雑感

赤青眼鏡(アナグリフ)の話

2025年8月15日 (金) 投稿者: メディア技術コース

1年生の前期にある"視聴覚情報処理"という授業の中で"立体視"の話をする機会があった。

人間の視覚は結構いい加減で、左右の目に入る映像のズレを人工的に作ることでいわゆる"立体を見ている"という感覚を騙して作り出すことができる。これがいわゆる"立体視"というもので、対象までの距離が変わらない平面にもかかわらず、奥行きの間隔が生じる。

この原理で左右に"視差"を考慮した画像を見せて立体風に見せる技術は結構古く、写真が発明されてからちょっとしたおもちゃで実現されていた(1860年代にはすでにあったとか)。

映画の歴史的にもこの"立体視"を利用した作品は目新しさも手伝って、1950年代、1980年代、2010年代あたりの30年周期でいわゆるブームが起きている。虎が襲ってきたり、モリが突き出たり、ギロチンがこちらに飛んでくるなど、特殊効果の臨場感的な目新しさもあるが、特に1950年代だと、当時のスター俳優が立体で見られるのが、全般的な映画ファンとしてはなんともありがたい(例えば、「ダイヤルMを廻せ!(1954)」のグレース・ケリーや、「キス・ミー・ケイト(1953)」のアン・ミラーの華麗なタップダンスなど、動く様を立体で見ることが出来る。)

さて、安価な立体視の装置として、アナグリフという技術がある。年齢が上の方ならなじみがあるかもしれないが、いわゆる赤青のフィルターを左右に入れたメガネである。
左右の赤青のフィルターを通して両目に視差を伴う違う映像が入ることで、見ているものを立体に感じる仕組みだが、筆者が子供の頃は安易に作れるため、雑誌の付録などによく付いていた。"高級な"劇場の立体映画はもっぱら偏光板で左右の目の映像を切り替えるものが多いが(その分設備が必要)、赤青というのは眼鏡を配ればよいだけなので、特別な設備は必要ない。ただし見ていて疲れやすいので、"お手軽"さを前面に出した売り方も多い印象だった。(一部、映画では赤青眼鏡方式の3Dを使った劇場用映画として、ロバート・ロドリゲス監督の2000年代の「スパイキッズ3ーD:ゲームオーバー(2003)」「シャークボーイ&マグマガール 3-D(2005)」あたりはあります。もっと古くには「飛びだす冒険映画 赤影(1969)」のような"東映まんがまつり"的なプログラムの中の作品もあり)。

なお、映画館の観客席にギミックを持ち込んだウィリアム・キャッスルの「13ゴースト(1960)」などのように、観客に赤青のセロハンフィルターを配り、"どちらを通してスクリーンを見るか"で、見える映像が変わる、という立体視以外の使い方がされた例もあるようです("イリュージョン・オー"とか名付けた手法だそうな)。

さて、赤青眼鏡の映像は左右の目に入る映像の色をそれぞれの色(赤フィルタ:左目で青色の画像が見え、青フィルタ:右目で赤色の画像が見える)にすればよいので比較的簡単に(安価に)制作できる。
実際の画像例をこのページに載せておくので、興味がある人は眼鏡を作って試してみると良い。下の映像は単純に赤青二つの立方体の間隔を変えたGIF動画である(クリックで動くかも)。

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この画像、赤青眼鏡をかけずに見ていると単純だが、眼鏡をかけて試してみると画面の中にひとつの立方体が浮かぶような感覚が生じる。ただ、観察するともう一つの効果に気が付く。つまり、立体視をしている時の感覚として、同じ大きさのものが手前に来る場合と、奥に来る場合で、その大きさの実感が(画面上の大きさは変わらないにもかかわらず)変わるのだ。奥に行くほど立方体を大きく感じ、手前に来るほど立方体が小さく感じる効果が生じる。この現象はつまり、脳内で遠くにあるものほど"実際の大きさは大きく"近くにあるものほど"実際の大きさは小さい"という自動判定がなされていることに起因する。まあ、自然界ではその推論は当たり前なのだが、"騙された"視覚体験の後に、眼鏡をはずしてスクリーンに投影されているだけの2次元の映像を見るとなんとも奇妙な感覚になる。

