまあ、こういってはなんだけど、今回のコントは正直なところ過去にも同じような傾向のコントはあったし、新たな面白みを付加した部分もあまり無かった。


ついでに言うなら松ちゃんて一人で演技したときはかなり下手だ(笑)。とても「トカゲのおっさん」を演じた人とは思えない。そう、トカゲのおっさんように「哀しさ」とか「暗さ」を背負った人間に憑依するのは破格に上手い。
この人は誰かを演じるより松本人志の素を演技という形にして提示する方が遥かに上手いのだ。「しんぼる」の松ちゃんより「大日本人」の松ちゃんの方が演技の吸引力が高い。



しかし今回のコントはそういった演技力も仲間もフリートーク力も封印し、NHK ということもあり下品さや過激さも封印し、という傍目から見てもかなり不利な状況に自らを追い込んで挑んだものだった。



で、結果的にはファンの贔屓目に見ても大成功とは思えないもんだったが、松本人志の世界観が好きなコアなファンにとっては久し振りに旨い珍味を食ったという気持ちだ。


望むべきはこういったコントなりビジュアルバムなりを再開して、コントの反射神経を高めて、珍味を素材にとんでもないメイン料理をつくって欲しいということ。「このわた」からステーキをつくるような無茶を。
ごっつええ感じの凄さの一端は、毎週の締め切りに追われ、視聴率の突き上げにストレスを感じながら生み出したからこその切迫感にあったんだということ。だから日曜のゴールデンタイムに堂々と突然変異の奇形珍種を提示できたわけだ。
今、視聴率を気にするとかアホを笑わせなきゃいかんというプレッシャーを負って欲しくはないけど、少なくともコントを生み出す体勢を常態にして欲しいと思う。「兄貴!」も「キャシィ塚本」も回を経るごとに凄まじく、面白くなっていったしね。何事も慣れです。どんな凄いロックバンドだって単発のライブよりもツアーファイナルのライブの方が遥かに躍動感があるように。ツェッペリンのツアー序盤とか結構ぎこちないもんな。


まあ関係ない話はともかく、なんだかんだ言っても今回のMHKは嬉しかった。視聴率なんかはっきりいってどうでもいい。松本人志は健在だった。
研究者にもならず、批評者にもならず、ある意味無知なまんま、知識でなく知恵、感覚をたよりに自分の中から面白いことを絞りだしていた。


「松本は周りはイエスマンばかりで裸の王様だ」という馬鹿も一杯いるけど、松本人志と高須光聖や倉本美津留との関係性を僅か数十秒の会話を観て判断することなんか出来るわけねぇだろ。自らの愚かを恥じて「放送室」を全部聴けってんだよ。
2010年10月14日01:06
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今度の週末、松本人志がNHKで新作コント発表と、ここ最近の松本人志のドキュメントを放映するらしい。


どうもこれに関して日記書いている人の多くに見られるのは、最近の松本はシュール過ぎてつまらん、「ごっつええ感じ」が懐かしいとかいった意見だ。


確かに「ごっつええ感じ」は不世出の傑作番組だったし、もう二度とあの充実した日曜8時は戻ってこない、と俺も思う。


だけど今の松本人志は十年前の松本人志と同じなはずはないし、今度の新作コントも今の松本人志が面白いと判断したものを提示してくるだけだ。



松本人志は天才以外の何者でもないし、それはコアなファンなら誰しも感覚と身体で分かっている。たとえどんなにキチガイなアンチが「死ね」とか「無能」とかいった一言で片付けるだけの、批評性もクソもないホントにクソッタレた日記を書いていようと、一切関係無い。



いやまあ、それにしてもアンチだか単なる妬みかは知らんが、テメェは何様でもねぇくせに上から目線で物申してるやつが腐るほどいて気分が悪くなるし、世の中には信じがたい愚か者が結構居るんだなぁと哀しくなるわ。


それはともかく、その天才が今何を面白いと感じ、その面白さを自分なりにどう構築してくるか、そこを楽しむっていう心持ちにどうしてなれんかね?


ゲラゲラ笑うだけなら、現在の大衆の欲求と真正面から対峙してる旬の芸人、バラエティタレントを観てればいい。ごっつの頃のダウンタウンがそうだった。


だけど今の松本はそこでの勝負には殆んど興味がないと思う。
視聴率がどうとかも関係ないし、口開けてぼ~と見ているようなやつらや、レベルの低いお決まりのギャグで「エヘ、ウェヘウェヘへへへ」とか笑ってるような奴らから「つまらん」とか「シュール過ぎる」と言われようとも、松本人志には関係無い。
松本が度々語ってるように「バカは観んといて」だ。今の松本人志に「ごっつええ感じ」をやれという人は松本にとってはまさにそのバカだ。


もういいじゃないの、あれだけの才能なんだから。
視聴率を取るとかバカを相手にするとかいった徒労はさんざんやってきたし、今だって笑ってはいけないシリーズとか、すべらない話とかいったヒット番組、IPPONNグランプリのような先鋭的な番組を生み出してるんだから、松本の才能の最もコアな部分が出るコントとか映画がゲラゲラ笑えるような質のものでなかったとしても、「考える面白さ」を堪能すればいいじゃないか。松本人志なんだから。既存の笑いのツボじゃないものを常に探しているヒトなんだから。



