雪の朝:ユジノサハリンスク市行政府本庁舎(2018年11月21日)

↓レーニン広場を眺めて振り返ると、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎が視えます。
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↑午前8時前の状況は、パール色の壁材を照らす青紫のランプが灯ったままで、未だ「夜」のようです。降る雪が照明の光に浮かび上がり、庁舎入口前も地面が雪で白く染まっているのが判ります。

↓脇のコムニスチ―チェスキー通側に廻りました。
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↑このコムニスチ―チェスキー通側には、功労表彰を受けた個人や団体・企業等を紹介している掲示コーナーが在ります。

コムニスチ―チェスキー通の広い設えの歩道も雪で白く染まっています。そしてよく視ると、誰かが「自転車で駆け抜けた?」というように推測出来そうな跡も見えます。

写真では、降雪が照明の光の故にハッキリと筋状に写り、何か酷く雪が激しいように視えます。実際には然程キツいということでもありませんでした。

雪や氷で足下が悪い状況を免れていたのですが、これからは外出時には注意が必要な感です。

雪の朝:レーニン広場(2018年11月21日)

朝早くの「氷点下5°Cまたはそれ以下」が「然程珍しくもない」という具合になって暫らく経つ他方、ユジノサハリンスクでは「積雪期が始まる...」というように感じられる降雪は免れていました。雪や氷で足下が悪い状況を免れていて、筆者は個人的には歓迎していましたが、道ですれ違う人達が「寒そうに、足早に歩いている...」という様子を眺め、自身も寒そうに背中を丸めて足早に歩いているかもしれないなどと思っていました。

そういう状態が「何時まで続く?」と考えていた矢先、終に「降った雪が地面に少々積もり、駐車中の車輛が白くなっている」という様子の朝になっていました。

↓レーニン広場が視える、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎前辺りを通り掛かりました。
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↑車輛が通行する辺りは、車輛のタイヤに相当するような箇所で舗装面が覗きますが、道路が雪で白くなっています。

気温は氷点下5°Cを下回るような按配で、降る雪は粒子が細かい粉雪です。

レーニン像の前に柵が設置され、何やら細い鉄骨のようなモノが在ります。これは年末から1月に掛けて飾る"ヨールカ"の骨組みと見受けられます。何時の間にか設置工事に着手されたようですが、急速に骨組みが組み立てられているというのでもなく、ゆっくりしたペースで作業が進められているように視えます。昨シーズンの様子を思い出すと、レーニン広場の"ヨールカ"は他所より少し早くから登場していました。

「積雪期が始まる」という雰囲気になり、何処となく"歳末"という空気感も出て来ました。

寒風が吹き抜けるコルサコフ港(2018年11月17日)

日本の気象台で言う"初雪"というのは「その冬の最初に雪か霙(雨交じりの雪、または融けかかった雪)による降水があった場合」ということになっているそうです。

ユジノサハリンスクやコルサコフ等、サハリンの南側で、この「その冬の最初に雪か霙(雨交じりの雪、または融けかかった雪)による降水があった場合」という意味での"初雪"は恐らく既に在ったと思います。「あれ?雪がチラチラ?」というのは何度か在りました。しかし雪が降り続いて、辺りの地面や建物の屋根や駐車中の車輛が雪で白くなって、「今季も積雪期が始まった...」と濡れたり凍ったりの足下に気を付けながら戸外を歩くというような状況には未だなっていません。

昨年は11月前半段階で何度かそういう「積雪期が始まった...」と感じられるようなことが在って、11月半ばには「積雪が在った後に少し融け、融けた水が変な具合に溜まった箇所が凍り付く」というのも在りました。歩くと危なっかしい、「雪解け水が凍り付く」という箇所が見受けられないのは、筆者個人としては歓迎ですが、「酷く寒く感じる他方で雪が無い」というのもやや奇妙です。

