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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

2020年05月

いよいよオンライン授業が始まりました。とりあえずまだ演習だけですが、
ゼミのみなさんが元気そうで安心しました。

うまくビデオ映像が出ない、音声が乱れる、スマホが熱くなる、などなど、やはり
トラブルはいくつか発生しましたね。

音声が聞こえない、という場合は、電話回線を使って対応するなど、本当にその場の
「危機対応能力」(?)が試されている気がしました。しかも自宅なので、すべて一人で
対応しなくてはなりません(お願いすればTA(テイーチングアシスタント)の方に
入っていただくこともできるそうですが)。

ZOOMは、チャット機能、投票機能、があり、こちらが質問して回答してもらう、という
ことは、たいへんスムーズにできて便利でした。対面だと、周囲を意識して、なかなか発言
できない学生も多いのですが、チャットなら、そのような気を遣うこともないようです。

ただ講義はどうなるか、ちょっと心配。最初は履修者30人くらいだったので、ZOOMでやります、と
シラバスの補足に書きましたが、先日見たら50人を越えていました(!)。

通信が安定するかしら?不安です。初回やってみて、その後、また検討が必要かもしれませんね。

さて、話は変わって、今回は「葵祭れぽ」第2回です。
葵祭れぽ2

このように「葵祭」のシンボルは「二葉葵」。賀茂神社の神紋として、神社のあちこちで
見ることができます。「葵」の紋と言えば、徳川家の家紋「三葉葵」が有名ですが、こちらの
紋の方が古いのですよ。知ってました?
二葉葵
(高欄の金具に二葉葵が描かれています)

葵の葉
(拝殿の頭上にも葵の葉が見えます)

儀式前の拝殿
(しめ縄や御簾のところにも葵の葉が飾られています)

斎王代
(斎王代じしんも葵の葉を身につけ、周囲も葵の葉で飾られています)

ちなみに第2回「葵祭れぽ」の最後は『源氏物語』葵巻の一場面です。

葵巻といえば、行列に勅使として加わった光源氏の麗姿を見ようと、大勢の人が
つめかける中、その場所取りをめぐって、源氏の恋人・六条御息所方と正妻・葵の上方
との間に起こった「車争い」が有名です。

御息所は人目をしのびながらもセンスのよい車で早くから場所をおさえていたようですが、
遅れてきた葵の上方に無残にも押しのけられてしまいます。

このときの屈辱が、のちに御息所を生霊にし、正妻・葵の上を死に至らしめる、というのが
葵巻における重要な出来事です。

ですので、わたしがこのとき画いた場面は、あまり知られていないかもしれません。

上記の騒ぎのあと、光源氏は、まだ結婚前の若紫(紫の上)と同車して葵祭に出かけます。

そこで、以前関係を持っていた色好みの老女・源典侍の車とばったり出会い、彼女の方から
歌を詠み掛けられるのです。

(源典侍)はかなしや人のかざせるあふひ(葵/逢ふ日)ゆゑ神のゆるしの今日を待ちける
注連の内には

(つまらないことです。あなたは人のものになってしまったのに、神の許しがある今日の逢瀬を待っていました。とてもしめ縄の内に入ることはできません)
とある手を思し出づれば、かの典侍なりけり。あさましう、古りがたくもいまめくかな、と憎さに
はしたなう

(光源氏)かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを
(男に逢おうとして葵をかざしているあなたの心は浮気っぽいものでしょう。今日は誰彼分け隔てなく逢える日なのですから)

女はつらしと思ひ聞こえけり。

(源典侍)くやしくもかざしけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを

(あなただけを思って葵をかざしていたのに悔しいことです。逢う日とは名前ばかりで人に空頼みさせる単なる草の葉にすぎないのに)

と聞こゆ。人とあひ乗りて、簾だに上げたまはぬを、心やましう思ふ人多かり。一日の御ありさまの
うるはしかりしに、今日はうち乱れて歩きたまふかし、誰ならむ、乗り並ぶ人、けしうはあらじはや、
と推しはかりきこゆ。



年の功か(この時六十を過ぎていたという説も)、はたまたその性格か、源典侍は、他の女と
同車している源氏をあてこするような歌を堂々と詠みかけることができますが、他の女性では、
光源氏と一緒にいる方に遠慮して、とてもやりとりなどできないだろう、といった語り手の言葉が
このあとに続きます。

先日の、源氏の行列における「うるはしさ」とはうってかわって、もう正妻以外の女性と「乱れ歩き」
をしていると、人々(とくに女性たち)の気持ちは穏やかではありません。

「うるはし」の語は、物語中、よく葵の上の形容に使われますが、古語としては「端正な、整った」
美しさを表します。ですので「乱る」の語とは対照的な言葉になります。

しかし、周囲の心配とは裏腹に、源氏と同車しているのは、まだ少女である「若紫」。

源氏は、正妻と恋人との間で疲れていて、無邪気な「若紫」に癒やしを求めているのです。

そこに場面を賑わす「源典侍」の登場。「老い」と「若さ」の対比も見事です。

六条御息所の心内描写や、葵の上の死など、息苦しい場面の多い葵巻ですが、ここだけは楽しい祭
を思わせる、ほっとした場面で、私は好きです。




昨日、緊急事態宣言が延長されました。今月末まで、ひき続き自粛生活がつづきます。
家族は学校に行けなくなって2ヶ月になります。夏休みでさえ、1ヶ月くらいだったのが、
3ヶ月!になるわけです(そしてそれも本当に終わりになるかどうか不明......)。

