<自由港 コルサコフ>の広告看板(2018年04月22日)

気持ちが好い青空が広がる日曜日の午後でした。

屋内スケートリンクを擁する<クリスタル>は、車輛の通行量が多いプルカエフ通とゴーリキー通とが交差する、ユジノサハリンスク市街南東の丘陵部の麓に在ります。その辺りを歩くと、ユジノサハリンスク等で「有力な広告媒体」と考えられているらしい、大きな広告看板が幾分眼に留まります。

その種の広告看板は、時々掲出される内容が変わっているので何となく眼が向くのですが、「海?港?」という空撮写真らしきモノが入った看板を眼に留め、近付いて視てみました。

↓こういう看板が在りました。
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↑「自由港 コルサコフ」と在って、問い合わせの電話やウェブサイトが紹介され、「誰でも"レジデント"に」というコピーが末尾に在ります。

"レジデント"(резидент)というのが、多少「耳新しい?」という語であるような感もします。日本語で、「外国語を"カタカナ表現"で採り入れてしまう」というのが在りますが、それに似ているかもしれません。この"レジデント"という語について、「自由港」というようなことに関連する話題以外で、正直、耳にしたことが在りません。"レジデント"という語は、英語であれば「居住者」という意味になります。

「自由港」というのは、「指定された地域内で、申請を経て"レジデント"の地位を得た企業や団体が、一定の優遇措置を受けながら申請した事業等を推進することを通じて地域の発展を目指す」というもののようです。元々は「居住者」という意味の"レジデント"ですが、ここでは「公認を受けた指定地域に立地して活動する企業や団体」を指し示す用語になります。

正式には「ウラジオストク自由港」と言い、「ウラジオストク」がその対象なのですが、ウラジオストクから離れた極東各地の港等についても「適用」の指定を行っていて、「"レジデント"の地位を得た企業や団体が、一定の優遇措置を受けながら申請した事業等を推進」することが目指されています。サハリン州では、コルサコフやウグレゴルスクがこの指定を受けており、ユジノサハリンスクで視掛けた看板にはコルサコフ港のことが取上げられていた訳です。

ロシアでは「極東」は「発展の余地が大いに在る」と捉えられているようで、その発展を促す方策が色々と考えられているのですが、この「ウラジオストク自由港」もそうした方策の一つということになります。

この「自由港」の肝となる考え方は「500万ルーブル以上を3年間投資」という事業計画を保護し、促すというものです。コルサコフでは、制度の導入から1年余りを経て幾つかの事案の話しが持ち上がっていると聞きますが、こうした広告を出して更に投資を募ろうとしていることになります。

何気なく眺めた広告看板でしたが、少し興味深いモノでした。

氷が緩んでいる...:上空から望んだサハリンの海(2018年03月15日)

新千歳空港からユジノサハリンスク空港へ向かうフライトに搭乗しました。

新千歳空港辺りは曇っていて、乗っていた飛行機は離陸して間もなく「雲の上を淡々と飛行」という具合になりました。

そういう具合になると、何やら眠気を催して、抗えずに居眠りに陥ってしまいます。

↓やがて高度を下げて着陸準備というようなアナウンスが流れると、急に眼下に「サハリンの景色」が拡がります。
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↑氷が浮かぶ海です。

↓2月には色々な状態になった海の氷を視る機会が在ったのですが、海上の氷は緩んでいる感じです。
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↑木曜日のフライトでは「午後5時半過ぎ」に、海の上から空港側へ進むことになりますが、現在の時季であればハッキリと機窓から下の様子が視えます。12月頃であれば、暗くて見え難い訳で、「季節が進んだ」というように思いました。

ユジノサハリンスクは、未だ氷点下10°C程度の気温にもなるようですが、それでも極最近は「プラス1°C」に到達した日も在ったようです。2月末から3月に入ってからの稚内の様子も視ていますが、ユジノサハリンスクの方が稚内より「やや雪が少ない」ような気もします。

「プーチンの選挙」?(2018年02月14日)

昨年末―速いもので、もう年が明けてから「丸2ヶ月」です。―のことでしたが、「2018年3月18日 ロシア連邦大統領選挙」という広報看板を視掛けました。

↓看板を視掛けた経過を御紹介しました。
>> <2018МАРТА>という看板(2017年12月26日)