こういう状況下で好天になった土曜日、何となく戸外に出てバスに乗車し、コルサコフに辿り着いてしまいました。

↓「1925年、摂政宮殿下行啓の折り...」という挿話が伝わる、港や街を一望出来る高台に上ってみました。
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↑海や空の蒼が鮮やかで、空を流れる雲も面白い感じなのですが、"音"が聞こえる程度に強く冷たい風が吹き抜けていました。

↓街の側が少し広く見える側を向けば、煙突から煙が出ている様子が視えました。街で営業している浴場で、ボイラーを焚いているようです。
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「積雪期が始まった...」と感じられるような、辺りが白くなる様子は見受けられませんが、身体に刺さるかのような風の冷たさは、積雪期のそれと大差が無いような感じになって来ました。着実に「冬」が迫っている感です。

酷く寒風がキツく、この場所からは15分間前後で退散しました。

日本のピアニスト 日高志野 と<ユジノサハリンスク室内楽管弦楽団>との共演:<ロシアにおける日本年>の催事(2018年11月18日)

ユジノサハリンスクでは、概ね40名のメンバーを擁するオーケストラ<ユジノサハリンスク室内楽管弦楽団>が活動しています。この楽団と、日本の女性ピアニストがユジノサハリンスク市内の<文化センター"ローディナ">で共演するというお話しが在り、招待券も手に入ったので足を運んでみました。

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<ロシアにおける日本年>ということで、ロシア各地で様々な催事が行われていますが、今般の演奏会もその取組の一環です。

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<文化センター"ローディナ">での演奏会に先駆け、平野駐ユジノサハリンスク総領事が挨拶に立って「音楽は国境や言葉の壁を越えて、誰もが一緒に愉しむことが出来るもので、この演奏会は日ロ双方の演奏家が手を携えて素晴らしい曲を披露する場である」と仰っていました。全くそのとおりで、この日は日本の日高志野がピアノのソロパートを受け持って、エドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』を演奏しました。

クラシックの曲に関しては、「曲名や作曲家や、その他のことはよく知らないが、聞き覚えが在って、何となく頭の中や耳に残るメロディー」という作品が色々と在るように思います。エドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』、殊に冒頭部のドラマティックな感じのメロディーも、そういう作品の一つだと思います。正直、「今日の演目はエドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』」と聞いて、直ぐにどういう曲であったのかは思い出せませんでしたが、演奏が始まれば「あれだ!」と直ぐ判り、また皆さんの演奏する姿が美しく、ステージを見入ってしまいながら、演奏を聴き入りました。

エドヴァルド・グリーグ(1843年-1907年)は、日本史で言えば明治時代の時期に活躍したノルウェーの演奏家、作曲家です。ロシアの有名な作曲家であるピョートル・チャイコフスキー(1840年-1893年)とは、同時代に活躍している人物ということになります。

音楽史では、出身国の伝統的なメロディーを採り入れることや、出身国の文学や歴史や自然に着想を得た作品を創ったというような活動を展開した人達を"国民楽派"と呼ぶ場合が在るようですが、エドヴァルド・グリーグもそうした"国民楽派"と呼ばれる作曲家の一人です。自身がピアノ演奏家としても活躍しており、多くのピアノのための小品を遺していることから「北欧のショパン」と呼ばれる場合も在るそうです。

エドヴァルド・グリーグによる『ピアノ協奏曲』は、彼が完成させた唯一のピアノ協奏曲です。故に、クラシックの演奏会の演目で視掛ける「第X番」というような表現が見当たりません。エドヴァルド・グリーグはノルウェーからドイツに渡って学び、デンマークで若き日を過ごし、またノルウェーに戻って活躍しています。この作品はデンマークに在った1868年、25歳の頃に完成した作品で、本人が何度も改訂を行っているといいます。

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このエドヴァルド・グリーグによる『ピアノ協奏曲』のピアノソロパートを受け持つ日高志野(ひだかしの)は、東京藝術大学に学んだ後、ロシア国立チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に留学し、演奏家活動をしています。日本のクラシック音楽関係者の間では、ロシアは人気が在るようで、ロシアでのコンクールに出場した話しや、ロシアの楽団との共演という話しは耳にすることが多いような気がします。彼女は日本国内やロシアの演奏家に師事して現在に至っており、日本やロシアやその他の国々での多くの演奏会に出演しているそうです。

