2010年11月
「ノーウェアボーイ」という映画を観てきた。
ジョン・レノンのティーン時代、育ての親である伯母と、産みの親で交通事故で死亡した母親との関係性、そしてロックンロールとの出会いに関する映画だ。
つまりまだビートルズとして本格的に活動する以前の時代に焦点を当てた作品で、勿論ポールもジョージも出てくるけど「ビートルズ」という名詞は一切出てこない(出しそうで出さない一瞬があってニヤリとさせられるが)という、徹底的にジョン・レノンと母親との関係性に重きをおいている作品だ。
イギリス映画らしくどこかでドラマチックさを避けるような演出や、イギリスらしい曇った空気感、くすんだような画質は実にしっくりきて心地好かった。ポールやジョージがあまりにも似てなさすぎて少し気になったが、物語の本線には関係無いからまあいいか。
俺はこういうアーリービートルズものの映画や書物が昔から好きで、つい最近もアストリット・キルヘアに関して書かれた本を読んだ。
アストリット・キルヘアとは、ビートルズがドイツへ遠征に出掛けたときに出会った写真家、アーティストで、デビュー以前の初期ビートルズのメンバーでありジョン・レノンの無二の親友であり画家であり、しかし若くして病死したスチュアート・サトクリフの婚約者でもあった人だ。
またアストリッドはビートルズのビジュアルイメージに関して多大なる影響を与えた女性であり、黒を基調としたモーダルなセンス、尖ったブーツや襟無しスーツ、マッシュルームカットやハーフシャドウのポートレイトなど、初期ビートルズのイメージを決定付ける殆んどの要素を彼らに与えた女性だ。
で、そのアストリッドと一緒に人生を歩むことを選び、ビートルズを辞めたスチュアートがほどなくして病死した時、失意のどん底で独りの世界に閉じ籠っていたアストリッドに対し、慰めの言葉しかかけることができなかった周りと違い、ただ一人強い言葉でまくし立て、アストリットを現実に引き戻したのが誰あろうジョンだった。
その時に久々にアストリッドにカメラを持たせ、自ら被写体になったジョンの写真を現像したアストリットは、無二の親友を失った哀しみで洞窟のような暗い目をしているジョンに初めて気付いて、嗚咽を抑えることがで出来なかったという。
つまりジョンは22歳になるまでに大事な人を二人無くしたわけだ。
友達のような関係であり、天衣無縫な性格であり、ジョンにロックンロールの存在を気付かせ、バンジョーの弾き方を教えた母ジュリア。
ロックンローラーであったジョンにアートの知性を与え、同じフラットで共同生活しながらジョンに芸術家としての潜在能力に気付かせ、刺激を与え合ったスチュアート・サトクリフ。
両人ともジョンと同じようなアートな資質を持ち、愛情と刺激を与える存在だった。
だから自分とは明らかに違う資質と才能を持ち、憧憬とライバル心の両方を持ってジョンに接してくるポール・マッカートニーは、ある時から友人ではなく相棒になり、世界に立ち向かうための共犯者となった。
似た者同士の友人とではなく、自分とは真逆の資質を持つポールとじゃなければビートルズは世界制覇は出来なかったろう。組織とはそういうもんだとはよく言われること。
しかし世界制覇したあとの虚脱感と無力感で絶望していたジョンの前に、ジュリアのような無情の愛と、スチュのような芸術的刺激を同時に与えてくれるオノ・ヨーコという人間が現れた時、ジョンが狂喜乱舞したのは想像にかたくない。それこそビートルズを壊してもいいとさえ思えるほど強烈な出会いだったのだろう。
これもよく言われることだが「優秀な組織とは解散、解体する組織である」ということ。ジョンとポールは充分に使命を全うすることが出来た優秀な共犯者同士だったから決別したのだ。
しかし言い様の無い怒りと孤独感が音楽の原動力になっていたジョンが、精神的に本当に必要としていたのは、組織を巧く機能させる共犯者でもなければ、ライバルや手下でもなく、無償の愛と芸術的かつ性的にも刺激となる自分と対等の存在、というか自分の写し鏡のような存在だったのだろう。
まあ人間誰しもそうだし早くに母を失ったジョンは特にそれが強かったのだろう。ジョンだって普通の男なのだ。
だからこそポール・マッカートニーとの普通ではない関係性に興味が尽きないのだ。
ここまでは敢えて共犯者とかライバルといったドライな書き方をしてきたが、そんな簡単に一言では言い表せない複雑なものだろうし、恐らく唯一無二の関係性だったのだと思う。
西川きよしがやっさんが死んだときにコメントしていたのだが「相方って不思議な存在なんですわ。親兄弟でもない、夫婦でもない、友達でもない、ホンマ相方としか言い様の無いもんなんですわ」という、当事者にしか分かり得ないような事を言っていて、なるほどな~だからこそあれだけの漫才が出来たのかとヴァーチャルに納得してしまった。
人々の興味がつきないのは、やっぱりそんな不可思議な関係性だから、ビートルズはいまだに売れ続ける。
この「ノーウェアボーイ」やその他のアーリービートルズの物語に出会うたびに、たとえその主題によっては脇役の存在になろうとも、つい気にしてしまうのは結局ジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係性の変遷だ。
映画の中でポールがジョンの母ジュリアに「ラヴ・ミー・テンダー」を弾き語って、ジュリアがうっとりしている光景を目撃したジョンが思わず嫉妬するという場面があったのだけど、ジョン、ポール、ジュリアそれぞれの性質と、ジョンとジュリアの関係性、ジョンとポールの関係性を一瞬で表す秀逸な描写だと思った。
あれは史実なんかなぁ(笑)?
