オーロラ航空のDH8(2017年12月04日)

稚内・コルサコフ航路の運航が行われていない時季、北海道とサハリンとの間を往来する手段としては、新千歳空港・ユジノサハリンスク空港の空路が在ります。現在は、月曜日、水曜日、木曜日、土曜日と週4往復の運航です。

↓こういう飛行機が新千歳空港・ユジノサハリンスク空港間を往来しています。「地域間を直接結ぶ」という大切な空路になっています。
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↑サハリンの<オーロラ航空>の機材で、サハリンから飛んで来た後、直ぐにサハリンへ引揚げる型で運航しています。

画は新千歳空港で撮影したものです。新千歳空港国際ターミナルの端に在るゲートから案内を受けて中に入ると、長い階段を下りるようになっていて、そのまま駐機場を歩いて飛行機のタラップから機内に入ります。

この時季、サハリンへ向かう便が発つのは、日没の時間を少し過ぎたような頃です。「恐らく最も端の駐機場なのだろう」と思える程、離陸までに空港内を動き回って、離陸すれば空港の施設が照明に浮かび上がる様子が少し視えますが、真っ暗な中を北上し、1時間程度でサハリンに着陸です。

「プロペラ機」で「国際線の定期運航」というのは、日本では一寸珍しいかもしれません。が、新千歳空港・ユジノサハリンスク空港間のフライトは、距離で考えても、所要時間で考えても「日本国内の"近距離"な空路」と大差が在りません。故に、その種の空路に登場するような機材が用いられる訳です。

このプロペラ機に1時間弱乗ってサハリンに着陸すると「プラス2時間」の時差なので「変に遅めな時間帯...」と妙な気分になります。

実は筆者は、この飛行機でユジノサハリンスクにまた入りました。気温は氷点下10°C程度のようですが、風は微弱で、酷く寒いという感じでもありません。雪は「降って、融けてが繰り返された」という様子ですが、然程積もってはいません。

S7航空のA320(2017年11月18日)

ユジノサハリンスク空港は、ホムトヴォと呼ばれる街の南側に在ります。

ユジノサハリンスクの都心部、巨大なレーニン像が見える辺りのコムニスチーチェスキー通から路線バス―運行系統#63が最もポピュラーです。―に乗車すると、平均して20分前後で空港の前に到着です。通行量の多めなミール通を経由するので、時間帯や曜日によっては30分以上を要する場合も在ります。都心部から空港への距離は10km程度とのことです。

空港がこういう程度に近い関係で、ユジノサハリンスクの街中で「見上げると飛行機...」という状況が時々在ります。空港へ向かって降下中、または空港から離陸したばかりの旅客機が不意に現れる感じです。

ユジノサハリンスク空港には、定期便やチャーター便を運航する様々な航空会社の機体が離発着しているようですが、中には「鮮やかな塗装...」と上空を少しぼんやりと見上げたままに停まってしまう例も在ります。

↓鮮やかな緑色がかなり目立ちます。S7航空のA320です。1990年代頃までは、ソ連またはロシアの航空機メーカーの独特な雰囲気の機体も存外に視掛けましたが、近年は世界各国で視掛けるような機体がロシアでも主流になっているようです。A320に関しては、日本の国内路線で乗った記憶も在ります。
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↑ユジノサハリンスクと、ウラジオストク、ハバロフスク、ノヴォシビルスク等との間で運航されています。

上記の写真ですが、ユジノサハリンスクから向かったウラジオストクの空港で撮影のモノです。ユジノサハリンスク空港は、こういうように機体が見え易いような感じ、写真を撮り易い場所が見当たらず、加えてS7航空機に搭乗した日は雪が降っていたので巧く写真が撮れなかったのでした。

S7航空ですが、ロシア語でもそのまま英語から来ている言い方で「エス セーヴン」と呼び習わしています。<シベリア航空>として1992年に設立で活動していましたが、国際的に航空会社を示す「2文字コード」であった<S7>を愛称としていて、人口に膾炙したことから、2005年以降は<S7>を商標化して<S7航空>を名乗っています。

S7航空はウラジオストクやハバロフスクと成田空港とを結ぶ国際線も運航しています。<ワンワールド>という日本の日本航空も加盟している"アライアンス"に加盟しており、成田空港へ向かう便は日本航空との"コードシェア"になっています。

サハリンと、ロシア国内外の様々な地域との間を結ぶ交通に関して、筆者は強い興味を抱いていますが、今般初めて「時々見上げると目立っているS7機」に搭乗しました。

因みに、ウラジオストクに着いてから、空港ビル内で動き、すぐに成田空港へ飛びました。或る程度交通手段が限られてしまうサハリンなので、新しいルートを見出して試用した訳です。

列車の乗降場 <シティーモール>(2017年09月16日)

