Пицца "Маргарита" ―何故か「マルガリータ」と呼ばれる「マルゲリータ」(2017年10月04日)

↓こういうピザは「ピッツァ マルゲリータ」と日本では呼ばれていると思います。サハリンの店で「マルゲリータ」と言って頼むと、「マルガリータ?」と訊き返される場合が在ります。
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↑外国由来の文物の名前が入る時に、どういう訳か"転訛"している場合は何処の言語にも在るように思いますが、そういう例の一つなのでしょう。

そういう理解をしているのですが、何となく「マルガリータ」に耳が馴染んで、「マルゲリータ」であったことを忘れてしまいそうになる場合も在ります。

ユジノサハリンスクで、飲物や軽食を愉しむような店に立寄ると「その種の店で出しているようなモノ」として"ピッツァ"(ピザ)は「典型的なモノの一つ」と考えられているような感がします。別段にピザを売っているようにも見えない店でも、「色々在るフード」というイメージで何となくピザのように視えるモノのイラストが入り込んでいるような例を視掛けます。

「マルゲリータ」と言って頼んで「マルガリータ?」と訊き返される場合が在る店は、ピザやパスタを前面に出しているカフェで、筆者は存外な頻度で立寄ります。店内で頂くことも出来る他方、持ち帰りも出来るようになっています。恐らく持ち帰りのピザのオーダーが沢山入っているのでしょうが、店内が空いている時に立寄って、何となくピザをお願いすると「待ち時間が30分程度になりますが、構いませんか?」と言われる場合も在ります。

或る日、この「マルゲリータ」または「マルガリータ」を何時もの店で頂いていると、隣のテーブルに陣取っていた見知らぬ方に話し掛けられました。「そのピザは幾らなんですか?」と仰るので、手近に在ったメニュー表を引っ張り出して「私が頂いているのはこれで、スタンダードというサイズとミニサイズが在りますよ。価格はこちらに...」と言えば、その方も早速にミニサイズの方を注文していました。シンプルで美味しいのが、この「マルゲリータ」または「マルガリータ」ですが、筆者が余程美味そうに頂いていたか、様子を視て隣席の方も「あれが好さそう」と思ったのかもしれません。

「マルゲリータ」という呼称ですが、これは19世紀末のイタリア王妃マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ(1851-1926)の名に因むそうです。芸術文化の支援や慈善活動に熱意を注ぎ、庶民から広く敬愛された王妃だったそうで、「庶民の食べ物」であったピザも好んで頂いていたそうです。そうした中「バジリコの緑、モッツァレラチーズの白、トマトソースの赤がまるでイタリアの国旗を表しているようだ」と大変に気に入ったピザに、自らの名である"マルゲリータ"を関することを許したのだと伝えられています。他方、このシンプルで美味しいピザそのものの発祥に関しては、色々な説も在るようです。いずれにしてもナポリの老舗で起こったモノで、王妃から庶民に至るまで広く愛されたモノが、時間と空間を超えて世界中に拡がっているという訳です。

ロシア語の女性の名前で、「マルゲリータ」というのは聞きませんが、「マルガリータ」は聞きます。文学好きな方の中には、ロシアの有名な小説の『巨匠とマルガリータ』を思い出す方も在るかもしれません。或いは、ピザの呼び名として、ロシアの女性の名にも在る「マルガリータ」が定着して行ったのかもしれません。

車が詰って溢れる感じ(2017年10月03日)

↓「薄暗い感じな中で灯りが目立つように」という状態が見受けられる時間帯が「午後7時過ぎ」になって来た昨今です。
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↑やや忙しく雲が流れ、雨が降ったり止んだりを繰り返していたような日の夕刻に「薄暗い感じな中で灯りが目立つように」という状態を眺めていたのですが、何やら道路が酷く混み合っています。

レーニン通とサハリンスカヤ通は、豊原時代の「東西の境」と「南北の境」に相当する幹線道路で、両者が交差する百貨店<サハリン>の辺りは、行き交う車輛が混み合っている場合も多いのです。正しくその場所で、車輛が詰って溢れている感じです。

サハリンスカヤ通を西側へ進もうとしている車輛がレーニン通の方にはみ出ています。やがてレーニン通の信号が変わり、何やらはみ出た車輛が「酷く邪魔!」という按配になっています。

或いは酷く「らしい」感じの、この辺りの光景でした。

「所変われば...」:「世界一のファストフードチェーン」の店はユジノサハリンスクにも...(2017年10月03日)

「2016年3月現在、世界111か国で4万4672店」というファストフードチェーンが在って、これが「世界最大」のものであるとのことですが、<マクドナルド>ではなく<サブウェイ>なのだそうです。

稚内には「日本最北」を謳う<マクドナルド>は在りますが、<サブウェイ>は現時点では在りません。が、その<サブウェイ>はユジノサハリンスクには店舗が在ります。

<サブウェイ>という店は、"サブマリンサンドイッチ"と呼ばれる、「バゲットというパンを切り割って、具材を沢山挟む」モノを中心に売っている店で、パン、肉や野菜、調味料等の豊富な選択肢を提供しています。

「サハリンにまで行って、日本国内にも在るファストフードチェーンに寄ることもないのでは?」という見方も出来るのかもしれませんが、「所変われば...」というもので、随分と様子が異なります。

↓こういう感じのモノが最近気に入っています。
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↑パンの選択肢に「黒パン系統のモノ」が在るのです。この「黒パン系統のモノ」を肉類や溶けるチーズと一緒に炙ってから野菜類を挟む訳で、非常に好い感じです。

野菜類はレタス、トマト、キュウリ、ピクルス、タマネギ、ピーマン、オリーブに加えてハラペーニョが在ります。筆者は「全部!」または「レタス、トマト、タマネギ、ピーマン少々にハラペーニョを多めに」というような感じが気に入っています。

そして日本の店では"ドレッシング"と呼ぶらしい調味料は"ソース"と呼ばれ、何やら随分と多くの、「全部試すには、毎日、毎食という勢いで頂いて、何日も掛かりそうだ」と思える程度の選択肢が在ります。筆者は<ティーシャチャ・オストロヴォフ>というのを定番のようにしています。<ティーシャチャ・オストロヴォフ>は当初は「奇妙な名で、何なんだ?」と思って試したのですが、野菜を頂く際に使うドレッシングの「サウザンドアイランズ」(1000 islands)を「ロシア語に直訳」した名前でした。

↓"フットロング"と呼ばれている大きなモノは、200ルーブル前後の"ハーフサイズ"に対して、330ルーブル前後です。食べ易いように、半分にカットしてもらうというのがポピュラーです。
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↑オーダーする際には"フットロング"とか"ハーフサイズ"と言うより、"マールィー"(小)とか"ボリショイ"(大)と言っている場合が圧倒的に多いです。"ボリショイ"こと"フットロング"は、なかなかにボリュームが在り、「1つ求めて2人で分けて頂く」ということをしている方達も視掛けます。1人で頂くにしても、"ボリショイ"こと"フットロング"に飲物を1つ併せて頼んで「500ルーブルで釣銭が多少」という場合が殆どです。

チェーン店の例に漏れず、確りと「ロシアの<サブウェイ>」としての公式ウェブサイトも在ります。

↓ロシアのウェブサイト
>>Subway Россия Официальный сайт(ロシア語)

↓「店舗検索」のコーナーでユジノサハリンスクの店舗を探してみました。
>>Поиск ресторанов - SUBWAY(ロシア語)

ユジノサハリンスクには、現在時点で3店舗在ります。サハリンスカヤ通、鉄道の踏切近くに在る商業施設の3階に設けられたフードコートに在る店、大型商業施設の<シティーモール>の3階にテナントとして入っている店が在りますが、半ば独立した建物に入っている店が在って、そこは「24時間営業」です。

↓その「24時間営業」の店の店構えです。これは早朝の様子です。隣り建物のガラス張りな部分に看板や空の感じが映り込んで「都会風?」に思えたことと、背後の暁が美しいと思えたことが相俟って、偶々カメラを持っていたので撮影してあった様子です。
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(2017年09月25日撮影)

この「24時間営業の<サブウェイ>」ですが、夜食や朝食―平日の場合、カフェ等は朝が早めな店でも「8時開店」という感じなので、「24時間営業」でもっと早めな時間帯から利用可能なこの店は有難い存在です。―に大きなサンドイッチというのも好い他方、市内の色々なお店と比べて「普通」な感じの価格帯でコーヒーが頂けるので、筆者は早朝に散策に出た際や用事で朝早めな時間帯から出る場面等にコーヒーを求めようと利用する場合も在ります。そんな時、顔馴染みな店員さんが居ると「コーヒー"だけ"ですね?」と言われます。

かなり古い話しながら、筆者はロシアも含めた欧州諸国の<マクドナルド>に立寄ったことが在りましたが、彼の地の店と日本国内の店とに大きな差異は感じませんでした。ところが、この<サブウェイ>に関してはユジノサハリンスクで出くわした店と、日本国内の店とでは様子が随分違うようです。と言って、筆者個人は日本国内の店よりも、ユジノサハリンスクの店に寄った回数の方が圧倒的に多いと思いますが。

↓日本のウェブサイトで様子を視て「同じ看板ながら、内容や雰囲気が随分と異なる」と驚きました。
>>おいしい!をはさもう。野菜のサブウェイ公式サイト

結局、ファストフードチェーンのような「何処かの国で起こって好評なモノのフランチャイズが別の国々にも登場」というような場合、基礎となる商品は同じような「これなら看板を与えて構わない」という内容で揃えられるのでしょうが、国や地域の消費者の嗜好等を反映して、細部が色々と違って来る場合も在るのでしょう。そういう細部の違いが積み重なって「同じ看板ながら、内容や雰囲気が随分と異なる」ということになるのだと思います。

更に一歩、秋が...(2017年10月04日)

9月末近くから黄葉、紅葉が、或いは落葉が眼に留まるようになり、「一段階、気温が下がった?」というような気がしていました。何時の間にか10月に入った中、「素早く、もう一段階、気温が下がった?」という感じです。深夜から早朝の最低気温は「2°C」というような次元で、戸外に出れば「吐く息が白くなる」ようにもなりました。

↓近所の<旭川広場>のナナカマドです。
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↑深みの在る赤に葉の色が変わり、赤い実も目立ちます。

↓稚内市サハリン事務所に近い、カール・マルクス通の辺りです。
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↑手前の木は、葉が綺麗な赤になっています。奥は未だ緑が少し濃く、両者が対照的で美しいと思いました。

最近は最高気温も「15°Cに届かない」感じ、「10°C前後?」という具合であり、風が少し強い時には「風が冷たい...」という按配です。街を歩く人達を視れば、保温性のあるスウェットのようなモノを着ている方、上着を着ている方が完全に多数派です。上着にも色々在って、所謂「ライトダウンジャケット」のようなモノも見受けられます。

ユジノサハリンスクでは、建物内の暖房は"集中暖房"が一般的です。センターから温水を供給して暖房に利用しているような仕組みと聞きますが、そうした"集中暖房"も10月に入って程無く始まったようです。

「温かくなって行く」季節の変化は「ゆったり」という感じですが、「寒くなって行く」季節の変化は「素早い」というように思います。"北国"というのはそういうものなのでしょうか?

<クリスタル>(2017年10月02日)

ユジノサハリンスクには屋内型スケートリンクが2つ在ります。

↓その1つである<クリスタル>です。
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↑ユジノサハリンスク市街の南東側に在ります。西から東へ、緩やかな上り坂になるプルカエフ通が東端に至ってゴーリキー通と交差する辺りに在ります。駐車場になっている構造が下の方に在って、少し小高くなった場所に建物が視えます。

↓建物に上がる手前で振り返ると、西日に照らされるプルカエフ通が視えます。
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このクリスタルは、<アジアリーグアイスホッケー>に参加するチームである<SAKHALIN>の本拠地です。2017-18シーズンはレギュラーシーズン28試合の中、14試合開催が予定されています。

月曜日開催の試合は午後7時開始で、10月2日、その時間に合わせて足を運びました。

10月2日の試合は<SAKHALIN>が韓国から<HIGH 1>(ハイワン)を迎えての対戦でした。第1ピリオドで、巧みなカウンター攻撃を見せ、有利な"パワープレー"のチャンスも生かした<HIGH 1>が2対0と先行しました。が、<SAKHALIN>は第2ピリオドで2点を奪い返し、第2ピリオド終了直前に3点目を得ました。第3ピリオドで<SAKHALIN>は2点を追加し、5対2の逆転勝利でした。

↓<クリスタル>の敷地、建物の周辺はバスケットボールをすることも出来るようになっています。
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↑この時は少年達がバスケットボールをやっていました。他、ここでローラースケートをやっている子ども達を視掛けることも在ります。また、アイスホッケーの試合が行われる日は、<SAKHALIN>のチームで使用している専用バスが駐車している様子が視られることも在ります。

アイスホッケーの試合が開催される場合、観客席は1100席とのことです。当日券も売られています。<SAKHALIN>の試合で、不人気の1列目は50ルーブルでしたが、もっと観戦し易い上段の方の席は200ルーブルでした。

<クリスタル>はプロリーグの試合にも使用されていますが、日頃からスポーツクラブが活動する場にもなっています。少し先の商業施設の周辺のバス停等で、ここでの活動に参加する行き帰りであると見受けられる子ども達の姿を視掛けることも在ります。アイスホッケーやフィギュアスケート等の活動が行われているようです。

↓<クリスタル>のウェブサイト
>>ОГАУ Дворец спорта "Кристалл"(ロシア語)

アジアリーグアイスホッケー:<SAKHALIN>(ロシア) VS <HIGH 1>(韓国) (2017年10月01日)

アジアリーグアイスホッケーは、日本のクラブチームのみではなく、近隣諸国のチームが参加して競うリーグです。少し独特な体制のリーグ戦であるように見受けられます。

2003-04シーズンから、日本のクラブチームのみではなく、近隣諸国のチームが参加して競うアジアリーグアイスホッケーが始まり、現在の2017-18シーズンで15シーズン目となりました。

このリーグの参加チームには変遷もあるのですが、現在の2017-18シーズンは日本の4チーム(日光アイスバックス、日本製紙クレインズ、王子イーグルス、東北フリーブレイズ)、韓国の3チーム(アニャンハルラ、デミョンキラーホエールズ、ハイワン)、そしてロシアの1チーム(サハリン)の計8チームが参加しています。

9月から12月の期間でレギュラーシーズンの試合が行われ、3月にはリーグ優勝を決めるプレイオフが催されます。レギュラーシーズンの試合は「ホーム&アウェー」で各2試合行われます。同じ対戦カードはレギュラーシーズン中に4試合で、「総当たり」ですから各チームは28試合を戦うことになります。

試合は国際ルールによる3ピリオドの方式ですが、第3ピリオド終了時点で同点の場合には「サドンデス方式のオーバータイム」が在り、それでも決着が着かない場合には「ペナルティショット合戦」で勝敗を決めます。

<SAKHALIN>は2013年にチームが創設され、2014-15シーズンからアジアリーグアイスホッケーに参加しています。

実は、筆者は2015年9月に<SAKHALIN>の本拠地であるアリーナの<クリスタル>を訪ねて1試合観戦してみたことが在りました。今年9月、シーズン開幕直後の試合開催の時期、偶々ユジノサハリンスクを離れていたことから観戦機会を設けられずに居たのですが、漸くその機会を設けることが出来ました。

<SAKHALIN>はこれまでの各シーズンで、レギュラーシーズンは優勝を視野に入れられるような位置で善戦を続けており、プレイオフで惜しくも優勝を逃す展開が見受けられます。そういうことも相俟って、チームへの地元ファンの期待度も高く、2015年に初めて観戦した頃よりも観客動員も増えているように見受けられました。

日曜日開催の試合は午後5時開始ですが、開始の15分位前には<クリスタル>の辺りに人が溢れていました。入口の辺りにチケット売場が設けられていましたが、埋まっている席や空いている席が表示されるモニターが在って、開いている席を指定すると脇のプリンタで席番号が入った入場券が刷られて出て来る仕組みでした。入場料は50ルーブルでした。最後まで残っていた席は、やや全体は見え難い場合が在る「1列目」でした。

試合開始前、ホームチーム<SAKHALIN>の先発選手紹介に際して、場内が暗転してスポットライトを使うような演出は以前から在ったのですが、何か記憶している2015年の感じよりも華やかさが増していました。

↓国歌の演奏が流される際、リンクがロシア国旗の色に照らされるという演出まで加わりました。
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↓試合の方は、一進一退の攻防で互いになかなか得点出来ない、少し息詰まる展開でした。
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↑「1列目」の席では、分厚いアクリル板越しに選手達の攻防を見守る感じになります。

↓陣取ることになった席の目の前にチアリーダーが居ました。最初は彼女の背中ばかりが視えていた感じだったので、空いていた左隣りにずれて試合を観戦していました。
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↑チアリーダーは試合開始時には旗を振っています。以降は随時踊って場内を盛り上げます。他にプレゼントを何回か客席に投げるような場面も在りました。

<SAKHALIN>は第2ピリオドに均衡を破る得点を挙げますが、1対0で突入した第3ピリオドに<HIGH 1>(ハイワン)の得点を許してしまい、1対1の同点になります。「シャイブ!」(「ゴールだ!」の意味)を連呼する<SAKHALIN>への応援で試合終盤の会場は湧き上がりましたが、結局同点で第3ピリオドが終了です。そして延長に突入し、<SAKHALIN>が得点です。2対1で<SAKHALIN>が勝利です。

↓延長に突入すると、スコアボードには「第4ピリオド」という見慣れない表示も現れます。
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↓場内の演出も華やかになっていますが、会場の一隅で<SAKHALIN>のグッズも色々と売られるようになっていました。思わずキャップを700ルーブルで入手してしまいました。
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<SAKHALIN>は9試合を戦った時点で6勝3敗で、現在時点でリーグ2位です。この後もユジノサハリンスク開催の試合は多く残っています。今後も観戦機会を設けてみたいものです。

秋色が濃くなる...:サハリン州郷土博物館(2017年10月01日)

9月は、何か凄く速く過ぎてしまったような気がしています。何時の間にか10月に入っていました。殊に「1日」が「日曜日」なので、「ぼんやりしていたら月が改まっていた」というような感じ方をしてしまいます。

9月末になって、日中は「15°C程度?」という気温の日が多くなったように思います。好天で、陽射しが心地好い場合には「寒くはない」と思うのですが、それでも「風がやや冷たい?」と思える場面が増えました。街を行き交う人達の様子を視ても、上着着用の割合が増えているように見える、または保温性が在るスウェットのようなモノやセーターを着用している姿を見る機会が多くなりました。そして深夜から早朝は「5°C?またはそれを切っている?」という日も増え、「そう言えば暖房シーズンは?」というようなことを話題にする方も在ります。

↓サハリン州郷土博物館の前を通り掛かりました。
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↑門前の木の葉が黄色くなっています。好天だった日曜日日中の光が、黄色い葉に透けているような感じで、何となく眺め入ってしまいました。

↓未だ館の前に設置されている噴水は、華麗に水を噴き上げています。
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好天の休日、開館時間帯には敷地内を散策しいるような人達も存外視掛けますが、もっと人が出ていた感じだった夏季に比べると、少し静かになった感じがします。

10月に入り、秋の色が濃くなっていることを実感します。

「少年志願兵」のモニュメント(2017年09月23日)

↓衣装が「少し昔風?」な感じで、何か「古き良き時代の少年達」という雰囲気の、少し惹かれる彫像を見付けました。
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↑アレクサンドロフスク・サハリンスキーの<生神女寺院>の近くに在るモノです。寺院の敷地内から「あちらに彫像らしきモノ?」と視える位置関係に在る像で、後から近寄って視たのでした。

↓像はこういう具合に「高台から海に注ぐ川が造る独特な地形と海を望む」と同時に「街並みが少し覗く」という場所に建っています。
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像の下のプレートには人名が多数並んでいるのですが、その標題として「ЮНЫМ САХАЛИНЦАМ - ДОБРОВОЛЬЦАМ」(ユーヌィム サハリンツァム―ドブロヴォリツァム)と在ります。これは「サハリンの少年志願兵に捧ぐ」という意味です。

「ドブロヴォリツ」(добровольц)というのは、直訳すれば「善意の人」ということになりますが、意味合いとしては「自発的な意志で行動する人」ということになります。「自発的な意志」ということで、ここでは「志願兵」と訳出すべきなのです。

第2次大戦期、徴兵年齢に達していない少年達の中に、「自発的な意志」で前線に向けて旅立った「少年志願兵」が多く見受けられたと言います。当時のサハリン、アレクサンドロフスク・サハリンスキーを中心とする地域からもそうした「少年志願兵」が旅立ちました。そして、彼らの殆どは消息を絶ってしまいました。多数の戦死者や、戦禍で命を落とした夥しい人達の中で、彼らは命を落としてしまい、生還出来なかったものと推定されます。

ソ連時代の終わり頃、1980年代の末に近い頃から"戦中秘話"とでもいうような「それまで余り伝えられなかった戦時下の色々な事」に関して、記録を残すべきであると生存者へのインタビューを基に綴ること等が始まり、それが公刊されたことを契機にそうした動きが拡がる、或いは古い未公開資料を精査するような研究が始まる等、色々な動きを受けて様々な事が伝えられるようになりました。

「自発的な意志」で前線に向けて旅立った「少年志願兵」の中には、どういう運命を辿ったのか仔細が不明なまま消息が判っていない人達も大勢居るようですが、そうした人達の中で氏名が判っている人達の名を挙げながらこうしたモニュメントを建て、理想に散った少年達を悼むと同時に「そういう時代が在った」ことを伝えようとしていることになります。

↓日が傾くような頃になると、西日に染まる空と海が視えるような位置に「少年志願兵」のモニュメントは佇んでいます。
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↑或いはアレクサンドロフスク・サハリンスキーの「らしい感じ」な風景が視える場所に、生還出来なかった少年達をイメージした像が佇んでいる型です。

実物を見れば、コンクリートの台座に経年変化らしきものが見受けられないのが判りますが、モニュメントが建ったのは近年のことであるそうです。近年の、古い未公開記録の研究の様なところから、こうしたモニュメントを設ける計画が持ち上がったのかもしれません。

単純に「少し惹かれる少年達の彫像」と眺めていたのですが、「平和の尊さ」に想いを巡らせることになりました。
2017年09月 2017年11月