レーニン広場:ユジノサハリンスクの街で「最も好き」かもしれない風景...(2019年03月29日)
色々な選択肢が在り得る状況下、「最も好いのは?」或いは「一番良いと思うのは?」というような質問というのがよく在ります。
実は筆者は、この「最も?」や「一番?」という質問を"苦手"としています。何事にせよ「好さ」、「素晴らしさ」というようなモノは「各々に在る」という性質の筈であって、「色々なモノを横並びにして"最も"とか"一番"ということになるだろうか?」と考えてしまうのです。
例えば「ユジノサハリンスクで最も綺麗な〇〇?」、「ユジノサハリンスクで一番美味しい〇〇?」というようにでも問われれば、「難しい質問...」と少し詰まって、「色々在って、各々に好いと思っていて...」というお話しにしかならないような気がします。
色々な事をやっていた間に夕刻に至り、そんなことを思いながら街を歩けば、レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前を通り掛りました。
↓こんな様子が通り掛った筆者を迎えてくれました。
29-03-2019 in evening (10).jpg
↑存外な量だった前々日の雪が残っている箇所も多い他方、積極的に除雪をしているということも手伝って、雪の後の好天で意外に早く雪が少なくなっています。他方で、雪融け水や融けて緩くなった積雪が若干の低温を受けて凍ってしまっている箇所も見受けられます。
「凍ってしまっている箇所」に気付くと「要注意!迂闊に転倒すると思わぬ大きな怪我...」と下ばかり向いて足下に警戒してしまいます。が、それでは通り掛る自身を迎えてくれる風景を見逃してしまうというものです。
この時は幸いに、凍ってしまっている箇所がやや少な目になっていて、この風景に気付くことが出来ました。
想い起すと、2017年4月以降にユジノサハリンスクでの活動が多くなって以降、この「レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前」の辺りは、文字どおりに「数え切れない」という程度、ユジノサハリンスクに居た日は「多分、毎日。場合によって1日に何回も」というように通り掛りました。
広場の大きなレーニン像は、「レーニン生誕100年」ということで方々にレーニン像が建てられていた1970年に登場したということです。時が移ろい、往時の政治的な性質は薄れ、「往時の著名な彫刻家が手掛けた彫像」として、何時の間にか「州政府指定文化財」ということになっている像です。これを視る都度、何となく「静かに街を見守り続ける大巨人」というようなイメージを勝手に抱きながら眺めていました。
広場の彫像なので「当然」かもしれませんが、雨、霧、雪、吹雪、暑い日、寒い日、早朝、日中、夕刻、夜間をを問わず、何時でもここに佇んでいました。そういう中、像と共に在る辺りの様子は「通り掛る都度に違う表情」という風でした。
時々足を停め、その「通り掛る都度に違う表情」を眺めて愛で、「色々な活動をしている人達が活き活きと暮らす美しい街を、どんな時も眼前の"大巨人"が見守っている」というようなことを思っていました。
精確に数えた訳でもないのですが、このブログで風景を御紹介した写真入りの記事で"最多登場"はこの「レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前」の辺りであるような気がします。
この画に写っている夕暮れから夜になり、朝を迎えれば「ユジノサハリンスクから離れる」ということになっていた日で、何かこの場所を愛した筆者に「達者で!!」と空が大きく手を振ってくれているような気分にもなりました。
実は筆者は、この「最も?」や「一番?」という質問を"苦手"としています。何事にせよ「好さ」、「素晴らしさ」というようなモノは「各々に在る」という性質の筈であって、「色々なモノを横並びにして"最も"とか"一番"ということになるだろうか?」と考えてしまうのです。
例えば「ユジノサハリンスクで最も綺麗な〇〇?」、「ユジノサハリンスクで一番美味しい〇〇?」というようにでも問われれば、「難しい質問...」と少し詰まって、「色々在って、各々に好いと思っていて...」というお話しにしかならないような気がします。
色々な事をやっていた間に夕刻に至り、そんなことを思いながら街を歩けば、レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前を通り掛りました。
↓こんな様子が通り掛った筆者を迎えてくれました。
29-03-2019 in evening (10).jpg
↑存外な量だった前々日の雪が残っている箇所も多い他方、積極的に除雪をしているということも手伝って、雪の後の好天で意外に早く雪が少なくなっています。他方で、雪融け水や融けて緩くなった積雪が若干の低温を受けて凍ってしまっている箇所も見受けられます。
「凍ってしまっている箇所」に気付くと「要注意!迂闊に転倒すると思わぬ大きな怪我...」と下ばかり向いて足下に警戒してしまいます。が、それでは通り掛る自身を迎えてくれる風景を見逃してしまうというものです。
この時は幸いに、凍ってしまっている箇所がやや少な目になっていて、この風景に気付くことが出来ました。
想い起すと、2017年4月以降にユジノサハリンスクでの活動が多くなって以降、この「レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前」の辺りは、文字どおりに「数え切れない」という程度、ユジノサハリンスクに居た日は「多分、毎日。場合によって1日に何回も」というように通り掛りました。
広場の大きなレーニン像は、「レーニン生誕100年」ということで方々にレーニン像が建てられていた1970年に登場したということです。時が移ろい、往時の政治的な性質は薄れ、「往時の著名な彫刻家が手掛けた彫像」として、何時の間にか「州政府指定文化財」ということになっている像です。これを視る都度、何となく「静かに街を見守り続ける大巨人」というようなイメージを勝手に抱きながら眺めていました。
広場の彫像なので「当然」かもしれませんが、雨、霧、雪、吹雪、暑い日、寒い日、早朝、日中、夕刻、夜間をを問わず、何時でもここに佇んでいました。そういう中、像と共に在る辺りの様子は「通り掛る都度に違う表情」という風でした。
時々足を停め、その「通り掛る都度に違う表情」を眺めて愛で、「色々な活動をしている人達が活き活きと暮らす美しい街を、どんな時も眼前の"大巨人"が見守っている」というようなことを思っていました。
精確に数えた訳でもないのですが、このブログで風景を御紹介した写真入りの記事で"最多登場"はこの「レーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎前」の辺りであるような気がします。
この画に写っている夕暮れから夜になり、朝を迎えれば「ユジノサハリンスクから離れる」ということになっていた日で、何かこの場所を愛した筆者に「達者で!!」と空が大きく手を振ってくれているような気分にもなりました。
この記事へのコメント
kid
ここ最近こちらのブログの更新がされていないので、毎日楽しく拝見させていただいていた私にとっては非常に残念です。
サハリンへの旅行も考えておりましたので、また再開してくれることを願っています。お忙しいとは存じますが、よろしくお願いします。
windy
ほかでは読めないような充実した記事が満載で楽しみにしておりました。なにか書き続けられない問題が突然に生じたのでしょうか。
簡単にでもよいので、現状と今後の見通しをおしえていただけませんでしょうか。
とも
kazami
面白いので、少しずつ色々な記事を見ました。
が、既に3カ月間程も新しい記事が出ていません。
何か事情があるのでしょうか?
こういうブログは貴重だと思います。どなたか個人の趣味なら、なんとなく途切れて時間が経つこともあると思います。これは稚内市さんが取り組んでいることですよね?