アニワ地区トロイツコエ:<アレクサンドル・ネフスキー寺院>(2017年10月22日)

嘗ての豊原であるユジノサハリンスクや、嘗ての大泊であるコルサコフ、或いは嘗ての眞岡であるホルムスクのようなサハリンの都市は、日本の人達の間でも一定程度は知名度が高いように見受けられます。が、現在の名称を挙げても、「それは何処?」というサハリンの街も多く在ります。

実際に最近、他所の方に「それは何処?」とお尋ね頂いた場所にアニワが在ります。

アニワ地区というのは、アニワ市を中心としているのですが「ユジノサハリンスクの南西の隣り」という位置を占めています。

アニワ市の場所は、帝政ロシアの統治下であった1886年にリュトガという村が起こった場所に相当します。日本統治下で留多加(るうたか)と呼ばれるようになります。そして1946年にソ連化された際にアニワと改名されています。

このアニワ市を中心とするアニワ地区に、ユジノサハリンスク市の直ぐ西隣りに相当するトロイツコエが在ります。樺太時代には豊原市の管轄で並川と呼ばれていたようです。

↓このトロイツコエに入ると、こういう建物が在って非常に目立ちます。
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↑古くからの様式を採り入れた木造という風な建物で、白く塗装が施されています。

↓ロシア正教の寺院で、<アレクサンドル・ネフスキー寺院>と名付けられています。
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↑2009年に計画が持ち上がって2010年に完成した建物であるということでした。

↓中は幾つかの窓から光が射し込んで、厳かな雰囲気が醸し出されています。
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↓未だ10年に満たない建物ということも在るでしょうが、堂内のピカピカな床にイコン等が映り込み、神秘的に感じられる空間が創られていました。
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↓建物の脇の方ですが、短い柱廊風に設えられていました。
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この<アレクサンドル・ネフスキー寺院>は、「トロイツコエ "マステルスキエ"」(Троицкое "Мастерские")というバス停の傍に在ります。ユジノサハリンスク市内側から向かうなら、この寺院の目立つ建物が進行方向右手に視えて、それを少し過ぎた辺りにバス停が在ります。

ユジノサハリンスク市内とこの<アレクサンドル・ネフスキー寺院>辺りを往来するとすれば、ユジノサハリンスクの市内線の路線バスで運行系統#256を利用するか、市外路線ということになるアニワ・ユジノサハリンスク間の運行系統#111を利用することになるでしょう。

実はユジノサハリンスク市内のバス停で、トロイツコエへ向かう#256がやって来たのを視掛けて、不意に「あそこに立派な教会が在った筈...」とバスに飛び乗ってこの場所に至ってしまいました。運賃は「市内均一」が適用されて20ルーブルでした。

復路に関しては、「そのうちバスが...」とバス停で待っていて、「多少、寒い...」と思いながら、現れた#111のアニワ・ユジノサハリンスク線のバスに飛び乗りました。こちらは市外路線の扱いで、運賃は50ルーブルでした。

↓それにしても、辺りにそれ程目立つモノが無い中、複雑に屋根が組み合わさった、なかなかに大きな教会が威容を見せている様子は、少し見応えが在ります。
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思い付いて路線バスで訪ねることも出来ますが、車でユジノサハリンスク辺りを巡ろうという場合に、行程にここを加えてみるのも一興かもしれません。

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