(以上文責 「視聴覚情報処理の基礎」担当 永田)

2025年8月15日 (金)

日本広告学会「クリエーティブフォーラム2025」企画運営・実行委員として(メディア学部 藤崎実)

2025年7月 7日 (月) 投稿者: メディア社会コース

みなさん、メディア学部の藤崎実です。

2025年5月17日(土)に近畿大学東大阪キャンパスで、日本広告学会主催の「クリエーティブフォーラム2025」が開催されました。
私はその実行委員として参加してきました。

「クリエーティブフォーラム」は毎年違うテーマが掲げられるのですが、今回のテーマは、「AIと新しいメディアでクリエーティブはどう変わるのか」でした。
テーマの趣旨を抜き出すと以下です。

新しいテクノロジー(AI)とメディア(TikTokなど)が台頭する中、クリエーターはどう向き合うのかが問われている。従来のマスメディアを活用したクリエーティブを展開してきたクリエーターと、AIやTikTokを活用したクリエーティブを展開しているクリエーターとの議論を通じて、今後のクリエーティブに必要なポイントを考察していきたい。

Kinnki

広告業界は、時代の潮流を常にアップデートしていく点に特徴があります。
実際に現在のクリエイティブに様々なAI技術が取り入れられているとのこと。

今回のフォーラムは、昨今話題のAIの活用に着目した大変充実した内容でした。

大変勉強になりました!

委員長:川村洋次先生(近畿大学)、副委員長:池田定博先生(電通)、実行委員(五十音順) :青木慶先生(甲南大学)、井上一郎先生(江戸川大学)、大内秀二郎先生(近畿大学)、弦間一雄先生(大阪経済大学)、瀨良兼司先生(近畿大学)、藤崎実(東京工科大学)

(メディア学部 藤崎実)

2025年7月 7日 (月)

メディア学部における新入生SNS利用率調査

2025年6月13日 (金) 投稿者: メディア技術コース

メディア学部の盛川です。

毎年、学部1年生の必修授業である「情報リテラシー」の中で、ミニ課題と称して様々なアンケートをとっています。その中で、面白い結果となったものを紹介します。

東京工科大学では、毎年新入生全員を対象にコミュニケーションツールの利用実態調査を行っています。結果については公式Webサイトでも公開され、2025年度の結果は以下のリンクから確認できます。そこで掲載されているグラフを図1として引用しました。

新入生の「コミュニケーションツール」利用実態調査を発表

アンケートの結果から、本年度はInstagramの利用者がX(旧Twitter)を抜いて第2位となったことが特徴的であると読み取ることができます。さらには、Discord利用者の減少、TikTok利用者の増加なども見て取れます。

Chart4

図1 現在使用しているSNS(上記URLより引用、クリックで拡大)

この結果は八王子キャンパス、蒲田キャンパスすべての学部の新入生を対象としたものでした。それでは、メディア学部の新入生に限って言えば、どのような結果になるのでしょうか。最初に挙げた「情報リテラシー」の授業は1年生の必修授業なので、同様の質問を行うことで新入生調査と比較することができそうです。

結果は次の図2のグラフのようになりました。LINEが1位であることは全体調査と同じですが、2位はX(旧Twitter)で3位はDiscordとなっています。全体調査で2位であったInstagramは4位となっています。InstagramがXを抜かすどころか、Discordよりも順位が下となる結果となりました。

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図2 メディア学部における新入生SNS利用率調査(クリックで拡大)

利用率の数値についてみてみると、全体調査ではDiscordの利用率が約40%ほどであったのに対し、メディア学部の調査では75%近くの値となっています。Instagramについては、全体調査に比べメディア学部では10%ほど低い値になりました。

二つの結果を比べると、大きな違いがあることがわかります。特にDiscordの利用率の差が大きいことが特徴的でした。Discordはゲーム分野での交流やチャットに用いられるSNSですので、ゲーム分野に興味のある学生が多いと思われるメディア学部で大きく利用率が上がったのだと考えられます。

