チェーホフ像と桜(2017年05月23日)

嘗ては銀行の支店だった建物を利用した美術館の傍に州立図書館が在り、その図書館の斜め前に作家のチェーホフの像が在ります。

↓「旅の途中の作家」という風情が漂う像で、視る都度に「チェーホフさん、御旅行は如何ですか?」とでも声を掛けてみたいような気分になります。
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↑チェーホフ像の脇に桜が植えられています。ここの花も、何時の間にか咲いて、直ぐに葉が目立つようになり、早くも散りかけな感じです。

チェーホフと言えば『桜の園』という作品が在って、代表作と評される"四大戯曲"の一つにも上がっています。

博物館前の噴水(2017年05月20日)

積雪寒冷地では、冬季間に噴水の水が停まるのは普通だと筆者は思っていますが、サハリンもそういう例に漏れません。(日本国内で、雪に縁が薄い地域へ冬季に訪ねると噴水の水が妙に「新鮮」に見えるものです。が、雪に円が薄い地域の皆さんにとっては「冬季に水を停める」ということの方が「信じ難い?」ようです。)

ユジノサハリンスクでも、5月9日の祝日を挟む辺りから、徐々に方々で停まっていた噴水に水が入り始めました。

↓博物館前の噴水にも水が入り始めています。
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↑この噴水は、桜の花のように"期間限定"ということでもなく、冬を前に停めてしまうまでの長い期間に亘って愉しむことが出来ます。

ガガーリン公園の桜(2017年05月23日)

確りと宗谷海峡を越えた「桜前線」ですが、ユジノサハリンスク辺りに未だ留まっているような、或いは「更に北」を目指そうとしているのか、よく判らない感じになってきました。

「妙に気が早くないか?」という木を目に留めた―5月14日でした―後、方々で順次桜の花が咲いている様子を視ました。何か「好い感じに」と花が占める部分が拡がって行くまでに時間を要し、そのうちに葉も大きくなって目立つようになり、花が目立たなくなって、散ってしまうまでが酷く短いようにも思えました。

一週間余り、方々の桜の様子を視ましたが、5月20日にガガーリン公園の中を通った際、あの辺りは「花の咲き方」に木による個別差が目立つ感じで、然程見栄えはしませんでした。或る方が「山寄りな公園の側は、ユジノサハリンスク市内では"最後の方"な順番のように見える」と仰っていたのですが、そのとおりという感じでした。

今朝、好天である様子だったので、酷く大回りにはなりますが「朝の散策」ということで少し早めに出て、事務所に出る前にガガーリン公園の桜の様子を視てみました。

↓宇宙飛行士のガガーリンのモニュメントが在る入口から園内への散策路の辺りが"桜並木"になっています。
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↑桜の花の時季以外には気付き難いのですが、散策路のベンチは花の下を占めています。

↓並木を多少外れた場所でも、美しく咲いている木が見受けられます。
ガガーリン公園の桜 (1).JPG

↓この"桜並木"ですが、未だ「木が大きく育って行く途上」という感じもします。
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↑街の発展を見詰めながら、少しずつこの木々も大きくなって行くのだと思います。

こういう「花が咲いている様子」を写真に撮ろうというような場合、「朝が静かで撮り易い」というのは、日本国内でもユジノサハリンスクでも余り違いは無いと思いました。

今季は「本当に有名な桜の名所」という場所で花を愛でる機会は設けられなかった筆者ですが、ユジノサハリンスクで「少し長い期間に亘って散見出来る桜」を愉しむことが叶ったという感です。

「親水」海岸...(2017年05月16日)

↓ホルムスクの海岸に整備された緑地の辺りで視掛けた様子です。
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↑親子連れが水辺で寛いでいます。手前のオレンジの上着の方は、お子さんの写真でも撮ろうとしていた感じでした。

ユジノサハリンスクでもホルムスクでも、こういうような「親子で歩き回っている」という姿をよく視掛けます。

日本では"少子高齢化"と言われて久しいのですが、ロシアでもそういう問題意識は在る、または高いそうで、お子さんを産み育てることへの支援というようなことも行われているらしいのです。が、そういう話しも聞こえる他方で、「親子連れをよく視掛ける」という気がします。

更に言えば、整備された都市緑地のような場所で「歩き回っている人達」を「よく視掛ける」という気がします。実はサハリンの方を稚内にお迎えした際、「よくある質問」が在ります。「この街の人は何処に居るんだ?」という質問です。彼らの目線では、稚内では「余りにも歩き回っている人達が居ない」というように見えるらしいのです。「訳が判らない質問」とも思える「この街の人は何処に居るんだ?」でしたが、サハリンの都市の様子を見ると、少し納得出来ます。

この画の様子を視掛けた日は、ホルムスクでの打合せのために出向いて、約束の時間に少し間が在ったことから、この場所で一息入れていたのでした。