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高瀬大介の思い出のプラグインは刹那い記憶

〜高瀬企画発気まぐれ遺言状〜

2009年08月

2009年08月09日00:40
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今やっている「ヒバクシャからの手紙」という番組は本当に堪らない。


ひたすら嗚咽するばかりだ。



本当に核兵器は廃絶しなければならない。核をちらつかせて外交をしている国を許してはならない。
2009年08月06日22:05
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今年は第二次世界対戦が終わって64年。



今日は広島に原爆が投下された日で、9日は長崎、15日は敗戦記念日ということで、数日はNHKで戦争に関する見応えのあるドキュメントが続く。



俺は広島出身ということもあって昔から戦争や原爆がらみの事に異様に興味があり、小学生の頃からその手の本を読みあさったり、原爆投下直後に死体処理に行ったじいさんに根掘り葉掘り話を聞いたり、戦争中の暮らしぶりをばあさんに聞いたり、あるいは日々もし今原爆が落ちてきたら...とか想像したりしながら生きていた。だから戦時下に身を置く事、死に直面するのはどんな気持ちなのか、ということに今だに強い興味がある。
かといって戦争したいわけでも死にたいわけでもないが。ラブ&ピース。
商売熱心なヤクザ屋さんの事務所には「シャブ&ピース」の垂れ幕がかかってるとかかかってないとか...。どうでもいい。



昨日の夜はNHKで「証言記録 兵士たちの戦争」をやっていて、物凄い内容だった。
人間魚雷「回天」(爆弾を搭載した小さな潜水弾に人間が入って敵の船まで自分で操縦して行って体当たりするという自殺兵器)に実際入って死の直前まで行った元特攻兵士の証言、あの地獄さながらのニューギニアのジャングルを彷徨った元兵士の証言、軍事機密の毒ガス製造に携わった広島の元学生の証言。「人間の本性を見た」「地獄絵図とはあのこと」という元兵士達の言葉はあまりにも重い。



戦時中に国策映画の主演を務めた俳優、小林桂樹もその時代の事を喋っていた。
久し振りに見た小林桂樹は異様に痩せていてちょっと驚いたが、あの往年の社長シリーズを始め数多くの東宝映画で軽妙な芝居をしていた小林桂樹も、戦争を背中に背負って、あるいは隠して生きていたんだなぁと改めて思い、ひいては戦後の日本人がどういうメンタリティで戦後復興に向かって行ったのかをも色々考えてしまった。そういやこないだ作ったアルバムの最後の曲に、小林桂樹と森繁久弥の声をサンプリングしたんだよなぁ。別に関係無いか...。



なんだか久し振りに黒澤明の「野良犬」を観たくなった。特攻上がりで軍の支給品を盗まれたという似て境遇の二人の男がそれぞれ強盗と刑事という全く別の生き方を選択したという皮肉を軸にした濃厚に戦争の爪痕が刻まれた映画だ。



黒澤明は戦時中に映画監督デビューを果たしたのだけど、その時代は娯楽に規制がかかり映画法なんてものが出来、監督になるのにも試験を受けなければならなくなった。で、その試験の場には芸術の事なぞ分かりゃしない軍部の人間もいた。
黒澤の第一作目「姿三四郎」を観た鬼畜米英まっしぐらのバカ軍人は「神社宮内で逢引などけしからん!西洋的だ!」と映画の出来とは関係ない所を指摘し、黒澤を落とそうとした。そこでわなわなと怒りに震える黒澤に「この映画は100点中120点の出来だ。黒澤君おめでとう」と肩を叩いたのが誰あろう小津安二郎監督だ。
小津監督はその時代でもう既に純日本的な映画の巨匠としての地位を獲得していたので軍部の連中は意外に思ったようだが、小津監督は初期は西洋かぶれまるだしのギャング映画とかコメディーを沢山作っていたので、西洋的様式を取り入れたダイナミックな映画技法の黒澤作品に拒否感などあるはずもなく、新しい巨大な才能の出現を感じ嬉しく思ったようだ。この試験のあと小津は黒澤を誘って飲みに行ったと言う。俺はこのエピソードが大好きだ。戦時下の中、戦争に狂う軍部にクリエイティビティーを制限され、そんな困難な状況でも何かを生み出そうとしている二人の天才が何を話したんだろうかと想像するとワクワクする。