メディア学部でこのような差があったということは、他の学部ではInstagramの利用率が極端に多いところや、他のSNSが利用されているところがあると予想されます。学部の特徴がSNSの利用率として表れているとすれば、学部に合った情報共有や交流方法を考えるのも面白いでしょう。これから新しいSNSが生まれるとすればどういった機能や形態になるのか、自分ならどういったSNSを作るか、といった想像をしてみると、新しいメディアの形が思い浮かぶかもしれません。

(文責:盛川浩志)

2025年6月13日 (金)

生成AIは音楽をどこまで作れるのか? ー 伊藤謙一郎先生に聞く、Suno AIの実力とは

2025年6月11日 (水) 投稿者: メディア技術コース

メディア学部の藤澤です。普段は、機械学習の様々な応用について研究をしていますが、今回は音楽生成AIの話です。私自身は音楽からは縁遠い生活なのですが、昨今の生成AIを用いた楽曲生成を使ってみて、素人目には非常に素晴らしいものができていました。これが専門家から見るとどうなるのかを知りたくなり、同じメディア学部で作曲を専門とする伊藤謙一郎先生にお話を伺いました。


近年、生成AIの進化が目覚ましく、文章生成AIや画像生成AIをはじめ、さまざまな分野でその活用が進んでいます。中でも、ここ1年ほどで急速に注目を集めているのが音楽生成AIです。Suno AIやUdio AIといったサービスの登場により、誰でも簡単に楽曲を生成できる時代が到来しつつあります。

音楽生成AIとは?

音楽生成AIとは、人工知能を用いて楽曲を自動で作成する技術です。与えられたテキストやスタイル、ジャンルなどの条件に基づき、メロディ、和音、リズム、さらには歌詞や音声までも自動的に生成することが可能です。従来、音楽制作には専門知識と時間を要しましたが、これらのAIによって、より多くの人が音楽制作にアクセスできるようになってきました。


伊藤先生が見たSuno AIの実力

伊藤先生ご自身は、現在のところSuno AIなどの音楽生成AIを積極的に使用しているわけではありません。しかし、学生が話題にすることも多く、実際に生成された楽曲を耳にする機会は増えているそうです。

その上で、Suno AIの技術的完成度について、以下のような評価をされていました。

  • ジャンルに合わせた作曲が秀逸
    単に指定された楽器を使うだけでなく、スタイルに即した曲調や構成が的確に模倣されている。

  • 作詞の精度も高い
    適切な韻を踏んでおり、自然なリリックとして成立している。

  • リズム感のある裏打ち
    曲中に効果的な裏打ち(バックビート)が挿入されており、音楽的にも説得力がある。

  • 歌詞と旋律の整合性
    単語を1音に凝縮したり、語尾を引き伸ばすなど、メロディに合わせた処理が自然で、感情表現も豊かである。

  • 音質の向上
    バージョンを重ねるごとにミックスや音質が向上しており、商用レベルに近づいている印象がある。


人間とAIの創作の関係

伊藤先生は、Suno AIのようなツールが「音楽制作を身近にする」という点で大きな可能性を感じつつも、今後の創作活動における人間の役割についても慎重な考察が必要だと語ります。

「AIが生み出す音楽は確かに魅力的です。ただ、創作の本質には"なぜそれを作るのか"という意図が必要です。AIが補完できる部分と、人間にしか担えない部分の境界を、今まさに私たちは探っているのだと思います。」

また伊藤先生は、AIが作った音楽には、明確な違和感とまでは言えないものの、「人が作ったものとは異なる何か」を感じることがあるとおっしゃっています。この話題から、画像生成AIの分野でも見られたように、今後は人間の作曲家がAIのスタイルに寄せて作るという現象が起きる可能性についての話もあがりました。そうなると、「人が作ったもの」と「AIが作ったもの」の境目は次第に曖昧になっていくのかもしれません。


おわりに

音楽生成AIは、テクノロジーの力で音楽表現の地平を押し広げようとしています。Suno AIはその最前線にある存在であり、メディア学部としてもこの分野の動向を注視していく価値があるでしょう。

2025年6月11日 (水)

専門演習で映画字幕つくり

2025年6月 9日 (月) 投稿者: メディア技術コース

本年度から2年生からの「メディア専門演習」という演習科目で、"映画字幕の作成"というテーマを一つ立ち上げました。

長年、映画ファンをしている傍ら、小さな上映会や、映画祭の日本語字幕作成などを細々とやってきたので、そのノウハウを学生に伝えることが出来たらいいな...という、それっぽい理由もありますが、実は不純な動機も少しあって、昔のまだ(自分が)観ていない日本未公開の映画など、学生のパワーで発掘できないか、と考えた次第。つまり、学生が字幕を付けたいろんな映画を採点と称して楽して沢山観ることができるのではないかという、そういう悪だくみが根幹にあったわけなのですが...。

で、いざ演習を立ち上げてみると、よくよく考えたら学生の演習なので、先生側は見本(お手本)を示さねばならず、そうすると先回りして全部の字幕の訳文を用意しておく必要があり...。と、ただいま作業地獄の泥沼に沈んでいる所です。

さて、映画の日本語字幕、普段意識して観ている人は少ないでしょうが、実は結構な分量があります。2時間弱の長編映画で大雑把な目安を言うと、サイレント映画では50くらいから200程度の文章(セリフ)、これがトーキーになると1000〜2000程度の文章(セリフ)の量になります。一文一文を吟味しながら、一文を1分で字幕を付けていくと考えても、200文あれば200分かかるわけで、結構な重労働だとお分かりいただけるでしょうか。

字幕付けにはルールがあって「一秒間に4文字程度で読むように文字を配置すると読みやすい」とか「句読点は使わない」とかあります。オールドな映画ファンとしては、特にビデオ媒体で映画が視聴されるようになって、文字数制限が厳しくなり、映画字幕の情報量が大幅に減ったような印象もあります(その分文字は読みやすくなりましたが...)。

さて、字幕の演習を行うにあたって、自分のつけた字幕が、市販されているソフトの映画字幕とどのくらい違うものなのかを、半ば答え合わせのような感じで見比べてみました。今回の例は1928年のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督による、「紐育の波止場(The Docks of New York)」というサイレント映画の序盤の一コマです(画像の字幕は私)。

図:映画「紐育の波止場(1928)」の中間字幕の字幕例

冒頭部分のナレーションにあたるような文字字幕で、英文の前半部分にあたるところは私の字幕だと、

> 私:「燃料が石油になり 火夫の仕事が楽になる前―」

としていますが、これが既存ソフトだと

> 既存ソフト:「燃料を補給するまでの数日は仕事も楽しかった」

となっていました...いや...このソフトの訳文、絶対違う...気がする...(自分にあんまり自信がないので半分疑心暗鬼...)

これだけ違っていると、情報が落ちてるどころの騒ぎではなく、なんだか別の話が進行しています。

実はほかの映画も色々と検証して観てみたのですが、市販ソフトの字幕は訳す人によって個性が "かなり" バラついており、、あまり有名どころでない映画の場合、妙な字幕が横行しているのは普通だったりします。ただ、鑑賞してる側はあまりじっくり文を吟味して聞いたり読んだりはしていないので(一瞬で流れてしまいますし)、なんとなし見過ごされている様子。ということで、今まで皆さんが見てきて感動した映画も、実は「ほんとはそんなこと言っておらず、字幕作成者の作ったお話」という可能性や、「全然言葉が頭に入ってこないのは、訳文が矛盾しているから」という可能性もあったりします。(もちろん、うまく意訳して名訳になっている字幕も多々あります)。

ということで、かなり強引な今回の教訓ですが <好きな作品なら自分で翻訳してから観るとより楽しめます> ということで。

(以上 文責:永田)

2025年6月 9日 (月)

パトラッシュって何犬?

2025年6月 4日 (水) 投稿者: メディアコンテンツコース

こんにちは。メディア学部の竹島です。

うる星やつら、ベルサイユのばらなど、ここ数年昭和アニメのリメイク作品が公開されていますが、これまでにも様々な作品がリメイクされています。

今日は、私が見たリメイク作品でビックリしたことを紹介します。
それは、フランダースの犬。
この作品は、何度も何度も再放送され、話を知らない人はいないのでは?というほどの名作です。
1975年版のパトラッシュはセントバーナードをモチーフとした、白地に茶色のブチ模様でした。パトラッシュが好きすぎて、ぬいぐるみを買ってもらった記憶があります。
しかし、1992年「フランダースの犬 ぼくのパトラッシュ」では、みたこともないグレーの犬が・・・・。
そのグレーの犬こそがパトラッシュでした。
当時、あまりのショウゲキに、そっとテレビを消しました・・・・。

調べてみたところ、原作にはパトラッシュの犬種までは記載されていないそうです。
そこで1975年版では、子供がなじみやすいようにとセントバーナードをモチーフにしたキャラクタが使用されました。
しかし、フランダースの犬の舞台はベルギー北部であるため、ベルギーの犬種であるブービエ・デ・フランダースがモデルなのでは?という話もあるからなのか、1992年版にはセントバーナード風ではなく、グレーの犬になっていました。

Wikipediaによると、1992年版は最後2話が打ち切りで放送されていないそうです。

キャラクターデザインはずっと心に残ったりするので、とても重要ですね。

(文責:竹島)

2025年6月 4日 (水)

【学部長Blog004】コンテンツとの出会い(2)<ゲーム編>

2025年5月18日 (日) 投稿者: メディアコンテンツコース

メディア学部長の三上です

ゴールデンウィークで少しお休みさせていただいておりましたがまた再開したいと思います.
前回に続き,私がコンテンツに興味を持つきっかけになり,今でも影響を受けていると思うコンテンツについて紹介してみようと思います.まず今回はゲームの方から.

私はアーケードゲームだと「パックマン」と「ゼビウス」が大好きで,近所の「牛乳屋」や「饅頭屋」と呼ばれる,ゲーセンではないけどゲームが置いてある商店で並んでプレイしていました.そんな私がいわゆる家庭用ゲーム機を購入したのは中学1年(1985年)の冬でした.それまでは任天堂のゲームウォッチを小学校5年ごろに買ってもらって遊んでいましたが,そこまでのめりこむことはなかったです.

最初の家庭用ゲーム機は任天堂のファミリーコンピュータで,当時発売され大人気だった「スーパーマリオブラザーズ」がどうしてもやりたくって,お年玉を使って購入しました.ところが当時のカートリッジソフトはソフトと言ってもハードウェアでしたから,すぐに大量生産できるわけがなく,欲しくても購入できませんでした.

そこで,ハードと一緒に買ったのは当時アーケードから委嘱されたばかりだった「シティコネクション」(ジャレコ)と「ジッピーレース」(アイレム)と「エレベータアクション」(タイトー)でした.「スーパーマリオブラザーズ」は手に入らなかったものの,アーケードゲームとしてもプレイしていた作品が無限に自宅でプレイできるのは本当にうれしい限りでした.

そして,その後私が出会ったのは,今でもシリーズが脈々と続く「ドラゴンクエスト」でした.
まあ,同世代の結構な人数が当時この大ヒットゲームに魅了されたので,今となってはそれほど新鮮味はないかもしれませんが,それまでのゲームと違って,継続してプレイしてストーリーをたどっていくという遊びは斬新でした.

当時はネットなどもなく,攻略サイトは存在していません.ファミコン通信などの雑誌は存在し,攻略本が出始めたころですが,そこまでタイムリーで詳細な情報は出ていないので,学校では攻略の話でもちきりでした.

どれぐらい時間かけたかわかりませんが,それは夢中になってマップ上を探索しまくりました.そして第2作ももちろんのめりこみました.この当時はプレイデータをゲーム機に保存するという概念はなく,プレイデータは「復活の呪文」と呼ばれる,ドラクエ1では25文字,ドラクエ2では52文字のひらがなによる暗号がセーブデータになっていました.一語づつ間違えなく記すのですが,もし間違えているとその日のプレイの記録がなくなり,前の日に逆戻りしてしまいます.スマフォなどもありませんので,画面を写真でとるようなこともできません.インスタントカメラでも持っている人であれば写真に残すこともできたでしょうが・・・(チェキが発売されるのは1998年なのでまだ敷居が高い).
そして,第3作のときはちょうど高校受験のタイミングでした.プレイを始めたら絶対にのめりこむをはわかっていたので,購入はしたものの手を付けずにずっと保管して,試験が終わった日からプレイしました.

