『ユジノサハリンスクの地図』 ― <サハリン観光情報センター> (2017年07月17日)

ユジノサハリンスク市内のオフィスビルである<北海道センター>を訪ねる用事が発生した時、不意に思い出したのは1階の入口辺りに在る<サハリン観光情報センター>でした。

<サハリン観光情報センター>は、エクスカーションの斡旋や来訪者向けに情報提供を行う公的な機構で、6月に立寄ってみた経過が在りました。

↓6月に立寄った経過はこちらに御紹介しました。
>> <サハリン観光情報センター> (2017年06月21日)

6月に立寄った際、「7月以降の来訪者が増えるシーズンに備えて、外国語の市内地図等を準備しているところ」と伺いました。「どうなっただろうか?」と少し気になっていました。

↓こういうモノが登場しました。<サハリン観光情報センター>の「GoSakhalin」というロゴも入って、ロシアの他地域では見受けられないサハリン州郷土博物館の建物の一部がデザイン的に巧く使われている画が入っています。
『ユジノサハリンスクの地図』 (1).JPG
↑大きさの比較のため、事務所に在ったボールペン―先日ネベリスクで頂いたモノです。―と並べてみました。ポケットに入るサイズで、厚紙が使われています。

↓これはこういう具合に開くと、ユジノサハリンスク市内の地図が出て来ます。
『ユジノサハリンスクの地図』 (2).JPG
↑真中に、「上が東、下が西」な横長型で地図が在ります。脇は旅行会社やホテル、レストランの広告が入っています。用紙の縦はA4版と殆ど変らず、横はA3より少し長い感じです。

↓裏側には、地図に記載が在る場所に関する説明が在ります。
『ユジノサハリンスクの地図』 (3).JPG
↑こちらも脇の方は色々な広告が入っています。

こうして地図を視ると、ユジノサハリンスク市内の主だった場所は、ゆっくり歩いて巡ることが出来るような感じであることが判ります。

地図は場所を示す説明が日本語ですが、地図そのものに在る主要な通の名称は英語のアルファベットで書かれています。これは、正直なところ、カタカナで書いても現場にカタカナが在るでもないので、歩く際には実用的とは言い難いと思われます。英語のアルファベットは、一部の住所表示にも書いて在ります。

細かいことですが、1ヶ所だけ、地図上の商業施設を示した箇所で「これはもう少し南寄りだったのでは?」という箇所が在りました。

そしてこの地図ですが、さり気なく「NOT FOR SALE」(非売品)と入っています。飽くまでも<サハリン観光情報センター>や、提供を受けた場所で配布するモノであるということでしょう。

サハリンでは「観光振興」に注目され、「出来ることをやってみよう」という機運が高まっているように見受けられます。こうした案内地図は、日本語のみではなく、英語、韓国語等も視掛けました。

サハリンへお運びの際には、この地図を入手して、これを手に街を歩いてみると愉しいかもしれません。

「45年の友好―友好都市 ネベリスク・稚内」の記念品(2017年07月16日)

↓7月13日にネベリスクで頂いた記念品です。
「45年」の記念品.JPG
↑デスクや棚に飾るモノで、「45年の友好―友好都市 ネベリスク・稚内」という文字が在ります。

ネベリスクでは7月13日に、稚内市とサハリンの3つの友好都市の代表が集って意見交換を行う<第10回 友好都市経済交流促進会議>が催されました。併せて友好都市45年を記念した催事も行われました。

その関係でネベリスク市が、当日訪れる稚内関係者等に向けて記念品を用意しました。それが写真の置物です。

ネベリスクではトドが「街のシンボル」のようになっています。現在の時季は何処かを回遊する時季に相当するということで、残念ながらネベリスクを訪ねた一行がトドを視ることはなかったのですが、ネベリスクの皆さんによると「多めな時季で400頭前後居るらしい」ということでした。

↓一度、様子を視てみようとネベリスクを訪ね、状況をこのブログでも御紹介した経過が在ります。
>>ネベリスクのトド(2017年05月06日)

