"ダーチャ"のトマト...(2018年09月28日)

↓トマトを頂きました。サハリン事務所のスタッフから「父が持って来ました」とこのトマトを頂いたのです。
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↑赤いモノと、緑のモノとが在ります。

そのサハリン事務所のスタッフのお父さんという方は、別段に農業を営んでいるというようなことでもありません。

ロシアでは"ダーチャ"と呼ばれている、主に郊外に在る寝泊まりが出来る場所と家庭菜園とが在る場所で時間を過ごすということをよくやっています。サハリンもそういう例に漏れません。

頂いたトマトは、サハリン事務所のスタッフのお父さんがこの"ダーチャ"の畑で育てたモノです。

特段に調理をしようというのでもなく、調味料を用意するでもなく「とりあえず試食...」と頂いたトマトを口にしてみました。そのまま調味料をどうこうするでもなく、ストレートに1つ丸ごと頂いてしまいました。「トマト?こういう味がするモノだった!」という感じなのです。以降は、最初からストレートに頂いて、直ぐにモノは無くなってしまいました。

こうした「家庭菜園での収穫」を家庭の食卓で頂くというのはサハリンでは「普通のこと」です。そして、収穫をするような9月頃は「ダーチャで一寸...」と時間を見つけて過ごすようにする訳です。その9月も、何時の間にか最後の日の30日です。

「紅葉」が少しずつ...(2018年09月28日)

↓アムールスカヤ通を歩いていて目に留めました。
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↑時季にはきれいな花が咲いていた記憶も在る桜です。紅葉しています。

街の木は「一気に!」という感じでもなく、「順次、辺りを歩いていてふと気付く場合が在る」という程度にゆっくりと赤く、または黄色に色付いています。

「ロシア全般」で視ると、寧ろ"黄葉"という種類の木の方が割合が高いらしいのですが、サハリンでは"紅葉"という種類の木も多く在るようです。

↓桜はそういう"紅葉"という種類の木です。
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こうやって「紅葉!?」と目に留める状態から、何時の間にかそういう状態になっている木が多数派を占めるようになり、そのうちに落葉が溢れて秋が深まる訳です。

<鮭の押し寿司>(2018年09月21日)

ユジノサハリンスクにも「日本料理店」は見受けられます。稚内市サハリン事務所の近くにも、現在の場所で営業を始めてから15年以上になる、既に老舗と言う感の日本料理店が在ります。

↓その近所の店の人気メニューの一つです。<鮭の押し寿司>です。
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↑先日、公私に亘って交流が在る方と御一緒した際に「そう言えばアレが頂きたい!」と頼んでみたのでした。

日本国内で<鮭の押し寿司>と聞いて思い浮かべるモノと、少し様子が異なります。確かに"押し寿司"の形ですが、「融けるチーズ」が乗っていて、鮭にも熱が通っています。そしてやや甘味が加わった調味料も点いています。

国外で「日本料理」というように言う場合、色々と在るのだと思われます。「日本ではこういうモノを、こういう具合に頂くという流儀が普通で、試してみると好い」という具合に「日本で頂かれているモノにかなり近い」という状況で供される料理の他方、「土地の人達の好みに寄り添った形にアレンジを加え、"日本の流儀"ということで供されている」というモノが色々と見受けられるようです。

この<鮭の押し寿司>は、魚と米飯とを用いる"押し寿司"という「日本の流儀」な料理に関して、「土地の人達の好みに寄り添った形にアレンジ」で供しているモノということになります。

↓何処となく「クリームソースを合わせた魚が入る料理」という趣きも感じられるモノです。
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↑長くユジノサハリンスクで営業している店の「日本の流儀を加えたロシアの料理」というような感もする一品です。

勿論、この店でも「日本の店で供されるような握り寿司」というような料理も供され、そちらも人気は高いのですが、それでもこの「アレンジされた<鮭の押し寿司>」は人気です。

結局、国や地域を問わず、「あの国ではこういう流儀が在って、人気が高いらしい」と調理方法やモノが紹介される他方で、「それは好いが、寧ろこういう位にした方が、自分達の好みなのでは?」とアレンジが加えられるような動きも生じて、そういう連動する両者によって地域の食文化が豊かになって行ったという経過が在るような気がします。或いはこの<鮭の押し寿司>は、そうしたことの典型かもしれません。

タグボート:プリゴロドノエ(2018年09月26日)

ユジノサハリンスクから車で小一時間程度南下すると、港町のコルサコフに至ります。そのコルサコフから東側へ車で20分程度進むとプリゴロドノエに至ります。

プリゴロドノエは、樺太時代には女麗(めれい)と呼ばれていて、日露戦争の末期に樺太占領を目指した日本軍が上陸した場所として知られています。が、現在は「天然ガスの液化工場」を擁する場所として知られています。

サハリンの北部、オホーツク海の海底から天然ガスや石油が産出します。その天然ガスや石油がパイプラインで南下し、このプリゴロドノエに送り込まれます。

石油に関しては、プリゴロドノエの沖に設けられた施設からタンカーに石油が積み込まれて方々へ届けられます。

天然ガスに関しては、2基の巨大なプラントを擁する工場で液化され、沿岸の専用桟橋で巨大な容器を搭載した専用輸送船に液化天然ガス(LNG)が積み込まれて方々へ届けられます。

プリゴロドノエの天然ガス液化(LNG)工場からは年間に1千万トン程度が送り出され、その多くは日本の需要家に届けられているといいます。そしてそれは、日本のLNG需要の1割程度を賄っているそうです。

こうした資源を輸送する船は、各国の造船技術の結晶のような、全長200mを超える場合さえ在るような巨大なモノです。巨大な船が安全に桟橋に繋留し、安全に出航する動きをサポートするためには、練達の乗員が操船する強力なタグボートが不可欠です。

↓プリゴロドノエの海岸から、その資源を輸送する船のサポートで活躍しているタグボートが視えていました。
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聞けば、プリゴロドノエでは石油のタンカーが月に5回から6回、LNGの船は「概ね毎日」というような頻度で出入りしているそうです。上の写真に在るようなタグボートが何隻か運用されていて活動しています。

毎日のように忙しく働くタグボートですが、当然ながら定期的なメンテナンスが必要であり、部品交換や修理の必然性が生じる場合も在ります。実は、こうしたプリゴロドノエで活動しているタグボートの一部に関しては、稚内の造船や船舶修理の会社に送り込まれ、稚内港内の乾ドックで整備や修理を行っている経過が在ります。

プリゴロドノエから視れば、稚内は「最も至近な、乾ドックを擁する造船船舶修理の出来る会社が在る港」ということになります。忙しいタグボートですから、定期メンテナンスのために現場を離れる期間は短い方が好ましい訳で、「至近の稚内港」は好都合なのです。

↓この日は朝の雨が上がり、天候が好転していたものの、複雑に雲が拡がり、空と海は強い印象を残すような感じになっていました。
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プリゴロドノエのタグボートは「都市を支えるエネルギーの輸送」を支援している訳ですが、稚内港はそのタグボートを支援しています。互いに「縁の下の力持ち」という感です。

(関連)
>>サハリン近海を行くLNG専用船(2018年09月07日)

「ウズベキスタンメロン」...(2018年09月23日)

サハリンの店で「メロン」と言う場合、北海道内の店では「視たことが無い?!」というモノを指す場合が殆どだと思います。

↓こういう具合でその「メロン」が売られています。
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↑時にはこういうモノを頂いてみようと、近所のスーパーで求めてみました。

非常に大きな、ラグビーボールのような形状をした「メロン」です。こういう具合に半分に切った状態でも売られています。

ユジノサハリンスクのスーパーでは、商品の価格等を刷り込んで、レジで機器を使って読み取るバーコードも入ったシールがモノに貼られているのが普通です。

そのシールによると、モノは「Дыня Узбекская」(ディーニャ ウズベクスカヤ)と呼ばれています。「ウズベキスタンメロン」という訳で、「中央アジアに起源」ということなのです。

価格は「1kg=124ルーブル」ということで、求めてみたモノは1.584kgの重さなので196ルーブル42コペイカでした。存外に手頃な価格帯だと思いました。

↓横から視るとこういうような感じに視えます。
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↑北海道内産のメロンに見受けられるような、球形、または球形に近い玉とはかなりイメージが異なります。

これは店頭でも冷蔵の生鮮品の棚に並んでいました。持ち帰って更に冷蔵庫で少々冷やし、適宜切って頂く訳です。

白っぽい実が詰まっているメロンで、北海道内産のモノに見受けられるオレンジ、時々在る緑の実と外観は大きく異なります。小さく切ってしまうと「梨??」と思ってしまうかもしれません。そういう外観ですが、「メロン!!」と判る芳香が漂います。スプーンで頂く時にジワーっと甘い汁が出るという「メロンらしさ」も在ります。

サハリンで「メロン」と言う場合、この「ウズベキスタンメロン」のような、「中央アジアに起源」というラグビーボールのような形状をしたモノを示す場合が殆どであるようです。時々視掛ける感じでは、今般求めたような大きさが普通なように思いますが、更に大きなモノや、もっと小さ目なモノも見受けられます。

この「ウズベキスタンメロン」ですが、昨年の様子を振り返ると、秋が深まって行くと、視掛ける機会が減って行くように思います。不意にそんなことも思い出し、「頂くなら"今"か?」と思って求めてみたのでした。「少しずつ切って、2日、3日で頂こう」と冷蔵庫に置いて在りましたが、「意外に好い!!」と次々に切って頂き、その日の間に直ぐに平らげてしまいました。

(参考)
>>サハリンに輸入された北海道内産のメロン(2018年09月10日)

西天の月=「中秋の名月」(2018年09月25日)

「中秋の名月」という、月が美しい状態の夜ということではありました。

ユジノサハリンスクは雨が交じる時間帯も在る一日で、夕刻には雨が少し強くなり、「何だ?!」と一瞬驚く稲光と雷鳴という状況さえ在りました。

ということで、夜のユジノサハリンスクでは「月を見上げる」という状態ではありませんでした。

深夜までに強めな雨は落ち着き、早朝には晴れていました。

↓朝早く、未だ暗い午前6時前の様子です。
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↑西寄りな空、集合住宅の建物や街路樹の向こうで月が美しく輝いている様子が視えました。

「中秋の名月」というような天体現象は、ユジノサハリンスクでも稚内や北海道内、または日本国内と同じように視える場合が在ります。こうした天体現象の話題に触れ、ユジノサハリンスクで空を仰いでそういう現象に出くわした時、「天に"国境"は無い」ということを意識します。そして雲が流れているような様子を視ると、「あの雲は?"国境"を越えて流れている?」というような、妙な事を考えることも在ります。

コムニスチーチェスキー通(2018年09月20日)

好天な中、ユジノサハリンスク都心を東西に延びるコムニスチーチェスキー通に出ました。

↓カフェの前に、「カプチーノ販売中」という趣旨の看板が置かれていました。この種の看板は比較的よく視掛けます。そして、存外に「素敵なデザイン?」というモノが眼に留まります。
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↑看板に眼を留めたと同時に、背後に視える街路樹にも注目しました。

↓赤い実が凄く目立つようになって来ました。
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季節は着実に進んでいます。

コルサコフ港鳥瞰:稚内・コルサコフ航路―2018年の運航終了(2018年09月22日)

9月22日の午前中、ユジノサハリンスクやコルサコフは好天に恵まれていましたが、海上の情況が思わしくなかったそうです。

稚内・コルサコフ航路は9月22日の稚内発の便を「今季最終」と予定していましたが、9月22日の便を欠航としました。結果、9月21日のコルサコフ発の便で「今季の運航を終了」ということになりました。運用されている<ペンギン32>に関しては、9月21日に稚内に到着後、天候が崩れない間にコルサコフ港へ引揚げたということでした。

↓9月22日の朝、コルサコフへ足を運び、古くから知られている高台に上って港を望みました。
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↑画の右側の中程にクレーンが林立する桟橋が在ります。1920年代、樺太時代に整備されたモノです。そこから岸の側へ目を転じて、画の中央の辺りに色々な船が繋留している場所が視えます。白い小型船である<ペンギン32>が停泊中であることが判ります。(画をクリックすると、少し拡大したモノが御覧頂けます。)

この時は、空の蒼を半ば埋めるかのように雲の白が複雑に拡がる、少し面白い空模様でした。持ち合わせた、広角レンズを装着したカメラでコルサコフ港南埠頭やコルサコフ市街の一部を撮影してみました。

画の左側の下の方には、修復工事に着手したという「旧 北海道拓殖銀行大泊支店」が在るのも判ります。港が設えられている海岸に丘陵状の地形が迫っていて、丘陵状の地形に市街が拡がっていて、丘陵の向こうに水平線が視えているという感じです。

このコルサコフと、対岸の稚内とを結んで運航していた<ペンギン32>の今季の運航が終了したところです。今季は、悪天候の影響で変則的な運航をした日も多かったように記憶しています。コルサコフ港に停泊している様子を高台から望みながら、「御苦労様!ありがとう!」と思いながら停泊中の<ペンギン32>の様子を視ていました。

<復活主教座聖堂>(2018年09月18日)

ユジノサハリンスクの少し東寄りを南北に延びるコムソモリスカヤ通の北側は<ガガーリン公園>の敷地に面しています。そこを少し南へ進めば、コムニスチ―チェスキー通と交差します。

このコムソモリスカヤ通の<ガガーリン公園>の傍から、コムニスチ―チェスキー通を目指して歩きました。最近、コムソモリスカヤ通の一部は歩道を修繕するような工事が行われています。何やら作業員が出て仕事をしている箇所が見受けられ、作業関係車輛が駐車していて「何処を進もうか?」と考えてみる場面も在って、更に石を敷き詰める前の砂地が剥き出しになっている「工事中です!!」という箇所も一部に在り、「多少歩き悪い...」とブツブツ言いながら進みました。

↓そういう「歩き悪い...」という区間が途切れて「やれやれ」と思った時に、目に飛び込んだのがこういう様子でした。
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↑コムソモリスカヤ通とコムニスチ―チェスキー通との交差点近くに在る<復活主教座聖堂>の鐘楼です。

画の鐘楼は西寄りの側に向いていますから、「好天の日の夕刻」には強めな西日の光が正面から当たるような感じで、なかなかに見栄えが好くなります。

ロシア正教の活動がロシアで活性化するのは「ソ連後」の時代になる1990年代からです。方々で、失われた教会の再興や再建、或いは新たな建設ということが行われるようになりました。

サハリンに在っては、例えばアレクサンドロフスク・サハリンスキーのように、1930年代に損なわれた教会の再興を目指して教会建設が行われた経過が在りますが、殆どの街では「新たな建設」が行われています。

ユジノサハリンスクの<復活主教座聖堂>は、「上位の聖職者が入ってサハリンでの教会の活動をリードする」という意図も込めて建立されたようです。名称に入っている"主教座"という語が、そういう意図を示しています。最初は奥の礼拝堂の部分が完成し、後から鐘楼も登場しています。

この鐘楼の画に関しては「"外国"のロシア!!」というイメージが強く、稚内・コルサコフ航路の関係等、「サハリンを訪ねてみませんか?」という趣旨の広告ポスター等で多用された経過も在ります。

↓敷地の門が未だ開いている午後6時頃だったので、少し建物に近付いてみました。
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↑鐘楼の側から強めな光が当り、白い壁の建物の陰影が強調され、背後の「形容し難い美しさの碧空」との対比で、吸い込まれるような感じさえして、暫しぼんやりと眺めてしまいました。

この<復活主教座聖堂>ですが、季節毎、時間帯毎に色々な「見え方」が在って、各々が記憶に残り易いものです。そして「概ね四半世紀」というようなことになるのでしょうが、この地域での教会の活動の歴史が、この建物や辺りの空間の中に刻まれているような、不思議な感じもするような場所です。

季節の光?(2018年09月18日)

ユジノサハリンスク都心部は、街路樹が存外に大きく立派です。季節毎の光線と相俟って、生い茂る葉が様々な表情を見せてくれます。

↓画はコムニスチ―チェスキー通の、サハリン州郷土博物館のやや西です。
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↑少し眩しい西日も、街路樹の生い茂る葉の陰に入ると多少和らぐ感なのですが、木々の間等の「絶妙な針路」で光が射し込み、一部の葉が「照明効果?」というように鮮やかに視える場合が在ります。

「木陰の中、一部の葉が照らし出される」という状態を美しいと思い、何となく足を停めて眺めてしまいました。

未だ街路樹の葉は緑なのですが、極一部に「赤」が入っています。「秋が漸進中」というようなことを思いました。

この種の「季節の移ろい」は、気付き始めるとドンドン眼に留まるようになって、何時の間にか「随分と...」という按配になるものです。

それにしても、既に「夏に見受けられる生温かい感じ」が殆ど無くなっている他方で、光線はやや強めで、「未だ夏の残滓が?」というように思える日が何となく続いています。
2018年08月 2018年10月