ネベリスク:在ユジノサハリンスク日本国総領事館による<日本文化紹介事業>(2018年10月24日)

サハリンには「在ユジノサハリンスク日本国総領事館」という日本の在外公館が設置されています。こうした在外公館には色々な役目が在る訳ですが、その一つに「管轄地域内の人々に日本文化に親しんで頂くような取組」が在ります。

在ユジノサハリンスク日本国総領事館では、日本の中高生に相当する年代の生徒達に向けて、学校を訪ねて文化紹介を行うことに取組んでいます。その種の催事は、ユジノサハリンスクでの開催ということが多くなる訳ですが「サハリンの他の地域での開催?」ということになり、稚内市との永い友好都市交流の経過が或るネベリスクでの開催ということになりました。

そういう計画が決まり「稚内市との永い友好都市交流の経過」に鑑みて、稚内市サハリン事務所にも何か関係の話題での講演と、文化体験での講師役という要請を頂き、筆者がそれに参加する運びとなりました。

訪ねたのはネベリスクの<第3番学校>です。1年生から11年生までの600人程度が学ぶ学校とのことです。場所に関しては、稚内市内の高校生とネベリスクの高校生相当年齢生徒とによる<サハリン友好都市青少年交流>でネベリスクを訪れた際に立寄っている場所でした。

ネベリスク市内には永く4つの学校が在ったということですが、2007年の地震災害で各校舎が傷んだこと、そして災害後に地域の人口が流出したことに鑑みて、学校は<第2番学校>と<第3番学校>の2校となったそうです。

<第3番学校>に関しては、地震災害後の2010年に完成した校舎を使用しています。「概ね400人が学ぶ」というような想定で建てられた校舎ですが、近年は「人口減少が多少落ち着き、災害前の人口に回復したでもない他方、児童生徒の数が多少増えた」という様子だということでした。

ネベリスク地区側、学校側ではネベリスク市内の2校と、隣町という形ながら日常からネベリスク市内との往来も盛んな"同一地区内"であるゴルノザヴォツクの学校の「9年生から11年生」、日本の中高生に相当する年齢の生徒達の参加を募りました。

そうしたところ、3校の「9年生から11年生」が130人程度、一部の教職員も加わってホールが溢れそうな参加者が集まりました。正直、驚きました。後から校長先生が言っていたのは、「あの子は8年生?」という生徒も散見したそうです。

1 集まった生徒達.jpeg

日本の文物に纏わる話題の講演に、多くの生徒達や教職員が関心を寄せてくれていました。様子を視る限り、皆さんがなかなかに真剣に話しを聴いていました。

最初は「日本の高校?」という話しです。学校が小学校、中学校、高校と在ることや、高校でのクラブ活動や学校行事、高校生を対象とした「将来の夢」というアンケートに関する話題等を取上げました。

続いて、筆者が担当したのですが、稚内とネベリスクとの交流に関することです。

2 稚内の話し.jpeg

稚内とネベリスクとの友好都市提携は46年前の1972年で、最年長が17歳というような集まった生徒達にとっては、多少想像し悪い昔です。「ソ連の指導者のブレジネフが米国のニクソン大統領と会談」という出来事が在ったと言っても、そういうのは"歴史の教科書"に出て来る挿話です。1972年には冬季が札幌、夏季がミュンヘンというようにオリンピックが開催されましたが、生徒達にとっては「冬季と夏季が交互に2年毎」という90年代以降のやり方の方が馴染んでいる筈です。

そういう古い時代、更に古い時代に<稚斗航路>で結ばれていたという縁等に鑑みて友好都市提携が行われたのでした。そうした歴史や、往年の航路が発着した辺りに築かれた稚内港北防波堤ドームのことや、当時走っていた鉄道車輛に関すること、稚内港北防波堤ドーム建設の際に参考にしたというコンクリート橋梁のこと等を話題にしました。

そして、北海道とサハリンとを結ぶ定期交通路が確立する少し前の時期、ネベリスクの人達が「交通手段が無い?では、そこに在るヨットで訪ねてみよう」と挑戦したことが端緒となって、やがて交通路が確立して行く中で地域間の交流が盛んになって現在に至っていることも御紹介しました。

話しの中で、稚内とネベリスクとが友好都市提携を行った1970年代頃には、蒸気機関車の運用を止めた、路面電車を廃止したというような、「世の中の様子の変化」も色々と見受けられた時代であったということも話題にしました。

全部ロシア語で、100人規模の生徒達に一定の纏まった話しをするというのは、然程機会が在るでもないので何日間かで準備をしたのでしたが、反応は良好でした。というよりも、「他所の人が学校にやって来て、何やら話しをする」ということに「関心を持って耳を傾ける」という姿勢が強く感じられました。

その後は文化体験です。総領事館で招聘した著名な講師であるアレクサンドラ・クドリャショーワさん達による生け花の体験の他、総領事館の皆さんが囲碁や将棋の体験教室を催しました。更に筆者は書道の担当です。

書道の体験には、色々な意味で日本語や、彼らの目線では「不思議なモノ」に視えるであろう日本で使う文字に好奇心を抱く生徒達が集まっていました。

3 書道.jpeg

最初に、日本語の文字に関して、最初は漢字が導入され、カタカナや平仮名が登場して現在に至っていることや、日本の学校では漢字の読み方、書き方、意味を学び、小学校の6年間で概ね1000字を学ぶということを御紹介しました。

そしていよいよ書道に挑戦です。筆を使って文字を書く訳ですが、漢字を使わない国々の人達は「描く」という感覚を抱くのが通例です。そこで、これは「描く」ではなく「書く」であると説き、"永"という文字を使って説明される「基本的な運筆」、所謂<永字八法>から試しました。

暫らく練習してから、四季を示す「春夏秋冬」の字や、"愛"や"夢"というような好まれそうな言葉の字を書いてみました。皆さん「どうしてこういう具合に!?」と不思議がったり、「何となく好く出来たかな?」という按配で各々に挑戦していました。漢字が意味も併せて示す"表意文字"であることを話題にしていましたが、生徒達の中には書いてみた感じの脇に、意味をメモ書きしているという例も見受けられました。

講堂での講演の際は然程気にならなかったのですが、この催事にはネベリスクで「地元の話題を伝えるコンテンツ」も制作しているケーブルテレビの<ネベリスクTV>が取材に入っていました。<日本文化紹介事業>のことが、そして参加した生徒達の様子がネベリスク地区の多くの皆さんにも紹介される訳です。

4 ケーブルテレビ.jpeg

学校で色々なことを学ぶ一環として、隣国日本に纏わることを大きく取り上げて頂けていること、率直に嬉しく思う面が在りました。今般の催事に限定ということでもなく、学校では一寸した絵画作品の制作で「テーマは..."日本"にしよう!」というようなこともしていて、そういう生徒達のイラストが貼られた場所も校内では視掛けました。

或いは、ここで「日本語の文字」という話しを耳にした生徒達の中から、遠くない将来に日本語を学んで何かに活かしてくれるような例が一つでも出てくれば、それは望外の喜びです。

稚内市サハリン事務所では、在ユジノサハリンスク日本国総領事館等の関係機関とも手を携え、こうした文化交流に協力して行きたいと思います。

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