2010年07月
がとても好きで家には常備しているのだけれど、これを使って料理するとどうしても米ではなく酒が飲みたくなってしまう。
昔からアルコール摂取は嫌いではなく、というよりも好きで結構飲むのだけど、酒を飲む最大の理由はあくまでもコミニュケーションの潤滑油のためで、酒自体が好きで好きでしょうがないとうわけではなかった。酒の中には好き嫌いはあるけど、酒自体は麻酔のようなもんだ。
話し好きのくせに話し下手というか人見知りで平熱が低いので、アルコールで感覚を多少麻痺させてテンションあげないとなかなかうま〜くコミニュケーションが円滑に進んでいかない。
なので人と会う機会、ライブの打ち上げとかなんとかいった、外にいるときは結構飲む。
そしていい感じに灰(ハイ)になると「酒というのは人類の叡智が結晶した素晴らしいものだ」とか「誰に教わるわけでもないのに、原始の時代より世界各地でアルコール飲料が同時多発的に生まれているというのは、人間は本能的に精神を弛緩させることを欲していて、そうでもしなければ精神が朽ちていってすぐに死にたくなる生き物であるという事をどこかで分かっていたんではないか?無意識のうちに延命薬としてのアルコールを作り出していたのでは?」とか「食って寝て交尾するだけの動物ではない人間というのは、動物としては変態種であり、生まれながらにして精神を患っている欠陥種ではないか?」とかいったバカなことを考えながらバッカスさんありがとうと感謝をする。
そんな感謝をするくせに家に一人でいるときは一人で神経を弛緩させても虚しいので殆ど飲むことはなかった。
が、最近一人家飲みをちょくちょくしてしまう。「うまい肴があれば呑んでもいいかな」ではなく「呑みたいからうまい肴を作ろう」に徐々に移行しつつある。
昔から家で一人晩酌をするようになったらおっさんの第一歩だと思っていたのだけど、そうなりつつあるのかもしれない。
次にその思いを強くするのは「ももひき」を履くようになった時だろう。
「だからどうした?」てな話だけど、要するにゆずこしょうはとってもとっても優秀な調味料であるけれど、俺の中のおっさんを呼び起こすとんでもないヤツでもあるということだ。どうでもいいか。
そんな俺の中のおっさんはともかく、ゆずこしょうは万能調味料だと思う。アジの刺身なんかもこれでいけるししょうがいらず、炒め物にも普通に使える。
昔からアルコール摂取は嫌いではなく、というよりも好きで結構飲むのだけど、酒を飲む最大の理由はあくまでもコミニュケーションの潤滑油のためで、酒自体が好きで好きでしょうがないとうわけではなかった。酒の中には好き嫌いはあるけど、酒自体は麻酔のようなもんだ。
話し好きのくせに話し下手というか人見知りで平熱が低いので、アルコールで感覚を多少麻痺させてテンションあげないとなかなかうま〜くコミニュケーションが円滑に進んでいかない。
なので人と会う機会、ライブの打ち上げとかなんとかいった、外にいるときは結構飲む。
そしていい感じに灰(ハイ)になると「酒というのは人類の叡智が結晶した素晴らしいものだ」とか「誰に教わるわけでもないのに、原始の時代より世界各地でアルコール飲料が同時多発的に生まれているというのは、人間は本能的に精神を弛緩させることを欲していて、そうでもしなければ精神が朽ちていってすぐに死にたくなる生き物であるという事をどこかで分かっていたんではないか?無意識のうちに延命薬としてのアルコールを作り出していたのでは?」とか「食って寝て交尾するだけの動物ではない人間というのは、動物としては変態種であり、生まれながらにして精神を患っている欠陥種ではないか?」とかいったバカなことを考えながらバッカスさんありがとうと感謝をする。
そんな感謝をするくせに家に一人でいるときは一人で神経を弛緩させても虚しいので殆ど飲むことはなかった。
が、最近一人家飲みをちょくちょくしてしまう。「うまい肴があれば呑んでもいいかな」ではなく「呑みたいからうまい肴を作ろう」に徐々に移行しつつある。
昔から家で一人晩酌をするようになったらおっさんの第一歩だと思っていたのだけど、そうなりつつあるのかもしれない。
次にその思いを強くするのは「ももひき」を履くようになった時だろう。
「だからどうした?」てな話だけど、要するにゆずこしょうはとってもとっても優秀な調味料であるけれど、俺の中のおっさんを呼び起こすとんでもないヤツでもあるということだ。どうでもいいか。
そんな俺の中のおっさんはともかく、ゆずこしょうは万能調味料だと思う。アジの刺身なんかもこれでいけるししょうがいらず、炒め物にも普通に使える。
昨日「となりのトトロ」をテレビでやってた。
前にも同じような事書いたけど、
トトロのおなかで眠りたい!猫バスに乗りたい!
そんな気持ちにさせることにかけては右に出る者がいない監督だよなぁ宮崎監督って。触感喚起力?なんて言葉はないかも知れんけど、それがすごいんだよなぁ。
自らの臀部のデカさに腰が圧迫され、快眠とは程遠い睡眠状況を抱えて生きている身としては、この問題を解消するには点で支える西川のふとんかトトロのおなかしかないと思ってしまう。
トトロのおなかで寝たらさぞかし心地いい睡眠が堪能できるだろうと、本筋とは関係ないところで感動してしまっている自分がいる2010年夏......。
それにしても隣のおばあちゃん役の声優さんの声にはどうも催涙効果があるな。
あれとあの緑の風景、土間や壁のくすんだ感じが合わさると、理由もなく泣けてくる。
とくにこれといったストーリーもなく幾つかのエピソードが連なっただけの映画なのに何度でも見て泣きたくなってくるこの映画、究極のトリップ映画じゃないか?
小津安二郎の「東京物語」とも通じる「ミニマルアートの極致」って感じがする。
宮崎監督、若いときに社会主義思想に傾倒し、左翼的なスタンスを長らく取っていた人だけあって、殆どの作品に重いメッセージとか社会批判みたいな物が滲んでいて、それが作品の魅力の大きな要因となっているんだけど、それ故にそう何度も何度も観てるとちょっと疲れてしまうところが無きにしも非らず。それほどへヴィーなジブリファンじゃないもんで。
でもこのトトロはそういったものが殆どなく、ある種の弱みというか誰しもの心の琴線をくすぐるノスタルジーの部分をついホロッと出してしまった作品で、それゆえになんか楽に観ることが出来る。
硬質な姿勢を持った人がたまに垣間見せる「柔らかい」部分、めったに人にさわらせないそんな部分にこそ、多くの人は惹かれ長く愛するんだなあと、偉大な表現者の業績を見てるとこころ 思う。
ストロングスタイルな人の持っている弱さって切ないからね。切ない部分で誰しも共有できるしね。
たんにストロングスタイルを見せ付けられたら辟易するけど、弱いところしか出さないのってイライラするし、やっぱ物事ってなによりも「塩梅」が大事なのね。すごい人って独特で絶妙なバランス感覚をそれぞれ持ってるな。
「塩梅」。紙に書いて額にでも貼り付けようか。
前にも同じような事書いたけど、
トトロのおなかで眠りたい!猫バスに乗りたい!
