[フレーム]

高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2006年01月

2006年01月25日05:48
カテゴリ


昨日、ワイセッツ鍋をしながらサンボマスターのライブDVDを観た。


えらく感動してしまった。


ヴォーカルの山口氏はギターをつま弾きながらよく喋る。えらく饒舌に、性急に、扇情的に。


「あなた方のことはよく知らないし将来のことも保証出来ないけど、とにかく今夜はあなた方を全肯定するためにロックをするんですよ!」


言ってることが青臭かろうが気恥ずかしかろうが関係ない。伝えたい言葉と伝えたい意思がそこにあるだけ。


サンボマスターの音はとてもとても激しい。叫びまくっているし暴れまくっている。


でもとてもやさしい。


演奏も言葉もロック風なとかパンク風なとかの余計な装飾はなくただひたすら素直でやさしい。



今あなたに言う 全ての言葉は

ウソじゃないの 夢じゃないの これが最後



夜が明けたら/サンボマスター



「ロック」というのが洋楽を指して言う言葉だった頃、ロックというのはそれはそれはカッコ良くて気持ちのいいサウンドだった。高性能な快楽サウンドマシーンだった。少なくとも個人的には快楽以外の何者でもなかったし、まるで中毒患者の如く音にしがみつくようにしてロックを浴びていた。



しかし日本にもロックがあることを知って一つ気付いたことがある



ロックには強い言葉が必要だ。



考えてみれば洋楽、ジョンレノンでもボブディランでもキングクリムゾンでもいいが、優れたロックには必ず優れた言葉を持っている。
元来英語というのはロックのビートに非常に適している言語なので強いビートには強い言葉が乗るのは必然だったのだ。



日本語のロックを聴いて初めてそのことを自覚した。英語はよく分からんが日本語なら解るからね。



まあ日本語のロックっつってもいろいろあるし洋楽世界の言語感覚をそのまんま平行移入しただけのつまらんもんも山ほどある。



でも「これはロックだ」としか言いようの無い言葉も確かにある。それらの言葉はロックのビートにジャストに乗っかって気持ちいい音となって伝わってくるものでなく、もっとゴツゴツしている。現実に対する異物感として心に突き刺さってきて、ふてぶてしく居座り続ける。





