「5月9日」に向けて(2017年05月02日)

夕刻のユジノサハリンスクの街を歩いていると、何やら警察車輛が登場し、紺色の制服の警察官が行き交っていた車輛に停止を命じる合図をしています。「近くで大きな事故でも?」と思いましたが、そういう様子も見えず、気配さえ無い普通な感じの中でのことでした。そうしていると、今度は余り視掛けない濃緑色の「警察の何かの部門?」というデザインの制服を身に着けた別なグループも現れました。

↓交差点で車の流れを警察官達が完全に停めた中、何やら物々しい車輛が姿を見せました。画で見えているのは、ロケット弾発射装置を積んだトラックだと思います。ソ連軍時代からロシアでは多用されているタイプのモノです。
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↑東西に延びている道路の通行を停め、南北に延びる道路の片側車線も他の車輛を入れないようにして、軍用車が続々と通り過ぎていました。

「何か、妙な状況でも発生しているのか?」と些か不安を覚えましたが、どうということもありませんでした。

↓<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>に近いパベーダ広場に関係者が集まり、"パレード"の予行演習をやっていました。
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↑幾つものグループが集まっていて、音楽が鳴る中で、グループ毎に場所を確かめながら行進の練習をする等していました。

ロシアでは「5月9日」の、1941年から1945年の独ソ戦が集結した日を記念し、祝日の催事の一環として軍関係者等が参加するパレードを行います。そのリハーサルが進められていたのでした。大勢の兵士が動員され、パレードの演習が行われる広場を中心―遠巻きに多くの人が立って、部外者等がパレードの演習をやっている場所に近寄らないようにガードしていました。―に、なかなかに広い範囲で立ち番をしていました。

↓予行演習で出番が在るのか、先程の大きなトラック等と一緒に通を走っていた装甲車も待機していました。
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近くの公演風になっている場所に関しては、近所の人等の出入りを停めていなかったので、そういう辺りに存外に多くの人達が「予行演習の見物」に集まっていました。

この5月9日のパレードには、独特な強い思い入れが在るように思えますが、何となく思ったのは「大型の催事は、大袈裟な程に予行演習」というのは「何処でも同じ」というようなことです。ただ、ガッチリと車輛通行を停めているのは「何となく凄い」と驚きました。

「春と勤労の祭日」=「メーデー」(2017年05月01日)

ユジノサハリンスクでは―と言うより「ロシアでは」とすべきでしょうが―5月1日は祝日で休業日です。月曜日であったので、4月29日の土曜日から3連休となりました。

休日でも、アパートの近所のスーパーは朝8時から開店していますから、開店した少し後位に"朝食"を求め、それを頂いて室内でゆったりとしていたのでしたが、朝9時半頃から何やら妙な音が聞こえ始めました。

学校の近所に居ると、運動会等の戸外での行事をやっている時に「遠くの、少し歪んで聞こえる音楽やアナウンス」というのが在ると思いますが、それに類する音がずうっと聞こえています。ユジノサハリンスクの都心部辺りは、休日になると如実に車輛の通行量が減って静かではあるのですが、「それにしても静か?」という中で、何やら「遠くの、少し歪んで聞こえる音楽やアナウンス」です。そして、カメラを持っていなかったので写真は撮りませんでしたが、アパートの窓から遠くの空に多数の小さな風船が流れているのも見えました。

酷く大きな音に「何事?」と訝しく思っていたのでしたが、風船を視て「メーデーの催事!」と思い至りました。

戸外に出てみれば「春の祭日」とは言い難い、2°C位の気温で風が冷たい感じでした。

↓ユジノサハリンスク市庁舎のほんの少し南側、ホテル<サハリンサッポロ>の辺りに、大きなトラックと警察車輛が出ていて、車両の通行を停めていました。
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↓ユジノサハリンスク市庁舎の真ん前にステージを特設し、ここで音を出していたのでした。
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↑男女各2名の若者のグループが、流れる伴奏に合わせて歌っていました。集まっていた人達も楽しそうにリズムを取って聴いていました。ステージ周辺には<ПОЛИЦИЯ>(ポリーツィヤ)とワッペンが着いた防寒作業コート姿で制帽も被った警察官が、寒そうにしながら警備任務に就いていました。

↓老若男女が集まって愉しんでいて、子ども達が輪になって踊っていました。
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↑場に居る人達の服装ですが、これは積雪こそ無いものの「冬季の催事」のような感じです。

↓ステージ上のグループの女性ですが、「後からお腹が冷えて、ロクでもないことにならなかったか?」と野暮で余計な心配をしてしまいました。
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↑しかし、若いグループは寒さを追いやろうとするかのように、元気なパフォーマンスを見せていました。

↓市役所脇の通も車輛通行が停められ、テントの出店が設けられていました。
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↑手前の見覚えが在るコーヒーを売っている車で温かい飲物を求めただけでしたが、食べる物や何かのグッズのような雑多なモノが売られていました。

↓どういうキャラクターなのかよく判りませんが、色々な着ぐるみも登場していました。
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今季のユジノサハリンスクの「メーデー」は「"春"はやや遠い?」という感じに終始しました。一箇所に留まっていると寒かったので、直ぐにこの場から離れて更に歩きました。概ね午前中一杯、こういう催事をやっていた様子でした。

"スボートニク"?(2017年04月29日)

土曜日の朝、「多少の小雨?」と思いながらもガガーリン公園まで歩き、有名なガガーリンの像が在る辺りのベンチに腰を下ろして一息入れていました。

そうしていると、何やら大勢の人達が三々五々集まり始め、幹事役らしき人が「始めましょう!」というようなことを言い出すかと思えば...

↓こういう様子になりました。
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道具が用意され、大勢の人達が集まって「落葉やゴミを片付ける作業」をしているのです。揃いの作業服を身に着けた作業を請け負う人達というのでもなく、各々に普段着の普通の人達が集まっている様子を思わず眺めてしまいました。

↓見覚えが在る人達にも出くわしました。「意外な場所で会えて善かった!」と声を掛けてくれました。
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↑稚内では御馴染な<ルースキー・テーレム>の皆さんです。ペラゲイヤさん、リュドミーラさん、ワレーリアさんが元気に参加していました。後からイリーナさんにも出くわしました。

↓<テーレム>の皆さんも、一生懸命に作業をしていました。
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これは"スボートニク"と呼ばれる、一般市民による公共作業への参加という活動なのだそうです。

休日である土曜日(субботу=スボータ)に集まることから、「土曜日に集まる人」というようなことで"スボートニク"(субботник)と呼び習わされるようになったそうです。

ユジノサハリンスクでは、この種の作業は春季や秋季のものを行う場合が多いそうです。

↓この種の作業は、結局は「人手の寡多」が決め手なのでしょうか。あっという間に落葉等が集まり、ゴミ袋が一杯になって行きます。
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話しとしては耳にしたことが在りましたが、"スボートニク"と呼ばれる活動の様子を初めて実際に目にしました。

因みに、時には「日曜日」や「休日の月曜日」や「他の曜日」にこういう活動が行われる場合も在るそうですが、そういう場合も"スボートニク"という「土曜日」に由来する呼び方は変わらないそうです。

韓国によるサハリンでの旅客誘致活動(2017年04月28日-29)

好天な金曜日の昼休み、レーニン通で何気なく見上げた大型広告看板に「瓦屋根」らしきものを認め、足を停めて一寸見てみました。

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看板に在ったのは<В Корею без визы>(ヴ カレーユ ビェス ヴィーズィ)という文字で「韓国へビザなしで」という意味です。

ロシアと韓国とは、両国政府の申合せで、"短期滞在"というような範疇になる観光旅行等で、事前に査証取得を求めないようにしたといいます。そういう制度を利用し、サハリンの皆さんに向けて「是非来て下さい」と韓国の機関が広告を出したという訳です。

サハリンでは、殊にユジノサハリンスクでは交通量が多目な箇所等に立てられている看板は「有効な広告媒体」と看做されているようなのですが、そういう中にロシア以外の国や地域で、旅客誘致活動を展開しようという国や地域の関係機関が広告を展開しています。逆に言えば、「サハリンは誘客広告を展開するに値する地域」であるということでしょう。

そう思っていると、翌日の土曜日に商業施設<シティーモール>に立寄ったところ、催事に使われる会場で看板を見付けました。

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「韓国観光見本市―"健康と休暇"」という催しです。幾つもテーブルが在って、関係の会社の皆さんが来場者とお話しをするというような催しになっていました。

この場では、様々な分野の医療系統のサービスを受けるという旅行等が提案されていて、ユジノサハリンスク市内で韓国への送客に実績が在る旅行会社の方等がテーブルを出していました。顔見知りの方も在って、一寸お話しを伺いましたが、最近は事前手続が求められない韓国への旅行の人気は高まっているようです。レーニン通の看板は、この催事を意識して掲出されたようです。

サハリンは「物凄く大きな人口」を擁しているのでもありませんが、一定以上に「国外も含めた旅行に出る需要」を持っている地域であると言えます。