先日、W杯カップ、日本対ドイツの試合の翌日に、1限の基礎演習(『伊勢物語』を読む)の授業がありました。最初、欠席者が多く、時間になっても、履修者の半分も来ていなかったので、「事故?電車の遅延?」と、教室もざわついていました。
その後、ぼちぼち人が集まり、発表を始めることができましたが、それほど遅い時間の試合でもなかったので、「興奮冷めやらず寝られなくなった?」「応援疲れ?」など、皆、いろいろ心配しあっていました。
まあ、そんな日もありますね(とはいえ、いつも通り、遅刻は遅刻、欠席は欠席でカウントしています)。
さて、『伊勢物語』と言えば、早くから「恋のバイブル」のように、『源氏物語』や『狭衣物語』中に引用され、物語中の主人公が伊勢物語絵を見ているうちに、告白してしまうという、古くから、恋の魔力(?)を持つ作品です。
授業でも、『伊勢物語』の講義をしていると、なぜか「コメントペーパー」に恋の話を書く学生が増えますし、最近も、上記の演習授業で恋バナを聞きました。物語が実際、「触媒」のようになることが多くて、面白いです。
そういえば先月末、大学祭の休みを利用して、大阪市の中之島香雪美術館の展示に行ってきたのですが、ここの『伊勢物語』絵の展示が、まあとても充実していて、本当に見ごたえがありました。
EPSON014
(チラシの表紙、これだけでもかなり贅沢に絵が使われています)
EPSON015
(チラシの裏。第49段、琴の記述が見える写本と伊勢絵(中央)が今回のメインです)
『伊勢物語』49段では、兄から異母妹への愛の告白と、その告白を受けた妹の返歌が記されています。ここでは兄の歌が「聞こえけり」(申し上げた)とあることから、身分の異なる腹違いの兄妹と考えられています。*当時、異母きょうだいは結婚できました(×ばつ)。
「在五が物語」とは「在原氏の五男である業平の物語」つまり『伊勢物語』を指しますが、ここで、このような伊勢絵を見て触発された匂宮(光源氏孫)が、この後、姉である女一の宮に戯れの恋心を示します。
『伊勢物語』において、どちらの本文が元々のものであったのかは、まだ揺れがあるところです(現状「琴」が出てくる本文の写本が少ないとしても)。
そのような中、香雪本の伊勢物語絵において、妹が兄と対峙しつつ琴を弾く様子を描いているのは、『源氏物語』の記述そのままのありようで、大変興味深いものです。時代は、少し下るでしょうが、これまでの伊勢絵とは違っていて、面白かったです。
気づけば、展示は今日までですが(お知らせ遅くてすみません)、上記の絵は、香雪美術館所蔵の作品なので、きっとまた近いうちに、展示されることを期待しています。
その後、ぼちぼち人が集まり、発表を始めることができましたが、それほど遅い時間の試合でもなかったので、「興奮冷めやらず寝られなくなった?」「応援疲れ?」など、皆、いろいろ心配しあっていました。
まあ、そんな日もありますね(とはいえ、いつも通り、遅刻は遅刻、欠席は欠席でカウントしています)。
さて、『伊勢物語』と言えば、早くから「恋のバイブル」のように、『源氏物語』や『狭衣物語』中に引用され、物語中の主人公が伊勢物語絵を見ているうちに、告白してしまうという、古くから、恋の魔力(?)を持つ作品です。
授業でも、『伊勢物語』の講義をしていると、なぜか「コメントペーパー」に恋の話を書く学生が増えますし、最近も、上記の演習授業で恋バナを聞きました。物語が実際、「触媒」のようになることが多くて、面白いです。
そういえば先月末、大学祭の休みを利用して、大阪市の中之島香雪美術館の展示に行ってきたのですが、ここの『伊勢物語』絵の展示が、まあとても充実していて、本当に見ごたえがありました。
EPSON014
(チラシの表紙、これだけでもかなり贅沢に絵が使われています)
EPSON015
(チラシの裏。第49段、琴の記述が見える写本と伊勢絵(中央)が今回のメインです)
『伊勢物語』49段では、兄から異母妹への愛の告白と、その告白を受けた妹の返歌が記されています。ここでは兄の歌が「聞こえけり」(申し上げた)とあることから、身分の異なる腹違いの兄妹と考えられています。*当時、異母きょうだいは結婚できました(×ばつ)。
むかし、男、妹のいとをかしげなりけるを見をりて、
(兄)うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ
と聞えけり。返し、
(妹)初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな
男は、妹がたいそう美しい様子を見て、思わず「ねよげに見ゆる」(添い寝をしたく思われる)と己の気持ちを打ち明けてしまいます。そこには「人の結ばむことを」とあるように、他の男にとられるのが恨めしい、と思ったことが契機でしょうか。
一方、突然のことに妹は、「初草のように珍しく思いもよらないあなたの言葉ですこと。そのようなあなたを兄として信じ切っていたのでした」と素直に感情を吐露しています。まだ男女の関係に慣れていないとはいえ、相手の意を言葉で受けつつ、私にはなかった「うら」(心の隔て)があなたには(隠された想いとして)「あった」とうまく切り返しています。
この段は、後世の作品においても、兄から妹(姉)への恋心を表す際、繰り返し引用されるモチーフとなります。『源氏物語』若紫巻に描かれる若紫(後の紫の上)と光源氏の関係(こちらは疑似兄妹)にも影響を与えているでしょう。
ただこの49段には、「いとをかしげなりけるを見をりて」の異文として、「いとおかしげなるきむ(琴)をしらぶとて」があり、実は、このように『伊勢』49段に琴が登場する本文は『源氏物語』総角巻に見えます。
在五が物語描きて、妹に琴教へたるところの、「人の結ばん」と言ひたるを見て一方、突然のことに妹は、「初草のように珍しく思いもよらないあなたの言葉ですこと。そのようなあなたを兄として信じ切っていたのでした」と素直に感情を吐露しています。まだ男女の関係に慣れていないとはいえ、相手の意を言葉で受けつつ、私にはなかった「うら」(心の隔て)があなたには(隠された想いとして)「あった」とうまく切り返しています。
この段は、後世の作品においても、兄から妹(姉)への恋心を表す際、繰り返し引用されるモチーフとなります。『源氏物語』若紫巻に描かれる若紫(後の紫の上)と光源氏の関係(こちらは疑似兄妹)にも影響を与えているでしょう。
ただこの49段には、「いとをかしげなりけるを見をりて」の異文として、「いとおかしげなるきむ(琴)をしらぶとて」があり、実は、このように『伊勢』49段に琴が登場する本文は『源氏物語』総角巻に見えます。
「在五が物語」とは「在原氏の五男である業平の物語」つまり『伊勢物語』を指しますが、ここで、このような伊勢絵を見て触発された匂宮(光源氏孫)が、この後、姉である女一の宮に戯れの恋心を示します。
『伊勢物語』において、どちらの本文が元々のものであったのかは、まだ揺れがあるところです(現状「琴」が出てくる本文の写本が少ないとしても)。
そのような中、香雪本の伊勢物語絵において、妹が兄と対峙しつつ琴を弾く様子を描いているのは、『源氏物語』の記述そのままのありようで、大変興味深いものです。時代は、少し下るでしょうが、これまでの伊勢絵とは違っていて、面白かったです。
気づけば、展示は今日までですが(お知らせ遅くてすみません)、上記の絵は、香雪美術館所蔵の作品なので、きっとまた近いうちに、展示されることを期待しています。