そのネベリスクのトドの写真に対し、稚内の写真として、サハリンから訪れる皆さんに中々人気の「ノシャップ岬のモニュメント」が使われています。

この置物のポイントですが、トドとイルカが互いに向き合っているという点、そして空のトーンが似たようなモノを敢えて選び、「同じ空の下で向き合う両友好都市」というような感じに纏めていることだと思います。

これは稚内市サハリン事務所でも大切に飾っておこうと思います。

欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者(2017年06月05日)

コルサコフ港から程近い高台に立つと、港の様子がよく視えます。その高台に陣取って、稚内へ向けて出航する<ペンギン33>の様子を視ようとしていた時でした。

↓大きなバスがやって来て、一群の人達が各々にカメラ等を手にコルサコフ港の様子を眺め始めました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (1).JPG
↑どういうように視ても、「何処か遠方から旅行に来た人達」という感じです。

こういう按配に、団体が乗ったバスが何処かに着いて、乗っていた人達が下りて辺りの景色を眺めているような様子は、国や地域が変わっても大差が無いものだと思いながら様子を視ていました。

↓ガイド役の、旅行会社のロゴを入れた黄色のTシャツを着て―この日は肌寒かったので、上からカーディガンを引掛けていましたが。―いる女性がファイルに入れた画を示しながら、旅行者の一団に英語で話していました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (2).JPG
↑「約100年前に出来た港の施設が今も使われていて、同じ場所と推察される場所で撮った100年位前の画です」とガイド役の女性が示し、「なるほど、基本形は同じだ」と画と現在の風景が並んで画面に入るような感じで写真を撮っている方が大勢居ました。

旅行者の団体に目配せして忙しそうでしたが、このガイド役の女性に一寸だけ伺いました。サハリンでは知られている旅行会社の仕事で、ドイツからの団体のサハリン巡りを案内しているところだと言います。ドイツから日本を経由してサハリン入りし、サハリン州内を巡ってから、また日本経由でドイツへ戻るという計画なのだそうです。

ガイド役の女性が示していた古い写真の写しですが、1920年代に当時の大泊港の桟橋が登場したような頃の画でした。それに、ドイツからの旅行者達が強い関心を示している様子を興味深いと思いました。

未だ"数"としては目立つものでもないのかもしれませんが、欧州諸国の人達にとって、サハリンは「少し変わった旅先」として少しずつ知られるようになって来ているのでしょう。

或いは、こういう人達が「序でに稚内も」と立ち寄って頂ければ、彼らにとっても新しい発見が在るかもしれない等と想いながら、バスに乗って次の目的地へ去っていく様子を視ていました。

欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (3).JPG

サハリンのお友達に薦めて下さい! <サハリン航路わっかないの魅力写真コンテスト>開催!!

このブログを御覧頂いている皆様の中には、サハリンに友人や知人が在って、メールのやり取り等が在るという方も在ると思います。

↓もし、サハリンに友人や知人が在ってやり取りが在るのであれば、是非とも下記のリンクを御報せ頂けますよう御願いします。
>>Мэрия японского Вакканая приглашает сахалинцев принять участие в фотоконкурсе(2017年06月02日)
(日本の稚内市役所がサハリン州民にフォトコンテストへの参加を呼び掛け)

これはサハリンの方で、稚内港から出入りするような型で日本を旅行する方を参加者に想定した、フォトコンテストの御案内です。

サハリンにはサハリン州内のニュースや、各種サービスや催しに関する情報への入口となるような"情報ポータルサイト"というモノが幾つか見受けられます。上記記事はその一つである<サハリン・クリル>(Сахалин и Курилы)のニュース欄に掲載された記事です。

こうしたサハリンのニュース欄ですが、州内の様々な動きを中心に、毎日なかなかな量のニュースが配信され、思う以上に広くサハリンの人達に読まれている様子です。ユジノサハリンスクに居て「紙に刷られた昔ながらの新聞」を視掛ける機会が、何となく減ってしまっているような気がするのですが、或いは「ニュースを知る」のはテレビやラジオ、さもなければニュースが読めるウェブサイトというのが主流化しているのかもしれません。

稚内市サハリン事務所では、こうした「サハリンの皆さんに参加を呼び掛けたい催事」等が在れば、考えられる手段を駆使してそういう情報を発信することを試みます。そうした手段の一つとして、「何かの折に知り合った、報道系の関係者に情報提供をしてみる」ということが在ります。

