日本風な設えの庭とロシア正教の教会(2017年05月12日)
州政府のビルやチェーホフ劇場や郷土博物館が在るコムニスチ―チェスキー通の東寄りな辺りに<北海道センター>が在ります。<北海道センター>には日本関係の団体や企業のオフィスが多く入居しています。
↓その<北海道センター>の脇を東側から西側へ歩んでいた時、ビルの脇に日本風な設えの庭が在ることに気付きました。
日本風な設えの庭とロシア正教の教会.jpg
↑芝生が美しい緑になり始めている中、小さな石灯篭や太鼓橋型に歩道の一部が設えられていて、大きな石も据えられています。が、その日本風な設えの向こうに、ロシア正教の教会が視えています。
写真のロシア正教の教会は<復活主教座聖堂>と呼ばれるもので、サハリンでロシア正教の教会を建てることが盛んになり始めた1990年代から建設が進められていた経過が在り、<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>が出来上がって活動を始めるまでは、サハリンで最も格式が高い教会であったようです。典雅な姿が美しく、「ロシアらしい?」ということで、サハリンを紹介するポスター等にも、この建物の画が盛んに使われた経過が在ります。
そんな「ロシアらしい?」光景が、日本風な設えの庭の向こうに見えています。単純に、夕刻の光の感じも手伝って美しい風景だと思ったのでしたが、暫し足を停めて光景を見入ってしまいました。
これが日本国内各地の有名な庭園の一部に見受けられる"借景"というようなことであれば、「なかなかに"深遠"」と考えてしまいました。「日本風な設えの庭の向こうにロシアの光景」というのが、「北海道とサハリンの位置関係」を象徴しているように見えなくもないからです。
こういうように感じたということをサハリンの方に話してみました。すると大笑いされて、「単なる偶然でしょう。誰もそんな複雑なことは考えず、造園工事を請け負った人達が、指示どおりに庭を設えただけではないでしょうか?」というお話しでした。
恐らくは「単なる偶然」の結果として「日本風な設えの庭の向こうにロシアの光景」となったのが真相だとは思います。が、何となく「北海道とサハリンの位置関係を象徴」と考えてしまいます。或いは、ユジノサハリンスクという場所には、色々な時代のモノや様々な由来を有するモノが混在していて、それが「独自なムード」を醸し出しているのかもしれません。
↓その<北海道センター>の脇を東側から西側へ歩んでいた時、ビルの脇に日本風な設えの庭が在ることに気付きました。
日本風な設えの庭とロシア正教の教会.jpg
↑芝生が美しい緑になり始めている中、小さな石灯篭や太鼓橋型に歩道の一部が設えられていて、大きな石も据えられています。が、その日本風な設えの向こうに、ロシア正教の教会が視えています。
写真のロシア正教の教会は<復活主教座聖堂>と呼ばれるもので、サハリンでロシア正教の教会を建てることが盛んになり始めた1990年代から建設が進められていた経過が在り、<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>が出来上がって活動を始めるまでは、サハリンで最も格式が高い教会であったようです。典雅な姿が美しく、「ロシアらしい?」ということで、サハリンを紹介するポスター等にも、この建物の画が盛んに使われた経過が在ります。
そんな「ロシアらしい?」光景が、日本風な設えの庭の向こうに見えています。単純に、夕刻の光の感じも手伝って美しい風景だと思ったのでしたが、暫し足を停めて光景を見入ってしまいました。
これが日本国内各地の有名な庭園の一部に見受けられる"借景"というようなことであれば、「なかなかに"深遠"」と考えてしまいました。「日本風な設えの庭の向こうにロシアの光景」というのが、「北海道とサハリンの位置関係」を象徴しているように見えなくもないからです。
こういうように感じたということをサハリンの方に話してみました。すると大笑いされて、「単なる偶然でしょう。誰もそんな複雑なことは考えず、造園工事を請け負った人達が、指示どおりに庭を設えただけではないでしょうか?」というお話しでした。
恐らくは「単なる偶然」の結果として「日本風な設えの庭の向こうにロシアの光景」となったのが真相だとは思います。が、何となく「北海道とサハリンの位置関係を象徴」と考えてしまいます。或いは、ユジノサハリンスクという場所には、色々な時代のモノや様々な由来を有するモノが混在していて、それが「独自なムード」を醸し出しているのかもしれません。