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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2012年05月

2012年05月31日23:22
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今ナニかと話題になってる次課長河本の母の生活保護不正受給問題だが、そこから派生したオヒレハヒレ、ハラホロヒレハレで千原兄弟の兄せいじが槍玉に上がってる。


ネットニュースに一杯転がってるから詳しくは書かないけど、要するに千原が大阪ローカルのワイドショー出演時に、この河本のニュースに際して片山さつきに対するコメント、というよりももっと他愛のないつぶやきのようなかたちで、VTR変わりのタイミングに「この人のダンナってでっかい会社潰したんちゃうかったっけ?」と発言した事が発端。


確かにまあ、あんまり言わなくてもいい言葉だけれど、芸人仲間の河本がここまで叩かれてる情況なので、片山さつきに対して「ちょっとくらいツツイタレ」という気持ちもあったのかもしれない。


にしても別にそのネタで片山を攻撃するわけでもなく、本当に共演者にボソッとつぶやいたような感じだった。



それをどう曲解したのか、どう聞き間違えたのかネット上で話題になり、千原せいじが「片山のダンナの会社、潰したらぁ」と脅した、という風に捏造されてしまった。



それを片山さつきが受けてワイドショーに出演。ハッキリと千原せいじの実名を上げて「脅された」とのたまい、おまけにこのことが原因で新幹線内で会ったちょっとスジモンみた
いな人に「気ぃつけなはれや」と脅されたとか言って「ひどい目に合ってる」と涙ながらに訴えた。



ある筋によると、片山さつき側はちゃんと元のVTRを見た上でコメントしている、と言っているらしいが、本当にちゃんとVTRを見ればそんな恫喝の台詞を千原が言ってるなんて取りようもない。
VTR変わりの微妙なタイミングだったので発言が明瞭に聞き取れなかったという言い訳もギリギリ言えないこともないが、千原せいじの声のトーンには恫喝の色は一切ない。



もしあれをみて恫喝されたというなら、著しく言語能力と判断力の劣る人間、語気や音声のトーンから人心を読み取る能力が劣る人間なので、ただちに政治家をやめてもらいたい。


なので元のソースを確認した上でっての詭弁だと思う。恐らくネットニュースや伝聞のみで激情し、大本を確認しないままワイドショーにノコノコ出てきて、政治家としての正式な声明ならともかく、私人としての恐怖感を涙ながらに訴えたという時点で「なにやってんの?あんた公人でしょ?しかも個人名まで出して」と言いたい。



穿った見方をすれば、自ら切り込んだ生活保護不正受給問題に関しての自分に対する逆風を一蹴するために「女の涙」を利用し、この問題に対する追い風さえも吹かせたい、という打算すら見えてくる。



これだけネットが発達してYoutube なんかですぐ証拠VTRが上がるって時代なのに、このアナクロな戦略。すぐバレるっての。「千原せいじ 片山さつき」で検索すりゃいくらでも動画は出てくる。



まあ片山さつきをひっぱり出して涙流させて話題を作ってどうのこうのみたいなワイドショーも相当レベル低いが、かりにも政治家として今まさに矢面にたってる人間が、個人名を出して芸人を糾弾し、個人の恐怖体験を訴えるための涙をテレビで流し、肝心の大本の訴え事態は捏造ソース由来でしかないというなんて、なんつう稚拙なやり方。政治家がこんなにツメがあまくていいんだろうか?



だいたい片山さつきってパッと見だけでいうなら、ちょっと精神的に不安定で被害妄想が肥大してるアブナイ女ってかんじがして、いかにもヤバい。何かとスタンドプレーが多くてかまってちゃんアピールの激しい人だし。ま、これは蛇足か。



なんにせよ、今時よっぽどうっかりしてない限り、あるいは確信犯でないかぎり、そう簡単に失言などしないクレバーな存在になってる「芸人」相手に、こんな稚拙で底が知れてる戦略で反撃に出ようったってそうは問屋が卸すかい。


上杉隆の発言を出すまでもなく、テレビ新聞の大手メディアが送り出す情報の欺瞞性など、ネットの存在がある以上もう通用しないというのに、相変わらず意識改革の出来ない政治家と大手メディア。