その小津監督は戦時中何してたかと言うと、軍の命令で中国にあった満州映画に連れて行かれ、しきりに国策映画を撮るようせっつかされながらものらりくらりとはぐらかし、何をするかと言うと当時日本では観る事の出来なかった没収品の洋画のフィルムを発見し貪り観ていたらしい。さすが。俺はこのエピソードも好きだ。



さて今日の深夜も「証言記録 兵士たちの戦争」がある。観なければ。
2009年08月05日15:19
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今どこのテレビ局も制作費が無くて大変だということは皆分かっているのだから、開き直って過去の力の入った番組をアーカイブシリーズとかなんとかの枠を作って再放送すればいいのにと本当に思う。


制作費が無いのを理由に薄〜い生番組をダラダラ流すくらいなら、昼間なんかは再放送をメインにして、浮いた制作費でしっかりとした番組を作ったほうがよっぽど視聴率とやらも稼げるのに。事実ちゃんと力の入ったドラマは着実な数字を取っている。こないだの「平塚八兵衛」とか今やってる「官僚達の夏」みたいなドラマは、安易な「ジャニタレ」枠など無くても視聴率は取れる事を証明している。


ま、ジャニーズを差別するわけではないが、俺みたいに彼等が映画やドラマに出ているだけで学芸会に思えて観る気を無くすなんていう偏見の持ち主が結構いるんだから、殆どのドラマにジャニ枠がある必要なんかないだろ。


話がそれたが、テレビ離れを不況とネットのせいにせず、かけるべき制作費はかけ、人知を尽くして面白い番組を何個か狙って作れば皆観るんだよ。
再放送番組だって打ち出し方一つで後ろ向きにならず、ちゃんと意義のあるものとして感心を呼ぶのに。



目先の視聴率を気にして安直にジャニーズやキャラ芸人の薄い芸を垂れ流しにせず、ずっしりとした濃いものを流せばおのずと成果は出てくると思うのだがなぁ。


ま、人の事は簡単に言えるんだけどね。



やっぱえらそな事言う前に自分の事だ。我がキョドルト・ヴァレルのライブ告知。


8月20日(木)代々木ブーガルー 「Rock Garden」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:USUAL RAIN、キョドルト・ヴァレル、ブルースロマン
うちの出番は今回3番目の20:20から。

渋谷区代々木1-42-4 代々木P1ビルB1
LIVEHOUSE Bogaloo(ブーガル)
tel&fax03−3320−5895

HP http://www.bogaloo.net
意味も無く楽しいということはあまり無いけれど、意味も無く哀しいということはしょっちゅうある。というかそれが自分の平熱の状態かもしれない。恐ろしく恵まれない環境に育ったわけでもなく、自殺するほどつらい出来事があるわけでもないが意味も無く哀しい。一種の贅沢病である。日々生きていて「〜したい」という動機で動くよりも「しなきゃいけない」という原理で動くことの方が多い。
もちろん自分の歌を聴いて欲しい、自分のことを理解して欲しいという欲求は人一倍あるし、その欲求に日々突き動かされて生きているのだけれど、その欲求、行動原理の前提には「生きなければならない」がある。



自分は「生かされている」という幸運を心から実感出来ていないのだろうか。かなり感情が馬鹿になってるとつくづく思うし、こんな奴で申し訳ないと思うこともしょっちゅうである。



さっきも書いたように「聴いて欲しい」「解かって欲しい」そして「喜んで欲しい」という欲求は人一倍あるのだけれど、それと同時にそういう表現欲求や自己主張はすごく下品で恥ずかしい、という感覚もあるのだ、困ったことに。



その二つの正反対のベクトルが一つの体の中にあるのでいつも疲れるが、今のところその振幅が大きくなりすぎることも無いし、精神に異常をきたすようなことも無いし、歌う気を無くして四半世紀の間人前に立って歌わなくなる、ということにもなりそうにない。



