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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2008年08月

2008年08月29日05:31
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真夜中、テレビ点けたら偶然小林克也のベストヒットUSAがやってたから観た。
タイムマシーンのコーナーで1970年のワイト島フェスティバルの映像が流れた。ジョニミッチェルとジミヘンのパフォーマンス。どちらも尋常じゃないほど凄い。またか、と言われそうだがやっぱ凄いもんは凄い。


ジョニミッチェルの異様に凛とした高潔なたたずまいは、真夏のフェスに吹く乾いた風のよう。あまりにも美しい歌声は今聴いても心の琴線な触れまくる。


で、ジミヘン。本当に今にも死にそうな壮絶な音を出している。この時期のジミは、彼を取り巻く状況やクスリなどありとあらゆるものに蝕まれ、文字通り「疲れて」いたので目が虚ろだし歌もギターもやる気がない。虚無と混沌をフィードバックノイズにのせて投げ捨てたような印象の演奏。死に向かって引きずり込まれて行くかのようなヤバさが映像から音から滲み出ている。実際この一月後ジミは死んでいる。



ジェシーマッカートニーとかマライヤキャリーのテカテカした最新ヒット曲のビデオクリップに挟まれたこのワイト島の映像の放つ異物感たるや半端ではない。単に時代が違うからという隔たり以上の差異を感じてしまった。オブジェとしてしか機能しない無味乾燥な建造物の間を、巨大な生命力がドクドク脈打ってる生物が徘徊したような感じだ。



「人々が望むものを素直に与えましょう」というビジネス形態にドップリ浸かった音楽からは、凄くドライでニヒルで刹那的なコミニュケーションの図式しか見えて来ない。
人と人が正直に繋がる時には摩擦があってしかるべきだし、等身大の自分を晒さなければ等身大のあなたと繋がれない。あなたが普通に生きている空間において、等身大のわたしの存在は異物でしかない。しかし繋がりたいという意思が互いにあるならばその異物が存在している空間こそが普通の状態であるという意識へ飛ばせられるはず。あるいは異物が異物でなくなるほど形を変えて溶け合って行くのもコミニュケーションだろう。



ヒットチャートやありふれたJ-ROCKを聴いていると、解毒剤として無性にジミヘンとかソウルミュージックを聴きたくなる。
綺麗にまとまった「よく出来ました」みたいな音楽よりも、ゴツゴツした異物感の塊のような音楽の方がその熱の分だけやさしいのだ。お題目としてのやさしさをふりまくばっかりで本音をさらけ出さない音楽はやさしくない。



ハイロウズの曲に「呼ばれてないのにジャジャジャジャーン」と歌いだす曲があったが、まさにその通り。誰も望んでないところに飛び出して行って、力業で存在を認めさせる方が困難な分だけ楽しい。



最近色々ニヒルな気持ちになる事が多くて少々病んでいたが、今一度素直に自分と向き合おう。元々はロックバカでギターキチガイじゃねぇか。そこからもう一度始めよう。最初は誰からも望まれてない存在だろうが、いずれは意味ある異物としての存在感を獲得したい。


今部屋でキングクリムゾンの「21世紀の精心異常者」のライブバージョンが流れている。最強に狂っていて心地よい。まさにこれが帰る場所だ。この足場を確認しとかんと大きく跳躍出来ない
2008年08月28日01:31
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02145ea9.JPG 最近美味いと思うお菓子。写真参照。
これ、ポテチではなくてジャガイモで作った薄焼せんべいみたいな感じ。ノンフライで食いやすいね。
ただコレ置いてるコンビニがない。俺の知る限りミニストップしか置いてねぇ。人気無いのかな?
とにかくオススメです。アラウンド30には特に。
2008年08月25日02:48
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エコプロジェクトの一環なのか、坂本龍一氏がテレビでピアノを弾いていた。


キャンドルの灯に囲まれてピアノを弾いているシルエットは憎たらしくなるほどサマになっていた。


七面倒臭いエコ絡みの解説は司会者に任せて、本人はおいしいとこだけ喋る感じが相変わらずで憎めない。
本来なら限り無くうさん臭いテレビの出方なのに、ギリギリそうなってないのはどっか恥ずかしそうにボソボソ喋るあの挙動不審なたたずまいのせいだろうか。
で、やっぱピアノに向かった瞬間、グッと入り込んであの官能的な音を出したら、そりゃあ憎めない。