そんな気持ちにさせることにかけては右に出る者がいない監督だよなぁ宮崎監督って。触感喚起力?なんて言葉はないかも知れんけど、それがすごいんだよなぁ。
自らの臀部のデカさに腰が圧迫され、快眠とは程遠い睡眠状況を抱えて生きている身としては、この問題を解消するには点で支える西川のふとんかトトロのおなかしかないと思ってしまう。
トトロのおなかで寝たらさぞかし心地いい睡眠が堪能できるだろうと、本筋とは関係ないところで感動してしまっている自分がいる2010年夏......。
それにしても隣のおばあちゃん役の声優さんの声にはどうも催涙効果があるな。
あれとあの緑の風景、土間や壁のくすんだ感じが合わさると、理由もなく泣けてくる。
とくにこれといったストーリーもなく幾つかのエピソードが連なっただけの映画なのに何度でも見て泣きたくなってくるこの映画、究極のトリップ映画じゃないか?
小津安二郎の「東京物語」とも通じる「ミニマルアートの極致」って感じがする。
宮崎監督、若いときに社会主義思想に傾倒し、左翼的なスタンスを長らく取っていた人だけあって、殆どの作品に重いメッセージとか社会批判みたいな物が滲んでいて、それが作品の魅力の大きな要因となっているんだけど、それ故にそう何度も何度も観てるとちょっと疲れてしまうところが無きにしも非らず。それほどへヴィーなジブリファンじゃないもんで。
でもこのトトロはそういったものが殆どなく、ある種の弱みというか誰しもの心の琴線をくすぐるノスタルジーの部分をついホロッと出してしまった作品で、それゆえになんか楽に観ることが出来る。
硬質な姿勢を持った人がたまに垣間見せる「柔らかい」部分、めったに人にさわらせないそんな部分にこそ、多くの人は惹かれ長く愛するんだなあと、偉大な表現者の業績を見てるとこころ 思う。
ストロングスタイルな人の持っている弱さって切ないからね。切ない部分で誰しも共有できるしね。
たんにストロングスタイルを見せ付けられたら辟易するけど、弱いところしか出さないのってイライラするし、やっぱ物事ってなによりも「塩梅」が大事なのね。すごい人って独特で絶妙なバランス感覚をそれぞれ持ってるな。
「塩梅」。紙に書いて額にでも貼り付けようか。
昨夜のライブに来てくれた方々、居てくれた方々、バーのスタッフの方々、胎盤の太郎くん、一緒に音出してくれたおいちゃんとたけやん、どうもありがとう。感謝します。
久々に人前で歌うってことで珍しく緊張していて、前日も寝不足だったり声がかすれていたりと不安要素が沢山あったんだけど、本番前に焼酎でのどを潤してから、それで本番の第一声を発したら驚くほどいい調子だったんだで緊張も無くなり、結局最後はオーティス・レディングの物まねで「酒呑め!」って絶叫してた。
変わらねぇな。自分でも嫌んなるくらい変わらねぇ。俺にはチルアウトな感覚で音楽に向かうことなど一生出来そうに無い。
でも前半のアコースティック編では「ジェラシー」とか「平熱」とかじっくりとした曲もやって、それが意外で良かったという声も一部にはあったんで、もう少しじっくりした要素を増やそうかなとか何とか思ったり思わなかったりらじばんだり。古い。
このハコ、カラードジャムってところは音楽、特にブラックミュージック好きなスタッフによって営まれているバーなので、素敵な音楽が常に流れている場所なのだ。
昨夜もスライやサム・クック、ファンカデリックからプラターズまで「これで酒がすすまなきゃウソだろおい!」ってな音楽がかかりまくっていたのでついついピッチが上がってしまった。
で、結局朝まで楽しく酒飲んで帰宅、という駄目な方向の人になってしまったんだけど、でもいいんだ。沢山呑んだし沢山話したけど酒には飲まれてないから。
精神が覚醒するとちょっとやそっとの外的要因では酩酊しないね。
帰りにマスターに細野晴臣のクラウンイヤーズのボックスセット借りたんで今日はハリーホソノを堪能する日だ。これには酩酊するかもしれない。
次のライブは新宿のロフトのBAR THE LOFTのセッションで、8月5日(木曜)の深夜にやりますわ。
カラーズ・デパートメントのドラム内海さんの企画で、前々から一緒に音を出したかった彼女とのセッションなので凄く気合が入っております。
平日の深夜に新宿に来られるちょっと駄目めな人たち集まろうじゃないか。つっても終電までには終わるんだろうけどさ。
久々に人前で歌うってことで珍しく緊張していて、前日も寝不足だったり声がかすれていたりと不安要素が沢山あったんだけど、本番前に焼酎でのどを潤してから、それで本番の第一声を発したら驚くほどいい調子だったんだで緊張も無くなり、結局最後はオーティス・レディングの物まねで「酒呑め!」って絶叫してた。
変わらねぇな。自分でも嫌んなるくらい変わらねぇ。俺にはチルアウトな感覚で音楽に向かうことなど一生出来そうに無い。
でも前半のアコースティック編では「ジェラシー」とか「平熱」とかじっくりとした曲もやって、それが意外で良かったという声も一部にはあったんで、もう少しじっくりした要素を増やそうかなとか何とか思ったり思わなかったりらじばんだり。古い。
このハコ、カラードジャムってところは音楽、特にブラックミュージック好きなスタッフによって営まれているバーなので、素敵な音楽が常に流れている場所なのだ。
昨夜もスライやサム・クック、ファンカデリックからプラターズまで「これで酒がすすまなきゃウソだろおい!」ってな音楽がかかりまくっていたのでついついピッチが上がってしまった。
で、結局朝まで楽しく酒飲んで帰宅、という駄目な方向の人になってしまったんだけど、でもいいんだ。沢山呑んだし沢山話したけど酒には飲まれてないから。
精神が覚醒するとちょっとやそっとの外的要因では酩酊しないね。
帰りにマスターに細野晴臣のクラウンイヤーズのボックスセット借りたんで今日はハリーホソノを堪能する日だ。これには酩酊するかもしれない。
次のライブは新宿のロフトのBAR THE LOFTのセッションで、8月5日(木曜)の深夜にやりますわ。
カラーズ・デパートメントのドラム内海さんの企画で、前々から一緒に音を出したかった彼女とのセッションなので凄く気合が入っております。
平日の深夜に新宿に来られるちょっと駄目めな人たち集まろうじゃないか。つっても終電までには終わるんだろうけどさ。
ここのところ毎晩暑いせいかあまり長い時間眠れない。3時間くらいで身体が疲れて目が覚める。布団が悪いせいか?