「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というアルバムは早川義夫がジャックス解散後1969年に発表した最初のソロアルバムだ。
これが 出た当時のインタビュー映像というか音声が存在するのだが、その中で早川は「歌いたくないときに歌うというのは歌ってないことだし、歌いたくないときに歌わないというのは歌っていることだ。まあ歌いたいときに歌うっていうのが一番いいね」と言っている。



恐らくジャックスの後期あたりからはその「歌ってない」状態が長く続いたのだと思う。

この後、1994年にアルバム「この世で一番キレイなもの」を発表するまで早川義夫は25年間音楽活動を止めている。
復活後発表された楽曲である「いつか」や「音楽」といった曲ではその早川の信念はより具体的に表現されているのだが、この最初のソロアルバムではそういった思いが明確に表出されるのではなく、もっと混乱した精神状態のままで収められている。



殆どの曲がピアノかギターの弾き語り、あってもオルガンかリズムボックスという極めてシンプルな形で演奏されている。当時早川は所属会社URCのアーティスト兼社員だったので、制作コストを抑えるためにそうしたらしいのだが、そんな裏事情はともかく、聴けば聴く程このスタイルは必然だったのだと思わせてしまう説得力が確かにこのアルバムにはある。特に驚くのはその歌だ。



22歳の青年の声とは思えないほどの底の知れない情念に満ちており、暗く深い海に沈んで行くような感覚に襲われる。無垢と老成が混ざり合って異質な何かに変質してしまったような、果ての果てに生まれたある種の魔力がこの声に宿っているようだ。



特に後半の「朝顔」や「しだれ柳」「埋葬」と言った曲の、足を持たれて穴に引きずり込まれていくような感覚はちょっと凄い。



一時期はこのアルバムを聴きながらでなければ寝られない時期があったくらいこの作品にのめり込んだこともあるが、何故これほどまでに暗く沈んで行くような楽しくない歌ばかり聴いていたのだろうか。



それはこのアルバムほど「哀しい」作品を俺は知らないからだ。そしてその「哀しさ」は俺の体に流れている基調のトーンとうまく共鳴したんだと思う。冒頭に書いた「意味もなく哀しい」感覚。このアルバムを聴いてるととても落ち着くし凄く気持ちがいい。
これほど「内省的」と言われ「文学的」と言われる作品を俺はある種快楽的に摂取していたのだ。時代性や意味性をすっ飛ばしてまるで麻薬のように...。「哀しさ」に浸るっていうのは気持ちのいいものである。それは現実逃避かもしれないし現状肯定かもしれないがそれはもうどうでもいい事だし、この作品が今だに俺にとって生々しさを持っていることに変わりは無い。



復活後の早川義夫の歌唱はより凄みを増し、説得力も壊れ方も半端ではない。「哀しさ」もよりリアリティと重みを増して聴くものの心を掻きむしる。
が、この時期のこの作品における「哀しさ」はやはりこの作品にしかあり得ないものであり、22歳の不安定な青年のリアルな精神状態「意味もなく哀しい」感覚が克明にドキュメントされている。
2009年08月04日04:24
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といってもZARDではない。


揺れる音というのは実に心地良い。トレモロってエフェクターもそうだし、ギターのフィンガービブラートも心地良いが何と言っても人間の声の揺れには何とも言えない魅力があって、その心地よさを最大限に感じさせる歌い手には無条件に敬意を表してしまう。凄い歌手の声ってのは、歌詞がどうとかピッチが正確だとか関係なくいきなり心の琴線と涙腺を直撃する。
最近必要あって美空ひばりと美輪明宏を改めて聴き直したのだけど、あの方々はまさにその極め付けとしか言い様が無く、グッとこみあげてくるものを抑えられない。



昔録画していた美空ひばりの生涯最後のステージの映像が我が自部屋から発掘されたので何年ぶりかに見たのだけど涙が止まらなかった。
この時のひばりの癌の病状は最悪で、肺は呼吸をするのさえ困難な状態にまで悪化していたにもかかわらず、歌声はいつも通り完璧で声紋分析しても乱れは全く無く、気持ちよく響く周波数にきっちり精密機械のように合わせていたという。