コルサコフ港から、またはユジノサハリンスク空港からユジノサハリンスクの都心部側へ北上する際、ユジノサハリンスク市の区域に入ったままミール通を進むか、途中からレーニン通の側に進むことになります。

ミール通側、レーニン通側の何れの側から北上しても、大型商業施設<シティーモール>の大きな建物、或いは本館以外の一連の施設は眼に留まり、誰しも「あれは何?」と気になるものです。

この<シティーモール>へユジノサハリンスク市内から向かうとすれば、車以外の公共交通として路線バスが一般的です。日本からの旅行者も利用する場合が多い<パシフィックプラザ>というホテルはミール通に沿って建っています。そのホテルの傍にもバス停が在って、運行系統#63というバスが行き交っており、ユジノサハリンスク空港へ向かうその路線の「空港に着く手前」という辺りで下車すると目の前です。と言うよりも、施設の開設に合わせて停留所が目の前に設けられたのでしょう。このバスに関しては、初めてサハリンを視察に訪れた方達に御紹介したところ、予定以上に時間が出来た中、その方達はバスで<シティーモール>を訪ねてみたとのことでした。

余り知られていないのですが、<シティーモール>に関しては、車でもなければ路線バスでもない行き方も出来ます。「出来ます」と言い切るより、「出来るには出来る」と言葉を濁してしまう感じにはなってしまうのですが。

↓こういう場所が在ります。
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↑線路の脇に人が立つ場所が設けられ、看板が出ています。

実は<シティーモール>は、ユジノサハリンスクとコルサコフとを結ぶ鉄道の沿線に建っています。鉄道はユジノサハリンスクの都心辺りではレーニン通の西側に相当するジェレスナダロージナヤ通に並行していますが、街の南側ではレーニン通に並行して<シティーモール>の前を過ぎ、更にユジノサハリンスク空港へ通じる辺りを過ぎてコルサコフ地区へ延びています。

上の画の乗降場はレーニン通側に設けられています。道路沿いのバス停には、待合客向けに屋根が設けられている他方、列車の乗降場にはそうしたモノは在りません。

↓本当に、道路を挟んで<シティーモール>の建物や駐車場が視えます。
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↑レーニン通の南端のような辺りは交通量が多いので、押しボタン式信号機が据えられた横断歩道も手前の道路に設けられています。

「列車で<シティーモール>へ!」ということも可能な訳ですが、「出来るには出来る」と言葉を濁してしまう感じにはなってしまうのは、「旅客列車が極端に少ない」ので利用機会が設け悪いという事情の故です。

毎日運行の旅客列車は1往復のようです。そして、平日は朝にコルサコフ側からユジノサハリンスクへ向かう列車が1便在るようです。土曜日と日曜日には別に1往復の列車が運行されています。こんな「1.5往復+土日に1往復」で、眼前の<シティーモール>を利用し易いような時間帯の列車も、例えば「土曜日と日曜日のコルサコフ発の列車」というのが在る程度です。そして、往路で列車を利用したにしても、復路の列車が見当たらない感じです。

こういう状況ですから、「列車で<シティーモール>に行った」という話しは耳にしたことが在りません。それでも、土曜日と日曜日にコルサコフからユジノサハリンスクへ向かう列車が停車しているような時、「<シティーモール>へ行く人か?」という乗客が下車するのを視掛ける事が無い訳では在りません。

実は、偶々<シティーモール>の建物前に居合わせ、偶々停車した列車から数人が下車していた様子がかなり離れた辺りに視え、「そう言えば乗降場が在った」と思い出し、近寄って写真を撮ってみたのが記事に使った写真です。<シティーモール>に出入りする人は、1日の延べ数では存外な数になる筈ですが、「列車で来た人」は数える程、または居ない感じです。

ユジノサハリンスク・コルサコフ間に関しては、この<シティーモール>のような「往年の駅が在ったでもないと見受けられる場所の乗降場」が幾つも見受けられ、利便性の向上が図られているようにも見える他方で「何故?」と不思議な程度に列車の運行が少ない不思議な様子が見受けられます。北海道内等でも「これでは利用し悪い」という程度に列車の運行本数が少ない例は見受けられますが、このユジノサハリンスクとコルサコフとの間は不思議です。他方で、この区間はバスの運行が非常に盛んです。

ロシアのコイン=монеты(マニェーティ)(2017年09月12日)

筆者は、紙幣を入れる財布の他に、小銭入れを持ち歩くようにしています。

日本国内に在っては、千円紙幣を束にして財布に入れていて、何か買物をした際は千円紙幣を素早く出して支払い、釣銭の硬貨は小銭入れに入れます。何回かそういうことをすれば、小銭入れは硬貨が詰って重くなります。「金は出て行く一方だが、小銭は貯まる...」とすっかり重くなった小銭入れを手に、硬貨入金を受付けるタイプのATMで銀行口座に小銭入れの中身を入金し、千円紙幣を引出します。そうでもなければ、夕刻から夜に馴染みの飲食店で食事を愉しんだ後の支払いの際、2千円台の御会計に関して、硬貨をずらりと並べて「釣りは要らない...」と請求額をキッチリ支払ってみるというようなこともしてみます。

