「現代型うつ病」
いわゆる「現代型うつ病」について。従来型(=古典的)のうつ病は、几帳面で責任感が強く真面目といった特徴(=メランコリー親和型の病前性格と言います)の方が、背負い切れない仕事を抱えて発病するというのが典型的でした。これまで、現代型のうつ病はあえて積極的には取り上げませんでした。それは、「現在型うつ病」は、操作的な診断基準(=あてはまる症状をチェックして、いくつ以上ならうつ病と判断する方法です。DSM...全文を表示
いわゆる「現代型うつ病」について。
従来型(=古典的)のうつ病は、几帳面で責任感が強く真面目といった特徴(=メランコリー親和型の病前性格と言います)の方が、背負い切れない仕事を抱えて発病するというのが典型的でした。
これまで、現代型のうつ病はあえて積極的には取り上げませんでした。
それは、「現在型うつ病」は、操作的な診断基準(=あてはまる症状をチェックして、いくつ以上ならうつ病と判断する方法です。DSMなどがそうです)によって、うつ病と診断されたとしても、従来型のうつ病とは別の病気(かつての神経症性のうつなど)だろうという思いが強かったからです。
<現代型うつ病の方は、過食や、過眠(あるいは朝起きられない)の方も多いです。以前は、眠れて食べられていれば大丈夫ですよ、と言っていましたが、必ずしもこれは当たらなくなりました>
操作的な診断基準の問題点の一つは、病気になる原因(=病因論と言います)を問わないことです。病院論とはたとえて言えば、同じ足の骨折でもスポーツで折ったか、交通事故で折ったかを区別することです。原因ごとに予防の仕方も変わってきますよね。
とはいうものの、これだけ数が増えていると無視できません。最近ではむしろ従来型のうつ病の方が少なくなりました。昔ながらのうつ病の方を見るとむしろホッとします。
誤解を恐れずに言うならば、
現代型のうつ病は、大人になりきれていない人のように見えます。これは、現代の日本の社会全体が子供っぽくなっていることの反映かもしれません。
現代社会は、管理の方法が洗練されて、無用な軋轢がないようなシステムが組まれています。人が一々考えなくてもいいように、詳細なマニュアルが作られています。人々はマニュアルに沿って仕事を仕事をすすます。管理する側にとっても、そういう均質な集団は好都合でしょう。
これによって起きる問題は、
・他人と直接話しあって意見を交換したり、食い違った意見の中から妥協点を見つけたりする訓練が足りなくなります。自分と違う考えに触れることが少ないと、常に自分の考えが正しいと思うようになり、自己愛が大きくなるでしょう。これは、根拠の乏しいプライドへと通じていて、ちょっと違いを指摘されても傷ついてしまうかもしれません。
・マニュアルを与えてもらわないと動けなくなるでしょう。また、人に教えてもらうのが当然と思うようになるかもしれません。
<かつて教えてもらえるということは特別な好意によってでした。無料で教えてくれるのは、教える側が得をするのではないかと疑った方がいいかもしれません。本当に価値あることはそうそうタダでは教えてはくれないものです。こういうものは本来はギブ&テイクでしょう>
ということがあるでしょう。
従来型のうつ病は、薬も効果があるし、患者さんの考え方を少々変えてもらうことで再発を防ぐことも出来ましたが、現代型のうつ病はこの戦略が通用しません。薬の効果も限定的なように感じます。
正攻法としては、傷つきやすい自己愛を保護しながら、上手に仕事を教えて、成功体験を積み重ねさせることで本物の自信をつける、ということになるでしょうか。従来型のうつ病のように、いたずらに休息を取るよりも、規則正しい生活リズムをつける方が大切でしょう。
また、与えられる喜びよりも、自分が主体となって得られる小さな喜びを体験することが大切なような気がします。
これは少々これまでの医療の範囲を越えているような気がします。この点では、カウンセリングなどの心理療法が有用でしょう。
職場の上司は、以前のようなぶっきらぼうな応対をすると、パワハラと言われかねないので注意が必要です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
現代型うつ病に関しては、意見がまだまとまっていない段階です。上の考察は、うつ病の範囲が広がったために、かつてはうつ病でなかったものがうつ病と診断されている、という観点からのものです。
これとは別の考え方もできます。
