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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2008年03月

2008年03月31日18:55
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「めぞん一刻」という漫画を最近再び読んでいる。小学生のころからこの作品がか好きだったんだけれど、今読んで「なるほど、そういうことか」と思わせるところが結構あって今更ながらにその深さを再認識している。


今から思えばなんだけれど、この主人公の「響子さん」。まだ幼い俺には理想の女性像のプロトタイプとして刷り込まれたんではないかと思う。ちょっとあぶないか?
まあ子供のころは漫画とかアニメとかの主人公に惚れるのはよくあるもんで、現実逃避型アニメオタクとは一線を画したいとは思うのだけれど...大きく見りゃ同じか。今読んでも「こういう女がいたらいいなあ」って思ってしまう。男のこういうところ、女にしてみりゃ「はぁ?」って感じなんかな。
馬鹿にされるかも知れんが、年上のしかもちょっとハードルある条件の恋愛にイントゥしていた時期はよくこの作品を自分になぞらえていたりした。


今更言うのも馬鹿だけど、作者の高橋留美子、この人凄い才能のある人だと思う。あんまりこの人の代表作は読んだことないけれど、短編は結構読んでいて、どれもこれもよく出来ていると感心してしまう。素直に面白い。
2008年03月30日20:14
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bc29802a.jpg あいにくの雨で肌寒くなってきたね。桜はこれで散るのか。昨日は代々木公園沿いの路上にてライブ。ブルーライオンとの共同ストリートでした。


去年も思ったけど外でやるのはいい。開放感と言ってしまえばそれまでなのだけれど、暗く狭いハコに閉じこもって爆音で音を浴びるよりも健康的だからか、妙にテンション上がってしまってサービス心に火がつく。
普段はやらない客いじりとか、ドリフエンディングテーマ的合いの手を入れたりついつい余計な事までしてしまう。でもまあ、道行く縁もゆかりもない人とほんのひと時でも笑顔で時間を共有出来るのは素直に楽しい。来月もやる予定です。もっと暖かくなっているだろうから、だいぶ気楽に楽しめるはず。


ここ数年は桜をテーマにした楽曲が増えたような気がする。桜がどこか日本をイメージする花だけに、何となくウヨッキーな匂いがする楽曲もちらほらあるけれど、なにがどうあれ桜という花は色んな物をイメージさせるに足り得る特別な美しさを持っているとは思う。
特に夜桜を見ていると何となくしたたかな狂気を感じていい。多くの人に愛でられていい気になってるけど、実はその人間の鋭気を吸ってふてぶてしく咲き誇っている感じがして中々不気味だ。春先はどうもかったるくなるのはその所為か?と思ってしまう。桜に養分を吸い取られすぎたた人間は五月病になるんだな。そういえば昔「さくらのうた」という曲を作った事があるけどテーマは「死」だったな。ちょっとイキがってた。けど間違ったイメージではないと思う。
愛でられるだけの鑑賞としての花より、人間の生命力を奪って咲き誇るしたたかな生命力を感じさせる桜という花は何のかんの言って好きだ。平和の象徴としてもポジションを得ながらも実は獰猛っていう鳩にも通じるもんがある。

随分と勝手なイメーだけれどね。


4月は9日に渋谷チェルシーホテルでワイセッツのライブがあります。遊びにきてくれるよう万象繰り合わせていただけると嬉しい。
2008年03月28日22:38
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X-JAPANの再結成ライブを観るために幼なじみが上京。今真っ最中なのでXジャンプを繰り出していることだろう。


今も昔もX-JAPANにはまったくハマらなかったのでこの再結成に関しては正直どうでもいいが、ある種宗教的なバンドというか、妄信する信者を作り出しやすいバンドなので、その魔力に関しては素直に凄いと思う。


最近よく思うのだが、「幻想」とか「イメージ」を売りもんにするんならとことんそれに徹しなきゃどうしょうもないということ。所謂ビジュアル系というやつはそれのみといっていいかもしれない。