相変わらずのテイストで安心させてくれたこないだの「笑う犬」も良かったけど、松本はそうあっては欲しくない。思いっきり訳のわからない世界を展開して欲しい。



せめてコントの領域だけは「わかる人だけにわかればええ」という閉鎖的な姿勢から生まれる純度の高い笑いを追求して欲しい。そんな事が出来る人が一人くらいはいてもいいと思う。


せめてダウンタウンで笑いのツボを形成された世代のファンくらいは、そういう享受の仕方をするくらい成熟していて欲しい。ま、大きなお世話か。



エキセントリックにイッテる真の天才が今何を考え何をするのか、今度のNHKの特集は本当に楽しみだ。

2010年10月07日13:30
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録画しておいた「IPPON グランプリ」を観た。


予想通りバカリズムの圧勝で、決勝の相手だった有吉が途中でキレて壊れてしまうほどど真ん中の答えがバンバン決まっていた。


第一回目から観ているけどこの競技はどう考えてもバカリズム向きだし、チェアマンというかこの大喜利の創始者である松本人志のイズムを最も色濃く受け継いでいるのがバカリズムなのだからむべなるかなだ。


この「IPPON グランプリ」というのは、元々は松本人志が昔からやってた「一人ごっつ」とか「松ごっつ」などで試され、板尾や木村といった同じイズムの芸人や、倉本美津留や高須光聖らと試行錯誤しながら完成させた新しい形大喜利だ。


ただ競技スタイルをとっているので、単純にネタの善し悪しだけでなく、どのタイミングで出すかとか、最初の方は様子見用のネタが要るとか、IPPON を出しやすくするための流れとか空気を作るために場を読むとかいった神経が必要になってくる。個人プレイなようでいてチームプレイでもある、という非常に高度な遊びの部分をも楽しむ競技だ。



なので「IPPON グランプリ」におけるど真ん中の答えというのは、言うまでもないけどさんまみたいなベタで刹那的な笑いではなくて、暴投に近いコースから急カーブを描いてストライクゾーンに収まる笑いだ。
それゆえに暴投率やビーンボール率、デッドボール率が高くて、それはそれで必要だしまた別な楽しみになっている。



ただバカリズムはそういう流れを乱すことはないにしても、そこを超越した唯我独尊の地点に到達していて、有吉がキレぎみに「始まったときからずっと余裕だろ!?」と言って以降、殆んど自暴自棄な回答に終始していてゲラゲラ笑った。


有吉は有吉で得意分野の問題においてはダントツの切れ味を示していて、「身もフタもないことを言ってください」という問題に対しての「今でも野球賭博やってる!」という答えはタイミングといい発声とい殺傷能力といい物議のかもしかたといい絶品で、今大会では一番強いインパクトがあった答えだった。松本人志も「脳揺れるわ」と爆笑していたし、バカリズムも爆笑していた。


ただお笑い総合格闘技として見た場合のバカリズムのポテンシャルの高さは尋常じゃなく、その牙城は当分の間は崩れないんではないかと感じさせた会だった。



個人的には「人にあだ名をつけるという負の連鎖を止めるにはここで優勝するしかない」と名言を吐いていた有吉に勝ってほ欲しかったと言えば欲しかったが、なんせ言葉のテクニックではピカ一の有吉をはじめドランク塚地やケンドーコバヤシといったクリーンヒットをコンスタントに放つプロ達ですら、バカリズムには脱帽しているのが伝わる発言をしているのだから、敵いっこない。


「ひょうきん族」とか「ごっつぅええ感じ」みたいな大衆や時代との接点を濃密に持てる番組が今の時代にあったらバカリズムは大爆発するかもしれない。



それにしてもだが、この番組というか競技、笑ってはいけないシリーズのように、新たな笑いのスタンダードに加わるような勢いと斬新さと深さがあって、つくづく松本人志という人の凄さを感じてしまう。



そんな松本人志による新作コントと密着ドキュメントが今月の半ばにNHK でオンエアされるらしく、久々に座りしょんべんしてバカになっちゃうほど楽しみだ。
2010年10月02日14:40
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タバコの値上がりニュースがあるたびに思うのだけれど、この国は急がなければいけない議題は全然方針が定まらないくせに、国民から金を巻き上げることについてはあっという間に施行されるんだなぁということ。



タバコを値上げしたってむしろ税収は減るくらいなのに、愛煙家の反感を買ってまでもそこにしわよせを持っていき、しかもタバコの税収が下がるということは、ひいては俺のようにタバコを吸わない人間達のほうにツケが回ってくるということになる。
おまけにタバコを生産している農家には当然のことながら増税分の収益などは入るわけないのだから、収入は減る一方だ。