続きを読む
ジョン・レノンのティーン時代、育ての親である伯母と、産みの親で交通事故で死亡した母親との関係性、そしてロックンロールとの出会いに関する映画だ。
つまりまだビートルズとして本格的に活動する以前の時代に焦点を当てた作品で、勿論ポールもジョージも出てくるけど「ビートルズ」という名詞は一切出てこない(出しそうで出さない一瞬があってニヤリとさせられるが)という、徹底的にジョン・レノンと母親との関係性に重きをおいている作品だ。
イギリス映画らしくどこかでドラマチックさを避けるような演出や、イギリスらしい曇った空気感、くすんだような画質は実にしっくりきて心地好かった。ポールやジョージがあまりにも似てなさすぎて少し気になったが、物語の本線には関係無いからまあいいか。
俺はこういうアーリービートルズものの映画や書物が昔から好きで、つい最近もアストリット・キルヘアに関して書かれた本を読んだ。
アストリット・キルヘアとは、ビートルズがドイツへ遠征に出掛けたときに出会った写真家、アーティストで、デビュー以前の初期ビートルズのメンバーでありジョン・レノンの無二の親友であり画家であり、しかし若くして病死したスチュアート・サトクリフの婚約者でもあった人だ。
またアストリッドはビートルズのビジュアルイメージに関して多大なる影響を与えた女性であり、黒を基調としたモーダルなセンス、尖ったブーツや襟無しスーツ、マッシュルームカットやハーフシャドウのポートレイトなど、初期ビートルズのイメージを決定付ける殆んどの要素を彼らに与えた女性だ。
で、そのアストリッドと一緒に人生を歩むことを選び、ビートルズを辞めたスチュアートがほどなくして病死した時、失意のどん底で独りの世界に閉じ籠っていたアストリッドに対し、慰めの言葉しかかけることができなかった周りと違い、ただ一人強い言葉でまくし立て、アストリットを現実に引き戻したのが誰あろうジョンだった。
その時に久々にアストリッドにカメラを持たせ、自ら被写体になったジョンの写真を現像したアストリットは、無二の親友を失った哀しみで洞窟のような暗い目をしているジョンに初めて気付いて、嗚咽を抑えることがで出来なかったという。
つまりジョンは22歳になるまでに大事な人を二人無くしたわけだ。
友達のような関係であり、天衣無縫な性格であり、ジョンにロックンロールの存在を気付かせ、バンジョーの弾き方を教えた母ジュリア。
ロックンローラーであったジョンにアートの知性を与え、同じフラットで共同生活しながらジョンに芸術家としての潜在能力に気付かせ、刺激を与え合ったスチュアート・サトクリフ。
両人ともジョンと同じようなアートな資質を持ち、愛情と刺激を与える存在だった。
だから自分とは明らかに違う資質と才能を持ち、憧憬とライバル心の両方を持ってジョンに接してくるポール・マッカートニーは、ある時から友人ではなく相棒になり、世界に立ち向かうための共犯者となった。
似た者同士の友人とではなく、自分とは真逆の資質を持つポールとじゃなければビートルズは世界制覇は出来なかったろう。組織とはそういうもんだとはよく言われること。
しかし世界制覇したあとの虚脱感と無力感で絶望していたジョンの前に、ジュリアのような無情の愛と、スチュのような芸術的刺激を同時に与えてくれるオノ・ヨーコという人間が現れた時、ジョンが狂喜乱舞したのは想像にかたくない。それこそビートルズを壊してもいいとさえ思えるほど強烈な出会いだったのだろう。
これもよく言われることだが「優秀な組織とは解散、解体する組織である」ということ。ジョンとポールは充分に使命を全うすることが出来た優秀な共犯者同士だったから決別したのだ。
しかし言い様の無い怒りと孤独感が音楽の原動力になっていたジョンが、精神的に本当に必要としていたのは、組織を巧く機能させる共犯者でもなければ、ライバルや手下でもなく、無償の愛と芸術的かつ性的にも刺激となる自分と対等の存在、というか自分の写し鏡のような存在だったのだろう。
まあ人間誰しもそうだし早くに母を失ったジョンは特にそれが強かったのだろう。ジョンだって普通の男なのだ。
だからこそポール・マッカートニーとの普通ではない関係性に興味が尽きないのだ。
ここまでは敢えて共犯者とかライバルといったドライな書き方をしてきたが、そんな簡単に一言では言い表せない複雑なものだろうし、恐らく唯一無二の関係性だったのだと思う。
西川きよしがやっさんが死んだときにコメントしていたのだが「相方って不思議な存在なんですわ。親兄弟でもない、夫婦でもない、友達でもない、ホンマ相方としか言い様の無いもんなんですわ」という、当事者にしか分かり得ないような事を言っていて、なるほどな~だからこそあれだけの漫才が出来たのかとヴァーチャルに納得してしまった。
人々の興味がつきないのは、やっぱりそんな不可思議な関係性だから、ビートルズはいまだに売れ続ける。
この「ノーウェアボーイ」やその他のアーリービートルズの物語に出会うたびに、たとえその主題によっては脇役の存在になろうとも、つい気にしてしまうのは結局ジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係性の変遷だ。
映画の中でポールがジョンの母ジュリアに「ラヴ・ミー・テンダー」を弾き語って、ジュリアがうっとりしている光景を目撃したジョンが思わず嫉妬するという場面があったのだけど、ジョン、ポール、ジュリアそれぞれの性質と、ジョンとジュリアの関係性、ジョンとポールの関係性を一瞬で表す秀逸な描写だと思った。
あれは史実なんかなぁ(笑)?