そういったあり方を全面的に肯定するわけではないけれど、中途半端にカッコウつけるとか、中途半端に素を出すとかは駄目で、とにかくなりきる、演じきるということが大事。


X-JAPANというのはそういった意味において最高峰に位置する凄まじくよくできたバンドなのではないかと思う。
もれ伝わってくる裏話をたまに聞いてりすると、正直「とことん残念なバンドだな〜、なんか哀しいな〜」と思ったりするんだけれど、あれだけ多くの人間の幻想を引き受け、それを完逐するためにはリハーサルが押して開演時間オーバーしようが関係ないし、完璧なものを与えるという責任と義務に対して実に誠実だと思う。


ただ、そういったあり方が実に窮屈に感じてしまう俺のような人間にとって、「完璧主義者の自己完結された世界」というものは正直鬱陶しい。


「送り手」と「受け手」の図式がハッキリ出来て、お客さんは自らの欲求に完璧に答えてもらうことのみに異様に厳しいし、与える側はその欲求に対して「誠実」に答えることが全て。


ある種の主従関係がハッキリしているザッツエンターテイメントな世界。


そこまでいけりゃ凄いし、それが出来てない現状だから大きなことは言えないけれど、受け手と送り手っていう関係性じゃなくてもっと自由度の高い関係性。やすきよ漫才のようにボケとツッコミが自由に入れ替わるような柔軟さ。そんな関係になれたらいいなと思う。


最近聴いたライブアルバムにクラムボンの二枚組のやつがある。地元福岡のライブ、しかも酒蔵でのライブとあってか、お客さんのバンドに対する自発的なエネルギーが凄く感じられるアルバムだった。バンドもお客さんに暖められて素晴らしい演奏をし、お客もその素晴らしい演奏に対して可能な限り感動を伝えたがっている。そこには主従関係ではなく対等な関係性で敬意を払いあってるという感じだ。


こないだ観たジミヘンのライブ映像もそうだったけれど、たとえハッパでラリッたお客さんだからとはいえ、そこには同じ場所で同じ音を感じ同じ世界を見ているという連帯意識みたいなもんがあってそれが音楽に大きな力を与えているといおうのがハッキリと伝わってくる。


「あ、この曲大好き」とか「この曲が聴きたかった」とかだけじゃなくて、共有している磁場をお互いが高めあっていて、そのことにお互いが感動しあっているような、そんなライブ。最近はそんなライブなかなか聴けるもんじゃないので、クラムボンのライブ盤はなかなかにショックだったと同時に嬉しかったし、俺らもそんな磁場を作り出せるまでは足を洗えないなぁと思った。



東京ドームというさなぎみたいなハコで、欲求の満たし合いをしていることが悪いことでは全然ないけれど、少なくとも俺が体の芯から打ち震えるような感動的な磁場はあそこにはなさそうな気がする。



ということで明日は代々木公園周りの路上でワイセッツとブルーライオンがライブやります。ストリートっちゅうやつですな。花見客も多そうだし、警察がうろうろしてるかも知れんし、何よりも天候が不安っちゃあ不安なので必ずやる!とは言い切れないけれど、可能な限りやるつもりです。タダで観れるチャンス到来。桜舞い散る春の午後、ハッパはまずいけれどアルコールで心をほぐしてお花見ロックと行こうじゃあ〜りませんか。多分午後1時とか2時くらいから日が傾くまでやってると思います。中止になったらすんません。
2008年03月26日03:43
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[画像:fe7b6913.jpg] 自由が丘の中古屋にてジミヘンの「レインボウブリッジ」というビデオを安値で購入。過去に観た事ある映像だけれどまた観たくなってつい......。1970年、ジミヘンが死んだ年のライブだけれど、ギタープレイに関しては絶頂期に達している。あんなエグイ音であんな強烈なチョーキングビブラートかまされたらそりゃもう悶絶するわ。