勿論ネットだって流言庇護の嵐だしデマや歪曲された情報が飛び交ってるけれど、それを暴くような確かな情報ソースだって転がっている。要するに情報の多様性がある。
しかし大手メディアの出してくる情報は戦中の大本営発表と同じように権力の御都合主義の一元的な情報しかない。


ナニがどうなってどういう根拠があって原発再可動が容認され、消費税増税が決定され、電気料金が値上がりするのか、大手メディアは一切明かさないし、どうせモチツモタレツの利権構造云々でなにも言えないんだろうけれど、一部の意識的なジャーナリズムや識者がその辺の謎を暴き、こちらはこちらで意識的に情報を選択していくしかない時代になっている。

正直めんどくさいし、情報というのは麻薬だし、あればあるほど脳内カオスが増すけれどしょうがないやねぇ。



ライブ終わった〜!来てくれた方々、本当にありがとう。


なんか流されるままなしくずし的な感じ、結果4アーティストのステージでギターを弾いてしまった(笑)。



ああいう突発的なセッションや突貫工事的なリハのみで本番やっちゃう人達の度胸は凄くて呆れるが(笑)、それにちゃんと対応できるかどうか自分の中の生体反応を確認することは、それはそれで楽しい。



さて自分達のライブ。昨夜のライブはメンバー間の、音楽による会話がちゃんと出来はじめた実感を持ったライブだった。


もちろん今までも音で会話してるつもりだったけど、ちょっと気を使って丁寧に会話してた感じ。折衷点を探ってるような感じ。


でも、昨夜はもっとお互い好き勝手に遠慮なく自分の言語で会話してたっつうか、あんまり折衷点を探さず、思いっきり言いたいことを言って「さあどうなる?」って感じのセッションだった。


その部分での面白さがお客さんに理解されたとは思わないけど、結果的にそれぞれがはっちゃけて楽しんだので、お客さんも面白がってくれたようだ。よかったー。終わったあと共演者やお客さんが誉めてくれるのでちょっと気持ち良かった。


ま、ワタシの仏頂面が幸いしてか、いい感想しか耳に入ってこなかったというだけかもしれんが(笑)。中には「なーに?あれは」って人もいたかもしれんがね。


いずれにせよいい感触を掴んだ意義あるライブだった。


次は6月13日、またまにょさんのイベントに呼ばれて六本木SONORAでやります。いいグルーヴ掴んでお客さんに還元出来るような、そんなハッピーなライブをやる。
2012年05月28日02:20
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昨日、渋谷のディスクユニオンでジミヘンのモンタレーでのライブアルバムを見つけたので購入。


高校生の時に聴き狂って以来、ずっと側にあるような気がしていたが、考えてみればカセットテープとVHSでしか持ってないことに気付き、いつかCDで買おうと思っていた。


このライブは、今のロック・フェスの元祖とも言える、1967年にアメリカで開かれたモンタレー・ポップ・フェスティバルにおけるジミヘンのライブパフォーマンスで、当時イギリスでは徐々に認知されつつあったジミヘンが、その存在を初めてアメリカ全土に衝撃的に知らしめた歴史的な音源だ。


そのライブのオープニング曲「キリング・フロアー」の、まさにドあたまのギターカッティング、このとんでもなくカッチョいいプレイに、当時のオーディエンスにだけじゃなく、20数年後の極東の島国に住むロックバカの俺にもとてつもないショックを与えた。

[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/_742k-ExYwA&feature=youtube_gdata_player]

何度聴いてもこのギターカッティングは凄い。最後のフィードバックまで完璧にキマッてる。
俺にとってはビートルズにもクリームにも、どんなロックバンドにも感じたことのない「グルーヴィー」さを感じたギターで、これこそが黒人特有の肉感的なグルーヴなのかな、と初めて認識した記憶がある。


そしていまだにこのカッティングのグルーヴ感が、自分のギタープレイに求めるグルーヴのデフォルトになってると思う。



で、だからというわけでもあるんだけど(笑)、そのカッティングをまんまパクって自分の曲のどあたまにぶちこんだ。


ライブでよくやってる「まえぶれ」という曲で、レコーディングでも相当リテイクを重ねて、ジミヘンから受けた衝撃をまんまトレースしようともがいた。
あ、あとゴールデンカップスの「ジス・バッド・ガール」という曲からもヒントをえているが。


[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/EXHgewGQk6s&feature=youtube_gdata_player]

これも相当グルーヴィーな曲で、当時のGSとしてはケタ違いに黒っぽいしハードだ。ただまあジミヘンのような余裕とかセクシーさは無く、非常に性急なグルーヴだが、その分パンク的とも言える。大好きだなぁ。

と、そんなジミヘン狂でカップス好きのワタクシのライブが本日あるとです。

最近はライブ告知がないと能動的に日記を書こうとしないので、ここぞとばかりに連投してちょっと情けないんだけど、まあそれだけ来てほしいっちゅうことですよ。

本日5月28日、新大久保の水族館ていいうバーでライブやるよ。今回もバンドスタイル。


イベント開始は20時から。うちらは21時半くらいから。対バンは
Kジロ→

光未
桑田康司
彗星life
ゴンタ

さん方々。


なんか雷雨だの暴風だのと往年の黒澤映画というか椿三十朗的なことになりそうだけれどめげないぞ。日本女子バレーもオリンピックに行くことだし。是非とも遊びに来てちょうだい。
2012年05月27日02:17
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必要あって昔出した「地面につながれて」というミニアルバムを久々に、本当に久々に聴いた。


精神崩壊しそうなくらい厳しくしごかれたレコーディングだったので、そのボロボロさ加減がヴォーカルテイクに如実に表れていて、いまだに聴くのがつらい音源だ。


当初はプロデューサーと共謀してアレンジしようということになっていたのだが、色々厳しいことを言われたり追い詰められたりしているうちに、全く自分のアイディアやビジョンが示せなくなっていった。何をいっても否定されるような気がしてね。すっかり萎縮して態度も言葉づかいもどんどんチンケな野郎になっていった。


最終的には言われるがまま、というか言われることすらこなせないくらいメンタル面で滅茶苦茶になっていき、アレンジはおろか演奏もミックスも全部勝手に仕上がった状態で「これでいくぞ、いいな」みたいなことになった。俺が弾いたギターテイクなんてソロとかすかに聴こえるバッキングの一部だけだった。


そんな状態のアルバム持ってインストアライブだの、自分のラジオ番組でオンエアといったプロモーションも細々ながらやったけど、あれは本当に辛かった。
自分の能力不足が原因だとはいえ、自分が全く愛せない音源を「聴いてください」っつって色んなとこで吹聴すんのはねぇ。レコーディングでのキツさよりも音楽にウソをつくことの方がよっぽどキツい。


いまだに思い出したくないくらい辛かった日々だが、とっても貴重な体験であることは確か。
あの体験が果たして自分の身になったのかどうかはよく分からないが、自分のダメさをいやというほど思い知らされ、音楽制作や表現全般に関する判断基準を決定させられた経験であったという意味では、とっても価値ある時間だった。


あのままほっといたらまるで無根拠な自信が肥大し、今よりもさらにいけすかないドブ野郎になっていただろう。
ま、人によっては今の俺でも充分いけすかねぇんだろうがね。


あ〜それにしてもヒドイ歌だ。聴くのツレェツレェ。
でも思い出したときに聴こう。虚心タンカイになれる。



さてそんな古傷を開陳した俺高瀬、今度の月曜日5月28日、新大久保の水族館ていいうバーでライブやるよ。今回もバンドスタイル。


イベント開始は20時から。うちらは21時半くらいから。対バンは
Kジロ→

光未
桑田康司
彗星life
ゴンタ

さん方々。イベントに呼んでくれたKジローさん以外は存じ上げない面々だけど、まとにかくいいライブにするよ。月曜の夜で中々呼びにくいけど、是非とも遊びに来てちょうだい。
2012年05月19日12:49
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17、18と連日ライブだった。


17日は自分のバンドでのライブ。反省するとこはいっぱいあって、もっと作り込んで作り込んで、あげく本番では徹底的に無責任になれるような、そんなハッピーなグルーヴにしなきゃいかんけど、とりあえず先の道が見えてくるようなライブができた。なによりプレイするのが楽しかった。


来てくれたお客さんから「踊りたい衝動にかられたけど、やっぱり踏みとどまった」的な意見を聴いた。踊りたくさせられたってのは嬉しいけど、それを踏みとどまらせたのはやっぱ俺らの今の段階の実力なんだな。その日は弾き語りイベントで静かなお客さんが集まってたってのもあるけど、それにしてももっといいグルーヴを出せたら状況は変わるだろう。