<文化センター"ローディナ">の700人位は入りそうなホールに入場し、"自由席"であったことから、「どの辺りに陣取ろうか?」とステージを視ながら考えました。ステージ中央辺りの大きなピアノを視て、ピアノソロパートを受け持つ日高志野が演奏する様子が視易いのは左側と見当を付けて、左寄りな辺りの席に座りました。これで正解だったと思います。時に激しく、時に優しくピアノを弾く様子がよく視えて、なかなかに興味深かったです。

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演奏が始まると、エドヴァルド・グリーグが「故郷であるノルウェーのベルゲン辺りのフィヨルドの光景をイメージした?」とも言われる壮麗なオープニングから、力強いピアノの音でした。そして管弦楽パートとピアノパートが繰り返され、各楽器の幅広い表現に魅せられ、「えっ?もう演奏が終わってしまう?!」という位に夢中になりました。お年寄りからお子さんまで、かなり広い層のユジノサハリンスクの皆さんが集まった会場は、大喝采に湧き上がりました。

演奏終了後にオーケストラの指揮者であるティグラン・アフナザリャンが一言コメントしていました。演奏会に使ったピアノは、ユジノサハリンスクに新たに入ったばかりのモノで、本格的な演奏会に使われたのはこの日が初めてだったということです。その初めての演奏を行ったのが、日本の素敵なピアニストである日高志野であったということが、地域の文化活動の歴史に刻まれたとしていました。

日ロ双方の演奏家が手を携えて、国境や言葉の壁を越える音楽が創り出された中に居合わせる機会が持てたという日曜日でしたが、大変に幸運でした。

旧北海道拓殖銀行大泊支店(2018年11月17日)

コルサコフ市内に残る樺太時代の建築として知られる、往時の「北海道拓殖銀行大泊支店」に関して、老朽化している建物を「修復をして利用する」というように聞いています。

「建物外観風」に設えられた幕のようなモノで覆われた状態が続いていて、それが外されて工事が始まっていると見受けられるようになって少し経ちました。

↓歩道部分に歩行者を保護する屋根が設えられ、本格的に工事を進めているような感じです。
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↓多方、建物外観は傷んでいるままです。綺麗になるまでには、相当に手が掛かりそうに見えます。
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気温が余り上がらない感じの「冬...」という感じな好天だった休日、少しコルサコフ方面に出たのでしたが、「アレはどうなった?」と気になっていてこの建物を眺めてみました。

ナイトブルーが見え始める頃...:レーニン広場(2018年11月15日)

日没の時刻を過ぎ、街灯が灯り始めるようになり、少しだけ時間が経つと空の色は随分と大きく変わります。

↓午後6時20分を過ぎた頃です。
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↑沈んでしまった夕陽の残照が影響を及ぼす範囲が急速に縮小し、空の広い部分が"ナイトブルー"に切り替わり始めます。未だ「ハッキリとナイトブルー」とも言い悪い、"蒼"が多少強い、独特な色合いが視えて、暫し足を停めて眺めていました。

このレーニン広場の様子が視えるのは、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎の前です。何時の間にか「小さな変化」が在りました。

ユジノサハリンスク市行政府本庁舎の前、少し広い歩道にはベンチとゴミ箱が据えられています。これらは積雪期には撤去され、春になるとまた設置されます。この程、このベンチとゴミ箱が撤去されました。

この場所を通り掛かると、そのベンチに腰を下ろして一息入れることが多かったのですが、「何時もの調子で...」とベンチが在る辺りを視ると、撤去されてしまっていた訳です。

朝の気温が「0°C以下」という日が目立つようになり、「間も無く積雪シーズン」という状況ではあります。しかし、降雪は免れています。「雪がチラチラ?」というように見えた日が無かったということでもないのですが、積雪シーズン到来を思わせる「辺りが多少白くなる」という程度にもなっていません。