こんな看板を目に留めるようになった少し後、友人が「少し可笑しかったこと」と紹介してくれた話しが在ります。

友人の同僚が「一寸、教えて...」と尋ねて来ました。

「どうしたの?」と話しを聴くと、同僚は「プーチンの選挙は何時?」と尋ねます。

友人は「確か3月で...」と思い出し、近くに在ったモノの中に「3月18日」と書いて在ったので、それを教えてあげました。

やがて別な同僚が現れて尋ねました。別な同僚は「プーチンの選挙は何時?」と尋ねます。

友人は「さっきも言っていた人が居た。3月18日!」と即答しました。

そういう些細な出来事でしたが、少し経って友人は酷く気になりました。「"プーチンの選挙"というのは何だろう?」とです。

友人の同僚達が"プーチンの選挙"と口々に言及していたのは「大統領選挙」に他なりません。

↓実はそのプーチン大統領の写真が大きく載った看板をユジノサハリンスク市内で視掛けました。
「プーチンの選挙」.jpg
↑こういう街角の大きな看板は、サハリンでは「有力な広告媒体」と考えられているようで、色々なことで利用されているようです。

このプーチン大統領の写真が大きく載った看板ですが、所属政党の<統一ロシア>で用意したのか、支援者や支持者が用意したのか、"出自"がよく判りません。また、左側に「2018年3月18日」で、右側に「強き大統領。強きロシア」という文字が在るばかりで、「大統領選挙に立候補しているプーチン氏の宣伝」なのか否かが些か不明確な感じもしないでもありません。

上述の、選挙管理委員会が掲出する投票日を報せる看板以外で、大統領選挙関係と見受けられる広報関係のモノは、他にも色々と在るのかもしれませんが、この看板を視掛けただけです。更に、日本の選挙では"選挙カー"が街中を走り回りますが、その種のモノは今般の大統領選挙ばかりではなく、秋のサハリン州議会議員選挙でも視掛けませんでした。政党や候補者の関係と見受けられる、街頭の看板は色々と在りましたが。

「大統領選挙」を口々に"プーチンの選挙"と言う人が存外に居ることに気付いたということを話題にした友人は言葉を継ぎました。

友人は30代で、"プーチンの選挙"と言っていた同僚達も近い世代です。そういうような世代の人達にとって、「概ね人生の半分か、それ以上」が「プーチン政権の時代」です。更に30代の人であれば、日本の中学生や高校生に相当する年代、国政の仕組み等を学んで知るような年代以降、ずうっと「指導者」は基本的に変わっていない訳です。

こういうことなので"プーチン"という「大統領の個人名」が、半ば「大統領」という「一般名詞」と混同されてしまっているのかもしれないということなのです。

この選挙に関して、選挙管理委員会による「投票の呼び掛け」もなかなかに盛んです。

筆者は、夜の限られた時間に住まいのテレビを点けて視るのですが、その限られた時間の中だけでも「投票の呼び掛け」を趣旨とするコマーシャルが存外に多く流れます。

その「投票の呼び掛け」を趣旨とするコマーシャルの中、少し驚いた内容が在りました。

「3月18日の選挙で投票して下さい」と言われても、例えば「その3月18日の前後1週間は出張中で地元を離れている」というような事例は多く在ると思われます。

コマーシャルの中で、「投票日に他地域へ出ている方は、事前に選挙管理委員会に申し出て手続をして頂くと、出先で投票が出来ます。是非、予定が決まったら直ぐにその手続を!」と呼び掛けているのです。

例えば、ユジノサハリンスクに住んでいる方が、何かの都合でウラジオストクやモスクワ等に出る場面は幾らでも在ります。過日も、用事の在る方達と電話連絡を取ってみれば「ウラジオストクへ行くので空港に着いたところである」と応えた人や、「今はサンクトペテルブルグで、時差の関係で深夜だから寝ていた」と応えた人が在った―そういう時は戻る予定等を極々手短にお尋ねして「妙な時間にすみません。おやすみなさい...」ということになります。―ことを思い出します。こういうような、ウラジオストクやサンクトペテルブルグへ出掛けるという人は、事前手続きをして、本来のユジノサハリンスクの指定場所ではなく、ウラジオストクやサンクトペテルブルグの指定場所で投票が行えるというのです。

日本の選挙で行われる<期日前投票>は、嘗ては<不在者投票>と呼ばれていて、投票日当日の不在を理由に、投票日の前の定められた期間に指定場所で投票を行うことが出来る仕組みです。こういうのに対して、ロシアの盛んに宣伝されている仕組みは<滞在地投票>とでも呼ぶべき仕組みです。

こういう<滞在地投票>というルールが形成されたのは、「飽くまでも"投票日"に有権者が示す意志」を尊重するということなのかもしれません。

或いは、"プーチンの選挙"と「大統領選挙」の日付を友人に尋ねた人達は、2月頃や3月頃の色々な予定を思い浮かべていて、「場合によって<滞在地投票>というようなことも?」と想いを巡らせていたのかもしれません。

この<滞在地投票>というようなルールは、「ロシア全土の有権者」が投票を行うことが出来る、「大統領選挙」だけのルールなのだと見受けられます。地方レベルで、何人かの候補者の中から意中の候補に投票するようなことになっている選挙であれば、「滞在中の他地域で投票」というようなことをやり出すと、酷く混乱してしまいそうです。

こういう「社会の仕組み」に関することは、色々と興味深いものです。

月がオレンジ色?―ユジノサハリンスクで視られた皆既月食(2018年01月31日 - 02.01)

「スーパーブルーブラッドムーン」などと聞けば、アニメか特撮のヒーロー関係の何かの名前のようであると思ってしまいましたが、「1月31日の夜に視られる月」のことだと知りました。

「スーパームーン」は月が大きく視えることです。「ブルームーン」は、1ヶ月間に2回視られるという満月の、2回目の満月を指すということです。「ブラッドムーン」は、皆既月食で赤味を帯びた色になる月のことです。3つの現象が同時に発生しているということで、呼び名が「合体!!」ということで「スーパーブルーブラッドムーン」となるというのです。

この現象は、日本国内向けに出ていた情報によると、「20時48分頃に部分食が始まる。21時51分頃に皆既食が始まり、22時29分頃に食の最大となり、23時8分頃に皆既食が終わる。24時11分(翌2月1日0時11分)頃に部分食も終わる」ということでした。地域毎の「時間の前後」は無いということでもありました。

こういうことであれば、サハリンでは「日本で現象が観測される時刻"プラス2時間"の時刻」で、皆既月食が視られる筈です。

夜、暗くなってから「月は何処だ?」と暗い空を視ると、大きな満月が、ユジノサハリンスクの街の東寄りに在るスキー場のコースを照らす照明が視える辺りの上空で、力強く輝いていました。

やがて「20時48分頃+2時間=22時48分頃」を過ぎると、「月が?欠けた!?」という状態が見受けられるようになりました。

ここまでは、屋内の窓から視られたのですが、皆既食になるという「22時台+2時間=24時(翌2月1日0時)台」になると、月が南寄りの高い空に在る関係で、屋内から視えなくなりました。思い切って、防寒用の上着や帽子を確り着用した上で戸外に出てみました。

↓建物の上に、少し変わった色の月が視えます。
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↓少しだけ動き、街路樹の辺りで、電線等に妨げられない位置を見付けて月を見上げました。
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↑日本の報道では「赤銅色」と表現されている色ですが、実際に見上げていた時には「オレンジ色?!」と感じました。

最近はズーム機構を備えない"単焦点レンズ"のカメラを多用するのですが、この時はズーム機構を備えた方のカメラも用意しました。

↓可能な範囲で最大の望遠で、「ユジノサハリンスク上空に輝く皆既月食の月」を捉えました。
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↑こういう様子を視ながら「オレンジ色の月が溶けて♪時計を忘れたままに♪」という、かなり懐かしい感じの歌の歌詞が頭の中に過りました。

この時の戸外は、恐らく氷点下15°C程度だったと思いますが、珍しい現象を見上げていて寒さを忘れてしまいました。

そして一旦屋内に入って、「23時8分を少し過ぎた頃+2時間=翌2月1日午前1時8分を少し過ぎた頃」に戸外の月を見上げ易いような位置に再び出てみれば、「次第に明るい部分が広くなって行く」という、月が輝きを取り戻すような部分食が始まっていました。

更に2月1日の早朝には、前夜に暗くなってから月が視えていた東寄りと反対側、ユジノサハリンスクの街の西寄りであるレーニン通の側に、大きな満月が煌々と輝いていました。

輝く満月が陰り、やがて赤味を帯びた不思議な状態になり、暫らく経つと次第に輝きを取り戻すという現象は興味深いものでした。多少気に掛けて、何となくそれを観察したというのも、筆者自身としては余り前例が思い当たりません。が、そんな興味深い現象を視て面白かったということ以上に、「国境と無関係に展開する天体の動き」ということに想いが巡り、少し感動を覚えました。

2018年を迎えました!!(2017年12月31日-2018年01月01日)

ユジノサハリンスクの12月31日は、「人が出ている」とも言える他方、「やや静かな日曜日」とも言えそうな雰囲気で、然程寒さも厳しくはない一日でした。商店や飲食店は、休業や短縮営業が目立ちました。

夜が遅くなるに連れ、方々で花火を上げている様子も見受けられるようになりました。午後11時を過ぎて、レーニン広場の辺りに足を運んでみました。広場周辺のレーニン通は車輛の通行を停め、広場で新しい年を迎えようという人達が大勢集まっていました。

徐々に集まる人も多くなる中、広場でも花火が多少上がり始め、午後11時55分頃になれば『新年まで5分』とでも呼べば好いのか、ロシアの歌謡曲で「新年を迎える前の定番」という音楽が流れ始めます。そして、「クレムリンの鐘の音」の録音で、「うゎー!」と歓声が上がって新年です。「Здравствуй! Новый Год!」(ズドラフストヴィ!ノーヴィー・ゴード!)と「新年よ!こんにちは!」というような歌詞が入った音楽が入ります。

↓そして盛大に花火です。ヨールカがより華やかになる感じです。
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↓どういう仕掛けなのか、色々な角度でドンドン花火が上がります。
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日中、この市庁舎の近所で「花火業者?」という車輛も視掛けていたのですが、随分と手を掛けて準備に勤しんだようです。

ロシアで「新年」と言えば、こういう広場に繰り出すというよりも「"シャンパンスカヤ"(スパークリングワイン)を用意し、テレビの前に集まって、クレムリンの鐘の音で新年を告げる様子を視ながらボトルを開栓でグラスに注いで乾杯し、"大統領の新年挨拶"というのを何となく眺める」という程度の過ごし方が定番らしいです。そういうことも聞いていたので、広場で「2018年が無事に到来」を見届けた後、直ぐに住まいへ引揚げて、用意して在った"シャンパンスカヤ"(スパークリングワイン)を開けて飲みました。

飲んで、休む前に戸外の空気を吸おうと玄関前に出てみました。方々で花火が散発するような様子は、日付が変わって1時間以上経っても終わっていないという按配で、少々驚きました。

そんな中、更に驚かされる事態が生じました。近所のホテルの方角に、大きな炎が上がり、暗い空に煙が少し拡がりました。

「ホテルの火事?」と心配しましたが、そうではありませんでした。華々しく乱発していた花火で、レーニン広場のヨールカに引火してしまったというのです。レーニン広場のヨールカは、金属の骨組みに針葉樹の葉を貼り付け、星の飾りを付けて電球を仕込んでいます。その針葉樹の葉が燃えてしまった訳です。夜中にも拘らず、起きている人が多い年越しでもあったので、素早く噂が駆け巡ったようです。

↓朝、様子を視に行きました。燃えたモノを片付けて、骨組みだけになってしまっていました。
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多少のハプニングのような出来事も在りましたが、とりあえず無事に「2018年」がスタートしました。

1月1日は「静かな祝日」という感じで、辺りはかなり静かでした。

<2018МАРТА>という看板(2017年12月26日)

「2017年」も本当に残り少なくなって来ました。

ユジノサハリンスクでは、「新年を迎える飾り」である「ロシア流なクリスマスツリーの"ヨールカ"」が華々しく輝いていますが、恐らく日本国内では大きなクリスマスツリー―11月下旬から12月初めに一時帰国した際、移動の途中に通った札幌で非常に大きなクリスマスツリーを久し振りに視ました。―が既に片付けられ、同じ場所に"迎春"とか"賀正"というような文字の入った「お正月の飾り」が出ていることでしょう。或いは門松を準備してある場所も在るかもしれません。稚内でも、市役所から近い辺りで毎年のように門松を一生懸命に準備している場所が在ったのが思い出されます。

例年、1月に何かで日付を書こうとすれば、「前の年の"年"を書いてしまう」というのを筆者はよくやってしまいます。週明けからは「2017年」ではなく「2018年」なのだと、頭の隅に置いておくようにしているつもりですが、今の時点から「うっかり間違えそう...」な気がしてしまっています。(書き間違えたとして、何か深刻な事態になるのでもないかもしれませんが。)

↓そんなどうでもいいようなことを想う年末、ユジノサハリンスクでは不思議な看板を視掛けるようになりました。
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↑ユジノサハリンスクでは御馴染な、通の脇に在る看板に<2018МАРТА>(2018年3月)というロゴマークが現れました。同じマークが、街を行き交う路線バスに広告として貼り付けられているというのも頻繁に視るようになりました。

<2018МАРТА>のロゴですが、「18」の色を変えています。これは本来「18МАРТА2018」と書くべきものです。ロシア語での日付の書き方として、一般的な書き方は「日/月/年」で、「18МАРТА2018」は「2018年3月18日」ということです。

この「2018年3月18日」は「ロシア連邦大統領選挙」の日であるとのことです。<2018МАРТА>のロゴの下にもその旨が記され、ロシア国旗の色のリボンのようなデザインが在ります。そして看板の左下に<ЦИК России>と在りますが、これはロシアの「中央選管」のことです。

↓ロシア語のウェブサイトが在って、写真の看板と同様の「大統領選挙のマーク」も載っていました。
>>Центральная избирательная комиссия Российской Федерации

大統領制の国での大統領選挙というのは「国で最大の選挙」であることは間違い在りません。「外国のニュース」ということになりますが、日本国内でさえも話題が伝わる場合も在ります。ロシアに関して、余りそういうような話題―有力候補の活動、情勢分析、有力候補の過去の言行のこと等々―は聞こえません。

ロシアの大統領選挙を巡っては、「"結果"は想定済み」という雰囲気で、「選挙と言えば、毎回出ている御馴染な人達の名前と顔を久し振りに視るという話し...」と"盛り上がり"というようなものは感じられません。

他方、「大統領の新たな任期のスタート」という状況で、連邦政府や各地の地方の行政府で「人事が色々と...」という観方、漠然とした期待や不安のようなモノは「何処となく漂っている?」ような感は少しだけします。

いずれにしても「2018」と大きく書かれた看板が目立つようになっても、違和感が少ない程度に、2017年の日々も残り少なくなりました。そして考えてみると、曜日の関係で「2017年に稚内市サハリン事務所のオフィスを開ける日」としては、12月29日が最後となっていました。序でに、4月下旬からリニューアルということにした稚内市サハリン事務所のブログですが、この記事が「400本目」です。

ヨールカの点灯:サハリン州政府本庁舎前(2017年12月16日)

12月は早くも「折り返し地点」に至った感です。「年末年始」が間近になったような気もします。

ロシアでは「ヨールカ」と呼ばれる「ロシアの流儀のクリスマスツリー」が飾られますが、「ロシア正教のクリスマス」は「教会の催事では古い暦を現在でも使用」という事情の故に「1月7日」なので、「ヨールカ」は寧ろ「信念を迎える飾り」という感が強めなようです。

ユジノサハリンスクにもその「ヨールカ」が登場しています。日本やヨーロッパや方々の国々で祝う「12月25日」のクリスマスより「若干遅い日付の祝い」ということなので、ロシアの「ヨールカ」は、他の国々より「やや遅め」に準備が整って、灯りが入る傾向が在るようです。

ユジノサハリンスクの街では、「一気に準備を整えて、一気に灯りが入る」という感でもなく、何か「順次、準備が整えられて行く」という感で「少し飾りが増えた?」、「あそこに新たに灯り?」というような具合になっていました。

こういう中、「際立って大きなヨールカ」はサハリン州政府本庁舎前に据えられています。建物との比較で、ヨールカの高さは20m前後は在ると見受けられます。州政府本庁舎前のモノは<知事のヨールカ>と呼ばれているようです。

この<知事のヨールカ>は、随分と時間を掛けて準備が進められていました。何度も「試験点灯」を繰り返すようなこともしていた様子を視ました。それが12月16日の土曜日に「いよいよ点灯!」ということで、催しの旨のテレビコマーシャルまで流れていました。

この種のモノの"点灯式"とでも言えば、何か立場の在る方や、著名人のゲストが壇上に登場して、スイッチのようなモノを押して「点灯!」となって、喝采が沸き起こるというような様子を連想します。そういう状況を想像して、サハリン州政府本庁舎前にコマーシャルにも在った「午後6時」の催事開始の少し後に足を運んでみました。が、様子は何となく想像したモノと大きく異なりました。

<知事のヨールカ>の点灯ですが、特設ステージでの劇によって点灯へ導かれるという趣向で、午後6時過ぎからその劇が始まり、点灯されたのは午後7時10分過ぎでした。サハリン州政府本庁舎の周辺、コムニスチーチェスキー通の車輛進入を停めて催しが行われ、老若男女、夥しい数の人々が集まっていました。

特設ステージでの劇は、ストーリーとしては「壮大なファンタジー」かもしれません。

サハリン州設立70年、ユジノサハリンスク市建都135年であった記念すべき2017年が過ぎようとしている中、新しい年を迎えようと色々な人達が集まって歌や踊りを繰り広げています。

そういう中、「食べ物が美味しいサハリンは居心地が好い」等としながら<記念の年を司る精霊>がやって来ます。好い一年を振り返り、更に好い一年を迎えようということになり、<マローズじいさん>と孫の<スネグーロチカ>(雪娘)が迎えられます。

「国中で最も早い方で新しい年を迎えるサハリンの人々よ!」と<マローズじいさん>が言えば、「佳き土地の善き人々よ!」と<スネグーロチカ>は言い、居合わせた<記念の年を司る精霊>と会えたことも含めて「大変に素晴らしい!」ということになります。

早速「新しい年の扉を開けなければならない」ということになるのですが、扉の鍵を預かっているという<記念の年を司る精霊>が「無い!何処かで無くした?忘れて来た...」と言い出します。

<マローズじいさん>は、<季節の女神達>を訪ねて鍵の在処を探ろうと言い出し、季節を巡る旅が始まります。秋、夏、春と順に巡り、<秋の女神>、<夏の女神>、<春の女神>が次々に現れ、歌や踊りを交えてサハリンの人々の季節毎の暮らしの様子や、催事や産業上の成果等の話題が提起されます。

<春の女神>が、サハリンの人達は春になれば"スボートニク"と呼ばれる奉仕活動に集まって、街のゴミを集めて清掃を立派に行うということを紹介すると、<ゴミのモンスター>が現れます。

<ゴミのモンスター>は、「大事なモノはゴミの山に埋まっているかもしれないぞ...」等と言い出します。そこに<冬の女神>がやって来て、四季の女神達が揃い、<マローズじいさん>達と一緒に「皆の願いで新しい年の鍵を引き寄せよう!」ということになり、「奇蹟だ!!」とその鍵が現れます。

こういう壮大なファンタジーが展開し、いよいよ「カウントダウン」になります。

↓「3!2!1!」と盛り上がります。
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↓「来る新しい年を祝して!」と灯りが入り始めます。
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後ろの方に特設ステージの様子が視えるモニターまで設置で、壮大な―「制作費がどの位?!」と野暮なことを考えてしまう程度です。―ファンタジー劇が展開し、そしてヨールカに点灯です。

正直なところ、0°C程度と見受けられ、少しずつ気温が下がっていた中、多少「寒さがキツい...」と思い始めた頃、漸く点灯で、少し安心した次第でした。小さな子ども達も大勢いましたが、真剣に劇に見入っている子ども達が多く、少々驚きました。

↓やがてヨールカの灯りは色を変え始めます。
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こういう時点になると、流石に「無事に点灯で安心」と素早く引揚げることにしました。

↓「より好い一年を迎えられるように」という願いが籠ったヨールカは、暫くの間、静かに輝き続けることになります。
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<2017 サハリン友好都市青少年交流事業 参加者報告会>(2017年11月22日)

サハリン事務所での活動に関してサハリンに滞在する際、「90日間有効」の査証を連続して取得しますが、その査証取得手続の関係で定期的に一時帰国を行います。筆者は現在がその期間に相当しており、帰国中です。

この期間に「興味深い催事」が稚内で催され、一寸立寄りました。

<2017 サハリン友好都市青少年交流事業 参加者報告会>です。

2012年から稚内市内の高校生と、サハリンの友好都市(ネベリスク市、コルサコフ市)の高校生相当年齢生徒がホームステイを交えた日程で相互訪問を行うという<サハリン友好都市青少年交流事業>を実施しています。

2017年は通算6回目でした。7月末から8月冒頭に稚内側生徒がコルサコフを訪ね、9月にコルサコフ側生徒が稚内を訪ねる型で催行されています。コルサコフ側の訪問に関しては、稚内・コルサコフ航路の「荒天による欠航」が相次いでしまったことから、9月に催行されたのでした。

<サハリン友好都市青少年交流事業>では、事後に必ず<参加者報告会>を催しています。今回も稚内側の参加生徒4名が、各々の経験や考えたことを自身の言葉で話してくれました。そして、コルサコフ側参加生徒のメッセージも頂いたので、それも披露されました。

稚内側生徒の目線では、交流相手となるコルサコフ側生徒も初めて会う訳ですが、「稚内側」だけでも市内2高校の異なる学年の生徒達が参加するので、殆ど言葉を交わしたことも在りません。そういう状況下、緊張と不安が交じる状況で交流事業がスタートしたとしている生徒が何人か在りました。が、直ぐに稚内側参加生徒間で打ち解け、同時にコルサコフ側参加性とも次第に打ち解けることが叶ったと言います。

実際、互いにロシア語や日本語に通じているのでもなく、若干の英語やジェスチャーが意思疎通手段という側面は在りました。その辺りを「もう少しどうにか出来れば...」というコメントがコルサコフ側生徒のメッセージに在りましたが、互いにロシア語や日本語に通じているのでもないことが友情を築く妨げになるということは無かったようです。稚内側は「優しい人達に温かく迎えて頂いた」としていましたし、コルサコフ側は「何時か何処かで再会したい愉しい仲間に巡り逢えた」としていました。

両国の制度や事情の違いの故でもあるのですが、コルサコフ側生徒にとって、稚内市内の高校を見学したことが非常に興味深かったようです。そして、様々な学科が設けられている様子に興味津々である彼らの様子は、稚内側生徒にも強い印象を与えた様子でした。

コルサコフ側生徒の目線では、稚内側生徒がロシアの普通の料理を「美味しい!」と頂いていた様子が記憶に残り、更にロシア国内の遠い地域よりも余程近い地域に居ながらも、異なった伝統を背景にした考え方を持っている様子が強い印象を与えた様子でした。

今回の<報告会>では、稚内側の発表の中でも、コルサコフ側のメッセージの中でも「再会したい」という言が目立ちました。中には、コルサコフ側生徒が帰国の船に乗る様子をターミナルのデッキで視ていて涙ぐんだと率直に話す生徒も在りました。

稚内市サハリン事務所では、この<サハリン友好都市青少年交流事業>に関連し、コルサコフ側との連絡調整―催行前、日程変更を余儀なくされた場面、報告会へのメッセージの件等々―や、やって来た稚内側生徒の御案内等に携わりました。今後もこうした必要が生じれば、即座に対応します。

それにしても、今般の生徒の発表で記憶に残るのは「"海外"と聞いて"怖そう?"と足踏みするばかりではなく、踏み出してみて、考え方が変わることもある」というような発言であり、「将来の学んでみたい分野」として「ロシア語も?」という発言が在ったことでした。会場には発表をした生徒の、学校での仲間も足を運んでいました。感想として「外国のことに触れ、改めて日本のことを知って考えるという機会になったのでは?」という発言が在りました。

こういう取組のように、地域の未来を創るような世代の皆さんに好い経験をして頂くことは、非常に重要だと思います。

<ユジノサハリンスク道北物産展 2017> 開幕 (2017年10月13日)

