最近のこころの病気について。
あさなぎクリニックに来院する患者さんは、新型うつ病がとても多いです。女性の場合には特にそうです。以下は、何の裏付けもない僕の感想です。いろいろなバイアスがかかっていると思います。新型うつ病は以前は神経症性うつ病と言われていました。この場合、転移性の治癒(プラセボ効果も含まれるでしょう)が多いように思います。もちろんこれでよって良くなった場合には、症状の変動も大きいですが。<最近、プラセボ的な効果は...全文を表示
あさなぎクリニックに来院する患者さんは、新型うつ病がとても多いです。女性の場合には特にそうです。
以下は、何の裏付けもない僕の感想です。いろいろなバイアスがかかっていると思います。
新型うつ病は以前は神経症性うつ病と言われていました。この場合、転移性の治癒(プラセボ効果も含まれるでしょう)が多いように思います。もちろんこれでよって良くなった場合には、症状の変動も大きいですが。
<最近、プラセボ的な効果は実は侮れないと思っています>
男女ともに解離症状が多いです。胸に何かがつかえていて空気が吸えない人や、胸に違和感のある人、悲しくないのに号泣する人も、逸脱した行動の理由をまったく説明できない人もとても多いです。
抑圧のように、心の箍(タガ)を必要とするような防衛機制は、現在では例外的なのかもしれません。
自己と対象をall goodとall badに分ける、スプリッティングと呼ばれる防衛機制(境界例=ボーダーラインに特徴的でした)も少なくなったように思います。激しいアクティングアウト(=行動化)はめっきり減りました。
<かつては、それこそ燎原之火のごとくに猛威をふるっていました>
スプリッティングにも、ある程度他者に期待すること(ある程度他者とコミュニケーションがとれていること)ができることが前提なのかもしれません。相手に多くを期待しないと、他人を巻き込むこともしないのかもしれません。
<境界例の原因は幼い頃の分離個体化の障害だ、という発達心理学の考えを踏まえると、行動化がないということは、それを刺激する「見捨てられ不安」ないことの反映かもしれません。再接近期が危機になるのには、母子の蜜月が必要でしょうから、それを欠いているとは考えられないでしょうか>
昨日まで一見仲が良く、まったくケンカもしなかったのに、いきなり別れる男女も多いです。まさにリセットという感覚ですね。
ほんの些細なことで大きく傷つく人が多く、ケンカするくらいだったらさっさ別れた方がいいというように見えます。
摂食障害は少なくありませんが、以前のような女性性の拒否がテーマの典型的な患者さんは減っているように感じます。
統合失調症の症状も軽くなったように感じます。幻聴があってもそれと距離がとれて、感情を左右されない方が増えたような印象もあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何となく世の中全体が「解離」しているようにも感じます。口当たりのいい言葉が氾濫していますが、多くの人はそれを信じていないし、だからと言ってそれ反対もせず、そういうものだと思って諦めてているようにも見えます。スタンダードが複数あるというか。
意見が違っているのに対立しない世界です。棲み分けということでしょう。棲み分けとは一種の解離した世界ですよね。草食動物の世界です。それも悪くは無いようにも思います。そればかりでは困りますが。
以下は、何の裏付けもない僕の感想です。いろいろなバイアスがかかっていると思います。
新型うつ病は以前は神経症性うつ病と言われていました。この場合、転移性の治癒(プラセボ効果も含まれるでしょう)が多いように思います。もちろんこれでよって良くなった場合には、症状の変動も大きいですが。
<最近、プラセボ的な効果は実は侮れないと思っています>
男女ともに解離症状が多いです。胸に何かがつかえていて空気が吸えない人や、胸に違和感のある人、悲しくないのに号泣する人も、逸脱した行動の理由をまったく説明できない人もとても多いです。
抑圧のように、心の箍(タガ)を必要とするような防衛機制は、現在では例外的なのかもしれません。
自己と対象をall goodとall badに分ける、スプリッティングと呼ばれる防衛機制(境界例=ボーダーラインに特徴的でした)も少なくなったように思います。激しいアクティングアウト(=行動化)はめっきり減りました。
<かつては、それこそ燎原之火のごとくに猛威をふるっていました>
スプリッティングにも、ある程度他者に期待すること(ある程度他者とコミュニケーションがとれていること)ができることが前提なのかもしれません。相手に多くを期待しないと、他人を巻き込むこともしないのかもしれません。
<境界例の原因は幼い頃の分離個体化の障害だ、という発達心理学の考えを踏まえると、行動化がないということは、それを刺激する「見捨てられ不安」ないことの反映かもしれません。再接近期が危機になるのには、母子の蜜月が必要でしょうから、それを欠いているとは考えられないでしょうか>
昨日まで一見仲が良く、まったくケンカもしなかったのに、いきなり別れる男女も多いです。まさにリセットという感覚ですね。
ほんの些細なことで大きく傷つく人が多く、ケンカするくらいだったらさっさ別れた方がいいというように見えます。
摂食障害は少なくありませんが、以前のような女性性の拒否がテーマの典型的な患者さんは減っているように感じます。
統合失調症の症状も軽くなったように感じます。幻聴があってもそれと距離がとれて、感情を左右されない方が増えたような印象もあります。
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何となく世の中全体が「解離」しているようにも感じます。口当たりのいい言葉が氾濫していますが、多くの人はそれを信じていないし、だからと言ってそれ反対もせず、そういうものだと思って諦めてているようにも見えます。スタンダードが複数あるというか。