しかしこないだ何かで聞いたんだが、夜の10時から2時あたりの4時間が人間にとってもっとも細胞を再生させる時間帯かなんかで、その時間に睡眠をとるといわゆる「アンチエイジング」効果というのがあるらしい。歳をとりにくくなるようだ。
アンチエイジングはともかく、その4時間に思いっきり集中して寝て、そこからは起きて、なんだかんだ体の調子を整えるなり頭を活性化させるなりしてその日の仕事等に備えたら、凄く効率よく時間が使えてしかも細胞が歳をとらないしいいことずくめだとい思うんだがなあ。
ただこのために必要なのは昼休憩を2時間くらいにして、そこで仮眠を取るとか、ゆっくり食事を楽しむだとかしてもっと精神的肉体的な充足を図る時間だ。それが可能ならもっと活動的に一日を送れるだろうな。
日本はいまこそもっと余裕を持って2時間とか3時間の昼休憩を与えて、午後の仕事を効率よくはかどらせたら成果が上がるのに。1時間くらい仕事が終わる時間は遅くてもいいからさ。
と、自分が眠れないのをいいことに日本に勝手に提言してみる。
それにしても仮眠、というか昼寝ってなんであんなに気持ちがいいんだろう?
昼寝を習慣化させたら精神衛生上いいだろうし、本当に生産性が上がる気がしてきた。
まあいいや。今週ライブやります。今週の22日木曜日で、場所は下北沢coloredjamってバー。
俺の出番は夜の9時過ぎからです。
http://www.coloredjam.com/top.html
この日はルーツストラッティンのヴォーカル荒谷太郎君との胎盤します。
俺は弾き語りと、ルーツストラッティンのベースおいちゃんと元フレイマーブルリキッドのドラムのたけやんを迎えたバンドスタイルの二部構成でやります。
時間があったら呑みに来てください。
しかしこないだ何かで聞いたんだが、夜の10時から2時あたりの4時間が人間にとってもっとも細胞を再生させる時間帯かなんかで、その時間に睡眠をとるといわゆる「アンチエイジング」効果というのがあるらしい。歳をとりにくくなるようだ。
アンチエイジングはともかく、その4時間に思いっきり集中して寝て、そこからは起きて、なんだかんだ体の調子を整えるなり頭を活性化させるなりしてその日の仕事等に備えたら、凄く効率よく時間が使えてしかも細胞が歳をとらないしいいことずくめだとい思うんだがなあ。
ただこのために必要なのは昼休憩を2時間くらいにして、そこで仮眠を取るとか、ゆっくり食事を楽しむだとかしてもっと精神的肉体的な充足を図る時間だ。それが可能ならもっと活動的に一日を送れるだろうな。
日本はいまこそもっと余裕を持って2時間とか3時間の昼休憩を与えて、午後の仕事を効率よくはかどらせたら成果が上がるのに。1時間くらい仕事が終わる時間は遅くてもいいからさ。
と、自分が眠れないのをいいことに日本に勝手に提言してみる。
それにしても仮眠、というか昼寝ってなんであんなに気持ちがいいんだろう?
昼寝を習慣化させたら精神衛生上いいだろうし、本当に生産性が上がる気がしてきた。
まあいいや。今週ライブやります。今週の22日木曜日で、場所は下北沢coloredjamってバー。
俺の出番は夜の9時過ぎからです。
http://www.coloredjam.com/top.html
この日はルーツストラッティンのヴォーカル荒谷太郎君との胎盤します。
俺は弾き語りと、ルーツストラッティンのベースおいちゃんと元フレイマーブルリキッドのドラムのたけやんを迎えたバンドスタイルの二部構成でやります。
時間があったら呑みに来てください。
ブルーノート東京の22回目のアニバーサリー・デイに、スタンリー・クラーク(b)、レニー・ホワイト(ds)、上原ひろみ(p)の最強トリオが出演するそうな。
このトリオによるアルバム『ジャズ・イン・ザ・ガーデン』は熱心に聴いたが、あのリターン・トゥ・フォーエヴァーのリズム隊と完全に対等でからむ上原ひろみさんのプレイはとにかくとんでもない。
矢野顕子さんと一緒に連奏している映像で初めて上原ひろみさんの動く姿を観たのだけど、とにかく自分の破格の表現能力と驚異的なテクニックに自分自身が驚いて、それがダイレクトに表情や動きに出ているような「全身音楽」な佇まいが衝撃だった。
いやまあ、あれだけ高いレベルにいる人はそんなに簡単なもんじゃないんだろうし、上の上を知ってる人であれば自分の演奏には恐ろしいほど厳しいんだろうけど、こちらからすりゃあれだけ弾けりゃ楽しくてしょうがないだろうな、とつい思ってしまう。
とにかく弾いているときの表情がとてつもなく素敵で、特別美人というわけではない(失礼)彼女がとてつもなく色っぽく見えてしまう。音楽の化身と化した女性はとにかく美しいのだ。
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/UTeQQKjS42M&feature=youtube_gdata]
演奏しているときに自己陶酔的な表情をするミュージシャンというのは沢山いるけど、殆どがうそ臭いっちゅうか演技演出っぽく見えるのは、出してる音がその表情をするに足るレベルに達していないからだ。
逆に本当にすごい音を発しているミュージシャンは、演奏している間じゅうとてつもなく音楽的で豊かな表情と佇まいをしていて、またそれが全然うそ臭くない。というかその表情だけで持っていかれるほど魅力的に映る。
「音楽はテクニックではない」とは誰もが言うが、その殆どが下手なミュージシャンの言い訳で、長い間の修練と研磨によってとてつもないレベルに達したミュージシャンになってから初めてそのセリフが言えるんだ。
矢野顕子さんなんか若いミュージシャンにメッセージを、なんて聞かれたら「もっと練習をしなさい」としか言わない。「全身音楽」の境地に達するような人は言うことはシンプルで分かりやすい。それがすべてをあらわしている。
あたりまえだけどここで言うテクニックとは小手先の大道芸的な技術のことではない。
歌演奏ともに下手な俺としてはなんとも耳が痛い話だけど、いつか本当の意味で自分の音に酔って陶酔した表情を浮かべてみたい。
練習だ。今晩も多摩川だ。ちゃんとやれって。
今度の22日、下北沢coloredjamにてライブやるんで観に来てくださいな。夜の八時過ぎてからスタートなんで仕事帰りに気軽に酒を飲みながらって感じで。
http://www.coloredjam.com/top.html
このトリオによるアルバム『ジャズ・イン・ザ・ガーデン』は熱心に聴いたが、あのリターン・トゥ・フォーエヴァーのリズム隊と完全に対等でからむ上原ひろみさんのプレイはとにかくとんでもない。
矢野顕子さんと一緒に連奏している映像で初めて上原ひろみさんの動く姿を観たのだけど、とにかく自分の破格の表現能力と驚異的なテクニックに自分自身が驚いて、それがダイレクトに表情や動きに出ているような「全身音楽」な佇まいが衝撃だった。