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本日東新宿で久々の弾き語りをやります。
で、これまた久々に新しい音源を漏洩します。
で、内容は例によって今回の弾き語りライブというフォーマットをまったく反映しないような多岐に渡る内容で、完成度はともかくバラエティには富みまくってます。
タイトルは「まえぶれのあかし」。昨日、とりあえず作ってみたジャケットを見ていて思いついたタイトル。いかにノンコンセプトで音を作っていたかがわかるなぁ。
で、これまた例によって今これを書いている現在に至っても、全作業は終わってないわけです(笑)。
まあ本番までには何とかなるだろうけど、やれミックスだやれ曲順だ、とこれ以後も作り直すかもしれないので、本日漏洩するバージョンもひょっとしたらレアアイテムになるかも。まあそれはどうでもいいか(笑)。
で、とにかく本日のライブはトップバッターなので早いですが、もし時間があったら遊びに来てくださいな。
時間は夕方6時半から。場所は、
「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
HP http://mahiru-yoru.com/
です。
で、これまた久々に新しい音源を漏洩します。
で、内容は例によって今回の弾き語りライブというフォーマットをまったく反映しないような多岐に渡る内容で、完成度はともかくバラエティには富みまくってます。
タイトルは「まえぶれのあかし」。昨日、とりあえず作ってみたジャケットを見ていて思いついたタイトル。いかにノンコンセプトで音を作っていたかがわかるなぁ。
で、これまた例によって今これを書いている現在に至っても、全作業は終わってないわけです(笑)。
まあ本番までには何とかなるだろうけど、やれミックスだやれ曲順だ、とこれ以後も作り直すかもしれないので、本日漏洩するバージョンもひょっとしたらレアアイテムになるかも。まあそれはどうでもいいか(笑)。
で、とにかく本日のライブはトップバッターなので早いですが、もし時間があったら遊びに来てくださいな。
時間は夕方6時半から。場所は、
「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
HP http://mahiru-yoru.com/
です。
高校生の時以来17年ぶりに同級生の女子と会って話をした。
当時からお互いに「いかにも高校生」といったはっちゃけたノリには距離を置くタイプだったのでまあ今会ってもそんなにテンションが食い違うことはないだろうとは予想してたけど、それこそ一週間ぶりに会うくらいにしかブランクを感じなかったのが嬉しかった。
ただそうはいっても「17年ぶりに会う」っていうことが自分の人生にあるってこと事態に自分で驚いてしまうがね。
が、それにもまして驚いたのは相手方が殆んど老けてなかったこと。
もともと恐ろしいくらい美人な子だったけれど、子育てにおわれてる35歳とは思えないくらい綺麗で色気とオーラがあった。女は化けもんだな。
ただ見た目は変わらずも内容は、結婚して子持ちという「普通に」ちゃんと変化というか進化していたわけで、そう考えると俺は全くもって真逆だなぁと哀しくなってくる。見た目は変わったが中身は高校生の頃のまんまだ。
そんな変わらない俺の、相変わらずの営みとしての弾き語りをやるよ。といってもかなり久々だけど。
今度の23日(休日)に夕方6時半から。場所は、
「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
HP http://mahiru-yoru.com/
ですわ。是非お越しをお待ちしております。
当時からお互いに「いかにも高校生」といったはっちゃけたノリには距離を置くタイプだったのでまあ今会ってもそんなにテンションが食い違うことはないだろうとは予想してたけど、それこそ一週間ぶりに会うくらいにしかブランクを感じなかったのが嬉しかった。
ただそうはいっても「17年ぶりに会う」っていうことが自分の人生にあるってこと事態に自分で驚いてしまうがね。
が、それにもまして驚いたのは相手方が殆んど老けてなかったこと。
もともと恐ろしいくらい美人な子だったけれど、子育てにおわれてる35歳とは思えないくらい綺麗で色気とオーラがあった。女は化けもんだな。
ただ見た目は変わらずも内容は、結婚して子持ちという「普通に」ちゃんと変化というか進化していたわけで、そう考えると俺は全くもって真逆だなぁと哀しくなってくる。見た目は変わったが中身は高校生の頃のまんまだ。
そんな変わらない俺の、相変わらずの営みとしての弾き語りをやるよ。といってもかなり久々だけど。
今度の23日(休日)に夕方6時半から。場所は、