信じたいために 親も恋人をも

すべてあらゆる大きなものを疑うのだ

大人って言うのはもっと素敵なんだ

子供の中に大人は生きているんだ


ラブゼネレーション/ジャックス




金もうけのために生まれたんじゃないぜ

金もうけのために働くのはいやなのさ


金もうけのために生まれたんじゃないぜ/RCサクセション




本当のことなんか言えない

本当のことなんか言えない

言えば殺される


言論の自由/RCサクセション




風はデタラメに吹いていた

乾いたサルマタが青空にはためいて

カツ丼はさらに重く運ばれて来た

ああ ああ ああ

なんて訳の分からない夕暮れなんだ

ああ ああ ああ

なんて、なんてみっともない人類の平和なんだ



なんてひどい唄なんだ/三上寛





薬漬けにされて治るあてをなくし

痩せた体合わせてどんな恋をしているの

今 あなたにGood-Night

ただ あなたにGood-Bye



最後のニュース/井上陽水





痛みは初めのうちだけ 慣れてしまえば大丈夫

そんな事言えるアナタは ヒットラーにもなれるだろう

全てのボクのようなロクデナシのために

この星はグルグルと回る

劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない



ロクデナシ/ブルーハーツ





終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため

終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために

終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため

終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように



終わらない歌/ブルーハーツ




なにもかわらないものはなにもかえられない

このソウルを激しくキックしたい

風向きを変えろ



インディビジュアリスト/佐野元春





黒いバラとりはらい 白い風流し込む oh yeah

悪い奴等けちらし 本当の自由取り戻すのさ

自信を全て失っても 誰かがお前を待ってる oh yeah

お前の力必要さ 俺を俺を力づけろよ

oh ファイティングマン 正義を気取るのさ

oh ファイティングマン yeah



ファイティングマン/エレファントカシマシ




太陽の下 おぼろげなるまま

右往左往であくびして死ね

生まれたことを悔やんで果てろ

つらいつらいと一生懸命同情を乞え



奴麗天国/エレファントカシマシ




あなたが憎くてたまらない あなたが欲しくてたまらない

ひ弱な僕が 夜空で泣いている

あなたをこの手で殺したい あなたをこの手で犯したい

気弱な僕は いつでもそばにいる



ハネムーン/奥田民生



探してみたいな 君の弱点を

謳歌してほしいな 僕のコントローラーを

さっきまで 何か足りなかった

私の腕の中で 揺れながら下の方の名前

呼んでおくれ 叫んでおくれ

私の船の名前 オリエンタルカヌーをその中へ

呼んでおくれ いっておくれ



カヌー/奥田民生





可愛いウチの少女には 注射の後がある

乾いた夏の午後にも 空を見上げてる

幸せを願うノートには 昨日の跡が無い

汚れた街の灯りで あや取りをしてる



太陽が消えた街/桑田圭





二人のことは誰にも内緒だよ とくにママには秘密だよ

僕は君の父親のふりをして 君は僕の娘のふりをして

ふたりでひとつのベッドにもぐりこみ 身体の中をあたためる

外を歩くときは腕を組み 映画を観ながらもふれあって

少年のような恥じらいと 老人のようないやらしさで

やさしく翼広げて 心の中をなめ合う

しかたないさ 好きだもの 涙がこぼれてゆく

しかたないさ 好きだもの 僕らは恋人



パパ/早川義夫




声を出さなくとも 歌は歌える

音のないところに 音は降りてくる

本当に素晴らしいものは解説を拒絶する

音楽がめざしてるのは音楽ではない



音楽/早川義夫





身体で身体を強く結びました

夜の叫び生命のスタッカート

土の中で待て命の球根よ

悲しいだけ根を増やせ



球根/イエローモンキー





パーティーは終わりにしたんだ

暴かれた世界は オレンジのハートを

抱きしめながらゆく とぐろをまく闇



暴かれた世界/ミッシェルガンエレファント





よこしまな僕は

やはり君の涙を美しく思うの

よこしまな よこしまな僕は

やはり君の思い出を美しくしてるの




あなたが人を裏切るなら僕は誰かを殺してしまったさ/サンボマスター





最近、訳あって所謂日本の「ギターロック」のバンドのライブを観に行くことが多々ある。

彼等の出す音は一様に「ロックな気分」にさせてくれる激しい音だ。爆音でスピード感があって格好良い。


でも何も残らない。


「ロックぽさ」をその場にまき散らし、終われば臭いすら残さず消える。


発信者の生理が感じられない。

何を伝えたいのかがわからない。

何故舞台の上にいるのかが解らない。

ナルシズムも自己憐憫もカッコつけもいらない。



激しく狂ったロックのビートに乗った「その人の言葉」が聴きたいだけ。




言葉がそのロックを生かしもするし殺しもする。

この一行、この一言を言うために曲が出来る。

ロックをやりたいから言葉を繕う訳ではない。

伝えたいことがあるからロックになる。





正しい人間じゃないから 同じことをくり返す

許すことだけが 俺に出来ること




今さらばかな/ワイセッツ




この言葉を伝えたくて曲を作った。今ワイセッツのライブで最初にやっている曲だ。



発した瞬間、空気に亀裂は生じるような言葉を産み出したい。


日本語でロックをやる以上はそこを通り過ぎるわけにはいかない。



「サンボマスターは君に語りかける」



素晴らしいタイトルだ。


久々に感動している。
2006年01月16日04:35
カテゴリ
411c0ee5.jpg
寝る前に歯を磨くのほんの数分の暇を持て余して、ついフランクザッパのブートビデオを見てたら結局最後まで観きってしまった。


様子のおかしい60年代、ギター弾きまくりの70年代、いい味出しながら奇妙に風化している80年代。吐きそうになるほどシュールなザッパのクレイアニメ。


お腹いっぱい、脳みそぐちゃぐちゃ、最高。


それにしてもフランクザッパ、本当にこの人は完璧だ。


ユーモア、アイデア、センス、テクニック、カリスマ、どれをとっても一級品。しかも限りなくB級臭をさせながらもA級になってしまっているところが素晴らしい。


どれだけ絶倫なプレイをしていても最後には可愛らしい印象を残し、じめじめした情緒感は全くなく徹底して乾いたユーモアが貫いていて、メチャクチャな狂気とメチャクチャな知性が恐ろしく高いレベルで調和している。こんなヒト他にいないって。まあ、エイフェックスツインには同じようなもんを感じるけどね。


で、まあ改めて観て気付いたけど、俺相当影響受けてるわ。いや、この人のようには全然表現しきれてないけど。なんつうか、影響っていうか羨望か?やりたいなあ〜と思ったことを既にやっていたと言うか。


