Компот(コンポート)?(2017年05月05日)

「компот」(コンポート)という単語を"露和辞典"で調べると「コンポート(砂糖煮果実)」と在ります。

筆者がサハリンに滞在し始めて、何となく出くわした「компот」(コンポート)は、少なくても「砂糖煮果実」という代物ではありませんでした。

というのも、ランチの立ち寄った店で「お飲物は?」という文脈で、「コンポートで構いませんか?」と尋ねられたというのが、この語との出会いだったのです。「どういう飲物なのか?」と内心で訝しく思いながらも、「構いませんよ」と店員さんに応じて、その「コンポート」というモノが出て来るのを待ちました。登場したのは、「ややアッサリしたジュースのようなモノ」だったのです。

そういう出来事が在った直ぐ後に、偶々「さっき店でコンポートを買った」と、「砂糖煮果実」という意味での「компот」(コンポート)という語の用法にも出会ったのです。

些細な出来事で「компот」(コンポート)という語が妙に頭に残ったのですが、またその後と出くわしました。

↓スーパーにこういうモノが売っていました。「砂糖煮果実」ではなく、「飲物」の「компот」(コンポート)です。100ルーブルでお釣りが来るような価格帯で、何種類か視掛けました。
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↑サクランボが使われているようで、仄かな酸味と甘みが心地好く、意外に気に入って早くも何度か繰り返して求めている代物です。

生か乾燥かを問わずに、イチゴ系統のモノ、その他の果物、或いはフルーツシロップ等を用いて作る飲料を「компот」(コンポート)と総称するようです。作り方や材料次第で味は千差万別なのだと思いますが、「100%ジュース」のようなモノとは異なる、少しアッサリした飲み心地です。筆者は偶々「ランチの際に供された飲物」として出会った感じですが、意識はしなかったものの、宿に見受けられる"朝食バイキング"のような場所でも、一部にこの種の飲物が在りました。

スーパーへ行ってみると、「家庭で冷蔵庫にでも置いて保管して飲む」というような飲料については、「数え切れない程度」に様々なモノが売られています。

日本国内で旅行に出ると、出先の一寸した店で「宿の部屋で頂こう」と飲物を買い込む場合が在るのですが、サハリンでもそういうことが出来、しかも「多少変わっている?」というモノに出くわす場合も在ります。

博物館の建物から:判り易い他方で見落としがちな樺太時代の痕跡(2017年05月01日)

「サハリン州郷土博物館」は「1896年にアレクサンドロフスク・サハリンスキーで創立した博物館の伝統を受け継いでいる」とされていますが、その建物は1937(昭和12)年竣工の「樺太庁博物館」の建物で、樺太が"ソ連化"されて行った中の1946年から博物館として利用され、1953(昭和28)年にはアレクサンドロフスク・サハリンスキーの博物館が完全に移転してしまったそうです。

この1937(昭和12)年竣工であるという博物館の建物は、「建物自体が博物館の重要な展示品」に見えてしまうような際立った特徴が在ります。

↓こういう具合に、鉄筋コンクリートの建物に瓦屋根を組み合わせた、不思議な様式です。
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ロシア語でロシア国内等に向けて博物館の建物を紹介する中で、この建物の様式を「日本の伝統様式の一種である」と紹介しているのを耳にしたことが在るのですが、実は"伝統"という程のものでもないのです。「和風な意匠を採り入れたい」という動きが建築界の一部に沸き起こり、「瓦屋根を組み合わせる」という設計が一部に流行ったというのです。

こうした鉄筋コンクリートの建物に瓦屋根を組み合わせた建築様式は"帝冠様式"と呼ばれ、1930年代に流行したものです。1930年代末近くになると、「建物等への過剰な装飾を排する」という傾向が強まり、この"帝冠様式"は急速に廃れてしまうということなので、「樺太庁博物館」であったこの建物は「"帝冠様式"の流行の終盤期」という時期に竣工した貴重な建築という側面が在るのかもしれません。

この博物館を訪ねようとする際、建物全体が醸し出す独特なムードに引き込まれてしまうかのように、或いは参加している見学グループの動きの中で然程気に掛けずに通過してしまうような場所に、一寸面白いモノが在ります。

↓これは館に入口の扉です。
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↑確りと"菊の御紋"が浮き彫りになっています。「昭和12年 日本」という樺太時代を間違いなく伝えてくれる痕跡です。

こういう些細な場所に至るまで、サハリン州郷土博物館は"見どころ"が溢れています。

<Саппоро>(サッポロ)と名付けられた菓子(2017年05月05日)

稚内の自宅では「菓子類を買って帰宅...ゆっくりと珈琲を淹れる...」ということを筆者は愉しむのですが、ユジノサハリンスク滞在時には「持ち帰りのコーヒーと併せて菓子類を求める」ということをしてしまえば、"お楽しみ"の中身に然程大きな差は在りません。

↓そういう訳で、近所のベーカリーカフェ的な店で見付けて、持ち帰りのコーヒーと併せて求めたのがこの菓子でした。
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↑この種のクッキー的なモノ、所謂「焼き菓子」はпеченье(ピェチェーニェ)と総称していますが、この菓子はпеченье(ピェチェーニェ)の後に<Саппоро>(サッポロ)という商品名が付いていました。210ルーブルでした。

<Саппоро>(サッポロ)と言えば「札幌」な訳ですが、「何が"札幌"なのか?」と思いながら、持ち帰ったコーヒーと一緒にゆっくりと頂いてみました。

気付いたのは"北海道銘菓"としてポピュラーな、サンドイッチ状になってバタークリームが入っている「アレ」に一寸似ているということでした。

或いは、経営陣のどなたか、商品開発の御担当のどなたかが、「日本の北海道へ旅行した土産」というようなことで頂いたか、自身で旅行した際に求めてみた菓子を視たり、試食して「こういうの好いなぁ...」と「"アレ"みたいなモノ?ウチの店でどうかな?」と工夫し、「これなら味も、価格帯も行けるのでは?」ということになったのでしょうか?「北海道土産から着想」ということで、北海道の代表的な都市名に因んで<Саппоро>(サッポロ)と命名ということかもしれません。

そんなことを妄想してしまいましたが、サハリンの方の中には「他所の好いモノ」を見聞すると、「地元のサハリンで似たようなモノが用意出来ないものか?」という発想をする方が見受けられるような気もします。或いはこの<Саппоро>(サッポロ)はそうした志向性、換言するなら「好い意味での職人的情熱」が発揮されたのかもしれません。

それと同時に「イメージ重視」である筈な"菓子"の商品名として、「日本の北海道の都市名」である<Саппоро>(サッポロ)が登場していることが、少し興味深いと思いました。"日本"と言って、"東京"(Токио)や"京都"(Киото)のような「誰でも思い浮かべそうな日本の都市」は、サハリンの消費者にとって「遠過ぎる」のかもしれません。対して"札幌"位なら、「遠いかもしれないが、全く届かないでもない。訪ねた経過が在って、好印象を抱いている人も多い」という感じなのかもしれません。

更に思うのは、そのうちサハリンの会社によるこういう菓子が、日本国内各地に見受けられる「しろまるしろまる銘菓」のような包装で、サハリンの店に"土産"として並ぶような日も来るかもしれないということです。

「2つ」在るG.I.ネヴェリスコイ像(2017年05月06日)

ネベリスクという街の名前、または地区の名前はG.I.ネヴェリスコイという人物に因むものです。

↓街の文化センターの傍で見付けました。
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↑可愛らしい人形のようなモノが、少し背の高い台座に乗っています。

この可愛らしい人形のような人物が、かのG.I.ネヴェリスコイだというのです。確かこれは、少し古くから在ったモノの筈です。

↓現在、ネベリスクで「ネヴェリスコイの像」と言えば、こちらを指し示すことが多い感じです。
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↑可愛らしい人形のような像が在る文化センターの辺りから、歩けば片道15分程度で着く広場に像が据えられています。

↓一寸見て、人の身長の倍か、それ以上は在るような感じです。
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御本人の名に因む街で佇むネヴェリスコイの像の目線の先には何が在るのでしょうか?

結局、ネヴェリスコイの像はネベリスクにも、コルサコフにも、ユジノサハリンスクにも在ります。

文化センター<オケアン>(2017年05月08日)

休日の早朝、天候が好かったのでバスに乗ってコルサコフまで行ってみました。

↓コルサコフ地区行政府庁舎の傍に文化センターが在り、<オケアン>(オーシャン=大洋)と名付けられています。
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↑傾斜が多い地形な中で、平坦な建設用地を整えて建てられていることが判る感じです。

コルサコフの「地形の感じ」としては、筆者が訪ねた経過が在る範囲では紋別や留萌を想起する感じがします。海が見える場所が在って、段々に丘陵のようになっている場所も在り、傾斜している場所を整えて築かれた市街が拡がっている雰囲気です。

手前左側のレーニン像は、この辺りを2013年頃に整備した当時、地区行政府庁舎の真ん前から移したものです。

この文化センター<オケアン>は、来る7月に予定する『稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議』の会場となる計画です。

早朝のソビエツカヤ通(2017年05月08日)

↓最初から「人が少ない休日の朝」なのは判っていましたが、何か「清々しい!」までに美しい通だとぼんやり佇んで見惚れていました。
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↑コルサコフ地区行政府の近隣です。ソビエツカヤ通と呼ばれている辺りです。

↓街路が広場の一部のようにもなっていて、「歩行者ゾーン」という指定になっているのが判ります。
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↑この場所は随分以前から「歩行者ゾーン」という指定で、原則的に車輛を入れないようにはしていましたが、何時の間にか随分と綺麗になりました。以前は「普通な道路」という感じだったのです。

↓屋根まで架かったベンチが随所に据えられています。
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↑「街の一部を公園・緑地化」という感じではあるのですが、寧ろ「公園・緑地の一部が街にまってしまっている」というようにも感じられました。

コルサコフでも「美しい都市景観の形成」というような問題意識が高まっていることが伺える感です。