いやまあ、あれだけ高いレベルにいる人はそんなに簡単なもんじゃないんだろうし、上の上を知ってる人であれば自分の演奏には恐ろしいほど厳しいんだろうけど、こちらからすりゃあれだけ弾けりゃ楽しくてしょうがないだろうな、とつい思ってしまう。
とにかく弾いているときの表情がとてつもなく素敵で、特別美人というわけではない(失礼)彼女がとてつもなく色っぽく見えてしまう。音楽の化身と化した女性はとにかく美しいのだ。
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/UTeQQKjS42M&feature=youtube_gdata]
演奏しているときに自己陶酔的な表情をするミュージシャンというのは沢山いるけど、殆どがうそ臭いっちゅうか演技演出っぽく見えるのは、出してる音がその表情をするに足るレベルに達していないからだ。
逆に本当にすごい音を発しているミュージシャンは、演奏している間じゅうとてつもなく音楽的で豊かな表情と佇まいをしていて、またそれが全然うそ臭くない。というかその表情だけで持っていかれるほど魅力的に映る。
「音楽はテクニックではない」とは誰もが言うが、その殆どが下手なミュージシャンの言い訳で、長い間の修練と研磨によってとてつもないレベルに達したミュージシャンになってから初めてそのセリフが言えるんだ。
矢野顕子さんなんか若いミュージシャンにメッセージを、なんて聞かれたら「もっと練習をしなさい」としか言わない。「全身音楽」の境地に達するような人は言うことはシンプルで分かりやすい。それがすべてをあらわしている。
あたりまえだけどここで言うテクニックとは小手先の大道芸的な技術のことではない。
歌演奏ともに下手な俺としてはなんとも耳が痛い話だけど、いつか本当の意味で自分の音に酔って陶酔した表情を浮かべてみたい。
練習だ。今晩も多摩川だ。ちゃんとやれって。
今度の22日、下北沢coloredjamにてライブやるんで観に来てくださいな。夜の八時過ぎてからスタートなんで仕事帰りに気軽に酒を飲みながらって感じで。
http://www.coloredjam.com/top.html
村上春樹の「ノルウェイの森」の映画化に際して、主題歌に原版であるビートルズの「ノルウェイの森」を使えることになったそうな。これは異例のことらしい。
「ノルウェイの森」はよく自分でも弾き語りをする。長らくこの曲を弾いてるけど2フレットにカポをつけるとあの響きになるってことを去年発見した。教則本の類は見ないもんで......。そのせいでビートルズからはいまだに発見がある(笑)。
「ノルウェイの森」、数あるカバーあれど原曲の巣晴らしさを超えるものは皆無。
あの曲が1965年の忙しい最中、年末のアルバム発売に間に合わせるため突貫工事のようなレコーディングの中で録音されたというのは奇跡ではなかろうか。
ノルウェイとは関係ないインドの楽器シタールを導入するセンスもすごいけど、そのシタールの音色やメロディが全然抹香くさくないというのがこれまたさすがとしか言いようのないセンス。
他はアコースティックギター、ベース、バスドラとシンバルハイハットのみというシンプルの極みみたいな編成だけど、まったく無駄のない洗練されたアレンジ。
なによりもジョン・レノンの物憂げな淡々としたヴォーカルが、一夜の情事を描いたこの曲の雰囲気を何よりも表現していて最高だ。本当にこの時期のジョンの声は美しいな。
それにしてもこの1965年から1966年あたりのビートルズの創造力というのは恐ろしい。なにせアルバム「ラバーソウル」以外にも「デイ・トリッパー/ウィー・キャン・ワーク・イット・アウト」という最強のシングルも出しているというのだからとんでもない。年末進行という忙しさの中でだ。
そのシングルや「ノルウェイの森」のほかにも、「ドライヴ・マイ・カー」「イン・マイ・ライフ」「ミッシェル」とかいった本当に時代を超える名曲が、あの忙しい最中にどういう過程で産まれ完成していったのか、出来ることなら全工程を覗いてみたい。凄すぎるわ。
しかし個人的な好みでいうと、いかにも忙しい最中だったんだなというのが丸分かりな「ラン・フォー・ユア・ライフ」とか「シンク・フォー・ユアセルフ」とか「ウェイト」とか「ユー・ウォント・シー・シー」とかのほうがむしろ好きだ。粗製濫造気味なアレンジとかがかえって香ばしい。洗練されすぎないところがビートルズの無限の賞味期限の秘密かもしれない。
それにしても「ノルウェイの森」って邦題は誰がつけたんだろ?センスよすぎだろ。
「ノルウェイの森」はよく自分でも弾き語りをする。長らくこの曲を弾いてるけど2フレットにカポをつけるとあの響きになるってことを去年発見した。教則本の類は見ないもんで......。そのせいでビートルズからはいまだに発見がある(笑)。
「ノルウェイの森」、数あるカバーあれど原曲の巣晴らしさを超えるものは皆無。
あの曲が1965年の忙しい最中、年末のアルバム発売に間に合わせるため突貫工事のようなレコーディングの中で録音されたというのは奇跡ではなかろうか。
ノルウェイとは関係ないインドの楽器シタールを導入するセンスもすごいけど、そのシタールの音色やメロディが全然抹香くさくないというのがこれまたさすがとしか言いようのないセンス。
他はアコースティックギター、ベース、バスドラとシンバルハイハットのみというシンプルの極みみたいな編成だけど、まったく無駄のない洗練されたアレンジ。
なによりもジョン・レノンの物憂げな淡々としたヴォーカルが、一夜の情事を描いたこの曲の雰囲気を何よりも表現していて最高だ。本当にこの時期のジョンの声は美しいな。
それにしてもこの1965年から1966年あたりのビートルズの創造力というのは恐ろしい。なにせアルバム「ラバーソウル」以外にも「デイ・トリッパー/ウィー・キャン・ワーク・イット・アウト」という最強のシングルも出しているというのだからとんでもない。年末進行という忙しさの中でだ。
そのシングルや「ノルウェイの森」のほかにも、「ドライヴ・マイ・カー」「イン・マイ・ライフ」「ミッシェル」とかいった本当に時代を超える名曲が、あの忙しい最中にどういう過程で産まれ完成していったのか、出来ることなら全工程を覗いてみたい。凄すぎるわ。
しかし個人的な好みでいうと、いかにも忙しい最中だったんだなというのが丸分かりな「ラン・フォー・ユア・ライフ」とか「シンク・フォー・ユアセルフ」とか「ウェイト」とか「ユー・ウォント・シー・シー」とかのほうがむしろ好きだ。粗製濫造気味なアレンジとかがかえって香ばしい。洗練されすぎないところがビートルズの無限の賞味期限の秘密かもしれない。
それにしても「ノルウェイの森」って邦題は誰がつけたんだろ?センスよすぎだろ。