昨年の同時期、11月半ばを振り返ると、既に「降った...融けた...」が何度か見受けられ、融けた雪の水が変な箇所で凍っていて、予期せぬ形で足を滑らせるという危なっかしい状態も在りました。今季は、未だそういう状況も見受けられません。個人的には「凍って、危なっかしい」が見受けられないのは、大変に好いと思っていますが。

今季は、少しゆったりとしたペースで"冬"へ向かっている感です。

<FMわっぴ〜>(稚内のコミュニティーラジオ)での『サハリン情報』(2018年11月16日)

稚内にはコミュニティーラジオの放送局が在ります。1996年に開局していて、既に永く活動していて親しまれています。

↓ウェブサイトはこちらです。
<FMわっぴ〜>(稚内のコミュニティーラジオ)

このブログで、特段に御紹介しないままとなっていました。毎月1回、『サハリン情報』というコンテンツが放送されています。「そう言えば...今日がラジオの放送だった...」と不意に思い出し、こちらで御紹介してみることとしました。

『サハリン情報』は地元の話題を取上げる、金曜日の午後2時からの番組の中で流れるコーナーです。

このコーナーでは、このブログでも取り上げた話題も含め、サハリンの様子に関するお話しをお届けしています。毎月、サハリン事務所と稚内のスタジオを電話で結んで録音を行っています。

実はつい先日その録音が行われ、「2018年11月分」の放送が今日、11月16日の午後2時からでした。

主に稚内市内ということになる<FMわっぴ〜>の放送エリアでは、ラジオのFM76.1メガヘルツで聴くことが出来ます。電波の状態が好くない場所や、放送エリア以外でもインターネットを利用すると聴くことが出来ます。

↓パソコンで、稚内の<FMわっぴ〜>のラジオ放送を聴くことが出来ます。
>>サイマルラジオ
↑放送局一覧から、「北海道」→「FMわっぴ〜」→「放送を聴く」をクリックします。

このサービスは、電波状況が好くないエリアでも、インターネット環境が整っていればクリアな音を聴くことが出来るようにということで拡がったものということのようです。

因みにユジノサハリンスクで試してみましたが、無事に聴くことが出来ました。

「今日の今日」で告知するような、少し変な体裁になってしまいましたが、午後2時からということですから、お楽しみ頂ければ幸甚です。

冷蔵庫にミネラルウォーター...(2018年11月13日)

かなり古い話しなのですが、国外に出た際に外国の方にお訊ねを頂いたことが在りました。

「日本では、水道の蛇口を捻って水を出し、それをコップに入れてそのまま飲むと聞いた。本当か??」とです。

「水を飲む様子」というようなことは、「水道の蛇口を捻って水を出し、それをコップに入れてそのまま飲む」などと「文にして叙述する」ということを思い立つことさえ無い、余りにも当たり前な日常の所作です。それを「本当か??」と問われ、かなり驚き、「えぇ...何時もそうですよ...」と答えた記憶が在ります。

現在滞在中のサハリンも含め、多くの国々で「水道の蛇口を捻って水を出し、それをコップに入れてそのまま飲む」ということはやっていません。水は沸かして利用するか、飲用水を別に買い求めるというのが普通なようです。

変なことを思い出しましたが、最近「居室での飲用水」に少々意識が向いています。

↓「居室での飲用水」は、こういう具合に近所のスーパーで求めたペットボトルに入ったモノを冷蔵庫に入れて在ります。
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↑喉が渇くと、これを引っ張り出して飲む訳です。

このところ、20°C位の気温で汗ばむ場合も在った8月頃と比べて、冷蔵庫に入れて在る水が少なくなるのが「速い」と感じるようになりました。要は、居室に在る時に飲む量が増えた、「水を飲みたい...」と冷蔵庫を開けてボトルに手を伸ばす頻度が高まったと感じています。水が少なくなると、スーパーに寄って買い求めるようにする訳ですが、その買い求める頻度も自ずと高まっています。

10月に入った辺りから、"集中暖房"が稼働し始めました。そして11月になって早朝等の気温が一段と低くなったことから、"集中暖房"が強めになったようです。

ユジノサハリンスクでは、センターから配管を通じて街の集合住宅に温水を送り込んで暖房をする仕組みになっています。これはサハリンの他の都市やロシアの他地域でも共通です。北海道内では、各々の家でタンクに灯油を入れて、それをストーブで焚く暖房が一般的なように思います。そういうことなので、稚内にサハリンの方を迎えて辺りを動き回ると、住宅の辺りに据えられた灯油タンクを視て「あれは!?一体何ですか??」とよくお訊ねを頂きます。サハリンでは、あの種のモノは視掛けません。

そういうことで、"集中暖房"がやや強く効くようになり、室内の空気が乾燥してしまい、「何か酷く喉が渇く...」ということになって、水を飲みたいと思って冷蔵庫のボトルに手を伸ばす頻度も高まっているのでしょう。

↓例えば「美味いコーヒーでも淹れよう」というようなことを居室でする訳でもないので、求めて冷蔵庫に入れておく水について、別段に吟味という程のことはしません。「飲んでサッパリ!」ということで、何となく"ガス入り"のミネラルウォータを求める場合の方が多いように思います。
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↑このところは「このラベル!好いなぁ...」と写真のモノを求める機会が少し多くなっている気がします。

この「虎」のマークですが、これは「虎」を"シンボル"ということにしている沿海地方の会社の製品のようです。本社がウラジオストクで、会社の母体が起こったのが1870年頃としている老舗企業のようです。

この「虎」のマークの<シマコフスカヤ>は、よく利用する近所のスーパーでは1.5リットル入りが51ルーブルです。1.5リットル入りのガス入りミネラルウォーターについては、40ルーブル台から60ルーブル台というようなモノをよく見掛けますが、100ルーブルを超えているようなモノまで、随分と種類が在ります。

当然ながら店の売場の広さ等にもよるのですが、こういう飲用水は「こんなに種類が在るのか?!」と多少驚く程度に色々なモノが売られています。サハリンで製造されているモノ、沿海地方等の極東各地で製造されているモノ、その他のロシア国内や旧ソ連諸国や諸外国のモノが色々と入っています。これらは、ウラジオストク等の大陸の港からコルサコフやホルムスクというようなサハリンの港に船で運び込まれているようです。

殊に"チェーンスーパー"は「2000年代前後から起こった」と見受けられ、起こった当初から「商品に貼られたバーコードをレジの機械で読み込んで精算」という仕組みです。これは裏返せば「売れ筋商品が把握し易く、次の仕入れは売れ筋のモノを多く入れ、売れ行きが鈍いモノは止める」ということです。そういう仕組みの店で「こんなに種類が在るのか?!」と多少驚く程度に飲用水が売られているということは、「嗜好の幅が広い」ということの証左であるというようにも考えてしまいます。

1人で滞在している部屋で、一寸飲むだけなら画のようなボトルが数本在れば好い訳ですが、数人で暮らしている居室やオフィスでは更に多く飲用水が必要です。そういう場所に向けて、「5リットル」等の大きな容器に入った飲用水もスーパーで売られています。他、家庭やオフィスに「15リットル」というような容器のモノを配達するサービスも在ります。そういう大きな容器のモノは、ガス入りのミネラルウォーターではない、普通の水である場合が殆どです。そして割安になっている場合も在り、「15リットル入り150ルーブル」という例も見受けられます。

"集中暖房"がやや強く効く中では、「眠っていて起き出す」というような状況下では九分九厘「水...」というような状況になります。が、寒い戸外から居室に戻ると、"集中暖房"の御蔭で温かいというのは大変に有難いものでもあります。

遅めな夜明と噴水の水...:<チェーホフセンター>前(2018年11月14日)

↓東寄りな空が明るい感じになり、雲が独特な色彩を帯びていました。未だ"夜間"の照明が消えていない状況下、「凄く好い感じ!」と足を停めました。
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↑腕時計に眼を落せば、午前8時少し前で、少しずつ通り過ぎる車輛や通行人が増え始めています。"夜間"の照明に浮かび上がるのは、劇場の<チェーホフセンター>です。

「ユジノサハリンスクの午前8時」は「稚内(=日本時間)の午前6時」です。11月も半ばで、朝の明るくなる時間帯がかなり遅めになっています。

↓<チェーホフセンター>の建物正面側に廻ってみました。
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↑硝子張りの部分に、通りを挟んだ向かいに建つサハリン州政府本庁舎の様子が映り込んでいます。

<チェーホフセンター>の建物正面側には噴水が据えられていますが、既に水が抜かれて"冬季"の態勢です。10月から11月に暦が変わるような頃、各所でこうした措置が講じられていたようでした。既に紅葉した葉が残っている木の方が少数派で、加えて噴水のようなものが「冬季態勢」で、「いよいよ冬か?」という感です。

ユジノサハリンスクでは、この画のような「明るくなる前の朝早く」という時間帯には、「0°C以下」という日が多くなっています。他方、少し前に降水が見受けられた日には気温が偶々少しだけ上っていて"雨"だったので、何となく「雪が遅れている?」というような気もします。昨年を振り返ると、11月半ば辺りで既に雪が降ったり融けたりという感で、雪解けの水分が凍って、妙な箇所がテカテカになっていたというような場面も見受けられました。そういう「多少危ない場合も...」を免れているので、雪が遅れていることは然程気になりません。

この時季、午前8時で薄暗い訳ですが、「朝日の光で面白い様子になる空」を観ることが出来る機会が拡がっているとも考えられる訳で、こういうのも「悪くない...」と思う昨今です。

"カップ戦"でも快走中の<ヴォストーク65>!!:バスケットボールの<スーパーリーグ>と並行開催の<ロシアカップ>(2018年11月12日)

ロシアのプロスポーツの話題が出て来るスポーツ報道等の文章に、時々「レギオニェル」(легионер)という語が現れます。バスケットボール関係でも使っています。

「レギオニェル」(легионер)という語は、日頃耳にするでもない語です。普通に聞けば、古代のローマ帝国の軍制を論じているような場面に出て来る歴史用語というような話しになるのでしょうが、他に「傭兵部隊の隊員」というような意味も在ります。この語がプロスポーツの世界で使われる場合には「一定期間の契約で出身国やそれ以外の国々のチームを渡り歩いてプレイする選手」ということになり、ロシアのバスケットボールの世界では「ロシア以外の国々出身の選手達」、「外国人選手達」ということになります。

<スーパーリーグ>では最も新しいチームということになるユジノサハリンスクの<ヴォストーク65>にも、スポーツ関係の記事で「レギオニェル」(легионер)と呼ばれる外国出身選手が2人プレイしています。

#21のニコラ・エフティチはパワーフォワードやセンターのポジションを務めるセルビア出身の選手です。ロシア語の男性名でよく在る「ニコライ」ではなく、「ニコラ」という名なので「少し変わっている?」と思ったのですが、セルビア出身でした。得点、リバウンド、アシストと各部門の個人成績も好く、堅実なプレイで存在感を示している頼もしい選手です。

#3のカーマイン・ミッチェルは欧州諸国の様々なリーグでのプレイ経験を有し、今季からサハリンにやって来た米国出身の選手で、ポイントガードを務めています。チームの"斬り込み隊長"という感で攻撃の起点になり、守備場面では相手のガードを執拗に追って、隙を視てボールを奪って反転攻勢を仕掛けます。身長が183cmで、街で出くわす一般男性と然程変わらないような感ですが、「うゎ!飛んだ!?」という跳躍でダンクシュートも決めてしまいます。「ホーム開幕!!」を伝えるポスターにも写真が登場した、文字どおりの"看板選手"でもある存在です。

彼らは何時も大活躍で、当然ながら人気者ですが、この選手達が「出場出来ないことになっている試合」が在ります。

ロシアバスケットボール連盟が主催する<ロシアカップ>という、リーグ戦と並行して開催されるカップ戦が在ります。これは"トップリーグ"である<ユナイテッドリーグ>や、<ヴォストーク65>も参加している<スーパーリーグ>の各チーム、更に希望が在ればその他の「参加希望チーム」が出場するという大会です。ホームとアウェイで試合をして、2試合の総合点で優劣を競い、勝った側が次のラウンドへ進むという大掛かりなトーナメントで大会が進んで行きます。

この<ロシアカップ>は、ソ連時代からの国内のカップ戦の流れを汲むもので、現在の<ロシアカップ>は2000年から現行体制で続いています。そしてこの<ロシアカップ>の大会規定に「ロシア国籍の選手が出場する」と在るのです。これは、国内の競技レベル向上を目指すというような、古くから続くモノを踏まえた規定なのだと見受けられます。

ユジノサハリンスクで、この<ロシアカップ>の試合が開催されることになりました。「1/16」という段階を勝ち抜けた<ヴォストーク65>は、「1/4」への進出を目指して「1/8」という段階で戦っています。

今般の対戦相手は<ウニヴェルシチェート・ユグラ>です。<ロシアカップ>の試合として、既に彼らの本拠地であるスルグートで試合が催されており、<ヴォストーク65>は93対63で勝っていました。ユジノサハリンスクでの第2戦で、このラウンドの勝敗が決しますが、<ヴォストーク65>は有利な立場です。

今般、<ウニヴェルシチェート・ユグラ>がリーグ戦でサハリンへやって来ることになっていたのを踏まえ、11月10日のリーグ戦から「中1日」で11月12日に試合が組まれました。

<ウニヴェルシチェート・ユグラ>でも、「レギオニェル」(легионер)と呼ばれる外国出身選手がプレイしています。セルビア出身の選手とリトアニア出身の選手ですが、彼らはこの<ロシアカップ>の試合に出ません。

<ウニヴェルシチェート・ユグラ>は10人の選手、<ヴォストーク65>も10人の選手です。が、<ヴォストーク65>に関しては直前の試合で2選手が病欠でした。「彼らはどうする?」と気になって仕方が無かったので、会場に様子を視に行きました。<ヴォストーク65>の、直前の試合で病欠した2選手は戻っていましたが、出場したのは1人で、<ヴォストーク65>は実質9人で戦いました。

リーグ戦とは「別枠」なカップ戦ですが、会場の様子はリーグ戦の時と変わらない華やかな演出が在り、観衆も空席が目立たない程度に大勢集まっています。観衆の中には、リーグ戦とかカップ戦という区別は無関係に「新しいバスケットボールのチームが盛上っているらしいから観たい!」と集まった皆さんも多かったように見受けられます。冒頭の選手紹介で、選手の画が出ますが、その時には外国人2選手を外したヴァージョンのモノが準備されていたようで、それが使われていたのがリーグ戦の時との違いです。

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試合が始まると、両チーム共に「先手を取る!!」とばかりに積極的に仕掛けていた感でした。

<ウニヴェルシチェート・ユグラ>には「ゴール下の覇者」という感の巨漢センター、#23 パーヴェル・ポドコリズィンという選手が在ります。チームが公表する選手名簿には「223cm 140kg」となっていますが、実は「226cm」ということで、「<スーパーリーグ>で最も背が高い選手」というのを通り越し、「存命ロシア人男性で最も身長が高い」という話しさえ在る選手です。<ヴォストーク65>で最も長身な選手は#41 ダニール・ソロヴィヨフで210cmです。ソロヴィヨフと似たような体格の選手は、これまでにユジノサハリンスクにやって来た各チームに見受けられ、何時も彼らがソロヴィヨフと競り合っています。が、このポドコリズィンのような体格であると「(210cmの)ソロヴィヨフが小さく視える?!」という按配です。180cm台の選手達とポドコリズィンが並ぶと、「中学生の練習相手をしている大柄な大学生」とでもいうような体格差で驚いてしまいます。

