日本のピアニスト 日高志野 と<ユジノサハリンスク室内楽管弦楽団>との共演:<ロシアにおける日本年>の催事(2018年11月18日)
ユジノサハリンスクでは、概ね40名のメンバーを擁するオーケストラ<ユジノサハリンスク室内楽管弦楽団>が活動しています。この楽団と、日本の女性ピアニストがユジノサハリンスク市内の<文化センター"ローディナ">で共演するというお話しが在り、招待券も手に入ったので足を運んでみました。
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<ロシアにおける日本年>ということで、ロシア各地で様々な催事が行われていますが、今般の演奏会もその取組の一環です。
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<文化センター"ローディナ">での演奏会に先駆け、平野駐ユジノサハリンスク総領事が挨拶に立って「音楽は国境や言葉の壁を越えて、誰もが一緒に愉しむことが出来るもので、この演奏会は日ロ双方の演奏家が手を携えて素晴らしい曲を披露する場である」と仰っていました。全くそのとおりで、この日は日本の日高志野がピアノのソロパートを受け持って、エドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』を演奏しました。
クラシックの曲に関しては、「曲名や作曲家や、その他のことはよく知らないが、聞き覚えが在って、何となく頭の中や耳に残るメロディー」という作品が色々と在るように思います。エドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』、殊に冒頭部のドラマティックな感じのメロディーも、そういう作品の一つだと思います。正直、「今日の演目はエドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』」と聞いて、直ぐにどういう曲であったのかは思い出せませんでしたが、演奏が始まれば「あれだ!」と直ぐ判り、また皆さんの演奏する姿が美しく、ステージを見入ってしまいながら、演奏を聴き入りました。
エドヴァルド・グリーグ(1843年-1907年)は、日本史で言えば明治時代の時期に活躍したノルウェーの演奏家、作曲家です。ロシアの有名な作曲家であるピョートル・チャイコフスキー(1840年-1893年)とは、同時代に活躍している人物ということになります。
音楽史では、出身国の伝統的なメロディーを採り入れることや、出身国の文学や歴史や自然に着想を得た作品を創ったというような活動を展開した人達を"国民楽派"と呼ぶ場合が在るようですが、エドヴァルド・グリーグもそうした"国民楽派"と呼ばれる作曲家の一人です。自身がピアノ演奏家としても活躍しており、多くのピアノのための小品を遺していることから「北欧のショパン」と呼ばれる場合も在るそうです。
エドヴァルド・グリーグによる『ピアノ協奏曲』は、彼が完成させた唯一のピアノ協奏曲です。故に、クラシックの演奏会の演目で視掛ける「第X番」というような表現が見当たりません。エドヴァルド・グリーグはノルウェーからドイツに渡って学び、デンマークで若き日を過ごし、またノルウェーに戻って活躍しています。この作品はデンマークに在った1868年、25歳の頃に完成した作品で、本人が何度も改訂を行っているといいます。
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このエドヴァルド・グリーグによる『ピアノ協奏曲』のピアノソロパートを受け持つ日高志野(ひだかしの)は、東京藝術大学に学んだ後、ロシア国立チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に留学し、演奏家活動をしています。日本のクラシック音楽関係者の間では、ロシアは人気が在るようで、ロシアでのコンクールに出場した話しや、ロシアの楽団との共演という話しは耳にすることが多いような気がします。彼女は日本国内やロシアの演奏家に師事して現在に至っており、日本やロシアやその他の国々での多くの演奏会に出演しているそうです。
<文化センター"ローディナ">の700人位は入りそうなホールに入場し、"自由席"であったことから、「どの辺りに陣取ろうか?」とステージを視ながら考えました。ステージ中央辺りの大きなピアノを視て、ピアノソロパートを受け持つ日高志野が演奏する様子が視易いのは左側と見当を付けて、左寄りな辺りの席に座りました。これで正解だったと思います。時に激しく、時に優しくピアノを弾く様子がよく視えて、なかなかに興味深かったです。
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演奏が始まると、エドヴァルド・グリーグが「故郷であるノルウェーのベルゲン辺りのフィヨルドの光景をイメージした?」とも言われる壮麗なオープニングから、力強いピアノの音でした。そして管弦楽パートとピアノパートが繰り返され、各楽器の幅広い表現に魅せられ、「えっ?もう演奏が終わってしまう?!」という位に夢中になりました。お年寄りからお子さんまで、かなり広い層のユジノサハリンスクの皆さんが集まった会場は、大喝采に湧き上がりました。
演奏終了後にオーケストラの指揮者であるティグラン・アフナザリャンが一言コメントしていました。演奏会に使ったピアノは、ユジノサハリンスクに新たに入ったばかりのモノで、本格的な演奏会に使われたのはこの日が初めてだったということです。その初めての演奏を行ったのが、日本の素敵なピアニストである日高志野であったということが、地域の文化活動の歴史に刻まれたとしていました。
