欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者(2017年06月05日)
コルサコフ港から程近い高台に立つと、港の様子がよく視えます。その高台に陣取って、稚内へ向けて出航する<ペンギン33>の様子を視ようとしていた時でした。
↓大きなバスがやって来て、一群の人達が各々にカメラ等を手にコルサコフ港の様子を眺め始めました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (1).JPG
↑どういうように視ても、「何処か遠方から旅行に来た人達」という感じです。
こういう按配に、団体が乗ったバスが何処かに着いて、乗っていた人達が下りて辺りの景色を眺めているような様子は、国や地域が変わっても大差が無いものだと思いながら様子を視ていました。
↓ガイド役の、旅行会社のロゴを入れた黄色のTシャツを着て―この日は肌寒かったので、上からカーディガンを引掛けていましたが。―いる女性がファイルに入れた画を示しながら、旅行者の一団に英語で話していました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (2).JPG
↑「約100年前に出来た港の施設が今も使われていて、同じ場所と推察される場所で撮った100年位前の画です」とガイド役の女性が示し、「なるほど、基本形は同じだ」と画と現在の風景が並んで画面に入るような感じで写真を撮っている方が大勢居ました。
旅行者の団体に目配せして忙しそうでしたが、このガイド役の女性に一寸だけ伺いました。サハリンでは知られている旅行会社の仕事で、ドイツからの団体のサハリン巡りを案内しているところだと言います。ドイツから日本を経由してサハリン入りし、サハリン州内を巡ってから、また日本経由でドイツへ戻るという計画なのだそうです。
ガイド役の女性が示していた古い写真の写しですが、1920年代に当時の大泊港の桟橋が登場したような頃の画でした。それに、ドイツからの旅行者達が強い関心を示している様子を興味深いと思いました。
未だ"数"としては目立つものでもないのかもしれませんが、欧州諸国の人達にとって、サハリンは「少し変わった旅先」として少しずつ知られるようになって来ているのでしょう。
或いは、こういう人達が「序でに稚内も」と立ち寄って頂ければ、彼らにとっても新しい発見が在るかもしれない等と想いながら、バスに乗って次の目的地へ去っていく様子を視ていました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (3).JPG
↓大きなバスがやって来て、一群の人達が各々にカメラ等を手にコルサコフ港の様子を眺め始めました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (1).JPG
↑どういうように視ても、「何処か遠方から旅行に来た人達」という感じです。
こういう按配に、団体が乗ったバスが何処かに着いて、乗っていた人達が下りて辺りの景色を眺めているような様子は、国や地域が変わっても大差が無いものだと思いながら様子を視ていました。
↓ガイド役の、旅行会社のロゴを入れた黄色のTシャツを着て―この日は肌寒かったので、上からカーディガンを引掛けていましたが。―いる女性がファイルに入れた画を示しながら、旅行者の一団に英語で話していました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (2).JPG
↑「約100年前に出来た港の施設が今も使われていて、同じ場所と推察される場所で撮った100年位前の画です」とガイド役の女性が示し、「なるほど、基本形は同じだ」と画と現在の風景が並んで画面に入るような感じで写真を撮っている方が大勢居ました。
旅行者の団体に目配せして忙しそうでしたが、このガイド役の女性に一寸だけ伺いました。サハリンでは知られている旅行会社の仕事で、ドイツからの団体のサハリン巡りを案内しているところだと言います。ドイツから日本を経由してサハリン入りし、サハリン州内を巡ってから、また日本経由でドイツへ戻るという計画なのだそうです。
ガイド役の女性が示していた古い写真の写しですが、1920年代に当時の大泊港の桟橋が登場したような頃の画でした。それに、ドイツからの旅行者達が強い関心を示している様子を興味深いと思いました。
未だ"数"としては目立つものでもないのかもしれませんが、欧州諸国の人達にとって、サハリンは「少し変わった旅先」として少しずつ知られるようになって来ているのでしょう。
或いは、こういう人達が「序でに稚内も」と立ち寄って頂ければ、彼らにとっても新しい発見が在るかもしれない等と想いながら、バスに乗って次の目的地へ去っていく様子を視ていました。
欧州諸国からサハリンを訪ねる旅行者 (3).JPG
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