さて、最近中古屋行ってもビデオなんて叩き売り価格だ。買う時はいいけど売るときにゃ二束三文。そういうもんか。
まあビデオなんて完全に廃れ行くメディアなんだろうけど、俺んちにゃ捨てられないビデオがまだまだある。しかもDVDですら先が見えてるそうじゃないか。ブルーレイ?それが最後?もうどうでもいいけど、骨董品としてじゃなく現行品としてビデオデッキもDVDデッキも残しておいてくれよ...。ついでにレコードプレーヤーも。新しいメディアに保存し直す作業が面倒くさいし、そんな事してたら「もうどうでもいいや」って気になるから、色んなもんが忘れ去られて行く。ま、それもそいつの運命なのかもしれんけどね。思い出も物も朽ちていくからこそ美しいもの。


という訳で今日の夕方、「人の記憶に暫く残って美しく消えてくれるなら本望、また次にはその記憶を更新してやる」のワイセッツのライブがあります。渋谷デセオ、出番は18時40分からです。来てくれ〜。

[画像:6e71c7e4.jpg] 最近ショーケンの自伝が話題になっていて、本屋で半分くらい立ち読みした。ほぼ実名で、しかもあけすけに語っているから清々しい。ジュリーについて、松田優作について、黒澤明について...etc。
だからという訳じゃないけど、あのヘロヘロな声が聴きたくなって「熱狂雷舞/萩原健一」をついつい聴いてしまった。「酒と泪と男と女」みたいなクサい曲でもショーケンが歌うと何かグッとくるわ...。

こないだ怠雅〜スのライブ、とりとめもなく、暗くなってしまいましたが、最終的には自分勝手にギター弾きまくって終わりました。


「残り香」とか「遺言」とか、俺と怠雅君のお互いの曲をいくつかやりつつ、一応最後はタイガースの「シーサイドバウンド」をネタにギターバトルなどをやりつつフリーになり、そのまま何故か「コミニュケーション・ブレイクダウン」になってしまいました。う〜ん、ツェッペリンを「歌って」しまった...。


で、その後朝まで焼酎を飲んで、ダラダラとロック話に花が咲く。ワイセッツのライブ〜その後とは全然違う展開で、コレはコレで中々楽しい。
次回はゴールデンカップスやらクリームやらも含めたカバー大会もいいかなと、というよりはそれぞれのオリジナル好きなヤツ選んでやってたらひたすら暗く暗くなって行くんで人の曲の力を借りないとお客さん沈んでしまうわ。


では今週の水曜日、渋谷デセオでワイセッツのライブがあります。

「GOOD LIFE Vol,15」

Open /Start:17:30/18:00 前売り2000? 当日2300?

チェインギャング/マナスレイプニル/Junk Star/ワイセッツ 他

うちらの時間は18時40分、二番目です。興味ある人、来れそうな人は連絡下さい。


それにしても......。なんとかならんだろうか?ネット規制、捏造報道。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/17/news025.html

本当にオリンピックやるんか?
2008年03月22日02:58
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fbb890d1.JPG またしても深夜の多摩川徘徊。BGMはキングクリムゾンのライブ。

クリムゾンの歴史でも特に根深い人気を誇る時期、1973〜1974のライブ。この頃のクリムゾンは知ってる人なら誰もが納得してくれるけど、鬼気迫るもんがある。まるで解散に向かってまっしぐらに突き進むかのように刹那的で狂暴だ。特にインプロビゼーション、ジャムセッション的なもんじゃなくてホントの即興演奏のヤツはヤバい。こんな月夜の晩にフラフラしながら聴いてるとおかしくなりそう。こういうのってやってる方は楽しくないんだろうな。まあ後から聴いてスゲエなって思うからロバートフリップも発表するんだろうけど、真っ最中の時は次に誰が何を繰り出すか分からないし明確なゴールもないから、一瞬でも気を抜くと置いてかれてテンション落ちるだろうし。割とこういうのって気分の問題だから「その気」が削がれると退屈になるんだわ。でもメンバーの気持ちの変遷を妄想出来て楽しい。デビットクロスが繊細な泣きのバイオリン弾きすぎたり、フリップが意味ありげなロングトーンを伸ばしてると、苛立ったリズム隊がバリバリに歪んだファンクで切り込んできたり、負けじとフリップがバカテク変態フレーズで応戦するとやる事がなくなったクロスが
メロトロンを寂しく弾いてると煙のように全員が消えて終り...とか。