日ロ双方の演奏家が手を携えて、国境や言葉の壁を越える音楽が創り出された中に居合わせる機会が持てたという日曜日でしたが、大変に幸運でした。
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<ロシアにおける日本年>ということで、ロシア各地で様々な催事が行われていますが、今般の演奏会もその取組の一環です。
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<文化センター"ローディナ">での演奏会に先駆け、平野駐ユジノサハリンスク総領事が挨拶に立って「音楽は国境や言葉の壁を越えて、誰もが一緒に愉しむことが出来るもので、この演奏会は日ロ双方の演奏家が手を携えて素晴らしい曲を披露する場である」と仰っていました。全くそのとおりで、この日は日本の日高志野がピアノのソロパートを受け持って、エドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』を演奏しました。
クラシックの曲に関しては、「曲名や作曲家や、その他のことはよく知らないが、聞き覚えが在って、何となく頭の中や耳に残るメロディー」という作品が色々と在るように思います。エドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』、殊に冒頭部のドラマティックな感じのメロディーも、そういう作品の一つだと思います。正直、「今日の演目はエドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲』」と聞いて、直ぐにどういう曲であったのかは思い出せませんでしたが、演奏が始まれば「あれだ!」と直ぐ判り、また皆さんの演奏する姿が美しく、ステージを見入ってしまいながら、演奏を聴き入りました。
エドヴァルド・グリーグ(1843年-1907年)は、日本史で言えば明治時代の時期に活躍したノルウェーの演奏家、作曲家です。ロシアの有名な作曲家であるピョートル・チャイコフスキー(1840年-1893年)とは、同時代に活躍している人物ということになります。
音楽史では、出身国の伝統的なメロディーを採り入れることや、出身国の文学や歴史や自然に着想を得た作品を創ったというような活動を展開した人達を"国民楽派"と呼ぶ場合が在るようですが、エドヴァルド・グリーグもそうした"国民楽派"と呼ばれる作曲家の一人です。自身がピアノ演奏家としても活躍しており、多くのピアノのための小品を遺していることから「北欧のショパン」と呼ばれる場合も在るそうです。
エドヴァルド・グリーグによる『ピアノ協奏曲』は、彼が完成させた唯一のピアノ協奏曲です。故に、クラシックの演奏会の演目で視掛ける「第X番」というような表現が見当たりません。エドヴァルド・グリーグはノルウェーからドイツに渡って学び、デンマークで若き日を過ごし、またノルウェーに戻って活躍しています。この作品はデンマークに在った1868年、25歳の頃に完成した作品で、本人が何度も改訂を行っているといいます。
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このエドヴァルド・グリーグによる『ピアノ協奏曲』のピアノソロパートを受け持つ日高志野(ひだかしの)は、東京藝術大学に学んだ後、ロシア国立チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に留学し、演奏家活動をしています。日本のクラシック音楽関係者の間では、ロシアは人気が在るようで、ロシアでのコンクールに出場した話しや、ロシアの楽団との共演という話しは耳にすることが多いような気がします。彼女は日本国内やロシアの演奏家に師事して現在に至っており、日本やロシアやその他の国々での多くの演奏会に出演しているそうです。
<文化センター"ローディナ">の700人位は入りそうなホールに入場し、"自由席"であったことから、「どの辺りに陣取ろうか?」とステージを視ながら考えました。ステージ中央辺りの大きなピアノを視て、ピアノソロパートを受け持つ日高志野が演奏する様子が視易いのは左側と見当を付けて、左寄りな辺りの席に座りました。これで正解だったと思います。時に激しく、時に優しくピアノを弾く様子がよく視えて、なかなかに興味深かったです。
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演奏が始まると、エドヴァルド・グリーグが「故郷であるノルウェーのベルゲン辺りのフィヨルドの光景をイメージした?」とも言われる壮麗なオープニングから、力強いピアノの音でした。そして管弦楽パートとピアノパートが繰り返され、各楽器の幅広い表現に魅せられ、「えっ?もう演奏が終わってしまう?!」という位に夢中になりました。お年寄りからお子さんまで、かなり広い層のユジノサハリンスクの皆さんが集まった会場は、大喝采に湧き上がりました。
演奏終了後にオーケストラの指揮者であるティグラン・アフナザリャンが一言コメントしていました。演奏会に使ったピアノは、ユジノサハリンスクに新たに入ったばかりのモノで、本格的な演奏会に使われたのはこの日が初めてだったということです。その初めての演奏を行ったのが、日本の素敵なピアニストである日高志野であったということが、地域の文化活動の歴史に刻まれたとしていました。
日ロ双方の演奏家が手を携えて、国境や言葉の壁を越える音楽が創り出された中に居合わせる機会が持てたという日曜日でしたが、大変に幸運でした。