かつては従来型(古典的)なうつ病になるような素因を持った方が、社会構造の変化によって、違った形でうつ病を発症しているという場合もあるでしょう。この場合には発病状況や症状は従来と違っていても、抗うつ薬を中心とした治療も一定の効果があるのではないでしょうか。
「現代型」といって特別視する段階はもう過ぎたと思います。
こんな風に時代によって病気が変化するところが、この分野の興味深いところです。
従来型(=古典的)のうつ病は、几帳面で責任感が強く真面目といった特徴(=メランコリー親和型の病前性格と言います)の方が、背負い切れない仕事を抱えて発病するというのが典型的でした。
これまで、現代型のうつ病はあえて積極的には取り上げませんでした。
それは、「現在型うつ病」は、操作的な診断基準(=あてはまる症状をチェックして、いくつ以上ならうつ病と判断する方法です。DSMなどがそうです)によって、うつ病と診断されたとしても、従来型のうつ病とは別の病気(かつての神経症性のうつなど)だろうという思いが強かったからです。
<現代型うつ病の方は、過食や、過眠(あるいは朝起きられない)の方も多いです。以前は、眠れて食べられていれば大丈夫ですよ、と言っていましたが、必ずしもこれは当たらなくなりました>
操作的な診断基準の問題点の一つは、病気になる原因(=病因論と言います)を問わないことです。病院論とはたとえて言えば、同じ足の骨折でもスポーツで折ったか、交通事故で折ったかを区別することです。原因ごとに予防の仕方も変わってきますよね。
とはいうものの、これだけ数が増えていると無視できません。最近ではむしろ従来型のうつ病の方が少なくなりました。昔ながらのうつ病の方を見るとむしろホッとします。
誤解を恐れずに言うならば、
現代型のうつ病は、大人になりきれていない人のように見えます。これは、現代の日本の社会全体が子供っぽくなっていることの反映かもしれません。
現代社会は、管理の方法が洗練されて、無用な軋轢がないようなシステムが組まれています。人が一々考えなくてもいいように、詳細なマニュアルが作られています。人々はマニュアルに沿って仕事を仕事をすすます。管理する側にとっても、そういう均質な集団は好都合でしょう。
これによって起きる問題は、
・他人と直接話しあって意見を交換したり、食い違った意見の中から妥協点を見つけたりする訓練が足りなくなります。自分と違う考えに触れることが少ないと、常に自分の考えが正しいと思うようになり、自己愛が大きくなるでしょう。これは、根拠の乏しいプライドへと通じていて、ちょっと違いを指摘されても傷ついてしまうかもしれません。
・マニュアルを与えてもらわないと動けなくなるでしょう。また、人に教えてもらうのが当然と思うようになるかもしれません。
<かつて教えてもらえるということは特別な好意によってでした。無料で教えてくれるのは、教える側が得をするのではないかと疑った方がいいかもしれません。本当に価値あることはそうそうタダでは教えてはくれないものです。こういうものは本来はギブ&テイクでしょう>
ということがあるでしょう。
従来型のうつ病は、薬も効果があるし、患者さんの考え方を少々変えてもらうことで再発を防ぐことも出来ましたが、現代型のうつ病はこの戦略が通用しません。薬の効果も限定的なように感じます。
正攻法としては、傷つきやすい自己愛を保護しながら、上手に仕事を教えて、成功体験を積み重ねさせることで本物の自信をつける、ということになるでしょうか。従来型のうつ病のように、いたずらに休息を取るよりも、規則正しい生活リズムをつける方が大切でしょう。
また、与えられる喜びよりも、自分が主体となって得られる小さな喜びを体験することが大切なような気がします。
これは少々これまでの医療の範囲を越えているような気がします。この点では、カウンセリングなどの心理療法が有用でしょう。
職場の上司は、以前のようなぶっきらぼうな応対をすると、パワハラと言われかねないので注意が必要です。
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現代型うつ病に関しては、意見がまだまとまっていない段階です。上の考察は、うつ病の範囲が広がったために、かつてはうつ病でなかったものがうつ病と診断されている、という観点からのものです。
これとは別の考え方もできます。
かつては従来型(古典的)なうつ病になるような素因を持った方が、社会構造の変化によって、違った形でうつ病を発症しているという場合もあるでしょう。この場合には発病状況や症状は従来と違っていても、抗うつ薬を中心とした治療も一定の効果があるのではないでしょうか。
