2016年11月
最高のライブだった。
壮絶なライブだった。
圧巻のライブだった。
最上のジャズであり、ロックであり、ジャズロックであり、プログレであり、アバンギャルドミュージックであり、ミニマルテクノであり、クラシックであり、そのどれでもない別物のなにかであり...じゃないな、それら全てがクッキリと姿を表しながら溶解せずにどんどん配列されていって、みるみるうちに巨大な音の塊、音の壁になっていくような、そんなライブ、そんな上原ひろみトリオだった。
ホールの後ろの方だったんで若干音量や音圧は足りなかったけど、まあそれはライブハウスでライブを体感するのに馴染み過ぎてるからしょうがない。
もしこんなライブをジャズクラブで最前列で浴びたなら、座りしょんべんしてバカになっちゃうだろう。我を忘れて叫びまくって野人になってしまうだろう。
でもアンプリファイにそれほど頼らないサウンド、その肉体性のみでこのトリオはとてつもない迫力を産み出していた。
サイモン・フィリップスのドラマなんて生音まんまじゃないか?と思えるくらいドラムの素性そのものが鳴っている感じだった。無茶苦茶な迫力だった。
本当に手足が伸びきりまくっているような全能感丸出しのプレイの連発で何度叫び声を上げそうになったか。あれだけ余裕なバカテクのベテランがああまで猛烈なプレイをするってのは、よほどこのトリオでの演奏に充足感を感じてるんだろうなぁと、あらためて上原ひろみの吸引力を感じさせられた。
本編最後の曲に及んで圧巻の長尺ドラムソロをぶちかましていたりと、もうほんま凄かったです。
アドリアン・フェローというベーシストはしらなかったんだけれど、まあとにかくバカテクであり、物凄くイマジネイティヴなサウンドとフレージングを出しまくりながらも、基本はとっても控え目な佇まいで、しかもなおかつステージの立ち位置同様にバンドのグルーヴの中央に鎮座ましているという奇跡のようなベーシストで、アンソニー・ジャクソンの不在を十二分に埋めてあまりあるプレイをしていた。世界レベルのプレイヤーってやっぱ凄い。
上原ひろみさんを聴いていると、観ていると、改めて鍵盤楽器ってのは打楽器でもあるなあと思う。上原ひろみさんの物凄いところって色々あるけど、個人的に一番グッとくるのは鍵盤を非常にマッシヴなリズム楽器として十全に生かしきっているところだ。人間、気持ちが高ぶったら何かでその高揚感を発露したいよねってなったときの原初的な反応のような凶暴なプレイ。ジェリー・リー・ルイスの初期の頃のような抑制が利いてないような発情感を思わせながら、そこで鳴っているフレーズは正確無比なメロディ。
また、スティーブ・ライヒかテリー・ライリーか、はたまたロバート・フリップかというようなシーケンシャルで変拍子なミニマル・フレーズを延々と正確に機械的に、かつめっちゃ攻撃的に弾き続けるとこなんざ、最強に理知的な原始人のようだ。
で、その真逆の、繊細の極致のようなプレイ、楽曲もなんの違和感もなく同居しているんだからもう唸るしかない。まああそこまでハードエッジなプレイが出来るなら北野武の振り子の原理を持ち出すまでもなく、真逆の繊細なプレイも極まるのは当然の事。その極致のようなプレイが聞けたのがちょっと長めのお喋りのあとに演奏された曲だ。
私は楽しい、という言葉が、楽、と書かれるのが小さい頃から納得いかないんです。本当に楽しいことは決して楽ではないよ、結構大変な事なんだよって思います。
私は6才の頃からピアノを弾いていて、いつかピアノを弾いて世界中を回れたらいいなあって思ってて、その頃はドラえもんのどこでもドアみたいに世界をひょいひょいと行き来してるイメージだったんですけど、実際に世界中を回るっていう夢が叶ってみると、まあかなり体力的にも大変なわけで...(笑)
次の曲は私一人のピアノソロで「ウェイクアップ・アンド・ドリーム」という曲なんですけど、直訳するなら起きてなお夢見る、っていうことで、こうやって私が実際に夢を実現出来ているのもこうやって集まってくれる皆さんのおかげなんです。ありがとうございます。聴いてください。
と言って演奏された「ウェイクアップ・アンド・ドリーム」の美しいこと美しいこと。涙がこぼれてきた。本当にひろみさんな気持ちがまんまメロディに、ピアノタッチに表れていて、緊張感と集中力の使いすぎでいささかぐったりきていた体と心に染みまくった。
あと。
今日は祝日で皆さんそれぞれ過ごし方があったでしょうけど、私たちのためにわざわざ時間と労力をさいてくださった皆さんのために、私も全力でピアノに向きあって、皆さんにお返しをしたいと思います。
て言っていて、文字だけ読めば綺麗事に思えるしミュージシャンなら誰もがステージで言いそうなことなんだけど、この人の場合は本当に、その言葉以上に体現しているので、その言葉に微塵のウソくささや気恥ずかしさが感じられなかった。
本当に命を削ってエネルギーを与えてくれたんだ。あんな小さなからだであんなとてつもない迫力の音楽を現出させるんだから。
だからこちらも全力でエネルギーを返さなければいけない、そんな気持ちに掻き立てられて全力で拍手をし、歓声を上げた。独りで(笑)。いや、会場全体で。お約束ではなく本当に心からのスタンディング・オベーションが何度も出ていた。
手がちょっと腫れて痛い。でもいい。素晴らしいものにはちゃんと意思表示をし、貰ったエネルギーは出来る限り返さないと。
朝から色々あってぐったり疲れきっていたけど、今めっちゃ元気だ。文字通りエネルギーを貰った。こんな文章なんか書いてないでギターを弾きまくりたい。
