眼に馴染んだ感...:レーニン広場(2019年03月18日&19)
街の中で「よく通り掛る場所」については、「通り過ぎる都度に色々な見え方」ということが在る他方、「あの場所のあの感じ」という「眼に馴染んだ様子」というモノも在るような気がします。
↓3月18日の夕刻、午後7時前のレーニン広場です。
18-03-2019 evening (1).jpg
↑大きなレーニン像の背後、西寄りの空に陽が沈んで行くような感じです。
「頭の中の認識」としては、「3月は積雪期」ですが、雪が少ない傾向が続いた今季は既に画のような具合で「積雪期終了?」という状態です。
↓3月19日の朝、午前7時台のレーニン広場です。
19-03-2019 morning (1).jpg
↑辺りの灯りが未だ点いています。そして湿った路面に光が跳ね返っています。
ユジノサハリンスクの午後7時は稚内の午後5時、ユジノサハリンスクの午前7時は稚内の午前5時です。少し前に稚内に在ったので、「時差を調整して考えれば、空の明るさは似たような感じ?」と思っています。
空そのものは何処でも変わらないのかもしれませんが、街並みとの組み合わせになると「場所ならではの雰囲気」というモノが発生すると思います。大きなレーニン像が佇む広場と空の感じも独特です。
1990年代の初めに共産党系政権だった国や地域で体制が変わって行ったような時期、「レーニン像を撤去」という映像が頻繁に流出していたことから、「こんなに大きなレーニン像が残った?」とユジノサハリンスクを訪ねた方が話題にされる場合も在ります。像そのものが9m程度とされ、台座まで含めると「20m近い?」というような構造物で、「とりあえず資金難」と連呼されていた1990年代辺りにこれを撤去する大工事をしようという話しは起こらなかったようです。やがて時日が流れると、1970年のレーニン生誕100年という中で制作されて設置された各地の像に関して「文化的価値」ということが語られるようになりました。現在、このユジノサハリンスクの大きなレーニン像はサハリン州政府による指定文化財です。台座の脇にその旨のプレートも貼られています。
朝夕の、特段に電飾等も無い状態の広場ですが、凄く「眼に馴染んだ」という感じです。時々、凍っている場所や水溜まりも見受けられますが、積雪期以外に履いている歩き易い短靴で動き回っても抵抗感が無い感じにはなっています。
それでも「不意に天候が荒れて雪」という場合も未だ在るので、少しは注意したいとは思います。
↓3月18日の夕刻、午後7時前のレーニン広場です。
18-03-2019 evening (1).jpg
↑大きなレーニン像の背後、西寄りの空に陽が沈んで行くような感じです。
「頭の中の認識」としては、「3月は積雪期」ですが、雪が少ない傾向が続いた今季は既に画のような具合で「積雪期終了?」という状態です。
↓3月19日の朝、午前7時台のレーニン広場です。
19-03-2019 morning (1).jpg
↑辺りの灯りが未だ点いています。そして湿った路面に光が跳ね返っています。
ユジノサハリンスクの午後7時は稚内の午後5時、ユジノサハリンスクの午前7時は稚内の午前5時です。少し前に稚内に在ったので、「時差を調整して考えれば、空の明るさは似たような感じ?」と思っています。
空そのものは何処でも変わらないのかもしれませんが、街並みとの組み合わせになると「場所ならではの雰囲気」というモノが発生すると思います。大きなレーニン像が佇む広場と空の感じも独特です。
1990年代の初めに共産党系政権だった国や地域で体制が変わって行ったような時期、「レーニン像を撤去」という映像が頻繁に流出していたことから、「こんなに大きなレーニン像が残った?」とユジノサハリンスクを訪ねた方が話題にされる場合も在ります。像そのものが9m程度とされ、台座まで含めると「20m近い?」というような構造物で、「とりあえず資金難」と連呼されていた1990年代辺りにこれを撤去する大工事をしようという話しは起こらなかったようです。やがて時日が流れると、1970年のレーニン生誕100年という中で制作されて設置された各地の像に関して「文化的価値」ということが語られるようになりました。現在、このユジノサハリンスクの大きなレーニン像はサハリン州政府による指定文化財です。台座の脇にその旨のプレートも貼られています。
朝夕の、特段に電飾等も無い状態の広場ですが、凄く「眼に馴染んだ」という感じです。時々、凍っている場所や水溜まりも見受けられますが、積雪期以外に履いている歩き易い短靴で動き回っても抵抗感が無い感じにはなっています。
それでも「不意に天候が荒れて雪」という場合も未だ在るので、少しは注意したいとは思います。