「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
HP http://mahiru-yoru.com/
ですわ。是非お越しをお待ちしております。
野生爆弾のくーちゃんと子供を泣かしながら町を徘徊するという奇妙な夢で目が覚めたので吐きそうだ。
そんな夢を見たのも先日の「笑う妖精」で披露されたくーちゃんの絵かき歌にのたうち回って笑ったからだろう。
その時の動画はまだあがってないみたいだ。ぜひ紹介したいんだけどなぁ。不条理すらも飛び越えている。
くーちゃんの笑いの質感には電気グルーヴにも通ずる「マッドな幼児性」と「昭和の田舎の陰惨な歴史」を感じてしまう。発想とか技巧ではなく匂いで笑わせてくれる稀有な芸人だ。というか「芸人」って枠組みがあんまり当てはまらなさそうなところが新しい。
のたうち回って笑ったいくつかのくーちゃんの歌を貼っつけておこう。
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[埋込みオブジェクト:http://www.youtube.com/v/IKllJieBgxE&feature=youtube_gdata_player]
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そんな夢を見たのも先日の「笑う妖精」で披露されたくーちゃんの絵かき歌にのたうち回って笑ったからだろう。
その時の動画はまだあがってないみたいだ。ぜひ紹介したいんだけどなぁ。不条理すらも飛び越えている。
くーちゃんの笑いの質感には電気グルーヴにも通ずる「マッドな幼児性」と「昭和の田舎の陰惨な歴史」を感じてしまう。発想とか技巧ではなく匂いで笑わせてくれる稀有な芸人だ。というか「芸人」って枠組みがあんまり当てはまらなさそうなところが新しい。
のたうち回って笑ったいくつかのくーちゃんの歌を貼っつけておこう。
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来年の1月29日、ザ・ワイセッツのコピーバンドを、かつてワイセッツのメンバーであった方々とやります。
再結成というわけでもなく、今のメンバーの力量でもう一回あの曲達を演奏したらどうなるんだろう?っていう興味本意から始まった話なんですわ。
で、これっきりと決めてるわけでもないけれど、ここ以外は決まってないので、興味ある人は是非この日は空けておいてください。
トリなんで時間は遅めだと思うけど、ちょっと長めのライブをやるつもりです。
詳細ははっきりしたら随時載せます。
場所は新しいライブハウス「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
HP http://mahiru-yoru.com/
ですわ。
あと同じ場所で今度の23日(休日)、久々の弾き語りをやります。
作っておきながら長らく放置プレイを強いられれた新しい音源も放出するんで、こちらのほうも、いやこちらの方こそ(笑)是非とも遊びに来てください。
時間はちょっと早くてトップ、18時半からです。まあ休日だしいいじゃないの。来ておくれ。
再結成というわけでもなく、今のメンバーの力量でもう一回あの曲達を演奏したらどうなるんだろう?っていう興味本意から始まった話なんですわ。
で、これっきりと決めてるわけでもないけれど、ここ以外は決まってないので、興味ある人は是非この日は空けておいてください。
トリなんで時間は遅めだと思うけど、ちょっと長めのライブをやるつもりです。
詳細ははっきりしたら随時載せます。
場所は新しいライブハウス「真昼の月 夜の太陽」
〒169-0072
東京都新宿区大久保2-6-16 平安ビル地下1階
HP http://mahiru-yoru.com/
ですわ。
あと同じ場所で今度の23日(休日)、久々の弾き語りをやります。
作っておきながら長らく放置プレイを強いられれた新しい音源も放出するんで、こちらのほうも、いやこちらの方こそ(笑)是非とも遊びに来てください。
時間はちょっと早くてトップ、18時半からです。まあ休日だしいいじゃないの。来ておくれ。
いじめによる子供の自殺のニュースを聞くとやりきれない気持ちになる。
自殺したこの子のクラスは学級崩壊で、教師の統制がとれなかったようだ。
教師が完全になめられている。
原因は教師の側にもあろうが、何かちょっとしたことでもクレームをつけるモンスターペアレンツや、こういうニュースがあると鬼の首をとったかのごとく学校側を攻め抜くマスコミ側にもあると思う。
教育委員会のクソじじいは「今回の自殺といじめの因果関係はない」とのたまったそうだ。
いじめなんてどこの世界にもあるもんだし、子供の世界にも当然のようにある。でもいじめなんてないかのような事も平気で言ったりする。
