<В МЯГКОМ НАРЯДЕ>(柔らかな装いで) / ウラジーミル・チュイコ氏提供写真

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(ウラジーミル・チュイコ氏提供写真)(<冬>より)

(注記) 雪の季節には、雪が色々と面白い様子を創り出すものです。
(注記) 木の枝が、柔らかな雪で出来た衣を被っているかのように見えます。「冬の森」らしい感じです。

Рассольник Ленинградский(ラッソーリニク・レニングラツキー)或いは単にРассольник(ラッソーリニク)(2018年11月21日)

料理に関して「何がお薦めか?」というようなお訊ねは、なかなかに高い頻度で出て来ます。が、「最も回答し悪い」というお訊ねかもしれません。

それでもサハリンでの食事に関して、「何がお薦めか?」というようなお訊ねを頂けば、「"飲む"ではなく"食べる"と表現するスープが美味しい」というお話しをすることが時々在ります。

スープというのは、「ロシア料理」と看板を出している場所に留まらず、他の色々な場所で、それこそ「普通の人が平日に思い付いてランチに立寄るような場所」に至るまで、随分と幅広く頂くことが出来ます。「一寸口に合わなかった...」という例外的なケースが無いとは断言出来ませんが、何処でも各種のスープには美味しいモノが多いように思います。

「近くの店で昼食を摂ろう」と街へ出てみると、昼食を主体に営業しているように見受けられる場所も見受けられますが、「夜に酒類も飲みながら、食事というのか、何かを摘まむ感じ」という店の"ランチ営業"という場所も見受けられます。

過日立寄ったのは、明らかにその「夜に酒類も飲みながら、食事というのか、何かを摘まむ感じ」という店―看板は"バー"(Бар)なのです。―で、少し前の週末の夜にバンド演奏が入っているというので聴きに出掛けたということも在った場所でした。外に出た時に少し近い辺りを通り掛かり、「あの店も"ランチ"をやっていた記憶が...」と寄ってみたのでした。

↓そこで頂いたのがこういうスープでした。
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↑頂いた後に持ち帰ったレシートには「Рассольник Ленинградский(ラッソーリニク・レニングラツキー) 120ルーブル」と在りましたが、これは単にРассольник(ラッソーリニク)と呼ばれることが多いスープです。

立寄った店では、サラダ、スープ、メイン料理、飲物と各々に2種類や3種類の選択肢が在って、その中から適当に選んで頂く料理を御願いするというスタイルです。料理の種類を限定して、安価に提供するようなことをしているのです。夜のイメージが強い店の"ランチ営業"では、意外に在るパターンかもしれません。

そしてここで選んだスープがРассольник(ラッソーリニク)でした。

Рассольник(ラッソーリニク)は「塩漬けキュウリが入ったスープ」ということになります。「塩漬け」と言っても、「寧ろピクルス?」という感じのモノが入っている例も多い感じです。

Рассольник(ラッソーリニク)というスープそのものは、随分と古くから親しまれているモノであるようです。Ленинградский(レニングラツキー)と言う場合には、「ソ連時代にレニングラードの流儀として普及したレシピ」ということらしいです。正直、「Рассольник(ラッソーリニク)とは?」とでもサハリンの人に訊ねれば「小さく刻んだキュウリが入っているスープ」という話しになるのですが、「Рассольник Ленинградский(ラッソーリニク・レニングラツキー)とは?」とでも訊ねると「Ленинградский(レニングラツキー)??」となる場合が殆どです。

Рассольник(ラッソーリニク)というスープは、塩漬けキュウリや他の様々な野菜、肉類(ハムやソーセージの場合も見受けられます)を細かく刻んだモノを沢山入れて、若干の香辛料も利いている感じの場合が殆どです。恐らくこれば「ソ連時代にレニングラードの流儀として普及したレシピ」ということなのだと思います。「何種類かのスープから好みのモノを選ぶ」ということになっていれば、Рассольник(ラッソーリニク)が選択肢に入っている場合は意外に多いようにも見受けられます。