今般は、2014年に当時の<ユジノサハリンスク道北物産展 実行委員会>が「道北各地の様子をサハリンで御紹介頂くことを目指す」として招聘した関係者の中、稚内で知り合って現在でも連絡の在る方にお伝えしたところ、早速に記事にして頂いたものです。大変に有難いお話しなのですが、こちらでは情報の周知に向けて稚内で用意した、ロシア語版資料を御送りしたのです。

「サハリンの方が撮影した稚内の写真を募集」というお話しなのですが、記事を書いて下さった方は「気に入っている稚内の写真は在るけど...2014年撮影...」というお話しをされていました。「コンテストに参加される場合は、近いうちに稚内へお運び頂いて、是非好い写真を撮って御参加願います」とお伝えし、互いに笑っていたところでした。

今般御紹介頂いた記事には、残念ながらコンテストへの応募が見送られた「2014年撮影」の写真が、「応募する写真のイメージ」という感じで多数掲載されています。そして、サハリンのコルサコフ港と稚内港とを結ぶ航路の話題も添えられています。

稚内に来られる皆さんが稚内で撮影した写真を対象とするコンテストですから、色々な型で来られる皆さんに資料は配布しますが、広く周知するには、今般の例のようなメディアの活用も必要です。日頃から色々な関係先との良好な関係を築き、維持し、互いに出来ることで協力というように業務を進めようとするのは、国や地域が変わっても大きく変わるものではありません。

この「サハリンの皆さんの眼に映じる稚内」という写真のコンテストですが、恐らく「稚内の人達が気付かなかったかもしれない何か」も出て来るでしょうから、作品を拝見するのが非常に楽しみです。

とりあえず現時点では、フォトコンテストの開催に関して広く周知する努力を重ねるばかりです。残念ながら荒天で、6月2日にコルサコフ港を発つ筈だった<ペンギン33>は欠航しましたが、6月5日以降の便で大勢の皆さんが稚内に上陸され、フォトコンテストに応募してみたくなるような「想い出の光景」を多く胸に抱いて、それを語り伝えるようになって欲しいと思います。

「国際児童擁護デー」(2017年06月01日)

少し前に、「最後のベル」と呼ばれる学校の卒業式が催行される期間に「未成年の飲酒が目に余る」として、酒類の販売が州法で禁止されていて、それが実施されている様を視て驚いたことを話題にしました。

6月1日に、その「州法による酒類販売の禁止」がまた実施されていました。「何事か?」と思えば、「国際児童擁護デー」に因む措置とのことでした。酒を呑むようなことを遠慮して、子ども達と向き合おうというようなことなのでしょうか?

その「国際児童擁護デー」は6月1日で、これは1949年11月に行われた国際民主女性連盟の特別会議で決議され、国連は、このイニシアチブを支持し、子ども達の権利、命、健康を護る事は、自分達の活動の優先的方向性の1つであると宣言したことに因むものであるとのことです。この6月1日に関しては「国際児童デー」(=子どもの日)と定めている国や地域も在るそうです。

ロシアでは、特段に祝日で休業というようなことは在りません。が、広場で子ども達を集めてゲームや歌や踊りの催しを行ったり、菓子やアイスクリームが振る舞われるというようなことが各地で行われるそうです。また劇場等で児童向けの演目を上演するというのも、この日の定番であるとのことです。

筆者がよく寄るスーパーで、店員さん達の先頭に立つようにして、一生懸命に買物客に賞品の宣伝をしている「店長さん?しろまるしろまる部長さん?」という感じの方が在ります。何時の間にか「あの人、今日も元気に頑張っているな...」と思って擦違うと、日本の店であれば店員さんが買い物客とすれ違った時の「いらっしゃいませ」に相当するのでしょうが、「こんにちは!」と声を掛けてくれるようになりました。5月31日の夕刻、例によって何やら頑張っているその方を視掛けました。「皆様!明日は酒類の販売がございません。御利用の方は是非、今日の御買物でお忘れなく...」と繰り返していました。

