気づけば、はや7月の中旬になろうとしています。夏らしさはいずこ。梅雨寒の日々が続いています。
昨日、補講日でした。源氏物語の受容・翻訳、というテーマの中で、現代の源氏物語の舞台を紹介しました。2015年の宝塚花組公演では、「新源氏物語」が上演されています。ここで、光源氏と藤壺の恋が「天の川幻想」というタイトルで、演じられる場面があります。二人の逢瀬が一年に一度、7月7日の織姫や彦星以上に難しいことを、表現していました。
天の川幻想
ただし、この7月7日の誓いと言えば、平安時代の貴族が愛した『長恨歌』(白居易作・玄宗と楊貴妃の悲恋を歌う)の一節を思い起こさせます。
七月七日長生殿に
夜半に人無くして私語(ささやきごと)せし時
天に在らば願はくは比翼の鳥作らむ
地に在らば願はくは連理の枝為らむ
天長く地久しき時有りてつくとも
この恨みは綿々として絶ゆる期(とき)無けむ
唐の玄宗皇帝は、楊貴妃(後に殺される)と、生まれ変わっても、比翼の鳥・連理の枝のように、必ず一緒にいようと誓い合っていました。それが7月7日。
この長恨歌の悲しみに沿うように、亡くした更衣(光源氏の母)を偲んだのが、源氏物語の桐壺帝でした。
朝夕の言ぐさに、翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける
命のほどぞ尽きせず恨めしき。(桐壺巻)
藤壺は、この更衣に容貌がそっくりであったことから、身代わりのように、桐壺帝の後宮に入内します。藤壺の死に際しては、長恨歌引用は見られません。葵の上、紫の上、大君、と、主人公にとって重要な女性の死には、この引用が必ず見られるのに......。
それが舞台では、「天の川の恋」と歌うことで、藤壺が唯一無二の相手として、源氏に思われているように造型されています。実際は、母恋の延長、源氏にとっても藤壺は母の「身代わり」でした。先帝の后腹の四の宮(内親王)という高貴で理想的な藤壺は、その存在自体、謎めいたところもあるのですが、宝塚の舞台では、この藤壺を逆に生々しく一人の女性として描いています。
舞台では「罪深い」と自らのことを話す藤壺......后として国母として、表向きには、したたかに生ききった人でもありました。はかないイメージの長恨歌は、原作の彼女にはふさわしくなかったのかもしれません。授業では、「身代わり」として生きたその生は、不幸にも思えるように話しましたが、あとから藤壺の強さを、思い返した次第です。
昨日、補講日でした。源氏物語の受容・翻訳、というテーマの中で、現代の源氏物語の舞台を紹介しました。2015年の宝塚花組公演では、「新源氏物語」が上演されています。ここで、光源氏と藤壺の恋が「天の川幻想」というタイトルで、演じられる場面があります。二人の逢瀬が一年に一度、7月7日の織姫や彦星以上に難しいことを、表現していました。
天の川幻想
ただし、この7月7日の誓いと言えば、平安時代の貴族が愛した『長恨歌』(白居易作・玄宗と楊貴妃の悲恋を歌う)の一節を思い起こさせます。
七月七日長生殿に
夜半に人無くして私語(ささやきごと)せし時
天に在らば願はくは比翼の鳥作らむ
地に在らば願はくは連理の枝為らむ
天長く地久しき時有りてつくとも
この恨みは綿々として絶ゆる期(とき)無けむ
唐の玄宗皇帝は、楊貴妃(後に殺される)と、生まれ変わっても、比翼の鳥・連理の枝のように、必ず一緒にいようと誓い合っていました。それが7月7日。
この長恨歌の悲しみに沿うように、亡くした更衣(光源氏の母)を偲んだのが、源氏物語の桐壺帝でした。
朝夕の言ぐさに、翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける
命のほどぞ尽きせず恨めしき。(桐壺巻)
藤壺は、この更衣に容貌がそっくりであったことから、身代わりのように、桐壺帝の後宮に入内します。藤壺の死に際しては、長恨歌引用は見られません。葵の上、紫の上、大君、と、主人公にとって重要な女性の死には、この引用が必ず見られるのに......。
それが舞台では、「天の川の恋」と歌うことで、藤壺が唯一無二の相手として、源氏に思われているように造型されています。実際は、母恋の延長、源氏にとっても藤壺は母の「身代わり」でした。先帝の后腹の四の宮(内親王)という高貴で理想的な藤壺は、その存在自体、謎めいたところもあるのですが、宝塚の舞台では、この藤壺を逆に生々しく一人の女性として描いています。
舞台では「罪深い」と自らのことを話す藤壺......后として国母として、表向きには、したたかに生ききった人でもありました。はかないイメージの長恨歌は、原作の彼女にはふさわしくなかったのかもしれません。授業では、「身代わり」として生きたその生は、不幸にも思えるように話しましたが、あとから藤壺の強さを、思い返した次第です。