例えば人を食ったようなブレイクとか、意表をついた展開、なめとんのかって言うくらい笑える変拍子、とか、演劇的なところから、パンキッシュなところまでとにかくなんでもあり、ルール無用、ごちゃ混ぜ、徹底的にやりきる。なおかつ前衛的とかスノッブな方向には絶対行かない。とにかく笑える。


もんすっごい俺がやりたくなるようなことばっかりやってる。ていうかもう幾つかは俺パクってやってるような気もする。いや、あくまで俺らなりだけどもね。これを平行移入してまんまやっても日本じゃ受けないし、まずこちら側にとてつもない知性とテクニックが無いと質の悪いコミックバンドになる。何よりお客さんに知性を求める音楽って日本じゃあなかなか......。


ザッパの一番凄いところは、いろんな人の才能をグッと自分の手元に引き寄せ、それらをうまく統括して吐き出させる、しかも時分臭をおもいっきり付けてっていうとこかな。エイドリアンブリューとかスティーブバイとかローウェルジョージとか個性の塊みたいな人がちゃんとザッパの作ったワッカの中にいるもんねえ。


凄い民主的でいながら独裁的。


これでしょう。ああこんな人間になりたい。こんなミュージシャンなりたい。


って寝る前に思いました。

おわり。
2006年01月11日06:09
カテゴリ


かつて高峰秀子という映画女優がいた。

勿論まだ存命しておられるが、女優「高峰秀子」は御本人自身の意思によって引退している。

最近はとんと噂を聞かなかったのだがついこないだの週刊文春に
最近のインタビューが掲載されてあって嬉しかった。



知ってる人には言うまでもないが「高峰秀子」こそは真の意味で「大女優」である。


日本映画史の黎明期から全盛時代にかけて常にトップの位置で活躍した偉大なる映画人だ。


代表作は枚挙に暇が無いし、成瀬巳喜男、木下恵介という日本を代表する監督の多くの作品の主役を張り、小津安二郎、山本嘉次郎、島耕二、豊田四郎と言った偉大なる監督達の作品に出演した。ついでにいうなら若き日の黒澤明とは恋仲にあったという。


まあ彼女の偉大さに関しては多くの書物が出ているし、何よりご本人の筆による半生記「わたしの渡世日記」があまりにも面白いのでそちらをぜひお勧めする(彼女は玄人はだしの名エッセイストでもある)。


え〜じゃあ何が書きたいかというと「わたしと高峰秀子」(笑)です。

まあ俺にとっては高峰秀子はアイドルみたいなもんだし、声高に高峰秀子論を展開するのもナンだしということで、たまには固いこと抜きで思い出話なんぞを書いてみようかと。誰も頼んじゃい無いけど。


俺は本当にアイドルとかタレントとかにうつつを抜かしたことは学生時分には無かった。まあ小学生の頃には漫画の主人公に惚れたことはあっても思春期以降はひたすら現実の女の子に夢中になった。だからアイドルの写真集を眺めたり好きな女優のドラマをチェックするなんてことは皆無だった。

しかし24歳頃だったか、25歳頃だったか。本屋でたまたま見かけたモノクロの写真集「別冊太陽 女優高峰秀子」に何故か心惹かれ、結局その人がどういう人か全然知らないのに写真集を買ってしまった。そんなことは初めてだったし未だに何故そういうことになったのか正確には思い出せないけれど、一つ理由を挙げるならばそこに乗っていた数点のカラー写真、おばあさんが着物を着て座っている写真、私服を着て書斎で本を読んでいる写真を見て何故か「間違いない」と思ってしまったんだと思う。よくわからないけど。


元々黒澤明が好きだったので、古い映画のスチールの質感とか、昔の美人女優の写真から醸し出される妙なオーラとかは好きだったんだろう。「別冊太陽 女優高峰秀子」を買ったその日から、それこそ中学生がアイドルの写真集を飽きもせず眺めるように常に肌身離さず持ち歩いて「あ〜なんて綺麗な人なんだろう」とかなんとか思いながら日々暮らしていた。


そうなると彼女の出演した映画が観たくなってくるのは必定。その写真集に載っていたフィルモグラフィーを頼りに都内のレンタルビデオ屋を探し歩いていくつかの作品を見ることが出来た。