意見が違っているのに対立しない世界です。棲み分けということでしょう。棲み分けとは一種の解離した世界ですよね。草食動物の世界です。それも悪くは無いようにも思います。そればかりでは困りますが。
あさなぎクリニックに来院する患者さんは、新型うつ病がとても多いです。女性の場合には特にそうです。
以下は、何の裏付けもない僕の感想です。いろいろなバイアスがかかっていると思います。
新型うつ病は以前は神経症性うつ病と言われていました。この場合、転移性の治癒(プラセボ効果も含まれるでしょう)が多いように思います。もちろんこれでよって良くなった場合には、症状の変動も大きいですが。
<最近、プラセボ的な効果は実は侮れないと思っています>
男女ともに解離症状が多いです。胸に何かがつかえていて空気が吸えない人や、胸に違和感のある人、悲しくないのに号泣する人も、逸脱した行動の理由をまったく説明できない人もとても多いです。
抑圧のように、心の箍(タガ)を必要とするような防衛機制は、現在では例外的なのかもしれません。
自己と対象をall goodとall badに分ける、スプリッティングと呼ばれる防衛機制(境界例=ボーダーラインに特徴的でした)も少なくなったように思います。激しいアクティングアウト(=行動化)はめっきり減りました。
<かつては、それこそ燎原之火のごとくに猛威をふるっていました>
スプリッティングにも、ある程度他者に期待すること(ある程度他者とコミュニケーションがとれていること)ができることが前提なのかもしれません。相手に多くを期待しないと、他人を巻き込むこともしないのかもしれません。
<境界例の原因は幼い頃の分離個体化の障害だ、という発達心理学の考えを踏まえると、行動化がないということは、それを刺激する「見捨てられ不安」ないことの反映かもしれません。再接近期が危機になるのには、母子の蜜月が必要でしょうから、それを欠いているとは考えられないでしょうか>
昨日まで一見仲が良く、まったくケンカもしなかったのに、いきなり別れる男女も多いです。まさにリセットという感覚ですね。
ほんの些細なことで大きく傷つく人が多く、ケンカするくらいだったらさっさ別れた方がいいというように見えます。
摂食障害は少なくありませんが、以前のような女性性の拒否がテーマの典型的な患者さんは減っているように感じます。
統合失調症の症状も軽くなったように感じます。幻聴があってもそれと距離がとれて、感情を左右されない方が増えたような印象もあります。
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何となく世の中全体が「解離」しているようにも感じます。口当たりのいい言葉が氾濫していますが、多くの人はそれを信じていないし、だからと言ってそれ反対もせず、そういうものだと思って諦めてているようにも見えます。スタンダードが複数あるというか。
意見が違っているのに対立しない世界です。棲み分けということでしょう。棲み分けとは一種の解離した世界ですよね。草食動物の世界です。それも悪くは無いようにも思います。そればかりでは困りますが。
以下は、何の裏付けもない僕の感想です。いろいろなバイアスがかかっていると思います。
新型うつ病は以前は神経症性うつ病と言われていました。この場合、転移性の治癒(プラセボ効果も含まれるでしょう)が多いように思います。もちろんこれでよって良くなった場合には、症状の変動も大きいですが。
<最近、プラセボ的な効果は実は侮れないと思っています>
男女ともに解離症状が多いです。胸に何かがつかえていて空気が吸えない人や、胸に違和感のある人、悲しくないのに号泣する人も、逸脱した行動の理由をまったく説明できない人もとても多いです。
抑圧のように、心の箍(タガ)を必要とするような防衛機制は、現在では例外的なのかもしれません。
自己と対象をall goodとall badに分ける、スプリッティングと呼ばれる防衛機制(境界例=ボーダーラインに特徴的でした)も少なくなったように思います。激しいアクティングアウト(=行動化)はめっきり減りました。
<かつては、それこそ燎原之火のごとくに猛威をふるっていました>
スプリッティングにも、ある程度他者に期待すること(ある程度他者とコミュニケーションがとれていること)ができることが前提なのかもしれません。相手に多くを期待しないと、他人を巻き込むこともしないのかもしれません。
<境界例の原因は幼い頃の分離個体化の障害だ、という発達心理学の考えを踏まえると、行動化がないということは、それを刺激する「見捨てられ不安」ないことの反映かもしれません。再接近期が危機になるのには、母子の蜜月が必要でしょうから、それを欠いているとは考えられないでしょうか>
昨日まで一見仲が良く、まったくケンカもしなかったのに、いきなり別れる男女も多いです。まさにリセットという感覚ですね。
ほんの些細なことで大きく傷つく人が多く、ケンカするくらいだったらさっさ別れた方がいいというように見えます。
摂食障害は少なくありませんが、以前のような女性性の拒否がテーマの典型的な患者さんは減っているように感じます。
統合失調症の症状も軽くなったように感じます。幻聴があってもそれと距離がとれて、感情を左右されない方が増えたような印象もあります。
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何となく世の中全体が「解離」しているようにも感じます。口当たりのいい言葉が氾濫していますが、多くの人はそれを信じていないし、だからと言ってそれ反対もせず、そういうものだと思って諦めてているようにも見えます。スタンダードが複数あるというか。
意見が違っているのに対立しない世界です。棲み分けということでしょう。棲み分けとは一種の解離した世界ですよね。草食動物の世界です。それも悪くは無いようにも思います。そればかりでは困りますが。