多少熱いスープを、"飲む"というよりも"食べる"という感じで頂くのは、殊に寒い日には非常に好いものです。寒さが増して行く時季ですが、同時に「方々で頂くスープが殊更に美味しい」という時季と言えるかもしれません。

<ペプシ>...(2018年11月19日)

寒くなった戸外と暖房が効いた室内との温度差が開く程に、室内で喉が渇き易くなって、近所の店で飲料を求める頻度が高まりました。

↓そうした経過に関しては過日御紹介したところでした。
>>冷蔵庫にミネラルウォーター...(2018年11月13日)

↓こうした中、近所のスーパーで「少し変わっている?」と思ったモノが気になり、何となく求めてしまいました。
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近所のスーパーでは、画のような缶入清涼飲料は、冷蔵のケースでもない常温の陳列棚に随分色々と並んでいます。

右側の「何となく目に馴染んだ」というように感じられた<ペプシ>の直ぐ隣に、左の2種類の缶が並んだ状態で売られていました。

視たことが無いモノでしたが、筆記体のような調子の独特な書体でロゴマークが描かれている美しいデザインの缶に少し惹かれました。ロゴをよく視れば「PEPSI」(ペプシ)と在ります。右側の「何となく目に馴染んだ」というように感じられた<ペプシ>と同じです。

「どういうこと?」と思ったのですが、これは「往年のラベルやボトルの蓋」のデザインを採り入れた缶なのだそうです。左端が1950年代のデザイン、真中が1960年代のデザインとのことでした。その位旧いのであれば、全く視たことが無かったのも当然です。永い歴史を誇るメーカーの矜持が感じられる企画商品です。

所謂"コーラ"というモノに関して、ロシアで紹介されて販売されるようになった経過としては<ペプシ>が<コカコーラ>よりも先行しているようです。

1980年代末頃、「ソ連にもコーラは在るが、在るのは<ペプシ>」と言われていたのを聞いています。ソ連では1970年代に<ペプシ>が紹介され、1980年頃から販売されていたそうです。<コカコーラ>は1990年に差し掛かろうかというような頃に紹介されて、販売されるようになったようです。

現在、清涼飲料水が並んで売られているスーパーでは<ペプシ>も<コカコーラ>も色々と製品が販売されています。時々寄る飲食店では、筆者が視掛ける範囲で、<コカコーラ>系列の飲料を視掛ける機会の方が少し多いような気がします。

画に在る3本の缶は、左端が1950年代のデザイン、真中が1960年代のデザインということですが、「何となく目に馴染んだ」というように感じられた右のモノは1990年代のデザインということを後から知りました。これらを冷蔵庫で冷やし、順次試飲しました。味に差は在りませんでした。恐らく、缶のデザインを変えて製造しているというだけなのでしょう。

ロシア国外から入っているモノに関して、「世代を超えて愛される」と、こういうような企画商品が登場しているというのが、酷く面白いと思いました。

上空から望むネベリスク(2018年10月01日)

去る10月24日、ネベリスクの学校を訪ねて稚内とネベリスクとの交流に関連すること等を生徒の皆さんにお話しする機会が在りました。

>>ネベリスク:在ユジノサハリンスク日本国総領事館による<日本文化紹介事業>(2018年10月24日)

その話しの中、「稚内と東京との間は空路で2時間程度」という話題に至り、「空路で2時間程度と言えば、ユジノサハリンスクとウラジオストクとのフライトが似たような感じ」という話しになりました。

↓その「空路で2時間程度と言えば、ユジノサハリンスクとウラジオストクとのフライト」という話題の際に、ネベリスクの皆さんに披露した写真です。
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↑ウラジオストクを発って北上した飛行機が、サハリンを目掛けて日本海を渡る時、サハリン島の南西部上空を通ります。その時、眼下にネベリスクの街が視える場合が在るのです。

画は下の方が北寄りで、上の方が南寄りです。北寄りから南寄りへ、海岸に沿ってネベリスクの街が拡がっています。市街の南端の辺りを通り抜けた、ロパティノの海岸に在る旧い難船も画を拡大すると判ります。沖には、石炭関係と見受けられる大き目な船も航行中です。

こういう具合に、少し馴染みの在る場所を飛行機の窓から視るのは、少し面白いものです。

旧 王子製紙豊原工場(2018年11月18日)

↓過日、ミール通を少し北上した辺りに在る<文化センター"ローディナ">を訪ねました。
>>日本のピアニスト 日高志野 と<ユジノサハリンスク室内楽管弦楽団>との共演:<ロシアにおける日本年>の催事(2018年11月18日)

↓<文化センター"ローディナ">に関しては、前年の12月にも訪ねた経過が在り、特段に探すこともなく辿り着きました。
>><サハリンロシア民俗楽合唱団>(Сахалинский Русский Народный Хор) 『50年記念公演』(2017年12月14日)

しかし、雪が深くなり始めていた12月に訪ねた経過の故に、移動に少々時間を要していたので、何か「実際より遠い場所」のように錯覚していて、「演奏会の開演には余りにも時間が...」というタイミングで現地に辿り着きました。

↓そして思い出したのがここです。
>>旧 王子製紙豊原工場(2017年08月14日 & 17)

<文化センター"ローディナ">が在る辺りから、更に少しだけ北上し、西へ延びる道に入ると<旧 王子製紙豊原工場>が在ります。

↓工場のシンボルのような様相だったという"製薬塔"です。
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↑チップを加工して製紙を行っていく過程で使用する薬剤を生成するための施設だったそうです。

↓少し角度を変えて眺めてみました。
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<文化センター"ローディナ">での演奏会を前に、時間が在って少々足を延ばしましたが、タイミングとしては「これ以上暗くなると、やや近寄り悪い?」と思えるような、ギリギリなタイミングであったというように思いました。"製薬塔"の遺構が視える辺りは、街灯が整った道路際というのでもなく、少しだけ入り込んだ場所で、暗い時間帯は歩き悪いと見受けられます。

↓ミール通の、チェーンスーパーの脇から"製薬塔"が覗く場所も在ります。
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私事ですが、筆者の祖父母は昭和の始め頃に豊原に住んでいたそうです。母も「全く聞いたことが無い...」としていた豊原の話しを祖母から聞いたという機会が偶々在って判ったのですが、話しによれば祖父は「チップ工場で働いた」のだそうです。そんな話しが記憶に残っているので、「祖父母や、未だ幼児だった伯父が、この"製薬塔"を見上げながら暮らしていたのか?」等と考えてしまう場合も在ります。祖父母も伯父も他界して久しいのですが。

こうした古い時代の遺構に関しては、「土地に積み上げられた"時間"」を感じますが、夕暮れの光線の下でこういうモノを眺めると、酷く映えるような気もします。

Селёдки(セリョートキ)=ニシン:コルサコフの"老舗"<PINGUIN-BAR>(2018年11月17日)

色々な国や地域に「酒を造って嗜む」という文化が在る訳ですが、酒と併せて「定番な肴」というモノも発展します。

コルサコフには、「小規模な醸造を行って、出来たビールを供するビアバー、カフェを営む」という、サハリンでは比較的よく見受けられる業態の"草分け"のような存在かもしれない店、<PINGUIN-BAR>が在ります。オーストリアとロシアの合弁企業が運営し、「ドイツの流儀の美味いビール」を醸造し、販売しているのですが、ポピュラーな「定番な肴」も多々提供しています。

↓久し振りに立寄って、こういう具合なモノを頼んでみました。黒ビールと「定番な肴」を愉しみました。
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↑ビールには「ソーセージが合う?」と思って頼んだのですが、同時に「ニシン」も頼みました。ニシンは「大き目な1尾の半身」という感じでヴォリュームが在り、付け合せのジャガイモや豆、更にタマネギも付いて、なかなかに本格的でした。

ロシアでは「塩漬けのニシン」と言えば、「ビールやウォッカの肴はコレ!!」という感じで、なかなかにポピュラーです。サッパリした飲み口のビールには、濃い塩味のニシンが合うということなのでしょう。

北海道では<鰊切込>という、塩辛の一種を頂きますが、ロシアで頂く塩漬けニシンは、何処となくこの<鰊切込>を想起させるモノです。

「拘りの自家醸造ビール」を供する"老舗"の<PINGUIN-BAR>ですが、「定番の肴」であるニシンに関しても、なかなかに大きく立派なモノが供されていました。

↓ポピュラーな肴等の料理に関しては、不慣れな人でもモノをイメージし易いような、写真が入ったメニューで頼むことが出来ます。
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ビールを2杯も頂き、画のようなソーセージやニシンも頼むと、「千ルーブル紙幣を出して釣銭」という按配です。気分的には「何枚か千円紙幣を入れた財布をポケットに押し込んで街へ出て、千円紙幣で釣銭が出るような価格で、道草してビールを1杯頂いた」というような感じです。

こういう具合に、「手軽に"定番"な感じのモノを愉しむ」という場所は、サハリンの街には存外に多く在ります。

「籠に囚われた?」かのように見えたレーニン像...(2018年11月23日)

急速に「寒くなった...」と感じるのは、1日の最低気温のみではなく、1日の最高気温の方まで低くなっているからであろうと思い至ります。11月21日に雪が薄く積もり、友人や知人と出くわせば「寒い...」が挨拶代わりのようになっています。

↓そんな中、夕刻に通り掛ったユジノサハリンスク市行政府庁舎前で視掛けたレーニン広場はこういう様子でした。
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↑「レーニン...籠に押し込められてしまって...」と見入って写真を撮ってしまいました。

これは、レーニン像の少し手前に、年末年始を彩る「ロシア流なクリスマスツリー」の"ヨールカ"を設置する工事が行われている様子です。レーニン像より背が高い骨組みを組んでいるので、レーニンが籠のようにも見える骨組みの中に入ってしまったように見えるのです。

公式な呼び名は在りませんが、勝手に「ユジノサハリンスクの三大ヨールカ」と呼んでいる場所が在ります。サハリン州政府庁舎前、パベーダ広場辺りのロータリー交差点、そしてレーニン広場です。昨シーズンの様子を視ていると、「三大ヨールカ」の中ではレーニン広場が最も早く登場して点灯しています。今シーズンもそういう具合になりそうです。他所でこういう工事を進めている様子は、現在時点で視ていません。

昨シーズンでしたが、このレーニン広場のヨールカに関しては、年が明ける時に打ち上げた花火が引火して、焼け落ちてしまったというアクシデントが在りました。今季はそういう好くないことを免れて欲しいものだと思いながら工事の様子を視ていました。骨組みに関しては、「新しく用意した」と見受けられ、昨シーズンの焼け落ちてしまう前と同様か、それ以上に大きなヨールカが登場しそうな感じです。

実は少しの間、都合でユジノサハリンスクを離れます。戻る頃には、このレーニン広場のヨールカが華やかに点灯している様子も視られるものと期待しているところです。

稚内市ホームページの< サハリンの様子(サハリン事務所レポート) >について(2018年11月23日)

先日、稚内を放送エリアとするコミュニティーFMラジオで、サハリンに関する話題を紹介するコンテンツが放送されていることをブログで御紹介しました。

↓こちらの記事で取り上げましたが、コミュニティーFMラジオ放送に関して、<サイマルラジオ>というウェブサイトを介して、インターネットでも聴けることも話題にしました。
>><FMわっぴ〜>(稚内のコミュニティーラジオ)での『サハリン情報』(2018年11月16日)

ラジオの『サハリン情報』というコンテンツで取り上げた内容に関しては、稚内市のホームページでも御覧頂けるようになっています。

↓こちらを御参照下さい。クリックすると開くページには、月々の題名が冠せられて末尾に放送日が記されていて、その題名をクリックすると内容のページが開きます。
>>サハリンの様子(サハリン事務所レポート)

ラジオで『サハリン情報』というコンテンツを制作している経過ですが、正直なところ既に"起こり"が判り悪くなってしまっています。2002年に稚内市サハリン事務所が開設された前後に、「稚内市の職員がサハリンに在るなら、お話しを聴いて録音して放送しよう」ということが既に始まっていたようです。

そういう具合に「ラジオ放送を介した情報発信」という取組は在りましたが、例えば「放送されている時間帯に車で移動していて、カーラジオで聴いた」というような限定的な情況でもなければ「聴いていない人の方が多くないか?」という話しになりました。そこで、放送コンテンツ制作で使用した原稿やメモの提供をサハリン課で受け、それを"読みもの"として判り易いように整理してホームページに掲載ということを2004年に始めました。

2004年半ば頃まで、放送コンテンツは毎週制作していましたが、やや負担が大きいことを踏まえて月1回ということになって現在に至っています。

稚内市ホームページも2000年代に何度もリニューアルされ、旧いコンテンツが削除されるようなことも見受けられましたが、この< サハリンの様子(サハリン事務所レポート )>の内容は大半が現在まで受け継がれて、旧いモノも御覧頂けるようになっています。

ホームページに掲載のコンテンツでは、時々「様子が判る写真」も入れるようにしていましたが、2008年頃から写真を入れることが半ば恒例化し、以降は少し閲覧数が伸びたようです。

その後、2011年後半から原稿提供が滞りがちになってしまいました。他媒体で使用した原稿で現地の様子が判るモノ等を参照に、或いは偶々現地写真の提供を受けたことを踏まえてコンテンツを用意し、このコーナーへのコンテンツが稀に追加される状況が続きました。

2017年4月に至り、閲覧数が一定程度伸びていたらしい頃のようなコンテンツ作成を目指して取組み、現在に至っています。

放送コンテンツを創って行く中、取り上げるべき話題のヒントをこのブログでドンドン出し続けていて、それを受けたラジオ側の御担当とサハリン事務所担当とで連絡を取り、内容を固めて行きます。そしてそのコンテンツ制作に使用した原稿や、話題にした事項に関連する写真等をサハリン課へ送り込み、このホームページのコンテンツが配信されています。

何人もの手が掛かってこうした形での情報発信が行われるということで、関わった人達が「サハリンに関する情報発信の一部を担う」という輪が拡がり、「稚内から視える場合が在る隣国」への関心も高まって行くものだと思います。

偶々、ラジオのコンテンツに関して御紹介した経過が在って思い出したのですが、このブログに限らない「多層的な情報発信」とでもいうようなことは、可能な範囲で出来るように継続したいものです。

雪化粧...:サハリン州郷土博物館(2018年11月21日)

↓用が在ってコムニスチ―チェスキー通の東側まで出た時、天候が好転していたので博物館の辺りに寄りました。
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↑手前の歩道や敷地内、辺りの様々なモノが薄く雪を被り、少し以前とは違った雰囲気に視えます。

↓瓦の屋根が白く染まり、少し独特な趣です。ベンチや庭園の植物も雪を被っています。
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↑通路も雪で、「場合によって変な箇所が凍っていて、滑る?」と少し気になりました。

積雪期が進むと、写真を撮った辺りは堆い雪に埋まる感じになります。こういう「雪がシーズンで初めて積もって」というような時季は、化粧でも施したかのような、独特な艶やかさの或る風景が視られます。

降雪と積雪の「前後」...:レーニン広場(2018年11月20日&21)

↓11月20日の夕刻です。
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↑未だ雪が在りません。

↓11月21日の夕刻です。
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↑足下に雪が在ります。

11月21日の朝に戸外へ出れば雪が降っていて、降っていた雪が積もりました。気温が氷点下5°Cを切っていて、既に「厳冬期の低温時に見受けられる粉雪」というような質の雪でした。1日を通じて気温は0°Cを超えなかったのですが、陽射しで積雪表面が融けて湿り、その箇所が夕刻に凍り始めていました。

雪の有無で雰囲気が変わるのですが、それ以上に、同じ場所でも毎日空の様子が変わっていて「違う景色」のようにも見えるのが面白いと思いながら様子を視ていました。

終に「永く厳しい冬が"本格化"へ...」という感じになったユジノサハリンスクです。
2018年10月 2018年12月