意味もなく目的も無く、しかし緊張感だけは異様に張り巡らされていて唐突に暴発したりしてる人達の奏でる不協和音...月夜の晩のBGMには悪くない。けど...ちょっとコワいわ。何なの?この人達。


そんな緊張感など関係無いユニット、怠雅〜スのライブは今日。小伝馬町プードルで19時30分から!よろしく〜。
2008年03月22日02:19
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今いわゆる過渡期というヤツなんだろう。俺個人も周りも環境も、中から外から揺さぶられてギシギシいってる。来たるべきXデーを迎えるためとかいうと甚だ大袈裟だけど...まあ変節の時期ですな。流れに身をまかすだけではモノ足りんのでせいぜい自発的に揺さぶりかけてみよっと。


その揺さぶりとは関係ないけど、今日は怠雅〜ス初ライブどす。場所は小伝馬町プードル。オレらは19時30分くらいから。いつもやる弾き語りよりもさらにユルくなると思います。是非お越しを。
2008年03月20日02:43
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[画像:3850fc16.jpg] 連日のようにチベット関連のニュースをネットで見ている。色んな人が色んな日記を書いていて、中には差別用語だらけの中国批判日記が載っていて、さすがにそれは無意味だろとか思ってしまいますが、それにしても中国の近代史、中国共産党をはじめとするあの国のとんでもない愚行を読んだり見たりするにつけ、腹立たしくて、哀しくもなってくる。あの国に対してお茶を濁す程度のコメントしか残せない福田首相の顔を見るだけでムカムカしてしまう。

「自虐の詩」という傑作を書いた漫画家、業田良家のチベットに関するマンガがyoutubeに載っている。

youtube:
慈悲と修羅 ? 業田良家



これは中々に見るのに勇気のいるマンガであるが、なるだけ多くの人に見て惜しいと思ってアドレスを乗っけました。幸いと言っていいのか、この人のタッチがそれほどリアリズムを追求してないので何とか目を背けず読めるが、それでもコレが実際起こっている事だと思うと背筋に冷たいものが走る。


あの国でオリンピックが開かれる。オリンピック......平和の祭典らしい。とてもじゃないが観る気がしない。アスリートの人達には何の罪もないけれど、今回のオリンピックだけはナシにして欲しい。世界各国の選手が参加拒否をして欲しい。


ビョークの「Declare Independence」を聴いたら鳥肌が立った。コレを中国公演で「チベット!チベット!」と言いながら歌ったのだ。

youtube:
Declare Independence/Bjork@上海


youtube:
Declare Independence/Bjork 2007



凄まじいヴォーカル、歪んだビート、アジテーション。血湧き肉踊るとはまさにこの事。凄すぎて泣けてくる。
この曲をあの場で聴いていた全ての中国人が、ちゃんとした形でこの曲を受け止めている事を願わずにはいられない。
2008年03月18日23:03
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芸人について思うことを書いているうちに、色んな所に怒りが飛び火して支離滅裂になってしまったんで、そういうの嫌いな人は読まないで下さい。


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最近この手の芸能界暴露マンガ本がコンビニにいっぱい置かれている。内容は「どう考えてもコレは誇張し過ぎだろう!?」という、下世話な妄想が多く含まれた虚実ないまぜの胡散臭いもの。


どこの誰に聞いた話をもとに描いたのか知らないけれど、「所詮この世は虚像」的な厭世的な気分が本全体を覆ていて、かなり不快な読み物だ。本屋の好事魔コーナーに置かれているならまだしも、コンビニの目立つ所に普通に置かれているので、気軽に手に取って読めてしまう。恐ろしい。