後半の山崎怠雅君を交えてのツインギター・ロッククラシックコーナーはやっぱり燃えた。お客さんの感想で「中学男子みたいに楽しそうだった」てのがあって、まさに中2病がまんまステージに表れてたってことだな。いいと思う。はっぴいえんどの「はいからはくち」はなんだかテンション上がるんだよなぁ。やって良かったしこれからもちょくちょくやっていこ。


昨日はTwo Peas In A Podのライブで、高校生から20代前半くらいまでのバンドメンが集まるイベントで、果たして俺がここにいていいんだろうか?と思うようなフレッシュなイベントだった。
女子高生がヴォーカルをやるコピーバンドなんて出てて、死ぬほどヘタクソだったけどメッチャクチャ初々しくてとっても感慨深かった。色々と自省しちゃった。人様のやることは10に1つの無駄はないなって思った。ま、音がひどくてとてもフルには聴いてらんなかったけど(笑)。


昨日は久し振りに空回りせず浮わつきもせず、冷静にぶちかませた。
終わった直後、ドラムのたけい君と話したら全く同じ感触だったようだ。
落ち着けば落ち着くほどいろんなものが見えてきて自在に音を操れるようになるから、変に肩肘張っちゃダメなんだよなぁ。わかっちゃいるけどやめられない、じゃないが分かってても中々実行できないのが人間の不可解にして愛すべき部分なのかもね。


対バンのモンズリーズとさよならまた今度ねを聴いてたら、つくづく今の世代の音だなぁと思った。


音楽に対して無責任になれる強みというか、常道王道に対して無責任になれる強みというか。
よくよく話をしてみりゃ聴いてる音楽にそれほどの差はないのだけど、それを咀嚼してアウトプットする際の感覚の今さ加減には、どこか埋めようのない断層を感じた。まあ別にそんな断層あったって当たり前だし、俺は俺なりの切り取り方があって、それぞれが違うもんだとは思うのだが、彼らの方がよりリアルに今の時代の空気を感じ取ってるなぁとは思うんで、ちょっと羨ましくなる。


長く音楽をやっていると自分流のものが強固になり、柔軟性が無くなり、時代の空気に呼応する能力が衰えてくる。
だからこそ強力に「今」を感じさせてくれるような音に自分が感応出来たときは、ヴィンテージロックの名盤を聴くよりもはるかに嬉しい。


いい歳こいてどうなん?とは思うが、いまだに思春期の頃の、あの毎日毎日ロック革命が起こり、触れるカルチャー殆どが刺激的であり、「まあ世の中色んな価値観があるよね」なんてヌルい言葉で逃げずに相容れないものは徹底的に憎悪できた、あの時分の感性、体で覚えてるアノ感覚を求めてしまう。いまだに。


つくづく罪作りなもんだ。十代でビートルズだのジミヘンだのオーティス清志郎だのエレカシだのツェッペリンだのといった劇薬っつうか本当に感動的なもんに出会っちゃうと人生踏み外す。
「適度な共感」レベルの半端な軽チャーで繋がって皆とカラオケでも行ってりゃ今ごろは...。


まあどんなに追憶しようとも今は今。ずっと続くと思ってた思春期の頃の発情状態はとっくに消えたんだ。俺は思春期ではない。思春期じゃないのに誤魔化しで思春期を延命させるのなんて一番カッコ悪いこと。


RCのラストアルバムで清志郎が「おとなだろ 勇気を出せよ」と歌ってる。無い物ねだりの若いエッジを求めたところで不様なだけ。その年齢その年齢のリアルを素直に受け入れてアウトプットするしかない。


まとにかくさ、さよならまた今度ねとかモンズリーズみたいに、先々の円熟とか洗練とか完成形が見えにくい無軌道なバンドの音は面白い。
2012年05月15日19:36
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小沢関連の検索をしていて香ばしい動画を見つけた。ちょっと古いトピックなんだが、



[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/pVYKnU0nKls&feature=youtube_gdata_player][埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/bdzxIILcJgE&feature=youtube_gdata_player]