まず最初に見たのは三船敏郎との共演「無法松の一生」。コレは本っ当に素晴らしい作品だった。高峰秀子は予想通りとても美しくあまりにも素敵だった。で、「高峰秀子とはこんな感じの人なんだ、写真通り清楚で気品溢れる人なんだ」という固定観念が出来てしまった。
実はこの作品に於ける役柄はどちらかと言うと高峰秀子の中では異例の役柄で、後々知ることになる本人の人となりからはかなり距離のある役柄だった。

で、次に見たのが「カルメン故郷に帰る」。役柄は「牛に蹴られて頭のおかしくなったストリッパー」。「??」である。あの清楚で気品溢れる高峰秀子がなんでこんな役を?と思いながら観てみたらまあ驚いた。
ド派手な格好で現れ格好良く煙管を吹かし、伝法な口調で威勢のいいセリフを喋り、かなりア〜パ〜な歌を歌い肌もあらわな格好で草原を踊りまくる。高峰秀子に対する固定観念をこの作品によっていきなりブチ壊された。あの高峰秀子がこんな役を...である。
が、ワタシ、Mっ気が強い方なんでそれはそれで良かったりもする訳です。というかますます好きになった。そんな「美しい」「麗しい」だけの女優だったらここまで好きにはならなかったろう。それからは見る作品見る作品がとても新鮮で新しい高峰秀子の発見(全部過去の作品だけど)で楽しくてしょうがない。

借りられるビデオは借りまくった。通販のみでレンタルは禁止されてるビデオが置いてある高円寺の「オービス」さん、おかげで長らく観たくても観られなかった成瀬巳喜男作品の多くが観れました、どうもありがとう、捕まるぞ。

それから映画館廻りもした。都内は勿論、隣県へも時間と金の許す限り観に行っていた。浅草東宝のオールナイト観たその足で黄金町の名画座モーニング上映を観に行ったりした。本当にアイドルの追っかけだよこれじゃ。




そうなってくると次のステップはファンレター。秀子さんのエッセイを出版している文藝春秋にダメ元でファンレターと高峰秀子をモチーフに作った自分の作品を収録したカセットテープを送ったら、10日ぐらい経ってなんと本人から返事が送られて来たではないか!いつもは請求書しか入ってなくて俺のため息しか聞いてない郵便ポストがその日ばかりは歓喜の声を聞くこととなった。

今でもその手紙は大事に保管しているがさすが御歳76歳(当時)の御方、見事な達筆で「イキのよい高瀬さんには余計なおせっかいですが発声練習をなさった方が良いですよ」と書かれていてそりゃもう「仰る通りです」としか言えませんよ。

で、その封筒にはご本人の住所が普通に印刷されていていてそうなったらもう現地に行くしかないでしょうと言うことで(アブねーよな〜)雪の中その場所に行ったよ。別に本人と話したかった訳ではなくて(恐れ多い)ただ偶然家から出て来たとこを拝見出来ればと思っただけで。
でもあの辺て大使館だらけで下手すりゃ不審人物として職質されかねんかったよな。まあ小一時間ほど近くをぶらぶらして帰って来たけどね。

で、話はそれだけでは終わらない。高峰秀子と親しい仲にある文藝春秋の記者、斉藤明美さんが書かれた「高峰秀子の捨てられない荷物」という本の中の一節で、



ファンの方々にはまことに申し訳ないが、ここ五、六年、高峰が受け取ったファンレターは、ほとんど全部私も読んでいる。音読するから、夫の松山氏も読んでいることになる。
年齢性別は様々で、中には高峰が「デコちゃんレター」と題して随筆に著したように、高峰のことを手紙で「デコちゃん」と呼ぶ十代の女の子もいる。ビデオの口である。二十代の男性もやはりビデオでファンになり、まるで恋人に宛てたような切々たる思いを綴っていた。
「この人、私のこと幾つだと思ってるんだろう」
高峰は呆れたように言った。




俺だよ。その二十代の男性。だってそのあと



〜あるいは、高峰のために作った曲をカセットテープに吹き込んで送って来た若者......。



って書いてあるもんね。



嗚呼〜恥ずかしいやら嬉しいやら。ちゃんと本人は俺の手紙とテープを認識してくれたんだと言う嬉しさ(そりゃ返事が来たんだから当たり前だろと突っ込みましょう)反面、みんなに読まれ、聴かれていたんだということを思うと......とてもとても恥ずかしい。
ましてや今から考えるとあの恐ろしく完成度の低い曲と歌を聞かれたかと思うともう、顔から火が出る。ケツから屁が出る。ま、若気の行ったり来たりということで。ちなみにあの曲は誰にも聴かせていない。今後一切自分の作品群の中に登場することもない、門外不出、蟄居閉門、闇に葬られる冥作です。




