チェーホフによる『サハリン島』の事績を伝えるモニュメント(2017年05月14日)
ユジノサハリンスクのミール通とコムニスチーチェスキー通とが交差するような辺りは、<A.P.チェーホフ『サハリン島』文学記念館>(チェーホフ記念館)や<A.P.チェーホフ記念サハリン国際劇場センター>(チェーホフ劇場)があり、辺りが都市緑地のように整備されています。
このユジノサハリンスク市内では多く見受けられる緑地の一隅、チェーホフ記念館の直ぐ前に、本を象ったモニュメントが在ります。
↓「本を開いた形」のモニュメントですが、左側のページは、ロシアで見受けられる「本の表紙」に似せた体裁になっているように見受けられます。
チェーホフによる『サハリン島』の事績を伝えるモニュメント.jpg
↑これはチェーホフの事績の一つである、1895年に出版された『サハリン島』をイメージしたものです。
チェーホフは1860年生まれで1904年に他界しています。日本史で言えば、「桜田門外の変」の年に生まれ、「日露戦争」開戦の年に逝去したことになります。この彼が30歳であった1890年、彼はサハリンを訪ねていました。
1890年にサハリンへやって来たチェーホフは約3ヶ月間滞在し、その様子を徹底的に調査しました。それに依拠するルポルタージュ、ノンフィクションという感の作品を纏め、1895年に『サハリン島』として発表し、なかなかに話題になった経過がありました。
このモニュメントが面白いのは、右のページにあるチェーホフの肖像画が、サハリンを訪ねて『サハリン島』に取組んでいた30歳代をイメージした画に見えるという点です。
「面白いモニュメントだ」と注目したのは、まだまだ寒かった4月、それも夜には「時季外れ?」な吹雪になった日でした。それから早いもので1ヶ月程経ち、モニュメントの周辺の芝生も緑になりました。
このユジノサハリンスク市内では多く見受けられる緑地の一隅、チェーホフ記念館の直ぐ前に、本を象ったモニュメントが在ります。
↓「本を開いた形」のモニュメントですが、左側のページは、ロシアで見受けられる「本の表紙」に似せた体裁になっているように見受けられます。
チェーホフによる『サハリン島』の事績を伝えるモニュメント.jpg
↑これはチェーホフの事績の一つである、1895年に出版された『サハリン島』をイメージしたものです。
チェーホフは1860年生まれで1904年に他界しています。日本史で言えば、「桜田門外の変」の年に生まれ、「日露戦争」開戦の年に逝去したことになります。この彼が30歳であった1890年、彼はサハリンを訪ねていました。
1890年にサハリンへやって来たチェーホフは約3ヶ月間滞在し、その様子を徹底的に調査しました。それに依拠するルポルタージュ、ノンフィクションという感の作品を纏め、1895年に『サハリン島』として発表し、なかなかに話題になった経過がありました。
このモニュメントが面白いのは、右のページにあるチェーホフの肖像画が、サハリンを訪ねて『サハリン島』に取組んでいた30歳代をイメージした画に見えるという点です。
「面白いモニュメントだ」と注目したのは、まだまだ寒かった4月、それも夜には「時季外れ?」な吹雪になった日でした。それから早いもので1ヶ月程経ち、モニュメントの周辺の芝生も緑になりました。
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