ニュースではなんとなく知っていた騒動だったけど、動画を観るのは初めてだった。


この読売の記者が単なるクレーマーで、自由報道協会を煙たく思っている、よくいる記者クラブ体質べったりのバカなのか、それともコミニュケーション能力が著しく劣るくせに、大新聞社風だけは吹かせることだけは忘れないドブ野朗なのか、どっちななのかはわからないけれど、まあどっちにせよ読売に代表されるような大メディアの後進性をよく表した映像だと思う。



後日読売は紙面の半分くらいを割き「時には記者会見場のルールを逸脱しても追及すべき事はあるわけで、その姿勢こそが正しきジャーナリズムのあり方では」という頓珍漢にもほどがある社説を書いていた。



3.11以降、よりハッキリとしたが、いわゆる政府発記者クラブ経由の報道なんて、戦中の大本営発表といまだになんら変わることのない、国民を自分たちの都合のいいように欺く情報でしかない。


勿論ネットだって流言蜚語、デマ、歪曲、嘘の嵐だが、記者クラブの横並び協定が無い分自由だし、多様性があるという部分では真実に近いのかもしれない。



あ、でもひょっと思い出したが昔、松本人志がラジオで喋った


「自殺の報道なんてあんなに連日やったらあアカン。バカが釣られて自殺しよる。まあ連鎖反応で自殺するようなバカはしょせんバカなんやけどな。なんにせよ本当に自殺をくいとめるのが目的やったらあんなに同情を買うような自殺の報道しとったらあかん」


といった発言を、どっかのバカな記者が歪曲して「自殺をするやつはバカ、死者を冒涜」というような内容に変えて記事を書いて騒動になった事があった。
松っちゃんそういう腐ったメディアそのものをクソだといっているのだが、それこそクソみたいなプライドにしがみついてるメディア側は、たかだかお笑い芸人風情が日本を動かしうる我々ジャーナリストをクソだのなんだのいうのはけしからん的な攻撃をしたんだな。なんてぇか、すっごく不愉快。動画の読売の記者の薄ら笑いにも同じような不快さを強烈に感じる。



まあそれでもそういったチンケなボヤなんかはメディアの発達によっていくらでもウラを取れるからいいようなもんの、大メディアが放つ報道には国が加担して歪曲された情報が紛れ込んでいるから厄介だ。


それなのに勧誘はしょっちゅうきやがる。うるせぇっての。今時新聞読むなんて愚行、誰がするもんかい。



さて、話がめんどくさくなってきたんで閑話休題。


10年位前に新春放談で大瀧詠一さんがかけた曲でレジェンダリー・スターダスト・カウボーイの「パラライズド」というのがあって好きだったんだけど、なんとこんな珍品に映像があったのだ。

[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/F152Gv0haE8&feature=youtube_gdata_player]

映像を観るとコメディータッチに演出されているので衝撃が薄れるけど、音源だけ聴いてるとなんともいえない暴力性というか、アメリカの狂気が感じられて素晴らしいのだ。まさに資源のムダ使いの見本のようなレコードだ。


さてそんな軟硬取り揃えたバカ脳を持つワタクシのライブが迫っております。

5月17日、今週の木曜日。場所はいつもの真昼の月夜の太陽。


今回も俺はスリーピースのファンキーなバンドでやるよ。おいちゃんのベースと藤本のドラムが暑苦しい俺のロックをファンキーに刷新してくれる。
最後は胎盤の山崎怠雅君にもエレキで参加してもらってロックの名曲をブチかますよ。



5月17日(木) 「太陽のセレナーデ」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:松本葦立、高瀬大介、山崎怠雅、山田庵巳


怠雅君のアコースティックのソロは19:40から。うちのバンドは20:10から。


いいライブにするので是非遊びに来てほしいです。



2012年05月14日20:21
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CD-Rの山を整理していたら「キョドルト・ヴァレル1st Live」と書かれたRを発見した。


キョドルト・ヴァレルというのは二年くらい前にやっていたバンドで、元ワイセッツの三人、高瀬、井上、土屋と捻転時計の山崎怠雅君という面子でなし崩し的に始まり、なし崩し的に終わったバンドだ。


その初回のライブっつうんだからさぞかしとっちらかった内容なんだろうなと思いつつ聴いてみたら、これが結構良かったのだ。
歌はちょっと遠慮がちで破綻がないけど、演奏はそれぞれしっかりやっていた。まあ皆技術的には確かな人達だからねぇ。