まあ、個人的な話はこれくらいで、少しまともな高峰秀子に関する意見を。


出演作品に好きなものは幾つもある。


成瀬巳喜男の映画史に残る傑作「浮雲」、同じく成瀬の「乱れる」「流れる」「稲妻」「妻の心」、

木下恵介の傑作で、日本映画史上初のカラー作品としても知られる「カルメン故郷に帰る」同じく木下の「カルメン純情す」「永遠の人」「二人で歩いた幾春秋」

小津安二郎の「宗方姉妹」

島耕二の「銀座カンカン娘」

五所平之助の「煙突の見える場所」

野村芳太郎の「張り込み」

松山善三の「名も無く貧しく美しく」

豊田四郎の「恍惚の人」



他にもまだまだあるんだが、どの作品を観ても高峰秀子の顔には何とも言えない哀しさが漂っている。どこか諦めているようなけだるさ、醒めた目がある。

恐らく彼女の生い立ち、生さぬ仲の母親との確執が彼女の人生に暗い影を落としていることがあの独特のかげりを生んでいるんだと思う。

いわゆる大げさな大熱演などせずとも、あの沈んだ目線と拗ねたような口跡が全ての心理を言い表す。


高峰秀子は元々望んで映画女優になった訳ではない。年端もいかない子供の頃から無理矢理子役にされ、満足な教育も受けさせてもらえず、有象無象が跋扈する映画界に育ち、莫大な金がかかる身内や側近に囲まれ、その中で仕事として「女優業」をして来た人だ。
恐ろしく頭のキレる人であり半端ではない知識と知恵の持ち主である。それこそ小さな頃からいろんな大人を観て来たわけで、「アイドル」「人気女優」なんて呼ばれる頃には人を見る目は醒め、自分の感情を押し殺して書物の中に自由を求めた人であった。そして「本物」と思える人間、物を自分の中に取り込み自分を確立していった人であった。


だから高峰の抑えた演技はそこらへんの「演技派女優」よりもはるかに暗く深い説得力を持つ。


そのあまりにも素晴らし過ぎる演技は、高峰の「映画」「女優業」あるいは「人間」に対するクールなスタンスから生まれるものだと思う。それは決して単なる「人間嫌い」という印象を残すのではなく、もっと巨視的な「人間観」の表われではないだろうか。
人間の持つ弱さ、情けなさ、哀しさ、醜さといったネガティブな側面を冷静に見つめ、それらを内包して表に出すこと無く淡々と、あくまで淡々と「人間」を演じた人ではなかったのではないだろうか。それはどの時代にも通用する「人間像」だと思う。


そういったいつ観ても風化しない高峰秀子の演技、あの哀しい眼差しを求めてこれからも俺は彼女の映画を観続けるだろう。




2006年01月10日13:33
カテゴリ
9ff5caae.jpg 俺はギターを弾く人間だから好きなギタリストが少なからずいる。特に10代の頃はギタリストになりたかったからギター主体のロックばっかり聴いていた。


今ではあまり言われないが俺の10代くらいまではヤードバーズ出身の三大ギタリスト、エリッククラプトン、ジェフベック、ジミーペイジという大御所の威光はまだまだでかくギター誌にもジミヘンと並んで頻繁に出てきていた。


俺も御他聞にもれずまずエリッククラプトン信者となり、同時にレッドツェッペリンに狂い、ジェフベックにシビれ、ジミヘンドリックスにぶちのめされ、キングクリムゾンのロバートフリップに洗脳された。その他にもリビングカラーのバーノンリード、ダイナソーJrのJマスキスやフランクザッパ、ニールヤングなどにのめり込んだ。


改めて思うのだが上記のギタリスト達共通して言えるのはそれぞれが独自のタイム感、リズム感を持っているという事だ。


例えば同じギターとアンプのセッティングで全く同じフレーズを弾かせても恐らく全員が全員違うニュアンスになり誰が弾いたかすぐ分かるだろう。それは「タメ」とか「ツッコミ」といったリズムのニュアンスの違いが微妙に出るからだ。それくらいリズムというのはその人を表す。