ベタかも知れないけど、やっぱ何度聴いても「戦場のメリークリスマス」の崇高な音の配列は堪らない。途中で展開したあと主旋律に戻ってくる手前のあの二つのコードの官能性は、個人的に物凄いツボだ。YMO時代の曲にも「CASTALIA」という曲があって、同じ様なところで美しく頼りなさげで儚い二つのコードが出て来て思わず「ハ〜」ってなっちゃうんだけど、とにかく自分の中に強くある「コードフェチズム」に物凄く接触してくるんですよ、坂本龍一のコード使いが。アカデミックさと情緒性が絡み合うような感じと言えばいいのか。


あとあのアコースティックピアノ自体の音。テクニック的に物凄く超絶というタイプでは無いんだろうけど、あのなんともいえない官能的なタッチというか、なんか凄まじい女性遍歴を匂わせるような鍵盤の転がし方はやっぱ凄いなぁ...。


そういう面が濃厚に出た坂本龍一のアルバムに「1996」というのがある。アコースティックピアノとチェロとバイオリンという編成で坂本龍一の代表曲をアレンジしたある意味ベストアルバムだ。10年くらい前はかなり愛聴していたアルバムだけど、久し振りに聴いてみた。
「戦メリ」や「ラストエンペラー」といった超名曲もいいけど、「The Sheltering Sky」という曲があまりにも凄まじい。この曲を録音する時、その旋律のあまりの悲しさに坂本龍一自身嗚咽しながらピアノを弾いたという。
そういえばベルトリッチ監督の映画のサントラ用に「これ以上悲しい音楽はないという曲を書け」と指示されて曲を作ったら「あまりにも悲しすぎる」という事でボツになったというエピソードがある。俺はこの話が凄く好きだ。徹底度が凄い。


そんなエピソードやこのアルバムを聴くとよく分かるのだけど、坂本龍一という人は「悲しさ」というベクトルに行けば行くほど、エモーショナルなメロディーが濃厚に出て来る人だ。観念的な方向に暴走した楽曲もかなりあるし、それはそれで好きなのだけど、やっぱ人間の根源的な感覚「悲しさ」を表現させると凄まじい能力を爆発させるというこの人の才能のベクトルが好きだ。全ての表現者はそうあるべきだと思う。
だから音楽意外の活動、エコだろうが、地雷撲滅やろうが、アホアホマンやろうが許せてしまうし。ていうかむしろ愛せてしまう。ダウンタウンのコント、アホアホマンに出てるヤツには心臓が止まるくらい笑わせてもらった(手渡されたピアニカで戦メリ弾いて、しかも間違えて浜ちゃんにツッコまれてる!!)。



ああ、今ちょうど「青猫のトルソ」から「The Wuthering Heights」に繋がるとこだ。悲しすぎる。自分の平熱としては「哀しさ」の方がしっくり来るのだけど、この濃厚な「悲しさ」には聴くものに有無を言わせぬ力が宿っている。


人間はなんて悲しい生き物なんだ。
2008年08月22日04:17
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雷を見ながらうたた寝して、起きてみたらすっかり雨は上がり、秋の様な涼しげな空気になってた。今夜の多摩川の風は涼しいを越えて寒いけど、そのかわり月はとても美しい。


今日、新大久保クラブヴォイスで弾き語りライブやります。
「ROCK THIS TOWN Vol.5」
OPEN /18:00
START/18:30
前売券/1,500円(D別500円)
当日券/1,800円(D別500円)
【出演バンド】
soul red jam / JAZZ / Mistral / 高瀬 大介(ex.ザ・ワイセッツ)/ 佐藤 達生(MADMAN TAILS)

俺は19時50分くらいから出ます。
かなりロックな面子の中に混じって昭和歌謡の匂いがする男独り。まあどうなるか分からないけど、多摩川独演会の成果を見せますわ。時間があったら来て下さい。
2008年08月19日14:25
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285fa0f6.JPGこのキャラクターって確か昔10円くらいで売ってたガムのパッケージに描かれてた奴じゃなかったっけ?
よりによってバイ★グラに無断転用されるとは...。
2008年08月18日19:53
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3bbc53a0.JPG 知り合いの高校生が撮る自主制作映画に出るハメになって、今日は下北沢で真っ昼間から走ったりおもちゃの銃を撃ったりした。
ノンコンセプト、脚本無し、アドリブ演出なので全く訳が分からないから、適度に口出ししながら遊んだ。
ただカメラが8ミリフィルムだったのでそれなりの質感になるはず、ちょっと楽しみ。


8ミリフィルムのあの荒っぽい画質はかなり心の琴線をくすぐるのだけど、なんともうカメラもフィルムも生産はされてないらしい。今この世にあるものが壊れたら終わり。う〜ん、なんか哀しい。アレじゃないと出せない質感て確かにあるのに、いくら需要が少ないからっていっても...。市場原理とはかくも哀しきもの。