こういう「ゴール下の覇者」という感の選手が在るためか、双方共に果敢に距離の在るシュートを狙っていました。<ヴォストーク65>側は、「巨大な壁」のような相手センターが護る所に斬り込むよりも、距離の在るシュートで得点を重ねようとします。<ウニヴェルシチェート・ユグラ>側としては、距離の在るシュートを外しても、ゴール下で競り勝ってボールをゴールへ押し込むという可能性が高いと視る訳です。

第1クォータは一進一退で、互いになかなか抜け出せずに24対22で<ヴォストーク65>が僅かに先行しました。

やや単調に、互いに距離の在るシュートを狙っているばかりに視えた第1クォータに対し、第2クォータでは<ヴォストーク65>側が多彩な攻め方を工夫しようとしているように視えました。試合ではチーム最年長(34歳)の#63 アレクセイ・ゴリャホフが若い選手達に知恵を授け、相手を攪乱するように速く、より多くの選手にパスを廻しながら仕掛けていました。「ゴール下の覇者」という感のポドコリズィンの威力に対しては、ボールを持たない選手が何とかシュートを妨げ難いように誘導しようとしていました。それでも「ひょいと手を伸ばすと、ボールを持った大きな手がリングに触れる」というような巨体と向き合うのは大変なことです。

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第2クォータも<ヴォストーク65>が僅かに先行で、45対39という形で折り返しました。

第3クォータですが、<ヴォストーク65>は完全に流れを握ってしまいました。こぼれてしまったボールを素早く掴んで、素早くゴールを目指す反転攻勢の速攻が続々と奏功します。或いは「最もバスケットボールらしい」というような感じです。他方、<ウニヴェルシチェート・ユグラ>側がゴール下を制してしまうように布陣すれば、<ヴォストーク65>の各選手は思い切って3点シュートを狙い、それが面白いように入りました。第3クォータは31対15と<ヴォストーク65>が圧倒し、<ウニヴェルシチェート・ユグラ>側は思うようなプレイが出来ない状況に陥ってしまいました。

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第4クォータに至っても<ウニヴェルシチェート・ユグラ>側が流れを取り戻すことはなく、95対76で<ヴォストーク65>が勝利しました。

この勝利で、<ヴォストーク65>は<ロシアカップ>の「1/8」を勝ち抜け、「1/4」への進出が決まりました。「1/4」になると、トップリーグである<ユナイテッドリーグ>に参加するチームが登場するようです。日程等は追って発表されるということで、未だ明らかではありません。

試合中、得点が入ると、得点を挙げた選手の名前がアナウンスされます。<ウニヴェルシチェート・ユグラ>側については淡々と氏名が読み上げられるのですが、<ヴォストーク65>側に関しては独特な抑揚で華々しく紹介され、場内に喝采が湧き起こります。この時、3点シュートによる得点であれば「トリィッ ァチカァッ!!」(スリーポイントォ!!)というコールも入ります。この試合を観ていて、この「トリィッ ァチカァッ!!」(スリーポイントォ!!)が酷く耳に残りました。この日、主にポイントガードを務めた#27 ダニール・アクショーノフについて、この「トリィッ ァチカァッ!!」(スリーポイントォ!!)が連発していたのですが、彼は30得点を挙げていました。

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少し前に<サハリン>というチームが「最も期待される新興チーム」と言われ、リーグ戦のみならずこのカップ戦でも大変に善戦していたのでしたが、諸般の事情でチームを解いてしまった経過が在りました。「夢よ再び!」と、一部に当時の関係者も加わってこの<ヴォストーク65>が活動しているといいます。また「最も期待される新興チーム」ということになって行くのも夢物語ではないかもしれません。

この後、11月後半には<ヴォストーク65>は遠征に出ることになっています。
2018年10月 2018年12月