「現代型」といって特別視する段階はもう過ぎたと思います。
こんな風に時代によって病気が変化するところが、この分野の興味深いところです。
いわゆる「現代型うつ病」について。
従来型(=古典的)のうつ病は、几帳面で責任感が強く真面目といった特徴(=メランコリー親和型の病前性格と言います)の方が、背負い切れない仕事を抱えて発病するというのが典型的でした。
これまで、現代型のうつ病はあえて積極的には取り上げませんでした。
それは、「現在型うつ病」は、操作的な診断基準(=あてはまる症状をチェックして、いくつ以上ならうつ病と判断する方法です。DSMなどがそうです)によって、うつ病と診断されたとしても、従来型のうつ病とは別の病気(かつての神経症性のうつなど)だろうという思いが強かったからです。
<現代型うつ病の方は、過食や、過眠(あるいは朝起きられない)の方も多いです。以前は、眠れて食べられていれば大丈夫ですよ、と言っていましたが、必ずしもこれは当たらなくなりました>
操作的な診断基準の問題点の一つは、病気になる原因(=病因論と言います)を問わないことです。病院論とはたとえて言えば、同じ足の骨折でもスポーツで折ったか、交通事故で折ったかを区別することです。原因ごとに予防の仕方も変わってきますよね。
とはいうものの、これだけ数が増えていると無視できません。最近ではむしろ従来型のうつ病の方が少なくなりました。昔ながらのうつ病の方を見るとむしろホッとします。
誤解を恐れずに言うならば、
現代型のうつ病は、大人になりきれていない人のように見えます。これは、現代の日本の社会全体が子供っぽくなっていることの反映かもしれません。
現代社会は、管理の方法が洗練されて、無用な軋轢がないようなシステムが組まれています。人が一々考えなくてもいいように、詳細なマニュアルが作られています。人々はマニュアルに沿って仕事を仕事をすすます。管理する側にとっても、そういう均質な集団は好都合でしょう。
これによって起きる問題は、
・他人と直接話しあって意見を交換したり、食い違った意見の中から妥協点を見つけたりする訓練が足りなくなります。自分と違う考えに触れることが少ないと、常に自分の考えが正しいと思うようになり、自己愛が大きくなるでしょう。これは、根拠の乏しいプライドへと通じていて、ちょっと違いを指摘されても傷ついてしまうかもしれません。
・マニュアルを与えてもらわないと動けなくなるでしょう。また、人に教えてもらうのが当然と思うようになるかもしれません。
<かつて教えてもらえるということは特別な好意によってでした。無料で教えてくれるのは、教える側が得をするのではないかと疑った方がいいかもしれません。本当に価値あることはそうそうタダでは教えてはくれないものです。こういうものは本来はギブ&テイクでしょう>
ということがあるでしょう。
従来型のうつ病は、薬も効果があるし、患者さんの考え方を少々変えてもらうことで再発を防ぐことも出来ましたが、現代型のうつ病はこの戦略が通用しません。薬の効果も限定的なように感じます。
正攻法としては、傷つきやすい自己愛を保護しながら、上手に仕事を教えて、成功体験を積み重ねさせることで本物の自信をつける、ということになるでしょうか。従来型のうつ病のように、いたずらに休息を取るよりも、規則正しい生活リズムをつける方が大切でしょう。
また、与えられる喜びよりも、自分が主体となって得られる小さな喜びを体験することが大切なような気がします。
これは少々これまでの医療の範囲を越えているような気がします。この点では、カウンセリングなどの心理療法が有用でしょう。
職場の上司は、以前のようなぶっきらぼうな応対をすると、パワハラと言われかねないので注意が必要です。
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現代型うつ病に関しては、意見がまだまとまっていない段階です。上の考察は、うつ病の範囲が広がったために、かつてはうつ病でなかったものがうつ病と診断されている、という観点からのものです。
これとは別の考え方もできます。
かつては従来型(古典的)なうつ病になるような素因を持った方が、社会構造の変化によって、違った形でうつ病を発症しているという場合もあるでしょう。この場合には発病状況や症状は従来と違っていても、抗うつ薬を中心とした治療も一定の効果があるのではないでしょうか。