サハリンに滞在しても、そういう日本国内での個人的な慣例が大きく変わるでもありません。

ロシア国内全般で言えるのだと思いますが、「常用されている」または「視掛けたり、手にする機会が多い」感じの紙幣は1000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルです。そうした紙幣を財布に入れて持ち歩き、買物の際にそれらを使って支払うと、硬貨が存外に貯まるので、硬貨は別な小銭入れに入れて持ち歩きます。

↓小銭入れの中身をテーブルに広げてみました。色々な硬貨が在ります。
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↑「常用されている」または「視掛けたり、手にする機会が多い」感じの硬貨は、10ルーブル、5ルーブル、2ルーブル、1ルーブルだと思います。

「1ルーブル」というのは、「100コペイカ」のことで、"円"に対する"銭"のようなものですが、10コペイカや50コペイカの硬貨も在ります。スーパーで買物をするような際、「よく視れば値段に"コペイカ"が付いている」というモノが在って、それらを求める場合に釣銭に50コペイカや10コペイカの硬貨が交じる場合が在ります。そのコペイカですが、支払いの場面で敢えて取出す機会が少なく、何時の間にか存外な枚数が貯まってしまっています。

コペイカの硬貨は、釣銭で貰ったままに滞留している感じですが、10ルーブル、5ルーブル、2ルーブル、1ルーブルの硬貨は「少し出入りが頻繁」な感じがします。

日本国内の店では、例えば「510円」というような御会計の際に千円紙幣を出すと「10円ございませんか?」と店員さんに言われて、10円硬貨を出せば、釣銭は500円硬貨1枚という事例が多々見受けられます。最近のサハリンもそんな感じです。「510ルーブル」ということで千ルーブル紙幣で支払おうとすれば「10ルーブルございませんか?」と店員さんに言われ、10ルーブル硬貨や5ルーブル硬貨2枚を出すと、釣銭は500ルーブル紙幣1枚です。

「昔のロシア」では、金を払う場所に行くと「釣銭が無い!!」という話しになることが頻発したものです。そしてそういう場面に出くわすと「ロシアに足を踏み入れてしまった...」と思ったものです。が、それは「大昔のお話し」です。最近ではそういうことは殆ど在りません。5千ルーブル紙幣を使おうとすれば「出来ればもう少し細かいのは?」と言われる場合が時々見受けられる程度のことです。複数のレジが設けられているスーパー等で、レジに釣銭が不足すると「少々お待ちを...」と店員さんが隣りのレジへ小走りに歩み寄って「在る?」と両替をして、また戻って釣銭を確り出しています。それらに加えて、最近は「細かいのは在りませんか?」が頻発ですし、或るスーパーでは買物客が現金を差し出す場所に「小銭での支払いに御協力を」と硬貨のイラストが描かれている例さえ在ります。

そういう訳で小銭入れに貯まる硬貨は、なかなかに出入りが頻繁です。

この出入りが頻繁な硬貨を何となく並べてみれば、結局1990年代末に"デノミ"を行って硬貨が出回る頻度が激増した頃から、各硬貨の大きさや重さは、記念硬貨に類する特殊なモノ以外では然程変わっていません。他方で、デザインは幾分の変遷が在るようです。

デザインの変遷として判り易いモノは、画の中央に並んでいる5ルーブル硬貨です。"5"という数字が入っていない側には「双頭の鷲」の紋章が在ります。従前は、1990年代にロシア連邦の体制になって日が浅かった頃に使用され始めた「帝政時代の紋章の冠等を廃し、鷲の翼の先が下を向いている」紋章でした。長く使われていましたが、極近年になると「帝政時代以来の王冠が在る双頭の鷲で、鷲の翼の先端が上を向いている」というモノに切り替わっています。

硬貨はこういうように、時々デザインに手が加えられるようなことも在るので、蒐集品として一定の人気が在るらしく、サハリンでも「蒐集品としての硬貨」を売っているお店が見受けられます。そうしたお店では、「20XX年ロシア連邦硬貨」というようなセットが在って、千ルーブル台位で売られていました。多分、日本国内でも「平成XX年硬貨」というような、蒐集家向けのセットが在るのだと思いますが、そういうモノのロシア版です。

比較的近年の、現行硬貨の蒐集向けセットのようなモノは、土産として国外に持ち出そうとしても問題は無いのでしょうが、少し古い硬貨等になると「国外持出に規制が在る古美術品」という扱いになり、面倒な場合が在るようです。実際、サハリンから出国しようとした際に税関吏から「土産に骨董品なんかは無いですよね?例えば古い硬貨なんか?」と尋ねられたことが在りました。勿論、肩をすくめて「ニェット...」と応えましたが。