にしても俺の記憶の中ではおもいっきり空回りして最後は不時着したようなライブだったので、意外な誤算だ。



ただ、リハーサル期間6時間くらいで始まったような急造バンド、なおかつ全て新しいマテリアルのみでやっていこうと思っていたバンドなので、かなりぶっつけで作ったような曲ばかりだった。


なのでこの時のライブのメニューの半分くらいは、その後1、2回くらい演奏して消えていったものだ。



なんでその何年かぶりに聴いた、殆ど記憶に残ってない曲達は、我が曲ながら「高瀬大介さんの新曲」を聴くような不思議な感覚を呼び覚ますもんだった。


その後殆ど演奏されなかった曲ということで、それほど会心の作!って感じじゃないが、不完全で荒削りな面白さはあった。ま、殆どツェッペリンやキング・クリムゾンの作り替えみたいなもんだったが。


なんにせよ色々やっとくもんだね。時間を経て発酵して不思議な薫りを放っとる。



さてそんなキョドルト・ヴァレルをやっていた怠雅君と対バンのライブがあるんだわ。



5月17日、今週の木曜日。場所はいつもの真昼の月夜の太陽。



今回も俺はスリーピースのファンキーなバンドでやるよ。おいちゃんのベースと藤本のドラムが暑苦しい俺のロックをファンキーに刷新してくれる。


まあそうは言っても実質2回目のライブ。まだまだアイドリング状態ではあるんだろうけど、不確定要素ふんだんのスリリングで最高のアイドリング・ライブをやるよ。


今日リハーサルしてきたけど、やるたびにどんどん愉しくなってきた!!!!
人生はジャムセッションのようなもんさ!!!!



最後は怠雅君にもエレキで参加してもらってロックの名曲をブチかますよ。



5月17日(木) 「太陽のセレナーデ」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:松本葦立、高瀬大介、山崎怠雅、山田庵巳


怠雅君のアコースティックのソロは19:40から。うちのバンドは20:10から。


絶対にいいライブにするので是非遊びに来てほしいでっす。



2012年05月05日16:27
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音楽雑誌はもはや危機的状況にあるらしい。そんな記事を読んだ。



昔は音楽雑誌をよく買ってた。ロッキンオンが出してる雑誌は殆んど買ってた時期もあったし、レコードコレクターズも去年くらいまでは買ってた。20代を終えるくらいまでは音楽雑誌というのは何よりの思想書だった。


でも今はよっぽど気になった特集じゃないと買わないし、そこに溢れている「情報」に対して、真剣に向き合うこともあんまり無くなった。ゼロではないけど。



興味のあるアーティストが自分の中で限定されてきたのと、単体のアーティストの新作プロモーションインタビューなんて殆んどヨイショ記事だし、そんなんなら立ち読みでいいやって思うんだわ。
そういうもんて一度読んだらそれきりってのが殆んどだし買っても邪魔んなるだけだ。部屋がどんどん狭くなる。


何よりも、昔に比べて音楽にまつわる付帯情報を必要としなくなった。
アルバム制作時のエピソードや、アーティストのアルバムに込めた主義主張とかはもうどうでもよくて、大事なのは聴いてどう感じるかだけ。
まあ今ごろんなってわかってもなぁという感じだが。



昔ロッキンオンジャパンのインタビューを受けたとき、作品についてはほぼ触れずに「高瀬さんにとって男気ってなんですか?」という問いに対するやりとりのみで終わった事があって、いかにもロキノンぽいなと笑ってしまった。知らねぇよ男気なんて。つうかそんなこと考えて曲作っとらんわ。


そんな見たことも聞いたこともない新人の、人生問答みたいなインタビューを読んでCD買おうなんて思うやつぁ居ないだろうし、何のプロモーションにもならんよなぁとマネージャーと笑いあったな。


どうせレーベルからサンプル盤渡されて、適当な当番のライターがちょこっと聴いて、ページを埋めるために適当なテーマを作ってインタビューをしたんだろうと思うんだがね。まあどこ馬の骨とも知らん新人の扱いなんざそんなもんさ。


でも雑誌ってそんなやっつけインタビューのページやら、表紙を飾るアーティストの2万字インタビューやら、膨大な量の広告やら、ライターの日常雑記やらで膨れ上がって面白さが形成されてんだろうなと思うし、そういう雑多な内容の集積である雑誌というものをかつては愛していた。