そもそもリズムとはなんであるか?それは時間認識であり心臓の鼓動、パルスである。だから各人の生き方、速度を、ひいては人生を表す。

エリッククラプトンは神経質で鋭くなおかつ女性的、

ジェフベックは狂暴で過激にして繊細、

ジミヘンドリックスはセクシーで大らかで激しく、

ジミーペイジはたどたどしくつっかかりながらも狡猾に突っ走り、

ロバートフリップは陰湿で得体の知れない暴力性を秘めている。

それにしても全員が全員とにかく極めて変人だ。


これらは60年代〜70年代の彼らのプレイを聴いていて俺が感じる彼らの人となりである。これらは全て彼らのリズム感がもたらす印象だ。おおむね間違ってはないと思う。



一緒に演奏すると分かるのだが、たとえ趣味指向が似通っていてもリズムの相性が良くない人と演奏すると気持ち良くない。その人自体を否定してしまうくらいだ。逆にたとえタイム感がバッチリ合わなくてもズレそのものが気持ちよかったりする相手もいるんだから面白い。


ワイセッツはメンバーそれぞれタイム感はバラバラである。しかし相性はいいと思う。というか面白い。
明らかにウワモノ同士は合ってない。俺は走るしキーボードはモタる。俺はドラムと相性がいいし、キーボードはベースと相性がいい。それらが混じるとまたワケの分からないブレがあって、困るんだけど面白い。
バンドというのは単に楽器を持ち寄って合奏するんではなくて、人間性をさらけ出しぶつけて擦り合せていくもんだとつくづく実感する。
2006年01月10日07:51
カテゴリ
さっきまでザ・ワイセッツで真夜中のオールナイトレコーディングをヤって来た。

今回は初めてパソコンを持ち込んで、歌も含む全員でセーノで一発録りでやった。いわゆるライブレコーディングってやつだ。

やっぱセーノでやると楽しいねえ。しかもワンテイクで録れたりなんかした日にゃもう堪らんくらい気持ちいいわ。

で、バンドでのレコーディングとは別に今、個人的に新しい曲を自分一人で録音しようかと思っている。ま、それもバンドに持ってく為ではあるんだが。

元々宅録野郎で全部一人でやってたんだけど、ここんとこ最近はバンド全員でアレンジとかやっていて、そういや今ちゃんと全部一人で出来るんかな?と思ったんでやろうかと。なので久々に「レミイ・ド・美空」名義でまとまった音源を作ります。
が、その名前もそろそろ飽きたんで何かいいのないかな?いまんとこ「不惑・悠」という名義を考えてるんだが今ひとつぱっとしないんでなんかない
2006年01月07日01:55
カテゴリ
c8b8ffea.jpg 新年開ける前から暇をみては歌詞書きをしているんだけどなかなか進まない。


歌詞を書く事はあんまり好きではない。いつも難産だ。言葉遊びと語感の気持ちよさだけで人を煙に巻くような歌詞ならいくらでも出来るけど、シンプルな言葉でストレートに表現する事はとても難しい。

ましてや現実逃避、自己陶酔、自己憐憫、無責任なポジティビティ、物欲しげなネガティビティ、そんな安直な手垢にまみれたテーマで歌詞を書きたくはない。そんなものは沢山書いて来た。今更そんなものを書いても何も変わらない。


なんのこたあない。どんどん自分で歌詞書きを困難にしているだけじぢゃないかよ。嫌いなくせにこだわりとか理想はありやがるから困りもんだ。


だいたい言いたい事なんて一つか二つだ。それを手変え品変えいろんな言い方で、しかもシンプルになんて事を言ってるとネタが尽きてしまう。ていうか尽きてる。


いつもすっからかんだ。まあそれもいいかもしれんなあ。


青島幸男のけだし名言に、

「身ぶるいするようなうまいこと言おう」

というのがある。


うまいこと言いたいね。どうせ伝えたいことは一つか二つなんだから。
2006年01月02日18:22
カテゴリ
明けてめでとう。ぞんざいな言葉で言うとそうなるか。初日の出も見たしおせちも食ったし初詣も行って世間並みの正月を堪能しています。今ツェッペリンを聴きながら車の中。嗚呼!いいもんだ。昨日は10時間くらい寝たし。充足してます。そういや今日初めて[電車男]をテレビで観た。なるほど面白い。受けるわけだ。あと昨日の夜NHKでやってた古今亭志ん匠と向田邦子と市川雷蔵についての番組がよかった。それでわまた。
Profile

高瀬大介

最新コメント
QRコード
traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /