"チェーホフ" でSeesaa全体を検索する

<歴史・文学博物館『A.P.チェーホフとサハリン』>(2017年09月23日)

2017年09月27日 08:00
「サハリンで最初の州都」という経過を持つアレクサンドロフスク・サハリンスキーでは、"博物館"と名が付くモノについては「1896年に当時の総督令によって開設された博物館を嚆矢とする」と考えられているようです。その古い博物館に関しては、ユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に"移転"して伝統が引き継がれていると考えれれているようです。 現在、アレクサンドロフスク・サハリンスキーで「博物館」と言えば<歴史・文学博物館『A.P.チェーホフとサハリン』>(Историко‐ли..

続きを読む

「在コルサコフ日本領事館」の遺構と<コルサコフ修道院>(2017年08月15日)

2017年08月23日 07:00
1875年に<樺太・千島交換条約>が締結され、サハリン全土がロシアの帰属ということになった時、条約条文に「全魯西亜皇帝陛下ハ日本政府ヨリ"コルサコフ"港へ其領事官又ハ領事兼任ノ吏員ヲ置クノ権理ヲ認可ス」(ロシア皇帝は、日本政府によってコルサコフ港に領事または領事事務を取り扱う吏員を配置する権利を認める)と在ったことから、<在コルサコフ日本領事館>の開設を目指します。1876年4月1日付の開設とし、実際には最初の領事が着任出来た6月9日に開館したそうです。 当時のサハリン..

続きを読む

A.P.チェーホフ 『サハリン島』 文学記念館(2017年06月18日)

2017年06月22日 07:00
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(Антон Павлович Чехов)(1860年 - 1904年)は、「ロシアを代表する」とさえ形容される劇作家です。『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』という"四大戯曲"が殊に著名です。 このチェーホフですが、劇作家として名声を博して行く以前は、寧ろ短篇や中篇の小説の書き手であり、ルポルタージュ作家としても知られていました。 チェーホフを「ルポルタージュ作家」と評する場合が在るのは、彼が1895年..

続きを読む

チェーホフ像と桜(2017年05月23日)

2017年05月23日 08:21
嘗ては銀行の支店だった建物を利用した美術館の傍に州立図書館が在り、その図書館の斜め前に作家のチェーホフの像が在ります。 ↓「旅の途中の作家」という風情が漂う像で、視る都度に「チェーホフさん、御旅行は如何ですか?」とでも声を掛けてみたいような気分になります。 ↑チェーホフ像の脇に桜が植えられています。ここの花も、何時の間にか咲いて、直ぐに葉が目立つようになり、早くも散りかけな感じです。 チェーホフと言えば『桜の園』という作品が在って、代表作と評される"四大戯曲..

続きを読む

ドリンスクのチェーホフ胸像(2017年05月13日)

2017年05月18日 07:00
ユジノサハリンスクの北東40km余りの場所にドリンスクという街が在ります。人口1万2千人弱ということですが、ドリンスク地区の中心的な街です。 ユジノサハリンスクの鉄道駅近くから各地へ向かうバスを視ていると「112」という運行系統番号のドリンスク行きが多く発着しています。休日に試に乗車してみると、ドリンスクまでは115ルーブルで、コルサコフへ向かう135ルーブルよりも若干安価であることが判りました。 詳しい距離というよりも「乗車している時間」に拠る「感じ方」の問題です..

続きを読む

チェーホフによる『サハリン島』の事績を伝えるモニュメント(2017年05月14日)

2017年05月17日 14:16
ユジノサハリンスクのミール通とコムニスチーチェスキー通とが交差するような辺りは、<A.P.チェーホフ『サハリン島』文学記念館>(チェーホフ記念館)や<A.P.チェーホフ記念サハリン国際劇場センター>(チェーホフ劇場)があり、辺りが都市緑地のように整備されています。 このユジノサハリンスク市内では多く見受けられる緑地の一隅、チェーホフ記念館の直ぐ前に、本を象ったモニュメントが在ります。 ↓「本を開いた形」のモニュメントですが、左側のページは、ロシアで見受けられる「本..

続きを読む

もっと見る