ただこれだけ情報に溢れた時代、自ら情報を選択して摂取しなけりゃ混乱するだけだし、雑誌が体言する「この世そのもの」を集約したような雑多な情報、を無自覚に受け入れる年齢でも無くなったし、どうでもいいようなやっつけページなんかを読んでる時間なんかないのだ。


寂しいが、音楽雑誌というのはどんどん廃れていくんだろう。よっぽど専門的に掘り下げた内容の物なら読みごたえがあるし需要はあるだろうが、まさにファンクラブの会報レベルのヨイショインタビュー記事や、ネットに転がっているものとさして変わらないようなレベルの文章や情報に誰が金を出すもんかいな。


そういや昔渋谷陽一が「そのアーティストの事を理解するなら、そのアーティストと30分話すよりそのアーティストの作った作品と30分向き合う方がよっぽどいい」みたいなことを書いてて、音楽雑誌の権化であるアンタが言うな(笑)とは思ったが、確かに真実だと思う。
2012年05月03日23:08
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チキショー、実家から送ってきてくれた竹の子や里芋煮物が日本酒と合うわ。ふき、うど、わらび。久し振りに大量に繊維質の食いもんを摂取している。デトックス出来そう。明日になりゃ分かるか。


でも越後桜はちょっと甘いな。コクがあるというより甘い。塩気の強い乾きもんならもっと合うだろうがなぁ。
最近は「風よ水よ人よ」ていう金沢の日本酒が好きでよく呑んでる。淡麗で呑みやすい。かといって薄いわけじゃなくしっかりと背骨はあるっつう感じ。しかもこれが安いんだ。


家呑みで日本酒って、昔の俺なら完っ全にジジイのやるこったと思ってたし、出来ればそんなジジイにはなりたくないと思ったど、今や全く抵抗無くそんな自分を受け入れてるし、そもそもいまだ青二才の自覚しかない。まあいいか。


明日はTwo Peas In A Podのライブでギター弾くわ。
自分勝手なギターを弾きまくろうか、カッチリ歌もののバックを務めるかどうかは不確定だけど、サルパラダイスのキヨさんがドラムというレアなTwo Peas In A Podなので珍しい展開になるかもしれんよ。


今月は自分のバンド編成でのライブが二本あるんだわ。


17日に真昼の月夜の太陽で、28日に大久保水族館で。


震災以来ずーと落ちてから、徐々にリハビリして、今んとこは久し振りにテンション高い状態が平温になってるので、いいライブにする自信があるよ。是非来てください。
2012年05月01日00:20
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こないだ久し振りにバンドでライブをやって思ったが、やっぱり人前で歌い、叫び、ギターをかきむしり、バカやらないと俺じゃない。そういうときはなんだか「オス」になる。そうじゃないときはまるでフニャチン野郎だ。


ギタリストとしてだけで人前にたつのは、決してイヤじゃないし、イヤむしろ心地いいのだが、でもなんかもの足らないし、自分が自分として認知されるための立脚点に立てていないという不安感がある。



誤解されようが曲解されようが構わないが、全部さらけ出したあげくじゃないと納得いかないや。そのあげくに嫌われるんなら、それはそれで仕方がない。



全部をさらけ出す、なんて極めて難しい事だし、それができりゃ人間悩まねぇよ、と思うんだが、せめてカッコいいとこもカッコ悪いとこも不愉快なとこも面白いとこも、いろんなものを滲ませつつ音楽というオブラートにくるむことが出来るなら、もっと多くの人と、いい形のコミニュケーションが出来るんだろな。


原始人みたいに野放図なまんまじゃ音楽でもなんでもないけど、「我々は原始人の成れの果てである」と感じられるような表現活動が出来たら、それがロックなんだろう。


今月の17日、真昼の月夜の太陽で、バンド編成でライブやるよ。今回は久し振りに山崎怠雅くんと胎盤なのでなんかしら絡むつもりよ。オーティスのように全身全霊で叫び、ジミヘンみたいにセクシーなギターを弾きたい。気持ちは1967年のモンタレー。



とにかく思いっきりやるので、是非時間を空けてくれたらありがてぇっす。ロックンロール。

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高瀬大介

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