何よりマンガとしては4流5流のレベルなんで、マトモな感性を持っているならここで描かれていることの殆どが「妬み」と「三流サブカル的感性」を混ぜ込んで産み出された妄想の産物であることは論を待たない。


こういった本で特に標的にされるのが、今のところ旬の存在である「芸人」。
別に芸人の下半身事情など詳しくはないが、ここで書かれている芸人は皆、性交マシーンで、徒党を組んで輪姦しまくっているというもの。


別にそれが本当でもそうじゃなくてもどっちでもいいけれど、レベルの低い妬みがモチベーションで描かれているから非常に不愉快な筆致となっている。


特に槍玉に挙げられるのが、「芸」と「発想」をちゃんと持っていてリスペクト出来る数少ない奇才、松本人志。この人に対する描きかたなんてヒドいものである。


いや、実際の松本人志がどういうヒトかは、知り合いじゃないから知る由もないけれど、非常に本音度が高いと思われるメディア、ラジオや自らの本で語っている「人間松本人志」からは程遠い描きようだ。


たまに松本が声を荒げて力説する「スポーツ新聞とか週刊誌に書かれていることなんて、一行たりとも、一ミリたりっとも!本当のことなんて描かれてへんからな!!!!」というのは(ファンであるということを差し引いても)本当の声だと思う。なぜなら彼が、「怒りをあらわにするときが一番フェイクの部分が少ない」タイプの芸人だと思うからだ。「怒り」が原動力になって生まれた企画の多いこと多いこと。


女性の出入りが激しいのは本人も認めているし、そんなことはどうでもいいけれど、そういった三流雑誌で描かれている彼の女性に対する扱い方とか、後輩の扱い方の信憑性は限りなく薄い。よくコメントの最後に載っている(関係者談)てヤツなどはとてもじゃないが信用出来ないだろう。


何が本当で何が嘘かなんて結局の所は問われてもしょうがない。結局説得力あるもんの勝ちだ。少々危険な考え方だけれど、この場合に限っては松本人志の「怒り」とこういう三流マンガの作品力、どっちが凄みのある説得力を持っているかは明白だろう。


なのにこういう誹謗中傷なんでもありな雑誌や、スポーツ新聞の見出しを並べて「こんなことがあったらしいですよ」的な、責任の所在を曖昧にしているワイドショーの芸能ニュースには世に言う「良識は」からの抗議が来なくて、なんで真面目に作っているお笑い番組には不謹慎だの何だのの苦情がくるんだろう?深夜番組から過激で面白い番組がどんどん消えて行く。
ゴールデンタイムのバラエティーでは物足りないから深夜番組を見るという俺のような人種にとっては、そういったクレーマーの「そんなものを見た子供がもし真似をしていじめにつながったらどうするの!そんな非常識なことしなくても笑える番組は作れるでしょ!」的な抗議によって深夜番組の枠ですら不自由になって行くことは、「クジラなんて食べなくても他に食い物があるんだから、人間に次いで頭のいいクジラを殺すことは反対!」とか言ってよその国の文化にとやかく言ってくるキチガイの文言と同じに聞こえる。人の楽しみを奪うな、ほっとけ!観なきゃいいんだ。自分とこのバカガキに観せなきゃいいんだ。


こないだここの日記で揉めた「良識」がどうたらこうたらと世迷い言を並べて、たけしや芸人全般を侮蔑したバカもいたが、なんで「人を笑わせている」という行為の崇高さに対してもっとリスペクト出来ないんだろうか?
なんで才能があって多くの人々に快感を与えている人間を「普通」という枠組みに入れたがるんだろうか?