「現代型」といって特別視する段階はもう過ぎたと思います。
こんな風に時代によって病気が変化するところが、この分野の興味深いところです。
従来型(=古典的)のうつ病は、几帳面で責任感が強く真面目といった特徴(=メランコリー親和型の病前性格と言います)の方が、背負い切れない仕事を抱えて発病するというのが典型的でした。
これまで、現代型のうつ病はあえて積極的には取り上げませんでした。
それは、「現在型うつ病」は、操作的な診断基準(=あてはまる症状をチェックして、いくつ以上ならうつ病と判断する方法です。DSMなどがそうです)によって、うつ病と診断されたとしても、従来型のうつ病とは別の病気(かつての神経症性のうつなど)だろうという思いが強かったからです。
<現代型うつ病の方は、過食や、過眠(あるいは朝起きられない)の方も多いです。以前は、眠れて食べられていれば大丈夫ですよ、と言っていましたが、必ずしもこれは当たらなくなりました>
操作的な診断基準の問題点の一つは、病気になる原因(=病因論と言います)を問わないことです。病院論とはたとえて言えば、同じ足の骨折でもスポーツで折ったか、交通事故で折ったかを区別することです。原因ごとに予防の仕方も変わってきますよね。
とはいうものの、これだけ数が増えていると無視できません。最近ではむしろ従来型のうつ病の方が少なくなりました。昔ながらのうつ病の方を見るとむしろホッとします。
誤解を恐れずに言うならば、
現代型のうつ病は、大人になりきれていない人のように見えます。これは、現代の日本の社会全体が子供っぽくなっていることの反映かもしれません。
現代社会は、管理の方法が洗練されて、無用な軋轢がないようなシステムが組まれています。人が一々考えなくてもいいように、詳細なマニュアルが作られています。人々はマニュアルに沿って仕事を仕事をすすます。管理する側にとっても、そういう均質な集団は好都合でしょう。
これによって起きる問題は、
・他人と直接話しあって意見を交換したり、食い違った意見の中から妥協点を見つけたりする訓練が足りなくなります。自分と違う考えに触れることが少ないと、常に自分の考えが正しいと思うようになり、自己愛が大きくなるでしょう。これは、根拠の乏しいプライドへと通じていて、ちょっと違いを指摘されても傷ついてしまうかもしれません。
・マニュアルを与えてもらわないと動けなくなるでしょう。また、人に教えてもらうのが当然と思うようになるかもしれません。
<かつて教えてもらえるということは特別な好意によってでした。無料で教えてくれるのは、教える側が得をするのではないかと疑った方がいいかもしれません。本当に価値あることはそうそうタダでは教えてはくれないものです。こういうものは本来はギブ&テイクでしょう>
ということがあるでしょう。
従来型のうつ病は、薬も効果があるし、患者さんの考え方を少々変えてもらうことで再発を防ぐことも出来ましたが、現代型のうつ病はこの戦略が通用しません。薬の効果も限定的なように感じます。
正攻法としては、傷つきやすい自己愛を保護しながら、上手に仕事を教えて、成功体験を積み重ねさせることで本物の自信をつける、ということになるでしょうか。従来型のうつ病のように、いたずらに休息を取るよりも、規則正しい生活リズムをつける方が大切でしょう。
また、与えられる喜びよりも、自分が主体となって得られる小さな喜びを体験することが大切なような気がします。
これは少々これまでの医療の範囲を越えているような気がします。この点では、カウンセリングなどの心理療法が有用でしょう。
職場の上司は、以前のようなぶっきらぼうな応対をすると、パワハラと言われかねないので注意が必要です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
現代型うつ病に関しては、意見がまだまとまっていない段階です。上の考察は、うつ病の範囲が広がったために、かつてはうつ病でなかったものがうつ病と診断されている、という観点からのものです。
これとは別の考え方もできます。
かつては従来型(古典的)なうつ病になるような素因を持った方が、社会構造の変化によって、違った形でうつ病を発症しているという場合もあるでしょう。この場合には発病状況や症状は従来と違っていても、抗うつ薬を中心とした治療も一定の効果があるのではないでしょうか。
「現代型」といって特別視する段階はもう過ぎたと思います。
こんな風に時代によって病気が変化するところが、この分野の興味深いところです。