[フレーム]

koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

七夕の誓い

7月になりました。七夕の時期は、雨の日が多いように感じています。 現代では梅雨時ですからね。それにしても、九州の大雨被害は心が痛みます。私は実家の両親に連絡を入れました。幸い、川の側でも山手でもないので、今のところ大丈夫のようですが、やはり心配です。九州の雨は今夜がヤマとのこと。なんとかこれ以上、被害が広がらないように祈っています。

「七夕」と言えば、先日補講のための授業動画を作っていて、『長恨歌』(中唐・白居易作)における玄宗皇帝と楊貴妃の「七夕の誓い」を説明しました。原文の箇所は以下の通り。

七月七日長生殿に
夜半に人無くして私語(ささやきごと)せし時
天に在らば願はくは比翼の鳥作(た)らむ
地に在らば願はくは連理の枝為(た)らむ


楊貴妃は安禄山の乱によって殺され、その死を悲しんだ玄宗は、方士に楊貴妃の魂の在処を尋ねさせます。方士は楊貴妃から釵(かんざし)と螺鈿の箱を二つに分けた片割れを持ち帰ってくるのですが、これらがぴったりと合うように、また生まれ変わっても、必ず会いましょう、との言葉が伝えられます。
そして生前、二人は七夕の日に「比翼の鳥」「連理の枝」のように、どこにいても夫婦として添い遂げようと誓っていたことが明かされるのです。

楊貴妃の死後、玄宗と楊貴妃は天界と地上とで離ればなれになりました。それでもいつかまた必ず会えるはず、という思いは生前の「七夕の誓い」と奇しくも重なります。

一年に一度の逢瀬は、そのはかなさとともに、二人の絆の強さも感じさせます。
『源氏物語』の七夕引用は、浮舟物語における下記が有名です。(伊勢物語の七夕引用は→伊勢物語「渚の院」)

「このありさま御容貌を見れば、七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな、と思ふに、」(東屋巻:浮舟の母である中将の君が匂宮を見たときの心情)

「この御ありさまを見るには、天の川を渡りても、かかる彦星
の光をこそ待ちつけさせめ」(東屋巻:浮舟の母である中将の君が薫を見た時の心情)

(削除)
(削除ここまで)
上記ともに、娘である浮舟の相手として、都の貴公子を望む母・中将の君の心情ですが、いくら美男とはいえ、そのようなたまさかの逢瀬が果たして浮舟にとって幸せと言えるかどうか。

この後、実際浮舟は薫と匂宮、二人の貴公子に愛されますが、それは母が夢見た浮舟の幸せとは違ったようです。薫はあくまで浮舟を手に入れられなかった大君の「人形」(ひとがた)としてしか見ていませんでしたし、匂宮も偶然、妻である中の君の異母妹だったために浮舟を垣間見し、さらに薫の愛する女人だったことから、より浮舟に執着したようです。誰も、浮舟本人を求めてはいなかったのです。

七夕のような逢瀬も、こうなってしまうと、女性側にはつらいだけですね。

今は、コロナ禍の影響で、遠距離の友人・恋人・家族となかなか会いにくい状況が続いています。地球規模の七夕状態が続いていると言っても過言ではありませんが、今は「ビデオ通話」もありますし、心の距離まで離れないよう、努力したいものです。
手作り竹
金魚びっくり

(家族がつくった自作七夕飾り。金魚もちょっとびっくりしているかもしれません)








このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /