<ヴォストーク65> 「極東ダービーマッチ」を制し12勝3敗 リーグ首位を堅持!:バスケットボール<スーパーリーグ>(2018年12月23日)

ユジノサハリンスクでも、最近は日本でも知られている欧米のクリスマスをテーマにしたポップス、それらをカバーした作品が方々で流れています。年末年始のムードが高まっていて、気温も上がり悪くなっています。が、バスケットボールの<ヴォストーク65>は大善戦を続けていて、少し熱いものが在ります。

12月23日、ウラジオストクのチームである<スパルターク・プリモーリェ>を迎えての試合がユジノサハリンスクで催されました。

ウラジオストクの<スパルターク・プリモーリェ>は1999年設立のチームが現在のチームの母体です。ロシア国内のリーグの変遷の中で、各時期のリーグに参加していて、2013年からは現在の<スーパーリーグ>に参加しています。リーグの中では着実に実力を発揮しており、2017-18シーズンにはリーグ制覇を成し遂げています。

このウラジオストクの<スパルターク・プリモーリェ>は、<ヴォストーク65>の目線では「最も本拠地が近い他所のチーム」ということになります。「近い」と言って飛行機で2時間ですが。それでも「時差1時間」で、他の各チームの本拠地に比べれば「傍!」という感じになります。

<ヴォストーク65>の選手達の中、「傘下のジュニアチームに参加していた経過が在る」という例を含めると、実に7選手が<スパルターク・プリモーリェ>でプレイした経過が在ります。加えて、ヘッドコーチであるエドゥアルド・サンドレルも<スパルターク・プリモーリェ>で指揮を執った経過が在り、チームをリーグの中で存在感を発揮する存在に押し上げて来ました。

そうした「人的な結び付き」まで在って、「互いに最も近い本拠地のチーム」ということで、<ヴォストーク65>ではこの対戦を「дальневосточное дерби」(ダリネヴォストーチナヤ デルビ)、「極東ダービーマッチ」と呼び始めました。

「ダービーマッチ」というのは英国のサッカーに起源を有する表現ですが、「同一地区や近隣地区のチームによる対戦」を指す言葉で、各国で各々に用いられています。ロシアのスポーツ界でも、同じリーグのチームが複数在る大都市圏等で、同一地区に本拠地が在るチームが対戦する場面で「дерби」(デルビ)、「ダービーマッチ」という語が用いられるようです。

「極東ダービーマッチ」ということで迎える<スパルターク・プリモーリェ>は、今季の開幕から<ヴォストーク65>とほぼ互角な勝敗状況だったのですが、このところはアウェイの試合で連敗してしまった様子で、14試合終了時点で8勝6敗でした。<ヴォストーク65>は14試合終了時点で11勝3敗でした。

日曜日ということで、平日よりも早めな時間帯にティップオフであり、子ども達の観戦も多い試合でした。そして、ユジノサハリンスク市のセルゲイ・ナドサーディン市長も観戦に訪れていて、ハーフタイムにマイクを向けられて「素晴らしい試合を観戦していますが、最後まで応援しましょう!」とコメントして喝采が沸き起こりました。

↓試合開始前のオープニングは、スクリーンのビデオに「"ヨールカ"の辺りに居るマスコットの"ティム"が新年の贈り物の箱を開けるとバレリーナの人形が出て来て、人形と一緒に踊り始める」というファンタジー仕立てな物語が投影され、実際に会場に"ティム"が登場してバレリーナ達と踊り始めます。
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↑バレリーナ達は、ユジノサハリンスク市内の芸術学校の生徒達です。

↓やがて御馴染みなダンスチームも登場し、芸術学校の生徒達と一緒にパフォーマンスを披露しました。
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↑こういう具合に、少し凝ったこともやります。チームと地元の学校との協働で見せるパフォーマンスでした。

こういう賑々しいオープニングの後、いよいよ試合です。

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第1クォータの前半は<ヴォストーク65>が得点を重ねますが、<スパルターク・プリモーリェ>の積極的な攻撃が成功し始め、何時の間にか点差が縮まり、21対21と同点となりました。

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第2クォータが始まった辺りで<ヴォストーク65>は得点を挙げるのですが、何時の間にか流れが<スパルターク・プリモーリェ>の側に行ってしまい、第2クォータの後半には<スパルターク・プリモーリェ>側の得点場面ばかりが目に留まりました。第2クォータは17対23と<スパルターク・プリモーリェ>が優位で、38対44で折り返しとなりました。

後半の第3クォータの始まった直後は<スパルターク・プリモーリェ>の得点から始まりました。が、<ヴォストーク65>は13連続得点で第3クォータ前半に47対47の同点とします。そこから<ヴォストーク65>は抜け出すべく得点を重ねようとしましたが、<スパルターク・プリモーリェ>も執拗に追い続け、第3クォータ終盤には、55対55とまたもや同点となります。しかし第3クォータは23対13と<ヴォストーク65>が優位に試合を運び、60対57と僅かに先行することに成功しました。

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勝負の第4クォータは、<ヴォストーク65>の5連続得点から始まりました。そして<スパルターク・プリモーリェ>が3点シュート1本で得点を返しましたが、そこから<ヴォストーク65>は勢い良く得点を積み上げ、第4クォータが始まって4分程経過した辺りで77対64と13点先行する展開となっていました。<スパルターク・プリモーリェ>は必死に追いますが、<ヴォストーク65>も負けずに加点を続けます。点差は然程縮まりません。第4クォータは34対27と<ヴォストーク65>が優位を護りました。

結果は94対84で<ヴォストーク65>が試合を制しました。

<スパルターク・プリモーリェ>は「52.4%」と高い3点シュート成功率―観戦中「えっ?!今のが入った...」と驚いたような3点シュートさえ見受けられました。―を見せた多方、通常のシュートは「39.5%」に終始してしまいました。対して<ヴォストーク65>は3点シュートは「39.3%」の成功率であった他方で、通常のシュートは「48.9%」という成功率です。加えてリバウンドは<スパルターク・プリモーリェ>の23に対し、<ヴォストーク65>は39と、ゴール下の争いを制して攻撃機会を巧く創り出したという感です。

振り返ると、こうした辺りが勝敗を分けたような感です。

<ヴォストーク65>は、15試合終了時点で12勝3敗ということになり、リーグ首位を堅持しました。この次は1月4日の試合となります。サンクトペテルブルグの<ゼーニット・ファルム>をユジノサハリンスクに迎えます。

更に「極東ダービーマッチ」ということになる<スパルターク・プリモーリェ>との対戦ですが、今季は2月13日にウラジオストクでもう一度対戦することになります。

寒さが増す中、<ヴォストーク65>の熱い戦いは続きます。

雪と"ヨールカ":レーニン広場(2018年12月19日)

↓未だ暗い朝8時前、歩き廻る分には「雪交じり」という程度の降り方というように感じていました。が、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎前で佇むと、存外に激しいようにも感じられる降り方の雪でした。
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↑広場の"ヨールカ"を眺めてみました。何やら家族連れが歩き廻っている様子も視えたのですが、降る雪の中で輝く"ヨールカ"も好いものです。

「俄かに道路が雪で覆われる」という程度の雪ではありましたが、今季は「何じゃこれ?!」というような「大量の雪が短い時間に」という状況は未だ見受けられません。

雪の中に輝く"ヨールカ"を視ながら「積雪期は"序の口"か?」などと考えていました。

年末年始の「ニューイヤーカード」を印刷...(2018年12月20日)

日本の「年賀状」に少し似た慣例がロシアにも在ります。サハリンでも盛んに行われていますが、クリスマスから年始の時期を祝うカードを贈り合うという慣例です。

稚内市サハリン事務所でも、様々な機関の代表の方やお世話になっている方達等へそうしたカードを毎年贈っています。

↓昨年もそういうことをしていた旨を御紹介したところでした。
>>「ニューイヤーカード」(2017年12月14日)

色々なデザインのカードが販売されていて、カードが綺麗に入るようになった、そのまま宛先を書き込んで郵送可能な封筒と併せて購入するように例年はしていました。そういう具合にすると、カードに添えるべきメッセージは別途紙に刷って、カードに切り貼りするようなことも必要で、存外に手間が要ります。

↓そこで思い出したのが、春に名刺の印刷を御願いしたお店でした。
>>ユジノサハリンスク市内でロシア語の名刺を作ってみた...(2018年04月06日)

この名刺を御願いしたような印刷店では、年末年始の「ニューイヤーカード」のようなモノも制作が可能です。

「ニューイヤーカード」の雛形のようなモノに「御祝い申し上げます」というような字を添えて、中のメッセージも好みの写真等を加えて創ることが出来ます。加えて、リストアップした宛名を予め入れてしまうことさえ出来ます。

「カード+封筒+メッセージの用紙」を購入で、メッセージの用紙へプリントする場合のプリンタ用インクカートリッジも見え難い経費で、存外に手間も掛かります。対して、印刷を御願いしてしまえば、封筒に宛名を入れるだけのような感じです。「印刷」の代金に「封筒」の購入費が要ります。

両者を比較検討したところ、昨年より郵送料が少しだけ上った関係で「封筒」は昨年より少しだけ高いのですが、「印刷を御願いして封筒を求める」というやり方をしても、昨年までの方式と経費的には大差が在りません。スタッフとの相談で、新方式を試してみることにしました。

↓こういう感じになりました。
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↑左が表面で、二つ折りにします。開くと右側のようになります。

↓表面は「ニューイヤーカード」の雛形に「稚内市は2019年を御祝い申し上げます」と文字を添えました。
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↑この「稚内市」の箇所に、各々の機関や個人の名前を入れて刷ってもらう訳です。

↓開いた中には、筆者が持っている稚内の写真データからスタッフが選んでくれた画を添え、定型的なメッセージを添えています。「ニューイヤーカード」に関しては「冬をテーマにした画」というようなものが好まれるということで、スタッフは「贈る側の稚内市らしさ」という見地で稚内港北防波堤ドームの画の中から、積雪が在る時季の画を選んでくれました。
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↑写真は予備用の、宛名を手書きするようにしているモノですが、宛名箇所にリストアップした先様の宛名―ロシア語の場合、丁寧な呼び掛けの「名+父姓」を入れます―が刷り込まれるのです。

サハリンにも、こういう便利なサービスが色々と在るので、利用する機会が在れば御紹介してみたいと思います。

「ニューイヤーカード」に関しては、幾つか「届く時のパターン」が在ります。

郵便で普通に届くという場合の他、郵便局を介するのでもなく、誰かが所属先のカードを持って配って回るという形で届く場合が在ります。その他に「年末の御挨拶」というような具合に、直接に事務所を訪ねて来られて、そこで「ニューイヤーカード」を持参頂くというような場合も在ります。

稚内市サハリン事務所でも、上述のようなパターンで、準備したカードを関係先にお届けすることになります。週末までに準備し、一部はお届け出来ているのですが、週明けには「続き」に勤しみます。

積雪が少なめな路面:レーニン広場の夕刻(2018年12月17日)

最近は夕刻に「薄暗い感じ」になるのが少し早いユジノサハリンスクです。午後6時近くになると、「すっかり夜...何時だ??」というように思ってしまいます。

↓午後6時過ぎにレーニン広場が視えるユジノサハリンスク市行政府本庁舎辺りを通り掛かりました。
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↑大きなレーニンより更に大きな"ヨールカ"が輝いています。

この日は「0°C」という「時季としては若干高め?」な感じにまで気温が「上昇」しました。そのためか交通量が多目なレーニン通の積雪は殆ど目立ちません。そして雨上がりのように路面が湿り、"ヨールカ"の輝きが路面に跳ね返っています。

↓ヨールカに隠れてしまったレーニンが少しだけ覗く角度の場所に佇んで、暫らく様子を視ていました。
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ユジノサハリンスクも、こういうような「光り輝くモノ」が独特な景観を創り出す季節です。

「稚内旅行」が切っ掛けで始まった文化活動:<墨絵展―『日本の息吹』>(2018年12月21日)

稚内市サハリン事務所では、色々な文化行事に関して、関係各方面からの御案内を頂くことが時々在ります。

つい最近、<墨絵展―『日本の息吹』>という催しのオープニングセレモニーが催されるとの御案内を頂きました。

「墨絵」と言えば、墨汁の濃淡で風景やモノ等を描くという絵画で、個人的なイメージとしてはモノクロ写真や、単色での印刷を前提に描かれるイラストというようなモノに通じるような、面白いジャンルだと思っています。そういう作品を展示する機会ということで少し興味を覚えましたが、「是非ともお訪ねしなければなるまい!」ということになる、興味深いお話しが伝わって来ました。

展示される画の作者、リュボーフィ・スミルノーワさんはサハリンの税関職員であったという女性です。サハリンの旅行会社が募集した、稚内・コルサコフ航路のフェリーを利用する旅行に参加し、稚内滞在を愉しまれた経過が在ります。

リュボーフィ・スミルノーワさんが墨絵に魅せられて自ら取組むようになったのは、この「稚内旅行」が切っ掛けでした。「漢字というモノを筆で書く?書道というモノがどういう感じなのか、経験してみたい」という希望を表明され、稚内の関係者が奔走して地元の書家である中本青岳さんに御願いし「書道体験」が出来たのです。この体験が切っ掛けで、墨汁の濃淡で何でも表現する墨絵を知って取組むようになったのです。御自身で描く他、"絵画サークル"というような愛好者の活動の中で墨絵を描いてみるという活動にも取組まれているようです。

そうして活動を続けて来た中、職場のサハリン税関のバックアップ、会場となった<ヒストリーパーク>の協力で展覧会開催に至ったというのです。

↓<ヒストリーパーク>へ行ってみると、オープニングセレモニーに集まった人達で大変に賑わっていました。
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↑サハリン税関の幹部の方達、広報担当者やリュボーフィ・スミルノーワさんと一緒に仕事をした経過の在る皆さんや後輩の皆さんが多く来場していて、「港や空港で視掛ける税関吏の緑系の制服が溢れている?!」と多少驚きました。更に何台もテレビカメラが入り、メディアの取材も入っていた様子です。

↓<ヒストリーパーク>の2階に在る会議室にオープニングセレモニーの会場が設えられていました。
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↑もっと「ささやかなセレモニー」を想像して会場に足を運んだので少し驚きました。

サハリン税関の広報担当者が、「本職のアナウンサー」のように見事に司会を務めてセレモニーは進行しました。永くサハリン税関に務め、ホルムスクの現場が永かったというリュボーフィ・スミルノーワさんを全面的にバックアップという感じです。

セレモニーでは、リュボーフィ・スミルノーワさんが「稚内旅行」での経験から墨絵に取組んだことや、日本での墨絵は14世紀頃に中国から伝わったとされ、武士達が好んだと伝えられるという知識も紹介されました。

↓関係者が帰って落ち着いた後、改めて展示を少し拝見しました。
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↑<ヒストリーパーク>1階のスペースです。オープニングセレモニーの中で館長が「"私達"が皆で創る広場を目指して館を運営しているが、その皆の1人ということになる州内に住む方の手になる独特な絵画作品が、館内の展示スペースを彩って行く準備の様子を昨日は見守っていた」と話されていました。墨絵の展示が為され、空間に独特な演出が施されたかのようです。

↓各作品を拝見すると、古くから「墨絵の画題」のようになっているような作品や、サハリンの山河に着想を得たと見受けられる作品が在り、なかなかに愉しめました。
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↑「日本の流儀」で表現を試みているということで、作品展を『日本の息吹』と命名されています。

稚内は、稚内・コルサコフ航路を介して日本の北海道とロシアのサハリンが交差する場所です。同時に「異なる背景を持つ日ロ両国の文化の交差点」でもあります。「稚内旅行」でロシアの方が「日本の流儀の絵画表現」に出会い、創作活動を立派に続けていらっしゃるのです。

2018年は「文化交流の年」という位置付けで、日本文化関連の催事が色々とサハリンで催されている中、「日本で出逢った文物」に関する活動を続けている方の作品展が開催されました。そこで「稚内旅行」が「切っ掛け」となっているのは大変に嬉しい話題です。

サハリン州郷土博物館(2018年12月15日)

11月下旬に一時帰国でユジノサハリンスクを離れた際には、積雪は然程気にならない感でした。月が改まってユジノサハリンスクに戻ってみれば、積雪が"定着"という感じになっていました。