そういう出来事が在って、「6月1日」に「州法による酒類販売の禁止」が実施されることを偶々知りました。(実は時々頂く、北部ロシアのアルハンゲリスクに在る老舗工場の産というウォッカの在庫が切れていたので、スーパーで教えて頂いた型になって「少し助かった」感ではありましたが。)

6月1日の日中、やや風が冷たい感じがする時間帯も在ったものの、概ね晴天であった中、方々で子ども達を集めた催しが行われていました。

そういう子ども達の催しの様子は、サハリンのテレビ局による翌日朝のニュース番組にも登場します。

そのニュースに、催しで施したピエロのメイクの男の子と女の子にレポーターがマイクを向けていたのですが、そのやり取りが、何となく面白いものでした。

レポーター:子ども達の幸せには何が必要でしょうか?
女の子:電話...
男の子:ママ...

「幸せ」に母親の存在が欠かせないという男の子に対し、女の子の"電話"は笑ってしまいました。日本の小学校低学年位に視えるような子ども達に至るまで、携帯電話、スマートフォンは「欠かせないもの」になっているようです。

「国際児童擁護デー」というものですが、筆者は初めて聞いたような気がします。"国際"と在る他方で「日本国内で余り聞かない気がする」というようなものは、存外に在るかもしれません。

「入試」のシーズン(2017年05月31日)

先日、「最後のベル」という11年制の学校の卒業式の日に見受けられる様子や、そういう時季に「未成年の飲酒が目に余る」として州法で「3日間の酒類販売禁止」という措置が取られていることを御紹介しました。

その11年制の学校を卒業した生徒達は、各々の進路に向けて準備中なようですが、進学希望者にとって「5月末から6月」は「入試」のシーズンであるようです。

ロシアでは大学は"Университет"(ウニヴェルシチェート)や"Институт"(インスティトゥート)と呼ばれます。前者は例えば法学部や文学部や経済学部等々の色々な学部を擁している大学という感じで、後者は例えば"医科大学"、"工科大学"というような専門の少数の学部で構成されている大学という感じです。

これらに進学を希望する11年生達は、ЕГЭ(イェゲ)と呼び習わされている「統一国家試験」を受験することになります。

この試験は、"数学(基礎)"と"国語(ロシア語)"は「全受験生が必須」で、他の各科目は「進学を希望する大学が指定する科目」を選択することになります。

この試験は、例えば「5月31日は"数学(基礎)"の日」という具合に「科目毎の指定日」に受験をすることになります。そして各科目の試験は「最大3時間55分間の筆記試験」であるということです。

「最大3時間55分間」というのが不思議ですが、一説には「学校等での連続4時間を超える活動に際しては、食事の提供義務が生じる」というような規則が在って、それを回避しようと「最大3時間55分間」を公言しているのではないかとのことです。

受験生達は広大なロシア全土の各地で、各々の住んでいる街の指定会場で受験をします。会場によっては、余計なモノを持ち込まないように、空港の保安検査場に在るような探知機を潜るようになっている場合さえあるそうです。連続3時間も試験問題に向き合っていれば御手洗にも行きたくなることもあるでしょうが、そういう場合は「申し出て、係員が同行」ということになるそうです。

選択科目が多岐に亘ることから、この試験の期間は概ね3週間に及ぶそうです。受験生達は、本人の点数を後日知ることも出来る仕組みが在るそうです。

6月20日頃になると、各地の大学でこのЕГЭ(イェゲ)と呼び習わされている「統一国家試験」を受験した進学希望者の願書を受け付けます。学校の卒業証明書のようなものを添えて、願書を提出する訳です。

このЕГЭ(イェゲ)の制度になったのは比較的近年らしいのですが、各大学ではウェブサイト等で「本学の必要科目はしろまるしろまるしろさんかくしろさんかく...得点はXXX以上...」というようなことを公表しているそうです。それを視て、「希望する大学が求めている条件と自身の成績が合致するか?」と考えて願書を出すのです。「明らかに求められる条件に届かない...」となれば、願書を出しても入学が叶わない可能性が高くなってしまいますから、色々と考える訳です。

