「引っ越し」(2017年05月06日)

↓ネベリスク市街の集合住宅の前です。
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↑住宅の前にコンテナを載せたトレーラーが停車中で、出入口の前に家具等が積まれていました。

歩き回って喉が渇き、辺りの店で飲物の求め、求めたモノを飲みながら足を止めていて目に留めた光景です。一家の人、またはその同僚や友人という感じの人達が家具を外に出して「やれやれ...」とソファか何かに腰を下ろして一息入れている様子が見受けられました。どなたかがネベリスクから他所へ転出するのでしょう。

手伝う人が集まって、コンテナに家具を入れる様子ですが、「引っ越し」というよなものは、国や地域が変わっても、やることは然程変わらないのかもしれません。

因みにこれは未だ午前中でしたが、この日は昼から雨が降りました。朝から精力的に動き、この方はモノを濡らさずにコンテナに入れることが出来たことでしょう。

ネベリスクで視掛けた「国外旅行」を促す旅行会社の広告看板(2017年05月06日)

海岸に貼り付くように市街が拡がるネベリスクでは、街を歩けば自ずと海岸沿いをゆったりと進むことになります。それが存外に心地好いものです。

↓そうやって心地好く歩いていて、時季に特有な「5月9日」の飾りを施した橋と同時に、なかなかに大きな看板に目を留めました。
at Nevelsk on MAY 06, 2017 vol03 (23)
↑ユジノサハリンスクではこの種の看板が多いのですが、ネベリスクのような人口規模が小さな街でも目に留まる訳です。周囲に同種の看板が少ない分、ひどく目立ちました。

看板には「タイ、ベトナム、三亜((注記)中国の海岸リゾート)」という「国外」の地名が並んでいます。

↓広告の主はユジノサハリンスクに在る旅行会社のようです。(看板にも文字が読めますが、ロシア語のウェブサイトが在りました。)
>>СахТур(サフトゥール社)

通貨の情勢等の影響で、近年は「国外旅行が不振?」と言われるロシアですが、こういう具合に広告が出ています。或いは、「国外旅行が不振?」であるが故に、「安価で内容の好い旅行商品が在る」と宣伝しているのかもしれません。

なかなかに興味深いものです。

「5月9日」の様子

1990年代のことでしたが、サハリンの方とお話しをして、祝日ということに話題が及んだことが在りました。

「5月9日が多分、一番大きな祝日ですよね?」という話しになると「"多分"ではなく、"間違いなく"最大の祝日であろう。あの戦争では何処の人でも、大概は一族の誰かが何らかの型で亡くなった経過が在ると言われている。戦時中に亡くなった人達を悼み、平和な今日に感謝し、豊かな明日を目指すということに関しては、時代や体制がどう変わろうと、変わる筈もないのだ」というお話しを耳にしたのでした。それが何となく忘れられません。

この5月9日は、ロシア全土で軍等によるパレードと戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭というような催事が在る日です。ユジノサハリンスクもそうした例に漏れません。

ユジノサハリンスクでは、市街の南東側に大聖堂が在るパベーダ(勝利)広場が在り、そこから戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭を催す、少し北のスラーバ(栄光)広場へパレードが催されるということでした。

パレードの開始の30分程度前を目掛けてパベーダ(勝利)広場に向かいましたが、広場へ通じる道路が大胆な交通規制の下に在り、大勢の人達が集まっていました。

↓横断幕の左側には、直訳では判り悪いのですが「永遠に功績を讃えられるべき人達」と理解出来るフレーズが在ります。
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↑ロシアでは「大祖国戦争」と呼ばれる第2次大戦に従軍した経過が在る一族のどなたかの写真等を手にした、本当に幅広い世代の人達が集まっていました。

↓パベーダ(勝利)広場には開始30分位前から三々五々、色々な人達が集まっていました。
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↓開始10分位前になると、通に集まっていた人達が誘導されて来てその場に溢れ、パレードが見えないのでスラーバ(栄光)広場へ通じる道路沿いへ移動しました。
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↓広場でのどよめくような声の後にパレードが動き始め、"儀仗兵"という趣の華やかな制服の一団を先頭に行進が始まりました。
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↓サハリンに展開する色々な軍種の色々な部隊から、選抜された部隊か、各部隊で選抜されたメンバーが参加しているように見受けられました。
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↑というのも、沿道や周辺に警察の各分野の皆さんの他に、軍関係でも大勢の人手を出して配置している様子が見られたからです。

↓各々のグループで、独特な掛け声や、「記念日の歌」という感じのもの、或いは「しろまるしろまる隊の歌」という感じのものが在るようで、皆さんがそういう歌を口ずさむなどしながら行進していました。
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↓女性兵士の一隊は『カチューシャ』を朗々と歌いながら行進していました。
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↓女性が参加している軍種は幾つか在りました。
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↓関連の学校なのだと思われますが、「高校生位?」というように若い人達も見受けられました。
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↓そして軍用車輛が登場しました。
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↑装甲兵員輸送車は独特な存在感です。