ついでに下北沢ヴィレッジヴァンガードに寄る。サブカル系御用達の店だが、さすが!いましろたかしのコーナーが大々的に展開されてた。
あの読んだあとズド〜ンと虚しくなるのが堪らなくてついリピートしてしまうんだよなぁ、この作家。大好きなんだけど、このままじゃいかんと反面教師にも出来る、そんな漫画描く人です。
最近はさらにヤル気が無くなって、店員手書きのポップにも「いましろたかし、この天才をなんとか救おう」とか書いてるし。下北沢にはいましろたかしのマイナスの吸引力に吸い寄せられる人が沢山いるのかね。比較的近作の「釣れんボーイ」なんか、本気でヤル気なくて、ただ起伏の無い日常を描いてるにすぎない。でも読んじゃうんだよなぁ。変な中毒性がある。これまた店員手書きのポップに「ヤル気は無いのに見栄と自尊心が強い人にお勧め」とか書いてあって、「そんなんじゃねぇよ」って言いたいけど確かに正しい。


なんか世の中、夢とか目標とか持ってないと迫害されかねないような空気で充満されているけど、それもある種の宗教だろう。ヤル気が無いからダラダラするってのも選択肢の一つとして立派に存在してもいいと思う。


音楽をやってる関係上、昔からよく理解ある風な大人から「夢を持ってるのはいいことだ、夢に向かって突っ走れよ」とか頬が染まる様な事を言われたが、そんな御大層なもんではないし、そんなキラキラした言葉で片付けられない類のもんなんだよなぁ。どちらかというと「これしかやる気になんないからやっとくか」に近いな。言ってくれる人には申し訳ないくらい、自分は本質的にはだらしなくてヤル気なんか無い人間っス。
だから妙にハキハキとヤル気ある奴は暑苦しくて鬱陶しい。夢を得意げに語っている奴は(近親憎悪も含めて)見ていて恥ずかしい。
人を付き合うときのバロメーターとして、その人がちゃんと疲れているかは大事なところ。ヤル気満々で前向きでいることに陶酔してるような人はハッキリ言って一秒たりとも一緒に居たくない。最近そういう人と隣の席に座ることがあってリアルに疲れた。えらいもんでそういう人って話する以前に、声のトーンだけで分かるんだよなぁ。だからカウントダウンTVとか見てると疲れるんだな。



ただまあ、やる気が無くダラダラするのは人間の本質だ、と開き直るのはそれはそれで見苦しい。せっかく生まれたんだから何か生まないと、何か残さないとって思うのもこれまた実に人間の業なんだよ。そこから得られる充足感は確かに嘘ではない。
だから「しょうがねぇ、やるか」と言い出さないと何も始まらないんだよ。この「しょうがねぇ」が入るか入らないかで大きく違ってくるが。この部分に共振する人じゃないと辛いね。


みんないましろたかしがそう言い出すのを待ってんじゃなかろか。
ハナからやる気がある人が疲れていくのを見るより、疲れ切った人が重い腰をあげるのを見る方が面白いよ。
2008年08月17日01:41
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久し振りにカレーを作ったら玉葱入れ過ぎて甘くなり過ぎた。まあそれでもカレーだから美味いけどね。鳥皮を足してコクを出してみたりして。

というわけで久し振りに弾き語りライブをやります。今度の金曜日22日。新大久保クラブヴォイスにて。
久し振りだからといって特に変わったスタンスで挑むわけではないけれど、今までやってなかった事も結構やります。ライブハウスでの弾き語りって結構孤独なんで暇な人はなるたけ来て下さい。

「ROCK THIS TOWN Vol.5」
OPEN /18:00
START/18:30
前売券/1,500円(D別500円)
当日券/1,800円(D別500円)
【出演バンド】
soul red jam / JAZZ / Mistral / 高瀬 大介(ex.ザ・ワイセッツ)/ 佐藤 達生(MADMAN TAILS)
俺は19時50分くらいからの出番です。


2008年08月15日01:11
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e185f40a.JPG 本当にどうでもいいことだし大きなお世話なんだが、高校男子によく見られる、形を作って剃ってある眉毛(イラスト参照)がどうにも好きになれない。