試験は各科目が100点満点となっているようです。なかなかに難しい試験で、各学校で「成績上位でなかなかに優秀」とされる生徒で50点程度という感じが多いそうです。人気の高い難関校では、その試験に関して「選択3科目で250点」というような条件を示し、受験生達は「過酷だ...」と感じているようです。

こういうことで大学に願書を提出して、選考結果が受験生達に伝えられ始めるのは7月下旬頃から8月上旬頃となります。そして各々が進学の準備を行い、9月1日からが一斉に新学期です。

日本では4月1日に新学年を始める関係で、1月後半から2月、3月初めに大学等の入学試験が設定され、それ故に「冬季の荒天」で多少の問題も生じています。ロシアでは、その「荒天による問題」が起き悪いような時季に「入試」なのは結構ですが、「長い期間に亘って、各選択科目の試験を受け続ける」というのは少し大変そうです。

「最後のベル」の日に、独特な衣装で辺りを歩いていた卒業生諸君の多くが、話しを聞けば「何だか大変そうだ...」という「入試」のシーズンで奮戦中です。筆者が御厄介になった大学の近所に、2月頃になると「受験生の皆さん!春はもう直ぐだ!」と店の前に掲出していた食堂が在ったのを記憶しているのですが、サハリンではこういうのはどう言えば好いものか、よく判りません。が、とにかくも受験生の皆さんが無事に試験を乗り切って、自身の進路を拓いて行かれることを願うばかりです。

「5月24日から5月26日の期間は酒類の販売を致しません」??

近所のよく利用するスーパーでは非常に多くの色々な酒類を販売しているのですが、「酒類販売に関する規制」に鑑みて、店の奥側のスペースに酒類を全て集め、独立した「酒類専用レジ」で精算する型で販売を行っています。

初めてその店を利用した時、「酒類専用レジ」で精算することを知らず、他のモノと合わせてレジで精算するのだと思っていて「お客様!」とお店の方に声を掛けられてしまったことが在りました。直ぐにその仕組みにも慣れてしまい、現在では特段に何か在るというのでもありません。また、他所でも「"専用レジ"?」と確かめながら買物をするようになりました。

5月24日の夕刻、その店に寄りました。

非常に多くの色々な酒類が並んでいる奥側のコーナーの前にチェーンが張られていて、酒類コーナーに立ち入り出来ないようになっていました。そして「お客様各位」と在り、「5月24日から5月26日の期間は酒類の販売を致しません」として、末尾に「店長」と書いた掲示物が在ったのです。

「5月24日から5月26日の期間は酒類の販売を致しません」と"店内"に掲出され、その向こうに「色とりどりな形も様々な容器で、数も潤沢な酒類」が並んでいる感じは、非常に"非現実的"な感じがしました。スーパーの店内のような場所は「御遠慮願います」なので、敢えて写真は撮っていません。

それにしても「5月24日から5月26日の期間は酒類の販売を致しません」と、「モノは、文字どおりに"売る程"に在るのに"販売致しません"という状態」は、率直に言って理解に苦しむ感じがします。

先週、「来週、"酒を売れない"という期間が在りますから、飲まれるならその分は週末にでも用意しておいた方が好いですよ」と言う方が在りました。「信じられない!?」と、他の方達に「本当なのでしょうか?」と尋ねれば、異口同音に「本当だ!!」ということでした。

これは州法なのだそうです。

5月24日から5月26日の期間は、サハリン州内の学校で<パスレードヌィー・ズヴァノク>(「最後のベル」)と呼ばれる、卒業式・終業式が行われる期間に相当します。学校毎に何れかの日に催行するので3日間が設定されています。この期間は「青少年の飲酒」が「目に余る」というのです。そこで「期間中は販売そのものを禁じる」ということになったというのです。

この話題で話しをした或る方は「"あそこの学校のしろまるしろまる君だ"とか、"そこの学校の生徒"と店員が知らない、少し離れた場所に買い出しに出るとか...一寸悪い先輩に"お願いします"と頼んで手に入れるとか...そうやって酒を入手する未成年が出て来るからと"禁止!"になってしまった」と言っていました。