↓博物館の独特な建物や屋外展示の大砲ですが、「少な目な積雪」の時季は、何となく見栄えが好いような気もします。
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↑ユジノサハリンスクに入って程無く土曜日ということになり、天候が好かったので近くを通って眺めてみました。

↓「寒さに強い」とされる、所謂"石州瓦"の流れを汲む赤茶色の瓦屋根に雪が載っている様子は、なかなかに「画になる」という感じです。
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↑画の右側から当たっている光線で、独特な感じの建物の立体感が強く感じられるような感じになっています。

この博物館に関しては「建物そのもの」が「重要な展示品」という趣きが在るようにも思います。辺りの木の葉が落ちてしまっている冬季、更に雪が未だ少な目な間は見栄えが好いように思います。

<ヴォストーク65> 「格上」に競り勝った!!:バスケットボールの<スーパーリーグ>と並行開催の<ロシアカップ>(2018年12月19日)

ロシアバスケットボール連盟が主催する<ロシアカップ>という、リーグ戦と並行して開催されるカップ戦が在ります。これは"トップリーグ"である<ユナイテッドリーグ>や、<ヴォストーク65>も参加している<スーパーリーグ>の各チーム、更に希望が在ればその他の「参加希望チーム」が出場するという大会です。ホームとアウェイで試合をして、2試合の総合点で優劣を競い、勝った側が次のラウンドへ進むという大掛かりなトーナメントで大会が進んで行きます。

この<ロシアカップ>は、ソ連時代からの国内のカップ戦の流れを汲むもので、現在の<ロシアカップ>は2000年から現行体制で続いています。そしてこの<ロシアカップ>の大会規定に「ロシア国籍の選手が出場する」と在るのです。これは、国内の競技レベル向上を目指すというような、古くから続くモノを踏まえた規定なのだと見受けられます。

現在は「1/4」という段階に入り、最初の試合がユジノサハリンスクで開催されました。迎えた対戦チームの<パルマ>は"トップリーグ"である<ユナイテッドリーグ>のチームです。「格上」な対戦相手ということになります。

<パルマ>はペルミという街からやって来ました。

ペルミはウラル山脈の西側の麓に在る街です。ペルミ地方の中心都市で98万人程度の人口を擁します。18世紀、ピョートル大帝の時代にウラル地方の開発が行われた頃に街の基礎が築かれたと伝わりますが、1723年がペルミの開基とされているそうです。河川を利用した水上輸送の拠点であると同時にシベリア鉄道の分岐点になっている輸送上の要地ですが、機械工業、石油・化学工業、木材加工、軍需品製造等の工業が盛んな地域となっています。

嘗てペルミには、1995年から2009年に活動して、ロシア国内のリーグ戦を何度か制し、強豪チームとして大きな存在感を示した<ウラル・グレート>というチームが在りました。このチームが解散してしまった後、ペルミ地方の様々な団体等の支援を受けて<パルマ>が設立され、2012年から活動しています。<スーパーリーグ>や<ロシアカップ>に参戦して善戦しますが、2016年からはトップリーグである<ユナイテッドリーグ>に参加しています。

<ロシアカップ>に関して、「ロシア国籍の選手が出場する」ということなのですが、<ユナイテッドリーグ>はロシア以外出身の選手達が多いリーグです。<パルマ>も多くの外国出身選手を擁しているので、ユジノサハリンスクのコートに登場したのは8人の選手でした。

対する<ヴォストーク65>は11人の選手で迎えました。11月に観戦した<ロシアカップ>の試合では2人の外国出身選手を除く10選手が居ました。その後、ロシア人選手が新たに2人加わりました。が、1人が傷病のために欠場となってしまったので、外国出身選手を除く選手は11人でした。

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「トップリーグのチームがユジノサハリンスクに登場する」というのがバスケットボール好きの間では少し話題で、会場はなかなかの賑わいでした。

この<ヴォストーク65>と<パルマ>の対戦ですが、何方も「なかなか抜け出せない」という感じの競り合いになっていた感の試合でした。

第1クォータの残り3分位までは1点から3点の差という感だったのですが、第1クォータの終わりに向けて<パルマ>が得点を重ね始め、16対21と<パルマ>が少しだけ先行しました。

