「最後のベル」―学校の卒業式・終業式(2017年05月25日)
「最後のベル」などと書いてみると、映画や演劇、または小説のタイトルのような感じですが、「パスレードヌィー・ズヴァノク」(Последный звонок)というサハリンで、ロシアで一般的な表現を訳してみただけのことです。
「パスレードヌィー・ズヴァノク」(Последный звонок)は、正しく学期の、或いは学校生活の「最後のベル」という訳です。"ベル"という語に「学業が始まる、または終わる」という象徴的な意味合いを付している訳です。
↓この「最後のベル」の日には、こういうような「仮装行列!?」というような感さえ漂う若者達に出くわします。
「最後のベル」 (1).JPG
↑例年は非常に目立つらしいですが、今日は「どうした?」という程度に気温が上がらず、「寒い...」を連呼する方も見受けられ、若者達も「余り出ていない?」感じでした。
ロシアでは11年制の学校が普通で6歳から17歳まで学びます。学校へ通う児童・生徒の様子を視れば、普段は「普通な子どもや若者の普段着」という以上でも以下でもない服装です。極一部を除くと、"制服"のようなモノは余り視掛けません。しかし、この「最後のベル」の日には、男子はスーツで、女子は「昔風な制服」で登校です。
男子はスーツ、女子は独特な制服というのは、ソ連時代の少し古い時期には「毎日」だったようですが、何時の間にか普段は平服ということになり、この「最後のベル」の日のような催事の場面でだけ登場するようなことになったようです。
↓仲の好いグループで、撮影役の方も引き連れて、記念写真を撮るのが「定番」です。
「最後のベル」 (2).JPG
↑このグループは、写真を撮る瞬間に何かの合言葉を掛け声にして、賑やかにやっていました。
卒業と言えば、日本語の感覚では「御卒業おめでとうございます」ですが、お子さんが卒業という方にそう言ってみると「私はうちの子がこれからどうなって行くのか、本当に心配で"おめでとうございます"という感じでもない...」としていた例に出くわしました。実際、不安と期待が入り混じるのが"卒業"という場面なのでしょう。
賑々しく写真を撮っていた、学校を卒業したばかりのグループの様子を視ていました。何時も仲良く色々なことをしていたであろう仲間達ですが、サハリンの若者は進学等で各々が色々な地域に別れ別れになる例も多いと聞きます。独特な服装で慣れ親しんだ街を練り歩き、尽きない名残を惜しむのか、輝く未来への想いを語り合っているのでしょう。
「パスレードヌィー・ズヴァノク」(Последный звонок)は、正しく学期の、或いは学校生活の「最後のベル」という訳です。"ベル"という語に「学業が始まる、または終わる」という象徴的な意味合いを付している訳です。
↓この「最後のベル」の日には、こういうような「仮装行列!?」というような感さえ漂う若者達に出くわします。
「最後のベル」 (1).JPG
↑例年は非常に目立つらしいですが、今日は「どうした?」という程度に気温が上がらず、「寒い...」を連呼する方も見受けられ、若者達も「余り出ていない?」感じでした。
ロシアでは11年制の学校が普通で6歳から17歳まで学びます。学校へ通う児童・生徒の様子を視れば、普段は「普通な子どもや若者の普段着」という以上でも以下でもない服装です。極一部を除くと、"制服"のようなモノは余り視掛けません。しかし、この「最後のベル」の日には、男子はスーツで、女子は「昔風な制服」で登校です。
男子はスーツ、女子は独特な制服というのは、ソ連時代の少し古い時期には「毎日」だったようですが、何時の間にか普段は平服ということになり、この「最後のベル」の日のような催事の場面でだけ登場するようなことになったようです。
↓仲の好いグループで、撮影役の方も引き連れて、記念写真を撮るのが「定番」です。
「最後のベル」 (2).JPG
↑このグループは、写真を撮る瞬間に何かの合言葉を掛け声にして、賑やかにやっていました。
卒業と言えば、日本語の感覚では「御卒業おめでとうございます」ですが、お子さんが卒業という方にそう言ってみると「私はうちの子がこれからどうなって行くのか、本当に心配で"おめでとうございます"という感じでもない...」としていた例に出くわしました。実際、不安と期待が入り混じるのが"卒業"という場面なのでしょう。
賑々しく写真を撮っていた、学校を卒業したばかりのグループの様子を視ていました。何時も仲良く色々なことをしていたであろう仲間達ですが、サハリンの若者は進学等で各々が色々な地域に別れ別れになる例も多いと聞きます。独特な服装で慣れ親しんだ街を練り歩き、尽きない名残を惜しむのか、輝く未来への想いを語り合っているのでしょう。
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