別な方は「どうでもいいけど...結局、呑む気が"満々"な生徒は"事前仕入れ"をするだけだと思うけど...禁止前の日には、何時ものように売っているのだから...」と言っていました。

ロシアでは酒類を求めて構わないのは「18歳以上」とのことです。11年制の普通の学校を卒業と言う場合、「17歳」が普通ですから、飲酒をするというのが問題視される訳です。

この<酒類販売の禁止>(Запрет на продажу алкогольных напитков)(ザプリェット ナ プラダージュ アルコゴリヌィフ ナピートコフ)というルールに関しては、どうやら相対的に新しいルールであるらしく、実施初日の様子について今朝の地元テレビの情報番組でも取り上げられていました。

酒類販売が営業の中心であるような小さな商店が、シャッターを下ろして完全に休業してしまっている映像が挟まれながら、「酒類そのものを善いモノだとは思っていないので、販売禁止に賛成!」とか、「未成年の酒は問題かもしれないが、全面的に販売を禁止する必要まで在るのか?」とか、「毎日必ず呑むのでもないから、売っていないなら呑まないだけ...」というような、色々な街の声がテレビニュースでは紹介されていました。

何れにしても<アンチアルコール>というような運動は在るようで、こういう"禁止"の日を広げて行く動きも見受けられるそうです。

色々な酒を求められる店で、酒の販売が禁じられて購入が出来ないという日でも、「酒類を提供する飲食店」で酒を呑むことは出来ます。昨日は、時々酒類を求める店で酒類を買うことは「本当に」出来ませんでしたが、時々寄るサンドイッチを頂くカフェで「飲物は例の...」と顔馴染みになっている店員さんに言えば、気に入っている黒ビールが何時ものように出て来ました。

因みに、以前から「酒類販売に関する規制」で「深夜早朝の販売は原則禁止」となっていて、深夜や早朝に営業しているスーパーに入って「ビールの1本でも...」と思うと求められなかったという事例は聞いたものです。「5月24日から5月26日の期間」というように"終日禁止"は初めて見聞しました。

「ШАШЛИЧНЫЙ СЕЗОН」(シャシリーチヌィー・セゾン)?

↓5月に入って、こういうような広告看板が幾分目に留まるようになりました。
シャシリク (1).jpg
↑それなりに多くの店舗を視掛ける地元のスーパーのチェーンが幾らか見受けられるのですが、そのチェーン店の一つが掲出していると見受けられるモノです。

「СЕЗОН」(セゾン)は「シーズン」ということで、日本語でも「しろまるしろまるシーズン到来」とか、スポーツのリーグ戦等で言う「シーズン開幕」と似たような型で、ロシア語でも用いられています。

その「СЕЗОН」(セゾン)は判るのですが、「ШАШЛИЧНЫЙ」(シャシリーチヌィー)という形容詞は「何?」と思えます。看板の画を視れば、画は"シャシリク"です。狭義には、コーカサス地方や中央アジアが発祥らしい、串に刺した肉を炭火等で焼き上げるモノですが、広義には「焼肉系のモノ全般」を指しているようです。サハリンの方を稚内に迎えて、「焼き肉店に御案内」というような場面でも「シャシリク!」と言えば理解して頂けます。

その「シャシリクのシーズン」というのが「ШАШЛИЧНЫЙ СЕЗОН」(シャシリーチヌィー・セゾン)という意味らしいのですが?

↓結局、「こういうこと」をやるのに好適な時季が到来したという意味のようです。
シャシリク (2).jpg
↑これは鍋の様な容器にタレとスペアリブを漬け込んでおいて、それを焼くというものでした。

↓こちらは持ち込んだ肉をその場で切り、豪快に焼いて、焼き上がったらまたそれを切り分けるということをしました。
シャシリク (3).jpg
↑一口に「戸外で焼肉」と言っても、色々なやり方が在るようです。

サハリンでは「休日の娯楽」ということで、気の合った仲間で誘い合って、戸外に繰り出して焼肉をやるというのが「定番」であるようで、5月から9月位がサハリンでは「シーズン」と考えているようです。これには"個人差"や「年による天候の差異」も在って、多少の前後も見受けられるらしいですが。