↓「ロシアの軍用車」とでも聞けば思い浮かべるような迷彩塗装の車輛も在りました。
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↑各車両には<ПАРАД>(パレード)と、「催事専用」のナンバープレートが着けられていました。

↓最後尾から音楽隊が登場しました。
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↓辺りには「街中の人達が?!」と驚く程度に人が出ていました。
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↑後から考えて多少不思議だったのですが、現場周辺で「駐車場がどうした、こうした」という話しが聞こえませんでした。催事には「徒歩で集まる」ものなのでしょうか?交通規制も大胆で、間近には誰かの自家用車が簡単に入り込めない状態でもありましたが。

↓スラーバ(栄光)広場では、非常に多くの人達が見守る中で戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭というようなセレモニーが催されました。
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↑音楽隊によるロシア国歌の演奏の最中に銃を使った空砲が鳴り響くという感じは"生"で初めて見ました。

↓実際に第2次大戦に従軍した経過が在る方が、市民代表で献花を行う等していましたが、地元テレビ局のレポーターがインタビューをしていました。報道関係のカメラマンも大勢出ていました。
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↓広く市民の献花等を迎えるように、スラーバ(栄光)広場の様子が整えられました。
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「戸外での催事」には好適な感じの好天だった祝日でしたが、「この日への人々の想い」の強さに触れる経験でした。

「КОРСАКОВ」(コルサコフ)を手で表現?(2017年05月08日)

↓コルサコフ市内の<芸術学校>の塀に描かれていた画です。
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↑「何やら不思議な?」と思いながら眺め入ってしまいました。

↓通の反対側に渡って、全体を眺めてみて判りました!
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↑"手"で"К"、"О"、"Р"、"С"、"А"、"К"、"О"、"В"の各文字、街の名である「КОРСАКОВ」(コルサコフ)を表現していたのでした。

これは一寸面白いと思いました。

ネベリスクのトド(2017年05月06日)

ネベリスクは"市章"にトドを描いているように「沿岸にトドが居る」ことが知られている街です。

話しとしては何度となく聞いていて、道路の脇で「あそこがトドの居る場所で...居た!動いている...」と視掛けたことは在りましたが、多少ゆっくりと眺めてみたことは在りませんでした。

そこで休日を利用し、ユジノサハリンスク・ネベリスク間を都市間バスで往復し、少し眺めて来ました。

ネベリスク地区行政府庁舎が在るような辺りを南側へ進み、新しい教会が在る辺りを越え、"レーニン通"という住所表示が何時の間にか"ベゴバヤ通"という表示に切り替わるような辺りで、「少し大きく張り出した砂浜」のようになっている場所が在ります。

その砂浜で、普通に歩いて差し支えなさそうな場所を海の側へ進んで行きます。散策している人達や、テントを張ってお弁当を広げているような人達も視えましたから「特段に支障は無かろう」と考えられる場所です。

↓やがて離岸堤のようになった箇所に、トドの群れが蠢いているのが判りました。
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↑数は数え悪い感じです。デジタルカメラの望遠にして、少し様子を眺めていました。

海辺の風に乗って、微かにトドの群れが発している声音が聞こえてきます。この画には写っていませんが、辺りを海鳥が飛び回る場面や、トドの一部が「ドボン!」と海に飛び込む場面も視えました。

筆者は「全く初めての国外訪問」が、ネベリスク訪問を目的としたサハリン渡航だった訳で、ネベリスクとはとりあえず「実に永い付き合い」なのですが、然程の時間でもないとは言え、気が済むようにトドを眺めたのは初めてでした。稚内でも見受けられるアザラシと、広い意味では仲間ということになるトドですが、アザラシよりも格段に大きな動物であることが遠目でも判ります。

ロシア全土の中で、サハリンが"島"であることは「際立った特徴」ということになり、サハリンの人達は「地域」を示す代名詞のように"島"という表現を多用します。そういう"島"なので、アザラシやトドのような海獣は「地域を代表する独特な動物」という大きな存在感を有している様子です。そんな動物が、日本の用語で言う「港湾区域の一隅」に居るネベリスクです。

ネベリスクの皆さんが大切にしているトドですが、これは一見の価値が在ると思いました。

<Роллы Филаделбфия>(フィラデルフィア・ロール)?!(2017年05月09日)

「フィラデルフィア」と聞けば、米国の都市で、米国では歴史や伝統を誇る東部の街のことでしょう。

↓その「フィラデルフィア」の名を冠したモノにユジノサハリンスクで出くわしました。
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↑現場はスーパーの惣菜コーナーでした。思わず490ルーブルで求めて持ち帰ったのでした。

サハリンでは"寿司"または"鮨"(суши)に対して"ロール"(рлллы)という表現を耳にすることが多いように思います。殊に"ロール"(рлллы)という表現の方が、"寿司"または"鮨"(суши)よりも聞く頻度がやや高いかもしれません。

"ロール"(рлллы)というのは、「巻き寿司」のことらしいのです。敢えて「らしい」としてみたのは、"巻き寿司"と聞いた時に思い浮かべるようなモノよりも、多少「範囲が広い」ように思えるからです。

米飯や魚介、肉、野菜、その他何でも好みのモノを"巻き寿司"的に巻いてしまい、それを切って、適当に調味料を付けて頂くモノ。"ロール"(рлллы)とは、"巻き寿司"に起源を有すると言い得るかもしれないのですが、これは「既に独自なカテゴリー?」という感じがしないでもありません。

↓何が「フィラデルフィア」なのかは、正直なところ全く判りません。が、サーモンを米飯の外周に巻き、米飯の中に野菜が巻き込まれているものでした。サーモンには"とびっ子"が散らされています。醤油と緑のワサビが在って、それを適当に付けて頂くというようになっています。序でにレタスの脇に"ガリ"も添えられていました。
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↑「5月9日製造 消費期限24時間」と謳っていました。直ぐに頂いてみましたが、これは「悪くない!!...」という感じでした。寿司ネタのサーモンについて、筆者は嫌いではありません。それが頂ける訳で、醤油も何処のどういうモノか判りませんが、特に違和感が在るでもありません。稚内のスーパーの惣菜コーナーに見受けられる寿司の類と大差が無いと思いました。

こういうようなモノについて、"起源"は日本かも知れませんが、既にそれを容れた国や地域で「各々の好み」で独自な発展の道を辿っているように見えます。

これは考えてみれば、色々な経路や経過で入った国外由来の何かが、日本国内で独自に発展して、独自な存在感を示すようになっているモノが枚挙に暇が無いのと一緒なのではないでしょうか。

"ピラジョク"="ピロシキ"の単数形(2017年05月08日)

"ピロシキ"と言えば「ロシア由来のモノ」として、或る程度日本国内でも知られていると思います。

"ピロシキ"は「пирожки」と綴り、"複数形"です。「1個のピロシキ」と"単数形"で言う場合には"ピラジョク"となり、「пирожок」と綴ります。

↓パンやケーキの販売から起こったカフェチェーンの店で、その"ピラジョク"="ピロシキ"を求めてみました。コルサコフに出店した店で、珈琲と一緒に頂きました。
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↑御覧のように、「小ぶりなパン」で中に惣菜のような具材が入ったモノです。「揚げパン」的なモノというのでもありません。写真のモノは各々38ルーブルでした。

↓ジャガイモが入ったモノは、意外にポピュラーです。
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↓キャベツが入ったモノも定番な感じのモノだと思います。
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実際、「何口かでサクッと頂く」という雰囲気で、飲物を頂こうというような場面で頂くようなモノです。野菜類のような惣菜的な具の他に、ジャムか何かのような、デザート的な具のモノに出くわすことも在り、種類は非常に豊富なようです。

「ロシア由来のモノ」として、或る程度日本国内でも知られていると見受けられる"ピロシキ"ですが、サハリンで出くわすモノは、日本国内で視掛ける感じと一寸違います。

ユジノサハリンスク市内で求めたトイレットペーパー(2017年05月05日)

宿泊施設から借上住宅に移って、当面は残っていたトイレットペーパーを使ったのですが、足りなくなって来たので近所の店で求めました。

↓色々なモノが売られていますが、4巻入って210ルーブルのモノを求めてみました。
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↑1巻が24mだそうです。適当な幅でミシン目が入っていて、手触り等も日本国内で出回っているようなモノと然程違いは在りません。

しかし、何となく日本国内で出回っているモノよりも「幅」が少しだけ狭いような気がします。

1990年代前半辺りには「サハリンへ行けば、使い易いトイレットペーパーが...」という話しが在りましたが、現在ではそういうことは一切在りません。ただ"シャワートイレ"は一般的とは言い難い状態です。

旧北海道拓殖銀行大泊支店(2017年05月08日)

コルサコフ市内に残る樺太時代の建築として知られる、往時の「北海道拓殖銀行大泊支店」は老朽化が目立っていました。この建物に関して「修復をして利用する」という方向で、州政府や地区行政府も関与して修復整備に着手されたと聞いていました。

↓コルサコフ市内を歩いてみて、様子を視て「あれ?!」と驚きました。遠目には「建物がピカピカに!?」と視えたのです。
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↑これは「建物外観風」に設えられた幕のようなモノで、確りと建物を囲い込んで、その囲い込んだ中で修復整備の作業を進めているようです。

現時点では、明確に利用方法が決定した段階ではないようですが、立派に往年の雰囲気を伝えるようになってくれることが願われます。