道北9市(旭川、富良野、深川、芦別、士別、名寄、留萌、紋別、稚内)による協議会を組んで取組んでいる<ユジノサハリンスク道北物産展 2017>が始まりました。

2013年に第1回を催して以来、今回が5回目です。今回は6市で、計60品目余りをサハリンへ輸出し、会場での展示・販売を行っています。品物は稚内港からチャーター貨物船で送り出しました。

↓会場の商業施設<シティーモール>の開店前に各出展ブースで準備を行います。「稚内ブース」の準備が出来たところです。やや「クラシカル?」にも見える<大売り出し>の赤い幟を用意してみました。
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↑今回は魚醤、「"ラーメンサラダ"は如何か?」ということで売り出そうとラーメンの生麺、レトルトカレー、昆布茶等を出しています。

↓開店して少し経った頃の会場入口辺りです。
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↑今般はユジノサハリンスク市と旭川市が「友好都市提携50年」ということで、看板にその旨が添えられています。

↓<シティーモール>館内の吹抜けになっている辺りに会場が設けられています。
物産展2017 open (2).JPG

今回は「金曜日から日曜日まで」で催事を開催します。金曜日は施設への人出そのものがやや少ない感じなのですが、それでも催事会場へは切れ間なく来場者は見受けられました。

「稚内ブース」では「"茶"とは呼ばれるものの、"美味しいスープ"感覚で飲むもので、"調味料"として利用可能」と御紹介した昆布茶が、想像以上に好評で少し驚きました。

日曜日まで催しは続けます。

<台風18号>の影響が落ち着いたらしい朝(2017年09月19日)

昨日(9月18日)は台風の接近が伝えられ、サハリンでも注意が喚起されていました。強い雨に警戒が呼び掛けられていた他、強風にも注意が喚起されていました。

北海道内が台風の影響で荒天になっていると聞いていましたが、昨日は朝から雲が厚く、薄暗い感じでした。昼食の時間帯辺りから雨が降り始め、次第に雨は強くなって行きました。

やがて夕刻辺りには、「薄い衣類に水が刺さる?」位の勢いで雨が降るようになっていて、時々強風が感じられるようになっていました。一寸だけ戸外に出るのもキツい感じがしました。何やら木の葉が強風で乱舞していたり、勢いよく降り続いた雨水が道路の隅に溜まって、通行車両がそれを華々しく跳ね上げているような感じです。

こういう状態になれば、夕刻にその辺の店に食事に出てみるようなことも出来ませんから、適当にスーパーの総菜コーナーで食料を仕入れて、早々に住まいへ引揚げです。

特段に戸外へ出ずに、住まいでじっとしながら過ごす夜となりました。強めな雨や風は続き、未だ真っ暗ではない時間帯には「風に木が揺れて、大きく震えている」というような様子が視えていました。

日本時間の昨夜午後9時台、サハリン時間では昨夜午後11時台に発表されていた台風情報には「台風の中心=サハリン」となっていました。稚内に住んでいても「上空を台風が通過中」な状態で過ごすというのは余り無く、「サハリンに居て、そういう状態なのも珍しい」と思いながらも、少々不安な感じがしました。稚内辺りでは、台風が転化した大型低気圧の影響による荒天というのは多々在る訳ですが、台風そのものの影響は免れて来た例が多いように思います。

そういう話しの後に朝を迎えました。多少、風が強いような気はして、多少湿った感じではあるものの、近所の様子は「荒れている」という感じではありません。

↓近所のビルの辺り、視えているのは南東寄りな空だと思いますが、少し明るい感じです。
19-09-2017 台風が去った... (1).JPG

↓近所の広場では、ベンチの辺り等に配置されたゴミ箱が夜の強風でひっくり返っていて、やや落葉が増えていましたが、普通に「風に木が揺れる」というような按配でした。
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↑そういう様子を視ながら、「ナナカマドは秋らしい色合いになっている」と眺めてみる余裕が在る感じで、戸外に出ることは苦にならない感じです。

↓雨が降り続いた関係で、方々に水溜りは見受けられます。そういう辺りに強風で散った木の葉が存外に落ちています。
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↑歩道上等の木の葉ですが、天候も落ち着いているので、早朝から清掃作業員が出てドンドン片付けていました。

とりあえず、強風や強めな雨が落ち着いて、「普通な雨上がりの曇天」という様子のユジノサハリンスクです。