神様ってのは本当に居るんだと思った。残酷な音楽の神様は美空ひばりという1人間の肉体がボロボロなろうが一切お構いなしに、ひばりを媒介にして美しい音をこの世に響かせていたのだ。ひばりもそのことは分かっていたらしく、有名なエピソードだが晩年一端復帰した後の最初のシングルに、当初船村徹氏は比較的楽に歌える曲を用意したが、ひばりは「美空ひばりがそんな楽をして歌ったら音楽の神様に怒られる。今までで一番難しい曲をお願いします」と申し出たため、あの超難曲にして名曲「みだれ髪」が生まれたのだと言う。自身の歌手生命を縮める事は分かっていながらプライドをとったのだ。
最後のステージでの「みだれ髪」の凄まじいこと凄まじいこと。高音のビブラートの美しさたるや半端ではない。命を削って歌っているのだ。こんな高みに達していた歌声が確かにあったんだ。


忌野清志郎のビブラートも恐ろしいほど濃厚な情感を含んでいる。
最近は以前にも増して清志郎関係の番組があったり関連書籍が復刻されたり新刊が本屋に並んだりしてるのでいくつか見たり読んだりしたが、やはりそうなると音が聴きたくなってきて最近もまたよく聴いている。



それにしても死後発表されたラストシングル「Oh! Radio」で聴けるあの世界を骨抜きにするような「揺れ」の歌声は凄い。
これがラフな仮歌段階なのかOKテイクなのかすら分からないが、異常とも言えるあのフニャフニャ加減はこちらを何とも堪らない気分にさせてくれる。切ないとか哀しいとか楽しいとかそんな簡単な言葉じゃ表せない、絶妙にして奇妙な感覚のあの「揺れた」声で聴かせるこのヘンテコな名曲が最後の歌声だなんて実に清志郎らしい。昔からあの泣きながら笑ってるような歌声を響かせる清志郎のソウルバラードが好きだったけど、最後の最後になってまたわけの分からない凄いモノになってしまった。完全に老人になってしまってブルースを唸る清志郎を聴いてみたかった。合掌。



俺はギターのフィンガービブラートならかなり自信があるのだけど、歌のビブラートは下手だ。こんなにビブラートが好きなのに。
ジョンレノンのつっけんどんなシャウトで音楽に目覚めたくちで、好きになる歌手もエレカシの宮本やブルーハーツのヒロトといった技術的には規格外の狂人ばかりだったせいなのか、あるいはロックとのたまってるくせに歌には演歌的「コブシ」がしっかり入っているJ-Rockをバカにし続けた思春期のツケが回って来てるのか、とにかくビブラートが上手くならない。
ここ一年自分のビブラートを鍛えるための練習曲にしているのが沢田研二の「LOVE〜抱きしめたい」だ。高音が美しいジュリーが珍しく低音で振幅の大きいビブラートを聴かせる名唱で、1979年の紅白でトリを務めた時のテイクなんか鳥肌立つほど凄い。この歌をマスター出来たら自分のビブラートも幾分かマシになるだろうと思うのだが...。



なんでこんなに揺れる音に魅かれるんだろうか。波のイメージだからか、羊水に浸かっていた頃の記憶なのか、はたまたジミヘンのユニヴァイブのように宇宙を感じさせるからかそれは分からないけど、日々揺れ動く心とシンクロするようなビブラートに出会うため、あるいは自分から心地良い揺れを生み出し他者の揺れる心とシンクロするために精進せねば。といいつつ早めのライブ告知を。



8月20日(木)代々木ブーガルー「Rock Garden」
open18:30 start19:00 ticket2000円(ドリンク別)
出演:USUAL RAIN、キョドルト・ヴァレル、ブルースロマン
うちの出番は3番目の20:20から。
LIVEHOUSE Bogaloo(ブーガル)
tel&fax03−3320−5895

HP http://www.bogaloo.net
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