つまり全国民が不愉快になる事例をあっという間に可決させている国である。



しかしまあ、日中外交を例に取るまでもなくこんだけどうしようもない国に対して、わざわざ自分の体に害毒を入れたあげく、副流煙という害毒を撒き散らしてまでも税金を納めようというのだから、喫煙者というのも相当愚かというかなんというか......。そりゃあ人様の勝手だけどさ。



別に俺は嫌煙家ではない。俺は吸わないけれど、人が吸うことに対してとやかく言う気はさらさらない。
むしろ嫌煙権を発動して愛煙家を迫害している社会環境、いちいちめんどくせぇ奴等にムカムカする。



断っておくけど、本当に煙が駄目で気分が悪くなるという人は、殆どがちゃんと筋を通して周りに遠慮してもらっている。統計的なデータはないけれど、皮膚感覚というか経験上そうだ。



むしろやたら元気で健康だけれど、ちょっとでも自分の健康を他人に汚されることに対しては神経質になる、声高な人が鬱陶しいのだ。



タバコなんて嗜好品だし、俺が酒のんだりするのと全く同じことだ。確かに副流煙は吸いたかないけど、じゃあお前はこの世の中に対してなんお害毒も撒き散らしてないのか?と問われれば誰もが「否」と答えるだろう。車乗ってるやつぁ当然だし、公共機関を利用しただけでも同罪なのだ。相身互いなのだ。



むしろ飲みの席とか自分の家において一緒にいる相手に「タバコやめて」と言うことによって会話のグルーヴが悪くなる。そんなことになるなら副流煙の方をとる。そのほうが精神衛生上いい。




それでも俺が喫煙者だったら、ここまでふざけた政府に税金を取られるくらいだったら絶対に止めるけどな。



それでもそうまでし吸いたいってんだからタバコという物はそうとう常習性があるんだなぁ。そんなに常習性があるもんが合法なら大麻だって合法にしやがれってんだ。まあどうせ吸わないけど。



それにしても中国という、精神病まがいの理論をヤクザまがいの方法によって強引に行使しようとする最低な国家に対し、考えうる限り最悪の対処をした民主党政権。



こないだの官小沢総裁選挙を例に挙げるまでもなく、「民意を反映する」という今最も必要とされている事から最も遠い事しかしない政党によってこの国は動かされている。



こないだテレビの討論番組で、国民の代表50人と政治家が話をするというのがあって、まあ例によって自民と民主の足の引っ張り合いがことあるごとに展開されていた。どんな話しの展開になろうとも最後はそれになってしまう。オチの見えている漫才のよう。オチがわかってるんならせめて落語のように見事な聞き物にしてくれや。



やれ自民党が長年やってきた政策のツケが我々に云々、自民は既に何年も前から取り組んできたことを民主党が白紙に戻し云々、お前はアホだ、お前こそ馬鹿だ、母ちゃんに言いつけてやる...。つまらねぇ。



もうそこにいた国民の代表50人、われわれ視聴者、怒りを通り越して完全に呆れ白けていた。



失望しか生まない二つの政党のどちらかが偉いか正しいかなんて全く、まっっっったくといっていいほど興味はない。どっちも正しくないんだから。



その場において政治家に望まれている唯一の事は、建設的な意見とそれを実行するための具体的な方法論。
どっちが間違っているかとか正しいとかははっきり言って目クソ鼻クソ。というか汚物の塊。



多少なりとも、多少なりとも、ほんの僅かでも考える頭があるのなら、せめて番組収録が始まる前に自民と民主の党員がそれこそタバコでも吸いながら「今日は足の引っ張り合い的な発言はよしましょうや、一般市民が来てるし絶対に反感を買うから」くらいの示し合わせはしていなければウソだ。



これほど民意からかけ離れたとこに生きている動物に政権を託しているというのは甚だ情けないというか悲しい。



そんなやつらだから最優先事項である保育所や福祉、医療現場に金を回すということをしないので、定額給付金だの子供手当てだのといった意味のないバラまきをするのだ。



国民のほとんどがそれを無意味だと言っているのに、相変わらず「国民てのは目先の金に弱い」という認識のまま政策審議をしている。



「バカはバカでもタレントを候補者に立てりゃ国民は投票するだろう」というふざけた認識のまま選挙して、案の定惨敗している。



件の日中外交問題で小沢待望論なるものもチラホラ出ているが、これほど国民をなめ腐った政治家に次期総裁を託すということになったらもう終わりだ。もう、終わぁりぃだね〜。



場末の床屋政談レベルの民意すら理解する能力のないバカ政治家どもは、ただちに床屋に言って丸坊主にするべきだ。
政治家全員が丸坊主だったら中国もちょっとはびっくりするだろうよ。




そんな国に税金を納めるために何カートンも買いだめしている愛煙家の皆様方、どうも命を削っていただいてご苦労さんです。そうやって税金を納めてくれれば多少は国家予算も潤うというもの。どこに消える金かは知らねぇが、まあとにかく国家予算を納めてくれてありがとうございます。



なので愛煙家を追い詰めるタバコ値上げは反対!
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高瀬大介

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