壮絶なライブだった。
圧巻のライブだった。
最上のジャズであり、ロックであり、ジャズロックであり、プログレであり、アバンギャルドミュージックであり、ミニマルテクノであり、クラシックであり、そのどれでもない別物のなにかであり...じゃないな、それら全てがクッキリと姿を表しながら溶解せずにどんどん配列されていって、みるみるうちに巨大な音の塊、音の壁になっていくような、そんなライブ、そんな上原ひろみトリオだった。
ホールの後ろの方だったんで若干音量や音圧は足りなかったけど、まあそれはライブハウスでライブを体感するのに馴染み過ぎてるからしょうがない。
もしこんなライブをジャズクラブで最前列で浴びたなら、座りしょんべんしてバカになっちゃうだろう。我を忘れて叫びまくって野人になってしまうだろう。
でもアンプリファイにそれほど頼らないサウンド、その肉体性のみでこのトリオはとてつもない迫力を産み出していた。
サイモン・フィリップスのドラマなんて生音まんまじゃないか?と思えるくらいドラムの素性そのものが鳴っている感じだった。無茶苦茶な迫力だった。
本当に手足が伸びきりまくっているような全能感丸出しのプレイの連発で何度叫び声を上げそうになったか。あれだけ余裕なバカテクのベテランがああまで猛烈なプレイをするってのは、よほどこのトリオでの演奏に充足感を感じてるんだろうなぁと、あらためて上原ひろみの吸引力を感じさせられた。
本編最後の曲に及んで圧巻の長尺ドラムソロをぶちかましていたりと、もうほんま凄かったです。
アドリアン・フェローというベーシストはしらなかったんだけれど、まあとにかくバカテクであり、物凄くイマジネイティヴなサウンドとフレージングを出しまくりながらも、基本はとっても控え目な佇まいで、しかもなおかつステージの立ち位置同様にバンドのグルーヴの中央に鎮座ましているという奇跡のようなベーシストで、アンソニー・ジャクソンの不在を十二分に埋めてあまりあるプレイをしていた。世界レベルのプレイヤーってやっぱ凄い。
上原ひろみさんを聴いていると、観ていると、改めて鍵盤楽器ってのは打楽器でもあるなあと思う。上原ひろみさんの物凄いところって色々あるけど、個人的に一番グッとくるのは鍵盤を非常にマッシヴなリズム楽器として十全に生かしきっているところだ。人間、気持ちが高ぶったら何かでその高揚感を発露したいよねってなったときの原初的な反応のような凶暴なプレイ。ジェリー・リー・ルイスの初期の頃のような抑制が利いてないような発情感を思わせながら、そこで鳴っているフレーズは正確無比なメロディ。
また、スティーブ・ライヒかテリー・ライリーか、はたまたロバート・フリップかというようなシーケンシャルで変拍子なミニマル・フレーズを延々と正確に機械的に、かつめっちゃ攻撃的に弾き続けるとこなんざ、最強に理知的な原始人のようだ。
で、その真逆の、繊細の極致のようなプレイ、楽曲もなんの違和感もなく同居しているんだからもう唸るしかない。まああそこまでハードエッジなプレイが出来るなら北野武の振り子の原理を持ち出すまでもなく、真逆の繊細なプレイも極まるのは当然の事。その極致のようなプレイが聞けたのがちょっと長めのお喋りのあとに演奏された曲だ。
私は楽しい、という言葉が、楽、と書かれるのが小さい頃から納得いかないんです。本当に楽しいことは決して楽ではないよ、結構大変な事なんだよって思います。
私は6才の頃からピアノを弾いていて、いつかピアノを弾いて世界中を回れたらいいなあって思ってて、その頃はドラえもんのどこでもドアみたいに世界をひょいひょいと行き来してるイメージだったんですけど、実際に世界中を回るっていう夢が叶ってみると、まあかなり体力的にも大変なわけで...(笑)
次の曲は私一人のピアノソロで「ウェイクアップ・アンド・ドリーム」という曲なんですけど、直訳するなら起きてなお夢見る、っていうことで、こうやって私が実際に夢を実現出来ているのもこうやって集まってくれる皆さんのおかげなんです。ありがとうございます。聴いてください。
と言って演奏された「ウェイクアップ・アンド・ドリーム」の美しいこと美しいこと。涙がこぼれてきた。本当にひろみさんな気持ちがまんまメロディに、ピアノタッチに表れていて、緊張感と集中力の使いすぎでいささかぐったりきていた体と心に染みまくった。
あと。
今日は祝日で皆さんそれぞれ過ごし方があったでしょうけど、私たちのためにわざわざ時間と労力をさいてくださった皆さんのために、私も全力でピアノに向きあって、皆さんにお返しをしたいと思います。
て言っていて、文字だけ読めば綺麗事に思えるしミュージシャンなら誰もがステージで言いそうなことなんだけど、この人の場合は本当に、その言葉以上に体現しているので、その言葉に微塵のウソくささや気恥ずかしさが感じられなかった。
本当に命を削ってエネルギーを与えてくれたんだ。あんな小さなからだであんなとてつもない迫力の音楽を現出させるんだから。
だからこちらも全力でエネルギーを返さなければいけない、そんな気持ちに掻き立てられて全力で拍手をし、歓声を上げた。独りで(笑)。いや、会場全体で。お約束ではなく本当に心からのスタンディング・オベーションが何度も出ていた。
手がちょっと腫れて痛い。でもいい。素晴らしいものにはちゃんと意思表示をし、貰ったエネルギーは出来る限り返さないと。
朝から色々あってぐったり疲れきっていたけど、今めっちゃ元気だ。文字通りエネルギーを貰った。こんな文章なんか書いてないでギターを弾きまくりたい。