予想通りといえば予想通りだけど、面白い結果だったと思う。やはり民主が苦しい戦いをし、自民がなんとなく勝ち、「みんなの党」が議席を増やし支持層が大きくなりつつあることをアピールした。
タレント議員も軒並み苦戦しているようで「あたりめぇだろ!」以外の言葉がないけれど、まあこの際そんなもんはどうでもいいや。
ハッキリとした口調でズケズケと発言する肉食系の政治家の存在こそ求められているのであって、のらりくらりはぐらかしたり言い回しを変えたりして断定的なことを言わないのがプロと思い込んでるような老獪な政治家は要らない。
外交はともかく、国政に関しては馬鹿みたいに直裁で分かりやすい行動をとって欲しいと切に願う。
タレント議員も軒並み苦戦しているようで「あたりめぇだろ!」以外の言葉がないけれど、まあこの際そんなもんはどうでもいいや。
ハッキリとした口調でズケズケと発言する肉食系の政治家の存在こそ求められているのであって、のらりくらりはぐらかしたり言い回しを変えたりして断定的なことを言わないのがプロと思い込んでるような老獪な政治家は要らない。
外交はともかく、国政に関しては馬鹿みたいに直裁で分かりやすい行動をとって欲しいと切に願う。
最近にわかに流行りつつあるという今年の夏風邪に早くもかかってしまい、ここ二日ほど寝て過ごした。
とにかくダラダラ汗をかいて早く熱を下げようとして、しょうこりもなくツェッペリンのライブDVDなんぞを観ながら、やっぱスゲエなぁと感動しつつ、ボンゾのドラムソロを聴きながら鈍い眠りに落ちていくような、そんな日々。
いつもにもまして朝昼のニュースやテレビをたんまりと見た。
当たり前の話になるけど書く。
「消費税は上げなきゃしょうがないよねぇ」的な空気が国民の側から普通に出るようになったけど、ちょっと待ってくれと。官氏が半年くらい前に「もう鼻血も出ませんってくらい税の無駄使いを搾り出した挙句に消費税の話をしましょうじゃありませんか」といったじゃありませんか。まったくその通り、その言や良し。
しかしそのような大掃除は殆どされぬまま10%まで上げることを念頭においてだとか。しかも演説のたびに所得が何百万以下の人はどうとかこうとか、その趣旨がころころ変わる有様。
これじゃあ鳩山とも自民党とも変わりゃあしない。
国民の反応をうかがってちょっとずつ趣旨変更をしてんのかい?例によってカウパって先の話をしすぎただけか?
なんだか自信のないまま、とりあえず消費税上げとけば税収は上がるみたいな根拠レスな論法を信じて突き進んだところで、その消費税がどこに使われるのかちゃんと示してくれない限りは消費に回さないよ。税収なんて上がらないよ。
まあどっちみちこれも一種の目くらましで、消費税に問題を集約させといて他の事に目を行かせないようにしてるだけでさ。沖縄基地はどうなったんだよ?
政局が変わってなんとなく風通しがよくなった気がしたのは良かったけど、結局同じにおいの風が吹いてくるだけって感じで暗澹たる気持ちになってしまう。
今度の選挙、民主党がそうとう議席を落とすんではなかろうか。
実際の政治運営能力がどうとか言うのは未知数でも、言ってる内容とそれを伝える能力や説得力において「みんなの党」が俄然面白くなってきている。民主党にも自民党にもそこの面白みが全く無いから、信用できない。信用できないという国民の「気」の集積が民主党を実際その通りにさせている。
それを考えるとサッカーの日本のチームは凄いな。あれだけ前評判悪かったのにね。ただまああんなもんにいちいち「勇気」とか「感動」はもらわなかったけどさ。
大相撲の野球賭博問題。
相撲という競技は好きだけども、相撲協会のお偉方のいかにもお偉方な態度はやっぱり見ていて不快になる。
偉業を成し遂げた俺たちがオメェらのために釈明会見やってやってんだよ!な態度がありありと出ていたあの会見をみて、もう一周回って笑ってしまったが、船場吉兆のババアみたいにギャグにならないところが痛ましい。
相撲と博打ばっかやってて、大衆に迎合するようなパフォーマンスを得意とする力士を排除し続けた協会の幹部だけあって、人心掌握術というか記者会見における巧い立ち回りのセンスが全く無い。なんでああもこちら側の癇に障るような物言いしかできないかね。あ、相撲の話で「物言い」を使うと混同するな。
とにかくあの連日の幹部の不器用な会見等ですっかりこちら側の「まあ長らく続いたごっちゃん体質はなかなかなおらんよなぁ」的な柔らかさが失せて、HNKが放映取りやめとなったときには「あったりめーだろ!」くらいの気持ちになったわ。しっかしNHKもケツの穴がちいせぇな。こういうときこそちゃんとしたライブ会場(国技館)での正式な釈明を流すべきだろ。そこで真価を問うべきじゃないかえ?
結局パフォーマンスなんだよなぁ。どんだけ内容がしっかりしてようと、それをいかに効果的に伝えるかの才能が無かったら内容も無いに等しい。逆に口先のテクニックひとつで紛いモンでもそれなりに光ったりするんだからいいのか悪いのか。
まあだからこそ内実とパッケージングが伴ったもんは最強で普遍の力を持ちえるんだが。
という感じで結局我が身を振り返り、それで頭が痛くなってまた鈍い眠りに落ちるという二日だった。
7月22日、下北沢Coloured jamでライブやるよ。弾き語りとバンド形式の二部構成。時間があったら呑みに来ておくれ。
とにかくダラダラ汗をかいて早く熱を下げようとして、しょうこりもなくツェッペリンのライブDVDなんぞを観ながら、やっぱスゲエなぁと感動しつつ、ボンゾのドラムソロを聴きながら鈍い眠りに落ちていくような、そんな日々。
いつもにもまして朝昼のニュースやテレビをたんまりと見た。
当たり前の話になるけど書く。
「消費税は上げなきゃしょうがないよねぇ」的な空気が国民の側から普通に出るようになったけど、ちょっと待ってくれと。官氏が半年くらい前に「もう鼻血も出ませんってくらい税の無駄使いを搾り出した挙句に消費税の話をしましょうじゃありませんか」といったじゃありませんか。まったくその通り、その言や良し。
しかしそのような大掃除は殆どされぬまま10%まで上げることを念頭においてだとか。しかも演説のたびに所得が何百万以下の人はどうとかこうとか、その趣旨がころころ変わる有様。
これじゃあ鳩山とも自民党とも変わりゃあしない。
国民の反応をうかがってちょっとずつ趣旨変更をしてんのかい?例によってカウパって先の話をしすぎただけか?
なんだか自信のないまま、とりあえず消費税上げとけば税収は上がるみたいな根拠レスな論法を信じて突き進んだところで、その消費税がどこに使われるのかちゃんと示してくれない限りは消費に回さないよ。税収なんて上がらないよ。
まあどっちみちこれも一種の目くらましで、消費税に問題を集約させといて他の事に目を行かせないようにしてるだけでさ。沖縄基地はどうなったんだよ?