それなのにこのような狂った非人道的な発言をしてしまうのは、正義の味方ヅラしたマスコミの攻め、しょせん他人事か、逆に鬼の攻めのごとき文句をぶつけてくるPTA、教育委員会側の保身が三位一体となるからだ。死んだ子供も浮かばれないよ。
教師による体罰はいいことにすればいいと本気で思う。
どうしようもない生徒達には鉄拳制裁で身を持って判らせるべきだ。
いかんともしがたい学級崩壊になるくらいなら恐怖政治を強いて統制をとるべきだ。
文句を言ってくる親には毅然とその正当性を主張すべきだ。
上の人間は保身に走らずそれをちゃんと擁護すべきだ。
マスコミは偉そうなこと言う前に、もっとまともな記事でも書いて世に問うべきだ。
というのは理想論。そんなのは綺麗事。
だからせめて子供には
「死を選ぶくらいなら学校から逃げてもいい。そんな地獄のような時間なんて一生続くわけではない」といってあげればいいんだ。
子供の視野は狭い。自分の周りが世界のすべてだと思ってしまう。
俺も昔は無視された事がある。昨日まで話してた友人と思ってた奴等が今日になったら無視をしだした。
そりゃぁ悩んだし途方に暮れたが、今となりゃ
「しょせん一人がアイツ無視な、って言えば右ならえで無視するような奴等でこの世の殆んどは形成されている」
って思えるけど、それを言ってくれる人はいなかったしな。
でも悩んでる時に色んなものが見えてくるし、自分自身のC調なとこ、空気の読めないとこなんてのは見えてくるし、で時は過ぎていくし、無視くらいの軽いいじめは必要だ。
ただね、今のいじめってもっと根拠不明で陰湿だからそんな簡単にどうにかなるもんじゃないのかもしれない。
「いじめられる側にも原因はある」って言えないようないじめばっかりなのかもしれない。
死ぬくらいならとりあえず逃げろ、逃げずに向き合うなんて綺麗事言ってる場合じゃない、って言ってあげなきゃね、子供には。?
「怨み屋」って深夜ドラマでいじめがテーマになった回は面白かったな。
女の子三人が一人の女の子を理由もなく目をつけ、強引に売春をさせて自殺に追い込んだ。その子の親が「怨み屋本舗」に依頼して、いじめた女の子達への報復として、拉致して東南アジアあたりに売り飛ばすって事をやってて思わず溜飲が下がった。
いじめられている人間はそれぐらいの報復、出来るもんならやりたいって思ってるんだよ。
自殺したこの子のクラスは学級崩壊で、教師の統制がとれなかったようだ。
教師が完全になめられている。
原因は教師の側にもあろうが、何かちょっとしたことでもクレームをつけるモンスターペアレンツや、こういうニュースがあると鬼の首をとったかのごとく学校側を攻め抜くマスコミ側にもあると思う。
教育委員会のクソじじいは「今回の自殺といじめの因果関係はない」とのたまったそうだ。
いじめなんてどこの世界にもあるもんだし、子供の世界にも当然のようにある。でもいじめなんてないかのような事も平気で言ったりする。
それなのにこのような狂った非人道的な発言をしてしまうのは、正義の味方ヅラしたマスコミの攻め、しょせん他人事か、逆に鬼の攻めのごとき文句をぶつけてくるPTA、教育委員会側の保身が三位一体となるからだ。死んだ子供も浮かばれないよ。
教師による体罰はいいことにすればいいと本気で思う。
どうしようもない生徒達には鉄拳制裁で身を持って判らせるべきだ。
いかんともしがたい学級崩壊になるくらいなら恐怖政治を強いて統制をとるべきだ。
文句を言ってくる親には毅然とその正当性を主張すべきだ。
上の人間は保身に走らずそれをちゃんと擁護すべきだ。
マスコミは偉そうなこと言う前に、もっとまともな記事でも書いて世に問うべきだ。
というのは理想論。そんなのは綺麗事。
だからせめて子供には
「死を選ぶくらいなら学校から逃げてもいい。そんな地獄のような時間なんて一生続くわけではない」といってあげればいいんだ。
子供の視野は狭い。自分の周りが世界のすべてだと思ってしまう。
俺も昔は無視された事がある。昨日まで話してた友人と思ってた奴等が今日になったら無視をしだした。
そりゃぁ悩んだし途方に暮れたが、今となりゃ
「しょせん一人がアイツ無視な、って言えば右ならえで無視するような奴等でこの世の殆んどは形成されている」
って思えるけど、それを言ってくれる人はいなかったしな。
でも悩んでる時に色んなものが見えてくるし、自分自身のC調なとこ、空気の読めないとこなんてのは見えてくるし、で時は過ぎていくし、無視くらいの軽いいじめは必要だ。
ただね、今のいじめってもっと根拠不明で陰湿だからそんな簡単にどうにかなるもんじゃないのかもしれない。
「いじめられる側にも原因はある」って言えないようないじめばっかりなのかもしれない。
死ぬくらいならとりあえず逃げろ、逃げずに向き合うなんて綺麗事言ってる場合じゃない、って言ってあげなきゃね、子供には。?