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第2クォータは得点を巧く重ねようとする<パルマ>に<ヴォストーク65>が追い縋るという状況になりました。何れかが「停まらない勢い」を得て得点を連続というのでもありません。32対39で<パルマ>の先行は変わらず、点差がほんの少し開きました。

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第3クォータが始まると<ヴォストーク65>が連続得点し、39対39の同点に追い付きます。が、<パルマ>は僅差の競り合いが得意なようで、なかなか差を離されないようにしながら「何時の間にか逆転?」という具合で、第3クォータ終了時点で53対56と<パルマ>は依然として僅かな先行を維持しています。

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第4クォータが勝負という状況になりました。依然として、大声援を受けて攻める<ヴォストーク65>が得点して同点で逆転機会を伺えば、<パルマ>はまた得点を重ねて僅かな先行を護ります。

第4クォータの半ばに差し掛かろうとする頃...58対62で<パルマ>を追っていた<ヴォストーク65>は3点シュートで61対62としました。ここから<ヴォストーク65>は、連続得点を挙げ、75対62と逆転して抜け出すことに成功します。残り時間が2分程となった時点で<パルマ>は得点を漸く加えましたが、時期を逃した感でした。第4クォータ自体は26対13と、<パルマ>に沈黙を強いた形でした。

この第4クォータの「勝利を掴み取った連続得点」の場面は観ていて力が入りました。#6 アレクサンドル・グドゥマークのシュートで1点差に迫った後、#12 セミョーン・シャシコフがボールを奪って猛然とドリブルでゴールに向かった場面では思わず拳を強く握ってしまいました。そして得点すると逆転です。更にベテランガードの#63 アレクセイ・ゴリャホフが「巧い!!」という距離の在るシュートを決めて得点を重ねます。

こういう展開で<ヴォストーク65>が79対69と勝利を掴み取りました。この後、<ロシアカップ>の試合としては1月10日(サハリン時間では日付が改まって11日)に<ヴォストーク65>がペルミを訪ねて<パルマ>と対戦することになっています。ここで勝てば、「4強による順位決定シリーズ」に入ることが叶うようです。

熱い試合を盛り上げていたダンスチームですが、試合後半になると、11月までの観戦機会では登場していなかった、黒いバスケットボールのユニフォーム、チームのアウェイ用を模した#65のモノを着ていました。

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愉しいパフォーマンスを観ながら、「あの黒いユニフォーム...欲しい...」等と余計なことも考えてしまいました。

<ヴォストーク65>は、リーグ戦では11勝3敗で目下首位ですが、カップ戦でも「格上」との競り合いを制する活躍を見せてくれています。今後の活躍が酷く楽しみです。

サハリン州政府本庁舎前の"ヨールカ"等(2018年12月18日)

サハリン州政府本庁舎は、コムニスチ―チェスキー通に面した巨大な建物です。高さは10階程度ですが、酷く「幅」の在る建物で、「建物の外で落ち合おう」というような話しになると「おーい!何処だ?!」と互いに逆側に居てなかなか見付からないという状況も度々です。

↓その建物の前では、<SAKHALIN 2019>こと「第1回 冬季国際少年スポーツ大会<アジアの子ども達>」の開会式へのカウントダウンが行われています。
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↑何時の間にか迎える2019年が近付き、開会式まで54日となっています。

迎える2019年が近付いたことを示すように、ロシア流のクリスマスツリーである"ヨールカ"が登場しました。

↓サハリン州政府本庁舎の前に巨大な"ヨールカ"が聳え立っています。広角レンズで撮った画で、遠近感が多少誇張されてしまいますが、それでも背後の建物と比べて、"ヨールカ"が非常に大きいことがよく判ります。「20mは在るだろうか?」という感じです。
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↑11月末頃から準備が始まり、12月15日から本格的に点灯しています。夜通し点いているようで、未だ暗い朝8時前にも未だ輝いています。外は氷点下10°C前後です。

↓ここの"ヨールカ"は、どういう仕掛けなのか、様々な色にランプが切り替わって行くようになっています。
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↑"マロースじいさん"(ヂェッド・マロース)と"雪娘"(スネグーロチカ)という季節のキャラクターも居ます。"等身大"より少し大きいような感じがしますが、何か凄くリアルな感じがします。