「芸人ちゅうのはしょせん規格外の生きもんや。常識の枠なんかにはめてもうたら面白いことできひん。ワタシら頭おかしいんやからほっといてくれ」と、半端な知識人など霞んでしまうほど頭のいい上岡龍太郎が語っていた。


「出る杭は打たれる」という国である日本。小さい頃に親から言われなかった?
「誰もそんなことしてないからやめなさい」
「皆そうしてるからアンタもそうしなさい」


別にいいじゃねえか、よそと違うことしたってよ。人に害を及ぼさなければ。


常識を知っているから非常識を演じられる。頭を使っている芸人ならば誰もが口を揃えて言っていることだ。良識派のクレーマーやこの手の三流雑誌のほうがよっぽど非常識だろう。
2008年03月17日00:48
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fe88d13a.JPG 暖かくなって来たという事で、夜、捻転時計の怠雅君と代々木公園でエレキギターとミニアンプ持参のセッション。一応今週の土曜日の怠雅〜スのリハだが、予想通り段取り決めたら後はつらつら喋りながら趣味的なセッションになだれ込む。色々遊んでたら音を聞きつけたパーカッションの人が話し掛けてきてそのままセッション。初対面の人と話するの結構苦手なんだけど、楽器を介してのコミニュケーションは手続きが省けて楽だ。趣味的にも合う人だったので尚更ノー・インフォメーションではしゃぐ。今さっき会ったばかりの人とジュリーを合唱しているという状況がおかしくてつい吹き出してしまう。何だかんだ11時過ぎまで地べたに座ってやってたから流石に冷えたが、もう確実に春が鼻先まで見えてるね。今年は一人路上とか怠雅〜ス路上とか気が向くままやろう。


怠雅君もそうだけど、社交性のある人っつうか、フラットに誰とでも話せる人が羨ましい。俺はどうも苦手だ。極度のひとみしりという訳ではないし、むしろ図々しいきらいがなきにしもあらずだが、会話する時の温度調節が下手というか、億劫なんだな。たいていは温度が低いからテンション高い人に出くわすと巧く付いていけなくてすぐに発熱を放棄して、結果「暗い」いとか「怖い」とかの印象を相手に抱かせてしまうし、こちらが高い温度の時は相手を無視して訳分からない論説に発展したりして、概ね空回りする。子供の頃はC調っていうか今でいうKYなくらいマイペースで昭和語でいうところの「ひょうきん」なヤツだったのに、自意識過剰な年頃からか、側に「通訳」みたいな友人が居ないと巧くコミューンの中に居られないようなヤツになってしまった。
こういうのって「孤高」とか「唯我独尊」とかいう言葉で自分の現状を安易に肯定して、向上しない言い訳にするっていう人は多い。ていうか俺もそんなヤツだ。でも良くないと思う事は改善しなきゃいかんよ。実際非社交的で得した事なんかないしよ。

人と人との埋めがたい溝を何とか埋めるために作曲や作詞という「表現」とやらに打ち込んだのに、それが熟達するだけでうまく行くほど今の世の中はロマンチックじゃない。人と人が繋がって行くには何より「人となり」が伝わらないとダメだし、「作品」が面白いとか素晴らしいからといって人の中に忍び込める訳ではなく、その「人となり」が面白いからその「作品」を媒介にして人と繋がるんだ。だから「非社交的」というか「開かれてない」人間は誰とも繋れない。アングラ系のミソもクソもブチまける系の「さらけだす」歌を歌う人に最近どうも違和感を感じてしまうのは、それが「開かれた」歌ではなく、単に押し付けがましいだけだからだ。マニアックでも情念ドロドロでも、そこに人が忍び込める隙間がある人はやっぱりグッとくるんだ。早川義夫や遠藤賢治や三上寛は情念ドロドロなようでいて実は風通しがいいんだよ。何より声が聞いてて気持ちいいか、うるさいかで如実に現われる。


と、春の夜の遊びセッションをしながらツラツラと考えてしまった。


今週土曜日、小伝馬町プードルで怠雅〜スやります!興味ある人、よろしく〜。気楽な内容になると思います。
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