稚内でも「夏の休日」と言えば、家の前やガレージというような戸外や戸外に準じるような場所で「ジンギスカン」というのが「定番」と言って差し支えない感じが在ります。実際、7月後半から8月位の時季に住宅街を通り抜けると、薄く炭火の煙が見えて、美味しそうな匂いが漂っている一画に出くわす場合が多々在ります。

例えばユジノサハリンスクの街中で、そういう雰囲気が在るのか否かは判りませんが、サハリンの人達は誘い合って郊外に出て、戸外で過ごしながら焼肉をやります。

↓広告看板が「シーズン到来」を謳いますが、こういう景色が好い場所の辺りでは、「既に色々な人達がやって来て、焼き肉をやった痕跡」(燃え残った木炭のカスや、やや残念ながらゴミが散らかっている場合も在ります。)が見受けられます。
シャシリク (4).jpg
↑特段に「焼肉をやる場所」が指定されているのでもありません。何時の間にか人伝に"定番"な場所が形成されている様子です。

↓とりあえず肉を焼いたモノにケチャップのようなモノというのは、ロシアでは定番のようになっているようですが、有名なメーカーが旧ソ連諸国向けに広く売り出している製品にはわざわざ「シャシリク向け」と書いています。わざわざ書いてあることに少し驚きましたが、逆に言えば「求められている」ということでもあります。
シャシリク (5).jpg
↑焼くための肉の他、その場で切って頂くパンや野菜も持参するのが普通なようです。

「シャシリクのシーズン」という広告を掲出しているチェーン店等、スーパーに立ち寄ると、肉や野菜やパンや調味料に留まらず、「戸外で焼肉」に使う炭や、炭火を扱う道具や、肉等を挟んで焼く網、戸外に持ち出して使用後に捨てる場合も在るカップや皿等、色々と「使うモノ」が売られています。広告看板には「ピクニックに要るモノは何でも在ります」というようなことも書かれています。

実は、この「ШАШЛИЧНЫЙ СЕЗОН」(シャシリーチヌィー・セゾン)の広告を筆者は何となく気に掛けてはいたのですが、別段にそういうことをする予定はありませんでした。が、お誘いを頂いたので訳も分らずに御一緒すると、川辺で焼肉が始まったというような次第でした。シーズン中、何度か機会は在るかもしれません。

ネベリスクで視掛けた「国外旅行」を促す旅行会社の広告看板(2017年05月06日)

海岸に貼り付くように市街が拡がるネベリスクでは、街を歩けば自ずと海岸沿いをゆったりと進むことになります。それが存外に心地好いものです。

↓そうやって心地好く歩いていて、時季に特有な「5月9日」の飾りを施した橋と同時に、なかなかに大きな看板に目を留めました。
at Nevelsk on MAY 06, 2017 vol03 (23)
↑ユジノサハリンスクではこの種の看板が多いのですが、ネベリスクのような人口規模が小さな街でも目に留まる訳です。周囲に同種の看板が少ない分、ひどく目立ちました。

看板には「タイ、ベトナム、三亜((注記)中国の海岸リゾート)」という「国外」の地名が並んでいます。

↓広告の主はユジノサハリンスクに在る旅行会社のようです。(看板にも文字が読めますが、ロシア語のウェブサイトが在りました。)
>>СахТур(サフトゥール社)

通貨の情勢等の影響で、近年は「国外旅行が不振?」と言われるロシアですが、こういう具合に広告が出ています。或いは、「国外旅行が不振?」であるが故に、「安価で内容の好い旅行商品が在る」と宣伝しているのかもしれません。

なかなかに興味深いものです。

「5月9日」の様子

1990年代のことでしたが、サハリンの方とお話しをして、祝日ということに話題が及んだことが在りました。

「5月9日が多分、一番大きな祝日ですよね?」という話しになると「"多分"ではなく、"間違いなく"最大の祝日であろう。あの戦争では何処の人でも、大概は一族の誰かが何らかの型で亡くなった経過が在ると言われている。戦時中に亡くなった人達を悼み、平和な今日に感謝し、豊かな明日を目指すということに関しては、時代や体制がどう変わろうと、変わる筈もないのだ」というお話しを耳にしたのでした。それが何となく忘れられません。