何となく小銭入れに入っていた硬貨ですが、関連の話題は尽きないものです。

ユジノサハリンスク>>コルサコフの列車の乗車券(2017年08月12日)

樺太時代の鉄道の流れを汲むサハリンの鉄道ではありますが、列車に乗車してみる機会は設け悪いものです。

手近なところでも、毎日夜行列車が運行している「50度線以北」の地域に縁の在る方が、御自身や身内の方がユジノサハリンスクとの間を往来する場合に利用する話しを耳にすることが在る程度に留まっています。

ハッキリ言えば、旅客列車の運行本数が極端に少なく、使い勝手が好くないのです。

それでも「復路はバスでも構わない」ということなら、土曜日と日曜日に限っては「朝から列車でコルサコフへ行ってみる」ということが出来ることに気付きました。

↓その「朝から列車でコルサコフへ行ってみる」を休日の土曜日に試してみようと、ユジノサハリンスク駅―警察官が常駐していて、荷物検査や金属探知機ゲートが在り、建物内に入る時は必ずそこを通るようになっています。―に足を運んで乗車券を求めました。
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↑ユジノサハリンスク・コルサコフ間は70ルーブル20コペイカでした。窓口で100ルーブル紙幣を出すと、釣銭は30ルーブルでした。

以前に利用した都市間バスでは、「スーパーで買物をした時に貰うレシート」に似たような乗車券でしたが、ユジノサハリンスク駅で求めた乗車券は欧州諸国の鉄道で見受けられるような様式の、「コピー不可」の光るモノまで貼り付けられているような立派なモノでした。

「旅客列車の運行本数が極端に少なく、使い勝手が好くない」ということに関して、ユジノサハリンスク・コルサコフ間の列車運行状況を示します。

↓これが乗車してみた列車です。コルサコフまで1時間余りです。
6014列車 ユジノサハリンスク>>コルサコフ 09時10分発=土曜日・日曜日

↓乗車した6014列車は、コルサコフ市内の終点/起点の乗降場から即座に折り返し運転です。
6013列車 コルサコフ>>ユジノサハリンスク 10時34分発=土曜日・日曜日

「折角立ち寄ったコルサコフで、市内を散策」というようなことであれば、「即座に折り返し」の列車には乗車出来ません。

↓ユジノサハリンスク・コルサコフ間については、下記の1往復の列車が毎日運行されています。
6016列車 ユジノサハリンスク>>コルサコフ 18時30分発=毎日
6015列車 コルサコフ>>ユジノサハリンスク 19時54分発=毎日
↑上述の朝9時台の列車でコルサコフに朝10時台に着いた後、復路も列車を利用するのであれば、午後7時50分台という時間にならなければ列車は動きません。

↓対応する「ユジノサハリンスク発」がよく判らないのですが、月曜日から金曜日は朝早くにコルサコフからユジノサハリンスクへ向かう列車が出ているようです。
6011列車 コルサコフ>>ユジノサハリンスク 06時52分発=月曜日から金曜日

(参照 >> Расписание поездов Сахалинской железной дороги=ロシア語によるサハリンの鉄道運行時刻表)

ユジノサハリンスク・コルサコフ間の旅客列車運行の状況は上述したモノが見受けられるだけです。一頃、「ユジノサハリンスク・コルサコフは旅客列車の運行が無い??」という感じでした。参照したリンクに記載が無かった時期が在りました。が、何か「クルーズ船のコルサコフ入港で多数の旅客をユジノサハリンスク市内へ送り込む際に臨時列車を仕立てた」という出来事が在り、それを受けて「臨時が動けるなら、普通の列車が何故動かない?」と列車運行が再開となったという噂を耳にした覚えが在ります。

コルサコフ側を起点にするのであれば、月曜日から金曜日については、「朝7時前に出発してユジノサハリンスクへ。夕方6時半の列車で引揚げる」という列車による往復が出来るので、何か"固定"の利用者が見受けられるかもしれません。

ユジノサハリンスク側を起点にするのであれば、土曜日・日曜日については「朝9時台に出発してコルサコフへ。夜8時前の列車で引揚げる」という列車による往復が出来る訳です。が、他の曜日に関しては「どうでもいいから列車に乗ってみたい!」と"乗りっ放し"にでもしない限り、往復は出来ません。

ハッキリ言えば、旅行等で「一寸列車に乗ってみたい」ということなら、ユジノサハリンスクに滞在であれば「土曜日か日曜日にコルサコフを訪ねてみよう」という場面の往路で使うことが現実的かもしれません。他には非常に使い悪い感じです。コルサコフ滞在であれば、月曜日から金曜日に「朝7時前に出発してユジノサハリンスクへ。夕方6時半の列車で引揚げる」ということが出来るかもしれません。

こういう運行状況ではあるのですが、ユジノサハリンスク・コルサコフ間については、多くの乗降場が在ります。明らかに2009年の開業時期辺りに新設したと見受けられる、大型商業施設の傍の<シティーモール>という乗降場まで在りました。が、「列車で<シティーモール>へ行った」という話しは耳にしたことが在りません。

ユジノサハリンスクに関する"誤解":「方角」...