昨シーズンの例では、概ね1月半ば過ぎまで、この"ヨールカ"は眼を愉しませてくれます。

輝き始めた"ヨールカ":レーニン広場(2018年12月17日)

11月下旬に準備に着手している箇所が見受けられた"ヨールカ"(ロシア流のクリスマスツリー)ですが、ユジノサハリンスクから暫らく離れて戻ってみると方々で準備が整っていました。

12月15日の土曜日辺りから、方々で華々しく点灯される様を視掛ける機会が増えました。

↓レーニン広場です。
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↑"ヨールカ"が大きいので、大きなレーニン像が隠れてしまいます。

ユジノサハリンスクへ戻って間もなく、その隠れている様子を視て「この時季が巡って来た...」などと考えていました。

>>隠れてしまったレーニン:レーニン広場の"ヨールカ"(2018年12月14日)

準備が整った状態だった"ヨールカ"は、灯りが入り始めると「夜通し点いている」という感で、朝8時前でも輝いています。12月半ばともなると、ユジノサハリンスクの街が明るい感じになるのは午前9時辺りです。

↓少し角度を変えると、奥の側にレーニンは確りと立っています。
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↑昨シーズン、初めて巨大なヨールカを視た時、「あんなに大きなレーニン?何処にどうやって持って行った?!」と首を傾げましたが、大きな"ヨールカ"の陰で見え難かっただけだったのです。

暫らく、こういう"ヨールカ"のようなモノが目を愉しませてくれる時期が続きます。

冬の夜空に...?!(2018年12月15日)

何となく気になって調べてみると、「花火」という語は「夏の季語」なのだそうです。が、花火は「お盆の送り火」という意味合いも在って「秋の季語」にもなり得るらしいです。

別段に「俳句の季語」に拘りが在るのでもなんでもないのですが、「季語」に関しては「時季らしいモノ」が選ばれるので、「〇〇と言えば...この季節の...」というようなことを考える場合の目安になると思っています。そこで「花火?夏だよな...」と思って、少し調べた訳です。

↓土曜日の夜、住まいの窓からこういう様子が視えました。
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夕刻に、何となくぼんやりとしてしまっている間に暗くなったのですが、何やら「ドーン!」と響く大きな音が連発していました。「面妖な...如何なる騒ぎ...」という程度に窓から戸外を伺おうとすれば、東寄りの窓辺が不自然に明るかったのです。打ち上げ花火です。

↓カメラを取り出し、窓の硝子越しに花火の写真を何枚か撮ってみました。
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早朝の最低気温が氷点下15°C程度で、日中でも氷点下8°Cというような次元の低温で、未だ然程多くはない感じではあっても確り積雪が見受けられ、低温の故に凍っている箇所も在るので戸外を歩く時には要注意と「冬!!!」なのです。そこに盛大に花火が打ち上げられています。

窓の硝子越しに写真を撮ろうと盛大な花火の側を視ると、「硝子が微妙に震える」という感でした。空気が振動する程度に盛大な花火が上がっていました。これも、州政府本庁舎前の<ヨールカ>の点灯式の故でした。賑々しい催しのフィナーレに花火を上げていたということのようでした。夕刻にぼんやりしてしまって、近くまで足は運びませんでしたが、存外に近くで花火を観ることになりました。

「夏の季語」で「夏に上げるもの」というような感覚は「極めて日本にローカルな感覚」で、花火は「祝賀に際して華々しく上げるモノ」というのが色々な国での標準的な考え方のようです。考えてみると、ユジノサハリンスクで8月や7月に花火を上げる催事という印象は薄く、「〇〇の日」というような時に時々花火が登場しています。

ユジノサハリンスクで「花火」と言うと、昨シーズンは「レーニン広場の"ヨールカ"に引火...」という一寸した騒ぎが在り、何方かが撮った映像が"全国ニュース"に流れていたという妙な出来事が在ったのを思い出します。今シーズンは「盛大な花火を人々が楽しんだ」というだけで、余計な騒ぎは起こらずに済んで欲しいものです。

冬の氷点下の夜空を彩る花火を観て、「花火って?」と「夏の季語?!」ということを気に掛ける辺り、筆者も「とりあえず日本の人なのだ...」という実感を強くしています。
2018年11月 2019年01月