ドラゴンクエストは今でも発売されると必ずプレイするゲームとなりました.ドラゴンクエストの作者である堀井雄二さんとはデジタルコンテンツ協会のデジタルコンテンツグランプリで表彰する側として参加して,受賞される堀井さんと直接お話しする機会がありました.とにかく感謝を伝えたことを覚えております.

ファミコン以前に夢中になった「パックマン」の岩谷徹さんや「ゼビウス」の遠藤雅伸さんには,日本デジタルゲーム学会で理事として学会運営をご一緒したり学会で議論する機会にも恵まれ,子供のころに私に影響を与えた皆さんと,社会人になって今度は次の人材を育成する側としてご一緒できたのは本当にうれしい限りでした.

P.S
当時購入したファミコンのゲームはまだ資料として持っています.意外と几帳面な私はパッケージから出した後,外箱や取説は大切にしまっておきましたので,ほぼ新品に近い状態で保存しております!(今度その写真も紹介します)

2025年5月18日 (日)

【学部長Blog003】コンテンツとの出会い(1)

2025年4月20日 (日) 投稿者: メディアコンテンツコース

メディア学部長の三上です.

今回は,現在の研究テーマとなっているコンテンツとの出会いについてお話ができればと思います.
私の生まれは1972年で,いわゆる団塊Jr.世代(第2次ベビーブーム世代)です.政府の人口動態調査によると 2,038,682人ですから,2024年の720,988人と比較すると3倍近いですね.

私の幼少時代から学生時代にかけては遊び,娯楽がアナログからデジタルに変化していった時代なのかなと思っています.私が生まれたのは東京近郊というか神奈川の南の横須賀というところ(の中でもかなり南の方)です.海岸まで1分,野山(山椒魚がいるような清流もあった)は3分ぐらいの環境なので,おのずから野生児さながらの少年時代を送ります.半面,子供が遊びに行ける繁華街は横須賀中央にありましたが,映画館も規模が小さく,コンテンツに触れるにはいささか不便な場所でありました.

そのころの遊びはというとまさに昭和のレトロな遊びそのもの.公園のような整備された環境があまりなく,自然を生かしての遊びがほとんどでした.海岸はそれなりに砂浜があったので,野球(ソフトボール)やったり,山や小川で昆虫採集したり,空き地でケイドロや鬼ごっこなどと,いわゆる昭和の遊び満載でした.また,近所に住む親戚が工務店を営んでいて作業場があったので,余った木切れとかをもらってきて加工して船を作ったり竹馬作って遊んだりなどしていました.(今でも木工やDIYが比較的できるのはこのころの経験のおかげです)

そんな,昭和の野生児丸出しで野山を駆け巡っていたころ,世間では「インベーダーゲーム」ブームが爆誕します.1980年ごろは小学校3年から4年生にかけての時期でしたが,当時はその年齢でゲームセンターに行ってゲームをやるのはなかなかに難しい時期でもありました.多くの私の周りの同年代の研究者も同じように,興味はありつつもなかなか近づけない時代を感じていたのではと思います.
そしてほぼ同じ時期に爆誕したブームが「ガンプラ」ブームです.こちらは欲しくても売っていないから買えないという時代(今も近いかな)です.ケータイもSNSもないので,どこかのお店に入荷してもその情報はわかりません.ですので,自転車に乗って近所のおもちゃ屋さんをぐるぐる回る日々が始まります.海や野山をかけずりまわり,ガンプラ入荷のうわさが出ると自転車を走らせておもちゃ屋を回り,いつかはいりたいなとゲームセンターを遠目に眺めるという少年時代が続きます.

そんな少年時代に大きな影響を与える出来事が,1980年台中盤に立て続けに起きます.それは,「ファミコン」の誕生と「レンタルビデオ」の普及です.それまで,近づけなかったゲームセンターや行きたくても行けなかった映画館がいつでもアクセスできるようになる,まさに革命的変化が起きるのです.

次回は具体的に少年時代に遊んで現在でも記憶に残っている作品について紹介できたらと思います.