この5月9日は、ロシア全土で軍等によるパレードと戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭というような催事が在る日です。ユジノサハリンスクもそうした例に漏れません。

ユジノサハリンスクでは、市街の南東側に大聖堂が在るパベーダ(勝利)広場が在り、そこから戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭を催す、少し北のスラーバ(栄光)広場へパレードが催されるということでした。

パレードの開始の30分程度前を目掛けてパベーダ(勝利)広場に向かいましたが、広場へ通じる道路が大胆な交通規制の下に在り、大勢の人達が集まっていました。

↓横断幕の左側には、直訳では判り悪いのですが「永遠に功績を讃えられるべき人達」と理解出来るフレーズが在ります。
2017年05月09日 (10).jpg
↑ロシアでは「大祖国戦争」と呼ばれる第2次大戦に従軍した経過が在る一族のどなたかの写真等を手にした、本当に幅広い世代の人達が集まっていました。

↓パベーダ(勝利)広場には開始30分位前から三々五々、色々な人達が集まっていました。
2017年05月09日 (8).jpg

↓開始10分位前になると、通に集まっていた人達が誘導されて来てその場に溢れ、パレードが見えないのでスラーバ(栄光)広場へ通じる道路沿いへ移動しました。
2017年05月09日 (7).jpg

↓広場でのどよめくような声の後にパレードが動き始め、"儀仗兵"という趣の華やかな制服の一団を先頭に行進が始まりました。
2017年05月09日 (14).jpg

↓サハリンに展開する色々な軍種の色々な部隊から、選抜された部隊か、各部隊で選抜されたメンバーが参加しているように見受けられました。
2017年05月09日 (12).jpg
↑というのも、沿道や周辺に警察の各分野の皆さんの他に、軍関係でも大勢の人手を出して配置している様子が見られたからです。

↓各々のグループで、独特な掛け声や、「記念日の歌」という感じのもの、或いは「しろまるしろまる隊の歌」という感じのものが在るようで、皆さんがそういう歌を口ずさむなどしながら行進していました。
34414692411_5d0ac2f298_k.jpg

↓女性兵士の一隊は『カチューシャ』を朗々と歌いながら行進していました。
2017年05月09日 (13).jpg

↓女性が参加している軍種は幾つか在りました。
2017年05月09日 (6).jpg

↓関連の学校なのだと思われますが、「高校生位?」というように若い人達も見受けられました。
2017年05月09日 (5).jpg

↓そして軍用車輛が登場しました。
2017年05月09日 (4).jpg
↑装甲兵員輸送車は独特な存在感です。

↓「ロシアの軍用車」とでも聞けば思い浮かべるような迷彩塗装の車輛も在りました。
2017年05月09日 (9).jpg
↑各車両には<ПАРАД>(パレード)と、「催事専用」のナンバープレートが着けられていました。

↓最後尾から音楽隊が登場しました。
2017年05月09日 (3).jpg

↓辺りには「街中の人達が?!」と驚く程度に人が出ていました。
2017年05月09日 (2).jpg
↑後から考えて多少不思議だったのですが、現場周辺で「駐車場がどうした、こうした」という話しが聞こえませんでした。催事には「徒歩で集まる」ものなのでしょうか?交通規制も大胆で、間近には誰かの自家用車が簡単に入り込めない状態でもありましたが。

↓スラーバ(栄光)広場では、非常に多くの人達が見守る中で戦没者慰霊祭、功労者顕彰祭というようなセレモニーが催されました。
2017年05月09日 (1).jpg
↑音楽隊によるロシア国歌の演奏の最中に銃を使った空砲が鳴り響くという感じは"生"で初めて見ました。

↓実際に第2次大戦に従軍した経過が在る方が、市民代表で献花を行う等していましたが、地元テレビ局のレポーターがインタビューをしていました。報道関係のカメラマンも大勢出ていました。
2017年05月09日 (15).jpg

↓広く市民の献花等を迎えるように、スラーバ(栄光)広場の様子が整えられました。
2017年05月09日 (11).jpg

「戸外での催事」には好適な感じの好天だった祝日でしたが、「この日への人々の想い」の強さに触れる経験でした。