「怨み屋」って深夜ドラマでいじめがテーマになった回は面白かったな。
女の子三人が一人の女の子を理由もなく目をつけ、強引に売春をさせて自殺に追い込んだ。その子の親が「怨み屋本舗」に依頼して、いじめた女の子達への報復として、拉致して東南アジアあたりに売り飛ばすって事をやってて思わず溜飲が下がった。
いじめられている人間はそれぐらいの報復、出来るもんならやりたいって思ってるんだよ。
ドヤ顔って言葉、最近はよく使われるが、俺が知る限りでは結構前から松本人志が使ってて、物凄くいい得て妙な表現なんで笑ってしまった記憶があるな。この言葉って松ちゃん発じゃないんかな?
松ちゃん発の言葉でいまやだれでも使ってる言葉ってたくさんある。
さて、ブログにおけるドヤ顔的表現てのがあるらしく、しちめんどくさいことや世を憂うようなことを上から目線で書き、「〜である」とか「〜であるべきだ」と語尾を言い切り、何らかの言説を言い切ったと自己満足するようなブログのことである。
俺はモロにドヤ顔ブログだな~と思ったよ(笑)。悪かったな。
まあどうせ読む人は限られてるだろうし、「また偉そうなこと書いてるよ」てな冷ややかな目は意識しながらも、性懲りもなく書いてんだよ。
別にね、売文で暮らしてる訳じゃないし、どっちかていうと排泄に近いもんだから、文章書くのって。だからいちいち気にしてらんないよ。
ただ不特定多数の人間が読んでる場所で文章書くんなら、素人の俺のどうでもいい日常雑記よりは、多少は「読めるもの」にしたいってのと、出来れば否定や怒りよりは、感動や喜びを原動力に文章書きたいとは思ってるけどね。そのわりにゃ怒りの含有量が多いけど。
まあよっぽど差別的な書き方や誹謗中傷しない限り、人の文章にいちいちクレームつけてくる暇なやつぁ居ないし、未熟でバカなヤツに限って長くしちめんどくさい文章書くもんだってことは自覚してんだから、ドヤ顔かどうかなんざ気ぃ使ってられません。
松ちゃん発の言葉でいまやだれでも使ってる言葉ってたくさんある。
さて、ブログにおけるドヤ顔的表現てのがあるらしく、しちめんどくさいことや世を憂うようなことを上から目線で書き、「〜である」とか「〜であるべきだ」と語尾を言い切り、何らかの言説を言い切ったと自己満足するようなブログのことである。
俺はモロにドヤ顔ブログだな~と思ったよ(笑)。悪かったな。
まあどうせ読む人は限られてるだろうし、「また偉そうなこと書いてるよ」てな冷ややかな目は意識しながらも、性懲りもなく書いてんだよ。
別にね、売文で暮らしてる訳じゃないし、どっちかていうと排泄に近いもんだから、文章書くのって。だからいちいち気にしてらんないよ。
ただ不特定多数の人間が読んでる場所で文章書くんなら、素人の俺のどうでもいい日常雑記よりは、多少は「読めるもの」にしたいってのと、出来れば否定や怒りよりは、感動や喜びを原動力に文章書きたいとは思ってるけどね。そのわりにゃ怒りの含有量が多いけど。
まあよっぽど差別的な書き方や誹謗中傷しない限り、人の文章にいちいちクレームつけてくる暇なやつぁ居ないし、未熟でバカなヤツに限って長くしちめんどくさい文章書くもんだってことは自覚してんだから、ドヤ顔かどうかなんざ気ぃ使ってられません。
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? Japanese-・・・ | 記事一覧 | カーブ ?
