ユジノサハリンスクのネヴェリスコイ提督(2017年04月24日)

ユジノサハリンスクでперекрест(ピェレクレスト)という語をよく耳にします。「交差点」という意味です。

例えば「"Коммунистический" и "Мира". Перекрест.」("コムニスチ―チェスキー"イ"ミーラ"。ピェレクレスト)という感じで耳にします。「コムニスチ―チェスキー通とミール通の交差点の辺り」という意味です。

↓その「コムニスチ―チェスキー通とミール通の交差点の辺り」にこういう銅像が在ります。
YS-2017APR24.jpg

これは、ロシアでサハリンの色々なことを紹介する活躍が在ったとされるネヴェリスコイ提督の像です。個人的には、何となく凛々しいので気に入っていて、辺りを通ると銅像を見上げて「こんにちは!」とあいさつしたい気分になります。

ユジノサハリンスクで耳にする「しろまるしろまる通としろまるしろまる通の交差点の辺り」という表現で、以前に観た米国のテレビドラマを思い出しました。追跡中の悪漢達の情報を追って車を走らせている捜査官が本部の同僚に車中から連絡し「しろまるしろまる通南下中!」と言えば、同僚が「しろまるしろまる通としろさんかくしろさんかく通の交差点...西だ!」と応じ、「しろさんかくしろさんかく通の交差点!コピー(了解)!」とタイヤが軋む音をさせながらハンドルを切る場面が在りました。

ユジノサハリンスクも、米国のドラマに出て来る米国の都市のように、名前が冠せられた通が碁盤の目のように組み合わさっていて、「しろまるしろまる通としろまるしろまる通の交差点の辺り」という表現で場所を特定するのが普通なようです。

考えてみると、"豊原"として現在のユジノサハリンスクの礎が築かれた時には札幌を参考にしたといいます。古い地図には現在のレーニン通を"大通"としていて東西に「東しろまる条・西しろまる条」となっていて、現在のサハリンスカヤ通の辺りから「南しろまる丁目・北しろまる丁目」というのが始まっています。札幌の都心部等に在る「北しろまる条西しろまる丁目」とか「南しろまる条西しろまる丁目」というのと似ています。

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