いま講義で『伊勢物語』の東下り章段を読んでいます。六歌仙の一人である在原業平をモデルとする主人公が、どういうわけか都に居づらくなり(高貴な女性・二条后との禁断の恋が理由とも)、東国の新天地を目指す物語。
伊勢・尾張の海づら(伊勢湾沿い)を歩いて三河国(愛知)・駿河国(静岡)に至るのですが、その間、浜に打ち寄せる波、浅間嶽の噴煙(実景ではないかも)、八つ橋のかきつばた、宇津谷峠、富士山などを目にし、それぞれ歌を詠んでいきます。都の人たちはおそらく目にしたことのない珍しい風景の数々。都の読者は、主人公とともに旅をしている気持ちで、その風景を想像したことでしょう。
そのなかでも有名なのは、九段「かきつばた」の歌。古今和歌集(羈旅・410)にも入集しています。
からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
「か・き・つ・ば・た」の五文字を句頭に据える「折句」という修辞技法が使われていますが、その他にも様々な技法が用いられています(調べてみましょう)。その中の一つ「序詞」(からころもきつつ)はよく「訳さなくていい(無視していい)」と高校では教えられるようですね。しかし、この序詞には、長年親しんできた妻を、着古していい具合にやわらかくなった「唐衣」のイメージで表現し、「そのような妻を置いてはるばる遠くまできている旅が悲しく思われる」という主人公の心情への理解を助ける役目を果たしています。
かきつばた
ちなみに古今集の詞書(歌が詠まれた状況を説明する文章)にはなく、『伊勢物語』にはあるのが次のエピソードです。
その沢(八つの橋がかけられた)のほとりの木の陰におりゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすへて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。(上記の「からころも」の歌)とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙落としてほとびにけり。
和歌(雅語)では、基本的に「たべもの」は詠まれず、詞書にもそのような事は書かれていません。ところが『伊勢物語』の方では、旅の途中、食事をしようと一休みしたときの話であると語られます。しかも、その「乾飯」(携行用に乾燥させた飯。水で戻せる)が「涙でふやけてちょうどよく食べ頃になった」なんて、悲しみの中のおかしさがなんとも言えない風情を醸しています。
この千年以上前の「乾飯」、防災食の「アルファ米」の元祖とも言えますね。最近、近くの町会や家族の学校の防災訓練などでもよく聞きます。わたしも先日、水でもどしたアルファ米をいただきましたが、とても美味しかったです(炊き込みご飯でした)。
みなさんも防災のための常備品にぜひ「アルファ米」をおいてみてください。『伊勢物語』を思いながら試食するのもまた一興です。
伊勢・尾張の海づら(伊勢湾沿い)を歩いて三河国(愛知)・駿河国(静岡)に至るのですが、その間、浜に打ち寄せる波、浅間嶽の噴煙(実景ではないかも)、八つ橋のかきつばた、宇津谷峠、富士山などを目にし、それぞれ歌を詠んでいきます。都の人たちはおそらく目にしたことのない珍しい風景の数々。都の読者は、主人公とともに旅をしている気持ちで、その風景を想像したことでしょう。
そのなかでも有名なのは、九段「かきつばた」の歌。古今和歌集(羈旅・410)にも入集しています。
からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
「か・き・つ・ば・た」の五文字を句頭に据える「折句」という修辞技法が使われていますが、その他にも様々な技法が用いられています(調べてみましょう)。その中の一つ「序詞」(からころもきつつ)はよく「訳さなくていい(無視していい)」と高校では教えられるようですね。しかし、この序詞には、長年親しんできた妻を、着古していい具合にやわらかくなった「唐衣」のイメージで表現し、「そのような妻を置いてはるばる遠くまできている旅が悲しく思われる」という主人公の心情への理解を助ける役目を果たしています。
かきつばた
ちなみに古今集の詞書(歌が詠まれた状況を説明する文章)にはなく、『伊勢物語』にはあるのが次のエピソードです。
その沢(八つの橋がかけられた)のほとりの木の陰におりゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすへて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。(上記の「からころも」の歌)とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙落としてほとびにけり。
和歌(雅語)では、基本的に「たべもの」は詠まれず、詞書にもそのような事は書かれていません。ところが『伊勢物語』の方では、旅の途中、食事をしようと一休みしたときの話であると語られます。しかも、その「乾飯」(携行用に乾燥させた飯。水で戻せる)が「涙でふやけてちょうどよく食べ頃になった」なんて、悲しみの中のおかしさがなんとも言えない風情を醸しています。
この千年以上前の「乾飯」、防災食の「アルファ米」の元祖とも言えますね。最近、近くの町会や家族の学校の防災訓練などでもよく聞きます。わたしも先日、水でもどしたアルファ米をいただきましたが、とても美味しかったです(炊き込みご飯でした)。
みなさんも防災のための常備品にぜひ「アルファ米」をおいてみてください。『伊勢物語』を思いながら試食するのもまた一興です。