1990年代のことでしたが、サハリンの方とお話しをして、祝日ということに話題が及んだことが在りました。
「5月9日が多分、一番大きな祝日ですよね?」という話しになると「"多分"ではなく、"間違いなく"最大の祝日であろう。あの戦争では何処の人でも、大概は一族の誰かが何らかの型で亡くなった経過が在ると言われている。戦時中に亡くなった人達を悼み、平和な今日に感謝し、豊かな明日を目指すということに関しては、時代や体制がどう変わろうと、変わる筈もないのだ」というお話しを耳にしたのでした。それが何となく忘れられません。
この5月9日は、ロシア全土で軍等によるパレードと戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭というような催事が在る日です。ユジノサハリンスクもそうした例に漏れません。
ユジノサハリンスクでは、市街の南東側に大聖堂が在るパベーダ(勝利)広場が在り、そこから戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭を催す、少し北のスラーバ(栄光)広場へパレードが催されるということでした。
パレードの開始の30分程度前を目掛けてパベーダ(勝利)広場に向かいましたが、広場へ通じる道路が大胆な交通規制の下に在り、大勢の人達が集まっていました。
↓横断幕の左側には、直訳では判り悪いのですが「永遠に功績を讃えられるべき人達」と理解出来るフレーズが在ります。
2017年05月09日 (10).jpg ↑ロシアでは「大祖国戦争」と呼ばれる第2次大戦に従軍した経過が在る一族のどなたかの写真等を手にした、本当に幅広い世代の人達が集まっていました。
↓パベーダ(勝利)広場には開始30分位前から三々五々、色々な人達が集まっていました。
2017年05月09日 (8).jpg ↓開始10分位前になると、通に集まっていた人達が誘導されて来てその場に溢れ、パレードが見えないのでスラーバ(栄光)広場へ通じる道路沿いへ移動しました。
2017年05月09日 (7).jpg ↓広場でのどよめくような声の後にパレードが動き始め、"儀仗兵"という趣の華やかな制服の一団を先頭に行進が始まりました。
2017年05月09日 (14).jpg ↓サハリンに展開する色々な軍種の色々な部隊から、選抜された部隊か、各部隊で選抜されたメンバーが参加しているように見受けられました。
2017年05月09日 (12).jpg ↑というのも、沿道や周辺に警察の各分野の皆さんの他に、軍関係でも大勢の人手を出して配置している様子が見られたからです。
↓各々のグループで、独特な掛け声や、「記念日の歌」という感じのもの、或いは「
○しろまる○しろまる隊の歌」という感じのものが在るようで、皆さんがそういう歌を口ずさむなどしながら行進していました。
34414692411_5d0ac2f298_k.jpg ↓女性兵士の一隊は『カチューシャ』を朗々と歌いながら行進していました。
2017年05月09日 (13).jpg ↓女性が参加している軍種は幾つか在りました。
2017年05月09日 (6).jpg ↓関連の学校なのだと思われますが、「高校生位?」というように若い人達も見受けられました。
2017年05月09日 (5).jpg ↓そして軍用車輛が登場しました。
2017年05月09日 (4).jpg ↑装甲兵員輸送車は独特な存在感です。
↓「ロシアの軍用車」とでも聞けば思い浮かべるような迷彩塗装の車輛も在りました。
2017年05月09日 (9).jpg ↑各車両には<ПАРАД>(パレード)と、「催事専用」のナンバープレートが着けられていました。
↓最後尾から音楽隊が登場しました。
2017年05月09日 (3).jpg ↓辺りには「街中の人達が?!」と驚く程度に人が出ていました。
2017年05月09日 (2).jpg ↑後から考えて多少不思議だったのですが、現場周辺で「駐車場がどうした、こうした」という話しが聞こえませんでした。催事には「徒歩で集まる」ものなのでしょうか?交通規制も大胆で、間近には誰かの自家用車が簡単に入り込めない状態でもありましたが。
↓スラーバ(栄光)広場では、非常に多くの人達が見守る中で戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭というようなセレモニーが催されました。
2017年05月09日 (1).jpg ↑音楽隊によるロシア国歌の演奏の最中に銃を使った空砲が鳴り響くという感じは"生"で初めて見ました。
↓実際に第2次大戦に従軍した経過が在る方が、市民代表で献花を行う等していましたが、地元テレビ局のレポーターがインタビューをしていました。報道関係のカメラマンも大勢出ていました。
2017年05月09日 (15).jpg ↓広く市民の献花等を迎えるように、スラーバ(栄光)広場の様子が整えられました。
2017年05月09日 (11).jpg 「戸外での催事」には好適な感じの好天だった祝日でしたが、「この日への人々の想い」の強さに触れる経験でした。