政局が変わってなんとなく風通しがよくなった気がしたのは良かったけど、結局同じにおいの風が吹いてくるだけって感じで暗澹たる気持ちになってしまう。
今度の選挙、民主党がそうとう議席を落とすんではなかろうか。
実際の政治運営能力がどうとか言うのは未知数でも、言ってる内容とそれを伝える能力や説得力において「みんなの党」が俄然面白くなってきている。民主党にも自民党にもそこの面白みが全く無いから、信用できない。信用できないという国民の「気」の集積が民主党を実際その通りにさせている。
それを考えるとサッカーの日本のチームは凄いな。あれだけ前評判悪かったのにね。ただまああんなもんにいちいち「勇気」とか「感動」はもらわなかったけどさ。
大相撲の野球賭博問題。
相撲という競技は好きだけども、相撲協会のお偉方のいかにもお偉方な態度はやっぱり見ていて不快になる。
偉業を成し遂げた俺たちがオメェらのために釈明会見やってやってんだよ!な態度がありありと出ていたあの会見をみて、もう一周回って笑ってしまったが、船場吉兆のババアみたいにギャグにならないところが痛ましい。
相撲と博打ばっかやってて、大衆に迎合するようなパフォーマンスを得意とする力士を排除し続けた協会の幹部だけあって、人心掌握術というか記者会見における巧い立ち回りのセンスが全く無い。なんでああもこちら側の癇に障るような物言いしかできないかね。あ、相撲の話で「物言い」を使うと混同するな。
とにかくあの連日の幹部の不器用な会見等ですっかりこちら側の「まあ長らく続いたごっちゃん体質はなかなかなおらんよなぁ」的な柔らかさが失せて、HNKが放映取りやめとなったときには「あったりめーだろ!」くらいの気持ちになったわ。しっかしNHKもケツの穴がちいせぇな。こういうときこそちゃんとしたライブ会場(国技館)での正式な釈明を流すべきだろ。そこで真価を問うべきじゃないかえ?
結局パフォーマンスなんだよなぁ。どんだけ内容がしっかりしてようと、それをいかに効果的に伝えるかの才能が無かったら内容も無いに等しい。逆に口先のテクニックひとつで紛いモンでもそれなりに光ったりするんだからいいのか悪いのか。
まあだからこそ内実とパッケージングが伴ったもんは最強で普遍の力を持ちえるんだが。
という感じで結局我が身を振り返り、それで頭が痛くなってまた鈍い眠りに落ちるという二日だった。
7月22日、下北沢Coloured jamでライブやるよ。弾き語りとバンド形式の二部構成。時間があったら呑みに来ておくれ。
「EXTRA TEXTURE」放題「ジョージ・ハリソン帝国」を久しぶりに聴いた。
ジョージ・ハリソンのアルバムの中でもかなり地味で過小評価されている作品だけれども、一番聴きこんだジョージのアルバムだ。
たまたま友達が持っていたアルバムでそいつから借りて聴いた。ジョージのソロアルバムとしては初めて聴いた作品で、出会いも17歳の頃とかなり早かった。ほかのメンバーの殆どのソロアルバムよりも早い時期に聴いた。なのでジョージのソロに対する先入観も殆ど無く聴けた幸福な出会いだった。
このアルバムが出たころは裁判だの離婚だのでいろいろゴタゴタしていたせいか、アルバムにその暗い陰を落としていて、全体的に暗い。
悲壮感と諦観が混ざり合いながら、照れ隠しで口角を片方だけ上げて笑っているような、そんなアルバム。
このアルバムで聴かれる、というよりジョージの作品全般で聴かれる、独得の翳りと捻くれたコード感、自虐的なユーモア、大げさではない実験性とミクスチャー感覚はものすごく影響を受けた。
元々ビートルズ時代から王道のポップソングや大胆な実験作を作り出してくるジョンとポールの狭間を埋めるように、ちょっとひねった感じの曲や気の利いた箸休め的な曲を作るイメージが強かったジョージだったけど、その独得の「斜め感」はすごく好きだった。
堂々たる名曲「サムシング」とか「ホワイル・マイ・ギター」とかよりも、スカっぽいリズムがビートルズらしくない「オールド・ブラウン・シュー」とか、これまたビートルズっぽくない妙にファンキーでタイトな「タックスマン」とか、その後のジョージを偲ばせる思いっきり倦怠感漂う「ロング・ロング・ロング」とか、ハードなノイズギターで始まったかと思うとその後は遊園地みたいなアレンジになる「オンリー・ア・ノーザン・ソング」とか、インド音楽の皮を被りながらも実は非常に美しいメロディーを持った「ジ・インナー・ライト」とか、どこに行き着くか良くわからないままどこにも行き着かないメロディーを持った「嘘つき女」とか「ブルー・ジェイ・ワエイ」とか、好きだなぁ、この取り止めのない世界観。それでいて「ジョージ印」はちゃんと感じられるんだから侮れない。
ソロになってから爆発的にヒットした「マイ・スウィート・ロード」とか「ギヴ・ミー・ラヴ」なんかも嫌いではないが、その妙にメジャー感漂う感じと暑苦しい宗教っぽさはあまり肌に合わない。
そもそも宗教に「確かなもの」を感じて、その「信じたものを疑わない」という創作スタイルから生まれた作品は、ジョージに限らずそれほど好きではない。むしろ何を信じたらいいのかわからないという不安感がいい作品を生むと思っている。
なのでその宗教臭さがある程度脱臭された頃の作品である「ジョージ・ハリソン帝国」には、めんどくさい教義やお説教っぽさが無く、ジョージの個人的苦悩と開き直りが満ち溢れていて、非常にシンパシーを感じられる。
World Of Stone
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/xWsEbpQNqZs&feature=youtube_gdata]
思いっきり嘆き節なようでいてどこかファンキーなこの作品なんかいかにもジョージって感じですごく好きだ。
Ooh Baby (You Know I Love You)
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/F6JRzHtG0jw&feature=youtube_gdata]
確たるメロディーもないままコード感とアレンジだけで出来上がってしまったようなこの曲も大好きで、この辺のセンスはほかのソングライターには無いものだ。ジョン・レノンは絶対に作らないだろう。でもサウンドの感触としては同時期のジョンのアルバム「心の壁 愛の橋」に通じるもんがあるなぁ。
Tired Of Midnight Blues
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/jifHYgIwHWs&feature=youtube_gdata]
この曲はこのアルバム、ひいてはジョージ・ハリソンをいかにも表している曲だと思う。
捻くれたブルース感覚と寂寥感が奇妙に同居して独得の自虐的なユーモアをほのかに感じさせる作品になっている。
このアルバムの原題「EXTRA TEXTURE」というのは意訳すると「妙な感触」という感じだろうか?(ちゃんとわかる人がいたら教えて下さい)まあそんな質感を最も現した曲だと思う。
ビートルズをはじめアップルから出たレコードはレコード盤の真ん中に林檎の写真が貼ってあるのだけれど、このジョージのアルバムはアップルで出す最後のアルバムということで林檎が芯だけになった写真が貼られている(笑)。