20250420かけずりまわった海岸です

2025年4月20日 (日)

アーティストの社会学

2025年3月28日 (金) 投稿者: メディア社会コース

昨年11月9日・10日、京都産業大学にて第97回日本社会学会全国大会が開催されました。

今年は新たなテーマセッションとして「アーティストの社会学」が設けられ、ボディビルダー、バーテンダー、ロックバンド、演劇、アートセラピー、女性や移民としてのアーティスト...などなど、「美意識」に関係する幅広い人間の活動を分析した研究報告がおこなわれました。

「アーティストの社会学」ってなに?という疑問を抱く多くの方に向けて、簡単に説明してみたいと思います。

「好きなことで生きていく」って本当にできるの?

「好きなことを仕事にしよう」「クリエイティブな仕事で生きていく」——こうした言葉を一度は耳にしたことがあるかもしれません。YouTuberやデザイナー、ゲームクリエイターなど、自分の創造力を活かして働くことに憧れる人は多いでしょう。

しかし、本当に「好きなこと」で生きていくことは可能なのでしょうか? そして、その働き方はどんな未来をもたらすのでしょうか?

イギリス・ロンドン大学ゴールドスミス校の名誉教授で、文化研究者のアンジェラ・マクロビー(Angela McRobbie)は、著書『クリエイティブであれーー新しい文化産業とジェンダー』(花伝社、2023)のなかで、クリエイティブ産業における労働の現実について考察しています。

もともと、アートやデザイン、音楽などの仕事は、資本主義的な労働のルールに縛られず、自由な自己表現を追求する場とされてきました。ところが、現在のクリエイティブ産業では、むしろ「好きなことを仕事にする」ことが、労働の無限搾取につながってしまっているのです。

クリエイティブな仕事には、明確な労働時間の境界がありません。たとえば、デザイナーや映像クリエイター、ライターなどの仕事では、「もっと良いものを作りたい」という情熱があるがゆえに、仕事とプライベートの境界が曖昧になり、際限なく働いてしまうことがよくあります。また、「好きなことをやらせてもらっているのだから」という空気感が、正当な報酬を支払ってもらえない一因になってもいます。

マクロビーはさらに、フリーランスの世界のジェンダー問題にも警鐘を鳴らします。プロフェッショナルな訓練を長く受けてきた女性であっても、育児や家庭生活とを両立する制度が整っていないことが原因で、安定的にキャリアを築けないことを指摘しています。実際、多くの会社員の女性が受け取れる産休育休手当がありますが、フリーのカメラマンやデザイナー、アーティスト、ダンサーの女性たちはこれを受け取ることがでません。

社会学的視点を持つことの大切さ

「好きなことで生きていく」ことは可能ですが、持続的なキャリアを築いていくためには、労働の仕組みや社会的な課題について理解することが必要です。日本社会学会のテーマセッション「アーティストの社会学」は、マクロビー氏の問題提起を手がかりに、それを日本の文脈や状況と接続させながら、アーティストの生き方を支えるための社会制度や方法論を考える場となりました。

本学でメディア学を学ぶ皆さんも、映像、ゲーム、広告といった分野で活躍する際に、クリエイティブなスキルだけでなく、労働の仕組みや社会構造について考え、これらを改善しようとする視点を持ってみませんか?

2025年3月28日 (金)

日光

2025年2月12日 (水) 投稿者: メディア社会コース

先日書いた曾祖母は福島県二本松から山の麓に逃れてその人生をそこで過ごしたが、父方も戦いに敗れたが上京して教育を受け、その成果をもって故郷に帰った。そのため、19世紀に生まれた曾(?)祖父は、その昔は資料館があったらしいが、現在はホームページでその写真も見ることがで出来る。郷土の出身者として市が曾祖父に関する本を発行してくださって末裔のしんがりにいる私としてもありがたい限りである。しかし、その曾祖父が何を語ったのかは私は聞いたことがない。

親戚というのは遠すぎるが父方の曾祖母のいとこは、巌頭之感 という遺書をしたためて日光の華厳の滝で亡くなっている。親戚は様々なことを伝えてくれて、それはここにあるwikipediaにあるものとは少し違う。15歳の時にその言葉を初めて読んだ時と異なり若い人を長年過ごしてその可能性を知った今の私は、どんなに切羽詰まった状況にあっても、後もう少し生きてくれれば必ず何かチャンスがあったのにと思うばかりである。

山崎晶子

2025年2月12日 (水)

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