さなぎ日記:あさなぎクリニック心療内科のブログです。こころの健康、コミュニケーション、おいしいお店や、映画のことも。

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勉強神話

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義務教育とは、「子供が(希望するなら)教育が受けられるようにしなさい」(「義務教育~不登校」参照)と、国や保護者などに命じるものです。「子供には教育を受ける義務がある」のではありません。それなのに、不登校の子供の多くは、学校に行かないのは悪いことだと感じています。そんなことはありません。「学校は行かなくてはならないもの」ではありません。これが大前提です。いじめや無視があれば、学校へ行きたくても行け...全文を表示
義務教育とは、



義務教育


「子供が(希望するなら)教育が受けられるようにしなさい」(「義務教育~不登校」参照)

と、国や保護者などに命じるものです。「子供には教育を受ける義務がある」のではありません。それなのに、不登校の子供の多くは、学校に行かないのは悪いことだと感じています。

そんなことはありません。「学校は行かなくてはならないもの」ではありません。これが大前提です。いじめや無視があれば、学校へ行きたくても行けないのは当然です。

会社員や学校の先生が、パワハラやセクハラで体調を崩せば、診断書を提出して仕事を休み、復帰にあたってはストレスの少ない部署に異動するなどの処置をとります。営業が向いてなければ、内勤に異動したり、管理的な業務が不得手ならば、現場の勤務に戻ったりするでしょう。

それに人には向き不向きがありますよね。これはことの良し悪しとは別物です。

ところがとんでもないことに、日本の場合(外国のことは知りませんが)、中学までは(高校も、最近では大学も?)全員が同じことを習うことになっています(文科省が決めているんでしたっけ)。多くの人が無批判に受け入れていると思いますが、これっておかしくはないでしょうか。

人には得意不得意があるのに、全員に同じ勉強をさせてテストをして、出来ない人には劣等生の烙印が押されます。やりたくもないことや、苦手なことをやらされて、出来が良くないと「努力が足りない」とか言われて、悪者扱いされます。

そんな扱いをされて、やる気になるような子供がいるはずがありません。悪いこともしてないのに、怒られて、劣等感を植え付けられます。これでは自信を失うだけですよね。

数字が苦手な人に会計事務所で働けとか、人付き合いが苦手な人に営業をしろとか、方向音痴の人にタクシー運転手をしろと言ったって無理です。

大人だって無理なんだから、中学生や高校生にそんな無理なことをしろと命じる方がおかしいです。小学校から中学(高校)までの教育は、平等のはきちがえではないでしょうか。子供の能力に合った教育が受けられるようにするのが、本来の意味での平等だと思います。

そんな教育の成果は、嫌なことでも文句も言わずに黙々とやる人を生み出すことのように思えます。最近では企業もそんな人材を、非正規労働者として求めているふしもあります。

「少しでも偏差値の高い学校に行けば、幸せな人生が約束される」という根拠の乏しい「勉強神話」に疑問を持たないご両親は、未だに少なくありません(受験産業による洗脳かも)。それでお子さんのお尻を必死に叩いて、苦手科目を克服させようとします。

ところがそうやってやっと大学に入学して、3年生になって就活をしようとすると、学歴がいかに役に立たないかという現実に突き当たります。

「これだったら好きなことをやっていれば良かった」。これが、多くの学生の本音でなないでしょうか。

得意なことなら能力は伸びますが、苦手なことをやっても時間ばかりかかって非効率です。成果が上がらなければ、自分はダメだと落ち込むでしょう。本田圭佑さんに、君はサッカーは得意だけれど、国語が苦手(仮にです)だから、これからはサッカーはやめて国語だけ勉強しなさいと言うようなものです。


<自分の長所を伸ばしましょう。苦手なことは得意な人にやってもらえばいいじゃないですか。世の中はそうやって成り立っているんですよね。なんだかちょっと興奮して書いてしましました。悪しからず>




義務教育とは、



義務教育


「子供が(希望するなら)教育が受けられるようにしなさい」(「義務教育~不登校」参照)

と、国や保護者などに命じるものです。「子供には教育を受ける義務がある」のではありません。それなのに、不登校の子供の多くは、学校に行かないのは悪いことだと感じています。

そんなことはありません。「学校は行かなくてはならないもの」ではありません。これが大前提です。いじめや無視があれば、学校へ行きたくても行けないのは当然です。

会社員や学校の先生が、パワハラやセクハラで体調を崩せば、診断書を提出して仕事を休み、復帰にあたってはストレスの少ない部署に異動するなどの処置をとります。営業が向いてなければ、内勤に異動したり、管理的な業務が不得手ならば、現場の勤務に戻ったりするでしょう。

それに人には向き不向きがありますよね。これはことの良し悪しとは別物です。

ところがとんでもないことに、日本の場合(外国のことは知りませんが)、中学までは(高校も、最近では大学も?)全員が同じことを習うことになっています(文科省が決めているんでしたっけ)。多くの人が無批判に受け入れていると思いますが、これっておかしくはないでしょうか。

人には得意不得意があるのに、全員に同じ勉強をさせてテストをして、出来ない人には劣等生の烙印が押されます。やりたくもないことや、苦手なことをやらされて、出来が良くないと「努力が足りない」とか言われて、悪者扱いされます。

そんな扱いをされて、やる気になるような子供がいるはずがありません。悪いこともしてないのに、怒られて、劣等感を植え付けられます。これでは自信を失うだけですよね。

数字が苦手な人に会計事務所で働けとか、人付き合いが苦手な人に営業をしろとか、方向音痴の人にタクシー運転手をしろと言ったって無理です。

大人だって無理なんだから、中学生や高校生にそんな無理なことをしろと命じる方がおかしいです。小学校から中学(高校)までの教育は、平等のはきちがえではないでしょうか。子供の能力に合った教育が受けられるようにするのが、本来の意味での平等だと思います。

そんな教育の成果は、嫌なことでも文句も言わずに黙々とやる人を生み出すことのように思えます。最近では企業もそんな人材を、非正規労働者として求めているふしもあります。

「少しでも偏差値の高い学校に行けば、幸せな人生が約束される」という根拠の乏しい「勉強神話」に疑問を持たないご両親は、未だに少なくありません(受験産業による洗脳かも)。それでお子さんのお尻を必死に叩いて、苦手科目を克服させようとします。

ところがそうやってやっと大学に入学して、3年生になって就活をしようとすると、学歴がいかに役に立たないかという現実に突き当たります。

「これだったら好きなことをやっていれば良かった」。これが、多くの学生の本音でなないでしょうか。

得意なことなら能力は伸びますが、苦手なことをやっても時間ばかりかかって非効率です。成果が上がらなければ、自分はダメだと落ち込むでしょう。本田圭佑さんに、君はサッカーは得意だけれど、国語が苦手(仮にです)だから、これからはサッカーはやめて国語だけ勉強しなさいと言うようなものです。


<自分の長所を伸ばしましょう。苦手なことは得意な人にやってもらえばいいじゃないですか。世の中はそうやって成り立っているんですよね。なんだかちょっと興奮して書いてしましました。悪しからず>




コメント 1

桜子

『苦手なことは得意な人にやってもらえば良い』全くその通りだと思います
苦手なことをやっても上手くできなくて自信をなくして自分が惨めになりました(T_T)
好きな事はやっていて楽しいし、大変だと思わない。反田先生にはいつも「ほどほどに」と言われてしまいますが...

  • 2014年02月12日 (Wed) 09:27
  • REPLY

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