周辺の剃りあとがなんとも気持ち悪いし、腫れぼったいまぶたと一重丸だしの目の上に一生懸命形揃えて剃った眉毛が乗ってると何とも言えず恥ずかしい気持ちになる。

オシャレに対して頑張っている形跡が見えるというのは個人的にはこの上なく恥ずかしいことなんだよなぁ。
服は着なければ生活出来ないんだから、どうせ着るならなるべく趣味のいいものを選んで着たいけど、眉毛なんか剃らなくても生きて行けるんだから男子がいちいち手入れすんなって思ってしまう。
さっきテレビで観た高校球児もやってたな。イモ兄ちゃん丸出しだったけど、眉毛分だけ可愛げがないように感じた。
あの極端にズボンをずりさげてパンツ丸見せで歩いてるスタイルと同じで、なんとも言えず恥ずかしいのだ。そんな男を街で見ると思わず目を逸らしたくなる。
流行かどうかは問題じゃなくて、感覚的に美しくないと思ってしまう。


まあこういうこと言い出したら完璧オヤジだが、新しいスタイルは必ず旧世代と対立するんだから、いちいち言われるのは仕方ないし必要悪ぐらいに思ってもらえばいいのだが。


俺がいいセンスしてるなぁと感じる人のファッションは皆、さり気ないのにオリジナリティーがあり、目立つのに邪魔にならない。何より自己プロデュース出来てるから身の丈に合っているし、たとえ奇抜だとしても無理が無い。まあ内面のセンスがいい人は外見のセンスもいいという事か。


う〜ん、まあ自分もそうありたいと思うから今は「自分とはなんぞや?」を考えながら日常の取捨選択をするが、高校の頃の俺なんて何にも考えてなかったからセンスもへったくれもなくヒドいもんだった。ファッションに対して全く興味がなかったから変に気張った格好はしてなかったが、元々の頭のおかしさが天然で繁栄された奇妙でダッサイ格好してたような気がする。ただ同級生が着ているような流行りのものはひたすら避けようとはしていたが。



男子に限らず女子もそうだけど、内面のキャパシティーを越えた奇抜なファッションってのは、やはり無理矢理感が伝わってくるのだ。自らの意思と感覚で選びとったファッションではなく、流行りとか周りのノリに乗せられて着させられている。
若いってのは自分の身の丈を知らないのは当然だから、ついファッションでも無理して頑張ってしまうのは仕方ないんだろうけど、だからこそオヤジ的に言ってやった方がいいのかもしれん。その眉毛気持ち悪いよって。そしたらその眉毛に相応しい内面を手に入れるために若人は頑張って内面を磨き、不自然さは無くなって行くだろう。
まああの眉毛に相応しい内面なんてどっちにせよ恥ずかしいが......。



なんかマスラオ的というかモノノフ的な話になったが、最初に書いたように基本的にはどうでもいい話でした。
2008年08月13日02:47
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cc9256aa.JPG 現在真夜中、今日仕事、でも大号泣してしまった。涙が込み上げて来てもうどうしようもない。泣く事が作品にとっていい事なんかは分からんが、とにかくとにかく心を激しく激しく揺さぶられ、その生態反応がとめどもない涙なだけ。


今ならコンビニで売っとるぞ。俺はミニストップで買った。皆コンビニへゴー!
2008年08月13日00:27
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75d06203.JPG 元々インドアなんで世間一般の夏の盛り上がり方なぞ関係無く生きて来たが、今年は独りもんなんでいつもにもまして夏らしい夏を満喫して無い。
海だ!山だ!プールだ!花火だ!祭りだ!といった浮かれ方を殆どしてない。行けばどれも楽しいのは分かってるんだけど、でもそれって近所の川べりに真夜中出向いて弾き語りながら時を過ごすのとそれほど大差ないんじゃねぇか?って思えてしまうんだよなぁ。ようするにものぐさなんだろう。自部屋と多摩川までの道程だけで結構脳内宇宙が広がってしまう俺は、エンドルフィンのパッキンが緩んでるのかもしれない。


いや、別に排他的になってるわけではありません。なんか面白そうなイベントがあったら教えてね。


で、俺も久し振りに動きまっせ。8月22日は新大久保クラブヴォイスで弾き語りライブ、9月13日は渋谷のイヴァンというバーで何名かのゲストヴォーカルを交えて結構長丁場のアコースティックライブやります。ある意味ワンマンライブ。詳細は追って知らせますが時間ある人はなるべく覚えておいて下さいな。


あと10月10日には六本木エッジでバンドスタイルのライブをやる事が決まっとるが、まだ具体的には何も動いとらん。今それに向けて調整してるが、何をどうやったらいいか...。取り敢えず曲を作ろう。リハもしなきゃ。それよりもまずメンバー決めなきゃ。嗚呼...。


と、俺の夏はこうやって過ぎて行きそうだ。
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