緊急事態宣言が解除されたら戻ってきます、と話していた院生は、そのまま実家で授業開始
を迎えてしまうため、環境を整える準備を始めたと報告してくれました。

また一方、都会でアルバイトをして生計を立てている院生や学生はたくさんいます。
自分も、院生時代は、「奨学金」と「バイト代」(季節ごと短期で)に加えて、いくらか「仕送り」
をもらってましたので、親に対してひどく罪悪感がありました。

「高学歴Poor」という言葉通り、当時から院生の数に対して大学や研究機関のポストは微々たる
ものでした。

学会や研究会の合宿に院生として参加したとき、「ここで災害が起こって多くの大学の先生が
亡くなれば、ポストがたくさん空くのになあ〜」(なぜか自分は生き残ると思っている)などと
いう不穏な思考が頭をよぎったこともありました(完全に病んでいますね)。

そして実家の親が「しろまるしろまるは東京で遊んでいるんじゃないか?」と親戚から疑念を抱かれ、不安に
なったのか、突然、大量に公務員試験の通信教育セットを送ってきたこともあります。

25を過ぎて、将来の保証もなく学生をやっている、というのは、いつの時代もつらいでしょうし、
せっかく入れた大学に、今回の件で退学しないとならないかもしれないという学生も、なにを
恨めばいいのかわかりません。

社会を変えるのは、ひとりひとりの意識です。世界中がほぼ同じ災禍に見舞われた今こそ、
政府の能力、そしてそれを選んだ国民の意識が問われます。まずは選挙に、若い人も行かなくては
ならないですね(授業でもたびたび言ってます)。

さて、話はかわって、今月は、平安の都で一番楽しみにされていたお祭り、「葵祭」(賀茂神社の祭)が行なわれていた月です。当時は毎年陰暦で4月の中の酉の日、現在は5月15日に催されています。
しかし、そのお祭りも今回の厄災で「中止」が発表されました。

私は、大学院生時代(22歳)に、一人でこのお祭りを見に行きました。そして、それから数年後、
そのときのことを4コマ(〜8コマ)漫画にして、とある学会の月報に同封された私信に掲載して
もらっていました。それがこちら。

葵祭れぽ1-1

およそ20年前に画きました。20代も半ばを過ぎて、自分は本当に研究者の道でやっていけるのか、
迷っていたころでした。

でも「好きなこと」はつづけていきたい、その道で食べられるようになるかはわからないけれど、
どのような形でも「やめたくはない」と思っていました。

上記は、「現代の平安絵巻」と呼ばれ、千年前に「祭」といえば、この「葵祭」のことを
指していた「斎王」(賀茂神社の巫女・斎院のこと。当時は内親王や女王から選ばれた)の行列を
初めて目にした感動を私なりに表したものです。今はこの斎王役を務める人を「斎王代」(さいおうだい)と呼んでいます。斎王代に名だたる家のお嬢さんが多いのは、衣装代等も含めて何千万円もの費用がかかることが理由の一つのようです。この役をやると、お見合い相手として引っ張りだこになるとも聞きました。


そして実際の写真はこちら。
腰輿に乗る斎王代
(ちょっと輿丁役の人がつらそう。神社の外の大通りを通っているときには下に車がついています)

斎王代
(現代では、御簾は巻き上げられています。車は「葵」の葉で飾られていて、斎王代も
身につけています)

儀式時の斎宮代
(儀式時の様子)

童女役の子
(斎王代の周囲にはかわいい童女たちの姿もあります)

葵祭れぽ1-2

以上が、第一回「(勝手に)葵祭れぽ」でした。ちなみに『紫式部日記』が記す駕輿丁の姿はこちら。

御輿(みこし)迎へたてまつる船楽、いとおもしろし。寄するを見れば、駕輿丁の、さる身のほどながら、階よりのぼりて、いと苦しげにうつぶしふせる、なにのことごとなる、高き交じらひも、身のほどかぎりあるに、いと安げなしかしと見る。

寛弘五年(1008)十月十六日、藤原道長の邸宅に、一条天皇が行幸しました。道長の娘・彰子
が第二皇子である敦成親王(のちの後一条天皇)を出産したお祝いのためでした。
作者である紫式部の視線は、天皇が乗る輿をかついできた駕輿丁たちが南階をのぼりつつ
たいそう苦しそうに這いつくばっている姿に注がれます。そして、后である彰子に仕えてはいるが、
身分に限りがある自分とあの姿とは何が違うだろうか、安らかな気持ちではいられないものよと、
我が身をかえりみるのです。

『源氏物語』の作者として知られる紫式部は、決して高貴な人たちばかりを見ていたのでは
ありません。高貴な人たちの心の闇、そして彼らに仕えている女房や家司たちも、実に細やかに
描いています。物語のリアリティは、そのような作者の思考から生まれていると言ってよいでしょう。
今月は、「葵祭れぽ」(全5回)を紹介していきますね。おたのしみに。


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