この辺のユーモアがいかにもジョージ、いかにもイギリス人という感じだ。
またこのアルバムのインナーにはジョージが人をおちょくったような笑顔を浮かべた写真があり、その下には「OHNOTHIMAGAIN」という謎の英語が並んでいる。これ、間を空けると「OH NOT HIM AGAIN」(またアイツかよ)ということでこれもまたジョージらしい。大好きだ。
そういやジョージの自主レーベルの名前も「ダーク・ホース」で「穴馬」を意味する。いかにも「第三のビートル」といわれ続けた末っ子ジョージならではの自虐的なユーモアで、この感覚をジョージは最期まで保持し続けていたように思う。それはジョージの作品の大きな特徴となっていて、いまだに彼の作品が、地味だけどしっかりと愛されている最大の要因になっていると思う。
ジョージ・ハリソンのアルバムの中でもかなり地味で過小評価されている作品だけれども、一番聴きこんだジョージのアルバムだ。
たまたま友達が持っていたアルバムでそいつから借りて聴いた。ジョージのソロアルバムとしては初めて聴いた作品で、出会いも17歳の頃とかなり早かった。ほかのメンバーの殆どのソロアルバムよりも早い時期に聴いた。なのでジョージのソロに対する先入観も殆ど無く聴けた幸福な出会いだった。
このアルバムが出たころは裁判だの離婚だのでいろいろゴタゴタしていたせいか、アルバムにその暗い陰を落としていて、全体的に暗い。
悲壮感と諦観が混ざり合いながら、照れ隠しで口角を片方だけ上げて笑っているような、そんなアルバム。
このアルバムで聴かれる、というよりジョージの作品全般で聴かれる、独得の翳りと捻くれたコード感、自虐的なユーモア、大げさではない実験性とミクスチャー感覚はものすごく影響を受けた。
元々ビートルズ時代から王道のポップソングや大胆な実験作を作り出してくるジョンとポールの狭間を埋めるように、ちょっとひねった感じの曲や気の利いた箸休め的な曲を作るイメージが強かったジョージだったけど、その独得の「斜め感」はすごく好きだった。
堂々たる名曲「サムシング」とか「ホワイル・マイ・ギター」とかよりも、スカっぽいリズムがビートルズらしくない「オールド・ブラウン・シュー」とか、これまたビートルズっぽくない妙にファンキーでタイトな「タックスマン」とか、その後のジョージを偲ばせる思いっきり倦怠感漂う「ロング・ロング・ロング」とか、ハードなノイズギターで始まったかと思うとその後は遊園地みたいなアレンジになる「オンリー・ア・ノーザン・ソング」とか、インド音楽の皮を被りながらも実は非常に美しいメロディーを持った「ジ・インナー・ライト」とか、どこに行き着くか良くわからないままどこにも行き着かないメロディーを持った「嘘つき女」とか「ブルー・ジェイ・ワエイ」とか、好きだなぁ、この取り止めのない世界観。それでいて「ジョージ印」はちゃんと感じられるんだから侮れない。
ソロになってから爆発的にヒットした「マイ・スウィート・ロード」とか「ギヴ・ミー・ラヴ」なんかも嫌いではないが、その妙にメジャー感漂う感じと暑苦しい宗教っぽさはあまり肌に合わない。
そもそも宗教に「確かなもの」を感じて、その「信じたものを疑わない」という創作スタイルから生まれた作品は、ジョージに限らずそれほど好きではない。むしろ何を信じたらいいのかわからないという不安感がいい作品を生むと思っている。
なのでその宗教臭さがある程度脱臭された頃の作品である「ジョージ・ハリソン帝国」には、めんどくさい教義やお説教っぽさが無く、ジョージの個人的苦悩と開き直りが満ち溢れていて、非常にシンパシーを感じられる。
World Of Stone
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/xWsEbpQNqZs&feature=youtube_gdata]
思いっきり嘆き節なようでいてどこかファンキーなこの作品なんかいかにもジョージって感じですごく好きだ。
Ooh Baby (You Know I Love You)
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/F6JRzHtG0jw&feature=youtube_gdata]
確たるメロディーもないままコード感とアレンジだけで出来上がってしまったようなこの曲も大好きで、この辺のセンスはほかのソングライターには無いものだ。ジョン・レノンは絶対に作らないだろう。でもサウンドの感触としては同時期のジョンのアルバム「心の壁 愛の橋」に通じるもんがあるなぁ。
Tired Of Midnight Blues
[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/jifHYgIwHWs&feature=youtube_gdata]
この曲はこのアルバム、ひいてはジョージ・ハリソンをいかにも表している曲だと思う。
捻くれたブルース感覚と寂寥感が奇妙に同居して独得の自虐的なユーモアをほのかに感じさせる作品になっている。
このアルバムの原題「EXTRA TEXTURE」というのは意訳すると「妙な感触」という感じだろうか?(ちゃんとわかる人がいたら教えて下さい)まあそんな質感を最も現した曲だと思う。
ビートルズをはじめアップルから出たレコードはレコード盤の真ん中に林檎の写真が貼ってあるのだけれど、このジョージのアルバムはアップルで出す最後のアルバムということで林檎が芯だけになった写真が貼られている(笑)。
この辺のユーモアがいかにもジョージ、いかにもイギリス人という感じだ。
またこのアルバムのインナーにはジョージが人をおちょくったような笑顔を浮かべた写真があり、その下には「OHNOTHIMAGAIN」という謎の英語が並んでいる。これ、間を空けると「OH NOT HIM AGAIN」(またアイツかよ)ということでこれもまたジョージらしい。大好きだ。
そういやジョージの自主レーベルの名前も「ダーク・ホース」で「穴馬」を意味する。いかにも「第三のビートル」といわれ続けた末っ子ジョージならではの自虐的なユーモアで、この感覚をジョージは最期まで保持し続けていたように思う。それはジョージの作品の大きな特徴となっていて、いまだに彼の作品が、地味だけどしっかりと愛されている最大の要因になっていると思う。
こないだ爆笑問題の番組にマツコデラックスが出ていた。
深夜の低予算番組「マツコの部屋」でマツコデラックスをちゃんと知って以来この人のファンになったのだけれど、この爆笑問題の番組におけるマツコの発言は凄く深く染みた。
「ゲイであることに気づいて悩まなかった?」との問いに、「自分はサラリーマンには向いていないし、肉体労働をする根性もない。だけど学生時代にそういうことで悩んでいても何かができるわけではないから、何もしないで、ただ時が過ぎるのを待っていた。早く学生生活が終わって、どうにかこの身の処し方を選択できる状況に置きたかった」と答えたのが印象に残った。
さらに「どうにもできないからって自殺をしようとか、マイナス方向にはけして向かなかった」マツコに、「精神的に強いね」と感心する太田に対し、「強いんじゃなくて、面倒くさがり屋なんだと思う」とマツコは言う。「悩んでることすら面倒くさくなる。考えたってしょうがないじゃん」と。これだよ、これ!
「悩んでることすらめんどくさい」というのは、いわゆるオネエ系のタレントとしてやってる人からは絶対出てこない発言で、実は今の時代を普通に生きてる人間が多かれ少なかれ持っている思いだと思った。
どうもオネエ系タレントと呼ばれる芸能人というのが好きになれなくて。
なんか一様に下品でウルサイし、でもお涙ちょうだい的な側面も小出しにしてきていちいち鼻につく。
はるな愛なんかその際たるもんで、テレビなどで見受けられるあの「イタイ」感じがどうにもノイズに感じられる。
ロンブーの淳はその辺を実に巧妙にかつザックリと露見させてくれて、こちらの溜飲が下がった。
あれほど明確に「このノイズ不快です」というのをこちらに示してくれると、もはやはるな愛が可哀想にしか思えなくなって、それはそれではるな愛にとってはいいのかもしれないな。大衆の潜在的な不快感をテレビを通じてガス抜きしてくれたんだから、と勝手なことを言ってますが。
まあマツコデラックスも下品な話題はバンバン言うし、大声で怒声を上げたりしてウルサイっちゃウルサイんだけど、俺にははるな愛とかと違って全然心地いいノイズに感じられる。
音楽と一緒で「同じロックじゃん」と言われてもそれぞれが全然違うものであって、「良い物もあれば悪いものもある」というスネークマンショウのような話に結局はなる。
しかし、じゃあはるな愛とかIKKOとかとマツコは具体的にどう違うの?と問われても、圧倒的に違うわ!とは思いつつも明確に説明することは今までは難しかったんだけど、このマツコの「悩むことすらめんどくさい」という必殺のキーワードが出てきたことによって全て理解できた。
考えてみればマツコデラックスのコラムニストとしての活動や、テレビにおけるメディア全般に対する批評的な発言は、いわゆるオカマだとかデブタレントとかいった「特殊」な立ち位置を論拠にして発せられたものではなくて、普通の意識的な批評眼から発せられたものなわけで、だからマツコデラックスは打ち出し方こそはオネエ系タレントだけど、そこのおいしいとこは利用しつつも実際に需要があるのは非常に頭のいい毒舌タレントとしてのマツコデラックスなのだ。
「悩むことすらめんどくさい」という実に普遍性のある普通人感覚の発言には、実はマツコデラックスのとてもユニークな立ち位置を相対的に示す発言だと思う。
「悩むことすらめんどくさい」。いい言葉だ。曲のタイトルにしたいくらい。
むかし「ざんげの値打ちもない」という阿久悠による実にキマッた曲のタイトルがあったけど、語感の良さはそれに匹敵するし、普遍性という意味では遥かに勝る言葉だ。虚無的なようでいて実はとても肯定的で力強いメッセージを感じる。
「悩むことすらめんどくさい」。何度でも言いたい。
深夜の低予算番組「マツコの部屋」でマツコデラックスをちゃんと知って以来この人のファンになったのだけれど、この爆笑問題の番組におけるマツコの発言は凄く深く染みた。
「ゲイであることに気づいて悩まなかった?」との問いに、「自分はサラリーマンには向いていないし、肉体労働をする根性もない。だけど学生時代にそういうことで悩んでいても何かができるわけではないから、何もしないで、ただ時が過ぎるのを待っていた。早く学生生活が終わって、どうにかこの身の処し方を選択できる状況に置きたかった」と答えたのが印象に残った。
さらに「どうにもできないからって自殺をしようとか、マイナス方向にはけして向かなかった」マツコに、「精神的に強いね」と感心する太田に対し、「強いんじゃなくて、面倒くさがり屋なんだと思う」とマツコは言う。「悩んでることすら面倒くさくなる。考えたってしょうがないじゃん」と。これだよ、これ!
「悩んでることすらめんどくさい」というのは、いわゆるオネエ系のタレントとしてやってる人からは絶対出てこない発言で、実は今の時代を普通に生きてる人間が多かれ少なかれ持っている思いだと思った。
どうもオネエ系タレントと呼ばれる芸能人というのが好きになれなくて。
なんか一様に下品でウルサイし、でもお涙ちょうだい的な側面も小出しにしてきていちいち鼻につく。
はるな愛なんかその際たるもんで、テレビなどで見受けられるあの「イタイ」感じがどうにもノイズに感じられる。
ロンブーの淳はその辺を実に巧妙にかつザックリと露見させてくれて、こちらの溜飲が下がった。
あれほど明確に「このノイズ不快です」というのをこちらに示してくれると、もはやはるな愛が可哀想にしか思えなくなって、それはそれではるな愛にとってはいいのかもしれないな。大衆の潜在的な不快感をテレビを通じてガス抜きしてくれたんだから、と勝手なことを言ってますが。
まあマツコデラックスも下品な話題はバンバン言うし、大声で怒声を上げたりしてウルサイっちゃウルサイんだけど、俺にははるな愛とかと違って全然心地いいノイズに感じられる。
音楽と一緒で「同じロックじゃん」と言われてもそれぞれが全然違うものであって、「良い物もあれば悪いものもある」というスネークマンショウのような話に結局はなる。
しかし、じゃあはるな愛とかIKKOとかとマツコは具体的にどう違うの?と問われても、圧倒的に違うわ!とは思いつつも明確に説明することは今までは難しかったんだけど、このマツコの「悩むことすらめんどくさい」という必殺のキーワードが出てきたことによって全て理解できた。
考えてみればマツコデラックスのコラムニストとしての活動や、テレビにおけるメディア全般に対する批評的な発言は、いわゆるオカマだとかデブタレントとかいった「特殊」な立ち位置を論拠にして発せられたものではなくて、普通の意識的な批評眼から発せられたものなわけで、だからマツコデラックスは打ち出し方こそはオネエ系タレントだけど、そこのおいしいとこは利用しつつも実際に需要があるのは非常に頭のいい毒舌タレントとしてのマツコデラックスなのだ。
「悩むことすらめんどくさい」という実に普遍性のある普通人感覚の発言には、実はマツコデラックスのとてもユニークな立ち位置を相対的に示す発言だと思う。
「悩むことすらめんどくさい」。いい言葉だ。曲のタイトルにしたいくらい。
むかし「ざんげの値打ちもない」という阿久悠による実にキマッた曲のタイトルがあったけど、語感の良さはそれに匹敵するし、普遍性という意味では遥かに勝る言葉だ。虚無的なようでいて実はとても肯定的で力強いメッセージを感じる。
「悩むことすらめんどくさい」。何度でも言いたい。