2010年11月08日 03:42:34
駄洒落について
テーマ:ブログ
なにかで読んだことがあるんだが、オッサンが駄洒落を言ってしまう原因のひとつに、言葉と言葉の関連性に気付いてそれを指摘するのは脳にとっては快感になるかららしい。それによって脳がまだ衰えてないことを確認するからだ。なぜかこれは男特有の性質らしいが。
「俺はまだまだ大丈夫なんだぜ」っていう事を誇示するてのは、ある意味ではガキっぽくて可愛いもんじゃねぇか、女はそこら辺も含めて笑ってやれよ、と思うが確かに「どや顔」がセットについてくると鬱陶しいわな。
昔の東京人はよく駄洒落を言う。立川談志の落語や高田文夫の本を読んでいてもしょっちゅう出てくるし、清志郎や大瀧詠一や細野晴臣の音楽を聴いてるとよく駄洒落に出くわす。
ただ彼らの駄洒落には必ず「照れ」が付き物で、下手すりゃ聞いてる側が「お、下らないねぇ(笑)」とツッコむ前に「なんてぇのはどうでもいいが...」と捨ててしまう。俺なんかはそのアッサリしていて捨て鉢な感じは好きなんだがなぁ。
関西の笑いが覇権を征して以降、駄洒落=サムいになってしまって、芸人でもねぇくせにバカ面下げた奴等がなにかありゃ「サム~い」とか松ちゃんのパクりである「寒!」ていう二文字言い切りツッコミを使う。俺キライなんだよなぁ芸人でもねぇ奴が安直に芸人用語を使うの。
まあそれはいいとして、要するに駄洒落が悪いんじゃなくて、パッケージングの問題だな。
「どや顔」込みの駄洒落は確かに下らねぇし笑えねぇ。「ボキッて面白いでしょ(笑)エヘ」みたいなお調子もんじみたオヤジギャグに触れたら、ホントに殴りたくなるもんな。
俺は会話ではあまり駄洒落を言ってないはずだが、文章や歌詞を書く上ではチョロっと駄洒落を忍ばせたする。気付こうが気付くまいがどうでもいいって場所だから使えるんだよ。スルーしてもらっても結構ですよ、みたいな扱い。
駄洒落そのものを条件反射的にオヤジギャグとして貶めるのは、ある意味では知性の欠如だと思う。
ゲラゲラ笑えりゃいいってもんじゃないのだ。「お、うまい」っときてクスッとくるのはそれはそれでいいのだ。くっだらねぇ流行りの一発ギャグをバカ面丸出しで笑ってる方がオヤジギャグよりよっぽど不愉快だ。
会話の中には多少の山椒みたいなもんも必要だし、言葉と言葉の類似性を一瞬で掴んで頭に画を描くのは脳には刺激になるはずだ。
? Japanese-・・・ | 記事一覧 | カーブ ?
2010年11月08日 03:42:34
駄洒落について
テーマ:ブログ
なにかで読んだことがあるんだが、オッサンが駄洒落を言ってしまう原因のひとつに、言葉と言葉の関連性に気付いてそれを指摘するのは脳にとっては快感になるかららしい。それによって脳がまだ衰えてないことを確認するからだ。なぜかこれは男特有の性質らしいが。
「俺はまだまだ大丈夫なんだぜ」っていう事を誇示するてのは、ある意味ではガキっぽくて可愛いもんじゃねぇか、女はそこら辺も含めて笑ってやれよ、と思うが確かに「どや顔」がセットについてくると鬱陶しいわな。
昔の東京人はよく駄洒落を言う。立川談志の落語や高田文夫の本を読んでいてもしょっちゅう出てくるし、清志郎や大瀧詠一や細野晴臣の音楽を聴いてるとよく駄洒落に出くわす。
ただ彼らの駄洒落には必ず「照れ」が付き物で、下手すりゃ聞いてる側が「お、下らないねぇ(笑)」とツッコむ前に「なんてぇのはどうでもいいが...」と捨ててしまう。俺なんかはそのアッサリしていて捨て鉢な感じは好きなんだがなぁ。
関西の笑いが覇権を征して以降、駄洒落=サムいになってしまって、芸人でもねぇくせにバカ面下げた奴等がなにかありゃ「サム~い」とか松ちゃんのパクりである「寒!」ていう二文字言い切りツッコミを使う。俺キライなんだよなぁ芸人でもねぇ奴が安直に芸人用語を使うの。
まあそれはいいとして、要するに駄洒落が悪いんじゃなくて、パッケージングの問題だな。
「どや顔」込みの駄洒落は確かに下らねぇし笑えねぇ。「ボキッて面白いでしょ(笑)エヘ」みたいなお調子もんじみたオヤジギャグに触れたら、ホントに殴りたくなるもんな。
俺は会話ではあまり駄洒落を言ってないはずだが、文章や歌詞を書く上ではチョロっと駄洒落を忍ばせたする。気付こうが気付くまいがどうでもいいって場所だから使えるんだよ。スルーしてもらっても結構ですよ、みたいな扱い。
駄洒落そのものを条件反射的にオヤジギャグとして貶めるのは、ある意味では知性の欠如だと思う。
ゲラゲラ笑えりゃいいってもんじゃないのだ。「お、うまい」っときてクスッとくるのはそれはそれでいいのだ。くっだらねぇ流行りの一発ギャグをバカ面丸出しで笑ってる方がオヤジギャグよりよっぽど不愉快だ。
会話の中には多少の山椒みたいなもんも必要だし、言葉と言葉の類似性を一瞬で掴んで頭に画を描くのは脳には刺激になるはずだ。
TBS60周年5夜連続特別企画 99年の愛~Japanese-Americans
という物々しいタイトルのドラマ。初日をふと観てしまい結局全部観てしまった。99年前にアメリカに渡った一人の日経移民の物語だ。
構想5年、制作一年という今時映画でも有り得ない労力がかけられていて、恐らく制作費も半端ではないんだろう。
この物量はなんだかんだ言って伊達じゃなく、もう久しぶりにお腹いっぱいいっぱいになるドラマだった。
橋田寿賀子はどうもな~とか、泉ピン子は下品だからキライ、とかいう諸々なんかもうどうでもよくなるくらいにね。
戦争が絡んでくるとどうしても握り拳がきつくなったりしてしまう。
特にアメリカの排日政策、反日感情、ジャップ!ジャップ!な部分が物語の背骨となっているので、そのたびに「クソッタレ!このクソアメ公ども!だから俺はメリケンは嫌れぇなんだよ!」となってしまったが、戦時中の日本だって中国人や朝鮮人を思いっきり差別してたし、アメ公だ鬼畜米英だって言ってたし会見互いか、と冷静になってみたりもした。
でも最終夜の日本に預けられた姉妹の戦争体験の描写にはどうしても涙を禁じ得ないものがあった。いや、まぁ毎晩毎晩泣いてんだけどさ(笑)。
なんせ日本人にとっては原爆と沖縄戦は特に鮮烈に記憶しておかなけりゃいけないとこだし、また技術の発達のお陰か戦闘の描写がそうとうリアル(かどうかは戦争体験者じゃないからわからないけど)な臨場感があって、より戦争のみも蓋もなさを演出している。
まあとにかく、戦後の日本にはこういった身寄りの無い戦災孤児が沢山いたんだろうなぁ、しかも女の子だけでさぞかし心細かったろうなぁとか思って観てたらもう泣いて泣いてよ。チキショウ、橋田のオバハンは人を泣かすのがうめぇな。
最後の最後は絵に書いたような、理想的な日米友好的な描写もあったりして、そこらへんはまあまあまあって感じもあったりするんだが、とにかく、いいドラマを観せてもらいました。
どうでもいい連ドラなんざ止めて制作費浮かして、こういうリキの入ったドラマをもっとやってくれたら嬉しいんだがなぁ。
という物々しいタイトルのドラマ。初日をふと観てしまい結局全部観てしまった。99年前にアメリカに渡った一人の日経移民の物語だ。
構想5年、制作一年という今時映画でも有り得ない労力がかけられていて、恐らく制作費も半端ではないんだろう。
この物量はなんだかんだ言って伊達じゃなく、もう久しぶりにお腹いっぱいいっぱいになるドラマだった。
橋田寿賀子はどうもな~とか、泉ピン子は下品だからキライ、とかいう諸々なんかもうどうでもよくなるくらいにね。
戦争が絡んでくるとどうしても握り拳がきつくなったりしてしまう。
特にアメリカの排日政策、反日感情、ジャップ!ジャップ!な部分が物語の背骨となっているので、そのたびに「クソッタレ!このクソアメ公ども!だから俺はメリケンは嫌れぇなんだよ!」となってしまったが、戦時中の日本だって中国人や朝鮮人を思いっきり差別してたし、アメ公だ鬼畜米英だって言ってたし会見互いか、と冷静になってみたりもした。
でも最終夜の日本に預けられた姉妹の戦争体験の描写にはどうしても涙を禁じ得ないものがあった。いや、まぁ毎晩毎晩泣いてんだけどさ(笑)。
なんせ日本人にとっては原爆と沖縄戦は特に鮮烈に記憶しておかなけりゃいけないとこだし、また技術の発達のお陰か戦闘の描写がそうとうリアル(かどうかは戦争体験者じゃないからわからないけど)な臨場感があって、より戦争のみも蓋もなさを演出している。
まあとにかく、戦後の日本にはこういった身寄りの無い戦災孤児が沢山いたんだろうなぁ、しかも女の子だけでさぞかし心細かったろうなぁとか思って観てたらもう泣いて泣いてよ。チキショウ、橋田のオバハンは人を泣かすのがうめぇな。
最後の最後は絵に書いたような、理想的な日米友好的な描写もあったりして、そこらへんはまあまあまあって感じもあったりするんだが、とにかく、いいドラマを観せてもらいました。
どうでもいい連ドラなんざ止めて制作費浮かして、こういうリキの入ったドラマをもっとやってくれたら嬉しいんだがなぁ。
今夜はやけに寒い。というかやっと冬って感じの質感の空気だ。湿気がないせいかな?冬のにおいがする。
堪らなく淋しかったり、どうしようもなく虚しかったりするときに散歩しまくってた時間って、やたらと冬の寒い日の夜だったりする。俺の場合。
寒いなか、白い息を吐きながら、音楽を聴きながら、目的地も無くひたすら歩く。
歩いたり体を動かしているとかえって頭の中は集中出来るもんで、深く考えごとしたり音楽に没入出来て、精神衛生上いい。
だからこんな空気の引き締まった夜はその時の感覚が呼び戻されてしまって、無性に散歩したくなる。
なんか本末転倒だな。
堪らなく淋しかったり、どうしようもなく虚しかったりするときに散歩しまくってた時間って、やたらと冬の寒い日の夜だったりする。俺の場合。
寒いなか、白い息を吐きながら、音楽を聴きながら、目的地も無くひたすら歩く。
歩いたり体を動かしているとかえって頭の中は集中出来るもんで、深く考えごとしたり音楽に没入出来て、精神衛生上いい。
だからこんな空気の引き締まった夜はその時の感覚が呼び戻されてしまって、無性に散歩したくなる。
なんか本末転倒だな。