ユジノサハリンスクに関する「案内地図」のようなモノは日本でも一部に作成されています。

日本で視掛けるモノですが、大概は「横長のデザイン」です。図の下側に「ユジノサハリンスク駅」が据えられ、図の上側のやや左寄りに「ガガーリン公園」、そして右側へ「スキー場=ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ」、「勝利広場」で昨年以降に作成された図であれば「大聖堂」が入るかもしれません。

通常、「地図」では「上=北 下=南」で、自ずと「左=西 右=東」です。そういうことで、「ユジノサハリンスク駅が南で、ガガーリン公園やスキー場が北」と思ってしまいますが、実は「誤解」です。

ユジノサハリンスクというのは、スキー場を擁する東側の丘陵と、日本海側の地域への道路が延びる西側の山地とに挟まれた「東西幅が狭い場所で南北に長く市街が拡がっている」という都市なのです。

「案内地図」で「ユジノサハリンスク駅」は「下」というのが多々見受けられますがこれは「西」であり、「ガガーリン公園」や「スキー場」は「上」ですがこれは「東」です。

コルサコフ港に船で到着してユジノサハリンスク市内に向かう場合、ユジノサハリンスク空港へ通じる辺りを通り抜けて「北上」をすることになります。そして「ユジノサハリンスク駅」が視える場合には、進行方向の左手に「巨大なレーニン像の向こうに駅らしきモノ」が覗くのです。

コルサコフ港やユジノサハリンスク空港は、ユジノサハリンスクの市街の「南」です。「ユジノサハリンスク駅」が「南」であるとすれば、コルサコフ港やユジノサハリンスク空港からユジノサハリンスク都心部へ入る際に「駅の傍で線路を超える踏切を通過して駅舎が視える」という場面が生じる筈ですが、それは在りません。強いて言えば、コルサコフ港からユジノサハリンスク方面へ延びる道路に1ヶ所「線路を越える」場所が在りますが、これはユジノサハリンスクの市域に入るかなり前です。

横長のデザインになった「案内地図」で「ユジノサハリンスク駅」は「下」というのが多々見受けられますがこれは「西」であり、「ガガーリン公園」や「スキー場」は「上」ですがこれは「東」ですから、進む方向に関しては少し注意をするべきかもしれません。

街で実際に「方角」を知る場合、ユジノサハリンスク駅前の広場に聳え立っている巨大なレーニン像が「好い目印」になり得るかもしれません。午後から夕方の時間帯、レーニン像の「背中側」に太陽光が当たりますから、そちらが「西」寄りです。そして朝から昼頃までは「正面側」に太陽光が当たりますから、そちらが「東」よりです。太陽光線が像に当たる様子が判り悪い曇天でも「背中側=西 正面側=東」と記憶しておけば好いのです。

豊原時代は、現在のレーニン通が「大通」と呼ばれていて、鉄道駅の方角に「西1条、西2条、西3条...」となっていて、当時もスキー場が設けられていて、麓に「樺太神社」が在った丘陵の方向に「東1条、東2条、東3条...」となったそうです。

「案内地図」のレイアウトのために、ユジノサハリンスクに関して話題になる場合、「何か方角が??」と判り悪くなってしまったお話しを時々耳にするので、敢えて話題にしてみました。

都市間バス:ユジノサハリンスク → ネベリスク → ユジノサハリンスク

↓どう見ても、「スーパーで飲物でも買い求めた時にもらう、そのうち何処かにやってしまうレシート」のようにしか見えないモノなのですが、これは「都市間バスの乗車券」です。
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↑「ユジノサハリンスク・ネベリスク間」には「518」という路線番号が冠せられています。

5月6日の休日の早朝、「好くない?」という話しだった予報の割には「悪くない?」と見えた天候だったので、何処かへ出掛けてみようと思い立ちました。話しには聞く「ネベリスクのトド」をゆっくり眺めたことが無かったことを思い出し、「駆け足でネベリスクを往復」と思い立ったのです。

↓運行情報を視ると、ユジノサハリンスク・ネベリスク間は、毎日6往復の運行です。例えば「朝8時にユジノサハリンスクを発ち、午後3時にネベリスクを発つ」ということなら、然程草臥れるでもなく"小旅行"気分が楽しめると考えました。
>>Расписание междугородных автобусов

ユジノサハリンスクと方々の街との間では都市間バスが盛んに運行されています。例えばユジノサハリンスク・コルサコフ間のように、一部が「ユジノサハリンスクの市内線」にもなっていて、朝から夜まで15分から20分間隔で数十往復も運行している路線であれば「乗務員に直接運賃を支払う」ことになっていますが、ユジノサハリンスク・ネベリスクのような運行頻度で一定の運行時間を要する路線は鉄道駅近隣の窓口で乗車券を求めることになっています。

朝、КАССА(カッサ)と呼ばれる窓口へ出向き、「朝8時にユジノサハリンスクを発ち、午後3時にネベリスクを発つ」というようなことをする往復の乗車券を求めようとしましたが、要領を得ませんでした。そういう販売形式は無いようです。飽くまでも「ユジノサハリンスク→ネベリスク」の乗車券しか求めることが出来ません。券は1枚300ルーブルでした。

「そのうち何処かにやってしまうレシート」のようにしか見えない乗車券を大切に持って、近隣で少々時間を潰しながら待っていると、発車の15分位前にバスが乗場に登場しました。

↓40人程度が乗車可能な大型車です。
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乗車券には、"席番号"がとりあえず書いてあります。前の方の「No01」から順番に発券しているようです。乗車時に乗務員(=運転手)が券を改め、予定の乗客が来ているか否かを確かめていました。バス車内の後尾側は空席である場合が多めなようで、「何となく混んでいる...」とさり気なく後尾側に陣取っても、特段に咎められませんでした。

ユジノサハリンスク・ネベリスク間は何度となく往復している経験が在るのですが、「なかなか竣工しない道路整備...」という区間が在って「一寸大変な行程」というイメージが拭い切れませんでした。しかし、現在ではそれは正しくありません。右側通行で北海道内とは勝手が異なるものの、走行時の感じとしては北海道内と大差が無いような、山間を縫って日本海側に至る道路の舗装整備が完成しています。

ユジノサハリンスクの鉄道駅辺りを発車したバスは、駅の脇の線路沿いの道路を北上し、"豊原"の時代には「南1丁目」と「北1丁目」の基点になっていたサハリンスカヤ通に出て左折します。このサハリンスカヤ通が日本海側へ延びる街道に通じていて、途中から北寄りなホルムスクへ向かう道路と、南寄りなネベリスクへ向かう道路とに分かれるのです。

バスに乗車して「日本海側へ向かうコースに乗った...」と思って、何時の間にか居眠りをしてしまいましたが、変な揺れで目を覚ますようなこともなく、気付くと大きな坂道を上って下りるような場所を走っていて、ネベリスクの街へ連なる平坦な場所に出ていました。

サハリンでは道路沿いに"しろまるしろまる市"とか"しろまるしろまる町"というような各地域に入ったことを示す、大きな文字の標識が在ります。その一つである<г.Невельск>(ネベリスク市)という看板が見える辺りまで、ユジノサハリンスクの鉄道駅辺りから「1時間半」を少し切りました。そしてネベリスク市内をゆっくりと動き、地区行政府庁舎の若干北に在る「起点/終点」の停留所に着くまで15分前後でした。ユジノサハリンスク・ネベリスク間は、交通量が少な目な休日朝ではありますが、大型の路線バスでも2時間を切りました。

↓今度は、ネベリスクからユジノサハリンスクへ引き揚げるバスの券を、ネベリスクの「起点/終点」の停留所近くに在るКАССА(カッサ)と呼ばれる窓口で求めました。料金は往路と同じ300ルーブルでした。
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↑こちらの方が、型が細長い感じで、同じ「レシート風」でも「少しだけ乗車券"らしい"?」ように思えました。書式が完全に異なり、ネベリスク、ユジノサハリンスクの両窓口間で「連携」が無いことが伺えます。

ネベリスクでは、市内を気侭に動いて念願のトドも眺め、新しい教会、博物館、ネヴェリスコイ提督の大きな像を観たのでしたが、適当にランチを摂って一息入れていた間に雨が交じり始めました。

↓雨の中、ユジノサハリンスクへ向かう真っ赤なバスが登場しました。
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↑朝の往路よりも込み合っていました。

実は博物館で、館の方に「ネヴェリスコイ提督の大きな像」の場所をお尋ねして、「バスに間に合うかな?」と時計を見たところ「3時のバス?全然大丈夫ですよ。直ぐですから...」と館の方は仰ったのでした。「ユジノサハリンスクへ向かう午後3時の...」と、ネベリスクの皆さんの認知度が高めなのなもしれません。

この真っ赤なバスも順調に、雨が交じる中をユジノサハリンスクへ向かいました。この復路でも「気持ち好く走っている...」と思い始めた辺りで居眠りに及んでしまい、気付けばユジノサハリンスク市内のサハリンスカヤ通に繋がるような辺りでした。

サハリンスカヤ通の鉄道駅に寄った辺りは「何時も込み合っている」というイメージも在る道路です。休日の夕方のややは止めな時間帯だったのですが、道路は少し込み合っていて、「何やら停車...」が少し気になる感じでの進行になりました。そういう状態でしたが、ユジノサハリンスクの鉄道駅の前に到着した時、時計を見れば出発から未だ2時間経っていませんでした。

↓朝に乗車した紫のバスと真っ赤なバスが並んでユジノサハリンスクの鉄道駅前に停車しました。
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↑紫のバスには、朝の往路で視掛けた乗務員(=運転手)が見えました。2往復か、1往復半か、その程度の乗務なのでしょうか?または運用する車輛毎に"担当"の乗務員が決まっているのかもしれません。

ネベリスクでは、道路整備の完成を受けて「地域への来訪者の増加」に期待しているようですが、最近の道路の様子であれば「かなり手軽」に小旅行を楽しめるような感じです。

「ルーブル」=ロシアの通貨

サハリンで、或いはロシアで使うお金は「ルーブル」と言います。

「ルーブル」という言葉は、相当に古い言葉に起源が在るらしく、昔は商取引に用いる銀の塊のことを「ルーブル」と呼んだそうです。16世紀頃の史料に「ルーブル」という呼称は登場するようですが、ロマノフ王朝の時代になって以降、1654年―日本では徳川家綱が江戸幕府の4代将軍で、由井正雪や丸橋忠弥らによる討幕未遂事件(慶安の変)が起こっていたような時代です。時代劇の『水戸黄門』の設定時代よりも以前です。―にロマノフ王朝の2代目の皇帝であるアレクセイ帝が「ルーブル」の硬貨を造ったのが、確認出来る最古の"ルーブル硬貨"であるようです。

サハリンで動き回る現金のルーブルを得るには「銀行で両替」ということになります。

個人が動き回る場合に使うような、「多くても数万円」という範囲の現金であれば、特別な手続等も無く、銀行の窓口で簡単に両替は出来ます。銀行の営業時間は、銀行毎、更に支店毎に違っているようです。概ね「平日の9時から17時」という程度に思っておけば"ハズレ"は無いのですが、一部に「8時から20時」という感じで営業時間が長い場所や、「土曜日も営業」という場所も見受けられます。

↓サハリンでは外貨レートがこういう具合に表示されます。銀行の辺りを通り掛かると、この種の外貨レートが、比較的見付け易い辺りに掲出されている場合が多いように思えます。

Курсы валют на Сахалине

↑左に米国ドル、右に日本円のレートが表示されています。

右側の"JPY"が日本円ですが、下の数字は「"100円"がXルーブル」ということです。例えばここに「50」とでも出ていれば、「100円が50ルーブル」なので「1ルーブル=2円」ということになります。

3行の数字が在りますが、1行目の「ЦБ РФ」はロシア中央銀行が示す目安です。2行目の「ПРОД.」は「売り」で、金融機関で「ルーブルを日本円に替える」場面での平均的なレート、「ПОК.」は「買い」で、金融機関で「日本円をルーブルに替える」場面での平均的なレートです。こういうような事柄の基本的な仕組みは、何処の国でも然程大きく変わるものでもありません。

当然ですが、このレートは毎日のように変わります。

実際に銀行に立ち寄って両替をしましたが、例えば4月18日は1ルーブルが2円4銭、4月20日は1ルーブルが2円2銭、4月27日は1ルーブルが2円5銭という具合に変化しています。

↓出くわす機会が多いロシアの紙幣と10ルーブル硬貨です。
ルーブル (1).jpg
↑50ルーブル、100ルーブル、500ルーブルの出番が少し多く、1000ルーブルは少々出番が少ないかもしれません。

この1000ルーブル紙幣ですが、稚内市内でも市内に在る2行の支店で両替をやっていて、入手出来ます。正しくは「外貨両替の取り扱いにロシアルーブルも在る」と言うべきなのでしょうが、金種として1000ルーブルの用意が在るのみなのです。ですから、稚内市内の銀行支店で両替をお願いする場合には、例えば「1万円をお願いします」とではなく「5千ルーブルを希望しますが、幾らですか?」とでも尋ねなければなりません。

交通の都合で夕方や夜にサハリンへ到着するのであれば、銀行での両替が行い悪い場合も考えられます。「一寸、飲物位は求めたい...」―ユジノサハリンスクでは、夜は22時や23時頃も営業しているスーパー等が多く、「飲物位...」という買物には事欠きません。―と思っても、現地通貨のルーブルが全く無いのでは不自由です。そうした意味で、「出発前に両替」というのも好いかもしれません。

↓今般、これまで余り見た事が無かった5000ルーブル紙幣を手にする機会も在りました。
ルーブル (2).jpg
↑この5000ルーブル紙幣で少額の買物をしようとすれば、「出来れば、もう少し細かいお金で...」というお店の方の反応が在る場合も見受けられます。

日本でも「円」に対して「銭」という「円の1/100」の単位が在ります。ロシアでも「ルーブル」に対して「コペイカ」という「ルーブルの1/100」の単位が在ります。実際のお金のやり取りの中で、「コペイカ」は殆ど顧みられていませんが、外貨両替等の場合には確りとカウントされています。

天候:似ているようで違う?違うようで似ている?

ブログの右側上の方に、サハリンの3つの友好都市と稚内の気象情報を表示するようにしました。

4行の表示ですが、上からNevelsk=ネベリスク、 Korsakov=コルサコフ、 Yuzhno-Sakhalinsk=ユジノサハリンスク、 Wakkanai=稚内です。各々の地名の横に気温が表示され、天候を示すマーク、風速と風向が示されます。方位はE=東、 W=西、 N=北、 S=南で、応用で例えばSW=南西です。

「サハリンは全く初めて」という方が参加するような催事で、出発前に説明会を催すことが在ります。稚内で説明会を催すと、「サハリンは稚内と大差が無い気候ですが、内陸のユジノサハリンスクは最高気温と最低気温の差が稚内より大きいので、"一寸羽織るというモノ"が1枚在ると好い」というようなことを申し上げます。が、稚内以外の地域では、「稚内と似ている」と言っても、「稚内の状況」が想像し悪いのかもしれません。そこで、こういう"気象情報"を表示するようにしてみました。

日本語のウェブサイトで、こういう具合にしてサハリンの各都市の様子を表示出来るモノが見付からなかったので英語のモノを採用しました。英語ではありますが、表示されている各地名をクリックすると、より詳しい天気予報等が英語で出て来ます。

天候の様子等は、このブログの各記事で折々に話題とするかもしれませんが、「サハリンはこの辺と比べて?」というようなことで、このブログの右上に在る表示を御参照頂ければ幸いです。

"サハリン時間"と「サハリンのオフィスアワー」

ブログの左上に"時計"を表示するようにしてみました。

日本国内で御覧頂けば「2時間も進んでいないか?!」というように見えると思いますが、これが"サハリン時間"です。

サハリンは「稚内から最短距離で43km程度」と極近く、「真直ぐ北上」したような場所で、時差が発生するような感はしません。が、「経度」に鑑みて時間帯を決めるルールに準拠して、日本で、ロシアで「各々に決める」ことをした結果、「稚内を含む日本国内で採用の時間帯」と「ロシアがサハリン等で採用の時間帯」との間に"差"が発生してしまった訳です。

サハリンでのオフィスアワーは、月曜日から金曜日の「9時から18時」が一般的です。<稚内市サハリン事務所>もそのようにしています。

更にサハリンでは、特段に何かの都合が無い金曜日に関しては、5時頃までに仕事から上がっている例も多く見受けられます。実際、通勤の車は金曜日の5時台には多くなっているように見えます。何処かのオフィスと連絡を取る場合、金曜日の5時頃は連絡し悪い場合が多くなります。

昼休みは「13時から14時」で、オフィスを閉めて"外"(一旦、帰宅する方も多いようです。)で昼食を摂る、または一寸した用足しをする例が多いように見受けられます。オフィスの様子は、小さな"個室"風な感じで、少人数な場合が多いので、昼休み時間帯に電話を架けても応答が無い場合も多々在ります。

サハリンの昼休みである「13時から14時」は、日本国内の「11時から12時」に相当します。日本国内の昼休みである「12時から13時」は、サハリンの「14時から15時」に相当します。サハリンから視ると「昼休みが終わって、日本国内に電話を架けると、向こうは昼休み」という感じになります。

「電話でやり取り」というような場合は、この"時差"を少し考慮しなければなりません。昼間は「昼休み時間帯が1時間違うことに加えての2時間の時差」で何となく非効率な感じを免れ悪いかもしれません。

日本国内からサハリンへ電話連絡をする場合、「日本国内の午前7時台=サハリンの午前9時台」なので、日本国内では「少し早めに動き始めて、"朝の電話"で相手を見付ける」という手段が在るように思えます。朝から真直ぐ何処かへ出掛ける場合も在るでしょうが、朝であれば相手が「とりあえずオフィスに出て...」という状況が多く、相手と話せるチャンスが拡がるかもしれません。

サハリンから日本国内へ電話連絡をする場合は?沢山の人が居る感じのオフィスが一般的な日本国内であれば、誰かが電話に応答する場合が圧倒的に多い訳で、とりあえず目指す相手が不在でも伝言はお願い出来る場合が多い筈で、余り時間帯を考慮しないかもしれません。

こうして"サハリン時間"を考えると、"日本時間"というのは、稚内の在る北海道から視て「かなり西」に相当する辺りを基準にしていることに気付きます。「経度」に鑑みて時間帯を決めるルールに準拠すれば、稚内辺りは"サハリン時間"の方が「妥当?」と視えないでもありませんが...